新・「はちきん」おばあさんの事件ファイル

@AKIRA54

第1話 はちきんおばあさんのよもやま噺

        1

 「はちきんさん」こと、お寅さんは、見かけとは裏腹に短気な性格である。見かけ、つまり、その肉体的特徴は龍馬の姉、乙女さんを彷彿させる巨体と貫禄、そして、その容貌は八幡さまの鳥居の脇に鎮座する「狛犬」にそっくりなのだ。本人にいわせれば、「アテが狛犬に似ているんやないワ、狛犬がアテに似せて作られたんや」ということになりそうだ。(そしたら、お寅さんいつ生まれたの?江戸時代かい?と、ツッコミたい)

 いや、彼女の容姿は物語には関係ない。(少しはあるかもしれないが……)その性格が、見かけとは違っていること、そこが問題なのだ。

 高知市の城西、上町と旭町との間に位置する、井口町に小さな(老舗といわれるほどには、古くはない)旅館、刻屋(ときや)旅館があった。その名物女将がお寅さんである。

「女将さん、名人が描いた絵の中の人や動物が動くってこと、あるんですかい?」

刻屋の玄関脇に設けられた、テーブルと丸椅子、そこにお寅さんと向い合わせに腰をかけ、葛餅をつまみながら角刈り頭の中年が、ふと思い出したように話を切り出した。

「おや、マッチャン、また『テンゴウ噺』を作る気かね?」

「お、女将さん、テンゴウって、アッシは『正直者のマツ』って呼ばれているんですぜ」

「何が『正直者』ぞね、『センミツのマツ』やろうがね」

 お寅さんの強い言葉に、反論できず、マッチャンと呼ばれている男は、角刈りの頭髪をかき回しながら、苦笑いするしかなかった。

「マッチャンも女将さんのはちきんには勝てませんですね。はい、冷たい麦茶です」

 そう言って、二人の会話に割り込んで、ガラスコップをテーブルの上に差し出したのは、まだ、二十歳(はたち)になるかならないか、髪の毛を後ろに束ねてお団子にし、白い割烹着(かっぽうぎ)を身にまとった、可愛い女性だった。

「おや、みっちゃん、気がきくねえ。いや、気がきくより、きれいになったねえ。こりゃ、男衆(おとこし)がほうっておけんなるちや」

「あんた、変な、江戸弁か、土佐弁かどっちかにしいや!」

 マッチャンはまたまた、頭をかくことになった。彼の職業は「理髪師」、床屋、散髪屋、とも呼ばれているのだが、無類の映画好き。特に、東映のチャンバラ映画には目がなく、生粋の土佐っぽのくせに、江戸なまりの口調で話すクセがあった。

「女将さん、いじめないでくだせぇよ、江戸弁がアッシの特技でさぁ。いや、それより、噺を戻しますがね……」

「ああ、名人の描いた絵が動く、って噺かね?まあ、雪舟(せっしゅう)さんが小坊主の時、叱られて、柱にくくりつけられて、涙で床に描いたネズミが動き出した、っていうから、ありえんこともないろうけんど……」

「そうですかい、やっぱり、名人が描くと、魂が宿るんでしょうかね?」

「エライ、噺を引っ張るやいか?なんぞ、絵が動くことがあったんかね?」

 と、お寅さんは見かけと違う、短気な性格をあらわにして、噺を急かせる。

「そうそう、さすが刻屋のはちきんさん、サッシがいいや」

「あんたにほめられても、うれしゅうもないき、お早う、続きを話しや!」

 と、お寅さんがふたたび、噺を急がせる。

「ええ、これはうちのお客さん、といっても、まだ小学生なんですがね、けど真面目な子で、嘘をつく子じゃない。それに、同じ話を別の子もいってましたから、どうも真実味があるんでさぁ」

 マッチャンはそこで、コップの麦茶を一口飲む。

「その子達は、旭小学校の生徒なんですがね。四年か五年生だったと思うんですが、担任の先生が若くて美人だそうで、山ノ端(やまのはた)町にお住まいだそうで、まあ、子供の目から見ての噺でしょうが、大きなお屋敷だそうで……」

「その噺、二宮ゆうお屋敷やない?」

「えっ?女将さん、ご存知で?」

「いや、直接は知らんよ。けんど、旭の小学校の先生で、美人で、山ノ端のお屋敷、ゆうたら、二宮さんくの陽子(ようこ)さんしかおらんろうがね。あそこは、顔役さんくと親戚筋やき、まあ、噂には聞いちゅうよ、嫁に欲しいと引く手あまたらしいきね」

「そうそう、その陽子さんですよ。アッシも闇市(やみいち)やら、火曜市で見かけたことがありますがね、いや、天女のようなとはああいう人のことをいうんでしょうね?この歳になって、振り向かされる女性ってのは、まあ、ここの千代さんか、ってところですよ」

「あんたのおなごの鑑定はエイきに、本筋の噺に移りや。アテもそうそう、暇人(ひまじん)やないがぜ」

 お寅さんににらまれて、また、コップの麦茶を一口。マッチャンはようやく、本編を語り始めた。

        ※

 一昨日のこと、床屋の客として、旭小学校の生徒で近所に住む、太郎という子が、

「おんちゃん、床屋しゆうけんど、元は刑事さんやったがやとね?不思議な事件とか、解決して、手柄をたてて、表彰されたそうやいか」

 バリカンで坊っちゃん刈りにされながら、太郎少年は鏡の中の床屋の主人にそう問いかけた。マッチャンは言葉につまる。元刑事も手柄をたてて表彰状をもらったことも、センミツどころか、真っ赤な嘘なのだ。いつか、ちょっとした事件で、刻屋の若女将の千代に協力したことがある。千代は顔見知りの刑事、坂本勇次(ゆうじ)の手助けをしたのだが、その事件解決の噺を誰かお客に大袈裟に、かつ、大嘘で衣をつけて、語った――騙った?――のだが、それをこの子――太郎――は真に受けたとみえる。

「ま、まあ、大昔、戦争前のことよね。戦争が始まったきに、警察官を辞めて、軍隊へ入ったがよ」

 軍隊へ入ったのは本当だ。よく無事に帰ってこれたと、今でも思うくらいだ。

「ふうん、けんど、探偵小説はよう読みゆうがやろう?江戸川乱歩とか?」

「ああ、探偵小説は好きや」

「ほんで、たいがい、途中で犯人がわかってしまうそうやいか。『黄色い部屋の謎』とか、『Yの悲劇』とか、全部、半分読んだところで、犯人当ててたそうやいか」

 そういえば、誰だったかは忘れたが、推理小説好きのお客にそんな「ホラ噺」をしたことがある。

「まあ、探偵小説のトリックは大抵想像がつくきにねえ」

と、上手くごまかした。

「おんちゃんのその能力を見込んで、お願いがあるがやけんど……」

「な、なんぞ事件かえ?ほいたら、交番の巡査、そうや、ヤマちゃんにいいや」

「事件やないがよ。不思議なことがあったがよ」

「不思議なこと?」

「うん、僕の学校の担任の先生が……」

 太郎が話した不思議な出来事、それは彼の担任の先生、二宮陽子の身に起きたことだった。

 彼女は今年、二十六歳。当時の女性の適齢期を過ぎている。教師の仕事に夢中で、恋をする暇がなかったのだ。そこで、校長の門田が見合いの話を持ってきた。結婚する気にはまだならないのだが、上司の進めでもあり、会うだけなら、と応諾したのだ。

 その見合い相手の屋敷に招かれ、和室に通された。その床の間には一幅の日本画が飾られていた。大家の作と思われる、その美人画の顔が誰かに似ているのだ。

 陽子の思考はそこで、中断させられた。見合いの相手と、仲人が現れたからだ。

 その場の見合いは、可もなく不可もなく終了し、相手の印象も悪くなかった。次の約束――二人きりの食事――に応諾し、立ち上がり、ふと、床の間の絵に視線を向けた。

 その絵の中の美人の視線が、自分に向けられていた。しかも、口元が変化しているのだ。まるで、微笑むように……。

 次の日、気になって、仲人の門田校長にさりげなく、絵のことを尋ねてみた。その会話を太郎ともう一人の友達が聞いてしまって、放課後、図書室で、日本画の作者を調べていた陽子に問いただしたのだった。

「先生の記憶違いよ。もともと、微笑みを浮かべた絵だったのよね」と、陽子は自分を納得させるかのように、太郎たちにいったのだ。

 だが、話はそこで終わらなかった。見合いの相手と約束のランチをともにして、映画を観ようと、帯屋町を歩いていた時、ちょうど、川村時計店の前で和服姿の女性がショーウインドウを眺めている姿が目に留まった。その着物の柄があの日本画の女性の着物によく似ていたからだった。

 陽子が歩みを止めたので、彼も立ち止まり、陽子の視線の先に彼も目を向けた。その時、ウインドウを眺めていた女性が二人の方に顔を向け、微笑みかけた。

「あっ!」と、おもわず声を発した。

 女性は、なにごともないように、時計店の横の路地に入って行った。陽子が気を取り直して路地をのぞいたときには、もう女性の姿はなかったのだ。

「先生、どうかしたの?」

 子供の声に我に帰ると、背後に太郎とその友達がいた。太郎たちは憧れの先生の初デートが気になって、後をつけていたのだった。

        ※

「その着物姿の女性の顔が絵の中の女性とそっくりだったそうなんで」

 と、マッチャンの噺が進んだ。

「それで?どういたがぞね?怖くなって、見合いを断ったがかね?」

「いや、見合いは上手く進んでいるようで、それで、かえって、気にやむ、ってことになってるようでして……」

「つまり、その絵の怪異が結婚の妨げになってるってことね?」

「ひやぁ!千代さんか、ビックリするじゃあねえですか。急に噺に、しかも、背中から……」

 麦茶のおかわりをお盆に乗せて、お寅さんの養女の千代が噺に加わってきたのだ。

「マッチャン、その噺、いつもの『盛った噺』やないろうね?」

「千代さん、正真正銘、その太郎君の噺ですよ。いつもの、って、どういう意味で?」

「まあ、センミツではないってことね?それで、その見合いのお相手って、どこの方?二宮さんと釣り合うお家柄だと、裕福なお家でしょう?」

 噺の主導権が千代に移っている。まあ、こうした謎解きは千代の領分だと、お寅さんはわかっているのだ。

「ええ、こっからはアッシが直に調べたんですけどね。太郎君たちはそこまでは知らないようでね」

「はいはい、前置きはいいから、結果を報告」

「へえ、親分!」

「なんぞね?銭形平次の『ガラッ八(ぱち)』になった気かね?」

「お母さん、噺の腰を折らないでください。おい、八(はち)、さっさと報告しねぇ」

「いいねぇ、千代さん、そうこなくっちゃ。でね、その見合いの相手ってのが、大垣(おおがき)政二郎(まさじろう)さんっていって、県議の大垣泰蔵(たいぞう)さんのご次男さんですよ」

「そりゃ、たいした家柄やないの、エエ話や」

「ええ、泰蔵さんと校長の門田さんが同じ大学の先輩、後輩でね。それで、見合いが進んだってことでしょうね。政二郎さんもなかなかの美男でね、似合いのカップルでしょうね」

「まあ、結婚相手としては申し分なしか……、じゃあ、その不思議な日本画ってのは、大垣家の居間に飾られているのね?誰の作品?」

「鏑木(かぶらぎ)…なんとか」

「ええ!鏑木清方(きよかた)?」

「そ、そうそう、清方さん」

「千代さん、あんた、知っちゅう人かね?」

「お母さん、鏑木清方は日本画の大家ですよ。しかも、美人画では西の『上村(うえむら)松園(しょうえん)』東の『鏑木清方』っていわれる美人画で有名な方ですよ」

「ほいたら、その人が描いた絵なら、動いたり、飛び出してきてもおかしゅうない、ってことやね?雪舟さんみたいに……」

「いえ、それはないと思うんですけど……そうか、そう思われてもいい作者の作品ながや」

「千代さん、それ、どうゆう意味や?」

「いえ、そこは置いといて、次に行くわよ。その絵の美人は誰に似ているの?」

「さて、そこは陽子先生しかわからない部分ですので……」

「八(はち)、オメエもまだまだ、アメエな」


       2

「けんど、なんちゃあ気にするにようばんろう?お互い、気にいったがやったら、結婚するのに支障になることやないろう?」

 千代とお寅さんから、マッチャンの噺を聴かされた千代の長男──訳あって、本名は伏せられていて、S氏、あるいは、ボンと呼ぶ──がその日の夕食の膳の前でそういった。

「うん、ここまでの噺なら、そうたいした障害になるとは思えんけどね」

「なんか、引っかかるがやね?顔回(がんかい)の生まれ替わりの勘ってやつが……」

「あんた、それをいいな、って、何回もいいゆうろう?あたしは顔回やない!」

 千代は若い頃から機転が利くことが多くて、『一を訊いて十を知る』といわれる孔子の高弟、顔回の生まれ替わりとよくいわれるのだが、本人はそれをひどく嫌っているのである。

「ゴメン、じゃあ、女将の勘ってことにしとく。それで、何に引っかかるわけ?」

「その絵の美人が誰に似ているのか?それと、本当に絵の美人が動いたのかよ。この二点は陽子さんに確認するしかないもんね。それが事実なら、なにかのまえぶれとしか思えないでしょう?それが、吉兆(きっちょう)なのか、災厄(さいやく)の前兆なのか?結婚問題に関わってきたら、問題でしょう?」

「じゃあ、その美人とよく似た人物に出会ったことは?問題じゃあないの?」

「うん、誰に似ているかによって、問題になるかもしれないけど、陽子さんの心理状態が引き起こしたものと思うのよね。絵が動いた、そして、身近な誰かに似ていた、そのことが、同じような柄の着物に目がいって、たまたま、近い顔立ちの女性に出会ったってことだと思うの。だって、その人に出会って、なにごともないのだから、単なる偶然かもしれないし……」

「あまーい!偶然が続くって、作為があるってことやで。陽子さんの知ってる人に似た美人画。その絵が動く。その絵の美人が現れる。誰かの作為、その可能性も棄てきれないと思うよ」

「それは、『ルパンの生まれ替わり』の勘?」

「さて、もう少しデータがそろうまでは、小政さんには黙っているか。宿題、宿題しとかんと……」

         ※

「御免ください」

そういう声が、開けっ放しの玄関口から聞こえてきた。

「はあい、ただいま……」

 奥の台所で惣菜を作っていた千代が割烹着姿で足早に出ていく。そこには白いブラウスに水色の水玉模様のスカート姿の若い女性が立っていた。

「お待たせしました。どういうご用件でしょう?」

 刻屋は旅館であるが、最近はほとんど泊まり客はいない。たまに、二階の座敷を利用して、宴会をする団体客がいたりする。他には、惣菜を買いにくる近所の住民くらいだ。若い女性は美人で知的である。近所にはいないタイプなのだ。

「こちらは刻屋旅館さんですよね?以前、探偵団の本部があった……」

「はい、でも」

「わかっています。探偵団はもう解散したってことですよね?いいんです。ただ、若女将の千代さんにお目にかかりたいのです。折り入って、ご相談したいことがありまして、若女将さん、いらっしゃいます?」

 目の前に本人がおるやないの。ああぁ、また、例によって、若女将には見えん、ってことなのね。もう慣れたけどね。

「わたしが千代です」と、堂々と口にした。

「えっ!あなたが?顔回の生まれ替わりといわれる?」

「あのう、失礼ですが、その間違った噂、どこから仕入れました?それと、どちらさまでしょうか?」

「母ちゃん、二宮陽子先生に決まっているやろう?顔回の生まれ替わりが泣くよ」

「えっ?」と、女性二人が同時に声を発した。千代の後方の座敷にS氏が笑顔を浮かべて立っていた。

「ああ、二宮先生、って、何であんたが知ってるの?学校違うやないの?」

「あのう、失礼しました。それから、この方はお子さんですか?こんな大きなお子さんがおられるようなお歳には見えませんが……」

「ああ、見かけは若いですが、もう、三十路(みそじ)ですから……」

 小学生のいう台詞ではない。女性二人は「プッ!」と同時に吹き出した。

 まあどうぞ、お掛けください、と千代が陽子を玄関脇のテーブルと丸いすに案内する。

 お茶を、と千代が振り返ると、みっちゃんがお盆にコップを三つ乗せて、台所から出てくるのが目に留まった。

 気が利くなあ、と思って、そうか、息子の差し金か、と気がついた。

「それで、わたしにご相談とは?いえ、それより、わたしのことをどなたにお聞きになったのでしょうか?」

 麦茶を一口飲んで、コップをテーブルに置いた陽子に向けて、まず、千代が質問する。

「はい、わたし、小学校の教師をしておりまして、千代さんのことは、その小学校の教え子からうかがいました」

「では、太郎君から?」

 と、いったのは、S氏だ。

「ええ、お友達?」

「いえ、面識はありません。名前だけで、姓の方は知りませんが……、それでは続きをどうぞ」

 S氏の言葉に驚いたように大きな目を見張り、コップをふたたび傾けて、陽子は話を始める。

「太郎君、いえ、山田君がいうには、散髪屋の松岡さんがもう千代さんに噺をしている頃だから、相談に行ったら、というもんですから、意を決して、ご相談に参りましたの」

「山田太郎君か、なかなか、優秀ですね、散髪屋のマッチャンを利用するとは」

「マッチャンを利用する?ああ、そういうこと。確かに知能犯ね、あんたと同じくらいの」

 さすが、顔回の……とは、S氏もここでは口にできなかった。

「すみません、彼、決して悪気はないのです。いえ、とても正義感がある子で……」

「おまけに、推理小説好き、なんでしょうね?うちの子と同じように……」

「ええ、その通りです。よくおわかりですね?」

「その山田君から推薦されたということは、もちろん、あなたの結婚相手、婚約者?それともまだ恋人かしら?大垣さんの家の美人画の件でしょうね?」

「ええ、そうです。どこまでご存知なのかはわかりませんが……」

「どうぞ、最初から。知っていることも、知らないことも、あなたの口からお訊きした方が、よろしいかと……」

「はい、では」

 そういって、陽子は校長からの見合いの話から、帯屋町での、和服姿の女性のことまでを一気に語った。

「それで?その絵の女性は誰に似ているのです?あなたの身近な方?」

「はい、最初その絵を見た時の印象は、その……、わたしに似ていると……」

「まあ!ご自身に?」

「最初、と、おっしゃるところから判断すると、その後、誰か他の人に似ていると思ったのでしょうか?」

 と、S氏が母親を無視するかのように質問した。

「ええ、後で、わたしより母に、もう、故人ですが、母の若い頃の写真の面影によく似ていると気がつきました」

「ああ、お母さまなら、陽子先生にも似ていておかしくはないでしょうね。それで、その絵が動いたそうですが、まず、その絵はお見合い中、あなたの正面にありましたか?それとも視線の外、見えない位置にあったのでしょうか?」

「は、はい、見えない位置に、つまり、わたしは上座に、床の間を背に座っておりました」

「では、実際に動くのを目撃したのではなく、動いた後、つまり、最初に見た床の間の絵とは、視線と口元が違っていた絵をご覧になった、そういうことですね?」

「ええ、正確にいうとそうなりますが、でも他には変わったところはなかったし、絵を交換したとは思えません。だって、誰も床の間には近づかないし、また、そんなこと、なさる必要がありませんわ」

「それは、先生、あなたの常識的な考え方を基準にした場合ですよね。世の中には、別の基準を持つ人間がいる、そういうことでしょうね」

「あなた、本当に小学生?そんなこと、大人でも考えないわ」

「あのう、この子の常識は私たちの常識とは、かなりずれていますから、お気になさらないで……、本当に育て方を間違えたようで……」

「いえ、感心していますの。小学校はどこ?附属?ああ、それで……」

「いや、いや、先生、附属の生徒が全てこんな子ではありませんよ。この子は特別のようでして……」

「でも、成績優秀なんでしょう?」

「いえ、決して優秀とはいえない成績です。個人面談で、もっとできるはずだといわれました。手抜きを覚えているんです。困ってしまいます」

「母ちゃん、俺の成績は今は関係ないろう?前にもゆうたけんど、一番になったら、妬(ねた)まれるから、目立たない位置にいるだけなが」

「俺やないろう?僕か、わたしやろう?それにそのいいわけは、いっぺん、一番になってからいいや」

「あれ?知らんかった?時々、満点とって、一番になることもあるがよ。簡単すぎて、みんなぁできちゅうろうと思ったら、満点は俺、やない、僕ひとりやったことがあるがよ。その時の周りの視線、怖いでぇ」

「まあ、そういうことも、ないことはないですけどね」

「さすが先生、ようわかっちゅう」

「もうあきらめてます。それより、次の質問です。帯屋町で見かけた女性ですけど、その絵の女性にそっくりでしたの?」

「今思うと、着物の柄がよく似ていて、髪型もほぼ同じように思えたので、その絵から抜け出した女性のように感じてしまったのですわ。顔がそっくりとはいえないかもしれません」

「人間の記憶って、思い込みが強いと実際と違うことがあるそうですよ。銀行強盗の目撃者の記憶も同じ人物を見ているのに、全く違う人相が出てくるそうですから」

 S氏の発言にまたしても、陽子は目を丸くさせられた。

「それで、その後、なにごともないのですか?」

「ええ、直接には……」

「直接には?」

「ええ、ただ、先日、いえ一昨日ですが、政二郎さんに誘われて、またお宅におうかがいしましたの。で、床の間の掛け軸を拝見したら、美人画でしたが、絵の顔が変わっていたのです。まったく別人でした。誰にも似ていません」

「ほほう、別の美人画。で、作者は?」

「わたし、気味が悪くて、訊けませんでした」

「かなりの名画でしたか?つまり、鏑木清方と比べてですが……」

「ええ、名画だと思います。ただ、わたし、絵画には詳しくなくて、専門は音楽なんです。子供の頃からピアノを習っていましたので……」

「なるほど、最初に床の間に掛けられていた絵は鏑木清方の作品だと教えられた。で、一昨日(おととい)の絵もそれと遜色(そんしょく)ないものだった。そういうことか。謎が解けてきましたね。ただ、まだ誰が、何の目的で、というところには、データ不足ですね」

「あのう、もしかして、山田君が刻屋旅館に名探偵がおるき、といってましたけど、千代さんではなくて、この子、山田君と同年代の少年が、名探偵なんですか?」

「さあ、親子ですから似てはいるんでしょうが……」

「わたしは似ていないと思われたいわ。わたしはこんなに詐欺師の素質は持っていないから……」

「さ、詐欺師?この子がですか?」

「いえ、詐欺師というか、ルパンの生まれ替わりですの……」


      3

「こんちは!おっ、みっちゃん、今日もベッピンさんでござんすね」

「何ですか?マッチャンさん、テンゴウ噺はやめて、おべんちゃらに鞍替(くらが)えしたんですか?」

「おべんちゃらじゃあござんせんぜ。それに、アッシを『マッチャンさん』と呼ぶのはおかしいでしょうが。マッチャンかマツさんでしょうが。おまけに、アッシが四六時中、テンゴウ、いや、面白い噺ばかりしゃべっていると誤解していますぜ」

「あら、マツさんからテンゴウ噺をとったら、ただの中年のおっさんでしょう?ボンがそういってましたよ」

「ボンが?ひでぇや。いや、そのボンに用事があるんで、おりますかい?」

「あら、今日はボンに御用なんですか?女将さんじゃあなくて?」

「そうなんで。ボンに頼まれごとをちょうだいしましてね。そのご報告なんで……」

「へえっ、ボンがマツさんに?台風が来るかもね」

「どういう意味だい、そりゃあ?」

「いえ、あっ、そうだ、ボン、出かけましたよ。図書館へ行くって。宿題をするんじゃないかな?」

「へえっ、ボンが今どき、宿題をするんですか?毎年、新学期が始まる寸前までしない人が……」

「まあ暇なんでしたら、待ってみます?もうすぐお昼だから帰ってくるでしょうから」

 みっちゃんにそういわれて、マッチャンはいつもの丸いすに腰をおろす。みっちゃんがお茶を運んでくる。

「おや、マッチャン、今日は店、休みかよ?」

 そういって、惣菜コーナーの扉を開けて、俳優の『アラカン』こと、嵐勘寿郎(あらしかんじゅうろう)にどこか似ている、近所の中学校教師、『先生』と周りから呼ばれている男性が入ってきた。

「おや先生、そっちこそ、今日はお休みですかい?」

「まあ夏休みやき、たまには学校から離れんとね。息抜きも必要よ」

 先生は授業以外でもクラブの顧問を掛け持ちしたり、問題児を気にかけて、家庭訪問をしたりと、自分の家族より、生徒と過ごすことが多くなっていた。

「みっちゃん、千代さんは?」

 と、先生がお茶を運んできたみっちゃんから、コップを受けとりながらたずねる。

「女将さんといっしょにお買い物です」

 と、みっちゃんは提げてきた丸いおぼんを胸に当てて答えた。

「そうか、火曜市やったね。ほいたら、マッチャン、今日は休みやないろう?」

 理髪店は月曜日が休業日なのだ。

「いえね、ちょいと臨時休業して、ボンに頼まれた調べものをしていたんでさあ」

「へえ?おまんに調べもんを頼むちゃあ、ボン、熱でもだしたか?大嵐がきそうやが?」

「プッ!」と、おぼんを口元まで持ち上げて、みっちゃんは吹きだした。先生もわたしとおんなじこといいゆう、と心の中でつぶやいていた。

「先生、そりゃあ、どういう意味です?さっきも、このみっちゃんがおんなじこと、大嵐じゃなくて、台風が来るっていってましたけど?」

「おまんに調べもんを頼んでも、その報告はうそが七割、想像が二割、真実は一割やろうが……」

「ひでぇや。そこまでホラは吹きませんぜ」

「あっ、そうか!」

「なんや、みっちゃん、急に大きな声をだして?」

「ボンには、その一割の真実がわかるがですよ。マツさんとは長い付き合いだし、たるばあ、テンゴウ噺を聴いていますから。それより、マツさんの早耳、ゆうか、情報を集める能力、噂を広める能力、それを期待しているんですよ」

「なるほど、情報収集能力はこの辺では一番やな。情報の正確性より、速さを重視したか?さすが、千代さんの血を引いちゅうだけはある」

 先生はみっちゃんの推測に感心したかのように、うなずいた。

「ほめられているんだか、けなされているんだか、まあ、情報を集めるのは、自慢じゃねえですが、アッシに敵(かな)うもんはおりませんぜ。お客との何気ない会話、市場での世間話、いやいや、軍隊時代にはアッシの情報のおかげで、部隊の危機が救われた、ってこともあったんですぜ」

「それそれ、その軍隊時代の噺がオオウソやろうが、おまんはトラックの輸送班やったがやろう?」

「それより、ボンに何を頼まれたんです?何か重大事件なんですか?」

「えっ!みっちゃん、また事件かよ?さかもっちゃんがまた千代さんに泣きついてきたがかよ?」

「えっ?僕が千代さんに泣きつく?それ、何の噺ですか?」

「わっ!」と話に夢中になっていた三人は、突然の登場人物に驚いて、同時に腰を浮かした。

「あっ、勇さん、いらっしゃい。ちょうど、勇さんの話題が出たところだったから、ビックリしたわ」

 県警の刑事である、坂本勇次、通称勇さんとか、先輩連からは『さかもっちゃん』と親しみを込めて呼ばれている若者は、実家が近所だったこともあり、事件のない時などは、刻屋に昼食を食べに来るのだ。

「噂をすれば影が刺す、とは、よくゆうたもんよのう」

 と、先生が感嘆した言葉を発する。

「僕の噂ですか?千代さんに泣きつく、ってことは、あんまり、エイ噂やないですね?ハ、ハ、ハックション!」

「あら、エライ遅れたくしゃみですね」

「まっこと、さかもっちゃんらしいワ」

「それより、腹が減ってます。みっちゃん、いつものどんぶり、頼むワ、できたら、卵焼きも……」

「千代さんやのうて、みっちゃんの卵焼きがエイがかよ?ははぁ、さては、さかもっちゃん、みっちゃんを狙うちゅうがか?無理無理、今や、みっちゃんの競争率は東大合格より上じゃきに」

「そ、そんなことありません。わたしみたいな学歴がない娘を嫁に欲しい人なんておりませんよ」

「学歴なんて、人間の価値を決めるもんやありませんよ。人間の良さ、価値は心がきれいかどうかです。それと、他人に対する思いやり。そうでしょう?先生!」

「いやはや、さかもっちゃん、みっちゃんに対する気持ちは本物やな。どうや、みっちゃん、さかもっちゃんの嫁なるか?ワシが仲人になっちゃお」

「まあ、先生まで、マツさん同様のテンゴウ噺ですか?わたし、まだ結婚する気はありません。ここのお仕事が楽しいし、女将さんや千代姐さんのもとで、しっかり勉強したいんです。ご飯の用意してきます」

 そういって、みっちゃんは奥の台所へ足早に消えていった。

「ああぁ、また振られた……」

「ユウさん、なにをおっしゃる、脈は大ありでさぁ。みっちゃん、その気がありますよ。自分のことを学歴がない娘なんていうのは、ユウさんの反応を見たかった証拠じゃあねぇですかい」

「ああ、そうやね、その気がないなら、学歴なんぞ口にせんわな」

「それに、今はここで働きたい、といってますがね。将来は……」

「えっ!ぼ、僕との結婚を?」

「いや、相手は決まってませんぜ。ユウさん、女の口説き方が下手(へた)でやんすね。遠回しにいいすぎですよ。男はドーンと直球勝負ですぜ、国鉄の金田(かねだ)投手のようにね」

「カネやんか?そういえば、開幕戦の巨人軍との試合は凄かったなあ。六大学の立教で、ホームランの大学記録を塗り替えて、鳴り物入りで入団した長嶋(ながしま)茂雄(しげお)を四打席4三振やからな」

「まあ、カネやんは高校中退で、長嶋茂雄は最高学府出でしょう?意地があったんでしょうねぇ」

「しかし、長嶋茂雄も凄いぞ、新人なのに、打率、打点、ホームラン、全てで、トップクラスや。新人王は間違いなし。下手したら、新人で三冠王をとるかもしれんぞ」

「あのう、噺がだいぶそれていますが、マッチャン、先生、プロポーズはどうなっちゅうがですろう?」

「おう、そっちの噺やった。マッチャンは、おかみさんを口説くとき、どうゆうたがぜ?さぞかし、直球勝負やったがやろうけんど、参考になるかもしれんき、さかもっちゃんに教えちゃりや」

「ええ、ぜひ、お願いします」

「おう、いいともよ。アッシがかかあを見初めたのは、もうずいぶん前、戦前のことですがね。下宿屋の娘でまあ、器量は十人並みだが、気立てがよくて、働きもん。アッシはこいつだ!とピンときましてね。遅れを取っちゃあいけねえ、と、勇んで彼女の前に行きやした」

「おいおい、前ふりが長いねぇ。江戸っ子だろう?はよう、オナゴを射止める、口説き文句を教えちゃりや。みっちゃんが料理を持ってくるぜ」

「そうでした、みっちゃんには聞かせれん話でした。アッシのセリフは……『オレのフンドシを洗うてくれ』でした」

「プッ!なんやそれ?」

「まあ、自分の下着を洗う、ゆうたら、女房になってくれ、ってことですからね。それで、うまくいったんですか?」

「ああ、彼女の返事は『えいよ』だった……」

「なんか、奥歯にものがはさまっちゅう言い方やが……」

「ええ、アッシは嫁にきてくれるってことだと思ったんですけどね」

「ちごうちょったか?」

「へい、言葉どおり、『フンドシをもっといで、うちの洗濯もんと一緒に洗うといてあげるワ。他にもシャツとかズボンがあったら持てきいや。ついでやき、遠慮はイランで……』と……」

「はっはっは、そりゃあ、そっちにとるろう、下宿屋やき」

「それじゃあ、ここもダメですよ。洗濯は毎日の仕事ですから、誤解されます」

「ああ、そうや。そしたら、ズバッと『嫁に来てくれ!』というしかないな」

「先生、先生は奥さんにそうゆうたがですか?」

「いや、ワシは見合い結婚やき、なぁんもゆうとらん」

「はぁ……」と、勇次はため息をつく。『嫁に来てくれ!』なんていえるわけがない。結局、進展は望めないとわかったのだった。

        ※

「おや、先生もおるんかね?マッチャンは仕事はどういたがぞね?」

 みっちゃんが運んできた、どんぶり飯と卵焼きにヒジキの煮物、それに味噌汁までつけて勇次は昼飯をかきこんでいる。そこへお寅さんと千代、同時にS氏も帰ってきたのだ。

「女将さん、アッシは働いているんですぜ、床屋じゃなくて、探偵ですけどね」

「探偵?おまんがかよ?」

「ああ、ばあちゃん、僕が頼んだがよ。マッチャンの情報収集力を期待してね」

「はぁ?この男の集めた情報っち、七分が嘘で、二分が法螺(ほら)で、本当は一分しかないろうがね?」

「ブッー!」と、マッチャンが飲みかけの麦茶をふきだした。

「ははは、ホラみろ、お寅さんもワシとおんなじこと、いいゆうろうが……」

 先生が腹を抱えて笑う。マッチャンはこぼしたお茶をフキンでぬぐっっている。

「大丈夫やき、嘘やホラはすんぐわかるし、あんまり、嘘が混じらん情報やき」

「そ、そうですよ。嘘なんか、混じる余地のない情報ですぜ」

「うん、期待してるよ」

「ボン、調査やったら、僕にゆうたらエイのに、警察のほうが正確やで」

「それより、小政の兄ィさんと、石さんに頼んだらエイやいか」

「いや、今回は、まだ事件やないき、警察や、小政さんには頼めんし、何より、マッチャンは当事者ゆうか、依頼人やから、事情がようわかっちゅうしね」

「そうそう、今回は、アッシの右に出るもんはおりませんぜ」

 と、マッチャンはここぞとばかり、胸を張る。

「ほんで、何を調べてきたかぞね?」

 と、お寅さんがたずねる。

「陽子先生の動いた絵の件でしょうけどね」

 と、千代がそれに言葉をつけ足す。

「陽子先生っち、二宮の陽子、旭小学校の先生しゆう娘さんのことかえ?なんぞ、変わったことが起きたがかよ?」

 と、先生が質疑を挟む。

「ああ、先生は陽子さんを知っちゅうがやね。実はね……」

 と、S氏は簡単に陽子の事件を語る。

「ほおう、絵が動いて、人物が飛び出したか?確か、江戸の怪奇現象の本にそんな事例がのっちょったぞ。それで、マッチャン、何を調べた?」

「へえ、ボンに頼まれやしてね、まずは、二宮家の家族関係。次は、大垣家の家族とその周辺。こっちは議員さんで、大企業の会長さんですからね。人間関係は複雑でござんすよ。はい、こちらに名前の一覧表。備考欄には、ちょっとした噂の類いも載せておりますぜ。いや、大変でしたぜ、人数が多いもんでね」

 そういって、胸ポケットから折り畳んだ白い便箋を取り出しテーブルの上に広げた。

 そこには十数名の氏名と人間関係、そして、噂の類いともとれる、人物評が一覧表としてきれいな筆文字で書かれていた。

「へえ、マッチャン、見かけによらず、きれいな、いや、上手な字を書くがやねぇ」

 と、S氏が感心したように文字を眺めながらいった。

「あら、これは、奥さんの文字でしょう?寿美さん、書道を習っていたから……」

 と、千代がネタばらしをしてしまう。

「いや、読みやすいよ。ありがとう、マッチャン、いい奥さんやね。お礼ゆうといてよ。さて、これを参考に、推理を組み立てるか……」

「おいおい、ボン、謎解きはせんがかよ?その人間関係が陽子先生の事件と、どうつながるがぜよ?」

 肩透かしを喰らったかのように、アラカン先生がS氏を問いつめる。

「ああ、謎解きはまた今度。まだ、仮説も立てられん状況ながよ。ただ、この中に絵を動かした人間がいることは、ほぼ間違いなし。じゃあ、僕、宿題を済ますき。これから、こじゃんと忙しゅうなるかもしれんきね……」


        4

「あんたが、七月中に宿題を済ますなんて、天変地異の前触れやないの?恐ろしいワ」

 『夏休みの友』、プリント問題、工作に絵画、自由研究のヘチマの観察まで済ましてしまった息子を見て、千代はそういいながら、夏の入道雲がかかった空を見上げた。

「なんとでもゆうて。僕はやればやれる人間ながよ。今回は、宿題より面倒になる事件やき、時間的余裕を作りたかったが」

「ああ、その気持ちを普段の授業中から持っといたら、成績もようなるろうに……」

 と、千代はため息をついた。

「ところで、こないだの、マッチャンから預かった人間関係表は?何か事件性がうかがわれることがあるの?」

「母ちゃんも気になるんか?探偵ごっこは辞めたんとちがうの?」

「辞めたいけど、今回は、わたしを指名して二宮先生が相談に来たのよ。結婚問題が絡んでいるから、大人の事情もでてきそうだし、女性の立場から見ないといけない事柄もあるし、あんたや、小政さんには任せられんのよ。今回だけ、探偵団を復活させる。それにね、今回の件には、アラカン先生もひどく興味をいだいてね。まあ、知り合いの娘さんのことやから、先生も気になって当然やろうけんど、毎日、様子をうかがいにくるがよ」

「まだ、小政さんには知らせてないろうね?母ちゃんがゆうたら、仕事を放って、首を突っ込んでくるきね。今回は、もう少しだまっちょいてよ。まあ、小政さんや石さんの協力が必要にならんことを祈りたいけどね。それと、勇さんもね」

「そうね、事件ゆうても、内輪の、おそらく、結婚に絡む、家族間の問題やろうから……。あんたはそう見ちゅうがやろう?マッチャンに人間関係を調べさせたってことは?」

「さすが、顔回、やない、老舗旅館の若女将。けど、それはひとつの可能性にすぎないってこと。単なる、イタズラ、いや、もっと簡単なところだと、陽子先生の思いすごし、かもしれんしね」

「思いすごしなわけないろう?あんたが夏休みの宿題まで済まして、取り組んでいるんやから……、何か、わたしらぁの知らんこと、知っちゅうがやないが?母ちゃんには秘密はイカンよ。わたしは探偵団の団長ながやき。さあ、全部白状、やない、報告しい」

「残念ながら、今回は井口探偵団の一員やないがよ」

「ええっ?なに、それ、どうゆう意味?」

「今回の僕の立つ位置は井口やのうて、旭。探偵団というより、『少年探偵団』のオブザーバーながよ」

「はあ?旭?少年探偵団?江戸川乱歩の少年探偵団のパクり?」

「まあ、そうやろうね、山田君とその友達の杉下君が結成したばっかりの組織やから」

「山田君って、山田太郎君よね?杉下って子が、もう一人の事情を知っちゅう子ながやね?けんど、なんで、あんたが仲間入りするわけ?学校、違うし、今まで、面識もなかったはずや……」

「へへへ、実は、この前、図書館で会うたがよ。陽子先生の事件で訊きたいことがあってね。調べもんのついでに図書館で話をしたがよ。そしたら、山田君が、探偵団を作って、僕に団長になってくれ、っていうのよ。僕は井口探偵団の一員やから、ダメだって断ったら、じゃあ、顧問に、ってことで、引き受けたってわけよ。まあ、おかげで、陽子先生に確認したいこともスムーズにできたけどね」

「ふうん、井口探偵団ね。もう解散している、って、いえばよかったのに。それで?図書館でなにを調べて、陽子先生に何を確認したが?」

「もちろん、動いたという、絵の作者、本当に鏑木清方の作品だったか?を検証するためよ。その為に、図書館で『鏑木清方集』の図版を調べたがやき」

「ああ、そうか。絵が動くってことは、本物の鏑木清方の作品ではない。贋作(がんさく)か、あるいは、模写(もしゃ)か、ってことなんだ。それで?陽子先生が見た絵が図版にあったの?」

「さすが、が、やない、か、母ちゃん。そこまでは、推測できていたがや」

「あんた、また、顔回、って、言おうとしたわね?まあ、いいたければ、いってもエイよ。ふたりだけの時ならね。それで、図版は?」

「うん、似た構図はあった。着物の柄はほぼ同じだけど、顔は別人。顔は横顔に近い斜め右向きだから、視線は観賞者の方を向いていないし、微笑んでもいない。ただ、図版にない作品かもしれない。習作、あるいは、同じモデルの別作品かもしれない」

「あんたの結論は?贋作?模写?」

「ちえっ、結論を急がせるんかよ。模写だと思う。模写して、顔だけ、別人、つまり、陽子先生か、彼女のお母さんに似せて仕上げた……」

「それで、その絵が動いたのは?」

「おそらく、目の部分と、口元の部分は二重に描かれていて、最初に見た視線と口元の部分がはがれるようになっていたんだと思う。その方法は確定できていないけど、特殊な顔料を使ったか、あるいは、人為的な方法を使ったか……」

「人為的というと、誰かが、その場で絵を細工した、ってことね?それができる人物が、マッチャンの一覧表に載っているの?」

「ああ、可能性のある人物ならね。ほら、これが一覧表」

 そういって、S氏はマッチャンから預かった便箋を取り出した。

「二宮家の家族は、陽子先生と父親と兄の三人。母親は暢子(のぶこ)さん。もう十年ほど前に亡くなっていて、兄の耕策(こうさく)さんは独身。音楽関係の仕事をしているらしい。父親の孝太郎(こうたろう)さんは大学教授。専門は生物学、特に熱帯、亜熱帯の植物の研究をしている。この三人には、絵を動かすことはできないと思われる。なぜなら、陽子先生以外のふたりとも大垣家とは面識がないと思うし、大垣家に鏑木清方の真筆か模写かはわからないけど、美人画があることを知るすべがない。仮に知っていたとしても、見合い当日までに、細工する時間はふたりには作れない」

「そんなに、くどくど、証明せんでも、美人画の細工に関わっているのは、持ち主の大垣家の家族か関係者と考えて、問題ないろうね?」

「まあ、そうやろうけど、可能性『ゼロ』とはいえんき、一応証明はしとかんとね」

「それで?大垣側に細工するような人間がおるの?」

「それぞれ、可能性の大小はあるけど、ほぼ全員ができるし、するかもしれない」

「ほぼ全員?何人おるの、関係者は?」

「これを見て」

 と、便箋に書かれた、大垣家の関係者の欄を指で指し示す。

 大垣家は、県議の泰蔵(たいぞう)の家族と、その弟で、大垣製紙の代表取締役社長、大垣伸蔵(しんぞう)の家族にわかれて記載されている。

 泰蔵は県議を三期務めており、県議になる前は、大垣製紙と大垣酒類販売の社長をしていた。今は、代表権のない、会長である。妻は戦後まもなく、他界している。

 陽子の見合いの相手、政二郎は泰蔵の次男。東京の有名私立大学の法学部卒業後、現在、高知市内の法律事務所に勤めている。

 長男は、泰人(やすひと)。こちらは、大阪の二流大学を卒業後、大垣酒類販売に勤務しているが、ほとんど、出社はしていないようだ。

 泰人には、妻と娘がある。妻の名は、さくら、大阪の学生時代に知り合い、娘の桃子(ももこ)が産まれたための、できちゃった結婚である。さくらは三十一歳、桃子は九歳になる。泰人は今年、三十歳。姉さん女房なのだ。

 大垣泰蔵の屋敷には、住み込みの使用人がふたりいる。ひとりは、泰蔵の議員秘書をしている、間(はざま)竜平(りゅうへい)という二十八歳の男。もうひとりは、二十六歳の家政婦、中井(なかい)久美子(くみこ)である。竜平も久美子も車の免許証を持っており、運転手役もこなしている。

 もうひとつの大垣家、伸蔵の家族も似たような構成だ。妻とは死別ではなく、離婚している。息子と娘がいる。息子の名は伸一(しんいち)、大垣製紙の専務の肩書を持っている。独身、二十八歳。妹は園(その)という。十七歳、高校生だ。市内の女子校に通っている。

 住み込みではないが、伸蔵家の隣、離れのように建っている平屋に、伸蔵の秘書、大垣製紙の社長秘書である、広岡(ひろおか)菊枝(きくえ)という二十六歳の独身女性が住んでいる。

 そして、人名、職業、学歴などの後に、いわゆる『噂の類い』が書かれていた……

        ※

「何これ?どろどろじゃない?子供には見せられない内容ね。あんたは耳年増だから、まあ、ギリギリセーフか……」

 千代が眼を丸くした『噂の類い』には、大垣家の醜聞が書かれていたのだ。

「男女の関係が複雑やね?ここに、美人で才女の陽子先生が加わるとなると、ひと騒動が起きてもおかしゅうないね」

 マッチャンが備考欄に書き留めた醜聞、まずは泰蔵の長男、泰人と若い家政婦、久美子が不倫状態であることだ。おかげで、さくらとの夫婦間は最悪の状況だと書かれている。

 もう一組、あやしい男女関係が記載されている。大垣製紙の社長秘書、菊枝がその女性の方なのだが、相手の男性はひとりではない。大垣製紙の社長、伸蔵、専務の長男伸一、それから、議員秘書の竜平も菊枝と男女の中になっているらしい。つまり、菊枝は両天秤=二股=ならぬ、三人の男と現在進行中なのだ。

ただし、全員配偶者はいないから、不倫状態ではない。

 不倫といえば、伸蔵の離婚の原因が彼の女性問題であったらしい。つまり、伸蔵が愛人=キャバレーかクラブのママだったらしい女性=に子供を産ませたことが直接の原因なのだ。十七歳になる、娘の園がその愛人との間にできた子供なのだ。

 ここまでは、噂ではあるが、ほぼ確実なことだと書いている。それとは別の欄外に、『不確実な情報』として書き足されている醜聞がある。

 ひとつは、泰人の妻、さくらが、義弟の政二郎と男女の関係になったというのだ。それを知った、泰蔵が、慌てて、政二郎に嫁をと、見合いを進めたらしい。

 次は、伸一である。菊枝以外にも愛人が複数いるらしい。ただし、子供をつくるまでの女性はいない。単なる、浮気症、女好きなのかもしれない。

 最後は園である。高校二年生なのだが、スケバンという連中と付き合っているらしい。しかも、そのグループのトップではないが、二番手あたりの地位におり、暴走族と呼ばれる不良男子とも付き合っているらしい。

「何も醜聞が記載されていないのは、議員の泰蔵さんと、小学生の桃子ちゃんだけね」

「ああ、でも醜聞ではないけど、会社の後継ぎの人選で、泰蔵さんと伸蔵さんの間に確執があるようだね。元々、大垣製紙も大垣酒類販売も泰蔵さんが大きくした会社で、社長が泰蔵さん、専務が伸蔵さんだったのが、泰蔵さんが議員になって、社長を退く時、息子たちに任せられずに、専務の伸蔵さんが社長になったんだよね。だから、次期社長は泰蔵さんのふたりの息子のどちらかにしたい。でも、現状は、伸一さんが専務だから、次期社長候補の一番手なわけよ」

「ううん、複雑で醜聞だらけの一族ね。わたしが陽子さんの立場なら、即、見合いはお断りするわね」

「この報告書を読んだら、陽子先生も結婚を断ると思うよ」

「読ませないつもり?」

「ああ、確定していない事柄もあるし、こういう、家庭内のことは、当事者、つまり、政二郎さんが陽子先生に話すべきだからね。結婚するなら、家庭内の醜聞を隠してはいけないよね」

「大人の意見ね。それより、この中の誰が、美人画に細工したと思うの?」

「可能性としたら、桃子ちゃんを除く、大垣家の関係者全員。まだ、あれ以降、事件性のあるできごとが発生していないから、動機、つまり、なんのために細工をする必要があったのか、が明確にならない。だから、細工した人物、それに関わった人物が特定できないんだよ」

「つまり、これから、なにかが起きる。それも、事件性のあるできごとが……、ルパンの生まれ替わりの勘ね?わたしも、ううん、顔回の生まれ替わりの勘もそういっている……」


      5

「千代さん、ボンとなにやら企んでいるようですね?」

 刻屋のいつもテーブルと丸イスに腰をかけて、みっちゃんの運んできた麦茶を一口飲み、水ヨウカンをつまようじで口に運びながら、惣菜を陳列棚に並べていた千代の背中に声をかけたのは、近所の顔役さんこと、山本(やまもと)長吾郎(ちょうごろう)が営む『山長商会』の従業員で、本名は政司(まさし)だが、通称『小政(こまさ)』という若者だ。

「あら、なんの噺?」

 と、千代は惣菜を並べ終えて、振り向きながらいった。

「昨日のことですがね、マッチャンところで散髪してもらったんですよ」

 と、そこまでいって、水ヨウカンをひと切れ口に入れる。そうして、千代の反応を確認するかのように、視線を合わせた。

「マッチャンところで?マッチャンが何かゆうたの?」

「ほら、心当たりがあるんですね?」

「あっ!誘導尋問(ゆうどうじんもん)。し、知らんよ、マッチャンが何をしゃべったか、知らんけんど……」

「ははは、ごまかしても無駄ですよ。今の反応で確信しました。いえね、マッチャンはなにもしゃべらないんです。千代さんの話題もボンの話題も、こっちから噺を持ちかけても、すぐ噺を反らすんです。しゃべりたいけど、男の約束って感じでね」

「ふうん、体調が悪かったのかしら?」

「千代さん、エエ加減にしてくださいよ。わたしと千代さんの仲で、隠しごとはあんまりじゃあないですか?しかも、何か事件性がありそうな感じでしたよ。マッチャンのごまかし方がね」

「小政さん、『わたしと千代さんの仲』って、どういう仲?まあ、友達ではあるわよ。特に仲の良い友達だけど、秘密があったっておかしくないでしょう?」

「あっ!仲良しって、認めてくれるんですね?単なる、ご近所の住人ではなくて……、うれしいなぁ」

「えっ?そっち?」

「ははは、やっぱり、千代さんと話すとおもしろいなぁ。でも、秘密があることもわかりました。それが、ボンとマッチャンも絡んでいることだってこともね。さてと、これ以上は千代さんの口を割らすのは無理か?先生に訊くか?いやいや、勇さんの方が速いかな?」

「もう、小政さんには勝てないわね。息子がしばらくは小政さんにはナイショにしておこうっていうから……」

「ボンが?わたしとは、義兄弟なのに?」

「義兄弟って、どこの任侠噺?顔役さんとこ、組、解散して、三十年よ」

「ははは、気持ちの問題ですよ。前世では兄弟だったんじゃあないかなって、いうことです」

「ああ、それはありうるね。うちのドラ息子、小政さんと出逢ってから、詐欺師の才能が開花してきたもんね。なにか琴線に触れるものがあったのね」

「さ、詐欺師って、わたしは関係ないですよ」

「詐欺師の才能はあの子の、潜在能力の表れね。ホームズ物語に啓発されて、ルパン物語をルブランが書き始めたように、あの子はホームズより、ルパン好きだから……」

「ルパンか、そういえば、うちとこの、石(いし)と真(まこと)さんを結びつけた計略には驚かされましたね」

「そうよ、左の乳首に集中って、わたしのほうが赤面したワ」

「それと、あのツナギ、オートバイのレーサーが着るような革のスーツ。真さんのきれいな身体の線が、はっきり表れていましたもんね」

「あっ、いやらしい、小政さん、そこに眼がいってたんだ。男のひとって、ああゆうのに、弱いのね」

「ち、違いますよ。ボンが、何処であんな衣装を思いついたのか?それを考えていたんですよ。あっ、そうだ!」

「なに、急に大きな声を出して……?」

「わかりました、マッちゃんところですよ。あの衣装の思いついた場所」

「マッちゃんところに、そんな衣装があるの?」

「いえ、現物じゃなくて……。あそこには、漫画もあるけど、雑誌もあるでしょう?大人向けの週刊誌とかも、確か、アメリカの雑誌で『プレイボーイ』って雑誌がありましたよ。その表紙には、金髪の女性の際どい姿が掲載されているんです。バイクのレザースーツなんて、可愛い方ですよ」

「いやらしい、小政さん、そんな雑誌を読んでいるんだ」

「ち、違いますよ。読んでないから、今まで気がつかなかったんじゃあないですか。昨日、散髪の待ち時間にそんな雑誌がちらっと眼に停まったのを、今思い出したんですよ」

「まあ、そういうことにしておいてあげるワ」

「それで、話を戻しましょう。ボンが絡んでいるという、事件とやらの話題の方にね……」

        ※

 ここだけの話よ、と再度小政に約束をさせて、千代は二宮陽子と大垣家の美人画に纏(まつ)わる事件の顛末(てんまつ)を語り始めた。

「なるほど、不思議な話ですね」

 と、話を聞き終わって、麦茶を口に運んだ小政が納得顔でいった。

「絵が動いたことの理由として、考えられることは、単なるいたずらか、あるいは何かのメッセージ。その絵の人物らしき女性が登場したとなると、いたずらとしては手がこんでる。となると、メッセージの方か?さて、そのメッセージは、結婚話へのお祝いの意味か?絵の美人が微笑んだだけなら、祝福の意味でしょうが、その絵の人物が飛び出すとなると、怪談ぽくなるから、逆に辞めろという脅しの意味かな?」

 小政はテーブルを右手の指で、ピアノを弾くようにはじきながら、自分に語るようにつぶやいた。彼が推理を働かせている時の癖である。

「小政さん、わたしの話を聞いただけで、もうそこまで、推理できたが?さすが、『ホームズの生まれ替わり』といわれるだけはあるわね」

「まあ、単なる仮説ですけどね。惚れ直しましたか?」

「うん。でもだめよ、わたしには亭主がいるもん……」

 と、千代は冗談ぽくいった。

「いいんですよ、わたしは千代さんが喜んでくれて、そんなふうに笑ってくれるだけで満足ですから。けど、もし、嫌がらせの方のメッセージだとしたら、これから先、結婚話に支障をきたす可能性がありますね。誰が何の目的で、ってことをつきとめないと、見合いから進みませんよね」

「そうなのよ。陽子先生、困っているのよ」

「二宮家といえば、うちの社長の親戚ですよね?確か、社長のお母さんの叔母さんが嫁いだ先だったはずですよ。まあ、遠い親戚ですけど……」

「ほいたら、顔役さんにも、噺伝えとかんといかんろうか?」

「そうですね……、そうだ、そっちから伝わった話にしましょう」

「ああ、そうか、親戚筋だから、二宮家のほうから、顔役さんところに相談が来た。そこで、軍師の小政さんの登場って筋書きね?」

「さすが、顔回の……」

 といいかけて、小政は言葉を飲み込んだ。千代の視線が怖かった……。


        6

「石とふたりで、探ってみますよ。ボンには内緒でね。結果は、千代さんだけに報告しますから……」

 そういって、小政は千代の返事を訊かずに立ち去った。

 あとから知ったことだが、小政は中元の挨拶を理由に二宮家を訪れ、見合いの話から、美人画の怪談めいた話をそれとなく聴き取ったようだ。

「こんにちは、千代姐さん、お久しぶり、ボン、おりますか?」

 その、小政と入れ替わるように、刻屋の開け放しの玄関口から、長い髪の若い妖艶な美人が入ってきた。

「あら?睦実(むつみ)さんよね?石さんじゃあなくて……」

 その女性は、石川睦実。顔役さんこと山本長吾郎一家の、いや、山長商会の従業員、石川悟郎(ごろう)の双子の妹に当たるのだ。悟郎は以前、歌舞伎役者の女形(おやま)の修行をしていたこともあり、元々女性的な体型である上に、女装が得意なのだ。そして、その女装した姿は、双子だけに妹の睦実とそっくりになってしまう。傍目には、見分けがつかなくなるほどだった。

「悟郎は、最近は女装をしていませんよ。マコちゃんとべったりで、傍(そば)にいると暑苦しくて、ボンの顔を覗きにきました。ボンは?今は夏休みでしょう?」

「ああ、うちのどら息子ね、今頃は図書館だと思うよ」

「へえ、勉強好きになったんだ。それとも、探偵小説の新作を読みにいったのかな?」

「どっちもハズレ。別の小学校の生徒さんに頼まれて、探偵ごっこをしているのよ。ごっこといっても、遊びじゃなくて、実際に起きたことなんだけどね」

「実際に起きた?事件なんですね?どんな事件?殺人?誘拐?宝石の盗難事件ですか?」

「睦実ちゃん、相変わらずやね。事件、ゆうたら、眼の色が変わる。事件ゆうても、まだ、事件までは発展していないと思うワ。前兆いうか、前触れいうか、不可解な出来事が起きて、それを子供たちが、ああだ、こうだ、いってるのよ」

「でも、ボンが絡(から)んでいるんでしょう?子供の遊びとは思えないですよね?」

「まあ、そうね、あの子がなんちゃあない出来事に首は突っ込まんろうき。しかも、夏休みの宿題を全部済ましてしまうほどやきね」

「ええっ!それって、大事件やないですか?」

「それより、石さんとマコちゃん、上手(うま)くいってるの?結婚式はいつ?」

 と、千代は話をはぐらかした。

「それです、ウチが高知へきた理由が……」

「えっ?何か問題が起きたが?」

 話題が意外な方向へいってしまって、千代は驚きの声を上げた。

「ええ、実は、父が反対しているんです。いえ、決して、真さんが気にいらないとか、家柄がどうとかいうんやないんです。家柄やったら、マコちゃんのお家は、歌舞伎役者をしていた、お父さんもお母さんも立派なお家柄で、かえって、うちとこへ嫁に貰えるかの方が疑問なくらいなんです」

「じゃあ、反対の理由は?」

「悟郎は、五番目の子供やけど、上は姉ばかりで、長男なんです。ですから、跡取り息子なんです。その嫁を、事前に相談もなしに決めてしまったこと、その上、跡もつがない、といいだしたもんだから、親父(おやじ)の奴、へそを曲げて、絶対許さんと……」

「それで、石さんはどういうてるの?」

「悟郎は平気です。親の承諾などいるか、籍入れたら仕舞いや、と。けど、それやと、マコちゃんが可哀想です。マコちゃんのご両親にもきちんと挨拶(あいさつ)しないといけないし、結婚式はちゃんとしないと、女の晴れ舞台、一生に一度のことですから……」

「そうよね、そこが男には理解できんがよね」

「そうでしょう?だから、わたしが悟郎に親父さんに頭を下げろと、いいにきたんです」

「お父さんに頭を下げたら、結婚を許してもらえるが?」

「ええ、父はただへそを曲げているだけ、頑固もんだから、引っ込めなくなっているんです」

「ああ、そういう人、多いね。こっちではそういう男を『イゴッソウ』っていうのよ。うちとこの爺さんがまさにそれよ」

「悟郎がマコちゃんを連れて、父に頭を下げに行ったら、親父さんもダメとはいえませんよ。特にマコちゃんを見たら、『ワシの嫁に欲しい』っていいそうですよ。まあ、母がいるから、不可能ですけどね」

「そうよね、マコちゃんを嫁にできるって、果報もんやもんね。そしたら、石さん次第やないの?」

「そうなんですが、あいつも父に似たのか、へそ曲がりで……、それで、ボンに、いえ、千代姐(ねえ)さんにもお願いがあるんです」

「ええっ?わたしだけやのうて、あのどら息子に?」

「ええ、悟郎を説得して欲しいんです。あいつ、ボンのこと、縁結びの神様と思っているし、命の恩人とも思っているんです」

「まあ、この前の事件では、あの子の作戦が功を奏したからね。ジョンの活躍のおかげやけど……。わかったわ、お母さんから、顔役さんにゆうてもらう、そのうえに、どら息子からのお願いや、ゆうといたら、石さんも折れなイカンろう」

 そういっている処へ、話題になっていたS氏が、

「ただいま」

 と、玄関から入ってくる。

 噂をすれば、影か……、と千代は心で呟いていた。

        ※

「あれ?睦実さんやない、お久しぶり、ますます、きれいになったね」

「おかえり、ボン、お世辞が上手くなったね、大人になったか?」

「マッちゃんところで、お世辞の言い方、習うたがやろう?最近、マッちゃんを『ガラッ八』さんにしゆうき」

「ガラッパチ?」

「ああ、『銭形平次』の手下の八さんのことよ。最近、事件の捜査で、マッちゃんを使うてるのよ」

「マッちゃんって、ホラ吹きで有名な散髪屋さんでしょう?センミツさんとかいう……。そんなひと使うて、大丈夫ながですか?」

「ああぁ、『センミツのマッちゃん』はとうとう大阪の片田舎まで拡まったか……」

「なにいいゆうぞね、それより、少年探偵団の捜査は?何か発見があったの?」

「ああ、それですよ。事件なんでしょう?はよう、どんな事件か教えてください。わたしにできることがあれば、協力しますから……」

 睦実の実家は、大阪南部の和歌山県との県境に近い、山手にある。石川家はその名前から、石川五右衛門(ごえもん)の末裔(まつえい)と称しており、祖父の代には軍事探偵をしていた家系である。睦実も幼少時から、武芸を仕込まれ、柔や合気道、特に、短めの杖を使う杖術の達人なのだ。

 S氏は、大垣家の美人画に纏わる出来事を簡潔に伝える。

「それと、今日の集会で陽子先生から、話を聞いたし、確認もしてきた。おまけに写真を預かってきた。そこで、睦実さんにお願いがある。十兵衛(じゅうべえ)さんか才蔵(さいぞう)さんは高知に来てない?」

「十兵衛なら、来てるよ。才蔵も多分、近くにおるはずや。あいつは表に出て来ないから……」

 十兵衛、才蔵というのは、石川家の家人(けにん)とでもいうのか、伊賀の忍びの末裔という看板を地で行く、男たちである。常に、陰から睦実やその姉妹たちを護衛しているらしい。特に才蔵は千代もS氏も顔を知らない。十兵衛は役者の『進藤(しんどう)英太郎(えいたろう)』に似た、強面(こわもて)の中年であるが、それが素顔とは限らないのだ。

「じゃあ、十兵衛さんに頼みたい。ある人を陰から護衛して、ある人物を見張って欲しいんよ。それから、睦実さんにはこの女性に化けて欲しい。完璧やのうても、よく似ている程度で充分ながよ。着物はうちにある、浴衣(ゆかた)を着てもらうきね」

「あんた、睦実ちゃんは、石さんとマコちゃんとの結婚問題で忙しいがよ」

「ああ、それね。大丈夫、昨日、小政さんが相談に来て、ばあちゃんが顔役さん処へ頼みにいったはずや」

「ええっ?訊いてないよ」

「母ちゃん、おらん時やろう、僕も今日でかける時に、ばあちゃんに訊かされたがやもん」

「そうか、小政さんが気ィ使うてくれたんか。そんなら、ボン、わたしを役に立ててもらえるワ」


       7

「石(いし)、おまんもそろそろ、意地を張らんと、親父さんに頭を下げや。このまんまやと、可哀想ながは、真さんぜよ。刻屋の女将、お寅さんもボンも心配して、社長に相談に来たらしいぞ」

 山長商会の事務所で後輩の悟郎に意見しているのは、小政である。

「ええ、兄ィのいうとおりです。そろそろ、埒(らち)をあけんとイカンと思うてました。今度の盆明けには実家に真を連れて帰ります。頭を下げて、許してくれるかどうか、頑固親父ですから……」

「そうか、実家に帰るか。そしたら、社長も一緒にいくとゆうろう。イッペン、おまんのお父上に挨拶せなぁ、ってゆうとったき」

「ええっ!社長がそこまでせんでも……」

「いや、大事な跡取りを預かっちゅうがやき。それに真さんのご実家にも挨拶にいかんと、ともいいよったき」

「それじゃあ、まるで、社長が実の父親みたいじゃないですか?」

「そうよ、おまんは実の息子と同じながよ。鶴太郎さんを最後まで、ずっと見守っていたおまんを他人とは思えんがよ。それに、お寅さんの依頼やき、万全を尽くさんとイカン」

「そうですね、刻屋のみなさんにまで心配をかけるわけには……」

 悟郎は刻屋の一家には恩義を感じているのである。

「よし、そしたら、その話は終(しま)いや。盆明けまでにはまだ日がある。石、おまんに是非やって欲しいことがあるんや」

「なんです?仕事の話ですか?亀さんからの用事ですか?」

 悟郎が『亀さん』といったのは、長吾郎の次男の亀次郎(かめじろう)のことである。長男の鶴太郎は戦場での傷がもとで、ずっと療養していたのだが、手当のかいなく、先年亡くなった。その彼の世話をしていたのが悟郎だったのだ。だから、亀次郎が長吾郎に残された、たったひとりの息子、跡取りなのだ。亀次郎は会社の後を継ぐべく、修行中である。特に、新たな事業への参入を計画しており、そちらの責任者になっている。悟郎はそっちの手伝いか、と思ったのだ。

「いや、仕事は仕事でも、探偵団の方や」

「探偵団?なんぞ、事件が起きたんですか?また。勇次さんが千代姐さんに泣きついてきたとか?」

「ははは、誰かもそうゆうたらしいぞ。けど、勇さんがらみやない。事件が起きたわけやない。ちょっと、社長の遠縁のお嬢さんの結婚話に妙な怪談話がくっついてきたがよ」

「結婚話に怪談話?確かに妙な組み合わせですね?」

「ああ、今回の事件には、刻屋のボンも絡んでいる。何か知らんが、『少年探偵団』ゆうもんができて、ボンが頼まれて、顧問になったらしい。そこで、我々はボンには内緒で、先に解決したいんや」

「なるほど、ボンは事件が起きるのを待っている。兄ィは社長の遠縁に当たるお方やから、事前に謎を解いて、未然に防ぎたい、ってことですね?」

「おう、石、おまんもなかなか鋭いにゃあ。探偵の素質があるぜよ」

「まあ、この前の事件の顛末、兄ィから、たるばあ、訊かされましたから、兄ィの思惑は手に取るようにわかりますよ」

「ははは、こりゃあ、一本取られた。ほいたら、協力してもらえるか?」

「はい、悦んで……」

        ※

「睦実さんに化けてもらうんは、この写真の女性」

 刻屋の玄関脇のテーブルの上に、モノクロのポートレートが差し出された。

「誰の写真?」

「母ちゃんはわかるろう?」

 と、S氏は傍に腰をかけている母親に尋ねる。

「わたしを試す気ね?わかるわよ。陽子先生のお母さま、二宮暢子さん。随分若い頃の写真ね?今の陽子先生と同じくらいかしら?」

「さすが、がん、やない、老舗(しにせ)旅館(りょかん)の若女将」

「あんた、また、顔回って、いおうとしたね?まあ、ここだけなら、いいけどね。これ、いつの写真?」

「陽子先生が、小学校へ入学の時。実は隣に陽子先生が写っているはずなんだけど、恥ずかしいからって、切り取ったものを貸してくれたんだよ。もう一枚あるってことだったけどね」

「それで、睦実さんを暢子さんに変装させて、何をしようとしているの?」

「うん、それをこれから説明するよ」

        ※

「石、この写真女性に化けれるか?そっくりやのうてもエイけんど、そこそこは似せて欲しい」

 そういって、小政が一枚の古い写真を悟郎の前に差し出す。

「ええ、このくらいなら、顔はなんなく。背はどのくらいですか?」

「背は気にせんでもエイろう。もともと、絵の中の美人に化けるんやから。その絵のモデルらしい人がその写真の人や」

「誰なんです?古い写真のようですが……」

「例の社長の遠縁のお嬢さんの母親や」

「この人をモデルにした絵が、動いたんですね?」

「そうや、その動いた原因、いや、動かした人物の意図を探るために、その絵のモデルに登場してもらうんや」

「でも、すでに、この絵に似た女性が現れたんでしょう?」

「そう、誰か知らんが、企んでいるもんがいるちゅうことやな」

        ※

「この女性、二宮暢子さんが美人画のモデルかどうかは、確定していない。でも、似ていることはまちがいない。そこで、現実の世界に、もう一度、登場してもらおうと思うんよ」

 こちらは、刻屋のテーブルの前、S氏が睦実と千代に説明をしている。

「もう一度?ああ、そうね、陽子先生が帯屋町で見かけたことがあるもんね」

「でも、ボン、絵の中の女性を登場させて、何をするつもり?」

「わかった、あんた、小政さん得意の狂言を描くつもりね?誰か知らんけど、悪巧(わるだく)みをしていそうな人物に、睦実さんの姿を見せて、反応を見る。ああぁ、ここまで、悪知恵が働くようになったか。詐欺師の才能、溢(あふ)れているね。育て方、間違うたワ」

「ええっ!そうなんですか?どうして、すぐわかるんです?ボンの計画が……、千代さんの方が凄いですよ」

「まあ、親子やからね、この子の考えることくらいは、わかるわよ。慣れかもね」

「やっぱり、すごい。わたしも千代姐さんを見習おう。マコちゃんのいうとおりや。千代姐さんみたいな母親になって、ボンみたいな子を育てよう」

「だ、ダメよ、こんな子に育てたら苦労するだけよ。白髪が増えるよ。マコちゃんにもそうゆうといてよ」

「母ちゃん、自分の息子を、そこまでゆうか?これでも、学校では、品行(ひんこう)方正(ほうせい)、真面目でおとなしい、成績は平均点やけど、頭のエイ児(こ)でとおちゅうよ」

「なにが品行方正で、おとなしいよ。それは、三年生までの評価でしょう?あの、マコちゃんの事件以来、あんたの評価は変わったのよ。父兄の面接で、『最近、息子さん元気で明るくなりましたね』って、褒(ほ)めてもらったのよ。でもそのあと、いたずらも多くなりましたって、いわれたわよ。あんた、先生を驚かすために、黒板消しに紐(ひも)をつけて、ドアの上に画鋲(がびょう)でとめたり、次は黒板消しやのうて、濡れ雑巾。次ぎは、頭上を注意してたら、水のはいったバケツが足元に……、まあ、よう考えつくね」

「あ、あれは、僕やのうて……」

「ええ、実行したのは、悪ガキ、三人組だそうだけど、シナリオ書いたのは、あんただってね?」

「脅かされて、ちょっとアイデアを出しただけだよ。先生も苛(いじ)められたらすぐ知らせなさいって、却って同情してくれて、おとがめなしだったよ。三人組はこっぴどく、お説教されてたけどね」

「ほらね、悪巧みの才能あふれているでしょう?」

「でも、いじめられる前に、とっさにアイデアを出したんでしょう?さすが、ルパンの生まれ替わりですね。悟郎が跡を継がないなら、石川家の跡取り候補はやっぱり、ボンや」

        ※

「つまり、その悪巧みをしている奴に、ちょいと、揺さぶりをかけるってことですね?いつもの、兄ィの好きな狂言ってわけか」

「まあ、どうなるかはわからんが、何かの新たな動きが起きるはずや。そうしたら、謎を解く糸口が見つかる、と思うんやが、やってみんことにはわからんけどな」

        ※

「つまり、揺さぶりをかけて、誰かが新たなアクションを起こす。それが、謎を解く糸口になるってことね?」

「さすが、顔回……、この作戦の意図が理解できちゅうね」

「それで、ターゲットは誰なの?関係者、多いと思うけど……」

「まずは、一番可能性の高い、つまり、細工をすることができるという意味でやけど、見合いの相手の政二郎さんやね」

「ええっ!政二郎さんがそんなことする?何の得にもならんろう?」

「損得の問題じゃあなくて、可能性の問題。彼が一番、仕掛ける時間と、明らかな動機がある。つまり、イタズラをするという意味での動機だけどね」

「逆効果になるわよ。実際、陽子さん、あの所為で、見合いが進捗しなくなっているんだもん」

「そう、だから、絵が動いたのと、絵の中の美人が登場したのは、別の人物の企みだった可能性も捨てきれないよね」

        ※

「それで誰を驚かすんです?」

 と、悟郎が小政に尋ねる。

「まずは、見合いの相手の従兄に当たる、伸一という男だな。こいつが一番、悪巧みをしそうなタイプだ。女好きで浮気症。女が絡む問題は、こいつが一番怪しいのさ」


        8

「ボン、あれが政二郎ね?」

 翌日の午後5時過ぎ、高知城のお堀端(ほりばた)を足早に仕事帰りの青年が歩いて行く。白い半袖のカッターシャツ、茄子紺色のスラックス、同色のジャケットは腕に提げている。

「ああ、間違いない、陽子先生に見せて貰った『見合い写真』の男性だ。写真の方が、男前だったけどね」

 S氏と睦実は、道路を隔てた、店の軒下で政二郎が通り過ぎて行くのを見送っている。政二郎は、東の方向、帯屋町の方へ向かっている。

「何処へ行くのかな?自宅は反対よね?電車かバスに乗るなら、県庁前で乗るでしょう?」

 そう、S氏に尋ねた睦実は、藍染のさわやかな浴衣を着て、少し古風な捲きあげた髪型の鬘(かつら)を被っている。顔も普段より白粉の色が濃い。眉や眼許もかなり変えている。口紅は薄紅色である。陽子の母暢子に限りなく似せているのだ。手には団扇(うちわ)を持っている。いざという時、すばやく、顔を隠すためである。

「まあ、サラリーマンが、まっすぐ帰宅するとは限らないよ。暑いし、いっぱい、ビールでも……、て、いうんじゃないの」

 そう答えたS氏は、ジャイアンツの野球帽を目深に被り、やはり、顔を隠している。

「じゃあ、何処で、この顔とご対面させるの?」

「うん、もう少し後をつけてみるかな。何処へ行くのかも気になるしね」

「ジョンを連れてきたらよかったね」

 と、睦実が小声で言う。

「ジョンは目立つからね。かえって、僕たちの工作だと、ばれる可能性があるからね」

 政二郎は尾行されていることなど、全く思いもしないのだろう。脇見をすることもなく、大橋通商店街の手前まで来ると、右の路地に入って行った。その路地の右手にある、喫茶店の扉を開ける。扉に取りつけられた『カウベル』がカランカランと大きな音をたてた。

 政二郎は店の中に入って、周りを見回している。二階席にも視線を向ける。

 その隙に、S氏と睦実は店に入り、彼の背後から、奥の席に向かう。

 政二郎は窓辺の席に座り、お冷=水の入ったグラス=を運んできたウエイトレスに、

「アイスコーヒー」

 と、声を掛けた。

 S氏と睦実は、その席が見通せ、また、入口の扉も眺めることのできる席を選んだ。

「どうやら、誰かと待ち合わせ、みたいだね。奥や二階も確認して、今は、ほら、窓から表の通りを気にしているよ」

 ふたりは、ウエイトレスに『ミックスジュース』と『アイス・レモンティー』を注文し、政二郎の方に視線を向けている。

「おや、待ち合わせの人物がきたようだよ。政二郎さんが窓から手を振ってる」

 そう、S氏がいったすぐ後、カランカランとカウベルの大きな音がして、大きな縁どりのある、白い帽子を被った、女性が店に入ってきた。スカイブルーの地に、白い縦じまのストライプが入った、涼しげなワンピ―スにレース地のカーデガンを羽織っている。顔には女優の『オードリィ・ヘップバーン』がつけていた、レイバンの大きなサングラス。その為、顔は全く解らない。

 女性は足早に、政二郎が座っている窓辺の席へと足を運ぶ。そして、ひとこと何か=おそらく、「おまたせ」と=いったのか、帽子もサングラスも取らずに、政二郎の向かいのソファーに腰を下ろした。

「誰かね?あら、ボン、どこを見ているの?」

 睦実が謎の女性を注視しているのとは裏腹に、S氏は、店の扉の方を見ていた。カウベルが小さく鳴り、中折れ帽を目深に被った年齢不詳の男性が入ってきたのだ。

 その男は、ちらっと、窓辺の席に視線を向け──但し、その顔には黒いサングラスがかけられていて、視線がどこまで伸びたかは解らない──そそくさと、奥の席へと向かっていった。

 S氏がその男を視線で追っているのを睦実は確認し、

「怪しい男の登場ね?あのふたりに、関係ある人物なのかしら?服装は上等の夏物のスーツだし、サングラスはダサいけど、靴なんかも、まあまあの品、貧乏人ではないわね」

 と、男を値踏みする。

「刑事か、探偵か、かもしれんよ。ほら、浮気の調査員とか……」

 窓辺の女性の方に視線を戻すと、彼女はウエイトレスの注文伺いに、早口で答え、注文の品=レモン・スカッシュ=が届けられるまでは、無言のままだった。

 レモンスカッシュのグラスを手に持ち、ストロ―で一口飲んだ後、女性が政二郎に何かをいった。会話は、S氏の席には聞こえない。その言葉に、政二郎が少し顔をしかめたようにしながら、口を開いた。

 ガタン、という、テーブルとグラスがぶつかる音がして、女性が急に立ち上がる。何事かを、上から目線で、政二郎に言い放つと、注文票をひったくるようにして、入口近くのレジへとハイヒールの音を響かせて向かう。呆気にとられている、ウエイターかマスターか、男性に紙幣をつきだすと、おつりも受け取らずに、扉のカウベルを高々と鳴り響かせて、表へと出て行った。

 政二郎はと見ると、ため息をついていた。

「睦実さん、僕は会計を済まして、様子を見る。表にいる、探偵団に指示をしてくる。睦実さんは政二郎の横をさり気なく通って、視線があったら、微笑んでみて、それから、例の怪しい男が、レジに行こうとしている。レジのところで、そいつにも微笑んでみて。それから、正体がばれんように、すばやく、この先の公園で待ち合わせよう」

 S氏は早口でそう言うと、席を立ち、レジに急ぐ。怪しい男より先に、事前に丁度用意した小銭を四角いカルトンに入れ、会計を済ますと、表へ飛び出した。

 白い帽子の女性が、電車通り方面に歩いて行く。そこへ、同じような野球帽を被った少年が歩み寄る。S氏は短い言葉で、女性を尾行するよう依頼する。その少年は旭少年探偵団の杉下君だった。

 S氏が店の方を振り返ると、睦実が扉を開けて出てくるところだった。視線を巡らせ、窓辺の政二郎を見ると、ポカンとした顔で、睦実の後ろ姿を追っている。

 もうひとりの、サングラスの男はというと、扉の隙間から、慌てた様子がありありと覗けた。余程、衝撃を受けたのか、財布から小銭をばらまいていた。

 睦実は、S氏に軽く会釈をすると、小走りに『大橋通商店街』のアーケードに駆けこんで行く。みるみるうちに、その後ろ姿が見えなくなった頃、やっと、サングラスの男が店から出てきた。

 きょろきょろと左右を見回し、睦実の姿を捜しているようだ。そして、意を決したように、アーケードの方に走り出す。

 そのアーケード入口に野球帽を被った少年がいる。もうひとりの探偵団員、山田君である。S氏の合図を察して、山田君は、その怪しい男を尾行し始めた。

「さてと、政二郎さんを尾行するもんが居らんなったけど、まあいいか、彼は悪企みはしてないようやから……」

        ※

「ボン、こっちよ」

 S氏が帯屋町筋を少し遠回りして、帯屋町公園にやってくると、黒のタンクトップにブルーのホットパンツ、サンダル履き、おまけに大きなファッショングラスをかけた、一見すると、不良少女か夜の街角に立つ、娼婦かと、誤解されそうな格好の睦実が手を振っていた。

 どうやら、公園のトイレか、物陰で、すばやく、浴衣を脱ぎ、鬘を外し、大き目のショルダーバックに衣装を詰め込んだようだ。浴衣の下は、そのまま、今の衣装だったのだ。下駄をサンダルに換え、髪をおろし、ファッショングラスをかければ、別人に早変わりだった。

「誰かと思った、見事な変身ぶりだね」

「ほら、あそこに、例の怪しい男が、わたしを捜して、キョロキョロしてるよ」

 笑顔を浮かべながら、睦実が顎で、中折れ帽にサングラス姿の男を指し示す。

「正確にいえば、美人画から飛び出したような女性を捜しているんだけどね」

「それと、あの子は?ボンの友達?さっきから、その怪しい男をつけているようよ」

「ああ、旭の少年探偵団の山田君だよ。あの男を尾行するよう頼んだんだ。もうひとりの杉下君には、政二郎さんと逢っていた女性をつけて貰っている」

「あっ、こっちに気づいて、合図した。でも、危険じゃないの?特にこっちの野郎の方は……」

「まあ、無理をしないようにいってある。それに期待はしていないよ。あのふたりの正体は、ほぼ解っているんだ。その確認ができたらいい、くらいに思っている」

「へえ、そうなの。あっ、あいつ、諦めたのかな?急ぎ足で、帯屋町のアーケードに向かっていた」

 睦実が視線で男の動きを追っている。男は公園を横切り、アーケードの方に走り去っていく。その後を野球帽を目深に被った少年が追いかけて行った。

「さてと、収穫はあったし、そろそろ帰ろうかな」

「えっ!もう帰るの?あの男の行動を見張らなくていいの?」

「ああ、残念だけど、家の門限が午後六時なんだ。遅くなると、母ちゃんに怒られるからね。六時って、早くない?まだ、陽が明るいんだよ……」


        9

「兄ィ、あいつが伸一って奴ですね?」

 ここは、高知城の西、小高坂地区と呼ばれている、屋敷街。ふた棟並んだ、日本家屋の門を見渡せる、街路樹の陰から、白地に紺の模様、菖蒲の花が描かれた浴衣を着て、昔風の日本的な巻き髪の鬘を被り、どこから見ても、男には見えない、石川悟郎が、傍にいる、鹿撃ち帽=シャーロック・ホームズが被っている=を目深に被った、小政に耳打ちをしたのだ。

「ああ、間違いない。高知新聞の友人に頼んでもらった、大垣議員の家族写真に伸一として出ていた男や。けど、今時分、どこへ出かけるがやろう?てっきり、晩酌のビールでも飲んで、寛いでいる頃やと思ってたのに……」

「そうですね、予定の竹垣の塀越しにこの姿を見せるってことが出来なくなりましたね。どうします?」

 当初の計画では、小政が郵便局の配達人を装い、伸一宛の書留郵便にハンコを貰う。その玄関先から見えるように、悟郎が、竹垣の前を通り過ぎる、という狂言だったのだが……。

「まあいい、どこへ行くのか解らんが、後をつけてみよう。ひょっとしたら、事件との係わりが出てくるかもしれんき」

 伸一らしき男は、門を出ると、小政たちがいる街路樹とは反対方向、越前町の大きな通りに向かっていった。車の走る通りに出ると、丁度通りがかったタクシーに手を挙げる。

「石、先に行くぜ」

 と、小政が急に駆け出す。伸一が車に乗り込み、タクシーの扉が閉まる寸前、

「帯屋町のトウモンスポーツ前」

 と、運転手に伝える伸一の声を小政はしっかり聴き取った。

 運よく、後方から空車の赤い文字を光らせた、タクシーが来る。あわてて、手を振り、それを停めると、悟郎を呼び、タクシーに乗せる。自らも後部座席に乗り込んで、

「帯屋町のトウモンスポーツの前まで」

 と、運転手に伝えた。

 トウモンスポーツとは、『稲門』という漢字を書く、運動具の店である。帯屋町のアーケード街の中ほど、中の橋通りとの交差点の北東の角にあって、目印に丁度よい場所である。

 二台のタクシーは、ほぼ同時に、稲門スポーツ前に到着した。先についた、伸一が料金を払っている隙に、悟郎はタクシーを降り、何食わぬ顔で、アーケードの入り口付近で、扇子を開いて顔を隠しながら、辺りを注視する。伸一が車から出てくると、稲門スポーツの入り口付近にいた、怪しげなサングラスにソフト帽を被った男が、それに気づいて近寄ってきた。男は、伸一に声をかけ、早口で何かを説明するような口調で喋る。

「ルミ子の店へ行こう」

 最後にそういったように聞こえたのだ。

 小政も、タクシーから降りてきて、その会話を聞いていたが、やはり、最後の部分が、微かに訊き取れただけだった。

「何者ですかね?」

 と、悟郎は小政に尋ねる。

「さて、あの格好だと、顔が見えんから、確認できんな。けんど、悪巧みをしそうな感じやな、伸一同様……」

「どうします?つけますか?」

「ああ、ルミ子かルリ子か知らんが、女のいる処へ行くようや。行ってみようやないか」

 伸一と怪しい男は、アーケード街を東へ、中央公園の方に歩いて行く。小政を前に、悟郎がその後ろに扇を広げて、顔を隠しながら続いて行く。

「おや、前を行くふたりを、つけている子供がいますよ」

「ああ、あの野球帽を目深にかぶった子供やな?」

「誰ですかね?何であのふたりを尾行しているんですかね?」

「さて、ボンは居らんかな?」

「ボン?刻屋のボンですか?」

「ああ、あの子は多分、旭の少年探偵団の子やろう。あの怪しい男をつけてきたようやな。そしたら、ボンが絡んでいるはずや」

「けど、ボンらしき子は居りませんね。小学生はあの子ひとり……」

「そうやな、ひとりで大人ふたりの尾行は、危ないな。よし、石、おまんの特技を使うてくれるか?これをあの子に気づかれんように、渡してくれ」

 そういって、小政はポケットから手帳を取り出し、歩きながら、走り書きをして、そのページを破り、悟郎に手渡す。

「はい、大丈夫ですが、子供は背が低いので、すれ違いざま、って訳にはいきませんね」

「まあ、頼むワ、俺は先に伸一を追って行くき」

 そういって、小政は歩く速度を上げ、野球帽の少年の左側を通り過ぎていった。

 少年=山田太郎君=は、サングラスの男の背中に集中していて、周りは見えていない。そのすぐ右側を浴衣姿の女性が通り過ぎた。と、思ったら、眼の前にコトンと音がして、扇子が地面に転がった。踏みつけそうになり、慌てて、それを拾おうと手を伸ばす。その眼の前を、白い左手が横切ったかと思うと、扇が、すうっと、地面から空中に舞い上がった。

「あら、ごめんなさい」

 そういう声が聞こえたが、その声の主は、太郎が顔を上げた時には、背中を向けて、足早にアーケードを東へ去って行ってしまった。ただ、鮮やかな浴衣の花模様だけが、くっきりと眼に焼き付いていた。

「あれ?これは何だろう?いつの間に……?」

 半袖のシャツの胸ポケットに、半分に折りたたまれた、紙片がはいっていたのだ。ついさっきまではなかったものだ。不思議そうに、それを取り出し、折り目を開いてみる。そこには、

『ご苦労さん、尾行はここまで、あとは、井口探偵団に任せること、旭少年探偵団、顧問より』

 と、鉛筆の走り書きの文字が浮かんでいた。

「ああ、さっきの女性は、井口探偵団のひとか?顔は見えんかったけど、後ろ姿はさっき、ユウ君と一緒に居った女性とそっくりやったな。けど、浴衣の柄は違ってた。早変わりしたんやろうか?それと、この手紙、どうやって、ポケットに入れたんやろう?あのひと。僕に触ってないはずやけど……」

 太郎は、石川悟郎のもうひとつの特技、『キンチャッキリ(掏り)の早業』を知らなかったのだ。

        ※

「ここが、ルミ子の店か?」

 小政がそういって、見上げているのは『花園』と赤い文字で書かれた、小さなバーかスナックのような店の看板だ。伸一とサングラスの男が、アーケードから外れた横町の路地のこの店の扉を開けて、中に入っていったのだ。

「どうします?中へ入りますか?」

「いや、石、おまんはもう少し、微妙な場面で登場せんと効果がない。ここは俺がはいって、様子を見てくる。おまんは、そこの二階の喫茶店で待ちよってくれ。窓際の席やったら、この扉が見えるろうき、異変を感じたら、飛び出してきてくれ」

「ひとりで大丈夫ですか?」

「ああ、これでも、少しは大政さんに柔術のうちの護身術はなろうたき、いや、合気道やったかな?」

 そういって、小政は被っていた鹿撃ち帽をポケットに突っ込み、髪と身なりを整えて、花園という店のドアを押して中に入っていった。

「いらっしゃい」

 と、若い女性の声がする。店の中は薄暗く、客は、先ほど入っていった、伸一と怪しい男だけだった。店はドアから見て、右側にカウンター、その中に女性がいて、氷のはいったグラスを置いて、ウイスキィのボトルを傾けているところだった。

 カウンターは奥へカーブを描いて伸びている。あとは、テーブル席がふたつ。奥のカウンターの陰にボックスタイプの椅子とテーブルがあるだけだった。

 怪しい男はさすがに、帽子もサングラスも外している。手前に伸一が座っており、横顔がちらりと覗く程度だった。

 小政は、ふたりの後方を通って、奥のカーブした角のカウンターに腰を降ろす。

「ちょっと、待ちよってね。この水割り作ったら、おしぼり、持っていくきね」

 と、カウンターの中の若い女性がいう。化粧の所為もあろうが、眼の大きさとか、どこかハワイの日系二世のような、パッと明るく、眼を引く美人というより、愛きょうのある顔立ちの女性だ。髪は長いが、カツラかもしれない。派手なカールが掛かっていて、それで、南方系をイメージしたのかもしれなかった。

 怪しい男が、ちらりと、小政の方に視線を向けた。それで、顔が確認できた。

「ああ、確か、政二郎の兄貴で、泰人って奴や。写真のひとりやから、間違いない。まあ、伸一にとっては従兄やし、付き合いがあってもおかしゅうないな」

 と、小政は心の中で確認していた。

「お待たせ、はい、おしぼりどうぞ」

 若い女性が、おしぼりを乗せた木製のトレイをカウンターに差し出す。水割りをふたりの客の前に運んで、そのまま、小政の前に来たのだ。

「お客さん、初めてやね?こんなハンサムなひと、いっぺん見たら、忘れんき」

 女は、心から嬉しそうな笑顔で、小政にそういった。

「ああ、ちょっと、仕事の話があって、人と待ち合わせしちょったがやけど、急に来れんなったって、連絡が入って、そこは、高い店やき、早々に出てきて、ブラブラしてたら、ここの看板の灯りが眼についてね」

 と、小政は、とっさに作り話を披露する。

「そうながや、はように店を開けといてよかった。こんなハンサムにお目にかかれて、うれしいちや」

「なかなか、お世辞が上手やねぇ。まだ若いやろう?ここのママさんながかえ?まだ、水商売の匂いがせんけんど……」

「わぁ、お客さんもお世辞がじょうずやいか。まあ、まだ、二ヶ月目やき、水商売にはどっぷりとは浸かってないね。それと、ママはほかに居るから、正解やし、お客さん、顔だけやのうて、頭も良さそうやね?東大出?」

「いや……」

 京大出やとはいわなかった。

「きみ、名前は何ていうの?」

 この娘(こ)が『ルミ子』かと、尋ねてみたのだ。

「本名はダメよ。ここのお店では……、当ててみて、お店の名前に関係あるから……」

「店の名前?『花園』だったよね?そしたら、花の名前?」

「うん、すごい、やっぱり、インテリながや」

「可愛らしい、名前だろうね、きみに相応しい……?」

「うん、わたしに相応しいかはわからないけど、可愛いと思うわ」

「花の名前か?あんまり詳しくないから、牧野富太郎とは違うからね」

「牧野富太郎?誰?」

「知らないのかい?高知の佐川の生まれの世界的な植物学者、植物図鑑に名前が出るくらい有名な人だよ」

「ごめん、わたしも植物には疎いの。桜がバラ科の花だって、この店にはいって教えられたくらいだから……」

「そうか、サクラちゃんか?」

「あっ、引っ掛け、誘導尋問、お客さんズルイ」

「じゃあ、正解?」

「残念でした。サクラさんって、わたしの前にいた人。交代で辞めたの。子供ができちゃってね。独身なのにね」

「おやおや、それは、それは……。振り出しに戻ったか、君を見ていると、ハワイの美人に見えるんだが、『ハイビスカス』ってのはおかしいよね?」

「まあ、わたしが、ハワイの美人?うれしいから、ヒントをあげる。白い花が有名よ」

「白い花か?そしたら、百合の花だね?」

「すごい、何で一発でわかるの?」

「じゃあ、正解かい?」

「残念、半分、合ってる。百合だけど、百合子とか、百合恵じゃないもの」

「わかった、百合は英語で『リリィ』。リリィさん。どうだい?」

「すごい、大正解。アッタマ、いいんだ」

「よし、ついでに、ママの名前を当てよう。ママも花の名前かい?」

「ええ、花の名前じゃないかもしれない。きれいなものよ。漢字で最後に子がつくけどね」

 おや?ルミ子だと、花の名前じゃないな?きれいともいえないし……と、小政は悩んでしまう。そうか、『瑠璃子』のほうか、と気がついた。『ルミ子』と『瑠璃子』を早口で訊き違えたのだ。

「じゃあ、梅子」

 と、わざと間違う。

「いやだぁ、それ、わたしの死んだ、おばあちゃんの名前よ。古くさぁ。ママはまだ若いのよ。それに美人よ。ママを目当てにこの店に来るお客が多いんだから……」

 そういって、リリィは小政に笑顔を振りまく。

「おい、リリィ、男前の話ばっかり訊かんと、こっちの相手をせいよ。ほら、水割りお替わりや」

 と、小政との長い会話に、腹を立てたのか、泰人がリリィに大きな声をかける。

「あっ、ごめんなさい」

 と、振り返り、泰人に謝る。

「そうだ、お客さん、何か飲む?」

「ああ、僕にも水割りを……」

 注文を受けて、リリィが泰人たちの前に帰っていく。

「ヤスさん、焼餅焼かないの。ヤスさんのお目当てはママでしょう?ションベン臭い子供は嫌いっていってたじゃない?ママに……」

「あ、あれは、その、ママがお前に気があるのか?って問い詰めるき、口から出まかせゆうたがよ。ワシは若い子が好きぜよ」

「嘘ばっかり、ママの前では、若い子は好かん、ってゆうてるくせに。八方美人ながやね、ヤスさん」

「い、いや、それより、ママは?瑠璃子はどうしたがぜ?今日は遅いやいか?話があってきたがやに、用事にならんやいか」

「ママは遅れてくるんでしょう?いっつも気まぐれやし、どこかに、エイ男ができて、束の間の逢瀬をしているかもよ」

「エイ男?そ、そんなこと訊いちゃあせんぞ」

「あら、ヤスさんには居ってもいうわけないろう?まあ、そんな男は居らんろうね。ママは男嫌いやからね」

「男嫌いはポーズだけやろうが?もうちょっとで、落ちそうやったぞ。このまえ、酔うた時に……」

「ふふふ、甘いわねぇ、男の人って……」

 水割りを作って、泰人と伸一の前に置き、もうひとつのグラスを小政の前に置く。

「ママは『瑠璃子』っていうのかい?」

「あら聞こえちゃった?ヤスさん声が太いから……」

 リィリィリーンと、扉に近いカウンターの桃色電話が音を鳴らす。リリィが慌てて、カウンターの中を横切る。

「もしもし、『花園』です。あら、ママ?噂をしていた処よ。ヤスさんとシンさんが来ているのよ。ママが遅いって、ゴネているわ。えっ?今日はお休みするって?頭が痛い?まあ、お店は暇だから、わたしひとりで大丈夫そうだけど……、いざとなったら、隣の喫茶店のマスター呼ぶから。あのひと、元バーテンダーだったそうだから、わたしに色眼使うから、ちょっと、デートの約束したら、ただ働きしてくれるわ」

「おい、瑠璃子からか?今日は休むってか?ちょっと替われ、大事な用があるがや」

 と、いって、泰人が受話器をリリィの手から奪い取る。

「おう、瑠璃子か?おまんに訊きたいことがある。おまん、今日は何処に居った?えっ?何処でもエイやろうって?いや、焼いているんやない。『カンナ』が出たんや。いや、出たゆうか、そっくりな女に遭うたんや。しかも、ワシに笑いかけたんや。おまんじゃない?ほいたら、やっぱり、ほんまもんか……。えっ?今日は頭が痛いき、明日やって?ほいたら、明日の午後、店に出る前に、ワシとこへ来てくれるか?ああ、ほいたら、待ちゆうき……」

 ツーという電話の切れた音がして、泰人が受話器をリリィに返した。

「声が太うて助かったわ。全部筒抜けや……」

小政は、心の中でそう呟いて、ニンマリと水割りを口に運んだ。


       10

「兄ィ、あいつら、真っすぐ家に帰るようですぜ、おれのこの格好、無駄になりそうですよ」

 悟郎が少し前を歩く小政に声をかけた。小政は鹿撃ち帽を目深にかぶっている。そこは、小高坂地区の屋敷街。大垣家の本家と分家が並んで立っている辺りである。

 バー『花園』を出たふたり=泰人と伸一=は、梯子をすることもなく、タクシーを拾って、真っすぐご帰還とあいなった。今、そのタクシーを降り、それぞれの屋敷の門をくぐったところだった。

 そこより、少し手前でタクシーを降りた小政と悟郎は、門の近くから、ふたりの後ろ姿を見つめているのだ。

「ああ、こうなったら、当初の予定どおり、竹垣の前で、ちらりと姿を見せることにするか。旭の少年探偵団が、泰人を尾行してたんや。ボンも動いているってことやからな。早めに手を打たんとイカンろうき……」

「郵便配達に化けるんですか?」

「いや、タクシーの運転手に化けて、忘れもんです、って、入っていく」

「ああ、その上着を着たら、運転手に見えなくはありませんね。玄関、薄暗いから……」

「よし、おまんは竹垣の前で準備しておけ……」

 そういって、小政は鹿撃ち帽を脱ぎ、黒いブレザーを着ると、慌てた様子で、伸一の屋敷の門をくぐっていった。

「お客さん、財布、お忘れやないですか?」

 先にタクシーから降りたのが伸一だったから、料金は泰人が支払ったようだ。したがって、伸一は財布を気にしていないはずだ。

 玄関の扉を合い鍵で開けようとしていた、伸一は驚いて、振り返った。その視線の先に、竹垣があり、街路灯の微妙な明かりの下に、女の姿がある。その女が顔を自分の方に向けるのがわかった。そして、微笑んだことも……。

「わ、わあ……」

 と、悲鳴ともつかない声を上げ、伸一は腰を抜かしたように、玄関口に座りこんだのだ。

「あっ、これ、違いますワ、ワシのやった、すんません、お騒がせしました」

 わけのわからない言い訳をして、小政は身体を反転させた。伸一はその言葉も、小政の行動も気にする余裕はなかったのだ。

「これで、伸一も例の美人画の女に係わりがあることははっきりしたな。けど、泰人が出逢った女『カンナ』ってゆうたが、何もんやろう?」

        ※

「あれは、小政さん、あの女は悟郎さんの変装か?あのふたり、なにを企んでいるんやろう?おそらく、睦実お嬢さんが、刻屋のボンから頼まれた一件に関係しているんやろうな。ということは、報告せな、ならんってことやな……」

 男=十兵衛=は伸一の屋敷の屋根瓦の上から、小政と悟郎の演じた、狂言を一部始終眺めていたのだ。耳のいい彼は、屋根から素早く降りて、去っていく小政の呟きまで、聴き取ったのだ。

 十兵衛が何故ここにいるのか?ボンから睦実を通じての依頼で動いているのだ。日中は陽子の身の安全を見守っていた。そして、陽が暮れてからは、大垣家の本家、分家の両方を覗っていたのだ。

 彼が本家を探りに忍び込んだ時、屋敷には誰もいなかった。伸一が出かけた後だったのだ。分家にも人の気配はない。やすやすと忍び込んで、本家の床の間の美人画を写真に収めた。そして、もうひとつの美人がも捲かれた状態で、すぐ近くの部屋にあり、それも写真に収めた。

 そうこうしているうちに、誰かが帰ってきた気配がして、十兵衛はすばやく、屋根に登る。

 まず最初に、泰人の妻、さくらが娘の桃子の手を引いて帰ってきた。そのあと、屋敷の主、泰蔵と伸蔵、少しして、議員秘書の竜平、かなり遅れて、家政婦の久美子、そうして、今、伸一と泰人がほろ酔いで帰ってきたのだ。

 あとふたり、伸蔵の秘書、菊枝と、未成年の園の姿はない。

「まあ、菊枝は若くて独身やし、秘書ゆうても会社員、行動は自由やからな、夜の街か、どこぞの男の部屋に居っても問題はないが……、未成年の高校生がこの時間まで、夜遊びとは……」

        ※

「ふうん、小政さんたちが、大垣家を見張っていたのか?」

 時刻は夜の九時を遥かに回っている。だが、事件が動き始めている気配がして、刻屋のいつものテーブルに、ボン、千代、お寅さんに加え、睦実と十兵衛が座っているのだ。

 十兵衛に「ごくろうさま」と、ねぎらいの言葉をかけた後、十兵衛からの報告を聞いた処である。

「睦実さんは石さん=悟郎=には、今回の件、話していないよね?そうすると、小政さんが、情報を入手したってことか……」

「そうよね、たぶん、顔役さんちの親戚関係やから、二宮家から相談でもあったがやない?」

 小政の情報入手先について、千代は先手を打って、ごまかそうとしたのだ。息子との約束で、小政には黙っていよう、ということになっている。

「そうだね、その可能性は十分考えられる、けど、もうひとつ、旭の少年探偵団からの情報があるんだ。山田君と杉下君が、七時前にここへきてね、今日の尾行の結果を知らせてくれたんだよ」

 少年探偵団のふたりは、尾行に失敗した後、帯屋町のアーケードで落合い、刻屋に顛末を報告に訪れたのだった。

「ああ、あの政二郎と逢っていた女と、サングラスの怪しい男のあとをつけたふたりね?どうだったの?」

 と、状況を知っている、睦実が尋ねた。

「杉下君は女性をつけて、大橋通りの電停を南に渡ったんだ。女性がそこで、タクシーを拾って、西に向かった。そこまでで、尾行は終了」

「そりゃあ、しゃあないぞね。小学生がタクシー拾うて、何処まで行くかわからん、車を追い掛けるなんてできんぞね。お金もかかるし……」

「うん、まあ、それでいいんだよ。西に向かったとわかっただけでも、上出来さ。女性の正体は、さくらさん、だと、ほぼ確定できたからね。十兵衛さんがその少し後の時間まで、さくらさんは屋敷にいなかったっていってたし、帰ってきた服装は、あの女性の服装だったらしいから……。桃子ちゃんを実家にでも預けて、政二郎と逢っていたんだろう」

「ほいたら、マッちゃんが書いてた、確定的やない噂、兄嫁のさくらと政二郎がデキテル、ってのは、真実やったってことかね?」

「ばあちゃん、デキテルまではいってないと思うよ。あの喫茶店の状況からして、政二郎さんは明らかに迷惑そうだったし、さくらさんが怒ったように立ち去ったのは、政二郎さんが拒否した、もう、こうして逢うのは止めよう、とでもいったんだと思う」

「睦実さんは?どんなに感じたの?」

 と、子供である、自分の息子の感覚に疑問を持って、千代が尋ねた。

「はい、恋人同士、不倫の相手というより、別れ話をしているカップルに見えましたね。明らかに、男は女を拒否している。もともと、深い仲ではなかったみたいです。女の方が関係を持ちたい、って態度でしたね」

「一度か二度か、さくらさんの夫=政二郎にとっては実の兄=の行動の愚痴を訊いてあげたんじゃあないかな?泰人さん、浮気しているんでしょう?政二郎さんも兄貴のことで、相談があるといわれたら、人目のない処で、逢って話を訊くよね?」

「そいたら、サングラスの男のほうは?」

 と、お寅さんが、話を進める。

「あれは、その泰人さんの変装さ。自分のことは棚に上げて、女房の不審な行動を見張っていたんだろうね」

「それで、睦実さんの姿を見て、政二郎はポカンとしていた。その泰人と思われる男は、大いに狼狽した、ってことよね?」

「そう、かなり、慌てていたね、財布の中身ばらまいていたから……」

「そしたら、山田君の尾行は上手ういったがや」

「それがね、途中で、こんな指令書をいつのまにかポケットに入れられて、尾行は失敗したがやと……」

 S氏はそういって、小さな紙片をテーブルに差し出す。それは、小政の走り書きだった。

「山田君は僕からの指示だと思ったらしい。この走り書きを渡された時、睦実さんとそっくりな後ろ姿の女性とすれ違って、その人が扇子を落としたんだって。おそらく、それをお互いが拾おうとした時に、ポケットの中に忍び込まされたんだと思う。これ、小政さんの字だよね?としたら、睦実さんにそっくり、ってことは、石さんだよね?あの特技からして、石さん以外考えられないでしょう?」

「そりゃあ、間違いないぞね、小政の兄さんと石さんのコンビやろう?十兵衛さんの報告でもふたりが、大垣の従兄弟をつけよったらしいき……」

「そうだよね?小政さんと石さんが、どうして、あのふたりを尾行したかはわからない。けど、山田君がいうには、サングラスの男は、帯屋町公園を出た後、公衆電話から誰かに電話をしたそうなんだ。時間からすると、泰人さんが伸一さんを呼び出して、その、伸一さんを小政さんたちが尾行してきて、山田君とカチ合った、と考えられる」

「うん、それは、間違いなさそうね、だって、小政さん、伸一のほうに、例の美人画の女性に似せた悟郎を見せたんだもの、ターゲットは、伸一だったのよ」

 と、睦実がS氏の推理を確定的なものにする。

「そうだね。石さんを使って、僕と同じ狂言を描いたってことだね」

「まあ、あんたと小政の兄さんは考えることが一緒、ということよね」

「そうそう、お母さんのゆうとおり……」

「でもね、この走り書きに、不思議なことがあるんだ」

「不思議なこと?なによそれ?」

「これは、小政さんが書いたものだよね?小政さんが、顔役さんの親戚筋ってことで、二宮家から今回の騒動を訊き出したってのはあり得るよ。けど、『旭の少年探偵団』とか、ましてや、その顧問に僕がなっているなんてことは、陽子先生だって知らないんだ。これは、山田君たちにも確認したことなんだよ……」

「はいはい、ごめんなさい、わたしです。わたしが小政さんの誘導尋問に引っかかって、話してしまいました」

 千代は息子の謎解きを素早く理解して、先手を取って謝る行動を起こしたのだ。

「えっ?千代姐さん、ボン、なにもいっていませんよ?なんで、謝るんですか?」

 睦実は理解できず、千代に疑問を投げかけた。

「睦実ちゃん、うちでは、こんなこと、しょっちゅうぞね。お互いが先読みしおうて、アテでもわけがわからんことがあるきに……」

「先読み?えっ!それじゃあ、この小政さんが書いた、走り書きを見て、ボンが小政さんが今回の騒動をどうやって知ったかを推理して、その推理の結末を、千代姐さんが先読みして、それで、先に謝ってしまった?確かに、お寅さん、わけがわかりませんね、我々凡人には……」

 睦実が感心したように言葉を発して、ふと横を向く。

「あれ?十兵衛が笑っている。初めて見たわ、十兵衛が笑っているところなんて……」

 と、隣で、周りの会話を黙って聞いていた進藤英太郎似の男の表情を見て、驚いたのだった。

「いや、すんまへん。おもろうて、こんな家族があるんやって、羨ましゅうて……」

 と、必要以外は、滅多に口を開かない男が、言い訳じみた言葉をいった。だが、その言葉には、真実味が多分に感じられたのだ。

「うん、羨ましい家族よね、ウチところとは、大違いや。親父は頑固者で、男尊女卑の戦前の思想しか持ってえへんし、兄弟でも、年上の命令は絶対やし、封建時代かと思うワ」

「へぇ、そりゃあ、ひどいね。けんど、ウチとこも似たようなもんやで、じいさまは、いごっそう。土佐でいう頑固者のことやし、ほら、このおばあさまは、天下のハチキン女将やし、その所為か、うちは妹も合わせて、三代のハチキン、歳廻りもみんな『寅年』しかも、『午黄の寅』。男尊女卑とは反対で、男は祖父さん以外は肩身が狭いんやでぇ、特に、父親は養子やから……」

「ちょっと、あんた、訊き捨てならんやないの。お父さんがいごっそう、お母さんはハチキン、ここまではエイわよ。あんたの妹もその気(け)はあるけど、わたしは違うでしょう?それに、旦那はたてているわよ。まあ、本人は少しは肩身が狭いかもしれんけど……。わたしは決してハチキンやない。『顔回の生まれ替わり』とは、いわれることはあっても、一度も『ハチキン』とはいわれたことはないきね」

「そりゃあ、傍に居るばあさんが、いや、おばあさまが、あまりにも強力過ぎて、太陽のもとでは月も見えんと同じで、ハチキンの度合いが違い過ぎているだけや。ねえ、睦実さんそう思うろう?」

「えっ?ええ、千代姐さんは、強い女性です。それを、高知では『ハチキンさん』というのでしたら……」

「ええっ!睦実ちゃん、違うろう?わたし、怖がりやし、決して強うないでぇ。睦実ちゃんは強過ぎるけど……」

「いえ、千代姐さんは、わたしの理想の母親像です。真さんもそうゆうてます。あんな母親になって、ボンのような子供を育てるんやって……」

「あかんよ、こんな子を育てたら、白髪が増えるだけや。わたしは失敗したと思っているんやから」

「千代さん、アテからみたら、まだまだやけんど、あんたはアテのもとで、暮らしてきたんや。血は繋がってのうても、影響は受ける。旅館の女将として、上に立たないかんと教えられちゅうし、頭もようて、人にも好かれちゅう。決して弱いオナゴやない。ハチキンとまではイカンでも、五、六キンくらいにはなっちゅうろう?」

 天下の『ハチキンさん』にそういわれて、千代は返す言葉がない。

「はははは、ほんまに、エイ家族ですワ。こんな家庭に育ったら、エイお子さんができますやろう。このボンさんを石川家の跡取りにしたい、ってお嬢さんの気持ちがようわかりましたワ」

「えっ!その話、まだ続いていたの?勘弁してよ」


        11

「さて、ボン、急な呼び出し、共同戦線という言葉からして、そっちの掴んでいる情報をこちらに提供してくれるんやろうな?」

 翌日、睦実から、

「刻屋のボンが共同戦線を敷きたいから、エイ時間に刻屋へ来てって」

 という伝言を受け、小政は一人刻屋の惣菜売り場から、はいってきたのだ。

 いつもの丸椅子に腰を降ろし、千代が冷たい麦茶のコップを並べたところで、小政の方から話を切り出したのだ。

「もちろんさ、小政さんと石さんの活躍を耳にしてね?こっちの情報と合わせたら、かなりの疑問が解決できそうながよ。そして、これからの作戦も練れそうやしね」

「ふうん、わたしと石が動いたことを知ってるのか?少年探偵団も優秀やね?」

 小政は例の走り書きをボンが手に入れて、そこから想像したものと思っていた。

「じゃあ、どっちから、話を始めるかな?ボンはなにが知りたいんや?」

「うん、『カンナ』って女の人のこと……」

 ブゥー、と飲みかけの麦茶を吹き出しそうになって、小政は慌てて口を押さえる。

「な、なんやって?なんで、ボンがその『カンナ』って名前を知っているんや?少年探偵団には、掴めんはずや」

「泰人さんの口から出た女性の名前。おそらく、美人画の中から飛び出してきた女に関係しているはずなんだけど……」

「おいおい、どこまで、事件の真相に迫っているんや?こっちが先行していると思っていたのに、まったく、後手に回っている。ボン、いつから、そんな優秀な探偵団を結成したんや?」

「ふふふ、小政さん、あなたの得意な『ハッタリをかます』ってやつじゃない。簡単に引っ掛かるなんて、小政の兄さんらしくないわね?」

「ええっ!ハッタリ?でも、カンナって名前を……」

「それは、睦実さんの手下ゆうか、石川家の十兵衛さんからの情報よ。小政さん、夕べ、大垣の伸一を石さん使うて、脅かしたらしいわね?その場に十兵衛さんが居って、小政さんのひとり言まで、訊いていたのよ。『カンナって、なにもんやろう?』って、言葉をね。それと、小政さんの狂言と同じことをこの子も考えていて、睦実さんを使って、大垣家に波紋を作ってみたのよ。ターゲットは政二郎のほうだったんだけどね……」

「そうか、石川家の忍びを使うたか、そりゃあ、石より上手ですよね?まいった、ほいたら、こっちから報告させてもらうワ。あんまり目新しい情報やないかもしれんけんど……」

 そういって、小政は髪の毛を掻きまわす。金田一耕助の真似をしていて、癖になったらしい。ただ、清潔な彼は、フケが飛んでこなかった。

「ボンも同じ考えやったそうやけど、石を例の美人画の女性に化かせて、大垣家の中で一番悪さをしそうな男、伸一をターゲットにしたら、今回の騒動の首謀者が何らかのアクションを起こす、と考えたわけや」

 そう前置きをして、小政は、大垣家の門から出てきた伸一を尾行し、帯屋町アーケードから『花園』というバーでの出来事を詳しく語ったのだ。

「なるほど、あのサングラスの男は、泰人だったことが確定できた。そして、彼が『カンナに、逢った』といったってことは、カンナさんとは女性の名前、しかも、それは、睦実さんが化けていた女性とそっくりなわけか?三段論法でいくと、美人画のモデルが『カンナ』という女性になるね」

「ああ、ボンがムッちゃんを使うて、政二郎と、泰人を首実検して、泰人が大慌てしたというんやったら、間違いない。少なくとも、泰人や伸一はそう思っている」

 小政とS氏の両方が、これまでの経過を語り終え、情報の共有ができた。そこから導き出される、回答をふたりで精査しているのである。

「もうひとり、『花園』という店のママ、瑠璃子という人も、カンナを知っているんやね?リリィという若い娘はどうかわからんけど……」

「いや、それより、その瑠璃子に泰人がいった言葉が気になるんや。『おまんやないやろうな?』と、電話で訊いていた。それは、瑠璃子がカンナに似ているのか?あるいは……」

「そう、陽子先生が帯屋町で見たという、美人画から飛び出した女性。それが、ママの瑠璃子だった、可能性があるよね?」

「店は、川村時計店から近いんでしょう?偶然、お店へ行くところとかで、出逢ったのかもしれんよ。着物姿って、水商売のママなら、普通だし、微笑んだっていうのは、陽子さんの思い過しかもしれんし、客商売だから、視線があったから、誰かれ、かまわず、愛想笑いしたかもしれんし……」

「まあ、陰謀なんてないとするなら、有り得んこともないけどね。母ちゃんは、肝心なことを忘れているよ。泰人も伸一も『カンナ』という女性が現れたことに驚愕したんだ。現れるはずがない、女性なんだよ、きっと……」

「そしたら、カンナって、この世にいない、死んでいるってこと?」

「いや、千代さん、確実に死んでいるとは限りませんよ。泰人が電話口で『ほいたら、ほんまもんか?』って、ゆうてましたき、本人が登場する可能性もあったがです」

「そうなんだ。だから、この近辺には、登場するはずのない女性が現れて、泰人と伸一は驚いた。けど、後ろめたいことがなければ、全く可能性がないわけじゃあない、カンナの登場に対して、あれほど、驚くわけがない。しかも、ふたりともが……」

「そうね、何かを企んでいて、その企みに、カンナという女性が絡んでいて、でも、本人じゃあない。それなら、瑠璃子ってことになるわよね?石さんや睦実さんとは別の『カンナ』によく似た女性なんだから……」

「そう、さすが、顔回、やない、老舗旅館の若女将……」

 息子の言葉に、千代の怖い視線が向けられる。

「あっ、それより、瑠璃子というママさん、今日、泰人に逢うんでしょう?『家に来てくれ』って、電話でいってたそうやき……」

 S氏は慌てて、話題を変える。

「ああ、おそらく、午後からやろうけど、念のため、石に見張らせている。もちろん、今日は男の格好や」

「へぇ、段取りがエイね?けど、こっちも、十兵衛さんが見張っているんだよ」

「ええっ?瑠璃子がくるなんて知らんはずやろう?」

「ああ、もちろん、偶然さ。大垣家の怪しい行動を見張ってもらっているんだ。政二郎さんの結婚を妨げようとしている、怪しい人物がいないかをね……」

「さてと、ボン、これからどうする?共同戦線を張るかえ?」

お互いの情報交換が終わって、小政がS氏に尋ねた。

「まあ、それもエイけんど、今までどおり、別行動をしようよ。但し、情報は共有できるように、二日にいっぺんは情報交換しようよ」

「うむぅ、ボンには、十兵衛さんという、強力な助っ人が居るからな、強気やな?」

「ふふ、十兵衛さんだけやないよ、才蔵さんゆう、若い忍びも手伝うてくれるんよ。もちろん、睦実さんもね……」

S氏が得意気にいう。

「それだけやないよ、マッちゃんにアラカン先生も……」

「いや、お寅さんと千代さんも居る……、こっちは、マコちゃんにべったりの石だけや……。亀さんや大政さんは探偵には向かんし……」

「そうや、マッちゃんを使うか!」

「マッちゃんを?マッちゃんの特技ゆうたら、テンゴウ噺を拡めるくらいやろう?散髪以外では……」

「うん、それ、それ、その噺を拡める特技を使うがよ。怪談噺をね……」

「なるほど、真実ではない、怪しい噂噺なら、いっつもしゃべりゅうき、違和感はないか?でも、それをどの程度でどの範囲にするか、難しいね?」

「ああ、けんど、有名な画家が描いた美人が、絵から飛び出して、黄昏時から、真夜中を徘徊している、くらいやったら、もともと、マッちゃんが持ってきた噺をちょっと変えただけやろう?」

「なるほど、石やムッちゃんを使った我々の波紋を、マッちゃんの噂で、より真実味を増やそうってことか?大垣家辺りに伝われば、陰謀を企む人間には確実に届くな。ボン、さすが、『ルパンの生まれ替わり』や、わたしより、策士になってきたやいか……」

「はあ、これ以上、策士にはならんといて欲しいワ……」

と、ふたりの会話を黙って訊いていた、千代がため息をつく。

「それより、話を訊きもって、マッちゃんのくれた、関係者の一覧表を見てたら、三つの世代に分かれちゅうね?子供ふたりは除いてやけど……」

「まあ、見合いの相手同士の関係ですからね、本人たちと、その親世代が近いのは、ふつうですよ」

「けんど、他人まで同世代よ。門田校長は泰蔵さんの後輩で、伸蔵と同い年。陽子さんのお父さんも同い年。これが、第一世代。その下の三十歳と二十八歳に、秘書の間竜平が陽子さんのお兄さんと、大垣家の息子たちと一緒に入っている。その下の二十六歳には、陽子さん、家政婦の久美子、秘書の菊枝の女性陣。さくらさんだけが蚊帳の外ね」

「確かに、門田校長はわかるけど、秘書や家政婦まで同世代とは……、でも、偶然ですよ」

「調べておくか……?」

「えっ?ボン、何を……?」

「それぞれの世代の人間が過去にも、繋がりがあったかどうか?そしたら、『カンナ』って女性のことも出てくるかもしれんろう?」

「確かに、他人で繋がりがわかっちゅうがは、泰蔵と門田校長だけやからな」

「けど、その『カンナ』って女性はどの世代なの?あの美人画のモデルとしたら、親の世代でしょう?けど、驚いたのは、その息子世代。五十過ぎか、三十前後か?」

「十兵衛さんが、美人画の写真を撮ってきているんだ。もうすぐ、現像できるんだけど、十兵衛さんがいうには、床の間にかかっていたのは、本物で、巻かれて、しまってあったのは、模写だったようだって。十兵衛さん、骨董には詳しいから、間違いないと思う。つまり、見合いの時に飾られていたのは、模写だったってこと。僕はその、模写をした人物が誰なのか?が気になるんだ。カンナなのか、陽子先生のお母さんがモデルなのか?その模写をした人間が知っているはずだから……」

「その模写をした──画学生かしら?──は大垣家と関係あるのかな?本物があって、模写もあるってことは、知り合いの可能性もあるよね?」

「さすが、千代さん、眼のつけどころが違いますね?そしたら、関係者の過去の繋がりを調べる中に、画家の卵がいないかも調査の対象にしましょう」

「けど、そんな調査、我々でできる?」

「できるとしても、ヒマがかかるね……」

「知り合いの興信所に依頼しましょうか?」

「お金がかかるわよ!」

「そしたら、勇さんに頼みますか?」

「あっ、そうだ!勇さんより、頼りになる人が居るやいか……」

「誰よ?勇さんより、頼りにならん人のほうが少ないと思うけど……」

「バーバリーの鬼警部さん、杉下さんだよ」

「マル暴の?そりゃあ、勇さんに比べたら、格段の差があるけど、事件でもないのに、調べてもらえるかな?」

「大丈夫、杉下さん、井口の探偵団には世話になっちゅう、って、ゆうてくれてるし、母ちゃんの大ファンやき、母ちゃんが頼めば、大喜びだよ。若女将と話ができるってね……」

「はぁ、わたしの色気を使うのか……」

「まあ、頼んでみましょう。杉下さんなら、間違いなしですし、かなりの情報が期待できますよ。それにしても、偶然って、あるんですね?」

「なに、偶然って?」

「いえ、ボンの新しい友達、旭少年探偵団のふたり、杉下君と山田君でしょう?マル暴の杉下警部と、本丁筋の交番の山田巡査、警察関係者と同性なんですね?」

「杉下さんとヤマちゃん?歳が違い過ぎるね。杉下君は全然、警部には似ていないけど、山田君は……ヤマちゃんに……、似ているかも……」

「ヤマちゃん、独身よ!」

「甥ごさんの可能性はありますね?探偵団を作るなんて、警察関係者が身近にいるのかもしれませんよ」

「そっちも調査してみるか……」


12

「ボン、これ、例の掛け軸の美人画の写真です」

そういって、数枚の写真をテーブルに並べたのは、黒い着流し姿の、時代劇俳優『進藤英太郎』似の男だった。

時刻は、午後八時過ぎ、いつもの刻屋のテーブル席。十兵衛が今日の報告に訪れたのだ。

写真は二つの掛け軸の全体像と、顔の部分のアップ、落款など、鑑定しやすい配慮がなされている。

「これだと、こっちが本物で、こっちは贋物、ってよくわかるね」

「ええ、でも、贋物にしてもある程度の技量がある人間ですよ。筆の運びに迷いがない。特に、顔はまったく、別人なのですが、贋物のほうがわたしは好きですね。この部分は模写ではなく、モデルを見て描いたように思われます」

「贋物の顔は、微笑んでいる。視線も画家のほうを見ているね?恋人を見ているように……」

「つまり、この贋物が、見合いの時に飾られていて、陽子さんが最初に見た時は、口許と眼の部分に何か細工がされていたのね?」

「多分、時間が経つと、消える絵の具でね」

        ※

「石、ご苦労様やったな」

こちらは、顔役さんの離れの一室。小政が使っている部屋である。

大垣家の様子を探っていた、悟郎が帰ってきたのだ。

「兄ィのいったとおり、昼過ぎに、女が泰蔵家の門をくぐりました。黒い帽子にサングラス、服も地味なピンク系のブラウスに薄いブルーグレーの足元までのフリルスカート。歳はその時はわかりませんでしたが、天井へ忍び込んで聴いた声からすると、泰人と同世代のように思えました」

石川悟郎も子供の頃、修行をさせられたようだ。掏りの早業と、忍びの基本は身についている。

「女の名前は『瑠璃子』と泰人が呼んでいましたから、『花園』のママで間違いないでしょう」

        ※

「悟郎さんが天井にいましたので、わたしは、泰人たちがいる、隣の部屋から、襖を少し開けて、覗いていました。屋敷は広いし、泰人のほかには、誰もいません。夫人のさくらも昼前に出かけました。おそらく、泰人が人払いして、瑠璃子と密会したかったのでしょう。おかげで、こっちは大胆な行動がとれました。『とれました』といえば、瑠璃子の写真も撮りましたので、明日にでもお届けします」

十兵衛が、泰人と瑠璃子の密会の目撃情報をボンと千代に話している。悟郎の報告より、眼と耳の情報なので、こちらを採用する。

十兵衛は、泰人が『瑠璃子』と呼んだ女性の正体はこの時点では知らない。だが、泰人との密会が終わったあと、瑠璃子と呼ばれた女性を尾行し、『花園』まで入っていったのだ。客として、酒を飲み、持っていた、カメラをリリィに渡し、ママとのツーショットなどと、はしゃいで、何枚もの写真を撮った。もちろん、リリィの写真も……

「すごいね!十兵衛さん、興信所の探偵ができるよ。しかも、凄腕の……」

十兵衛の行動力と、情報収集力に感動すら覚える、ボンだった。

泰人と瑠璃子の密会である。

まず、泰人がさくら──自分の妻──の浮気現場を捉えるために、さくらを尾行して、大橋通りの喫茶店に行き、弟の政二郎と逢っているところを目撃したこと。さくらを追いかけて、浮気の現場を見たぞ、と告げようと、レジにいったら、浴衣姿の若い女が、背中に触れながら、レジの前から、出ていった。ドアの取っ手を握って、振り向いて、にっこり笑った。そう、瑠璃子に話したのだった。

「その女がカンナに似ていたのね?」

と、瑠璃子が確認する。泰人が無言で頷く。

「わたしとどっちが似ていたのよ?どうせ、贋物に決まっているわ」

「まあ、そうやな。生きてたら、あんなに若こうはないし、幽霊にしては、はっきりしていたし、足もあった……」

「それで、あんた、幽霊かと思うて、あともつけんかったの?」

「いや、すぐに追いかけたんやが、帯屋町公園辺りで消え失せたんや……」

「生身の人間が煙のように消えるもんかね。どうせ、びっくりして、財布でも落として、追いかけるのに手間どったがやろう?」

と、瑠璃子にズバリ当てられた。

「けど、その女、何のために、カンナに化けたんや?ヤスさん、脅かして、何の得になるがやろう?」

「わかった!」

「ええっ!あんたのその頭で、何がわかったの?」

「その頭っちなんぜよ?まあ、訊きや!ワシがさくらのあとを追いかけようとした時に現れたがぜよ。そいたら、さくらのあとをつけさせんように、さくらが頼んで準備しちょったがよ。浮気の現行犯にならんように、顔はサングラスと帽子で隠しちょったき、その場を逃れたら、シラを切る気やったがよ」

「ふうん、ヤスさんにしたら、上出来な推理やね?けど、さくらさんがカンナを知っているわけはないわよね?」

「なあに、さくらはカンナは知らんが、掛け軸の絵は見ちゅう。あの絵の美人が飛び出したら、ワシが驚くと思ってやったがよ。うん、間違いない。カンナのことは、一部の人間しか知らんことやし、もう、昔のことやし……」

と、泰人はひとり納得している。彼は従弟の伸一が昨夜、カンナらしい女性に微笑みかけられたことを知らされてなかったのだ。

「まあ、ヤスさんがそれでいいなら、わたしはどうでもいいけど……。わたしが演じたカンナのほうは、成功だったの?政二郎さんの結婚話は壊れそうなの?」

「ああ、もうひと押しやな」

「そう、じゃあ、わたしはこれで、お店の準備があるし……、また、お店によってね、カンナに化ける用でもいいから……」

そういって、瑠璃子は帰っていった。

「悟郎さんは、瑠璃子を尾行するより、泰人の行動を見張るつもりのようでした。わたしは、表で才蔵に逢い、大垣家の見張りを引き継いで、瑠璃子のあとをつけて行きました。才蔵から連絡がないところをみると、大垣家では、日常と変わったことは起きてないのでしょう」

と、十兵衛の報告が完了した。

「すごい成果だよ。まず、陽子先生が川村時計店の前で逢った女性は瑠璃子で、目的は政二郎と陽子先生の結婚話を阻止する目的だったこと。依頼したのが、泰人だとわかった。それと、あの模写のほうのモデルはカンナらしい。歳は泰人たちより、上の世代。生死は不明だが、幽霊になる可能性があるなら、亡くなっている可能性があるってことだね。もう少し細かく分析すると、さくらはカンナを知らない。泰人、伸一、瑠璃子は知っている。政二郎は知っていても、あまり関心がないようだ」

「でも、カンナが現れたら、結婚話が阻止できるなら、政二郎さんもカンナに何か触れたくない点があるがやない?泰人が政二郎の結婚を阻止して、何を企んでいるのかも、まだ謎よね?」

「母ちゃん、鋭い、けど、泰人がカンナを見せようとしたターゲットは政二郎じゃあなくて、陽子先生だよ。絵の細工と同調しているはずだからね。結婚阻止は、いくつか理由が考えられるけど、まあどれにしても、泰人の自己中心的な目的だろうね。もし、大垣家の存続に関わっているのなら、話は別だけどね」

「大垣家の存続?どこから、そんな大層な話になるのよ?」

「カンナが死んでいるかもしれない、そして、幽霊になって、大垣家のまわりに現れる可能性があるなら、カンナは大垣家に恨みを持っている。それの原因がいつの出来事かはわからないけど、泰人と伸一は知っている……」

「それほど、昔のことではないが、最近のことでもない、ってことですね……」

「行方の定かではない関係者?ふたりいるわね」

「えっ!千代姐さん、そんな関係者、いましたか?」

「ふたりとも、伸蔵の関係者よ。離婚した伸一の母親。もうひとりは愛人で、娘の園の母親……」

「確かに、マッちゃんの関係者の一覧表は現在の家族と関係者ですからね」

「杉下さんに頼む、過去の関係者の繋がりに、そのふたりを含め、陽子先生のお母さんの暢子さんも含めるか……」

「陽子さんのお母さんも?お亡くなりになっているのよ?」

「でも、カンナと顔が似ているし、過去の出来事が暢子さんの生前の事件かもしれない……」


13

「若女将、大垣県議のまわりを調べて、どうするつもりぜよ?野党の候補がスキャンダルでも、探してくれ、ってゆうてきたがかよ?いや、井口の探偵団は、そんなケチ臭い話には乗らん。謎めいた、人助けやないと、動かんはずや……」

電話の向こうで杉下警部が、千代の依頼を訊いたあと、疑問をなげかけたのだ。

「野党の候補?県議選はしばらくないでしょう?」

「いや、大垣県議は次の国政選挙に出る準備をしているんや。与党の現職が引退するそうや」

「国会議員に立候補するのね?でも、スキャンダルなんて、あるんですか?」

「若女将、ここからは、ワシと若女将だけの内緒の話にしてよ。ワシが担当している、黒い組織と繋がりがある」

「ええっ!暴力団と?」

「まあ、本人が直接関係を持っているわけやない。繋がりがあるのは、伸蔵のほうや。若女将も知っちゅうろう?◯◯組の幹部で、この前捕まった、虎乃介ゆう男」

「ええ、あの、要塞のような屋敷に住んでて、人身売買を企んでいた奴でしょう?」

「そうや。本名は安治やけど、変名を使こうている。その変名の姓のほうが大垣なんや」

「それって、偶然ですか?」

「いや、これは、ワシの捜査の過程で訊いたことで、裏付けは取れてないが、虎乃介が酒の席で、チラッとゆうたことやそうや。大垣虎乃介ちゅう名は、大垣製紙の社長さんがつけてくれたもんよ、と、自慢気に話したと……。若女将、大垣の昔のことをひとつ、先に教えちゃろう。泰蔵は県議に三回通っているが、その前の県議選では、伸蔵が出て、落選している。その辺りから、虎乃介らぁとの繋がりが始まってるようやな。若女将とボンが何を企んじゅうか知らんが、まあ、ワシの仕事の範囲と重なる部分もあるってことよ。二、三日で調べちょいちゃらぁよ」

そういって、杉下警部は電話を切ったのだ。

「マッちゃんの怪談噺は、けっこう拡まって、いるみたいよ」

睦実が、みっちゃんのいれてくれた、麦茶を一口飲んで、話を切り出した。

「大垣家の近所の公園で、わたしが例の浴衣の美人に化けて立ってたら、『わあっ!出た!』って、驚いて逃げ出す人が、もう、六人。なかには、警察に通報して、巡査が飛んできたりして。幽霊騒ぎになっているみたい……」

マッちゃんが、美人画の女性が絵から飛び出し、黄昏時から徘徊している、との噂をばらまいて三日。睦実はその噂を現実に見せるため、浴衣姿で徘徊しているのだ。怪しまれる前に姿を消すから──才蔵が手伝って──よけい、幽霊説が浸透しているようなのだ。

「ボン、何を眺めているの?」

S氏はテーブルの上に何枚もの写真を並べて、それを動かし、並べ替えているのだ。

「うん、この写真、十兵衛さんに頼んで、集めたものなんだ。関係者ほぼ全員の顔が、複数枚ずつあるんだけどね」

「顔を眺めて、謎が解けるの?」

「十兵衛さんって、変装の名人でしょう?けど、耳の型を変えるのが、一番難しいって。それでね、血縁関係を考えるなら、眼、鼻、口より、耳の特徴を見たほうがいいって教えてくれた。特に女性は、顔は化粧でかなり変えられるけど、耳は難しいって……」

「ふうん、まあ、わたしも変装はするけど、耳はしないわね。髪の毛で隠すようにするわね。血縁関係か……、十兵衛、自分のこと、いっているのかな?」

「自分のこと?それ、どうゆう意味?」

「十兵衛はわたしの父親の又従弟なのよ。つまり、わたしの祖母の従妹が十兵衛のお母さん。だけど、それは戸籍上のこと。我が石川家では、十兵衛は父の双子の弟だと、いわれているのよ。あの、進藤英太郎似の顔は、石川家の当主、つまり、わたしの父親の顔なのよ。もちろん、本人は否定している。あの顔も変装によるもの。自分は当主の影武者だと……」

「あの顔も変装?」

「じゃあないよね?特に耳の型まで、わたしの父にそっくりよ。ほら、前にいったけど、我が家は八人兄弟のうち、三組が双子なのよ。次女と三女。わたしと悟郎。下のふたりも双子……。双子じゃないのは、長女と四女だけ……。これは偶然ではなくて、排卵誘発剤で、双子を作っているのよ。父の時もそうした可能性がある。けど、当主の立場になる男の子だったから、跡継ぎで揉めないように、里子に出した、それが十兵衛……」

「じゃあ、十兵衛さんは、睦実さんの伯父さんってことか?全然、似てないね……」

「そうね、運良く、美人の母親に似たからね……」

睦実は冗談っぽく、ウィンクをして、そういったのだ。

「あっ!でも、耳は似ている……?」

「気がついたか……?ところで、写真を並べ替えて、誰と誰を比べているの?特に女性を比べているようだけど……?」

睦実がテーブルの上の写真に話題を戻す。

「最初は陽子先生のお母さんと『花園』のママの瑠璃子。暢子さんが、この美人画のモデルに似ていて、瑠璃子がそれに化けたなら、ふたりに共通点があるのかな?と思ったんだけど……」

「共通点はないの?」

「暢子さんの写真は一枚。訪問着姿で、澄まし顔。しかも、二十年前の写真。瑠璃子は濃い化粧をしている。確かに、雰囲気は似ているね。どちらも和服姿で、髪型もアップにしているし……、ただ、そっくりではないね。他人の空似程度かな?」

「美人画と比べたら?」

テーブルには、美人画の顔の部分のアップもある。

「この美人画は、写実的ではないからね。モデルその人というより……、あっ!でも、耳の型が、やっぱり、暢子さんにそっくりだ。福耳の耳たぶの型が……」


14

「兄ィ、大垣家で、ちょっとした動きがありましたぜ」

山長商会の事務所、小政は書類に目をとおしている。社長の長吾郎から、その息子で、今は専務の肩書きを持っている、亀次郎の新しい事業計画の提案を吟味してくれ、と頼まれたのだ。サラリーマンの彼は、探偵より、仕事が優先なのだ。

「おう、石か、大垣家で動き?何があった?」

「この二、三日、大垣家の近所で、妙な噂が拡まっていましてね。美人画から、女が飛び出して、黄昏時から、真夜中辺り、その辺りを徘徊するっていうんです」

「ああ、それは、ボンがマッちゃんを使って、拡めた噂やな」

「それが、噂だけやのうて、実際、見たという、人間が数人……、巡査まで駆けつける始末で……。その中で、正体を暴いてやろうという、猛者がいて、捕まえようとしたら、パッと消えちまったそうですよ」

「石、その幽霊役の正体がわからんがか?」

「えっ?兄ィにはわかるがですか?」

「美人画から飛び出した女、おまえやないなら、ムッちゃんしかおらんろうが?」

「あいつが、そんなことを……?確かに、化けることはできますが、パッと消えるのは、あいつには無理ですよ」

「才蔵君か、十兵衛さんに手伝うてもろうて、樹木の上へ登ったがやろうな」

「才蔵や十兵衛まで使うているんですか?」

「まあ、刻屋のボンの差し金やろうな?十兵衛さん、ボンに惚れ込んだらしいぜ。おまんが石川家の跡を継がんがやったら、ボンを養子に貰うて、継がす計画や。まあ、無理な相談やな。お寅さんが許すわけがない。もちろん、千代さんもや……」

「ボンを……、まあ、オレよりは立派に務まりそうですね?兄ィはどうです?睦実の婿になってくれたら、ありがたいんですけど……。まあ、兄ィは理想が高いから、睦実では無理か……?」

「おい、おい、自分の後釜にわたしを推薦するなよ。それに、理想が高いっていうても、ムッちゃんなら、理想の範囲内やろう?あんな美人は、そう居らんよ」

「でも、千代姐さんに比べると、薔薇と月見草ですよ……」

「オホン!それより、話の続きや。大垣家で動きがあった話に戻ろうぜ」

「ええ、実は今日の昼前ですが、今日は休日なので、ほとんどの家族が午前中は家に居ったがです。高校生の園さん以外は……。そこにやってきたのが、門田ゆう、校長先生……」

「ああ、政二郎の見合いの仲人やからな、進捗状況が芳しくないき、話にきたがやろう?」

「ええ、泰蔵と応接間で最初に話した話題はそれでした」

「最初の話題?それじゃあ、ほかに重要な話があって、校長はきた、ゆうがかよ?」

「ええ、そこの、応接間にかかっている美人画について、つまり、最近の怪談噺についてですよ」

「床の間にかかっている美人画は、どっちや?模写か?本物か?」

「本物です。あの見合いの日以外は、模写は仕舞われたままですから……」

「それで?校長がその怪談噺になんてゆうたんや?」

「それが、確かに、『わたしが描いたこの絵の模写の美人が、飛び出して、夜な夜な、この辺りを徘徊しゆう、って本当ですか?』って、ゆうたがです。校長先生が……」

「十兵衛さん、それ、確かなこと?」

刻屋のいつものテーブル席で、十兵衛がいつもより早い報告に訪れて、門田校長の言葉をボンに伝えたのだ。

十兵衛は無言で頷く。十兵衛の報告に嘘や、憶測がないことは充分理解しているのだが、確かめずにはいられなかった。

「門田校長が、あの模写の作者……。だとしたら、二宮先生のお母さんの暢子さんと門田校長は、画家とモデル……、いや、それ以上の関係が……」

「十兵衛、それで、泰蔵と門田校長はその怪談噺について、何か話し合ったの?」

十兵衛の横に座っていた、睦実が報告の続きを促した。

「泰蔵が『ワシも昨夜知った。まだ、なんとも言えんが、ワシの国政への挑戦を妨害しようとしている輩の仕業かもしれん。信頼できるもんに調査を頼んだき、二、三日待ちよってくれ』と門田にいいました」

「なるほど、そっちに取ったか……、いろいろ、敵とか、思い当たることが多いと、大変やね?こっちは助かるけど……」

「それで、校長は?納得したの?」

「ええ、なるべく早ように、結果を訊かせてくれ、ゆうて帰りました」

「ボン、どうする?今夜も、幽霊を登場させる?泰蔵の信頼できるもんが、張り込みしていると思うよ」

「危険やな。その信頼できるもんが、杉下さんの担当している輩のようだから……」

「ええっ!暴力団?」

「弟の伸蔵が◯◯組と繋がっているらしい。警察には頼めんし、私立探偵や興信所では、頼りにならんろう?」

「はは、井口の探偵団の噂、訊いてたら、今日にでも、依頼にきてるやろうな?」

「◯◯組のチンピラが二、三人やったら、わたしと才蔵が居れば、問題ないですよ。泰蔵がどんな手を打ったか、確かめるのも、面白いのではないですか?睦実お嬢さんも幽霊役より、杖を使いたいようですから、幽霊役は悟郎さんに頼みましょう」

「十兵衛!おまえも軍師になれるワ!」

「おい、おい、兄ちゃんたち、邪魔や、バイクで遊ぶんやったら、他所でやってくれ。筆山か桂浜辺りで……」

そこは、小高坂山の東、大垣家にも近い、ちょっとした公園風に整地され、樹木の植えられている、道路に面した場所。時刻は夜中の十時過ぎ。街路灯はあるが、民家の灯りは、ほとんどなく、もちろん、通行する人間はいない。

そんな、砂利道のような道路を爆音を響かせて、三台のバイクがやってきて、公園の前に停まった。すると、街路灯の陰から、派手なアロハシャツを着た、狸のような『ずんぐりむっくり』という表現がこれ程ぴったりする人間はいない、と思う、若い男が現れて、バイクを停めた、少年の一団に声をかけたのだ。

「おんちゃん、ここは天下の往来や!この公園も、市が管理している土地や!オレらぁが、バイクで遊びにきて、何が悪い?」

先頭のバイクの後部シートに乗っていた、ノーヘルの少年が、ほかの少年より、一歩前に出て、狸似の男に文句をいう。

「兄ちゃんらぁ、ここは、ワシらぁが、今夜は大事な取り込み中の場所ながよ。騒ぎが起きて、怪我でもされたら、親御さんに申し訳ないろうと思うて、親切にいいゆうがやき、おとなしゅう、Uターンしいや」

公園の樹木の陰から、四人のガタイに威圧感がある男たちが現れて、その一人がサングラスを外しながら、少年たちに忠告した。サングラスの下の目尻から、右の頬には、刃物によると思われる、古い傷跡が浮かんでいる。最初の狸以外は、一目で、その職業?がわかる輩であった。

「ほう、ヤーさんがこんな公の場所で何するがぜ?ヤクの取引でもするがか?それやったら、ここは場所が悪い。警察が眼をつけちゅうところや。お巡りさんが、夜中に巡回しているぜ。何せ、幽霊が出るゆうて、近所から通報があった場所やき……」

相手がヤクザとわかっても、全然、動じる様子もない。

「あの、バイクの子らは、何者でしょうね?ヤクザ相手に、エライ強気ですが……?」

そういったのは、公園近くの二階建ての民家の屋根瓦の上にたたずみ、公園を眺めている、四人の黒い衣装の人物の中で、一番若い男だ。

「あのバイクの派手なところを見ると、今流行りの暴走族やな」

女性の巻き髪のカツラをかぶっている男が、それに答えた。

彼らは、石川家の一族。女性の巻き髪姿は悟郎。一番若い男は才蔵。十兵衛は無言で、公園の状況を注視している。睦実は右手に握った黒い杖を上下に振って、感触を確かめている。

四人は、日が暮れてから、公園近くに到着したのだが、思いの外、野次馬が多かった。幽霊を登場させる機会を探っていたが、なかなか機会がなかった。お巡りさんが定期的に巡回してくる。そして、ヤーさんと一目でわかる輩が現れ、野次馬たちを威圧感を持って、追い払った。その後も、野次馬が来たりして、やっと計画どおりに悟郎の登場、と思ったところに、バイクの集団が現れたのだ。

「あっ!狸のような男が、バイクを蹴りましたよ。ヘルメットの一人が、それを突飛ばした!」

才蔵が実況中継を始める。

ふたつの集団が、戦闘体勢を取った。

バイクの集団は、それぞれのバイクのエンジンをかけ、逃げると見せて、反転してきた。ヘッドライトをアップにして、ヤクザ集団の顔を照らす。まわりの闇の中、その光は逆光線となり、バイクの運転手とその後ろに乗っている少年の姿を隠した。

最初の一台が、ヤクザ集団に突っ込む。ヤクザの塊が、それを避けるため、散らばってしまった。

二台目が、体勢を崩した、ガタイのいい男の側を通過する。その後部シートに乗っていた少年が手にしていた、鉄パイプで、通過する勢いと共に、男の顔辺りに一撃を加えた。男はグワッと鈍い音を発して、路上に吹っ飛ばされた。

三台目の後部シートの少年の手には、スパナが握られていて、もう一人の男がその攻撃の犠牲になった。

先頭のバイクがUターンしてきて、三人目は、木刀の餌食になったが、タダでは倒れず、手にしていた木刀を振り回し、運転手に一撃を当て、バイクを横転させることに成功した。

ヤクザで無傷なのは、頬に傷のある、おそらく、集団の統率者であろう男ひとり。最初に突飛ばされた、狸は、倒れた際に後頭部を打って、戦闘不能状態だった。

暴走族のほうは、一台、バイクが転倒したが、運転手は軽い打撲程度。あとの五人は無傷で、手には、スパナや鉄パイプを持っている。

頬傷の男は、闘争に慣れているのだろう、咄嗟に危険を察知して、路上から、公園内の木陰に身を隠したのだ。その男に、二台のバイクのライトが向けられた。

「坊やらぁ、なかなか、やるやないか?バイクを使うた、闘い方を知っちゅうにゃあ!けんど、立ち木に囲まれた、道もないところでは、そうは、イカンろう?それと、ヤクザを舐めたらイカンぜよ。ヤクザを怒らしたら、命の保証はないと思いよ。こうゆうもんを、ヤクザは持っちゅうがぜよ……」

男は腰の背中側に右手を回し、黒光りする拳銃を取り出すと、その銃口をバイクに向けた。

バイクのヘッドライトが、一斉に消えた。ヤクザが拳銃の引き金にかけた人差し指に力をいれかけた時、彼の背後に、数個のライトが点り、

「そこまでや、矢島!素人相手にピストルとは、武闘派の名が廃るぞ」

ふたつのライトの間から、ドスの効いた声をかけられた。矢島と呼ばれたヤクザは声のほうに振り向く。

同時に、バイクのヘッドライトがつき、エンジン音が響き渡った。

「暴走族のお兄ちゃんがたよ、道はパトカーでふさがれちゅうぞ。白バイも居るき、逃げられん。まあ、未成年やし、喧嘩相手がヤクザやき、説教くらいで帰して貰えるろうき、おとなしゅうしちょき」

公園のまわりはいつの間にか、警察関係者でいっぱいだった。

「杉下警部、早いご到着ですね?我々の出番、失くなりましたね?」

と、才蔵が睦実に囁くようにいった。

「ボンの差し金や、わたしの楽しみ、どうしてくれるんや……!」


15

「ごめん、ごめん、睦実さんの活躍、きっと終わっている頃やと思って、その時間を指定したがやけんど、まさか、暴走族まで登場するとは、僕の想定外やったがよ」

翌朝、睦実が昨夜の成果と苦情を刻屋のテーブルでボンに報告している。睦実がヤクザ相手に杖術を披露するつもりだったのに、ヤクザと闘ったのは、暴走族の少年たちだったのだ。

「あの暴走族はなんであの公園に来て、ヤクザと闘うことになったのかしら?」

「僕の想像では、彼らは園さんの関係者だと思う」

「園さん、って、大垣家の伸蔵の娘?愛人に産ませた、という……。高校生よね?確か、女子高だったでしょう?暴走族に知り合いが居るの?」

「そう、女子高生だけど、不良仲間に入っていて、暴走族に彼氏か、ボーイフレンドがいるそうだから……。ただ、彼らが幽霊騒ぎを知ったのは、園さんを通じてだろうけれど、ああして、鉄パイプまで持参してきたのは、誰の差し金だろう?」

「じゃあ、暴力団だけやのうて、暴走族までが幽霊騒ぎに関与しているの?」

「暴力団は、泰蔵さんから伸蔵さんを通じて幽霊の正体とその目的を調べるように、と依頼があったんだろうけど、暴走族のほうは、誰かの依頼か、あるいは、暇をもて余した奴らの退屈しのぎなのかもしれないね」

「息子の泰人か伸一が絡んでいることはないかしら?」

「ない、とはいえんけど、歳の離れた異母兄妹のボーイフレンドには頼まんろう?」

「でも、ほかに幽霊の正体を突き止めたい人間はいないでしょう?」

「うん、大垣家では、ね」

「大垣家以外なら、居るの?」

「まず、『花園』のママ。門田校長もあり得る。そして、僕らぁが知らん、この事件の本当の黒幕という人物かもしれん……」

「それ、『ルパンの生まれ替わり』の直感ね……?」

「若女将、居るかえ?」

開けっぱなしの玄関から、レイバンのサングラスの男が遠慮なしに入ってくる。

「おや、県警の鬼警部さんやないですか?昨夜は暴力団と暴走族が暴れたそうで、逮捕した連中の取り調べで、今日は来られんかと思っていましたのに……」

「おう、ボン、居ったがか?若女将から、昨夜連絡をもろうて、小高坂山の公園で、十時半ばあに、騒ぎがある。ワシの担当や、ゆうから、県警と高知署の猛者を集めて、駆けつけたら、まあ、少人数のヤクザと不良のもめ事よ。しかし、どうやって、騒ぎが起きると、わかったがな?暴力団の情報やったら、ワシのところが一番のはずやし、おまけに、暴走族の動きまで、把握しちゅうとは、『おそれ入谷の鬼子母神』や」

「井口探偵団の実力がわかりましたか?」

「ああ、充分わかった。けんど、ワシが逮捕した連中の取り調べで忙しいと、どうしてわかるがな?暴力団や暴走族を逮捕したことまでは知らんはずや。新聞にも出てないし……?」

「それより、その忙しい杉下警部が、わざわざ、お出でたわけを教えてもらえますか?そこまでは、ルパンの生まれ替わりでもわかりませんから……」

「やっぱり、ルパンの直感か?ボン、さかもっちゃんより、刑事にむいちゅうぞ。いや、刑事の仕事はきついし、給料は安い。休みも緊急事が起きたら、オジャンよ。頭のエイ、ボンはほかの仕事のほうがエイかもしれん……」

鬼警部も刑事の仕事に不満があるようだ。

「暴走族の取り調べは、少年課がしゆう。まあ、マル暴の刑事がひとり、立ち会うちゅうけんど……。◯◯組は三人が病院行きで取り調べはできんし、下っ端の達郎ゆう男は、ワシが出るほどでもないき、矢島ゆう幹部を取り調べしたがよ。矢島ゆうのは、こないだの玉水町の擬装心中事件で、殺人容疑で捕まった男の弟で、武闘派のひとりやけど、なかなか、シワイ奴で、黙秘したり、記憶にないとか、知りませんとか、埒が明かん。取り調べの旨い、吉田ゆう刑事に任せて、ワシは若女将に頼まれちょった調べもんの報告にきたがよ」

狸のようなアロハシャツの男が達郎。ピストルを取り出した、頬傷のある男が矢島。あとの三人は暴走族の攻撃で、重傷のようだ。進まぬ取り調べより、千代の顔が見たくて、早々に県警本部をあとにして、刻屋にやってきた、鬼警部だった。

「若女将は?居らんがか?」

「杉下さんもくるやったら、ゆうてくれんと!母は祖母と出かけましたよ。親戚の法事があって、帰りは午後になるとゆうてました。杉下さんがくるとわかっちょったら、祖母だけでもよかったがですけど……、母も杉下さんからの報告を楽しみに、いや、報告より、会ってお話するのを楽しみにしていましたのに……」

「そ、そうか?若女将はワシと話すんが楽しい、てか?」

ボンのいったことは半分は大嘘だ。親戚の法事のことは本当だが、千代が楽しみにしているのは、報告=情報だけだった。どうやら、小政の影響だけでなく、マッちゃんの影響も多分に受け始めている。

「若女将が居らんのは残念やが、若女将に代わらんばあ綺麗な睦実さんが居るき、ワシも話がいがある。ボン、若女将には、ボンから宜しうゆうといてよ。取り調べを放っちょって、持ってきた情報やき。しかも、集めた情報は、ワシもビックリすることやったがぜよ……」

鬼警部の報告は、確かに驚くものだった。マッちゃんが調べた、最初の二宮家や大垣家の関係者一覧表は何だったのか?というほどのものだった。

「イカン、あまりに情報が多過ぎて、どれが今回の事件に関係しているのか、整理がつかん。睦実さん!小政さん、十兵衛さん、呼んできて!作戦会議を始める、ゆうて……、僕の手に負えん……」

鬼警部が報告を話し終えて、退散したあと、ボンは頭を抱える状況になり、睦実にそう依頼したのだ。

確かに、情報の中には、大人の、しかも、子供には訊かせれない範囲の男女の関係や行為が含まれており、睦実でさえ、赤面する場面があったのだ。ボンと睦実では、対応しかねる話だった。

十兵衛か才蔵は常に、睦実の護衛のため、近くにいる。ふたりとも、使命がある場面では、別の忍びがいるようだ。特殊な呼子を吹いて、連絡を取る。小政は仕事で事務所にいると、長吾郎の屋敷へ電話すると、お多可さんが教えてくれた。

全員が揃ったのは、半時間後だった。

「ボン、杉下さんから、どんな情報が得られたんや?」

テーブルにつくなり、小政がさっそく、話を切り出した。

「まずは、親世代の関係やけど、門田校長と泰蔵さんが学生時代の先輩、後輩なのは知ってたよね?ところが、門田校長と伸蔵さん、おまけに陽子先生のお父さんの孝太郎さんが学生時代の同窓生で、いつもつるんでいたんやって……」

「ほう、年齢が近いと思うたら、同窓生か?」

「その、学生時代に、陽子先生のお母さんの暢子さんも関わってくるがやけんど、それは、置いといて、子供の世代も驚くことに、同窓生だらけ……。陽子先生のお兄さんの耕策さんと伸一さん、政二郎さんと秘書の竜平さんが旧制中学校の同窓生ながやと。そればかりか、女性陣、陽子先生と秘書の菊枝、家政婦の久美子は女学校が同じ……。全ての世代で、過去から関係があったもんの集団ながよ。それと、『花園』という、バーのママさん、瑠璃子も陽子先生と同じ女学校卒らしい、ということやった。ここは、確定ではないそうや。店の届けの責任者氏名と同姓同名が女学校の名簿にあるということらしい」

「関係者が縦横に深い関係があったがや。それが今回の見合いと怪談に結びつくがやろうか?」

「みんなが関係者になったから、動機が何かが、範囲が広すぎて、絞りきれん」

「カンナらしい、人物は登場してこんのか?」

「それを説明するよ。ここからは、大人の問題やき、睦実さんに代わる……」

そういって、ボンは睦実に視線を移し、頷きあった。

「かなり、恥ずかしい話になるし、微妙な表現をするところもあるから、そこは、察してよ」

そう前置きして、睦実は鬼警部からの報告を話し始めた。

「親世代が学生時代やから、三十年以上前のことになる……」


16

大垣泰蔵を大将に、一学年下の門田、二宮、大垣伸蔵は、いつも行動をともにする、悪友だった。その男たちのマドンナが、ふたつ年下の女子学校に通う、松下暢子という美少女だった。四人とも暢子に惚れていたが、誰も彼女の心を射止めるまでには至らなかった。その中で、画家を目指していた、門田が、一歩リードしたかのように、暢子をモデルとして、画像に残すことに成功した。

最終学年の秋のことである。先に卒業した泰蔵が面白い祭りがあるから、みんなで行こうと、門田たちと、暢子の女友達ひとりを含む六人で、田舎の秋祭りに出かけたのだ。

秋の豊年祭である、その地の神祭は、深夜、男はひょっとこ、女はおかめの面を被り、神社の境内の篝火の前で、踊り、唄う。若い男女は、事前に申し合わせて、踊りの輪から抜け出し、神社の裏辺りで、秘め事=大人の行為=を繰り広げるのだ。

暢子とその友達はそんなことは知らず、踊りや歌の輪に加わった。時が過ぎるとともに、酒が入り、お面をつけているため、暢子は、友達を見失った。

不安気に辺りを見回していると、肩を叩かれた。ひょっとこ面の若い浴衣姿の男。その浴衣の模様に見覚えがあった。連れの男性たちの着ていた浴衣の模様だったのだ。

男は無言で、首を動かし、向こうへ行こうと合図する。時々、男女が祭りの輪から抜けるのを、不思議に思っていた暢子は、別の場所で、若者が集まっているのか?と思い、男の後をついていったのだ。

本殿奥の別の神を祭る社殿の脇で、暢子は後ろから、急に抱きつかれ、お面をずらされ、鼻から口までを白いハンカチでふさがれた。そのハンカチは甘酸っぱい香りがして、暢子は気を失ったのだ……。

「暢子さんが気がついた時は、全裸で、着ていた浴衣がかけられたんですって……」

「つまり、何者かが、クロロホルムの染み込んだハンカチで暢子さんを眠らして、イタズラに及んだってことやな?」

睦実の話の途中、小政が、確認するかのように、言葉を選んでそういった。

「そう、場所はその社殿の中。気づいた時、何人かの、ひょっとこのお面を見たそうよ。それで、また気を失って、その次、眼が醒めたのは、その日宿泊する予定の大垣家の親戚の離れだったそうなの」

「暢子さんは、複数の男にイタズラされたってわけか?で、その犯人が泰蔵たちだったのか?」

「それがわからないのよ。泰蔵たちだった可能性は大。でも、着ていた浴衣は、その土地の浴衣屋さんが染めたものやから、ほかにも着ていた男はいたのよ。だから、ほかの集団が、暢子さんを狙ったんじゃなく、たまたま、ひとりになっていた女性を狙った犯行かもしれないのよ」

「その事件のことを杉下さんはどうやって調べたんや?レイプ事件として、記録に残っていたがやろうか?」

「それはご主人の二宮孝太郎さんから訊いたのよ。あの強面で、暢子さんの過去の出来事を詳しく話してもらえますか?って、直接、尋問するように詰め寄ったみたいよ」

「じゃあ、ご主人はその事件を知っていたんだ……」

「その事件より、そのあとの顛末が、驚きなのよ。ここが、今回の騒動に関わってくる、第一の要素なのよ」

「ええっ!レイプ事件より、驚くことなのかい?」

「それに、第一の要素ということは、第二、第三の要素があるってことですね?」

と、無口なはずの男が口を開いた。

「うん、あとで話すけど、息子たちにも、事件があるのよ。けど、先に、暢子さんの身に起きたことから進めるね……」

暢子のレイプ事件は公にはならなかった。祭の中の出来事。毎年ではないが、時々、人違いのカップルが、行為のあとで判明したり、相手のいないはずの女性が、後日、妊娠したりするのだった。この場合は、神さまからの授かり物として、誰かの嫁になって、子を産むことになっている。

暢子にも、その『神さまからの授かり物』がお腹の中に宿っていたのだ。

さて、神ではない、誰かわからないがレイプした男の子供である。普通なら、中絶するところだが、暢子はあまり、丈夫な身体ではない。中絶により、二度と、子を産めない身体になる可能性もあった。そこで、彼女をマドンナとして憧れていた、四人の男が、婿に立候補した。

「その婿の選び方が、くじ引きだったのよ。当たったのが、二宮孝太郎だったってことよ」

「じゃあ、耕策君がそのレイプされて生まれた子供なんだね?」

「小政さん、そう思う?ホームズの生まれ替わりが泣くわよ」

「ええっ!違うってゆうんか?」

「歳、考えて。耕策は伸一や政二郎と同い年。上に泰人が居るんよ……」

「でも、泰人は耕策の兄じゃあないから問題ないだろう……?」

「暢子の婿候補は四人。つまり、泰蔵も入っていた。耕策君がレイプによって生まれた子供なら、泰蔵は泰人という子持ちで、婿になろうとしたことになる。泰人の母親は政二郎の母親と同じ……。つまり、耕策君が生まれる、二年前には、泰蔵には奥さんがいたってことよ。だから、レイプされて生まれた子供は、泰人より少なくとも、同い年以上でないといけないのよ……」

「じゃあ、その子は生まれてこなかったのか?」

「だったら、話は簡単なんだけどね……」

「ええっ!生まれたのか?」

「そう、女の子だったのよ。でも、泰蔵の提案で、生まれた子はすぐに里子に出すことになっていたのよ。子供を産む理由は、中絶によって、二度と子供が産めない身体にならないため。子供が欲しかったわけではなかった。だから、暢子も未練はなかったと思う」

「その女の子が『カンナ』なのか?あの絵のモデルは暢子さん。その顔にそっくりな女性がカンナなら、生まれてきた女の子が暢子にそっくりなのは、頷けるし……」

「さあ、まだ、確定的ではないけど、その女の子がカンナではないと思う。その理由が今から話す、息子の世代の事件に関わってくるのよ。カンナの年齢が、現在、生きているとしたら、どうも三十歳にならないくらい。つまり、息子たちの世代の人間か、その少し下、陽子さんと同じくらいまでと思われるのよ。だから、カンナは暢子の娘ではなく、親族か、あるいは、よく似た他人ではないか?と、ボンは思っているのよ……」

「その、息子たちの世代の事件っていうのも、警察のお世話にはならなかった事件なんだね?誰も捕まった者はいないようだから……」

「そう、息子たちも、親と同じような事件に関わったのよ。学生時代、戦後間もない、混乱の時代。性に対しても、風紀とか、道徳心とか、貞操感もない時代。娼婦も素人も区別がつかなかった時代よ。泰人、伸一と耕策、竜平の四人は酔った勢いで、夜の巷を徘徊し、その娼婦か素人かわからない女性と関係を持ったの。どうも、未成年のようだった、カンナと名乗ったその女はその日だけじゃなく、その後も関係を続けさせられた。最初にレイプのような行為の写真をネタに脅かされて、関係を断ち切れなかったのね。相当イヤラシことをされたようよ。ここは話せない部分。想像に任せるわ」

「それは誰からの情報だい?」

「もちろん、二宮孝太郎さんを脅した、同じ調子で、耕策さんから訊いた話よ。あの強面で、睨まれたら、過去の時効になったことは素直に白状してしまうわよ……」

「なるほど、情報が集まるわけだ。勇さんには、到底できない技だね」

「カンナと名乗った女性はしばらくして、行方知れずになったの。当時、足摺岬で自殺が流行っていたから、自殺したんじゃないかって、四人で噂していたそうよ」

「カンナの家族とかは?」

「それが、謎の女なのよ。ある食堂で住み込みで働いていたんだけど、身元は不明のまま。カンナが本名なのかも怪しいってことよ……」

「親が親なら、息子も息子か?それで?この情報から今回の騒動の黒幕を導き出そうってわけか?」

「小政さん、まだ、第三の要素があるのよ」

「まだ、情報があるのか?杉下さんの捜査には、限界がないのか?ボンが整理するのに困るのもわかるワ」

「警察って、様々な情報から、事件に関係のある部分をより出して、犯人突き止めるんやって、現場の大変さが、ようわかったワ」

「ああ、ボンのいうとおりやな。わたしらぁは、机上の推理やからな……。いや、それより、第三の要素の話を訊かせてよ」

「うん、第一は親世代、第二は息子世代、だから、第三の要素は、女性陣についての情報よ」

「なるほど、そっちがあったか……」

「ただし、女性陣の情報は、確定的ではない部分が、たくさんあるんだって……。だから、鵜呑みにせず、間違った情報かもしれないと、頭の片隅に残して、推理するように、って、現職刑事さんからのアドバイスよ」

「わかった。そのつもりで、拝聴するよ」

「まずは、『花園』のママの瑠璃子。店の責任者として、登録されている氏名は『戸梶瑠美』ルミのルの字が、ルリのルの字と同じね。その名前が、陽子さんが卒業した、女子高の卒業名簿にある。本人かどうかは、わからないそうよ。卒業写真の顔と今の顔が、似ているようで似ていない、ってところらしい……。その、戸梶瑠美の戸籍だけど、養女らしくて、しかも、実の両親は空白。だから、過去は遡れない」

「つまり、本名以外は謎の女のまま、ってことやな?」

「そうね、彼女については、追跡調査するとのことだから、次の女性は家政婦の久美子。こちらは、身元は確かのようね。大垣家の親戚の娘さんとのことよ。泰人とは、不倫関係だけど、本人は恋愛感情はなく、小遣い稼ぎに、お相手しているみたいだって……」

「そんな情報はどうやって仕入れるんや?」

「近所に、詮索好きなマダムたちがいるそうよ。人の口には戸は立てられない、酒屋さんの御用聞きからも、訊いてるらしいわよ」

「マッちゃんと同じ手か……」

「次は、大垣製紙の社長秘書の広岡菊枝。大垣製紙の女工上がりね。器量がよくて、勤務態度も良好。伸蔵社長の眼にとまり、秘書に抜擢。こちらも、遠い親戚筋の娘らしいよ。縁故採用ってやつかな?」

「菊枝の男関係は、今回の騒動に影響しているのかね?社長の愛人から、その息子と、議員秘書へと、鞍替えしているんだろう?」

「マッちゃんの情報は、どうも作られた、一種のデマ、贋情報の帰来があるのよ。社長の愛人というのは、たぶん嘘ね。伸一と竜平とは、菊枝に気があって、三角関係の状態。肉体関係は、誰ともない、っていうのが、杉下さんの見解よ」

「男たちは、同窓生で、カンナに関わっている。政二郎はわからないが……。女性陣はどうなんだ?学校が同じだけで、友人関係とか、私生活での付き合いはないのかね?」

「うん、杉下さんも、女性に対しては、威圧的な捜査はできないのか、情報不足ね。女性陣の中に、カンナか、暢子の産んだ娘とつながりのある人物がいるのかは、まだ不明ね。それと、伸蔵の別れた奥さんと愛人については、名前しかわかっていない。伸一の母は雅子、愛人は千春ということだけが、わかっていることよ。こちらも、追加調査するって……」

「まあ、いっぺんに何もかもがわかるわけがない。事件でもないことなのに、短時間でこれだけの情報が集まるなんて、杉下さんのおかげや。あとは我々が精査して、今回の騒動の黒幕とか、そいつの目的を見つけることやな……」、

「今回の騒動は、泰人が、政二郎さんのお見合いを妨げるのが目的なのでしょう?黒幕なんて、いるの?」

「泰人が瑠璃子に頼んで、あの絵の美人が飛び出すという、怪奇現象を陽子先生に見せつけた。本人の弁では、弟の見合いを壊すのが目的だそうだ。見合いを壊して、どうなるのか?あるいは、次にどうするのかは不明……」

「泰人の最終目的としたら、何が考えられるの?」

「泰人と伸一が、あの日、すぐ連絡して落ち会うたよね?としたら、ふたりは共犯関係にある。だから、瑠璃子に依頼したのは泰人だけど、なんらかの利益を得るのは、伸一の方かもしれないね?伸一は会社の次期社長の席を狙っている。最大のライバルは、仕事をしない泰人ではなく、一流私大出の政二郎のほうなんだ。同い年だが、伸一はこのままでは勝てないと思っているはず。ライバルの足をひっぱりたい。そこで、見合いをぶち壊す。兄嫁との不倫をでっちあげる。陽子先生と結婚することになると、政二郎さんの勝利が確定するんだろうね。泰蔵さんは、結婚イコール次期社長の確定を考えているようだからね」

「しかし、見合いを壊すのに、変な怪談を作るかな?」

「そうなんだ。だから、誰かにこういう手がある、とそそのかされた。その誰かさんは別の目的があって、泰人を利用した。その陰謀は今も進行中……」

「ボン、ムッちゃんを使った幽霊騒ぎが、暴力団と暴走族の喧嘩になって、その黒幕とやらを炙り出すまでには至らなかったのやろう?どうする?今夜も続けるのか?」

「少し、やり過ぎたかな?野次馬が集まり過ぎるから、一旦中止。女性陣のほうの調査をしよう。まずは、瑠璃子の素性と過去。それと、やっぱり気になるのが、里子に出された暢子の娘とカンナと名乗った女性に関係性があるのか?そして、行方のわからない、伸蔵の元妻と元愛人がどうしているのか?杉下さんには、無理をいえんき、勇さんを使うか……」

「ボン、身元調査やったら、わたしに任せてください。杉下警部ほどにはできませんが、興信所以上のことはできますよ。石川の忍びは情報収集はお手の物ですから……」

そういったのは、普段は無口な黒装束の十兵衛だった。

「戸籍類の調査は、弁護士資格を持っている者がおります。警察官も……。噂を集めるなら、おばちゃんになれる者、怪しまれないように、子供に化ける男もおります」

「ふふ、十兵衛、石川忍軍を総動員する気か?戦時中以来やな……」

「まさか、伊賀忍者の末裔たちなんですか?」

と、小政が尋ねる。

「いや、伊賀忍者の末裔というのは、看板というか、宣伝文句でね。元々は、軍の諜報機関に繋がりを持って、軍事探偵なんかをしていたんです」

「小政さん、十兵衛さんたちの諜報活動、楽しみやない?そしたら、調べて欲しいこと、箇条書きにして、明日には渡すワ。女性陣の中に、亡くなった、泰蔵さんの奥さん、『花園』のリリィという女性。もうひとり、暢子さんと一緒に彼女がレイプされたお祭りに行った友達のことも……」

「暢子さんの友達?それが今回の騒動に関係がありそうなんか?」

「わからないけど、その女性も、性的な被害者になっていたかもしれんろう?」

「確かに、危険な祭りやからな……。ボン、それも『ルパンの生まれ替わりの直感』ってやつか……?」


17

「井口の探偵団に紹介してくれやと?」

翌日、十兵衛たちに調査を頼んで、小政が会社=山長商会=の事務所に顔を出すと、応接室の薄いドア越しに、社長の長吾郎の大きな声が聞こえてきたのだ。

「応接室、どなたがお越しです?」

と、事務員の中年男性に小政が尋ねた。

「大垣ゆう、県議さんらしい。ワシは政治は詳しくないき、知らん顔の人やけど……」

「大垣泰蔵か?社長と親しいとは、訊いたことないなあ、何の用やろう?仕事のことでは、なさそうやな……」

「最初は、うちが請け合うた、公共事業のことかと思うたが、お付きもおらん。どうも、個人的な願い事のようや……」

事務員の言葉に軽く頷いて、小政は応接室のドアに忍びよる。

「おあいにくさまやな、井口の探偵団は庶民の、困っちゅう人の頼みは訊くが、黒い輩と仲のエイ、威張りまくるお偉いさんの依頼は門前払いや。親しい、黒い輩にでも頼みや!」

珍しく、普段は温厚な長吾郎が、客に対して、声高に啖呵を切った。

「いや、長吾郎さん、あんたが、その連中を嫌うちゅうがは、よう知っちゅう。ワシも本当のところは嫌いな人種やが、商売をしゆうと、どういても、しがらみができるがよ。ワシはあいつらぁとは、距離をとっちゅう。伸蔵にも、きつくゆうきに、今回は、頼みを訊いとおせ……」

「あんたのその言は良し。じゃが、探偵団なぞ、そもそも存在せん。噂の類いぜよ。まあ、親しい若い刑事が居って、その子の手柄になるなら、と、協力したことはある。そのことが尾鰭がついて、『井口探偵団』なぞという噂が拡まったがやろう。今はもう解散しちゅう。あんたの頼みには応えられん。皆、仕事持ちやき……」

長吾郎は探偵団の現状をそう説明した。

「そうかぁ、井口の探偵団が最後の頼みやったのに……、◯◯組は役立たずやったし……」

「役立たず、か?そんなもんとは、キッパリと縁を切るこっちゃ。探偵はできんが、仕事のことやったら、少しはワシにも協力できることもあるろうき、また遊びにきいや……」

「ああ、そうするワ、突然押しかけて、スマンかったのう。このことは内密に……頼むぜよ」

そういって、客が立ち上がる気配がしたので、小政はドアから離れ、事務員の側に戻った。

ドアが開き、ソフト帽を被りかけながら、大垣泰蔵が落胆した顔で現れた。

(ムッちゃんの予言が、一日遅れで当たったってことか……?)

「井口の探偵団の本部がある、刻屋旅館はここですかな?」

そういって、玄関口に足を踏み入れたのは、シルバーグレーの夏用のスーツに、カラフルなネクタイを絞めた中年男性だった。背は低いが、がっしりとした体型。夏仕様の中折れ帽も似合っていて、若い頃はさぞかし、モテただろう、と思わせる男前だ。

いつもなら、玄関口か、すぐ傍の惣菜売場のテーブル辺りには、千代かみっちゃんがいるのだが、たまたま、テーブルに座っていたのは、火曜日なのに臨時休業にした、散髪屋のマッちゃんだった。

千代とお寅さんは、火曜市に買い物に出かけ、みっちゃんは洗濯ものを干しに二階の物干し場にいっている。ボンと睦実がそれを手伝っていて、たまたま、通りがかった、マッちゃんに留守番を頼んだところだったのだ。

千代だったら、「探偵団は解散しています」と、断るところだが、この男『探偵団の一員』を自称しているばかりか、今日も探偵の仕事をしようと、臨時休業の張り紙を店に出してきたのだった。

「へい、確かに、ここが『井口探偵団』の本部、刻屋旅館ですぜ。事件のご依頼ですかえ?まずは、お名前をお伺いしてぇんですがね?」

と、探偵団の受付になってしまった。

「おう、そうじゃった。わたしはこうゆうもんです。それと、これは、お近づきの印に……」

そういって、男は名刺と一緒に手土産を差し出した。近所の和菓子屋の包装紙。水羊羹のセットのようだった。

「あら、マッちゃん、お客さん?」

と、そこへ二階から睦実が下りてくる。

「おう、あなたが、有名な『顔回の生まれ替わり』という、美人の若女将さんですな?噂どおり、美人で見た目は二十歳代、確か、千代さん。山内一豊の妻、賢夫人で名高い、千代女と同じだと伺っておりますよ……」

男は笑みを浮かべ、睦実を千代と勘違いして、そういった。

「残念ながら、あなたの推理は外れましたよ、門田校長先生……」

そういったのは、睦実の背中に隠れるように階段を下りてきた少年だった。

「き、君は……?」

と、男が驚く。

「まあ、そこへお座りください。冷たい麦茶を用意しますから、みっちゃん、お願いするね」

玄関口の土間にサンダルを履いて降り立ち、彼に続いて階段を下りてきたみっちゃんに、お茶を頼んで、再び、笑顔の視線を驚いたままの校長に向けたのだ。

「どうして、名刺も見ないうちに、わたしが門田だとわかったのですか?そうか、君が『ルパンの生まれ替わり』といわれいる、刻屋のボンなんだね?」

椅子に座るなり、校長が質問をした。

「はい、刻屋の孫です。千代の長男といったほうがわかりやすいでしょうか?それより、探偵団を訪ねて来られたようですが、探偵団はもう解散しています。ただし、親しい方がお困りの場合は人助けとして、ボランティア活動をすることはあります。そういう前提でお話をお伺いします。つまり、ご依頼をお請けできない場合があるという前提です」

「君は、本当に小学生なのか?子供の格好をした、大学生じゃあないよね?それと、この女性は?千代さんではないそうだが?女中さんには……、見えないが……」

「最初の質問の答えです。間違いなく、附属小学校の生徒です。こういう喋り方は環境の所為だと、理解してください。特殊な家族と周りのメンバーの影響です。第二の質問の答えです。この女性も男性も探偵団のメンバーです。特に女性スタッフは、我が探偵団の捜査活動のエースですし、男性スタッフもそれなりの能力の持ち主、主要メンバーのひとりです。ですから、ここでのお話については、他言無用を徹底しております。もちろん、警察に聴かれたくない、過去の過ちも、ここだけの話にしておきます。それでは、ご依頼の内容をどうぞ……」

ボンの説明に唖然としながらも、門田校長は気を取り直し、麦茶をグッと半分ほど飲んで、依頼したい事柄を話し始めた。

「なるほど、校長先生が若い頃に模写をなさった『鏑木清方』の美人画の女性が、絵から飛び出して、徘徊している。幽霊だと噂になって、何人かの目撃者がいて、騒動になっている。本当の幽霊とは、思えないから、誰かの仕業。その誰かさんと、その人の目的を知りたい、そういうご依頼ですね?」

「そういうことです」

「その絵は県議の大垣泰蔵氏の自宅にある。模写をした、本物も大垣家にあるのですね?」

知っていることも、ここでは知らぬ振りで確認する。校長は無言で頷く。

「模写は顔まで本物そっくりなのですか?それなら、幽霊というより、絵の中の妖精か妖怪だと思うのですが、鏑木清方の絵のモデルが誰かなんて、そう知られてないでしょう?そんな人が、幽霊として、現れたとわかるなんて、どう考えても、理論が破綻していますよ」

「ええ、本物のモデルと模写のモデルは別人です。わたしの知人をモデルにして、顔の部分は変えてあるものです。何枚か模写した一枚だけ、その知人の女性の顔なのです」

「その知人の女性はどなたですか?また、そのかたが、幽霊になってもおかしくない、お亡くなりかたをされたのでしょうか?」

「亡くなっておりますが、成仏されているはずですよ。この世に未練などないと思いますが……名前は二宮暢子。旧姓は松下です」

「モデルになっていただいた、その暢子さんとあなたとのご関係は?単なる知人でよろしいのですか?」

「いえ、その、男女の関係までは至りませんが、恋人と呼べる仲でした」

「では、もう一度確認します。あなたの描かれた絵の女性が、この世に出てきた、鏑木清方の本物のほうではなく、ということですか?」

「いえ、現れた女性の顔をはっきり見た者は、ほとんどいません。着ていた着物の柄と古風な髪型が同じだったようです」

「おかしいですね?最近、幽霊を見た人たちは、鏑木清方の絵もあなたが描いた絵も見たことのない人たち。絵から飛び出した女性だと、わかるはずがありませんよね?噂の順序が逆のような気がするのですが……?」

「おっしゃるとおりです。先に絵から女性が出た、と噂が流れ、そのあとで、幽霊の目撃情報が流れだしたのです」

「ならば、最初に絵から女性が飛び出したところを見た人がいるはずですよね?その人は絵の存在を知っているかた。つまり、あなたか、大垣家の関係者ですよね?心当たりはありませんか?」

「心当たりは……、ありません」

「江戸時代の怪奇現象を集めた文書に、美人画の女性に惚れて、ずっと愛でて、話かけていたら、絵から女性が出てきた、という怪談があるのですが、誰か、その絵、あるいは、そのモデルのかたに、異常な情念を抱いた人はいませんか?その人が、現実の世界によく似た女性を探しだした。それを『絵から飛び出してきた』ことにしているのではないでしょうか?その女性に何らかの問題があって、身分が明かせないとしたら、そういった怪談を創るかもしれませんね?」

「なるほど、いや、異常にその絵に関心のある男には、心当たりがありませんが、そういった問題なら、出てきそうですね。さすが、噂どおりの名探偵だ。わたしの話だけで、謎の一部がわかりましたね」

「そう、怪談噺を始めた人物については、範囲が絞れそうですね。もう少し、絞り込むために、モデルとなった暢子さんのことをお話し願えますか?おそらく彼女の過去の出来事が、今回の怪談噺の大元だと思いますよ」

例の祭りのレイプ事件を門田校長は話してくれるのか?それによって、彼の今回の騒動への関わり度を判定したいのだ。

「彼女の身に起きた出来事といえば、思い当たることがあります。わたしが学生時代、彼女も女学生だった、大正から昭和へと、時代が変わる頃のことですが‥‥」

門田校長は、泰蔵に誘われた、田舎の祭りの出来事から、暢子のレイプ事件、妊娠、くじ引きによる、婿選び、そして、出産、里子に出した一連の事件をとつとつと語った。

「なるほど、それは大変な出来事ですね?もう少し、その出来事について、質問してよろしいですか?まず、その産まれた女の子の行方はわかっているのですか?里親は誰なのか、ご存知ですか?」

「いえ、実は暢子さんの婿選びに外れたわたしは、故郷を離れて、絵の勉強に没頭していました。女の子が産まれたことも、ずいぶんのちに訊いたことです。里親については、秘密にされました。ただ、つなぎ役の人間は泰蔵さんだけは知っているはずです」

「その子の名前は?名前もつけずに里子に出したのでしょうか?」

「暢子さんは、『しのぶ』と名付けたといっていましたが、里親がその名前を継承したかは、わかりません……」

「しのぶさん、我々はそう呼ぶことにしましょう。もうひとつお尋ねします。そのお祭りに、暢子さんの友人も参加しているようですが、その人の名前、その後の行方について、ご存知ありませんか?」

「そ、その友人が、な、なんぞ、問題があるがですか……?」

明らかに、動揺したことがわかった。それまで、標準語をしゃべっていたのが、土佐訛りになったのだ。

「一緒に祭りにいって、はぐれしまったそうですね?暢子さんがイタズラされたのなら、その友人も、イタズラされた可能性が……、あるのではないでしょうか……?」


18

「ふうん、門田校長は、直接こっちにきたがか?県議のほうは、うちの社長に紹介してもらおうとしたがやけどね」

その日の夕刻、仕事を済ませた小政が、刻屋のテーブルに座って、ボンたちと話している。

「それで?暢子の友人のことを校長はなにかしゃべってたんか?」

「ああ、僕の予想どおり、彼女もイタズラされてた」

「ルパンの直感が当たったか……」

「それだけやないんよ!」

と、ボンの隣に座っている、睦実が興奮気味に語りだす。

「その友人はただの友人じゃあなくて、暢子の従妹、つまり、血縁者。顔、体型(かたち)もよく似ていて、お面を被ったら、見分けがつかなかったんだって……」

「つまり、暢子と間違える可能性があるってことやな?」

「実際に間違えたんだよ」

「ボン!間違えたって、誰が間違えて、何をしたんや?まさか……」

「そうなのよ。暢子さんが、友人とはぐれたのは、その子──名前は由紀子さん──が間違えられて、裏のほうへ連れていかれたからなのよ。そして……、イタズラされたのよ……」

「ちょっと待ってくれ!そんなこと、校長がなぜ知っているんや?暢子からあとから訊いたんやろうか?」

「ふふ、小政さんも、気づいたのね?ボンも気づいて、校長先生を追及したのよ。『それを知っているあなたは、当事者だったのですね?』と……」

「当事者だった……?つまり、暢子を犯した、いや、イタズラしたのも、やはり、泰蔵たち、四人組……」

「そう、ただ、本当かどうか、わからないけど、途中で、間違いに気づいて、校長先生は、由紀子さんとは、その……、行為はしていないって……」

「由紀子とはしていない、とゆうことは、暢子とは、した!ってことやな?『語るに落ちる』とは、このことや!」

小政が、憤慨した言葉を発した。

「それでね、まだ、続きがあるのよ。小政さんが憤慨しそうなことが……」

「まだあるんか?反吐が出そうや!」

「うん、マッちゃんもそうゆうてた。ボンには聴かせれん話やった、と……」

「千代さんやお寅さんが居らんでよかったな。校長、江ノ口川に放り込まれてたで、きっと……」

「うん、土佐訛りでゆうと『まっこと、そのとおりや!』でね、話を戻すけど、その由紀子さんも妊娠したがやと……」

睦実が、普段は使わない、土佐訛りでそういった。

「そんで、暢子さんと同じように、産ませて、里子に出したんか?犬コロや猫の子やないがぜ、人間や!」

「そこまでは、校長は知らないらしい。ただ、確信はないけど、と前置きして、いうには、由紀子さんは、泰蔵とその後も関係を持ち続けたようや。ただ、泰蔵は親の決めた相手が居って、妾としてらしい、ってことや」

「つまり、由紀子にイタズラしたのは、泰蔵。自分の種だとわかっていたんやな?」

「そこまでは確定していないけど、途中で間違いに気づいた、校長はしていないといっている。本当のようだから、順番としては泰蔵が一番目でしょうね。気づいたのが、二番目がする前なら、当然、泰蔵の種よね?」

「それで、校長の話は仕舞いかえ?もう、うんざりや。で、探偵団は校長の依頼を請けて、捜査しちゃることになったがか?」

「するわけないろう、遠い昔の話、ゆうても、犯罪者やでぇ!まあ、捜査はできませんが、何かあったら、アドバイスくらいならできますから、ってやんわり、お断りしたよ。今後、何か新たな情報提供をしてくれる可能性もあるからね……」

「策士やなぁ……」

「ボン、今までにわかったことを報告します」

その日の夜、十兵衛の定例の報告だ。ボンの他に、千代とお寅さん、睦実がいる。睦実は今、刻屋の客間に泊まっている。宿代を払うといった、睦実の申し出をお寅さんは、キッパリと断った。

「親戚の子がきて、世話するのと同じや!親戚の子から、お金なんぞ取るもんが居るかね?」

そういわれたので、睦実は洗濯などの手伝いをしている。

みっちゃんに、

「お客さんに、そんなことさせられません!女将さんに怒やされます!」

といわれたが、

「お客やない!親戚の子や!居候みたいなもんや!ただ飯、喰らうのが気が引ける。洗濯もんの手伝いくらいやったら、ハチキンさんも怒らんやろう?」

そういって、納得させた。みっちゃんは姉のような気さくな睦実と、本当の姉妹と変わらぬ接し方をしてもらっている。その日は、隣の銭湯へ一緒に行って、背中を流し合いした。

(ボンの傍に居ったら、あんな素敵なお姉さんができた。見なし子同然の、こんなわたしに……)

と、ひとりになった布団の中で、みっちゃんは涙を浮かべいた。

もう一人、十兵衛も刻屋の布団で眠ることになった。こちらは、朝早くから出かけ、夜に帰ってくる。朝食は質素で、雑穀米と味噌汁に漬物だ。その味噌汁を十兵衛は涙を浮かべて、美味しい、といってすすっていた。お寅さんの味噌汁は、めったに笑わず、涙など、身体に備わっていないような男を感動させたのだ。

夜の食事は、千代の亭主、幸雄と一緒になった。幸雄は晩酌に日本酒と鰹の刺身。十兵衛にも勧めたが、酒は飲まないらしい。生の刺身もダメだというので、表面を炙って、タタキにした。千代の差し出した鰹のタタキを十兵衛は、これまで、食べたことのない、絶品料理だと、絶賛したのだ。

「お肉は食べないの?」

と、千代が尋ねると、

主に、鳥を食べるという。鶏は食べるのね?と、確認すると、野鳥類だといった。ツグミやヒヨドリ、ヤマドリ、カモやスズメも食べる、という。動物も野性のウサギにタヌキ、シカにイノシン。つまり、自然界で狩りをして、食物を調達しているのだ。肉は燻製にし、干し肉にし、携帯食となっている。

「まるで、野武士ね?そうか、忍者だもんね?」

と、千代はひとり納得していた。

「まずは、『花園』のママです」

と、十兵衛が話を進める。

「戸梶瑠美に間違いありません。元クラスメート、複数人の証言です。それで、戸梶瑠美の戸籍を当たりました。ここで、問題がありました。同姓同名の生徒がいたんです。杉下さんがいってた生徒は、その別人でした。クラスメートが、同じ名前の子がおったけど、花園のママはこっちだ、と教えてくれたのです。そこで、戸籍ですが、それによると、父親がいない、私生児なのですが、不思議なことに、妹が二人いるのです。つまり、私生児が三人。これは、異常です。推測されることは、瑠美の母親は誰かのお妾さんだった。金は充分もらっていたが、認知はしてもらえなかった、と、思います」

「社会的地位の高い男ね?父親は……」

「その、母親の名前は?」

千代とボンが、ほぼ、同時に言葉を発した。

「名前は『由紀子』です」

「由紀子!」

「あんた、どうしたん?エライ興奮して……?」

ボンの声に驚いて、お寅さんがそういった。

「確定ではないけど、その由紀子という人は、陽子先生の母親、暢子の従妹。あのお祭りに一緒に行って、暢子同様、妊娠させられた女性。子供の父親は、大垣泰蔵。暢子がモデルの美人画に、瑠璃子が似ていて、当然だよ!」

「ええっ!じゃあ、瑠璃子は大垣泰蔵の妾の子?泰人や政二郎の異母兄弟よ!お姉さんか……」

「十兵衛さん、三姉妹、っていったよね?あとの二人の名前は?」

「果菜(かな)と菊枝です」

「果菜……、カンナに近いね?」

「それより、末の妹が菊枝?大垣製紙の社長秘書と同じ名前よね?」

「ボンも姐(あね)さんも、さすがですね。次女がカンナ、三女が広岡菊枝です。ただし、カンナのほうは、戦後すぐに、家を飛び出して独立していた。高知市内の食堂に住み込みで働いていたということを、三姉妹を知っている友人から、訊いただけですから、絶対とはいえませんが……」

「間違いないよ!なにせ、顔が、暢子さんにそっくりなんだから……」

「いや、ちょっと待ってよ!大変なことよ、それ……」

「千代さん、何が大変ぞね?大発見やろうがね?」

「お母さん!子供の前では、いわれんことですけど、勘弁してくださいね?泰人はそのカンナの異母兄妹ですよね?泰人は、カンナを犯している……?つまり、近親相姦になってしまいますよ……」


19

「ほほう、近親相姦か……?」

「いや、まだ、確定ではないのよ。由紀子の隠れた愛人が大垣泰蔵とは限らないし、カンナが果菜とも決まってないし、果菜が泰蔵の娘だとも、確定していないのよ」

翌朝、ボンと睦実は、山長商会の事務所に小政を訪ね、昨夜の十兵衛からの報告を知らせた。小政の言葉に、睦実が自らの考えを伝えたのだ。

「うん、確かに、決定ではないが、かなりの高確率な推測やな?誰かが、この人間関係を知ったら、ほぼ、そうゆう結論になる。そしたら……憎悪が生まれる……」

「犯罪の動機になるってことね?」

「そうや!と、したら、動機のある人間は?カンナ自身か、その身内。瑠美と菊枝の姉妹……。戸籍では、由紀子は生きているのか?生きていたら、由紀子も候補のひとりやな……」

「死亡の記載はないそうよ。でも、住民登録の住所には、住んでいない。行方は不明……」

「娘たちとも、一緒に暮らしてない、ってことか……?ボン、ボンの意見は?」

黙って、小政と睦実の会話を聴いているボンに、小政が発言を求めた。

「確かに、動機にはなるよね。でも、今回の騒動って、まだ全然、犯罪行為が発生していないよね?暴力団の組員と暴走族の喧嘩による、障害事件は別として……。あまりに、ゆっくり過ぎると思わんかえ?カンナにまつわる復讐劇としたらね……」

「確かに、政二郎と陽子さんのお見合いが止まっているだけやもんなぁ。我々の考えすぎかもしれないか……?」

「でも、こうも考えられる。誰かが、あの美人画に細工した。それを別の誰かが気づいて、また別の誰かに話した。つまり、何人もが、絵の眼と口許が動いたことを訊いたんだと思う。そのひとりが泰人で、それを利用して、政二郎さんのお見合いを壊そうと企んだ。それが、瑠璃子の化けた、カンナそっくりの絵から飛び出した美人の始まり……。それを我々が大きくしてしまったんだ。それで、カンナのことが再燃してしまった。瑠璃子は当然、泰人や伸一の動揺の意味を探っているはず……」

「そうか!瑠璃子も我々同様、確信ができていない……」

「それと、まだ、別のルートがあるかもしれないよ。絵が動いたことを知った人物は泰人ひとりじゃない。大垣家のスキャンダルもカンナの事件だけやない。動機の持ち主は他にもかなりいる、ってことだよ……」

「大垣家に恨みを持つ人間か?まだまだ、十兵衛さんの調査が必要やな……」

 といって、小政が腕を組んだ時、

「おや、珍しいなぁ、ボンが事務所にくるなんて、初めてやないか?睦実ちゃんが一緒ということは、また、探偵団でも復活したがか?」

そういって、事務所の小政たちに歩みよってきたのは、山長商会の社長、顔役さんこと、山本長吾郎だった。

「あっ、社長、亀さんの事業計画、精査できましたよ。少し、甘いところがありますが、眼のつけどころは、なかなか、エイところを突いています。全然、うちの事業と、かけ離れていないし、失敗しても、それほどの傷には、ならんと思います。成功したら、新たな発展につながります」

 小政は会社員としての立場に戻って、そういった。

「つまり、軍師としては、進軍やな?よし、小政、おまんに任せよう。亀とよう話をして、軍資金は大政にいいや。けんど、探偵団のほうが、優先か?」

「大丈夫ですよ。探偵団は、睦実さんと十兵衛さんたちの助っ人がありますから……」

「ほほう、ボンの頭脳と石川軍団の行動力で充分というわけか?いったい、どんな事件ながや?また、勇さん絡みの殺人事件か?」

「社長、事件が起きたのではないんです。その前兆のような、怪しい出来事が起きているんです。それが、社長 もご存知の二宮陽子先生のお見合いに絡んでいるんです」

「二宮の陽子ちゃんがお見合い?相手は?」

「県議の大垣泰蔵の次男で政二郎という男です」

「大垣の息子?出来損ないの長男や、甥の伸一ではないだけマシやが、ワシの娘やったら、絶対、結婚は許さんな。大垣の家は、マトモな夫婦は居らんぞ!」

「マトモな夫婦?ああ、奥さんは死別と離婚。長男夫婦も離婚寸前の状況ですからね」

「ほう、そこまで調べちゅうがか?けんど、それが全てではないぞ。大垣泰蔵と伸蔵の兄弟の破廉恥さは、知る人ぞ知る、やからな」

「ハレンチさ?どうゆうことです?」

「あっ、いや、ボンに聴かせる話やない。それより、その怪しい前兆とは?」

長吾郎は話を反らした。

ボンは、簡潔に、美人画にまつわる出来事を長吾郎に説明する。

「なるほど、それで、泰蔵がワシに井口の探偵団を紹介してくれ、と、頼みにきたがか……?」

「我々が投げかけて、作った波紋が、どうも大きく、且つ、複雑に拡がったようなんです。大垣家の人間関係が複雑でしかも、スキャンダルだらけですから、本筋が見えんのです」

「そうよな、事件が起きるとしたら、複雑な親子関係が絡んでくるな……。ボン、一つヒントをやろう。生き証人に逢うことやな、泰蔵と伸蔵の過去の家庭生活を知る人間に……」

「ボン、何を見ているの?また、写真?」

山長商会から帰ってきたボンが、刻屋のいつものテーブルに紙片を拡げ始める。それを見て、睦実が尋ねたのだ。

「うん、十兵衛さんが留守の間に新しい写真を届けてくれたらしい。みっちゃんが預かってくれてた。それに、顔役さんのヒント、生き証人って、誰のことやろう?と思って、前の写真も拡げているんよ」

「新しい写真?誰が写っているの?」

と、睦実がボンの肩口から、テーブルの上に置かれた紙片を覗き込む。

「あっ!睦実さん、すごくいい匂い。それ、香水の匂い?」

「あら、ボンにはわかったか?香水なんて、忍びはしちゃあいけない、って、親父にいわれてきたのよね。結婚するまで、匂いの強い化粧は禁止。ひどいでしょう?土佐にきたら、解放される気分になる。千代姐さんが、昨日、銭湯へ一緒に行った時、これ使ってみて、ってくれたのよ。それで、初めて、うなじにつけてみたんだ。でも、小政さん、気づかなかった……」

「ああ、そうか……、小政さん、気づいていたんだよ。いつもより、鼻が動いていたもの。でも、あの人、モテるくせに、女性にはシャイなんだ。特に、好きな女性にはね……」

「ぼ、ボン、大人をからかわないでよ。小政さんが好きなのは、千代姐さんでしょう?わたしなんて、対象外よ……。それより、写真よ!誰の写真?」

「僕は、睦実さんが大好きさ。だから、兄貴分の小政さんも睦実さんが大好きなはずだよ。僕たち、そうゆうところは似ているんだ……」

「ありがとう、ボン。わたしもボンが一番好きよ。歳の差が、もう少し近かったら、押し掛け女房になってやるんだけど……、お寅さんに、江ノ口川に放り込まれるだろうね?」

「さてと、十兵衛さんからの写真は、この家族の集合写真と、晴れ着を着た赤ちゃんを抱いている女性の写真なんだ」

と、ボンが話題を変える。睦実は、ボンの横の丸椅子に腰を降ろす。

「家族の集合写真は、大垣家ほぼ全員の写真。おそらく、泰蔵の結婚式の時だね。泰蔵の隣に文金高島田の女性がいるから……。もう一枚、集合写真があって、こっちは、県議、初当選の時の写真。バンザイしている人がいる」

「この、赤ちゃんを抱いている女性は?」

「結婚式の写真に写っている、花嫁さん。泰蔵の亡くなった奥さん。裏に、藤子(ふじこ)と政二郎、って書いてある」

「ああ、じゃあ、こっちの紋付き袴の男性と、花嫁さんは、伸蔵の夫婦ね?」

男女ふたり、立ち姿の男性と、椅子に座った文金高島田の女性の記念写真を指差して、睦実がいった。

「裏には、伸蔵、雅子(まさこ)と書いてある」

「どこから集めたの?こんな古い、個人的な写真……?」

「当然、大垣家のアルバムからさ。才蔵さんが、石川五右衛門になったんだろう?」

「ふうん、才蔵がね……。でも、やっぱり兄弟ね、泰蔵と伸蔵。奥さんの好みが似てるんや。ふたりの女性、そっくりやね?」

「好み?いや、少なくとも、泰蔵のほうは恋愛結婚じゃあないよ。親が決めた相手だって、門田校長がいってただろう?」

「そうや!でも、そっくりよ、奥さん同士。化粧の所為やない、眼、鼻、口許、ほら、耳たぶの形も……」

「うん、これは血縁関係があるね。姉妹かもしれないよ。それより、この、選挙の当選時の写真……」

「うん?その写真がどうしたの?」

「泰蔵の隣に写っている女性、藤子ではないよね?」

「うん、同じくらいの歳だけど、藤子さんではないわね」

「この位置で写真に収まるのは、普通、夫婦だよね?支援者が当選者の隣に座るとしても、この位置は奥さんの場所だよね?」

「藤子さん、この時、亡くなっていたんじゃないの?」

「そうかもしれない。だとしたら、この女性は?まさか、これが由紀子?泰蔵の妾だったとしたら……」

「そうよ!歳がいっているけど、暢子さんに似ているもの……」

「いや、待って、この女性に似た人が、この家族写真にも写っている!」

といって、最初に見ていた、結婚式の写真をボンが指し示した。

「この、一番左端の後列から二番目の女性。写りが悪いけど、確かに、この女性だよ。こっちのほうが若いから、よけい、暢子さんに似ている!」

「これ、どうゆうこと?」

「つまり、由紀子さんは、泰蔵が結婚する前から、泰蔵の近くにいたんだよ。まさか、妾を結婚式に呼ぶわけがないから、元々、側にいた、女中さんとして、家庭の中にね……」


20

「ボン、暢子が産んだ女の子、しのぶという子の里親がわかりそうです」

刻屋の黒い電話が鳴り、受話器の向こうから、十兵衛がそういった。

「三十年前の祭りがあった神社をつきとめました。あの風習は、日露戦争で大勢の戦死者が出たため、産めよ増やせよ、の国策に乗っかったもので、昭和の初めには、終わっているようです。ただし、豊年祭は続けていまして、今でも若い夫婦約束をしたカップルが子宝に恵まれるという風説を信じているようです。神主は代替わりしていますが、当時のことを記憶している、年寄もいまして、情報を集めました……」

十兵衛の話は続く。

この神社の氏子に、大垣家の本家が居り、大垣家は地域の庄屋を兼ねる、豪農だった。年寄の話では、豊年祭の夜の男女の交わりは、村の労働力の確保のための企画で、大垣家の当主が言い出しっぺであったようだ。つまり、何人かの、父無し子が産まれることは、織り込み済み。子供のいない夫婦や、豪農の余裕のある家庭に予め、割り当てて、里親にしていたそうだ。

由紀子のように、妾や、独身男性と結ばれる者もいるが、里親に出される子供が毎年いたという。大垣家では、里親がその子を虐待や、人身売買の対象としないように、里親への監視を村全体でおこなうようにしていたのだ。

「ですから、暢子の子供のしのぶも、村内の裕福な家に貰われたようです。ただ、産んだ親の名は伏せられていますので、その年に産まれた女の子を全て、当たる必要があります」

「そんなに、多いの?」

「ええ、その年は特に多くて、十八人。うち、女の子がハ人です。生きていたら、三十、一、二歳の女。その辺を当たって見ます。今日、明日中には、判明すると思いますが、こっちに人数をかけていますので、小高坂の見張りが才蔵ひとりになっています」

「ああ、こっちはしゃあない、そっちが優先やきね」

そういって、電話は切られた。

「しのぶのことがわかったら、女性陣の全容がわかりそうね?」

傍にいた睦実がそういった。

「ある程度、裕福な家が里親になっているらしいから、それなりの暮らしをしていると思う。大垣家と関係ない暮らしならいいんだけどね……」

「ワン、ワン」

と、玄関先で犬の吠える声がした。

「あれ?ジョンが吠えている。滅多なことでは吠えたりせんのに……」

訝しげに玄関のほうに視線を向けると、

「おお、ボン、居ったか?若女将は今日も留守かよ?」

開けっぱなしの玄関のガラス戸から、土間に足を踏み入れながら、レイバンのサングラスの男がそういった。

「杉下さん、今日からお盆で、親戚の初盆に祖母と母は出かけました。ところで、今日は?何のご用ですか?」

「なるほど、親戚づきあいが多いがや……しかし、ボン、何のご用、は、ないろう?ボンが探しよった客人を連れてきたがぜよ」

「お客さま?ジョンが吠えたのは、その所為ですか?杉下さんには吠えないはずです。見た目は怖いけど、善人ですから……」

「見た目が怖い?まあ、しゃあないやろう?扱う相手が相手やきね。それにしても、ジョンがなんで客に吠えたがやろう?まあ、エイ。おい、おふたりさん、遠慮せんと入ってきいや。ここが、かの有名なハチキンの女将が居る『刻屋旅館』よ。ほいで、この子が『ルパンの生まれ替わり』いわれゆう、ボン。こっちの美人が、石川五右衛門の末裔の杖術の達人の睦実さんよ」

玄関前にたたずんでいた二人の女性に、説明とも、紹介とも、つかない言葉をサングラス越しに投げかけた。

小さく会釈して、先に入ってきたのは、五十歳前後と思われる、着物姿の女性である。ふたり目は、対象的に艶やかなノースリーブのワンピース姿。短い髪にはパーマがしっかりかかっている。ジョンが吠えたのは、こっちの女性らしい。

「いらっしゃいませ。まあ、こちらのテーブルにどうぞ。お茶を用意しますので……」

と、客人と鬼警部をいつものテーブルに案内する。みっちゃんが、素早く、麦茶のグラスを運んできた。

「あらあら、さすが、有名な老舗旅館ですわねぇ。女中さんの躾も行き届いているし、あなた、まだ、小学生でしょう?将来経営者になる修行を積んでいらっしゃるのね?」

中年の女性が、感心した口調でそういった。

「ところで、杉下警部、こちらの方々をご紹介願えませんか?僕が探しているかた、と先ほど、おっしゃいましたけど……?」

「おお、そうじゃった。おふたりの紹介がまだやった。こちらの女性が、ボンが調べよった、大垣伸蔵の元奥方、大垣雅子さん。ほいで、こっちのちっくと若いほうが、園の母親の千春(ちはる)さんよ」

千春といわれた、女性が笑顔を浮かべて、ボンに頭を下げた。あまり特徴のない、コケシのような顔である。

「あのう、こちらのかた、幸子(さちこ)さん、やないんですか?あたし、前に逢(お)うたことがあるんやけど……」

コケシ顔の女が、睦実のほうに視線を移して、そういった。

「幸子?あなた、この女性にそっくりな幸子とゆう人に逢ったことがあるのですか?」

「そっくりな人?じゃあ、この人は幸子さんではないのん?」

「ええ、双子の妹さんです。しかし、幸子さんに逢ったとすると、あなたも虎乃介に拐われた被害者のかたでしたか……?」

「えっ!あんた、あの事件知ってんの?」

「千春、驚きなよ。虎乃介が美人を集めて、人身売買を企んじゅうがを、ワシより早うに掴んだがが、この子と、そこに居る、大きな犬のジョン君よ。玉水町の偽装心中を見破って、現場に残った、数々の遺留品から、虎乃介のアジトに若い娘が拐われゆうことに気づいたがよ。さっき、ゆうたろう?ルパンの生まれ替わりながよ、この子は……。県警も一目置く、名探偵ながよ。おまんが軽い罪で懲役刑にならんかったがは、この子のおかげかもしれんぞ。人身売買は未遂で、おまんは、その共犯やったがやき……」

「ええっ!この人、モンローさん?虎乃介のイロっていわれてた、ストリップの踊り子さん……」

「あらあら、モンローゆう名前まで知ってんのん?」

「そうか、モンローさんやったがや。ほんで、ジョンが吠えたがか。でも、もう、悪い人やのうなったがやろう?虎乃介らぁと縁を切ったがやろう?」

「この子、ホンマに小学生?杉下さんより、しっかりしてるやないの?わたしを悪い人やのうなったがやろう、って……。一番、嬉しい言葉や!」

「まあな、ワシも時々、唖然とするからな。普通やないのは確かや……」

「でも、本名は千春さん。園さんの母親ということは、伸蔵さんの愛人だったってことですよね?虎乃介のイロになる前に……?そうか、園さんができで、本妻の雅子さんともめて、千春さんを虎乃介に預けたってことかな?」

「ほら、驚くやろう?ほぼ、正解」

「まあ、完璧な回答は、子供には、無理でしょうね。大人でもまず考えられない答えだから……」

「ああ、少しは、噂に訊いてた、ワシでも、驚く事実やからな……」

雅子と鬼警部の会話をボンは首を傾けて訊いていた。

「失礼ですけど、女性に歳を訊くのは、エチケット違反と、わかっていますが、モンローさん、何歳なんです?高校生がいるお歳には見えんがですけど……?僕の母親よりは、上のようですが……」

「ほら、核心に迫ってきゆうぞ。少しでも疑問があれば、追求する。ほんで、真実にたどり着く。刑事に必要不可欠な才能をボンは持っちゅうがよ」

「ふふ、その失礼な質問に答えてあげる。わたしは三十四歳。今の園の歳にあの娘を産んだのよ」

「それじゃあ、あんた、十五、六で妾になってたんか?」

ボンの隣に座っている、睦実が驚きの声をあげる。

「それより、その箱に入っている写真、どなたの?なぜか見覚えがあるんだけれど……?」

テーブルの片隅に例の大垣家の写真をまとめて、木箱に入れていたのだ。その一番上の写真を指差して、雅子がボンに尋ねたのだった。その写真は、藤子と生後百日目の政二郎の親子の写真だった。

「あら、懐かしい、これ、わたしとマーちゃんの写真じゃない!どうして、これがここにあるの?」

「あっ、これはお借りしているんです。複製したら、お返しします。大垣家の女性のかたの写真を集めていまして……。でも、この写真の女性は藤子さんですよね?泰蔵さんの奥さまの……?故人になられているそうですが……?」

「ほら、ほら、どんどん、真実に近づきゆうぞ。雅子さんよ。そろそろ、大垣家の真実をボンに話しちゃらんかよ?いくらボンが名探偵でも、この真実には到達できんろうきに……」

「そんなに、複雑な人間関係なんですか?常識では、考えられないほどの……?まさか?藤子さんと雅子さんが同一人物、なんていいませんよね?非常によく似ているとは、我々も思っているのですが……」

「ほら、早、ひとつ、真実にたどり着いたやろうが……」

「嘘でしょう?兄弟がひとりの女性を同時に妻にしていたことになるのよ?一夫多妻じゃなくて、一妻多夫ってこと?」

睦実が常識外れの家族関係に驚く。

「そういうことになりますわね。まあ、非常識、モラルもなんも考えん男らぁでしたきに……」


21

「藤子と雅子の話は、また後程。時代を遡って、明治、大正の頃から、話を始めましょうかね……」

雅子──藤子と同一人物だそうだが、今は雅子と名乗っている──は麦茶を一口飲んで、大垣家にまつわる物語?を語り始めた。

土佐の山間部、仁淀川流域の村落に大垣家の先祖──本家──はあった。豪農であり、庄屋格でもあり、氏神の氏子総代でもあった。

日露戦争のあと、国策に同調するように、村落の人口増加──労働力の確保──策として、例の豊年祭の深夜の催しが企画され、村中で里親制度が確立された。最初は、モラルが護られ、合意による、性交のみ、レイプなど、もってのほか、だった。それが、数年後、乱れることになる。大垣家の分家の泰蔵と伸蔵兄弟が、その先駆者だった。そして、その翌年に、暢子と由紀子という、村外の娘ふたりをレイプし、妊娠させるという不祥事を仕出かしてしまったのだ。

大垣家の本家の力で、レイプ事件はもみ消された。暢子の子供は大垣家の差配により、それなりの里親の元へ。由紀子は泰蔵の妾──世間体は、家政婦──として、小高坂の分家に住むようになった。

泰蔵には、親、親族が決めた嫁候補がいた。大垣の本家筋の娘、藤子だ。だが、この結婚は、世間体を保つための『仮面夫婦』だった。

「でも、泰人さんや、この写真に写っている、政二郎さんが生まれているんだから、仲が悪いとしても、夫婦関係だったんですよね?」

と、睦実が疑問を投げかける。

「ふふ、政二郎の写真があるのに、泰人の写真がないでしょう?長男なのに……」

「えっ!それ、どういうことですか?」

「睦実さん、泰人は泰蔵の子供ではないか、藤子の子供ではないか、おそらく、前者、泰人は泰蔵のタネではない。ひょっとしたら、例の『神様からの授かり物』かもしれないよ……」

「まあ!この子、なんて鋭い勘をしているの?外れることがないわね?」

雅子が、また驚く。

「そうなのよ。わたしには、好きな男がいたの。でも、その男は小作人の息子で、わたしたちは結婚を許されなかったのよ。それで、わたしたちは、あの祭りを利用して、結ばれた。授かったのが、泰人よ。まあ、お互いさまよ。その前年に、泰蔵は瑠美という女の子を作っているんだから……」

その瑠美は、今、瑠璃子という名で、『花園』というバーのママをしているのだ。

「さあ、ここからが子供には聴かせれない話になるのよ。わたしが藤子から雅子になったわけも、千春が園を産んだわけも、次の場面で明らかになるはずよ。杉下警部、いいのね?この小学生とは思えないけど、まだ子供にこの話を聴かしても……」

「ああ、若女将や女将のハチキンさんが居ったら、ワシは今後、刻屋に出入り禁止にされるやろうけど……、ボンが名探偵になるには、知らんとイカン、世界ながよ。世の中には、善人だけが暮らしちゃあせん。常識人ばっかりやない、ということを……」

「大垣の屋敷に離れが建っているの知っている?今は、菊枝さんという、伸蔵の秘書が住んでいるらしいけど……」

雅子の問いに、ボンと睦実がうなずく。

「あれが建ったのが、わたしと泰蔵の結婚式があった時だったわ。なんのための建物だと思う?」

「お妾さんの由紀子さんと、娘の瑠美さんが住むお家ですよね?」

と、睦実が常識的な回答を述べる。

「ルパン君は?」

と、雅子がボンに問いかける。

「子供には聴かせれない、目的のために建てられた、ってことですね?僕には、その目的までは、答えられませんが……」

「凄い!ルパン以上よ!またまた、正解。そう、その目的は、あの祭りの夜の再現をするためだったのよ。その前年で、あの祭りの深夜の企画は中止になったのよ」

「祭りが中止になって、その再現のための建物って、何故そんなものが必要なんですか?しかも、自分の敷地内に……」

「あなた、この子の爪の垢でも飲んだら?まるで、才能がないわね……。常識で考えるから、ダメなのよ。泰蔵も伸蔵も、常識外の人間なんだから……」

「すみません、わたしは凡人なもので……」

「泰蔵と伸蔵は、あの祭りでの異常なセックスが病みつきになったのよ。特に、泰蔵は、お面をかぶって、お面をした、着物姿の娘じゃないと、一物が役にたたない状態になったのよ。異常な、特殊な状況でしか、性行為ができない……。まあ、すぐに、どんな状況でも、できない、つまり、インポになったけどね」

泰蔵の初体験が、あの祭りでの、誰ともわからぬ女性との行為だったのだ。その強烈な興奮と快感がトラウマとなり、通常の男女の行為では、男になれなくなってしまった。

「それでね、わたしも結婚当初は、いやいやながら、付き合ったのよ。だって、それしか、夫婦生活ができないんだもん。でも、夫婦ふたりだと、相手が誰だか、わかっているでしょう?それでは、泰蔵のムスコ(・・・)は役にたたないのよ。それで、最初は由紀子を引っ張り込んで、三人でする。それも、数回でダメになる。それで、伸蔵が加わり、四人。またダメになり、娼婦を入れる。またダメになって、悪友の二宮を喚ぶ。その頃には、泰蔵は完全にインポになっていたわね」

つまり、大垣家の離れでは、毎夜ではないにしろ、頻繁に乱交パーティーが催されていたのだった。

「だからね、ここだけの話よ。政二郎は泰蔵のタネじゃないのよ。だって、あの人、わたしの中に入ってこれないんだもん。由紀子さんには、できたこともあったようだけど、たぶん、ふたり目以降の由紀子さんの娘は、泰蔵の子供じゃない!伸蔵か二宮の子供、ともいえないか……。政二郎は、二宮の子供よ。だって、わたしが、きちんと、セックスしたのは、二宮孝太郎だけだったから……」

「ちょっと待ってください。あなたは藤子であり、雅子であるとおっしゃいましたね?政二郎さんが誰のタネかは、置いておきましょう。でも、雅子さんには、同じ年に伸一という息子が生まれていますよ!何ヵ月かは、離れているでしょうが、妊娠期間としては、出産は不可能なはずですが……?」

「ほほほほ、鋭い指摘ね。それなら、答えも出ているでしょう?」

「伸一は、雅子の子供ではない……、ということですか?」

「そうよ。誰だか知らない、伸蔵が連れてきた女。商売女じゃない、素人の若い娘よ。たぶん、製紙工場で働いていた、女工ね。一発で妊娠。伸蔵のタネだとわかっていたから、伸蔵が引き取ることになったのよ。でも、その娘を籍に入れられない。そこで、雅子の登場よ。雅子はわたしの従妹だけど、行方不明。男と駆け落ちして、まあ、どこかで、のたれ死んでいるでしょう?その従妹が帰ってきたことにして、伸蔵の妻になったのよ。実際は藤子なんだけどね。その頃はわたしはひとり二役よ。何故って?野暮ねぇ!泰蔵とは一度もできないのよ。伸蔵とは、少しはできた。まあ、二宮が一番だったけど、二宮には、女房、子供がいたからね。世間体もあって、泰蔵と藤子は夫婦じゃないといけなかったんだよ」

「もうひとつ、疑問があるのですが、藤子さんは亡くなっていますよね?戸籍上だとしても、戦後ですから、死亡診断書や、火葬証明書とか、いるんじゃないですか?」

「鋭いが通り越しているね、この子?あたしゃあ、犯罪者でなくてよかったよ。まあ、それより先に話があるんだよ。それが藤子が死ななけりゃあならない、理由になるんだけどね」

そういって、雅子は、麦茶で喉を潤す。

「藤子と雅子のひとり二役に無理が生じ始めたのさ。泰蔵は県議、伸蔵は社長。それぞれ夫人同伴って場面が増えちゃってね。それで、藤子は病気がちにして、由紀子を夫人代わりに同伴させていたんだ。ところが、その由紀子が急に、熱を出して、あっという間に、くたばっちまった。かわいそうだったが、これも運命さ。ところが、泰蔵が悪い考えをおこしたんだ。死んだのは、藤子、由紀子はヒマをやって、邦へ帰ったことにしたんだよ。由紀子の遺体を藤子として、死亡診断書から、火葬、戒名ももらって、お墓に入ったってことよ。由紀子の子供たちは皆、独立していた。下の菊枝は、里子に出していたから、由紀子の顔もよく知らないよ。でもね、それで、収まらないのが、大垣さ。相変わらず、離れで、プレイをしていたころの話に戻るけどね。息子たちがいい歳になってもだよ!まあ、わたしも付き合ってたけどね……。今から、十八年前さ。この千春は十五。伸蔵の屋敷の住み込みの家政婦の孫だったよ。母親が死んで、父親は戦場にいった。それで、祖母が面倒みていたんだよ。その日は珍しい客がきたのさ。学生時代の悪友で、しばらく、県外で絵の勉強していた、門田って人が、県内で教師に採用されて、そのお祝いをしていたんだ。二宮も夫婦できていたね。だから、男四人に女はわたしと由紀子と二宮の奥さんの三人さ。で、酒が入って、男たちが狂った。昔の祭りを再現しようと、浴衣に着替えて、お面をつけて……。わたしと由紀子は慣れっこだったけど、さすがに、二宮の奥さんは、びびっていたね。でも、なんだか、興味を抱いたみたいで、プレイに参加したんだよ。その時、何にも知らない、千春が、お銚子のおかわりを持って離れにきたのさ。四対三でひとり足りなかったから、千春が餌食になったんだよ……」

「それで、園ちゃんを妊娠……?」

「そうだね、たぶんだけど……。そのあとも千春はオモチャにされたからね、その日かどうかは、わからないけど、タネはわかっているよ」

「伸蔵なんですよね?認知して、籍を入れたんだから……」

「あんた、ことごとくはずすね?祭りの決まりを忘れたのかい?産まれた子供は『神様からの授かり物』里親が決まっていて、里親は我が子として育てるんだよ!」

「じゃあ、園さんは、門田校長の娘……?」

「さすがだねぇ。だって、ペアは決まっていたんだよ。由紀子は泰蔵。わたしは伸蔵。二宮は夫婦。余っていたのは、独身の門田さ。皆、歳をとって、分別ができたのか、他人の女房には、手を出さなかった。二宮の奥さんがいた所為かもしれないけどね……」


22

千春は、園を産んでからもしばらくは、伸蔵の屋敷にいたが、家政婦をしていた、祖母が亡くなったあと、伸蔵と深い関係ができた虎乃介に、気にいられて、虎乃介のイロ──愛人以下──になって、ストリップの踊り子をし始めた。

雅子は、暴力団と接近している伸蔵に愛想が尽きて、里の母親の介護を理由に離婚してもらった。世間には、愛人に子供を作った亭主に愛想が尽きたと思わせて……。ただし、本当の、藤子には戻れず、大垣雅子で暮らしている。

雅子の話は終わった。

「ボン、ワシからの報告や。今日の日を選んで、このふたりを連れてきたがは、山長の社長からの依頼よ。ボンに大垣家の戦前からの生き証人の話を聴かしちゃってくれ。若女将と、ハチキンさんの居らん日に、と……」

「そうか、顔役さんが手配してくれたのか……、生き証人といっていたのが、このふたりやったがですね?」

「まっこと、井口の探偵団は人材豊富やのう……」

「ワン、ワン」

「おっと、人材だけやなかった。名犬君が居ったがやった」

いつの間にか、玄関内の土間に寝そべっていた、ジョンの声に、鬼警部は似合わない笑顔を向けて、そういったのだ。

「もうひとつ、前にも一部分は話したき、知っちゅうかもしれんが、由紀子には三人の父親がわからぬ娘が居って、上の娘は『花園』いう、小さなバーのママをしゆう。店では、瑠璃子と名乗っていて、大垣の息子らぁが、客として、出入りしゆう。中の娘は、果菜。訛って、カンナと呼ばれることもあり、家を出てからは、カンナと名乗っていたらしい。現在は行方不明や。下の娘は菊枝。広岡ゆう、大垣の親族の養女になって、今は伸蔵の秘書。離れで暮らしゆう」

そこまでしゃべって、鬼警部は、残っていた麦茶を飲みほした。

「そのカンナやが、大垣の息子らぁに乱暴されて、例の離れで、何度も相手をさせられたようや。男は泰人、伸一、二宮の息子の耕策と、議員秘書の間竜平や。息子らぁは、祭りのことは知らん。ただ、親たちが離れで、浴衣姿でいかがわしい行為をしているのを覗いていた。浴衣の意味がわからなかった息子らぁは、カンナが、床の間の絵に描かれた美人に似ていることに気づいたんや。浴衣の意味を取り違えて、美人画の女を犯す行為を親たちがしていたと思って、カンナをその美人画の女のようにして、まあ、その行為をしたんや。カンナはそのあと、いなくなった。自殺したかもしれんが、該当する遺体は見つかっていない……。これが、大垣家とその関係者のスキャンダルや。公にはなって居らんが、犯罪者に限りなく近い。復讐の対象には充分なり得るやろうな?あとは、井口の探偵団が、どう関わるかは、ボンの気持ち次第かな?そうそう、◯◯組は、ちょっと、手入れに入って、銃刀不法所持の現行犯で幹部、組員合わせて、十名ほど逮捕したきに、当分、おとなしうなるはずや。大垣も選挙活動に使えんろうな……」

ウーウ、ウー……

と、突然、サイレンの音が響いた。

「おや?火事かな?」

と、警部がいって、立ち上がり、玄関のほうに向かう。

すると、玄関から、鳥打ち帽をかぶった、一見、富山の薬売り風に思える、若い男が入って来るなり、

「睦実お嬢さん、才蔵からの連絡です。大垣の屋敷の離れが火事で、ほぼ、全焼。中に数人がいて、ひとりの女性だけ、救出できた、と、お嬢さんにお伝えしてくれとのことです……」

というと、男は踵を返し、表に飛び出していった。

「な、なんや!今の男?才蔵って、誰や?」

石川家の忍びモドキの存在を知らない鬼警部は、唖然として、男を見送った。

「てぇへんだぁ!ボン、大垣の屋敷が火事だそうですぜ!さっきのサイレンは、旭の消防署からも、消防車が出た合図だそうで……」

理髪店の装束のまま、ご注進に飛び込んできたのは、マッちゃんだ。

「ボン、ワシは本部に帰る。若女将によろしうゆうといてよ!」

そう言い残して、鬼警部は、ふたりの女性と共に、停めてあった警察車輛を走らせていったのだ。

「さっきの伝言、数人が火事の建物にいる。才蔵さんが助け出せたのは、女性ひとり。つまり、あと何人かは、助けられなかった、ってことだろうね……?」

「大垣家の誰かが、複数人、焼け死んだっていうことよね……?」

「へえ?アッシより早く、火事を報せに誰かきたんですかい……?」

「睦実さんの部下、ゆうか、石川の一族の人が報せてくれたがよ。マッちゃん、仕事中やないが?火事のほうは、僕らぁでは、どうにもできんき、鎮火を待つしかないよ」

「床屋のほうは、デェ(・・)丈夫(・・)ですがね、杉下警部さん、女性連れで何をしに来たんです?陽子先生の見合いの件はどうなっているんで……?」

「うん、その陽子先生の見合いの件の情報を教えてくれたんだ。大垣家の昔からのスキャンダルをね。はっきりいって、今回のお見合いは、なかったことにしたほうがいい。陽子さんと政二郎さんの結婚は無理って結論が出たよ」

「そうよね、女性の前では、いえへんかったけど、あのおばさんに、『ことごとく外している』なんていわれて、わたしは『外しのハマさん』か?って突っ込み入れる寸前やったんやから……、あの雅子っておばはん、政二郎のこと、マーちゃん、って呼んで、しかも、政二郎は、自分と二宮孝太郎の子供だってゆうんよ!そしたら、陽子さんと政二郎は、異母兄妹よ!結婚できるわけあらへんワ!」

「ええっ!それ、ホンマのことでっか?」

「マッちゃん、江戸っ子が、関西弁になってるよ。大垣家の異常な男女の乱れた行為が産んだ結果だから、確実ではないよ。まさに、『神のみぞ知る』だろうね……」

「そうよね、カンナが泰蔵の子供やなさそうやし、近親相姦と思っていた、泰人も泰蔵の子供やないのは、確実のようだから、大垣家とは、縁を結ばないことが得策ってことね……」

「そんなに、乱れた家族なんで……?」


23

「才蔵!怪我の具合は……?」

市民病院のロビーにいる、黒いティーシャツに、ピッチリとした、黒いスラックス姿の髪の長い青年に、睦実が声をかけたのだ。

その、十五分ほど前に、刻屋の電話が鳴って、才蔵が軽い火傷をして、市民病院にいることを報されたのだ。

「あっ!お嬢さん、すみません、わたしは、大丈夫です。火災の中に飛び込んで、火の粉を少々かぶっただけです」

「火傷(やけど)したんやな?まあ、たいした傷やのうてよかったワ。けど、なんで謝るん?」

「火事に気づくのが遅れて、何人かを死なせてしまいました……」

そういって、才蔵はうなだれる。

「あっ!睦実さん!ボンも来てたんか?こちらの青年が、刻屋に知り合いの石川睦実という女性が世話になっている。事情はその人の許可がないと話せない、ゆうたらしくて、刻屋やったら、坂本の担当や、って、課長命令ですワ」

そういって、睦実たちに近づいてきたのは、県警の坂本勇次刑事だ。

「勇さん!なんで?火事やのに、刑事課のしかも、凶悪犯担当が、現場やのうて、病院にくるの?」

睦実が驚きの声をあげる。

「ただの火事やのうて、放火か、あるいは、殺人の可能性があるがやね?」

「さすが、ルパンの生まれ替わりや。火災現場を検証中やき、決定ではないんやけど、遺体に刺し傷があったらしくてね、放火の疑いもあって、生存者からの事情聴取が必要ながよ」

「火事の状況は?」

と、まるで上司が部下に状況説明を求めるような会話が始まる。

「火事は、大垣伸蔵宅の離れ一棟が全焼。類焼はなし。火災現場から、少なくとも、四人の男女の焼死と思われる遺体を発見。遺体の損傷が激しく、身元確認中。遺体のひとりの背中に、刃物によるとみられる、新しい傷があり、事件、事故の両面から捜査を開始した。以上……」

坂本刑事が、手帳に記載した内容を新聞記者に発表する、広報担当者のごとく読み上げる。

「四人も……。それで、生存者って誰?」

まだ、身元が確認できてないんです。集中治療室で治療中です」

「才蔵さんが助け出した人だね?女性だと聴いたけど……?」

「才蔵さん?こちらのかた、才蔵さんとおっしゃるんですか?火事の現場に消防士が駆けつけて、生存者がいると訊いたら、水を頭からかぶって、火の中へ飛び込んだそうです。それで、女性ひとりを救いだしてくれたんですけど、さっきゆうたように、睦実さんの許可がないとなにも話せない、といって、名前さえ名乗らんのです。ほいたら、例の十兵衛さんとおんなじで、石川五右衛門の末裔、忍者、ってことですか?」

「まあ、そこは勇さんの想像に任すよ。ちょっと場所を替えよう。事情聴取ってことで、応接室でも使わせてもらおうよ。内密な話になるはずだから、ここはマズイだろう?」

「まったく、わたしには、どっちが刑事か、わからんワ……!」

「杉下さんから、チラっと聴いてますが、探偵団は大垣県議のまわりを調査中だそうですね?なんか、幽霊が出たとか、交番の巡査がゆうてましたし、近所で、暴力団と暴走族の諍(いさか)いごとがあったそうで……。それがきっかけで、◯◯組を一斉捜査できて、組員を多数逮捕して、杉下さん、その取り調べで、大忙しなんですワ。本当は僕の替わりにここへ来たかったみたいですよ?また、若女将に逢える機会が増えるってことで……」

病院の空き部屋の一室を、取り調べのためという名目で借り入れた。

勇次、睦実、ボンに才蔵が椅子につくなり、勇次が関係のなさそうな話まで語りだしたのだ。

「それより、才蔵さんの話を訊こうよ。勇さんには、まだ、知らないことがあるろうけんど、今は、大垣家の離れの火事の状況が大事やろう?事件性が高いがやき……」

「そうです。火災現場にいた数少ない、目撃者ですから……」

「すみません!わたしが、大垣家の見張りを任されていたのに、見張る相手を間違えました……」

才蔵はそういって、深々と頭を下げる。

才蔵が、状況を語る。

十兵衛の指示で大垣家の見張りを任された。怪しい動きや、家族以外の者が出入りした場合、その会話を聞き取り、目的を探ることが使命である。本来、三名で見張り、家族以外の者が出入りした場合、その人物が帰る際に、あとをつける必要が発生することに備えていた。だが、十兵衛は例の祭りの場所から、しのぶという、暢子の産んだ子供の捜査に、人数を取られ、才蔵ひとりが見張り役に残ったのだ。

そんな時に限って、ことが起きるものだ。

火災発生一時間ほど前、その家族以外の来客があった。泰蔵の屋敷のほうである。来客はふたり。写真で確認すると、陽子の父親の二宮孝太郎。少し遅れて、陽子の上司、門田校長が訪れたのだ。

泰蔵の屋敷の応接間、床の間には、門田が模写したという、暢子をモデルにしたほうの美人画がかけられていた。つまり、その絵に関係した、話があっての集まりであろうと、推測できた。

伸蔵も加わり、四人が座卓を囲んで会話が始まる。才蔵は天井から、天井板を少しずらして、それを観察していた。

「門田、おまん、井口の探偵団に幽霊騒ぎの調査の依頼にいって、断られたそうやのう?孝太郎は、刑事に詰められて、暢子のことを洗いざらい話したってか?まあ、おまんらぁは、たいした影響はないろうけんど、ワシは議員やでぇ!次の国政選挙の準備をせなならん時に、イラン醜聞のタネを作らいでも、エイろうが!」

まずは、泰蔵の怒りの言葉から会話が始まった。

「泰蔵さん、あんたも山長の社長に探偵団を紹介してくれ、ゆうて、いったそうやな?あんたが頼りになる、ゆうてた輩は、◯◯組の幹部で警察に逮捕されたそうですやいか!何が頼りになるや!幽霊のことはなんちゃあわからんで、大勢の逮捕者だして、あんたとの関係、洗いざらい白状されるんとチャイますか?国政どころか、刑務所行きやでぇ!」

売り言葉に買い言葉。門田が怒りの声で反論する。

「まあまあ、仲間同士で喧嘩しても埒がアカン。ワシの話を訊いとおせ」

そういって、仲介に入ったのは、伸蔵だった。

「兄貴から話を訊いて、◯◯組の組長に頼んだがはワシの失敗やった。最初から、金をかけて、その道のプロを雇うべきやったがよ。まあ、今回、捕まった組員は、ワシからの依頼とは知らん。幽霊騒ぎが、金のタネになるかもしれんと、組長にいわれて動いたがやきに、そう心配するにようばん」

「ほう、さすがは、策士のシンちゃんやのう。それで、その道のプロとは……?」

「ああ、弁護士の金田(かねだ)先生の紹介で、元刑事の凄腕の私立探偵を雇うた。組長とも仲がエイ間柄で、すんなり請けおうてもらえたワ。西郷(さいごう)ゆう男や」


「西郷!」

と、才蔵の話の途中で、勇次が声をあげる。

「どないしたん?大けな声だして、勇さん、知り合いか?」

「はい、知り合いもなにも、同僚です。いや、同僚やった……。二つ、三つ年上ですけど、元県警の刑事で、杉下さんの部下、マル暴係やったがですが、金で転んで、暴力団に捜査の情報を流して、それがバレて、クビになった男です。西郷四郎。柔道の有段者で、名前も、ほら、有名な『姿(すがた)三四郎(さんしろう)』のモデルになった講道館の四天王と同姓同名ながです。杉下さん、目をかけていたのに、裏切られて、しばらく、落ち込んでましたよ。そうそう、それからですよ、あの、バーバリーの背広にレイバンのサングラス姿になったのは……」

        ※

「その探偵からの報告や」

と、話は才蔵の報告に戻る。

「幽霊騒ぎの元は、どうやら、この絵に細工したもんが居って、それを知った泰人が、弟の縁談を壊す目的で、行きつけのバーのマダムを使うて、起こしたもんやそうや」

「誰がワシの絵に細工などしたんや?」

「そこまでは、わからん。誰かのイタズラや。それを泰人が利用しただけや」

「泰人君がなんで、陽子と政二郎君の縁談を壊すんや?」

「伸一が絡んでいるがやろう?政二郎が嫁をもろうたら、伸蔵は会長になって、政二郎が社長になる。伸一は専務のままか、酒屋のほうの社長になるかや、とでも思ったがやろう。まだまだ、先の話やろうに……」

「先の話でも、決定事項やろうが!」

「ホンマにそれだけか?ひょっとして、泰人君、政二郎の父親が孝太郎やと、知ったがやないか?ホンで義侠心で、近親相姦になる結婚阻止……」

「おいおい、泰人が義侠心など発揮するタマかよ!政二郎君がワシのタネやとゆうてるのは、藤子さんだけやろうが!まあ、仮にワシのタネやとしてもや、陽子は、門田、おまんのタネやろうが!どうしても、暢子のことが忘れられん。画家の修行に身が入らんと、土下座して頼むき、一晩、代わっちゃったら、見事、妊娠させやがって!たぶん、最初の暢子の娘のしのぶも、おまんのタネじゃろう……」

        ※

「才蔵!なんやの!ボンに聴かせれん話ばっかしやないの!近親相姦かと思えば、自分の女房を他人に……?ああ、気持ちワル!」

「睦実さん、しゃあないよ、才蔵さんだって、気持ち悪いよ。でも、真実なんだからね、すべてを聴かせてもらって、犯罪者には、償いをしてもらわんとイカンきね……」

「ボンのゆうとおりですよ!いや、僕は、大垣家の連中がどんな破廉恥なことをして、その結果、誰が誰のタネ、ゆうか、血を引いた子供か、ようわからんがですが、モラルをわきまえん輩は大嫌いです。正義の鉄槌を加えないけません!」

「勇さん、あんた、見直したワ!正義感のカタマリや!刑事、合格や!」

「ええっ!ホンマですか?睦実さんに褒(ほ)められたって、千代さんに自慢しよう……」

「勇さん、喜ぶことじゃないよ。睦実さんに今まで、勇さん、刑事、不合格って思われてたってことだよ……」

「ボン、それをゆうたら、アカン!」

「ええっ!今までは、不合格?それ、ひどくないですか……?」

「僕は勇さん、刑事と認めているからね!なんせ、伝説の名刑事の血を引いているんやから……」

「あっ!ボンずるい!大垣家の過去を調べるのに、勇さんでは心許なくて、千代姐さんの色気を使って、杉下さんに頼んだくせに!」

「ゴホン!話を替えよう。勇さんがわからんといっていた、関係者の親子関係を整理しよう。ここに、マッちゃんの奥さんが書いた一覧表がある。まずは、二宮家……」

そういって、便箋に書かれた名簿を広げる。

「長男の耕策は、戸籍どおりよね?今のところ……。陽子さんの父親が戸籍と違って、門田校長、と……」

「泰蔵のふたりの息子は、泰人は姓名不明の小作人の息子。政二郎は二宮孝太郎の息子が有力……」

「伸一は?母親は雅子さんではないらしいけど、父親は伸蔵で間違いないのかな?」

「ああ、製紙工場の従業員が母親らしいから、父親は伸蔵にしておこう。次は、園さんは、父親が門田で、母親が千春、勇さんが捕まえた、モンローさんだよ」

「ええっ?ヤクザのイロだった、ストリップの金髪が母親ながですか?そりゃあ、不良になるワ……」

「勇さん、モンローさんは善人だよ!ヤクザのイロになった原因は、大垣家関係者の破廉恥行為なんだから……、だから、園さんが、グレたのは、モンローさんが原因じゃあなくて……、そうか、園さんも絵が動いたことを知っていたんだ。何かで関わりを持っているかも……未成年といっても、大人と同じだよね……」

「ボン、ひとりで頭の中に推理した世界を作らないでよ。凡人にはついていけないよ!」

「あっ!ごめん、園さんも騒動の容疑者に入れないといけないことに今ごろ気づいたんだ。さて、あとは、女性陣だね?わかっているのは、花園のママの瑠璃子が母親は由紀子、父親は泰蔵らしい。カンナと菊枝は母親は由紀子だけど、父親は泰蔵ではないらしい。不明にしておこう」

「残りは、竜平と久美子、ふたりは他人よね?」

「そう、今のところはね……」

「あとは、泰人の奥さんと娘。ふたりは戸籍どおりよね?大阪時代の付き合いだから……」

「それも、今のところは、だよ。さくらさんについては、追跡調査しているはずだよね?」

「うん、十兵衛が、大阪の石川家に依頼している」

「あとは、しのぶは誰が父親か不明。リリィさんも調査中か……まだまだ、不明が多いね?よし、じゃあ、才蔵さんの話の続きを訊こうか、火事が発生したあたりのことを……」

「西郷には、近所に出没した幽霊を調べてもらっている。カンナ本人なのか?よく似た別人か?そいつを捕まえれば、目的がわかる」

「泰人君がやらせているのではないのか?」

「あいつが一番怖がっておるワ。カンナの幽霊が自分に祟ると思っている。西郷の報告だと、伸一に頼んで、瑠璃子の知り合いの不良どもに、幽霊退治を頼んだようじゃ。ワシが頼んだ、ヤーさんともめた輩は、その不良どもよ!ワシの邪魔をしおって……」

「しかし、その日は幽霊が出んかったがやろう?怪しいな、その瑠璃子が幽霊なんやないがか?顔がカンナとゆう女に似いちゅうそうやいか?その瑠璃子の身元はわかっちゅうがかよ?」

「孝太郎、ワシは瑠璃子に逢うたことがないき、顔も歳格好も知らん」

「ほいたら、カンナゆう女は……?」

「息子らぁが離れに連れ込んで、イタズラした女やそうや、どこの馬の骨か、わからんワ」

        ※

「ええっ!才蔵、それ、泰蔵の口から出た言葉?だって、瑠璃子もカンナも自分の妾の子供よ!傍で暮らしてたんやないの?」

「睦実さん、瑠璃子は瑠美、カンナは果菜。似てはいるけど、泰蔵さんには、同一人物とは考えつかないんだよ。我々は顔写真と戸籍で確認している。それでもカンナ、イコール果菜とは、いい切れないんだからね……」

「それでは、続きを……」

と、才蔵がいう……。

        ※

「そうや、西郷が気になることがある、ゆうとった!」

「泰蔵さん、なんや?その探偵が気になることって……?」

「県警や!たかが幽霊騒ぎに、マル暴の主任警部やパトカーに白バイまで動員したことや!」

「確かに、あれは不思議やな?ヤクザがあの夜あそこに居るなんて、あんたも知らんことやな?」

「そうや、組長には頼んだが、調べる方法は任せたき、何人もが出向くことなど、知るわけがない」

「ほいたら、組員の中にサツの密偵か裏切りもんが居るってことやな?」

「そうや!そのマル暴の主任警部ゆうのは、西郷の元上司で、凄腕の鬼刑事で有名らしい。西郷がクビになった原因も、わからんはずやのに、あっさり、調べがついとって、言い訳もできんかったそうや。それでや、西郷がその辺を調べたいらしい。孝太郎と門田、特に孝太郎はその警部に逢うちゅうらしいき、話を訊きたいそうや」

「あのバーバリーの背広を着た、ヤクザのような刑事が、マル暴の主任警部かよ!怖おて、ションベン、チビりそうやったぜよ……息子の耕策は……チビった……」


「プッ!さすが、杉下さんね?ヤクザより怖いんや!伝説になるワ!」

「けど、泰蔵たちの推理は、ことごとく外れているね?密偵だの裏切りもんだの、疑心暗鬼で、◯◯組、潰れるね?」

「まあ、杉下さんの背後に『井口探偵団』ゆう、警察より優秀な組織があるとは、考えられませんからね?そうや!その探偵団を作ったんは、僕やった!これ、表彰もんやないですか?」

「自画自賛か……?石川忍軍の貢献度、無視しているようやけど……」

「ううん、石川が動くのは、ボンや千代姐さんがいるからよ!もともと、ボンや小政さんみたいな名探偵がいるし、なんといっても……」

「ハチキンさんですか?」

「あっ!忘れてた!わたし、ジョンっていおうとしていたのに……、お寅さんの存在も凄いよね?顔役さんを動かせるんだもの……。悟郎とマコちゃんのために、来週、うちの親父に逢いに行くんやでぇ!顔役さんがついて行ったら、あの頑固親父も折れんとイカンなるワ。貫禄負けが見えてる。親父、外には強う見せてるけど、母ちゃんの尻に敷かれてるんや!美人で有名やったらしくて、親父、土下座して、嫁にきて貰うたらしい。顔役さん、母ちゃんの好み、ぴったりやし、決まりやな!悟郎とマコちゃんの結婚……」

「話、続けますよ……?」

と、才蔵がいう……。

        ※

「そしたら、その探偵に逢いに行くワ。泰蔵さん、電話しといてな、今から、門田とふたりが行くって……」

「ああ、ついでに、調査の進捗、訊いてきてくれ!瑠璃子ゆうママとカンナゆう女のこと、調べゆうはずやから……」


22

「それで、迷ったのですが、二宮と門田をつけて、西郷という探偵を探ろうと思ったんです。大垣家は動く気配がなかったもので……」

と、才蔵の話が続く。

「まあ、わたしでもそうするワ。相手の切り札みたいな男やからな……」

「それが……間違いでした……」

才蔵が再び、頭を下げる。

「屋敷内、分家のほうに動きがあったのです。離れのほうに……」

「離れか……?本家──泰蔵の屋敷──の応接間からはかなり離れているんだろう?何かあっても……」

「忍びとしては、失格です。見張りを命じられた範囲内ですから……」

「無理よ!複数で見張る範囲なんだから……」

「しかも、一方で動きがあった。見張れる範囲外で動きがあっても、それを察知するのは、スーパーマンでも不可能……」

「いえ!屋敷に残るという選択をしていたら、状況はかなり違っていたはずです。十兵衛には、屋敷を見張れ!と指示されていました。一時とはいえ、屋敷を離れるべきではなかったのです……」

「それは結果論や!屋敷で何事もなかったら、探偵の動きが探れていた。敵の情報を手に入れる。立派な兵法や!責任があるとしたら、軍師の僕。十兵衛さんが屋敷の見張りが手薄になるといった時、ひとりでも才蔵さんの助太刀を頼んだらよかったんだ。才蔵さんの能力にも限界があるのにね?スーパーマン以上のことは人間には、できんよね……?」

「ぼ、ボン、ありがとうございます!その言葉、一生、胸に刻みます。ボンが当主になった暁には、才蔵、命も惜しみません!」

「そ、そんな……!僕、石川家の養子にはならんよ!いくら、睦実さんのことが好きゆうても……!」

「いえ、睦実お嬢さんでなくて、下のお嬢さんは、それは可愛いかたですから、ボンにはお似合いだと……」

「才蔵!菜々子のことはいいの!ボンの養子のことも、今は無理!外堀が、大阪城の何倍も深いのよ!難攻不落の要塞よ!」

「それって、ハチキンさんのことですか?絶対無理です!天国へ行く時も遺言で『ボンは外に出すな!』っていうと思いますよ」

「ああぁ、僕の未来は、どうなるがやろう……?」

「話、続けます……!」

と、三度(みたび)才蔵がいう……。

才蔵は屋敷を離れ、二宮と門田のあとをつける。ふたりは越前町あたりの広い道路に向かっている。ふたりが、立ち止まり、タクシーを探すような姿勢をとった。

その時、急にサイレンが鳴り響き始めたのだ。すぐ近くの上町の消防署から、消防車が向かってくる。才蔵が視線を周りの空に向けると、一筋の黒煙が登っている。その場所が、さっきまで自分がいた場所に近いと、すぐにわかった。才蔵は、大垣家の屋敷に向かって、疾走していった。

屋敷の離れが炎に包まれていて、消防車が到着した時には、かなりの部分に広がっていたのだ。

「中に人がいる!」

近所の住人だろうか?初期消火のためにバケツリレーを試みた様子の男性が、消防士にそういった。

才蔵は、その男の足元にあったバケツの水を頭からかぶると、燃え盛る、炎の中へ飛び込んでいったのだ。

「まだ、入口付近は、火が回っていなくて、なんとか、離れの広い一室に入れたんです。そこに、何人もが倒れていて、火が一番近い場所にいた女性を慌てて担ぎ出したんです。ほかの人は続いて、消防士がくると思ったものですから、一番、危険な場所の人からと……」

才蔵の感覚は、スーパーマンに近い人間の感覚だった。炎の勢いは既に、消防士が躊躇するほど、入口付近にも広がっていたのだった。

一番危険な場所にいた女性が、幸運にも、救われた。才蔵でも、ふたり目の救出には向かえなかった。天井に火が回って、崩れ始めたのだ。才蔵も火傷を負っていた。女性は意識がなかった。救急車が駆けつけ、ふたりは市民病院に運ばれたのだ。

手当てを受けたあと、警察官に事情を訊かれ、刻屋に知り合いがいて、その人の許可がなくては、何も話せない、と告げた。

「それで、火災現場はどんな状況?焼死かわからん遺体があったんだろう?大垣家の住人の可能性が高いよね?住んでいたのは、菊枝さん。火事の消火の時、大垣家の人はいなかった?」

「あまり、周りの人間には、注意している間がなくて……、そうだ!女性を助け出した時、誰かに、伸蔵は?って訊かれた気がします。救急車のサイレンが鳴り響いていて、聞き取り難かったんですけど、あれは、泰蔵の声やったんだ……」

「伸蔵は?と尋ねた?としたら、離れに伸蔵さんが入っていったんだね?応接間の話し合いのあとで……、時間的には、火事が起きる、寸前……?」

「どうやら、四人の遺体のひとつは伸蔵さんね?助かったのが、菊枝さんの可能性が高い。あとは……息子たち……?」

「勇さん、会社は?お盆休みなの?」

「ええ、お休みで、電話は呼び出し音だけです。泰人も伸一も連絡がとれていません」

「あと、ひとりか……?才蔵さん、女性を救出した時、ほかにも人がいたんだよね?何人で、性別とか、覚えている?」

「はい、かなり広い部屋で、燃えていたのは、襖や柱、天井の羽目板が激しくて、襖の傍にいた女性に、天井から、燃えた板が落ちて来そうになっていたんです。それで、咄嗟に抱えあげて、脱出したので、残りの人間の数や性別は、はっきりしていません。すみません……」

「いや、無理ないよ。救出が優先。炎と煙で視界も悪いし、はっきり、何人でした、っていわれたら、疑っていたよ。マッちゃんならいいそうだからね?才蔵さん、真面目人間だね?才蔵さんの報告は全面的に信用できるってことだ……」

「お嬢さん!この子を絶対、当主にしましょう!この子は凄いです!お嬢さんが、歳の差無視して、結婚したい気持ちがわかります!」

「才蔵!だから、無理なの!残る手段は、千代姐さんに子育ての極意を学んで、ボンのごとき子供を育て上げるしかない!マコちゃんがそうするっていってた。わたしもそう思う……」

「睦実さん、それも無理ですよ!千代さんの真似はできても、お寅さんの真似は誰にもできません。この世で『唯一無二』の存在、お釈迦様かキリストさんみたいなもんですから……」

「やれやれ、僕はそんな、特異な環境に育っているがか?忍びの棟梁になる人間より特異な環境?僕の未来……真っ暗か、黄金の輝きか?どっちか……?」


23

「それで……?ボンの将来の話やないよ。そっちやったら、安心しぃ。わたしも子供の頃、神童や、お釈迦様の生まれ替わりや、っていわれたけど、京大に受かっただけで、普通の人間やからね。周りから、モテる、っていわれるけど、誰も好きですとか、結婚してくれ、なんていってこんよ。千代さんが冗談で、小政さんのこと好きよ、っていってくれるくらいや!世の中の評判って、そんなもんながよ……」

翌日、山長の事務所にボンは小政を訪ねている。大垣家の顛末の報告をしたら、小政がそういったのだ。

(普通やない人間は、自分が普通やと思って、その証拠を集めたがるんや!モテ過ぎる男に女性のほうから、結婚してくれなんて、いえるわけないろう?こんな美人の睦実さんでさえ、ようゆわんのに……)

ボンの心の中の独り言である。隣に座っている、睦実と視線が合う。睦実も同じ感想を持ったと、確認し合った。

「それで?火災現場の遺体の身元、事故か事件か?警察の発表は?」

小政が、最初の質問に戻る。

「ホームズの予想は?」

「おや、ボン、わたしに試験をするがかよ?なかなか、策士になりゆうねえ。その挑戦、受けちゃお!遺体は四人ながよね?変更なし。やったら、三人は、伸蔵、泰人、伸一やろう?泰蔵は生きていた。助かった女性が菊枝。大垣家以外の訪問者がいたら、才蔵君が気づいている可能性が高い。つまり、残るひとりは、大垣家の住人。園ちゃんは、いつも外出しているから除外して、残るは四人。政二郎、間竜平、そして、泰人の妻、さくらさんと家政婦の久美子か……?」

小政はそこで、言葉を切る。右手の指が、ピアノを奏でるような動きで机を叩いている。

「火災が起きる前の状況を考えよう。伸蔵は、本家の応接間にいて、火災が発生する直前か、直後に離れに入っている。全員がその時間に入ったわけはないから、泰人と伸一は門田と二宮がきたあとで、離れに入ったんだろうね?才蔵君が異常と思わなかったんだから……。次は、なぜ?あるいは、何をしに離れに入ったか?無人だったころなら、女性と淫らなことをするためだと想像するけど、離れには住人がいる。しかも、若い女性がね?すると、目的は住人に逢うことだ!菊枝に何の用だ?菊枝と三角関係があるのは、伸一と竜平。その三角関係をきっちりと白黒つける目的だった。泰人を仲介者か、結論の確認者として同行させた。つまり、離れに入ったのは、泰人、伸一、竜平。伸蔵も菊枝に気がある。伸一たちが勝手に菊枝の相手を決めることに気づいて、離れに遅れて入った。三角か四角の関係がもつれて、諍いになり、何らかの火が、襖に燃え移ったんだ。遺体は、伸蔵、泰人、伸一と竜平だね?」

「凄い!さすが、ホームズの……といいたいけどね……」

「違う、ゆうのかい?」

「大垣家の今の状況を考えると、三角、四角関係の決着をどうのこうのといっている場合じゃないんだよ。泰人も伸一もカンナの幽霊に怯えているんだ。その解決のために、瑠璃子に頼んで暴走族を幽霊退治に行かしたんだよ。暴走族が、鉄パイプなんかで武装していたのは、幽霊退治で、幽霊以外の悪巧みをしている奴と闘うための武装なんだよ。おそらく、彼らは、公園にいたヤクザたちが、幽霊騒ぎの黒幕と思って、襲撃したんだろうね。つまり、幽霊退治を親子で別々に頼んだら、そいつらがぶつかって、共倒れになったんだ。親のほうは西郷という、探偵を雇った。当然、息子たちも別の手を打つよね?」

「探偵を雇ったか?」

「それに近い者を……。その報告が入った。おそらく、電話でね。それが、菊枝に関することだった。カンナの妹だとわかったんじゃあないかな?泰蔵の妾の由紀子を調べれば、片岡菊枝の名前がすぐに出てくる。姉が果菜。カンナとの相似。泰人や伸一でもわかるだろうね……」

「泰人と伸一は菊枝が幽霊騒ぎの黒幕と思って、問い詰めにいったのか……?じゃあ、最後のひとりは?結局、身元不明かい?」

「ここで、推理の飛躍をしてみる」

「飛躍?どうするんだ?」

「泰人と伸一以外で、菊枝に用のある人物。しかも、緊急な用がある人物はいないか……?」

「竜平じゃないのか?まあ、彼は菊枝に緊急な用はないな……」

「久美子も同じだろうね?残るは、政二郎とさくら……」

「どっちもないだろう?菊枝に急用なんてね……?」

「さっき、僕、調査の連絡は電話だったといったよね?才蔵さんが、屋敷に他人が入った形跡がないと感じているから、訪問者は門田と二宮だけなんだ。だから、報告は電話だった。泰人?伸一?どっちを連絡先として指定させる?伸一は会社役員で、普段は屋敷にいない。今はお盆休みだっただけ……」

「当然、いつも屋敷にいる泰人やろうね?」

「そう、本家の電話が鳴った。誰が取る?」

「家政婦の久美子だろう?」

「残念、お盆休みで久美子は実家に帰っている」

「なるほど、そこまで考えなかった……」

「可能性の高い順でいくと、本家の女性はさくらさん……」

「ああ、電話に出るとしたら、さくらだろうね?でも、泰人への電話だろう?すぐに代わったはずだよね?」

「相手は名乗ったかな?」

「名乗らないね、探偵からの電話だと、依頼人以外には知らせない。まあ、仮名を使うだろう……」

「かえって、怪しまれるよね?泰人に普段、そんな電話はないから……。さくらさんはすぐにピンときた。探偵からだとね。そして、泰人が調べているのは、自分のこと、自分と政二郎の浮気のことだと想像したんだ。スネに傷があるから、疑心暗鬼になるんだ。そしたら、電話の会話を盗み聞きする。もうひとつの受話器を耳に当ててね……」

「でも、内容は、菊枝さんのことやったんよ。自分のことやないとわかって安心したんじゃないん?」

「電話の内容が、菊枝さんのことだけだったかな?カンナのことが出た。そして、泰人がカンナという女性にしたことも、会話の中に出てきたんじゃないかな?」

「つまり、離れで破廉恥な行為をしていたってことを知った……?」

「泰人は、探偵の報告をすぐに電話で隣の伸一に伝える。その会話もさくらさんは聴く。おそらく、菊枝さんにひどいことをしようという内容だったはずさ。僕の口からは、いえないセリフだよ……」

「レイプ、身体に訊こう、ってやつか……?」

「小政さん、いえへんっていっているでしょう?」

「だから、大人のわたしがいったのさ!彼奴ら、地獄に堕ちろ!だ……」

「地獄に堕ちたね……、火焔地獄にね……」

「それで?さくらさんは、どないしたの?」

「菊枝さんにふたりの企みを知らせにいった。泰人は一旦、伸一の部屋で、もう一度話し合いをしていた。その間に、菊枝さんに状況を説明したんだと思う」

「早く逃げればよかったのに……」

「きっと、菊枝さんは覚悟を決めたんだ。泰人たちと対決する、ということをね……」

「対決って、相手は男ふたりよ?しかも、イヤラシイことをしようとしている奴らよ。勝てへんでしょう?」

「まあ、ムッちゃんほどの技を持っていたら、別だけどね?」

「技は持ってないけど、武器はあったのさ。女の身体って武器を使うってことだね……」

「ええっ!それ、かえって危ないよ!相手はそうしようと決めてきているんよ!猫に鰹節だよ、それじゃあ……」

「孫子の兵法、だったか知らないけど、『背水の陣』か、諸葛孔明の『空城の計』だよね?」

「その両方だろう。退路を絶って、相手を混乱させる。菊枝には、死ぬ覚悟があったんだ……」

「死ぬ覚悟って?じゃあ、菊枝はカンナの復讐のために大垣製紙の社長秘書になったっていうんか?」

「そこのところは、確定的ではないよ。おそらく、姉の果菜のことは知っている部分と知らない部分があったんだよ。誰かに、イタズラ、以上のひどいことをされたことは知っていた。その誰かは不明だったと思う。復讐するにしては、時間が経ち過ぎているからね。ただ、イタズラされた場所は知っていたんだ。大垣家の離れだったことを……。社長秘書が、離れとはいえ、社長と同居に近い生活をするなんて、まずないよ。だから、愛人説が生まれた。しかし、それがデマだったんだ。としたら、離れに住むことになったのは、菊枝の希望だったと思う。目的は、姉に乱暴した犯人を見つけるため……」

「つまり、さくらさんの連絡で、その犯人がわかったってことやね?」

「そう、それから、火災が発生するまで、何があったかは、菊枝さんが意識を取り戻すのを待ってみよう。実は、ある仮説があるんだ。まったくの想像なんだけどね……」

「何?仮説って?気になるから、話してよ」

「菊枝さんの写真、会社の名簿の写真で、秘書らしく、白いブラウスに、黒のスーツ。髪型は、長い髪を後ろでお団子にしている。黒ぶちの眼鏡。鼻筋がスッキリとして、日本人にしては、高い。口も大きい。日本人離れの顔だね?」

「ああ、眼鏡を外したら、エキゾチックな美人のようだね?」

「小政さん、そんな美人をもうひとり、見たことがあるんやない?眼鏡はかけてないし、髪型は南方系のパーマが強い……」

「ええっ!小政さん、そんな彼女がいるの?」

「ムッちゃん、わたしに彼女なんか居るわけないろう?待って!ああ!リリィや!確かに、鼻筋、口許、顎の線、ハワイの美人を思わせる……」

「菊枝とリリィが同一人物?仕事は?両立……可能か?昼と夜やから……」

「ほら、小政さんと石さんが伸一を脅かした夜、十兵衛さんが屋敷を見張っていて、不在だったのは、園さんと菊枝さんだといってただろう?菊枝さん、夜、別の場所にいたんだよ」

そこまで話が進んだ時、事務所の電話が鳴った。今日はお盆休みの真ん中。事務所には、小政以外の社員は出社していない。小政は、亀次郎の提案した、新規事業の具体策を企画し、予算の見積りをしている。長吾郎が石川家に挨拶に向かう前に、予算を見積っておきたいからだった。

そこで、電話に出る役は小政になったのだ。

「もしもし、山長商会ですか?そちらに、刻屋のボンがお伺いしていませんか?急用なんです!」

「なんや!その声は、勇さんか?あわてて、名前も名乗らんと……。ボンは居るけど、急用ってなんや?」

「ああ、その声は小政さんですね?才蔵さんが助け出した女性の意識が戻ったがです!それで、身内の者だという人がきたんですが、それが『花園』のママさんで、入院している女性は、従業員のリリィだというんです!わけがわからんがです!ボンに市民病院へきてもらえんかと……」

「助かった女性はリリィ?勇さん、ボンはそれを推測していたよ!大正解やったか!わかった、今から、わたしが車でそっちにボンを連れていく。瑠璃子は帰さんように……」

そういって、小政は受話器を置いた。

「女性の意識が戻ったんやね?菊枝イコール、リリィやった。瑠璃子は身内。姉妹だもんね……」

「さて、リリィさんと瑠璃子さんの陰謀を訊いてみるか……」

「わたし、十兵衛に、市民病院に行くことを知らせておく。つなぎの者がいるんよ」

「まったく、今回の事件は、わたしの出る幕がなかったな……」

「ボン、こちらが、瑠璃子さんゆうて、『花園』のママさん。火事の現場から、救出された女性は、リリィさんゆう、従業員だといわれるんですが、何故、大垣家の離れに居ったかは、話してくれんのです」

「それで、救出された女性は?意識を回復したそうだけど、話をできる状態なの?」

市民病院のロビーに到着した、ボン、小政、睦実に到着を待っていた、勇次が傍にいる女性を紹介したのだ。ボンは患者の容態をまず、確認した。

「今、担当の医師が、診断しています。意識は回復して、こちらからの問いかけにも反応するのですが、喉を痛めていて、喋れないようで、その治療をしているところです」

「刑事さん、この子なんやの?わたしに会わせたい人がいるから、帰らんでくれ、ゆうたから、待っていたのに、小学生に知り合いは居らんよ!リリィの命が助かったことがわかったから、わたし、帰るよ!商売があるし……」

「いや、この子は……、そうや!リリィさんを助けた青年はこの子の身内で、この子の指令であの場所にいたんや!この三人は、ある探偵団のメンバーで、大垣家のことを内偵しているんや!」

「探偵団?大垣家を内偵している?」

「瑠璃子さんとおっしゃいましたね?本名は戸梶瑠美さん。お母さまのお名前は由紀子さん。妹さんがふたりいて、上が、果菜さん、下が菊枝さん。リリィさんというのは、お店での『源氏名』、本名は菊枝さん。養女にいらして、広岡菊枝さんというべきでしょうか……?」

「な、なんで、そこまで知ってるんや?わたしらぁ、なんも悪いことしてへんでぇ?」

「ですから、刑事さんが説明されたとおり、大垣家の内偵をしています。過去の出来事を調べれば、大垣家とあなたのお母さまとの関係はすぐにわかります。菊枝さんとリリィさんが同一人物だということも、調べがついています。もうひとりの妹さん、果菜さんがカンナと名乗って、大垣家の離れで、何をされたかも、かなりの推測ができているのです。探偵団のメンバーのひとりが、離れの火災現場にいたことも偶然ではありません。何か、事件性のある騒動が起きると予測していたのです。ただし、我々の調査もまだ完璧ではありません。できれば、当事者である、あなたや菊枝さんのお話を伺いたいのですが、ご協力くださいませんか?」

「この子、ホンマに、小学生なん?さっきの刑事さんの説明より、ずっと明確やないの!子供の格好した、刑事なんやないん?特別班とか、特捜とか、いう……」

「まずは、あなたのご本名、戸梶瑠美さんで、間違いありませんね?」

場所を病院の空き部屋に移し、テーブルを挟んで、小学生が刑事のごとく、尋問マガイの質問を始める。

「ああ、瑠璃子は『源氏名』や。ちゃんと店の責任者の届けは、本名でしてる」

「ええ、おかげで、大垣家との関係にたどり着くのが楽でした」

「確かに、わたしの母は、大垣泰蔵に世話になっていたよ。家政婦として働いていたけど……。大垣家の何を内偵しているのか知らんけど、わたしらぁは、何年も前に大垣とは、縁が切れているんよ。菊枝も小さい頃に養女になったき、大垣と縁ができたのは、働き先に縁故で採用してもらったからよ。次女の果菜は学校出て、すぐに家を出たから、音信不通やけどね……」

「戸籍を調べさせてもらいました。あなたがた、三姉妹には、父親の名前がありませんね?三人とも私生児……。あなたは自分の父親について、お母さま、由紀子さんから、何か訊いていらっしゃいませんか?妹さんたちの父親については、どうですか?」

「訊いてへん!母は身持ちの悪い女で、男をしょっちゅう代えてたんや!三人とも、ううん、少なくとも、わたしとふたりは父親が違うと思うワ」

「でも、生活はある程度のレベルだったんですよね?あなたは女学校を卒業している……」

「そこまで知ってるんか?生活費は大垣家が出してくれた。家政婦としては、かなりのお給金やったとは思うけどな……」

「それで、由紀子さんは今、どうしていますか?住民登録の場所にはお住まいではない。戸籍では、死亡はしていない。家政婦をいつ辞められたのでしょうか?」

「正直にゆうワ。わたしら姉妹は、母親とは暮らしてぇへんのや。菊枝が生まれてすぐの頃から、母親の里のばあちゃんちで暮らしてた。お金は毎月、送ってくるけど、逢いにはきぃへん。そやから、母親の由紀子がどうなったか知らん。どうせ、男ができて、どこか他国(よそ)へ行ったがやろ、と、ばあちゃんがゆうてた」

「では、送金はいつまでありましたか?」

「ばあちゃんが亡くなったのが、六年前。その時はまだ郵便局の貯金通帳にお金がはいっていた。わたしが店を出す資金になるくらい貯まってた。その頃には、母親は行方知れずやったけど、誰かが振り込んでくれてたんやな。ばあちゃんが亡くなって、貯金通帳を解約したから、振り込みもなくなった……」

「由紀子さんが、家政婦を辞められた、あるいは、黙って大垣家を出ていったことを知ったのは、いつですか?」

「ばあちゃんが倒れた時や。意識がのうなって、医者がもうイカン、ゆうから、大垣家に連絡したんよ。そしたら、由紀子は黙って出ていった。男と駆け落ちしたんやろ、っていわれた……」

「その頃は、妹さんたちも独立されていたのですね?」

「ああ、ばあちゃんと一緒にいたのは、わたしだけや。田舎で、小さな食堂してたんや。わたしらぁ、子供の頃から、料理は得意やったがよ。ばあちゃんが死んで、店をたたんで、お城下で店を持ちたくて、大垣泰蔵さんにゆうたら、今の店を見つけてくれて、お酒の仕入れは、大垣の酒の会社から回してくれることになって、それで今の店があるんよ」

「食堂を経営されていた?それで、次女の果菜さんも市内の食堂に住み込みで働いていたんですね?」

「果菜が、食堂で住み込み?それ、どっからの情報や?妹は終戦後に家を出て、音信不通やゆうたはずや。どんな生活しているのか、わたしは知らん」

「果菜さんがカンナと名乗ることはありましたか?」

「ああ、ばあちゃんちは、庭にいろんな花を植えていて、わたしらぁ、花に囲まれて育ったんよ。わたし花の名前を知らんかったけど、瑠璃色の花が好きで、自分のことを『瑠璃子』って勝手にいうようになったんよ。そしたら、果菜が『カンナ』にする言い出して、菊枝は菊やから花の名前や、ゆうたら、菊枝が菊は死んだ人に飾る花やから、わたしは百合がエイ、ゆうて……まあ、子供の遊び心やったがよ……」

「なるほど、それで、お店の名前が『花園』なんですね?では、果菜さんの身に何が起きたか、あなたはご存知ないのですね?」

「果菜に何があったの?わたしはなんも知らん。あんたらぁ、探偵団は何を調べゆうが?果菜がカンナと名乗ったことで、何か問題が起きたがやろうとは、思いよったがよ。大垣の息子ふたりが、カンナが現れたって、騒いでたからね。なんでも、大垣の床の間に飾ってる絵のモデルがカンナにそっくりながやと……」

「泰人さんはカンナがあなたの妹さんだとは知らずに、似ていることに気づいて、その絵と同じ髪型にして、弟の政二郎さんのお見合いの相手の前に現れるように依頼したんですね?」

「そこまで知ってるんか?」

「つまり、泰人さんはカンナを知っていた。それは、過去のことで、現在のカンナさんではない。泰人さんは、そのことをどう説明されましたか?」

「昔、付き合おうてた、可愛い娘が居って、その娘が家の床の間の絵のモデルにそっくりだ、弟が今、結婚したら、ワシも伸一も立場が悪くなる。見合いを壊すのに、ちょっとした芝居をして欲しいって……。それで、ヤスさんの昔の彼女、なんて名前?って訊いたら、カンナだといったのよ。歳も合ってるし、何より、わたしに似ているんだもの、妹だとわかったわ。どのくらいの仲だったかは、言わなかったけど、結婚したかったって……。ヤスさんが店によくくるのは、わたしがその娘に似ているからなんだって。女房と別れて、わたしと結婚したい、なんていってた……」

「それで、そのお芝居を演じたのですね?そのあとで、あなたでない女性が同じように絵のモデルに扮して現れた。幽霊騒ぎになったそうですが、泰人さんは、その件で、あなたに相談なされた。あなたは知り合いの不良少年に、幽霊の正体をつかむように依頼した。結局、幽霊の正体はわからないまま……。カンナが幽霊になる可能性を泰人さんは感じていたことになる?あなたはそれに気づいたはずですよね?」

「エライ、詳しいなぁ、どこまで調べがついてるんや?あんたらぁ、泰蔵さんのほうを調べているんやないんか?息子が幽霊にビビっていること調べて、ドナイするねん?」

「我々の調査範囲は、個人ではありません。大垣家とその周辺の関係者、かなりの人が対象です。あなたも菊枝さんも、もちろん、カンナさんも……。由紀子という女性につながっている、関係者ですからね……」

「そうかぁ!母親が、泰蔵さんに世話になってたからね。わたしらぁ家族も調査の対象ってわけや。そしたら、教えてあげたいけど、カンナについては、わたしは知りとうないんや。おそらくやけど、家飛び出して、ろくな暮らししてへんことは、目に見えてる。生活のために、身体、売ってたって、噂を訊いた。ヤスさんと出逢ったんも、そのへんのはずや。エイ、死にかたはしてへんと思ってたからね……」

「菊枝さんはどうですか?姉の果菜さんのこと、気にしていませんでしたか?」

「あんた、どうして、そこまでわかるんや?果菜と菊枝は年子で、顔は似てへんけど、双子の姉妹のようやったんや。父親もたぶん、同じやったんやろう。わたしとは父親が違う。生活してたら、わかるねん。おそらくやけど、養女に欲しい、ゆうてきた、広岡ゆう家の息子がふたりの父親やったと思う。その人、戦争で亡くなったんやけどな……。それで、息子の忘れ形見、息子の面影がある菊枝を養女にしたかったんやろうな、話は簡単にまとまった。けど、果菜だけが納得せえへん。当たり前や!自分の分身を持っていかれたんやから……。それが原因で、果菜は家を出ていったんや。だから、菊枝も果菜のことは、ひどく気にしていた。なんも気にせん、わたしをなじっていたワ……」


24

「坂本さん、ちょっとエイですか?」

部屋のドアがノックされて、勇次の後輩に当たる野上刑事が声をかけた。

「そしたら、リリィさんの容態が回復したら、お話を伺いますので、立ち会いをお願いするかもしれません。今日はこれで……、ご協力ありがとうございました」

「リリィの着替えとか用意せなアカンから、またくるワ……」

「あっ!最後にひとつ!瑠璃子さん、関西弁が強いですが、大阪にお住まいでしたか?」

部屋を出ようと立ち上がった瑠璃子の背中にボンが尋ねた。

「ああ、わたしの言葉か?これ、ばあちゃんの影響や。ばあちゃん、大阪生まれ、大阪育ちで、関西弁が抜けんかったんや。親戚も居って、大阪へ遊びにいったこともある」

ボンの子供っぽい質問に笑顔を浮かべ、瑠璃子は部屋を出ていった。

「野上、火災現場の検証がでたんか?」

瑠璃子と入れ替わるように、席についた野上刑事に勇次が尋ねた。

「はい、まず、出火原因ですが、ロウソクの燃えカスがあって、ロウソクの炎が襖に燃え移ったとの見解です。何故、ロウソクなんかを灯していたかは、わからんですけど……」

「他に現場に焼け残った物で、おかしいものはなかった?例えば、ウィスキーの瓶とか、グラスとか……?」

「ボン、現場、見てきたんか!そやなかったら、ウィスキーの瓶やグラスなんて、わかるはずないやろう!」

「野上!ウィスキーがあったんやな?」

「そうです。それと、遺体の検死の結果ですが、ふたりの遺体から、睡眠薬が検出されました。ふたりは三十歳くらいの男性です。おそらく、大垣泰人と伸一です。歯形の検証をしています。残りふたりは五十代男性と、三十歳くらいの女性です。五十代男性は、大垣伸蔵と判明しました。女性は、泰人の妻、さくらではないか、とのことで、確認中です。ところで、先ほどのウィスキーのことは、どうしてわかったんですか?」

「あとで、話します。それより、確か、誰かに刺された傷があった、と訊いていましたが、どの遺体にあったのですか?」

「はい、伸蔵の遺体と、さくらと思われる女性の両方にです。伸蔵の死因はその刺し傷のようです。背中に果物ナイフが刺さっていたようです。女性も同じ凶器の傷が左の肩にありましたが、致命傷ではなく、死因は焼死でした」

「うん、離れでの出来事がなんとなく、イメージできてきた……」

「ええっ!今の僕の報告で事件の全貌がわかるがですか?やっぱり、ルパンの生まれ替わりながや……」

「あくまで、イメージ、想像だからね。離れにいたのは、リリィこと菊枝さん。この時点では菊枝の格好。そこへ、さくらが駆け込んできて、泰人と伸一が菊枝に乱暴、あるいは、淫らな振る舞いをしようとしていることを知らせた。菊枝は、泰人たちと対決して、姉のカンナに乱暴した真相を問い詰める決心をした。身体を張ってね。菊枝はリリィに変身する。そして、ウィスキーを用意し、睡眠薬を隠し持つ。まあ、花園の店の中とまではいかないが、ふたりをお客さんとして迎える準備を整えたんだ。そこへ、泰人と伸一が乗り込んでくる。菊枝、ひとりと思っていたら、菊枝は居らず、さくらといるはずのない、リリィが、ウィスキーを飲んでいた……」

「リリィ!なんで、おまんがここに居るがな?」

と、泰人が驚く。

「さくらさんも、どうしてここに……?」

と、伸一も眼を丸める。ふたりは、菊枝とリリィが同一人物とは、まったく思っていない。

「菊枝は?」

と、泰人が尋ねた。

「ふふ、あんたらぁの悪巧みに気づいたんやないかな?さっき、出ていったよ。わたしらぁ、ちょっとした知り合いで、飲み会をしているんよ。ヤスさん、シンさん、どう?一杯やる?お店やないき、お代はイランよ」

「どうする?」

と、伸一が泰人に耳打ちする。

「まあ、菊枝のことは慌てるにヨウバンき、リリィが一緒に飲もうゆうがやき、一杯やるか……」

ふたりは、用意されたテーブルの椅子に腰をおろした。テーブルには、ホワイト・ホースの瓶と、氷の入ったガラスの器とグラスが並んでいる。ただ、その傍に、一本大きなロウソクが燭台の上に灯っていた。

「なんや、このロウソクは?」

「お店やないき、雰囲気を出すのに、裸電球は味気ないろう?」

「なるほど、まあ、雰囲気はあるか……。ところで、菊枝はどうしたんや?ワシらぁが悪巧みしているなんて、何のことかわからん。伸一が菊枝の気持ちを知りとうてきただけや。伸一は本気で菊枝と結婚したいと思っているんや。それを伝えにきただけやでぇ」

「悪巧みって、冗談や。急に姉さんから電話があって、姉さんところへいったワ。わたしらぁは、勝手に飲んでって、ってことになったんよ。ヤスさんとシンさんが来てくれて、賑やかになったワ。さあ、乾杯しよう……」

乾杯、といって、四人はオン・ザ・ロックのグラスをあわせ、琥珀色の液を喉に流し込んだ。

「ウッ!なんや、このウィスキー、エライ苦いぞ……」

と、グッと飲み込んだ泰人が驚きの声をあげた。横に座っている、伸一も顔をしかめている。

「ふふふ、毒入りのウィスキーだもの、苦くて当然よ」

と、リリィが勝ち誇ったような笑いを浮かべながらいった。

「ど、毒入りやて?おんなじもんをおまんも飲んだやないか!」

「ウィスキーやのうて、氷に仕込んでいたんよ。それに、わたしらぁは、解毒剤を飲んでるんよ」

「解毒剤?それを渡せ!なんで、ワシらぁに毒を盛らんとイカンがな?おまんに恨まれる筋はないぞ!」

「リリィにはなくても、菊枝、いや、カンナにはあるろう?」

「カンナ?おまんとカンナが何の関係があるがな?」

「まだ、わからないの?わたしはリリィだけど、それは源氏名。本名は広岡菊枝。カンナの妹よ!」

そういって、リリィはパーマのかかったカツラを外し、黒ぶちの眼鏡をかけた。そこには、この部屋の住人の顔があった。

「解毒剤はここにあるわ。あと、三分以内に飲めば、確実に毒は消える。これが欲しかったら、この部屋であんたたちが、カンナにしたことを洗いざらい白状しなさい。そして、カンナに謝るのよ!さあ、あと、二分、半よ……」

「それで、泰人は白状したんか?」

と、小政が尋ねた。

「待ってください。泰人も伸一も毒は飲んでいませんよ!解毒剤飲んでも、薬物反応は完全には消えませんし、薬物は睡眠薬やったがですよ!」

と、野上刑事が反論した。

「毒なんて、いれてないよ。苦い胃薬かな?解毒剤といって渡した薬が、睡眠薬だったのさ」

「あっ!なるほど、わざと苦い味を出して、毒と思わせ、解毒剤と称して、睡眠薬を飲ます。詐欺師の手口ですね?」

「そう、泰人は全てを白状して、カンナに懺悔しただろうね。伸一も同じだったと思う。そして、解毒剤と思って、渡された睡眠薬を飲んだんだ……」

「じゃあ、菊枝は目的を達成したのよね?なんで、火災が発生したのかな?それに火災に気づいたら、逃げ出すことができたはずでしょう?」

と、睦実が疑問を口にした。

「ムッちゃん、睡眠薬が完全に効く前に、菊枝が、毒と解毒剤は嘘っぱちで、今飲んだのは睡眠薬だと、ネタばらしをしたんだよ。泰人と伸一の馬鹿さ加減を嘲笑うためにね……」

「うん、小政さんの推測どおりだと思う。もともと、菊枝さんは、死ぬ覚悟で泰人と伸一と対決したんだ。あまりに、計画どおり、しかも、咄嗟のにわか芝居がこれ程上手くいくとは、思ってなかっただろうからね。少しの油断が生じた……」

「油断?何があったの?」

「菊枝を脅すために、伸一は果物ナイフをポケットに隠し持ってきた。睡眠薬が、完全に効く前にそれを使って、菊枝を刺そうとした。それを察したさくらが、菊枝を庇って、左肩口を刺されてしまう。その時、燭台のロウソクが倒れて、襖に火がついた。そこへ、伸蔵が現れた。火を消そうとしていた菊枝を逆に火をつけていると勘違いして、押さえつける。それを見て、さくらは菊枝を助けようと、肩に刺さったナイフを抜いて、伸蔵の背中を刺したんだ。そして、全員が、意識を失って、火災が広がったんだよ……」

「火元の襖に、一番近い位置で倒れていた菊枝が、才蔵君に救われたって、ことか……」

「わからないことがあるわ。さくらさんは二度も菊枝を庇っている。最後は、自分の出血も顧みずに……。なんで、そこまでしたん?夫の仕出かしたことに対しての、罪滅ぼし?そんなわけあらへんよね?離婚寸前の夫婦なんやから……」

「これは、かなり、乱暴な想像だけど、さくらさんと菊枝さん、あるいは、その姉妹とは、血縁関係だったんじゃあないかな?ほら、瑠璃子さんが、大阪に親戚がいるってゆうてたろう?さくらさん、大阪育ちやき、関係あるかもしれん。ひょっとしたら、年齢が一致するから、しのぶさんがさくらさんかもしれん。そしたら、ふたりは、母親同士が従姉妹だから、再従姉妹になるんかな?」

「それ、すごい、飛躍的な推理やけど、『ルパンの生まれ替わり』の直感やったら、当たっている気がするワ……」


25

「こちらに、石川睦実さんってかた、いらっしゃいますか?受付に男性のかたが、お見えですけど……」

 ドアが開いて、ナース姿の女性がそういった。

「はい、わたしです!けど、誰やろう?」

「十兵衛さんか、その配下の人やろう?睦実さんがここに居ることを知っているんやから……」

「あっ!そうやね。看護婦さん、その男性、進藤英太郎に似てへん?東映の悪役の……?」

「は、はい……」

「そしたら、わたしの知り合いや!ここへ呼んできて……」

看護婦が、首を傾げて、部屋を出て、すぐに、黒い着流し姿の悪役がドアの前で、頭を下げて入ってきた。

「十兵衛さん、しのぶさんの里親から、その後の行方がわかったのですね?」

といったのは、小政だった。十兵衛は無言で頷いた。

「しのぶさんが、今、どうしているか、当てましょうか?さくらと名乗って、泰人の妻になっている?どうですか……?」

「ええっ!もう、警察を使って、調べがついているんですか?かなり、難しい調査でしたのに……」

「ええっ!十兵衛、当たっているのんか?」

「ええっ!それでは、調べがついているんやのうて、推測だったんですか?どこから、そんな推測ができるんです?小政さん、凄いですね?」

興奮など決してしない男が、興奮気味にいう。

「いやぁ、十兵衛さん、わたしやのうて、ボンの推測ながです……」

小政は困ったように、髪の毛をかき回す。金田一耕助のように……。

「実は、十兵衛さんが教えてくれた、遺伝は耳の形に現れる、ってやつで、女性陣の写真を並べていた時、さくらさんの耳の形が、陽子先生の耳にすごく似ていることに気づいたんよ。ほかの女性陣より、確実に……」

「顔は似てないわね?あっ!門田校長に似ているかも……」

「そうか!さくらと陽子さんは、両親とも同じ、本当の姉妹なんや!戸籍やない、血縁関係で……」

「そう、陽子先生は母親の暢子さん似。さくらさん──生まれた時はしのぶさん──は父親似だと考えれば、ふたりが似ていなくても、姉妹の可能性は充分あると思っていたんだ」

「直感やのうて、ちゃんと、確証があったんか?ボンに騙されてたなぁ!小政さんより、やっぱり、詐欺師の才能、持っているワ。千代姐さんにゆうたら、叱られるけど……」

「確証とは、いえんろう?詐欺でもないと思うけど……。それより、十兵衛さんの報告を訊こうよ」

ボンの言葉に、促されて、十兵衛が語り始める。

「結論は、ボンがおっしゃったように、暢子さんの最初のお子さんは、里親のもとで、さくらと名付けられて成長しました。その里親ですが、調べるのに苦労しました。もう、地元に住んでいない家が多くて、しかも、里親が亡くなっていたり、里子本人が死んでいたり、行方が不明だったりで……、八人のうち、五人は違うとわかりました。暢子さんと門田校長の娘だとすると、だいたいの顔立ちは想像できますし、血縁型がふたりとも『O型』なので、子供もO型だと絞れました。残った三人を探しているところに、大阪のほうから、さくらさんの情報が届いたんです。そのさくらさんの両親というのが、残った、捜索中の里親で、さくらさんの血液型はO型だとわかりました。写真で骨格や耳などの部分的な特徴を点検した結果、類似する箇所が多く、さくらさんに絞って、里親の知人、親戚筋を調査した結果、大垣の本家から、直接の依頼、つまり、あらかじめ決められていた、里親ではないのに、里親になったことがわかりました。さくらさんが間違いなく、暢子さんの娘です」

「そうか、戦争があって、地元を離れた人も多いし、女性の三十歳すぎだと、嫁入りして、姓も変わっているよね?ハ人を調べるのは大変だったんだ……。それで、さくらさんと泰人が知り合ったあたりのことはわかったの?」

「ええ、簡単でした。泰人が大阪の大学に通うために下宿した家が、本家の親戚筋のさくらの家だったんです。つまり、大学時代、同じ屋根の下でふたりは暮らしていたのですね……」

「それで、男女の関係になって、桃子ちゃんが、できちゃった、ってやつか……」

「小政さん、それが、少し、怪しい点があるんです」

「怪しい点?」

「ええ、確かに、ふたりは、一度だけ、関係をしたらしいのです。その現場、つまり、さくらの実家の、泰人が借りていた部屋で、その行為をしていたところを、さくらの父親に見つかって、泰人は下宿を追い出され、さくらは別の親戚に預けられたそうです。で、桃子が生まれた日を逆算すると、その日より遥かに後日、関係をもった計算になる。ふたりが内緒で会っていたとは、思えないんです……」

「つまり、桃子ちゃんは、泰人の子供ではない、ということですね?」

「それが、そうともいえない。桃子は泰人に似ていて、誰もが、パパそっくり、というそうです……」

「じゃあ、やっぱり、内緒で会っていたんでしょう?泰人の精液を冷凍保存して、人工授精でもしない限りは……」

「その、どちらでもないとしたら……?逆だったんだ!」

「えっ!ボン、逆って、なんや?」

「ごめん、逆って、僕の考えが逆やったってこと。つまり、桃子ちゃんはさくらと別の男性──泰人以外──との間にできた子供だと思っていた」

「ああ、十兵衛さんの報告を訊いたら、それが正解やろうな。誰もがそう思うよ」

「だから、それが逆。桃子ちゃんは泰人と誰か別の女性──さくらさん以外──との間にできた子供だった……」

「はあ?ボン、それじゃあ、さくらさんが泰人と結婚する意味がなくなるよ!その別の女性と結婚するのが、普通でしょう?」

「睦実さん、大垣家は普通じゃないんだよ。まあ、そこは、あとにして、十兵衛さんに確認したしたい……」

「なんでしょう?」

「泰人が下宿を追い出された時期と、その後の行動……。ひょっとして、大阪から帰ってきたんじゃないかな?」

「ボン、その時期ってゆうのは、まさか、カンナと出会う時期と重なるってことかい?」

「うん、小政さんも気づいたやろう?泰人の学生時代ゆうたら、十年くらい前。桃子ちゃんが九歳やからね。カンナにイタズラしたのも、戦後の学生時代だったよね?大阪の大学にいた泰人が、カンナと度重なる関係を持ったとしたら、高知にいて、大阪にはいなかったことになる。下宿を追い出されて、実家に帰ってきたとしたら、辻褄が合うんだ」

「確かに、時期は一致すると、わたしも思った。しかし、それが、ボンのいった、桃子ちゃんの出生と、どう関わるのかは……?」

「ボン、まさか……、いや、ごめん、あり得んワ……」

「ムッちゃん、なんか閃いたんか?ゆうてみぃ……」

「いやや、外してばっかしやから……、『外しの睦実』って、あだ名がつくワ」

「睦実さん、きっと正解やと思うよ。ずっと僕と一緒に、大垣家の醜聞を訊いてきた睦実さんやったら、考えつくと思う」

「じゃあ、笑いなよ。桃子ちゃんは泰人とカンナとの間にできた子供……」

「あり得んよ!それやったら、さくらさんが母親になるわけがない!」

「小政さん、どうしてあり得んの?泰人自身は泰蔵の子供やない。さくらさんも本当の両親を知らん。伸一も政二郎も園も、戸籍の両親と本当の両親が一致している人は誰もいないんだよ……」

「それはそうだけど、さくらさんは、部外者だろう……?」

「部外者かな?大阪の親戚で、泰人と関係を持っている。さくらさんは傷もんにされた。泰人は、初体験の相手がさくらさんだった……」

「確かに、ふたりが夫婦になるのはわかる。しかし、カンナの子供をふたりの子供として、籍に入れるというのは……」

「大垣家の風習。子供は神様からの授かり物……、大垣家の離れで授かった、泰人の子供なんだから、籍を入れることに誰も反対しないさ。さくらさんも納得のうえでの結婚だよ。しかし、それだけじゃあないかもしれんよ……」

「それだけじゃあない?」

「さくらさん、カンナが自分の再従姉妹だと知っていたんじゃないかな?ほら、瑠璃子さんが、大阪の親戚に遊びにいったことがあるっていってたでしょう?さくらさんの実家は、その親戚に当たるんじゃあないかな……」

「ボン、いいですか?」

そういったのは、それまで黙って探偵団の会話を訊いていた、坂本刑事だった。

「なに?勇さん?」

「カンナさんは、いつ、どこで子供を産んだがでしょうね?泰人は、『カンナはいつの間にか居らんなった。自殺したんじゃないか?』ってゆうてたでしょう?子供を産んだなんて知らんみたいですよ?泰蔵さんや伸蔵さんの親世代も知らんはずやし、カンナの身内の瑠璃子さんも知らんようやし、誰が、カンナの子供を引き取ったがでしょう?泰人のタネと知ったがでしょう?」

「勇さん、鋭い指摘や!ボン、勇さんのいうとおりや、辻褄が合わんよ」

「簡単さ。さくらさんが知っていたんだよ。引き取ったのもさくらさん。だから、泰人と『できちゃった結婚』したんじゃないか。たぶん、泰人は桃子ちゃんは自分とさくらの戸籍どおりの子供だと思っていたはずさ。カンナは身籠ったことを知って、頼ったのが、大阪の親戚、さくらさんだったんだよ。そこで桃子ちゃんを産んだ。カンナさんはその後すぐに、亡くなったんじゃないかな?さくらが自分の子供として、泰人に結婚を迫った。身に覚えがあるから、話がまとまった……」

「じゃあ、さくらさんとカンナは子供の頃から、仲が良かったのね?」

「さくらさんにとっては、瑠璃子さん、カンナ、菊枝の三姉妹が唯一血のつながりを感じる仲間だったんだよ。母親同士がよく似た従姉妹で仲が良かったようにね……」

「しかし、妊娠期間が合わんことを誰も思いつかんかったがやろうか?」

「気がついていたさ、泰人以外はね。でも、大垣家の風習で、泰人とそっくりな顔立ちだったから、母親が誰かは、問題にならなかった。さくらさんが母親だというんだから、問題なかったんだよ」

「まったく、驚く家族だな……」

「では、僕はボンの推理を検証するよう、課長と鑑識に伝えます。殺人と殺人未遂ですから……」

そういって、野上刑事が席を立つ。その背中に小政が声をかける。

「野上さん、あんまり、張り切らんほうがエイよ。事件にはならないと思うよ。酒を飲んでいて、誰かがロウソクを倒した。その火が襖に燃え移った。事件やのうて、事故で片付けられるよ。政治的な圧力ってやつでね……」

「そ、そんな……」

「ああ、小政さんのいうとおりや。殺人も未遂も犯人は死んでいる。検察をわずらわしたくないろう?相手は県議の大物、県の経済界でも、有名人や……」

「坂本先輩!先輩らしゅうないですよ!正義感の塊の先輩が……」

「大垣議員を庇っているんやない。さくらさんが殺人犯人になったら、娘の桃子ちゃんは……」

「あっ!両親を亡くして、しかも、父親の過去と母親の殺人犯罪……。そうですね、事故にしておきましょう……」

そういって、野上刑事は部屋を出ていった。

「勇さん、刑事らしゅうなったやないか!いや、いい間違えた。立派な刑事になったや!」

野上刑事が去った部屋で、小政が、感じいったという口調で勇次に話しかけた。

「ああ、今のは、杉下さんの教えです。全ての悪を捕らえるんやない!正義感というのは、見逃しても良い犯罪を、見逃せる勇気が必要や!罪を憎んで、人を憎まず!これが本当の正義感だ!そうです……」

「ああ、そのとおりや!けど、こうして、勇さんが一人前の刑事になったら、ますます、わたしの出番がなくなるなぁ!そうや!こうなったら、とことん、今回の事件の関係者を調べてやろう!十兵衛さん、あと、残っている人間は……?竜平と久美子……、よし、泰人の父親の小作人の息子と、伸一の母親の製紙工場の女工さん。さくらの育ての親まで調べてくれませんか?みんな、つながりがあるような気がするんや。事件の全貌を解明しようよ!」

「小政さん、仕事、大丈夫……?」


26

「顔役さん、石さんとマコちゃんと一緒に、大阪の石川家へいってるの?」

お盆休みが終わった次の日曜日、刻屋の惣菜売場の横のテーブルに座っている、小政に、冷たい麦茶のグラスを差し出しながら、千代が尋ねた。

「ええ、昨日出発して、今朝、挨拶に伺う予定です」

「睦実さん、一緒に帰らんでよかったが?高知へ出てきたがは、石さんとマコちゃんの問題を解決するためやったがやろう?」

同じテーブルに座っている、睦実に千代が確認する。

「わたしが帰っても、役にはたちませんよ。顔役さんがいったら、まず間違いなく、親父はふたりの結婚を許します。わたしが傍にいたら、わたしの結婚の話が出そうで……」

「まあ、ついでに、睦実さんと小政さんの結婚も許してもらったら?」

「ブゥッ!」

と、小政が飲みかけの麦茶でむせそうになった。

「千代姐さん、わたしはまだまだ、結婚する気はありませんよ。長女は片付いていますが、双子の姉も、すぐ上の四女も、まだ、縁遠いんです。わたしが先にはいけません。それに、ボンのこと諦めたわけじゃあないですから……」

「ブゥッ!」

と、今度は、千代の息子が、麦茶にむせる。

「まだ、石川家の跡継ぎ候補に僕が居るが?そりゃあ、睦実さんは好きだよ。僕が十年早く生まれていたら、小政さんのライバルになっただろうけど……」

「うれしい!ボン、結婚は無理だけど、恋人でいようね?」

「ああぁ、若いっていいわね?わたしも独身に帰って、恋がしたいワ……。それより、小政さん、仕事は?亀ちゃんが新しい会社を創りたい、って言い出したんでしょう?お母さんが心配してたよ。亀ちゃんの発想だから、夢みたいなことで、精算性なんか無視してるんやないかって……」

「おや、お寅さんにまで伝わっているんですか?マッちゃんには内緒ですよ!」

「ええっ!アッシには、内緒ですって?」

惣菜売場の扉が開いて、角刈りの顔が覗いた。

「ウワァ!」

と、テーブルの四人が同時に声をあげる。

「なんやの、マッちゃん、今日は商売、稼ぎ時で忙しいんやないの?」

「午前のお客は終わらせましたよ。小政の兄さんの姿が見えましたんでね、例の大垣家の惨劇の謎解きが始まると思いまして、陽子先生のお見合いがどうなったか、気になりますから……」

「なるほど、マッちゃんが持ってきた話だったよね?そういえば、山田君と杉下君にも会っていないな……」

「子供に訊かせれない、内容が多いからね。そこを省くと、事件の謎解きにはならないし、まあ、陽子先生のお見合いは、ボツになったって、結論を伝えるだけね」

「千代さん、アッシには、事件の全貌を訊かせてくだせぇよ。大垣家の火事のことですが、どうも新聞発表は怪しいですぜ。離れで宴会していて、酒を飲んでた時に、立てていた、ロウソクが倒れて、その火が襖に燃え移ったってことですが、大の大人が五人もいて、内、四人が焼死。助かったのは、消火に当たっていた、消防士が必死で担ぎ出した女性ひとりってことですぜ。全員、へべれけ、だったんですかねぇ?」

警察の発表は、テーブルの上に立てられていたロウソクが、燭台ごと転がり落ちて、襖に燃え移り、消火しようとして、全員逃げ遅れ、煙を吸って意識を失った、というものだった。しかも、ただひとりの生存者を救い出したのは、一般人──才蔵──ではなく、消防士のひとりになっていた。

「おう!今日は若女将も居れば、小政の兄さんも揃うちゅう!大垣家に纏わる事件の総括でもしよったかよ?」

開けっ放しの玄関口から、挨拶も、遠慮もなしで、レイバンのサングラス男が入ってくるなり、テーブルに座っている一同に声をかけた。

「あら、杉下さん、お仕事は?暴力団の取り調べで忙しいんやなかったんですか?」

「まあ、忙しいことは忙しいんやが、こっちの事件を仕上げちょかんと、警察の沽券に関わるきね」

「こっちの?ということは、大垣家の事件のことですか?今、その話が始まるところでしたけど、警察の沽券って何のことです?」

「ボン、うちの末の息子が持ち込んだ、怪談噺をどう解くか、楽しみにしちょったら、石川の組織とやらを使うて、警察以上の調査をしたそうやな?ワシでさえ、掴めんかった、暢子の最初の娘がさくらだったと探り当てたそうやな?」

「ちょっと、待ってください。末の息子って、まさか、旭少年探偵団の杉下君のことなんですか?」

「そうや、あれ?知らんかったがか?ワシに色々、調査を頼んできたがは、息子の関係からやなかったがか?」

「全然、顔が似ていませんよ。本当に杉下さんのタネですか?」

「おいおい、怖いことゆうなよ!正真正銘、ワシのタネよ!ワシの親父にそっくりや!ワシは母親似やから、隔世遺伝やな。五人目でやっとできた男の子や」

「そしたら、もうひとりの山田君は?ヤマちゃんの……?」

「そうよ、あれは山田巡査の末の弟よ!顔がよう似いちゅうろう?歳はだいぶ離れちゅうけんど……」

「はあ、謎が解けました。少し予想と外れていましたけど……。あっ、それで、話を戻しましょう。沽券の話に……」

「さかもっちゃんから訊いた。小政の兄さんが、全ての関係者の身元を再調査するよう、石川の組織に頼んだそうやな?竜平や久美子はともかく、小作人の息子や女工のことを調べるなど、狂気の沙汰や!みつかるはずがない、と思うたが、先に見つけられては、警察の……ということよ」

「それ、沽券に関わることですか?」

「うん、まあ、ワシの中では……、素人に警察が負けるわけにはイカンがよ」

「じゃあ、杉下さんが、小作人の息子とか、女工さんが誰だったかを調べたんですか?まさか!例の手、陽子先生のお父さんとお兄さんに使ったやり方ではないでしょうね?」

「オホン、ワシは脅迫染みたことはせん!ちゃんとした取り引きよ」

「別に、脅迫したなんていってないですよ。で、誰とどんな取り引きをしたんですか?ふたりのことを知っていそうなのは、藤子改め、雅子さんか、伸蔵さんが亡くなったから、泰蔵さんですよね?」

「お見通しかよ?そのふたりを呼んで、今回の火災を事件やのうて、事故で済ませる代わりに、泰人の父親と、伸一の母親の名前を白状させたがよ。藤子は自分が惚れた男やき、名前はすぐにわかった。女工のほうは、当時の職員名簿を捲って、泰蔵に確認させた。その名前を当たれば、本人には記憶があるから、まず間違いなく、特定できる。泰人の父親は、今も地元で農業をしゆう。棚田で米と、お茶の栽培をしよった。結婚して、孫も居る。こっちは問題なさそうやったが……」

「女工さん、伸一の母親に問題があったんですか?」

「問題があるかどうかは、まだ調査してない。伸一の母親は結婚して、姓が変わり、中井静子になっている」

「中井?それって、家政婦の中井久美子の関係者ってことですか?」

「そうゆうこっちゃ。静子は久美子の母親。もう故人になっている。父親も亡くなっているから、身内が居らん。つまり、伸一がただひとりの血縁者、だったってことよ」

「久美子はそれを知っていたのでしょうか?」

「半分、知っていた。本人から訊いた。母親が亡くなる前に、久美子には、父親が違う兄がいることを告げたらしい。ただ、大垣家の息子になっていると、訊いただけ。伸一か政二郎かは、わからなかったそうや」

「まあ、顔を見れば、伸一は父親の伸蔵に似ている。政二郎は母親の藤子に似ているから、伸一のほうだと見当はついたでしょうね?」

「それがや、久美子は政二郎が兄と思っていたらしい。母親の静子は泰蔵の奥方の藤子の血縁で、歳も近いし、顔立ちも似かよっていたらしい。政二郎は父親の二宮孝太郎にも似ているから、藤子似とも、静子似とも、とれたんやな。それと、藤子と泰蔵の夫婦には、子供ができないことを、久美子は知っていた。だから、伸一は伸蔵と雅子の実子で、政二郎が静子の子供だと勘違いしたんやな」

「まあ、政二郎と伸一を比べたら、容姿から頭の良さ、全てで政二郎が上ですからね。自分の血縁者としたら、そっちを選びたいですよね」

「小政さん、としたら、久美子はなんで、泰人の浮気相手を装ったがやろう?」

「ボン、また、わたしを試す気か?考えられるのは、会社の継承問題やろうな。泰人は長男だから、普通の家庭なら、彼が次期社長やろう。久美子はそう思っていた。そこで、泰人のスキャンダルを作って、自分の兄を社長にしようとした。けど、泰人とそんな関係にならんでも、泰蔵は政二郎を跡継ぎにすることを決めていると知ったんや。それで、泰人と久美子は中途半端な間柄のまま、ってことやろうな……」

「うん、正解やと思う。としたら、あの門田校長の模写の美人画に細工したのは、久美子の可能性がでてくるんやない?政二郎さんと陽子先生が結婚したら、泰蔵は政二郎さんを後継者にすることを公にするつもりやったんでしょう?久美子は見合いが成功するように、美人画が微笑んだように細工した、と考えられる……」

「そうやった!あの美人画に細工した人物が誰だったか?は、謎のままやったね。久美子の可能性はある。第一候補だね」

「でも、美人画の細工の所為で、お見合いは頓挫して、おそらく、破談……」

「母ちゃん、それは、結果論。泰人が怪談に仕立てた所為で、久美子さんの目論見が破綻してしまったんだ。ただ、泰人が怪談を考えついたとは思えない。誰かが、少なくてもヒントを提供しているはずなんだ」

「なるほど、そこにも謎が残っているわけか……」

「探偵団の謎解きはあとにして、ワシの調査結果を先に訊いてくれるかよ?」

「あっ、はい、杉下さん、どうぞ……」

「小政の兄さんが知りたかった、泰人の父親と伸一の母親、おまけに久美子のことは、わかったろう?さくらの育ての親は、大垣家の本家がある村の出身で、由紀子の母親、つまり、瑠美、果菜、菊枝の三姉妹を預かった婆さんの甥夫婦やった。戦前に村を離れ、婆さんの本家筋を頼って、大阪に移り住んだ。その家に、泰人が下宿したことで、さくらと泰人は男女の関係を持ったわけよ。瑠美と果菜もその婆さんの本家に遊びに行くことがあって、さくらとも顔見知りやったらしい」

「ボンの推測どおり、さくらとカンナは知り合いやったってことやな?」

「さくらの娘の桃子やが、さくらの両親や世話をしていた、婆さんの本家筋の話を総合すると、さくらも妊娠したらしい。ただ、父親が意見して、中絶したということや。桃子はさくらの子やない。ただ、果菜の子という証拠は見つけられんかった。そもそも、果菜が妊娠したのかも確認できていないし、仮に、妊娠していたとしても、どこで出産したかは、不明や」

「でも、さくらさんは桃子を引き取り、泰人と自分の子だと主張して、泰人の嫁になったんでしょう?さくらさんは、ご両親には、なんていってたんですか?誰が産んだ子だと……?」

「両親には、誰の子かは、いわなかったそうや。神様からの授かり物、泰人と自分の子として、育てなイカン子供やと、両親にゆうたそうや。父親も、さくらに無理やり、中絶をさせたことで、負い目があって、結婚を認めたそうや……」

「でも、両親は、四分の一の確率で、さくらと泰人が異母姉弟という可能性を考えなかったのかしら?」

「中絶させたのは、そのことがよぎったからや。けど、泰人の父親が泰蔵ではないことを藤子から訊いたそうや。娘を傷もんにしたお詫びに、藤子が大阪まででてきて、謝ったそうや……。同時に『さくらの父親は、門田のはずや、顔が似ているし、血液型からも、ほぼ間違いない。泰人の嫁に貰うても、何の問題もない』といって、その時は帰ったそうや」

「じゃあ、桃子が生まれなくても、藤子さんは将来的に、さくらさんと泰人を結婚させる気やったがですね?」

「昔のことで、娘を傷もんにしたら、それなりのことは、せんとイカンかったがやろう……」

「よく考えたら、門田校長先生、独身のくせに、さくらに陽子に園と、三人も子供がいるんやね?母親が園ちゃんは、違うけど……」

「へぇー、千代さん、陽子先生と園ちゃんが姉妹ってことですかい?じゃあ、もし、陽子先生と政二郎さんが結婚したら、園ちゃんは妹で従妹──義理ですが──になって、桃子ちゃんはどんな関係になるのか?さっぱり、わかりませんね?」

「普通に義理の姪だろう?夫の兄の娘だから……、母親がカンナさんなら、再従姉妹の娘だから、遠い親戚になるだけさ」

「なるほど、複雑過ぎて、コンガラガリますが、そこはシンプルな間柄……、さすが、ルパンの……」

「でも、やっぱり、気になるなぁ……」

「えっ!何か、アッシが気になることでも……?」

「園ちゃんさ。彼女が今回の騒動に関わっているのか、いないのか?なんせ、彼女を誰も見かけてないだろう?家にはいないし、どんな立場なんだろう……?」

「ほう、警察のほうで、泰人と伸一の親と家政婦の久美子のことを調べたんですか?そしたら、残りは、間竜平ですね?」

鬼警部とマッちゃんが帰ったあとに、惣菜売場の戸を開けて入ってきた、黒い着流し姿の男が、ボンからの説明を訊いたところだ。

「竜平さんは、旧制中学時代の同窓生なんでしょう?まさか、縁故採用ではないんでしょう?」

と、十兵衛に麦茶のグラスを差し出しながら、千代がいった。

「それがですね、竜平は藤子さんの関係者らしいんです」

「らしい?確定ではないの?」

「藤子に従妹がいたでしょう?雅子っていう、行方知れずの女性……、その名前を借りて、藤子は伸蔵の妻になって、藤子と雅子という、一人二役を演じていた……」

「ええ、そのまま、藤子は亡くなったことにして、雅子として暮らしているわね」

「雅子は男と駆け落ちしたんです。その男の名前が、間俊夫。戸籍上の竜平の父親です」

「じゃあ、母親は、本物の雅子ってことなの?」

「いえ、俊夫は別の女性と結婚していることになっています。けれど、竜平が生まれて、すぐくらいに離婚しているんです。結婚期間、わずか、一年半で……」

「偽装結婚の可能性が、あるってことなのね?」

「俊夫は戦時中に亡くなって、竜平は叔父の家庭で育っています。その家庭も大垣の本家がある村の一族です」

「まあ、藤子さんは大垣家の本家筋のお嬢さんだから、従妹の雅子さんも同じ系列。駆け落ちする男も近い存在だろうね。藤子さんは小作人の息子とは、駆け落ちをしなかっただけのようだから……」

「あんた!会話が大人の領域になっちゅうよ!ちょっと、遠慮がちに話や!わたしの躾が疑われるろう?」

「もう遅いよ!十兵衛さんたちには、我が家の特殊な環境がバレバレなんだ。それに、今回の騒動は常に大人の領域の話ばっかりやき、仕方ないろう?」

「はぁ、我が家はそんなに特殊な環境なんか……」

「姐さん、羨ましい家族ですよ!親子でこんな会話をしている家族なんか、どこにもありませんよ。ボンが大人びていることは、決して、恥ずかしいことではありません。母親が素晴らしいから、子供が早く世の中の道理が理解できるのです。ボンは、千代さんの息子だから、これほど大人の領域まで理解できるのです」

「十兵衛のゆうとおりや!わたしも千代姐さんみたいな母親になりたい!」

「確かに、ボンの才能を引き出したのは、千代さんですからね……」

「あっ!それは違うやろう!十兵衛さんと睦実ちゃんの言葉は嬉しいよ。でも、小政さん!この子の才能──詐欺師か策士かわからんけど──を引き出したのは、小政さんよ!」

「ええっ!嘘でしょう?」

「確かに、策士の点は小政さんに似ている。幸雄さんの存在がなかったら、ボンは千代姐さんと小政さんの子供やと思われそうや……」

「ちょっと、睦実ちゃん、それ、絶対、他所でいわんといてよ!」

「大丈夫だよ。僕が生まれた時には、母ちゃんと小政さんは出逢ってないもの。弟も微妙な時期だもんね?」

「ちょっと、その最後の言葉がイランがよ!」

「でも、ボンの才能が開花したがは、例のマコちゃんと石の勝負ですよ!マコちゃんをボンに逢わしたのは、勇さんです!そうや!ボンの才能引き出したんは、勇さんや!」

「ええっ?僕の手柄話ですか?」

「わぁ!なに!このタイミングで、登場するの?勇ちゃん……」

空きっぱなしの玄関口から、勇次がひょっこり現れ、千代が驚きの声をあげる。

「皆さん、お揃いで……、あれ?ハチキンさんは……?」

「お母さんは、親戚の初盆のあと、骨安めゆうて、西のほうの観光にいっている。足摺岬から、見ノ越、宇和島をまわって帰ってくるようよ」

「そうですか、名物女将を紹介したかったのに……。さあ、遠慮のう、入ってきてください」

「えっ!お客さま……?」

玄関先でたち止まっていた、女性ふたりが、頭を下げながら入ってきた。

「へぇ、ここが有名なハチキンさんが居る刻屋旅館なんや!田舎のばあちゃん家に似ているなぁ……」

あとから入ってきた、若いほうの女性が、刻屋の玄関廻りを眺めながらそういった。

「いらっしゃいませ。勇ちゃん、どなた?」

と、千代はふたりの女性に覚えがなく、勇次に小声で尋ねた。

「あっ!あんた!あの日のお客さんや!男前でインテリアで……あれから、お店にきてくれんし、名刺も貰わんかったし、逢いたかったんよ!結婚するなら、この人や!とビビッときたんやから……」

若い女性が小政に気づいて、嬉しそうにそういった。

睦実と千代の怖い視線が小政に注がれる。

「ああ、リリィさんですね?瑠璃子さんには、市民病院でお会いしましたけど、小政さん以外は、リリィさんに逢うのは初めてですよね?菊枝さんとしても、お会いしていないし……」

咄嗟に、周りの空気を読んで、ボンがふたりのお客に会話を向ける。

「あら、この子がママのゆうてた、子供の格好した、特捜の刑事のような小学生ね?初めまして、広岡菊枝、お店では、リリィってゆうてます。リリィって呼んでください」

(ムッ!なかなか、やるわね、顔立ちが派手やし、胸も大きいし、水商売には向いているわね、男が騙され易いタイプやな)

千代は、リリィの容姿をじっくりと見つめながら、心の中で呟いていた。

「リリィ、初対面のかたたちですよ!お店のお客さんと違うんやから、言葉使いに気ィつけなあきまへん!」

妹のざっくばらんな言動を、瑠璃子はたしなめる。

千代にうながされて、テーブルの前に座ると、リリィが頭を下げる。

「この度は、命を救っていただき、本当にありがとうございました。刑事さんから、あの火災の中に飛び込んで、わたしを抱えて、助けてくれたのは、消防士やなくて、井口探偵団のかたや、と訊きました。消防士さんでさえ、諦めなイカン状況やったのに、自分の命も顧みんと火の中に飛び込んでいったそうですね?どなたですか?わたしの命の恩人は……?」

リリィは、一気にそういって、周りを見回した。

先ほどの、小政やボンにいった言葉使いとは、同じ人間から出てくる言葉とは思えず、探偵団の一同は、呆気にとられ、返答ができない。

「ああ、リリィさん、確かに、あなたを炎の中から、救い出したのは、探偵団のメンバー……?ゆうか、まあ関係者よ。でも、あなたがそんなに、恩を感じる必要はないわ。その人は、ここにはいないけど、あなたの命が助かったことを喜んでいるわ。その人は当たり前の行動をしただけ。消防士以上の能力があって、確実に生還できるとわかっていたから、炎の中に飛び込んでいったのよ。しかも、あなたを助けるのではなく、全員を助けたかったのよ。だから、彼は……」

「わたしは、たまたま、やった……?でも、その人が命の恩人であることには変わりないですね?逢って、お礼がいいたいのですが……」

「その人、県外からきていたのよ。お邦に帰られたわ。それより、怪我のほうは?火傷したんでしょう?声が出せなかったって訊いていたけど……?」

「はい、息をした時に、炎を少し吸い込んだみたいで、口の中や喉の粘膜が傷んでいたそうです。身体のほうの火傷は、たいしたことなくて、顔にも、跡が残らなかったのです」

「よかったわね、きれいなお顔に傷が残らなくて……」

「リリィ、ここは探偵団の本部よ。お礼も大事だけど、わたしたちが伺ったのは、事件の顛末をお話しするためでしょう?さくらさんの名誉のために、真実を伝えておく必要があるんでしょう?火事で生き残った、たったひとりの証言者として……」


27

「刑事さんから伺いましたが、こちらの探偵団は大垣家の関係者を内偵しているとか?それもわたしたち姉妹、特に次女のカンナに関わることのようですけど……?」

「ええ、内偵をしているうちに、幽霊騒ぎが起きましてね。その幽霊がカンナという女性に似ているらしく、火事で亡くなった泰人さんと伸一さんが怯えていた。それで、カンナという女性について、調査したところ、あなたがた三姉妹の名前が浮かんできたのです。内偵している内容については、依頼人との関係上、お話しできませんが、こちらの調査でわかったことや推測されることの裏付けのために、リリィさんにお訊きしたいますことがあります」

「はい、わたしでお役に立てれば、なんなりと……」

「では、最初に火事が起きた日のことをお話し頂けますか?さくらさんが、泰人と伸一との電話での会話を訊いて、その内容をあなたに知らせにきた辺りから……」

「それをどうして知っているのですか?わたし以外に知る人間はいないはずです!」

「現場の状況、ウィスキーの瓶とグラス、離れに五人が集まる理由を考えれば、あの日、何があったかは、想像できます。ただし、推測の域は出ませんから、当事者であるリリィさんに確認しているのですよ」

「リリィ、この探偵団は普通やないんよ!わたしもこの前、驚きの連続やったんよ。警察の知らんことも知ってはる。特に、カンナについては、姉のわたしも知らんことまで知ってはるんよ……」

「泰人と伸一は、床の間に飾られていた美人画のモデルの顔がカンナという、学生時代に関係を持った女性に似ていることを知っていました。モデルは松下暢子さん、あなたたちのお母さまの従姉に当たるかたです」

「暢子おばさん?ええ、母と仲よかった従姉はん、カンナは母親似でしたさかい、おばさんにも似ているはずや。けど、何で、ヤスさんとシンさんはカンナが化けて出てくるなんて思ったがやろ?」

「そのことについて、リリィさんは何かご存知ではありませんか?カンナさんが家を出て、高知の食堂で働いていた頃から、桃子という娘を産んだあたりのことを……?」

「桃子がカンナの娘?それ、誰がゆうてはるんです?リリィがそんなこと知るはずないですやろう?」

「姉ちゃん、姉ちゃんは知らんかったやろうけど、わたし、カンナ姉ちゃんが大阪へ行く前に逢っているんよ。お腹に赤ちゃんができたってゆうて、父親はわからん。ただ、小高坂の大きな屋敷の離れで、イヤラシイことされて、できた子供やと……」

「なんで、ウチに言わんかったん?」

「瑠璃姉ちゃん、カンナが家飛び出したこと、怒ってたから、カンナ、大阪のさくらさんに相談したんよ。わたしは、さくらさんと逢ったことがないけど、カンナと瑠璃姉ちゃんは、子供のころから知り合いやろう?ほんで連絡したら、さくらさんが、子供を産んだらエイ、その子はわたしの子供として、育ててあげてもエイ、ってゆうてくれたんやと……」

カンナは、泰人たちとの強制的な性交により、身ごもってしまい、姉には頼れず、幼なじみのさくらに相談したのだ。さくらは、中絶をしたばかり。カンナに同じ辛さを与えたくなかったのだろ。また、カンナの語ったお屋敷というのは、大垣家のことで、カンナを犯した男たちは、泰人の仲間ではないか?と想像していたようだ。

カンナは不安を抱えて、大阪へ旅立った。その旅立ちの朝、妹のリリィに連絡し、事情を話したのだった。

さくらは、その頃、親元を離れ、親戚の家に預けられていた。カンナはその親戚の元で世話になり、女の子を無事出産した。しかし、産後の肥立ちが悪くなり、還らぬ人となった。さくらは約束どおり、子供を自分の娘とし、カンナは親戚の菩提寺の住職に頼んで、供養してもらった。

「わたしが、伸蔵社長の秘書になって、離れに住み始めたあと、さくらさんがわたしがカンナの妹と気づいて、カンナの最期のことを話してくれたのです」

「あなたが、離れに住むようになったのは、やはり、カンナさんにひどいことをした、男たちが誰なのかを見つけるためだったのでしょうか?」

「はい、姉の復讐というか、真相を知りたかったんです」

「桃子ちゃんの顔を見たら、カンナさんに乱暴したのは、泰人だとわかったでしょう?」

「わたし、桃子ちゃんはずっと、さくらさんの本当の娘さんだと思っていました。さくらさんはカンナの子供を引き取ったことを、あの火災の日まで、話してくれませんでした。わたしはカンナの子供は生まれてこなかったと思っていたんです。大阪で死産したか、中絶したんだと……」

「では、その火災の起きた日のことをお話しいただけますか……」

さくらとリリィは、リリィが離れに住むようになったすぐのころに、リリィがカンナの妹と知ったさくらのほうから接触があった。さくらはカンナの亡くなったことは話したが、子供のことや、泰人たちがしでかしたことは話さなかった。リリィも自分の企み──姉の復讐──をさくらには知られたくなかったから、それ以後、ふたりになることはなかったのだ。

「あの日、真っ青な顔をして、さくらさんが、離れに走り込んできて、早く、逃げなさい!っていうんです」

事情を訊くと、泰人が探偵を雇って、幽霊騒ぎの元を調べている。その調査を電話連絡してきて、菊枝がカンナの妹であることを突き止めた。菊枝がカンナの復讐のために、幽霊騒ぎを起こしたと思って、泰人と伸一が菊枝に乱暴する相談をしている、というのだ。そして、この離れで、カンナは泰人、伸一、竜平、耕策に乱暴されたことを、泰人と伸一の電話での会話で確認した、と話してくれた。

リリィはそこで、さくらに、自分はカンナに乱暴した男に復讐したくて、この離れにいることを伝えた。そして、泰人と伸一に心から、懺悔してもらいたい、と、さくらに打ち明けたのだ。

すると、さくらも協力するといって、桃子はカンナの娘だということを話してくれた。

リリィは、菊枝が花園という店で、リリィと名乗っていること、泰人と伸一はその店の常連客なのに、リリィと菊枝が同人だとは気づいていないことを、さくらに打ち明けた。ふたりはそれを利用しよう、宴会を装い、泰人たちに毒を飲ますという、ドッキリを仕掛け、懺悔させる計画をしたのだった。

ボンが想像していたとおりの筋書きで、ウィスキーに毒を盛られたと勘違いした、泰人と伸一は、解毒剤が欲しくて、カンナのことを語り、懺悔したのだった。

ただ、ボンの想像と違っていたのは、そのイヤラシイ行為を主導したのは、泰人や伸一ではなく、陽子の兄の耕策だ、ということだった。

「ふたりがいうには、耕策は極度のマザコンで、母親の暢子によく似たカンナに、異常とも思える行為を繰り返したというんです。泰人は行為が終わったあと、お風呂でカンナの身体を洗ってやりながら、謝り続けたそうです。けど、お風呂できっと、カンナと性交したんでしょう、桃子ちゃんは泰人の子供に違いありませんから……」

懺悔が済んだところで、解毒剤と偽って、睡眠薬を渡した。時間は三分を過ぎていたのに、ふたりは慌てて、それを飲み込んだ。睡眠薬が効き始めた時、リリィはドッキリの仕掛けを打ち明けたのだ。伸一がナイフを取り出し、リリィに切りつける。さくらがそれを止めようとして、テーブルのローソクを倒してしまう。乱戦になり、さくらは肩を刺され、睡眠薬が効いてきた、泰人と伸一は眠ってしまった。

さくらを介抱しようとしたリリィに、ローソクの炎が襖に燃え移ったことに気づいたさくらが火を消すように、いった。リリィが慌てて、炎に近づいた時、煙に気づいた伸蔵が部屋に駆け込んできて、何を勘違いしたのか、リリィの消火を邪魔し始めたのだ。さくらは、リリィが危険だと思い、肩に刺さっていたナイフを抜き取り、伸蔵の背中に体当たりしたのだ。その勢いで、リリィもバランスを失い、柱に頭をぶつけて、気を失った。

気がついたのは、病院のベッドの上だった。

「確認したいのですが、リリィさんは、床の間の絵が動いたことを知っていましたか?」

リリィの話が一区切りしたところで、ボンが尋ねる。

「知ったのは、幽霊騒ぎが起きてからです。お店でママから、シンさんから訊いたことだけど、という話でした」

「そうや、シンさんが、近所に幽霊が出る。誰かのイタズラやと思うけど、誰か幽霊退治をしてくれんろうか?っていわれて、息子の仲間に頼んだ時やったね?カンナによく似た美人画の顔が動いたって、あんたに教えたんやった……」

「息子の仲間?瑠璃子さん、息子さんがいるんですか?しかも、仲間って、暴走族ですよね?そんな歳の子供がいるはずがないと思うのですが……」

「あっ!しもうた!秘密やったのに……、公にせんといてや!実は十六になる息子が居るねん。十五で産んだ子や……」

「ええっ!十五歳って、若すぎませんか?江戸時代ならともかく……」

「結婚したんやないねん。恥ずかしいことやけど、子供同士の遊び心やったのに、できてしもうたんよ」

「じゃあ、相手も未成年者ってことですか?」

「未成年どころか、わたしより年下。まだ、ガキやった……。その行為が子供を作ることやとも知らんと、大人の真似をしたんよ」

瑠璃子は語る。今から、十七年前の晩春のこと、田舎の神社の境内で、子供同士、かくれんぼをしていた。十四の瑠璃子は、小さな社殿の隅に潜り込んだ。そこには先客の男の子がいたが、今更隠れる場所を変えられず、ふたりで身体を寄せ逢っていたのだ。そこに、若い村人の男女が入ってきて、かくれんぼをしている子供がいるとは知らず、淫らな行為を始めたのだ。瑠璃子は、その行為の意味を知っていた。母親が、見知らぬ男と行っていたのを覗いたことがあったのだ。側にいる男の子は、その意味を知らず、瑠璃子に、何をしているのか尋ねた。言葉で説明ができず、大人が社殿から出ていったあと、ふたりで大人の真似をしたのだ。それは、瑠璃子が主導権を握って行ったものだった。

「その時、身ごもったかどうかは、わからへんのよ。翌日、その子が友達を連れてきて、また、大人たちのしているとこを覗き見して、ふたりと、したからね。どっちの子かわからへん。産んだ子はもちろん、よう育てんから、親戚に預けられた。それ以来、男としたことないワ……」

瑠璃子とリリィの話が再び一区切りしたところで、ボンが尋ねた。

「カンナさんに乱暴した男が、あとふたり残っていますね?特に、主犯というべき男が……。リリィさん、復讐を続けますか?」

「まさか、復讐するつもりやったら、ここにはきてないよ。ヤスさんやシンさんをあんな目に合わすつもりはなかったんや。ただ、真相が知りたかっただけや。睡眠薬を飲ませたんは、ふたりに乱暴されたくなかったからや。眠っている間に逃げようと思っていた……」

「まあ、あの火災は事故やし、さくらさんの行為は正当防衛やと思う。リリィさんになんも責任はないな。それで、おふたりはこれからどうします?」

それまで、黙って話を訊いていた、小政が瑠璃子とリリィに尋ねた。

「わたしはお店があるから……」

と、瑠璃子はいった。

「わたし、カンナのお墓参りにいくワ。さくらさんがゆうてた、親戚の菩提寺に……探偵団の皆さんにお礼したら、カンナにも報告したいから……」

「ああ、それはいいわね?ゆっくり、関西方面を旅行して、骨休めしたら、エイ」

千代が、リリィにそう話しかけた。

「うん、逢いたいと思ってた、理想の男性に逢えたし……、小政さんゆうんやね?本名は訊かんよ。こんな美人の奥さんと、こんな賢い息子さんが居ったがや、諦めるワ、オシアワセに……」

リリィはそういって、瑠璃子とともに席を離れた。

「ええっ!リリィさん、勘違いしている!」

という、千代の言葉は、伝わらなかった。

「リリィさんが美人の奥さんとゆうたんは、千代さんですろうか?睦実さんですろうか……?」

「勇さん、どっちでもエイよ!リリィさんは、マッちゃんとは違うき……」


28

翌日から、刻屋は千客万来、とまではいかないが、何人かの人物が訪れた。

まず、最初の客は、二宮陽子である。今回の事件の依頼人として、探偵団の調査に対して、礼を述べにきたのだった。

「大垣さんのご家族が、火事で四人もお亡くなりになって、正式にお見合いのお断りがありました」

大垣家の葬儀が終わり、門田校長から、話があったと、陽子は語った。

千代もボンも、陽子には、大垣家の乱れた親子、血縁関係を話す気にはならなかった。火事の原因となった、カンナやリリィのことも話していない。警察の発表が全てだということにしている。美人画が動いた理由は、泰人が政二郎と陽子の結婚を阻止する目的だったことだけ伝えた。

陽子は納得したのかどうかは、わからないが、自分も今回の結婚話は、当初から違和感があった。こちらから、お断りするつもりでしたから、結果的には満足している。探偵団には、いろいろ、お世話になった、と頭を下げて帰っていった。

次にやってきたのは、マッちゃんだ。

「千代さん、訊きましたか?大垣泰蔵が県議を辞めるそうですぜ。公的には、健康上の理由だそうですが、会社経営が大変らしいんです。それと、残った子供や孫のこともありますから、議員活動なんかできませんよ」

「息子の政二郎が会社の跡を継ぐんでしょう?園ちゃんと桃子ちゃんが問題か?」

「政二郎は頭はいいが、会社経営の経験はないし、世間知らずな面がありやすから、すぐに跡継ぎにはできないでしょう。二、三年はかかるでしょうね。それより、女の子、ふたりでさあ!園って娘は、グレてるらしくて、ほとんど、家に居らんらしい。桃子は家政婦の久美子が面倒みているようですが、久美子だって、いずれは、結婚するだろうし……」

「で、マッちゃん、その話をウチとこに持ち込んで、どうするつもりなが?探偵団が解決しちゃる問題やないと思うよ?」

「えっ?ボン、どう解決したらいいか、エイ案があるんですかい?」

「マッちゃん!それを訊いて、どうする?泰蔵さんに伝えるかえ?」

「いえ、門田校長に……、いけねぇ……」

「やっぱり、裏があったか……」

「あんた、門田校長になんか頼まれたの?」

「すみません、今朝方、店に門田校長がきましてね、アッシが探偵団の腕利きだと、勘違いしているみたいで、大垣家の悩みの解決に何かエイ知恵がないかと……」

「あんたが腕利き?どっから、そんな噂が出てくるの?」

「母ちゃん、そもそも、山田君はマッちゃんのことを元、腕利きの名刑事だったと、誤解していたろう?それに、門田校長が探偵団に依頼にきた時に、マッちゃんも能力のあるメンバーやって、僕が紹介したがよ。まさか、真に受けるとは……」

「真に受けたんやなくて、逆手に取られたね。門田校長、かなりの喰わせもんやね」

「まあ、いい。それなら、こっちがそれを逆手に取ろう。マッちゃん、門田校長にこう伝えや!政二郎と久美子を結婚させて、桃子ちゃんを養女にする。園ちゃんは、瑠璃子さんに預かってもらう……」

「はあ?桃子ちゃんは、その案には賛成よ。でも、園ちゃんと瑠璃子さんはなんの接点もないはずよ。未成年者だから、リリィの代わりにお店で働いてもらうわけにもいかないし……」

「ふふ、顔回も焼きが回ったか……。まあ、とりあえず、門田校長には、そうゆうとき!園ちゃんはきっと喜ぶと思うよ」

「はあ、ようわかりませんが、ボンのゆうとおり、伝えておきます……」

次にきたのは、坂本刑事だったが、彼はいつもの、昼飯と、みっちゃんの顔を拝みにきただけだ。

「そうそう、杉下さんから、千代さんに伝言を頼まれました」

「なに?直接やのうて、あんたに頼むなんて、杉下さん、忙しいの?」

「ええ、その伝言にも関わってくるんです。前にゆうたと思いますが、西郷ゆう、元刑事で、今は探偵している男が居るんです。この前の火事で依頼人の伸蔵が亡くなって、探偵の後払い──成功報酬──が貰えんなったがです。そこで、西郷は幽霊騒ぎの調査結果を◯◯組へ売り込んだらしいんです」

「なるほど、セコいけど、◯◯組も幹部や組員が捕まったから、幽霊騒ぎの黒幕には、腹を立てちゅうろうき、情報によっては、高値で買うてくれるかもね……」

「ボン、西郷は、杉下さんの下で働いていただけあって、情報収集にはかなりの手腕を持っているんです。杉下さんが、幽霊騒ぎの公園に現れたことに疑問を持って、杉下さんの周りを調べているようで、井口の探偵団との繋がりを掴んだようです」

「そりゃあ、門田校長が、ウチに依頼にきたくらいやから、探偵団の存在はバレているろうし、勇さんが、しょっちゅう昼飯を食べにくることも、知られているだろう?」

「それ以上に、あの千春=モンローと、伸蔵の元奥さんの雅子を、杉下さんがここへ連れてきたことを知ったようです。モンローが、杉下さんに、西郷ゆう刑事が訪ねてきたけど、杉下さんの部下なんやろうか?って、確認の電話をくれて、それがわかったがです」

「モンローさんは西郷になんて答えたがやろう?」

「怪しい、と思ったらしいんです。西郷の顔を虎乃介の屋敷で見たことがあって、刑事を辞めたっていうてたはずやと……。それで、虎乃介の事件の裁判で罪が軽くなったお礼にいった、と答えたそうです」

「なるほど、モンローさんは頭がいいね。西郷も納得しただろうね。でも、雅子さんのほうに当たられたら、ヤバいかも……」

「ええ、それで、杉下さん、しばらく、若女将の顔が拝めん、ゆうてました。西郷だけやのうて、◯◯組の組員がうろちょろしているようです。この周辺にも現れるかもしれませんき、気をつけてください」

「ここは、わたしと十兵衛がいるから、大丈夫よ、勇さん。でも、西郷は幽霊騒ぎの黒幕を誰だと思っているのかしら?」

「当然、リリィさんが一番疑われているだろうね?火災現場から、唯ひとり、助かったことに疑問を抱いている可能性もある。と、したら、瑠璃子さんにも疑いをかけているだろうね……。姉妹のカンナが絡んでいることを知っただろうから……」

そこへ、黒い着流しの男が、惣菜売場の扉を開けて入ってくる。

「お嬢さん、怪しい奴が、ここを伺っていましたよ。どうやら、ヤクザの下っ端のようで、当て身を食らわせて、縛りつけておきました。どうします?何の目的か白状させますか?」

「十兵衛、今、勇次さんから、そのヤクザの情報を訊いていたところよ。ボン、どうする?」

「ここへ連れてくるのは、マズイ。探偵団に特殊な人材がいることを知られたくないからね。丹中山に連れていって、知っていることを自主的に話してもらってよ。それで、井口の周辺は、山長の縄張りやから、うろちょろしたら、簀巻きにして、江ノ口川に放り込むって、脅しといて……」

「あんた、顔役さんが居らん時に、ヤクザに喧嘩売る気?」

「十兵衛さんには、山長の一員を装ってもらったほうが、ウチとの関係をカムフラージュできる。それに◯◯組は、前の虎乃介の事件の後、顔役さんと大政さんが組長に釘を刺しにいっているから、山長とは対立したくないはずなんだ」

「あんた、小政さんより、策士になってるワ」

「でも、その手が最善ですよ。ボン、ヤクザは自分より強いもんには、歯向かいません。まあ、わたしがうまく、対処します。後腐れのないように……」

そういって、十兵衛は立ち上がった。

「十兵衛、いいな!わたしもヤクザの二、三人を相手にしたいワ。この前は、暴走族と杉下さんに邪魔されたし……」

十兵衛が、無言で頭をさげ、出ていき、勇次は昼飯を食べ終えて、県警本部へ帰っていった。

後片づけをみっちゃんがしていると、バイクの爆音が近づき、玄関前に停まる音がした。

「ふうん、ボロい旅館やな!泊まり客も居りそうもないし、探偵団で飯喰っているんかな?それにしては、探偵事務所らしくないなぁ。看板もないし……、レン!本当にここで間違いないんか?」

開けっぱなしの玄関口から、黒いレザースーツに身を包んだ若い女性が入ってくるなり、独り言のようにつぶやいたあと、バイクを停めて、ヘルメットを外している、若い男性に声をかけた。

「ああ、母ちゃんが、双星製紙の門の前で、風呂屋の向かいや、ゆうてたし、屋根瓦に『刻屋』って、看板があるよ。ここに間違いないよ」

レンと呼ばれた男性は、まだニキビのあとがある、高校生くらいの年頃だ。女性のほうも化粧をして、真っ赤な口紅を塗ってはいるが、同年代としか見えない。

「大垣園さんですね?ようこそ、井口探偵団へ……」

「えっ?」

「そちらのかたは、『花園』のママ、瑠璃子さんの息子さんですね?レンさんというニックネームですか?」

「ええっ!な、なんでそこまでわかる、というか、知っているの?レンが瑠璃子ママの息子なんて、極秘事項よ!」

「一応、探偵団と名乗っていますから、そのくらいの情報収集は行っていますよ」

柱時計のある正面の座敷から、サンダルに足を入れながら、小学生が微笑みを浮かべて、若い男女に語りかける。

「あんたが、小学生とは思えない、『刻屋のボン』なのね?瑠璃子ママから、訊いていたけど、ませたガキかと思っていた。噂以上の変な子供やな!」

「まあ、世間の風評はさまざまですから……、立ち話もなんです、どうぞ、そちらへ……」

ふたりをいつものテーブル席に案内する。後片づけを終えた、みっちゃんが、麦茶のグラスを運んでくる。続いて、惣菜造りを手伝いに台所にいっていた、睦実が白いエプロンを外しながら現れた。

「ああ、この人が『顔回の生まれ替わり』ゆう、美人の若女将、確か、千代さん、やろう?ホンマに、こんな息子が居るとは思えんくらい、若う見えるワ!」

「美人で若い、ゆわれるのは、嬉しいんですけど、残念ながら、千代ではありません。探偵団のメンバーで、石川睦実ともうします」

「あら、そう。有名なハチキン女将と、美人の若女将に逢いたかったのに……」

と、園は落胆の表情を隠そうともせずにいって、グラスの麦茶を一気に飲みほした。

「ところで、園さん、探偵団になんの御用ですか?このたびは、お父さまとお兄さまが、不慮の事故──火災──でお亡くなりになり、お悔やみ申し上げます。でも、ご両親を亡くした、姪の桃子さんのお相手をしなくてはいけないのでは?」

「あんたは、子供と思われんがやね?ほいたら、こっちも大人の会話をするワ。父親が亡くなって、お悔やみ?ありがとう、っていいたいけど、お悔やみやのうて、祝杯してくれるか?あんな親も兄も、居らんなって、清々しているんや!桃子もおんなじやで!知っているかも知れんけど、さくらさんは桃子の本当の母親やない。父親はまあ、泰人やろうけど、あいつの血をひいているなんて、最大の不幸や!わたしも桃子も大垣の血をひいていることを抹消したいんや!」

「そ、そんな……、大垣家の先祖は、大庄屋なんでしょう?家柄はご立派なところでしょう?」

睦実が園の言葉に驚いて、そう尋ねた。

「あんた、顔は美人やけど、探偵の才能はないんか?大垣家の男たちが──ジジイも含めて──どんなイヤラシイ輩か知らんのか?女を性(セックス)の対象としか見てない!いや、玩具としか見てないんや!獣以下や!わたしを伸一は……」

「園、ヤメとき!その話は、ここで、いわんでエイことや!」

「伸一さんが?なるほど、兄妹とはいっても、父親も母親も違っていることを伸一さんは知っていた。可愛い、妹ではなく、異性としてみていた、ってことですね?まあ、それ以上のことは、お訊きしません。想像するに堅いですから……」

「ええっ!それって、淫らな行為をしようとしたってこと?最低なやろうやね!園さんが家に居らん理由がわかったワ。わたしやったら、金◯ぶち割ったる!」

「睦実さん、話を大きゅうしたらイカンやろう?女としての気持ちは、わかるけんど……」

「ごめん、はしたなかった……」

「プッ!あんたたち、どうゆう関係?姉弟とも思えんし、恋人みたいに仲が良さそうやけど、歳を考えたら、伯母さんと甥くらいやろう?」

「恋人に見える?気持ちは恋人よ、歳に無理があってもね……」

「オホン、僕らは探偵団の仲間です。探偵団には、年功序列がないので、歳が離れていても、仲の良い友達のような関係に見えるんです。話を戻しましょう。探偵団になんの御用ですか?」

「探偵団は、ウチとこ──大垣家──の内偵をしていたそうやね?家族の醜聞や親子関係の複雑なことも調べがついているんやろう?」

「まあ、戸籍と真実が違っていることには、驚かされましたがね」

「そしたら、わたしの本当の母親と父親のことも調べがついているんやろう?ついてなくても、調べたらわかるがやろう?教えて欲しいんよ。わたしは大垣の血をひいていない、って……」

「大垣家の血がそんなに嫌いなんですか?本家のほうは、村のまとめ役として、立派な業績を治めているようですよ?それで、泰蔵氏が県議になれ、次は国会議員へと飛躍を図っていたのですから……」

「先祖とか、本家は関係ない!泰蔵、伸蔵、泰人に伸一、まあ、政二郎兄さんはマシやけど、あいつらと同じ血がわたしの身体に流れているなら、死にたいワ。子供が産めんもん……」

「子供?」

「その……、つまり……、今、園のお腹に……オレの子供が……」

と、レンが恥ずかしそうに言葉をつまらせながらいった。

「オレは園が好きや!大好きや!オレが園を護るし、幸せにする!子供を産んで欲しい……」

「でも、園さんは大垣家の血を引く子供はいらない、産めない、とおっしゃるのですね?」

ボンの質問にふたりは無言で頷く。

「我々が知り得る情報は、確実なものではありません。想像や推測が少なくはないからです。ただ、これだけはいえます。園さんが不安に思っている、大垣家の男たちの破廉恥な性格は遺伝ではありません。本家のある村で行われていた、特殊な祭り、その経験が親の代。離れで、親たちの破廉恥な行為を見て、自分たちも、と仲間が集まって始まったのが、息子たちの世代。つまり、遺伝ではなく、環境の所為です。ですから、もし、園さんに誰か、その破廉恥な行為をした人間の血が──遺伝子が──あったとしても、園さんの子供が破廉恥な人間にはならないはずです。園さんと父親が愛情を注ぐ限りは……」

「環境……?遺伝やないんか……?」

「そうよ、ほら、このボンも小学生とは思えない、大人みたいなこというでしょう?これ、この家族と、周りの人たちの環境の所為なのよ!」

「睦実さん!僕のことはいわんでエイろう?」

「だって、本当のことだし、最高の事例やないの。天下のハチキン女将の血がつながっていない孫で、『顔回の生まれ替わり』の息子で、『土佐の次郎長』に可愛がられているんだもん……」

「ははは、可笑しい……レン!わたし、産むワ、あんたの子供!幸せにしてよ!」

「ああ、オレ、暴走族からは卒業する!」

「けんど、高校は卒業してよ……」


29

「ねえ、ボン、何故、園ちゃんに大垣の血は流れていないって教えてあげなかったの?確実ではないって、千春さんの子供で、相手は門田校長だとほぼ決定的じゃあないの」

園とレンがきちんと礼をして出ていった後、睦実が疑問を投げかけたのだ。

「門田校長が父親でよかったと思うかな?大垣家の連中と同じ穴のムジナだよ。しかも、彼は環境じゃあなく、先天的な性格なのかもしれない……」

「そうか、あいつ、暢子さんへの陰湿な想いを抱えていて、人妻の彼女と関係を持ったんだもんね?先天的な変態かもね?」

「それと、モンローさんは、自分の子供だと園さんに知られたくないだろう?望んで産んだ子供じゃないだろうからね。戸籍上の親は伸蔵と雅子。園さんの将来、その子供のことを考えれば、大垣園でいいんだよ。世間体はね……」

「そうね、真実を知ることが幸せだとは限らないか……?」

睦実とボンが、テーブルで向かい合って、園の幸せを願っているところへ次なるお客が訪れた。

「ごめん下さい」

そういって、玄関口から入ってきたのは、ボンと睦実が最初にターゲットにした、陽子の見合いの相手だった、大垣政二郎だった。

「はい、どちら様でしょうか?」

睦実が、テーブルから立ち上がり、玄関に向かいながら声をかけた。

「わたくし、大垣政二郎ともうします。こちらは、井口探偵団の本部の『刻屋旅館』さんでしょうか?」

「はい、刻屋ですが、探偵団になんの御用ですか?」

「あなたは、探偵団のかたですか?あれ?どこかで、お会いしたことがありましたっけ?」

「大垣政二郎さん?いえ、初めてお目にかかるかたやと思います。わたし、時々、見知らぬ人にそんなことをいわれるんです。わたしによく似た人がいるみたいで……」

政二郎は睦実を見て、大橋通り商店街近くの喫茶店で微笑みかけられた、浴衣姿の女性を思い浮かべたのだ。しかし、睦実の言葉を鵜呑みにしたのか、それ以上の追求はしなかった。

政二郎をテーブル席に案内し、ボンを紹介する。みっちゃんが麦茶を運んでくる。

「大垣政二郎さん、というと、先日火事で数人のかたがお亡くなりになった、大垣県議さんのご家族ですか?」

と、知っているのにとぼけて、客人の素性を確認する。

「はい、県議の大垣泰蔵の次男です。今はある法律事務所で見習いをしていますが、今回の火災で、家族が亡くなり、会社の経営に参加することになっています。いや、こちらへ伺ったのは、会社のことではありません。父の代理として、いえ、わたし個人の考えのこととして、探偵団に調べていただきたいことがあります」

「先にいっておきますが、井口の探偵団は解散しています。まあ、そもそも、探偵団など存在していない。素人がちょっと、知り合いの刑事に協力しただけのことです。ご近所や、親しい間柄のかたがお困りの時は、お知恵を貸すこともありますが、警察や弁護士ではありませんから、お役に立てない場合があることをご承知ください」

「はい、それは父から訊いております。以前、山長の社長さんに、こちらを紹介してもらおうとしたところ、そういわれたと……。こちらへ伺がう前に、山長さんの事務所を訪ねましたら、社長さんは出張中とのことで、それで、直接、こちらへ伺ったわけです。警察や弁護士に頼める事柄ではありませんので……」

「なるほど……、では、お話を伺いましょう」

「我が家の近くの公園で、幽霊騒ぎがあったことをご承知でしょうか?」

と、政二郎は語り始めた。

「ええ、噂程度ですが、浴衣姿の古風な髪型の若い幽霊だそうですね?なんでも、名画から抜け出してきたとか?」

「そうです。以前、父の友人で、小学校の校長をしている、門田という者が、ご相談にきたと思いますが……」

政二郎は泰蔵から、門田校長が幽霊騒ぎの相談に探偵団を訪ねたことを訊いているようだ。

「依頼人のことは、他人にはお話しできませんが、そういう話は伺っています」

「では、ご承知という前提でお話しします。ご不明な点がありましたら、その都度説明させていただきます」

そういって、政二郎は麦茶を口に運んだ。

「その幽霊騒ぎで、わたしの兄、泰人と従弟の伸一がひどくおびえていました。ふたりには、何か心当たりがあったと思われます。父は、自分の政敵の企みと思い、伯父の伸蔵の知人に調査を依頼しました。けれど、調査結果が出ないうちに、伯父も兄も従弟も亡くなりました。父は、幽霊の祟りだと思い込んでしまって、今は寝たきり状態です。葬儀もわたしが仕切りました」

そこで、政二郎はひと息つくように、再び、麦茶を口に運ぶ。

「葬儀が終わった翌日のことです。西郷という調査員が我が家を訪ねてきまして、父に面会を求めたのですが、父は誰とも会いたくない、というので、わたしが代わりに応対しました。西郷は伯父の伸蔵が雇った私立探偵で、幽霊騒ぎの調査をしていたようです。その調査結果を伸蔵氏に報告して、報酬を貰う予定だったというので、報酬はわたしが払うと申したのですが……」

西郷の呈示した、その報酬額はあまりに異常な金額だった。政二郎の一存で支払える額ではない。父に相談するから、一旦保留にしたい、というと、

「この値で調査結果を買ってくれるかたがおりましてね。ですが、先にご依頼人であった、伸蔵氏のご家族に呈示しておかないと、失礼だと思いまして、こうして参ったのですが……、残念ですね。情報は旬がありましてね、古くなると価値が下がってしまいますので……」

そういって、大型の封筒に入れていた書類──らしきもの──を手提げ鞄にしまって、立ち上がった。

政二郎は、迷ったが、とても払える額ではないので、黙って見送ることにしたのだった。

「父にそのことを伝えますと、そんな価値のある情報ではないはずだ。断ってよかった、といってくれました。今更、幽霊騒ぎの真相を訊いたところで、死んだ人間が生き返るわけやないから……と」

西郷がいっていた、調査結果を買ってくれる人間が本当にいるのか?それをどのように利用するのか?気になったのだが、それを知る手立ては思いつかなかった。

「そんな時に、止まっていた、わたしの見合い話を正式にお断りすることになり、最後に陽子さんとお会いました。その席で、陽子さんから、この探偵団のことを教わりました。普通の興信所のような調査ではない、とても不思議な探偵団だと訊いたんです。それで、藁をもつかむ気持ちで、お願いにきました。父の気持ちが晴れるように、火事の原因と幽霊騒ぎのわけが少しでもわからないかと……」

「陽子先生が、この探偵団に調査を依頼したことをお訊きしたんですね?」

「はい、陽子さんが、我が家の掛け軸の絵が動いたこと、その美人画の女性が現実に現れたことの調査を依頼したことをお訊きしました」

「その調査結果については、陽子さんから訊いていらっしゃいますか?」

「いいえ、そこまでは訊けません。お見合いをお断りする立場でしたから……」

「実は、今朝ほど、門田校長が探偵団のメンバーを訪ねてきましてね、今後のアドバイスを少し伝えておきました。幽霊のこと、火災の原因については、ほぼ我々の調査で明白になっております。ただ、それは公開しない、いや、できない事柄です。お亡くなりになった方々には、お気の毒ですが、将来のある生きている方々を不幸にはできませんからね……」

「それは、園や桃子のことですね?」

「ええ、あなたも含め、数人のかたの将来のためです。しかし、あなたは他の兄弟やその仲間とは違って、真面目なかたのようですから、門田校長に伝えたことくらいなら、お話ししましょう。今後の大垣家の取るべき道です」

「今後のこと……?是非、教えてください」

「まず、質問します。あなたはご自分の真のご両親をご存知ですか?」

「真の両親?つまり、父は泰蔵ではないということですか?それを探偵団は知っているということですね?ええ、わたしの本当の父親は、陽子さんの父、二宮孝太郎だそうです」

「ほほう、それを知っていて、陽子先生とお見合いをしたのですか?異母兄妹の可能性があるかたと……?」

「い、いえ、陽子さんの父親は孝太郎氏では、ないことを同時に教えられました」

「それは、どなたから?」

「伯父の伸蔵と、その……、陽子さんの本当の父親からです」。

「つまり、見合いの仲人、門田校長先生、自らが、自分が陽子先生の父親だと、告白されたのですね?」

「え、ええっ!た、探偵団は、そこまで、調べているのですか……?」

「先ほど申しましたように、幽霊騒ぎや、今回の火災による、死者が発生した原因は、調べがついています。それが、大垣家の過去の醜聞に関わっていることくらいなら、あなたにお教えできます。ですから、大垣家の関係者、全ての調査が終了していると考えてください。あなたも、泰人さん、伸一さん、泰蔵さん、伸蔵さん、さくらさん、園さん、桃子ちゃん、藤子、雅子、両夫人、竜平さんに菊枝さん、家政婦の久美子さんまで、大垣家にお住まいのかたは全て、身元を調べました。つまり、真のご両親を、ということです。他にも、関係者数名おりますが、それは機密事項とさせて頂きます」

ボンの説明に、政二郎は無言で、深く頷いた。

「では、もうひとつ、質問します。あなたは、家政婦の久美子さんをどう思っていますか?」

「久美子さんをどう思う?つまり、亡くなった兄との醜聞ですか?あれは兄の気まぐれです。ふたりにおかしな関係はありません!」

「いえ、その醜聞についても調査を終了しています。わたしがお訊きしたいのは、あなたが久美子さんを女性として、はっきり申しますと、伴侶として……ということなのですが……」

「久美子さんと僕が……?それは、誰の発案なのです?まさか、久美子さん本人が、僕と結婚……?いや、それはあり得ない!一度、はっきりと、断られていますから……」

「久美子さんにプロポーズされたことがあるんですね?」

「はい、陽子さんと見合いをする前に、僕の本心を伝えました。彼女は僕とは、結婚できない。陽子さんと幸せになってください、といいました」

「あなたは、断られるとは思っていなかった。普段から、久美子さんはあなたに好意を持っていると、感じていたのでしょう?」

「はい、休みの日に、映画を観に行ったり、食事をしたり、ほぼ恋人のように付き合っていました。彼女も僕のことが好きだと、思っていたのですが……」

「好きでしょうね?たぶん今でも……」

「えっ?それはどういう意味ですか?はっきり、結婚はできない、といわれたんですよ?」

「結婚はできない!その理由があなたにはわかりませんか?」

「まさか、久美子さんと僕が兄妹だってことですか?あり得ない!彼女の父親が孝太郎氏のわけがないし、母親が藤子のわけもない!」

「あなたと久美子さんは兄妹ではありません。しかし、久美子さんはあなたが兄ではないか?と疑っていたのです。あなたの母親が藤子さんではなく、以前、大垣製紙で働いていた、静子という女性が産んだ子供だと思っていたのです。静子という女性は、久美子さんの母親であり、伸一さんの母親でもありました。久美子さんは大垣家に異父の兄がいることを訊いていました。あなたか伸一さんかは、わからなかった。泰蔵さんは藤子さんとの間に子供はないことを知っていた。それで、あなたの方が兄だと思い込んだのです」

「そうだったんですか?伸一の異父の妹だったんですね?それを伝えれば、彼女は僕との結婚を……」

「ええ、久美子さんはあなたを愛しています。今は兄としてですが、真実を知れば、異性として、愛し合えるはずです。そして、それが、大垣家の家族にとっても最良の選択だと思います。桃子さんをおふたりで育てることも可能になる。園さんは愛する男性と結ばれます」

「園に、そんな男がいるのですか?不良の仲間でしょう?」

「今は、不良の仲間ですが、その少年はすぐにでも、まともな男に戻れますよ。しかも、彼は大垣家の関係者のひとりですから……」

「大垣の関係者?」

「これ以上は、お話しできません。園さんから、いずれお話があると思いますよ。その時は、頭から反対せず、よくお考えください……」

政二郎が深く頭を下げ、礼を述べて出ていったのと交替するように、玄関口から、同年代の男性が飛び込んできた。

「さっきの男は、何を依頼したんだ?」

政二郎を見送りに玄関口にいた睦実にその男は、噛みつくような言葉を投げた。

「どなたですか?いきなり……」

睦実は少し右足を引き、いつでも攻撃に移れる姿勢を取りながら、男にいった。

「間竜平さんですね?ようこそ刻屋へ!いや、御用があるのは、井口探偵団のほうのようですね?まあ、中にお入りください。お話を伺いましょう」

ボンが、睦実の背後から、穏やかな言葉を発した。関係者の写真で新たな客の正体は掴んでいたのだ。

「なるほど、なかなか優秀な探偵団らしいな?しかし、小学生が応対するのか?探偵団の団長とか、所長は居らんのか?」

テーブルに足を運びながら、刻屋の中を探るように視線を巡らせ、横柄な言葉を竜平は発する。

「あなたのご訪問の目的が、大垣家にまつわることでしたら、担当は我々ふたりですよ」

と、ボンはにこやかにいう。竜平には、政二郎にいった、探偵団が存在しないという説明はしない。

「まあいい。俺が知りたいのは、マサが何を依頼したのかだけだ。教えてもらえるだろうな?」

「残念ですが、依頼人からの情報は、どなたにもお話できません。探偵として、秘守義務があります。議員秘書をなさっているあなたには、よくおわかりのはずですが……」

「ならば、俺が依頼人になる。マサの、いや、政二郎の陰謀の調査をしてもらいたい。報酬は前払いだ!」

「お断りします。先の依頼人の不利益になるご依頼は、つまり、利益相反の依頼はお請けできません。探偵として、当然のことです。それより、探偵は、あるいは、調査機関は、ここだけではありませんよ。あなたはすでに、その手の機関をご存知のはずです。泰人さんか伸一さんに紹介したはずですよね?」

「そ、そこまで……?」

「ご依頼には応えられませんが、先日の火災の件で、少しお話があります。あなたはあの日、あの時間、どこで何をされていましたか?」

ボンはそういって、竜平の返事を待つ。竜平は答えられない。

「我々は、あの火災については、事件性があることを知っています。火災が起きた原因も、そして、その前提となる大垣家の醜聞も、警察以上に掴んでいます。火災の時、あなたにアリバイがないことも……」


30

「ボン、さっきの竜平のアリバイって、なに?アイツが火事の時、何処にいたのか、問題があるん?」

竜平が顔を硬直させ、無言で足早に立ち去ったあと、睦実が疑問を投げかけた。

「ふふ、全然、なんにもわかっていないよ。カマを掛けてみたのさ。まず、竜平がわざわざ、政二郎さんのあとをつけてきたことに不信を感じた。政二郎さんが我々に何を依頼したかを知りたがることにもね。後ろめたいことがあるのか、これからなにか悪さを計画しているのか、まあ、どっちかだと思ったから、火事の日のことを訊いてみたのさ。そしたら、あの反応だ!きっと、竜平は火災の現場にいたんだよ。ひょっとしたら、助けられる人がいたのに、躊躇して、救えなかったとか……」

「確かに、彼は議員秘書だし、盆休みも関係ないかもね?あの日、泰蔵さんの屋敷にいたはずよね?そしたら、火事の現場にいるはずなのに、才蔵が気づいたのは、主人の泰蔵さんだけだった……」

「睦実さん、才蔵さんに連絡して、あの日、屋敷に竜平がいたか、確認して!」

「オッケイ!電話借りるよ!」

才蔵は、石川の当主の命令で、石川家を訪れる、顔役さんと真の護衛を陰ながらするよういわれて、土佐をあとにしている。睦実は石川家に電話して、才蔵への連絡を依頼する。電話に出たのは、妹の菜々子で、折り返し電話をさせる旨をいったあと、兄の悟郎と真の結婚を父親が承諾したことを伝えた。

五分後に、才蔵から電話があり、火事の日、屋敷に竜平がいたことと、久美子と園、政二郎がいなかったことを伝えてくれた。

「竜平は、屋敷の自分の部屋にいたはずです。二宮と門田が訪れた時、応対して、取り次いだのは、竜平でしたし、泰蔵から、用ができたら呼ぶから、と、待機を命じられていましたから……」

と、才蔵は説明した。

「ごめんください」

睦実が電話の受話器を置くタイミングで、その背中に、玄関口から声がかかる。

「はい、なんの御用でしょう?」

睦実は振り返り、来客に言葉をかける。

「あのぅ、ここは、探偵団の本部がある、えーと、トク?あれ?トケイでもないし……」

「トキヤですけど……?」

「ああ、そうだ!時刻の刻をトキと読むんでした……」

男は、長い髪を照れたようにかき回しながら、そういった。

「えーと、そうだ!二宮耕策さんね?ちょっと、芸術家っぽい感じがしていた……」

「ええ、そうです。二宮耕策といいます。さすが、『顔回の生まれ替わり』といわれる若女将さんだ!名乗る前から、察しているんですね?」

また、千代姐さんと間違われた……と、睦実は心の中でつぶやいていた。

「二宮耕策さん?探偵団になんの御用でしょうか?幽霊騒ぎの件でしょうね?」

ボンが玄関口に現れて、そう声をかけた。

「き、君が『ルパンの生まれ替わり』といわれている、小学生と思えない、ボンと呼ばれている少年か?どうして、僕の訪問の目的までわかるんだ?」

「まあ、こちらのテーブルにどうぞ。今日は千客万来でしてね、ご依頼をお断りすることが多くて……」

ボンは耕策の質問には答えず、まずは耕策をいつものテーブルに案内した。

「門田校長先生から始まって、さて、あなたで何人目でしょうか?皆さん、幽霊騒ぎか、火災のことを知りたいようですね?つまり、それぞれに少なからず、やましいことがあるのでしょうね?そのやましいことが事件と関係ないと、証明したいかたが多いようですね?あなたもそのひとりでしょうか?」

「やましいこと?いや、僕には、そんなものはない!親しい友人がふたりも亡くなったんだ。その理由というか、原因を知りたいんだ」

「親しい友人、そのかたの行動が事件の原因だとすれば、あなたも同じ行動をしたのではありませんか?それ故、我が探偵団を訪ねていらっしゃった、ってことですよね?」

「つまり、原因は、泰人や伸一の行動だった、誰かに恨まれていた、ってことなんだな?」

「さて、あなたから、正式なご依頼は請けておりませんし、またお請けする気もありませんから、その質問には答えられません。が、あなたが考えていらっしゃる、恨まれる原因は、あなたにも同様に関わっていることくらいは、お教えしますよ。もし、あなたが心から、悔い改めて懺悔するのであれば、探偵団ではなく、電車通りの教会へ、おいでるべきですね……」

「じゃあ、やっぱり、カンナの復讐なのか……?」

「ほら、思い当たることがあるでしょう?その件に関しては、あなたは共犯ではなく、主犯格ですからね?まあ、それ以上は我々が、とやかくいう筋合いではない!これからどうするかは、ご自身で判断願います」

「た、助けてくれ!カンナに謝るから、泰人や伸一のような目に、合わさないでくれ!」

「まずは、教会へおいでなさい。その上で、県警の坂本勇次という刑事に刻屋のボンから、カンナさんの件で懺悔したいので、紹介された旨を相談にいってください。刑事さんが上手く処理してくれますよ。ただし、今後は善良な生活をおくることが前提ですけどね……」

「勇さんに相談して、カンナの件、解決するの?」

耕策が、今からすぐに旭の教会にいき、懺悔してくる、といって玄関口から出ていった背中を見送った睦実が、ボンにそういったのだ。

「そもそも、カンナさんの復讐なんてないんだよ。リリィさんは真相を知りたかっただけ。確かに、耕策が一番ひどいことをしたと思うけど、リリィさんは復讐する気はないそうだから、耕策が悔い改めれば、解決するんだ。勇さんには、それとなく話しておくけど、耕策はたぶん、勇さんには相談に行かないよ。自分の犯罪行為を刑事に話す勇気は有りそうにないからね……」

「ごめん、おじゃまするでぇ、若女将っちゅうのは?おまんかよ?確かに、別嬪さんやが、杉さんの好みとは、ちと、違うちょうやがのう……」

いきなり、玄関口から入ってきた体格の良い、短髪の男が、睦実とボンの会話を遮るようにいった。

「どちら様です?なんの御用ですか?お泊まりのお客さんとは、思えませんが……?」

「西郷四郎さん?探偵をしている、元刑事さんの……?」

睦実の問いに続いて、ボンが男に確認するようにいった。

「ほほう、ワシを知っちゅう上に、ズバリと言い当てるとは、なかなか、優秀やのう?勇次が世話になっちゅうらしいが、アイツより、刑事の才能がありそうや。どういて、ワシが西郷とわかったか、教えてもらえんかよ?」

「あなたが、杉さんの好みといったこと、杉さんとは、県警の杉下警部のこと、うちの母親のファンですから……。それと、あなたの耳、柔道の畳でできた『畳ダコ』が凄いです。旅館のお客さんではなく、母を訪ねてくるなら、探偵団に御用のかた。それは、大垣家の関係者。関係者の中で、柔道の有段者は、西郷四郎という探偵……」

パチパチと手をたたく音がする。

「お見事!どうや、ワシとこの探偵事務所の助手にならんか?小林少年になれるでぇ……」

「お断りします!依頼人が亡くなったとはいえ、調査結果に対し、法外な金額を要求し、断られると、暴力団の組長に売りつけるような、金の亡者のような探偵になる気はありませんから……」

「な、なんやて!そ、そこまで調べているんか?おい、悪いことは言わん。知っていることを全部ワシにゆうて、事件から手を退け。そうせんと、◯◯組を怒らして、この家に火をつけられるぞ!これは脅しやない!元刑事としての忠告や!杉さんかて、そうゆうはずや!」

確かに、西郷は脅迫じみた口調ではなく、暴力団の恐ろしさを伝えようとしていた。

睦実は静かに後ずさりして、椅子の側に置いていた杖を掴む。

「ご忠告、ありがとうございます。我が探偵団は、真実を解明することが目的であり、犯罪者を罰するのは、警察や検察の役目だと考えています。ましてや、暴力団と闘争しようなどとは、まったく思いもよりません。◯◯組さんが我々のどんな行為に怒っていらっしゃるのか、想像もできませんが、どうぞ組長さんには、その旨をお伝えください」

「まったく、小学生とは思えん言葉や!けど、マル暴の杉下警部がここへ頻繁にきゆうことは、紛れない事実や。しかも、組の手入れの時期と一致している。最初は組の誰かが密告したかと、疑ごうたが、小高坂の公園に矢島さんが出向くことなど、組のほとんどが知らんことや!としたらや、大垣家の美人画が動いたことを調べていた、この探偵団から出た情報としか、考えられんやろう?」

「なかなかの推論ですが、飛躍しすぎですね?確かに、大垣伸蔵氏と◯◯組が親しい関係にあることは、杉下さんから、伺っていました。しかし、大垣家が幽霊騒ぎの調査に◯◯組を使う、ましてや、その日時まで把握することは、不可能ですよ。杉下警部の情報網に引っ掛かった、例えば、武闘派で知られた、矢島さんが見張られていた、と考えたほうが、現実的ですよね?」

「いや、矢島さんは兄貴が捕まったあと、身の周りには気をつけている。サツの動きには特に……」

「でも、完璧ではないし、部下のほうに見張りがいた可能性もありますよね?」

「ああ、可能性なら、おまえのゆうとおりやが、ここの探偵団は警察以上の情報を得ることができると訊いている。オレの勘が、可能性の大小やない、不可能だと思えるほうが、正解や、とつぶやくんや!おまえと話していると、疑いなく、ここが絡んでいると、確信できた。まあ、エイ、ここの探偵団が優秀やということと、◯◯組と争う気がないことがわかったから、ワシがこれ以上、とやかくいう筋合いやない。杉下警部にもそう伝えてくれ!オレは組員ではないからな……まあ、探偵は依頼人の利益を追求しちゃるだけよ。金になるうちはな……」

そういうと、西郷は背中を向けて、玄関を出ていった。

「アイツ、胸にピストル吊るしていたよ!胸に手を入れたら、この杖を使うところやった……。汗かいたワ……」

「彼も睦実さんの殺気を感じていたのかな?微妙な距離を保っていたね?でも、アイツ、なかなか勘が凄いよ!幽霊騒ぎに我々が絡んでいると思っているようだ。まあ、幽霊本人が目の前にいるとは、思わないだろうけどね……」

その日の最後のお客が玄関口から入ってきたのは、午後四時近くだった。

「こんにちは、ユウ君っていう人、おりますか?」

その人物は、旅館のお客とは思えないし、探偵の依頼人とも思えない。見た目どおりなら、小学校の低学年だ。お下げ髪をピンクのリボンで束ねていて、着ている洋服も近所の子供達とはレベルが違う。舶来品のチェック柄のスカートをはいている。

「ユウ君?」

そこにいたのは、睦実だった。彼女はボンが学校や友達からは、『ユウ君』と呼ばれていることを知らなかった。刑事の坂本勇次のことかと、一瞬思ったくらいだった。

「ああ、睦実さん、僕のことだよ。学校では、その愛称で呼ばれているんだ」

「あっ、そうか、ボンじゃあ、おかしいもんね?けど、この子、ボンのお友達?まだ、三年生くらいよ?」

「あなたが、ユウ君?名探偵の……?」

少女がボンのほうに視線を移し、そう尋ねた。

「ええ、そうですが、僕のことを誰に教えてもらったのですか?大垣桃子さん?」

「ええっ!この子が桃子ちゃん?」

と、睦実が意外な来客に、驚きの声をあげた。

「陽子先生よ。わたし、陽子先生にピアノを習っているの」

「ああ、そうか!桃子ちゃんと陽子先生は、政二郎さんとお見合いする前から、知り合いだったのか……、あっ!もしかして、あの絵にイタズラしたのは、桃子ちゃんだったのかな?」

「ボン、それはないろう……?」

「イタズラやないよ!園姉ちゃんとふたりで考えて、陽子先生と政二郎兄さんが結婚できますように、陽子先生にそっくりな絵の中の女の人が笑いかけるように、してみたがよ!」

「ええっ!じゃあ、今回の騒動の発端は、桃子ちゃんと園さんの考えから始まったのね?」

「やっと、謎がひとつ解けた。あとは、誰が泰人さんに入れ知恵したか……?」

「ところで、桃子ちゃんは、なんの御用があるのかな?」

「名探偵に教えて欲しいの。わたしの本当の両親は誰なのか……」

「ええっ!桃子ちゃん、桃子ちゃんのお父さんは、亡くなった、泰人さんで、お母さんも一緒に亡くなったけど、さくらさんやろう?ご両親とも火事の犠牲になって、本当にお気の毒やな。けど、桃子ちゃんを大事にしてくれる人が居るやろう?久美子さんとか、政二郎さんとか……」

「絶対違う!桃子のママはさくらやない!パパも泰人やない!名探偵なら、わかるろう?」

「桃子ちゃん、残念だけど、桃子ちゃんの両親が、泰人さんとさくらさんではない!と誰も言い切れないがよ。神様しか、わからんことになっちゅうがよ。桃子ちゃんはどういても、パパとママが誰かを知らんとイカンかえ?戸籍ゆう、国が作った、親子の届、血縁とか遺伝とか、関係ない!家族になって、親子として暮らしていたら、血縁より大切なもんがあることに気づくよ。もう少ししたら、桃子ちゃんに新しい、パパとママができる。本当の両親じゃあないけど、桃子ちゃんにとって、最高のパパとママになってくれる。本当の両親のことを知ることより、新しいパパとママに愛してもらって、桃子ちゃんもそのふたりを愛したら……たぶん、そうなると思うよ」

「そうよ!このボン、桃子ちゃんからいうと、ユウ君は、おばあちゃんとは血が繋がっていない!けど、本当のお祖母ちゃん以上に魂が繋がっているのよ!人って、心が通い合えることのほうが、血縁より大切なのよ……」

「睦実さん!僕のことはエイの!桃子ちゃんには、まだ、難しいかも知れないけど、もう少し、時間が過ぎれば、わかると思うよ」

「新しいパパとママができるの?久美子さんがママならいいのに……」

「あら!桃子ちゃん、久美子さんにママになって欲しいの?陽子先生より?」

「陽子先生、怖いもん、ピアノの練習していないこと、わかるし、怒るし……、久美子さんは優しいし、よく誉めてくれる!駆けっこで一等賞になったら、大きなハンバーグを作ってくれたし……」

「そうか、久美子さんの作ったハンバーグは美味しいんだろうね?」

「うん、ママと洋食屋さんで食べたのより、何倍も美味しかったよ」

「じゃあ、名探偵からの提言だ!桃子ちゃん、久美子さんに『ママになって!』って、そうだな、手紙がいい、手紙とハンバーグの絵を描いて、久美子さんに渡してごらん。すぐに返事はもらえないかもしれないけど、そう、今年のクリスマスくらいには、きっといい返事がもらえるよ!けど、このことは、誰にも秘密にしないといけないよ!園さんにも、政二郎さんにもだよ!これは、ひとつの魔法だからね!約束できるよね?」

「うん、久美子さんがママになってくれるという、魔法をかけるのね?いいわ、約束する!秘密を守るわ!名探偵でステキな魔法使いさん!わたしのボーイフレンドにしてあげる……!」

そういって、少女は、お下げ髪を揺らしながら、帰っていった。

「ボン!桃子のボーイフレンドには、絶対なっちゃあダメよ!お寅さんにもいっておくからね……」

「はあ、僕の未来は……」


31

「ボン、◯◯組のチンピラを少し脅してみたんですがね……」

十兵衛が拉致したチンピラのことを報告に帰ってきたのは、西陽が強く玄関口にかかる時間帯だった。

「何かしゃべった?」

「それが、気の強いとも思えないんですが、『オレをこんな目に合わせて、親父が黙ってないぞ!』と喚くんです」

「親父って、組長のこと?チンピラ風情を少々いたぶったくらいで、組長がじきじきに出てくるかね?ましてや、山長のお膝元だよ」

「ないですね、あんなチンピラひとり、バッサリ殺されても、仕返しには来ませんよ」

「じゃあ、親父って、本当の父親って意味かな?そのチンピラ、組長の息子ってこと?」

「それが、はっきりいわんのです。ここを探っていたことは白状しました。西郷とかいう探偵が幽霊騒ぎの出先は、井口の探偵団がある、刻屋旅館だ!といって、親父から金を巻き上げていったそうです。それで、その調査結果が正しいのか、調べにきたのだと……」

「もし、本当の組長の息子だとしたら、面倒になるかもね?今、どうしているの?」

「山裾の寂れた神社の元神殿に猿ぐつわをして、転がしています。見張りがいますから、逃げ出せません」

十兵衛がそういった時、柱時計のある座敷の隅に置かれている、黒電話がベルを鳴らした。

「もしもし、刻屋旅館ですが……」

と、睦実が受話器を取って、応対する。

「井口の探偵団の本部がある旅館やな?」

受話器から、しわがれた男の声がそう尋ねた。

「はい、そうですが、どちら様ですか?」

「エイか、よう訊けよ!大垣の園ゆう娘と、レンゆう生意気なガキを預かっちゅう。そっちに居る、うちの若いもんと人質交換や!サツに知らせたら、まず、レンゆうガキの命がないぞ。今から、人質の交換する場所と時間をゆう。ちゃんと訊いて、責任者に伝えておけよ」

「はあ?どちらさんです?こっちにいる、うちの若いもんって誰のことです?電話するとこ、間違うていませんか?こっちは誰も今、お泊まりのお客は居りませよ!」

睦実は、しらばっくれて、相手を揺さぶることにしたのだ。十兵衛が、それを察して、すぐに配下の者を呼び、捕まえているチンピラの警戒と、◯◯組の事務所の動きの情報を集めるように指示を出した。

「泊まりの客やない!おまえんとこを探ってた若い男や!おまえんとこのガタイのエイ男に、当て身を食らって、捕まったはずや?」

「はあ?うちとこ探っていた?ようわかりまへんなぁ。オタク、どちらさんです?さっきから、名乗らんから、話が見えまへんですよ」

「アホウ!こっちは◯◯組や!」

「◯◯組?土建屋さんが、うちとこの何を探っているんです?道路の拡張ですか?」

「な、なにをゆうてるんや!◯◯組や!暴力団や!ヤ・ク・ザや!」

「ああ、こないだ、組員がぎょうさん捕まった。落ち目のヤーさんの集まりですね?それやったら、うちやのうて、顔役さんとこ、山長さんのほうやないですか?うちとこ、山長さんのかたがよう遊びにきますさかい……」

「山長?いや、確か、息子を拉致した男は、旅館らしい家に入っていったというこっちゃやが……」

「息子?オタクの息子さんが、居らんなって、捜しゆうがですか?オタクは組の幹部さんですか?まさか、組長さんではないですよね?組長の息子が、チンピラのような仕事はしませんよね……?」

「ど、どっちでもエイ!山長やったら、そっちから、伝えろ!息子と大垣の娘らぁの交換や!今夜十二時。場所は幽霊騒ぎがあった、小高坂の公園や!」

「小高坂の公園?そりゃあ、験が悪いんとちゃいますか?この前、組員が捕まった場所でしょう?」

「うるさい!幽霊騒ぎと、大垣家の火事で、近所のもんが近寄らんなっちゅうき、一番エイ場所ながよ!わかったな?今夜十二時、公園!サツには内緒やでぇ……」

「あっ、待ってください!」

「なんや?しつこいなぁ……」

「そのチンピラやない、オタクの息子さん、なんて名前です?こっちには居らんので、山長さんに確認せんとイカンがですけど……?」

「龍児や!龍の子という意味や!」

「エライ、大層な名前ですねぇ、名前負けしますよ!龍の字は坂本龍馬には勝てませんから……」

「う、うるさい!しつこい女は嫌いや!」

「はあ?ヤーさんには、好かれとうありませんき、嫌われても平気ですワ」

ガチャン!と、電話が切られた……。

その日の石川忍軍の動きは素早く、その情報収集も短時間でこれ程?と思うくらいの量だった。もちろん、◯◯組に対しては、警戒していたから、付け焼き刃の情報ではない。組事務所にいない幹部についても、動きをつかんでいる。

刻屋から、バイクに乗って帰った、園とレンは、瑠璃子の住むアパートの前で、その幹部のひとりが率いる、数名のヤクザに拉致されたようだった。矢島という幹部の相棒で染谷という幹部だ。矢島が捕まる原因となった、暴走族を調べていて、探偵の西郷から、大垣の娘が暴走族のひとりといい仲になっていることを訊かされた。そして、その少年の住み家を見つけ、待ち伏せしていたのだ。

だから、組長の息子と交換するために拉致したのではなかったのだが、ちょうど事務所に園とレンを連れ込んだところへ、組長の息子を陰ながら見張っていた組員が、十兵衛に息子の龍児が捕まったと知らせにきたのだった。

園とレンは、何の取り調べ──仲間の暴走族の集まる場所など──もされずに、事務所の一室に監禁されることになった。

「ボン、配下の者、数名で、園さんとレン君を、救出することもできる、と思いますが……?」

「いや、十兵衛さんたちが動くと、顔役さんの配下と誤解される。顔役さんの許可なしに、◯◯組と、もめ事は起こせんきね。向こうが、人質交換をしたい、っていうんだから、役にたたない、龍児という息子を我々は利用しよう。暗い、樹木のある公園を指定してくれたんだから、忍びの技のほうが、ヤクザの武器より、有効だと思うよ」

「なるほど、軍師ですね、ひとつ、ヤクザたちをからかってやりますか?」

「幽霊を登場させよう!人間じゃあない、得体の知れない、妖怪変化を……、小政さんにも協力してもらうか……」

「わたしの出番をしっかり考えてよ!ヤクザを四、五人この杖で、折檻せんとイカンきね?今夜は邪魔は入らんよね?杉下さんや勇さんには、内緒やでぇ……」

「睦実さん、ヤクザがかわいそうや……」


32

「なんや?おまえ、ひとりか?」

深夜の公園。裸電灯の灯りしかない、薄暗い、その敷地のベンチの前に立っている、黒い着流しの男に、公園内に乗り込んできた、数名のヤクザのひとりが声をかけた。

「ああ、ワシひとりや。人質交換やろう?喧嘩するわけやない、大勢繰りだしたら、臆病者といわれるきに……」

十兵衛は山長の一員を装って、慣れない、土佐訛りを使う。傍らには、猿ぐつわと、麻縄で後ろ手に縛られた龍児がいる。

大勢できたヤクザ連は、暗に『臆病者』といわれていることさえ、理解できない輩だった。

どうやら、組長直々の登場とはいかず、幹部の染谷と、喧嘩馴れているガタイの良い組員が数名。あとは、人数合わせのチンピラが数名いるくらいだ。これなら、十兵衛ひとりで、殲滅できそうだが、せっかく、準備をした仕掛けと、何より、睦実が腕を見せたくて、待機している。人質交換だけで、カタがつくとは思っていないのだ。

「そっちは、大勢さんやが、肝心な人質はどうしたぜよ。こっちは、ほら、ちゃんと、暴れんように、梱包して、運んできちゅうぜよ」

と、十兵衛はいって、龍児を灯りの下に背中から押し出した。

「坊っちゃん!」

と、ヤクザのひとりが声をあげる。

「よし、サツの気配はない!西郷に人質を連れてこさせろ!」

別の男が側にいるチンピラにそう命じた。

少しの静けさのあと、公園の入口に足音がして、先ほどのチンピラに続いて、若い男女と、ガタイの良い西郷が周りを気にしながら、歩いてきた。若い男女は、猿ぐつわと、革製のベルトのような紐で両手を前で縛られている。

「周りに、怪しい人の気配はありません。近所の家に灯りがついているくらいです。アイツひとりのようですが、かなりの奴ですよ。ボーッと突っ立ってるようで、隙がありません。ヤクザとしたら、二・三人、殺しの経験があるかもしれませんぜ。ピストルは、すぐに出せるようにしてください」

西郷がチンピラに命令した男の耳元で囁きかけた。おそらく、幹部の染谷という男のようだ。

「なに!そんなに腕がたちそうか?まあ、ひとりでくるくらいやから、ただの三下とは違うと睨んでいたけどな……」

と、染谷が西郷にいった。

「どういた?人質交換をするがやないがかよ?はっきりゆうて、そのガキふたりは、ウチの組とは、縁も所縁(ゆかり)もない人間ぞ。なんちゃあ、この組長の息子と交換せんでもエイがぞ。まあ、こんなガキをいたぶっても面白くもないきに、返しちゃうがやき、あんまし、世話かけなよ!◯◯組を潰すつもりやったら、ほかにナンボじゃち、方法はあるがぜよ!」

十兵衛が離れた場所から、からかうような言葉を投げかけた。

「アイツ、やっぱり、山長の身内ですぜ!前に山長の社長が事務所にきた時に、おんなじことゆうてましたぜ!」

染谷の後ろにいた組員が、染谷に囁いた。

「うむぅ、今、山長と、ことを構えるのは、得策ではないな……。あそこの組員は、元特攻隊とか、陸軍の特殊部隊とかにいた連中がいるそうや。アメリカの軍隊とも繋がっているって噂やからな……」

どうやら、染谷は、マッちゃんのテンゴウ噺を真に受けているようだ。

「とりあえず、龍児さんを貰い受けましょう。あとは、隙をみて、ズドン、と一発。死体は、浦戸湾へコンクリート詰めに、ってことで……」

先ほど、龍児を「坊っちゃん!」と呼んだ、少し、年輩の組員が染谷にいった。

「よし、まず、人質交換や!それが済んだら、皆殺しや!」

染谷が、周りの組員に小声で、そう命じた。

「おおい、兄さん、人質交換を始めるでぇ。お互い、手出しせんと、人質を歩いて行かすことにしようやないか?手は縛ったままや!エイか?こっちはすぐにそっちに向かわすぜ!」

「よし、ふたりが、十歩進んだら、こっちも歩き出させる。ひとりとふたりの交換や、それくらいのハンディは貰うてもエイやろう?」

十兵衛の要求を受け入れ、まず、園が歩き出す。三歩遅れて、レンが肩を押されて歩き出した。

「よし、ゆっくり、歩いて行きな!下手なマネをすると、背中にナイフが刺さるからな。ワシのナイフ投げ、見せたよな?」

十兵衛は、龍児を連れてくる前に、閉じ込めていた神社の前で、ナイフ投げを実演して見せたのだ。樹木にとまっていた、蝉を十数メートル離れた場所から、ナイフで刺したのだった。龍児は猿ぐつわをしたまま頷いて、ゆっくり歩き始めた。

人質交換は、静かに、何事もなく終わった。龍児が、年輩の組員に肩を抱かれた時には、園もレンも革紐をナイフで切り離していた。

「よし、やれ!」

と、染谷が顎で命じた。三人のガタイの良い組員が腰から、ピストルを抜き出した。

「あっ!」

「アイタ!」

「ウウウ!」

その三人が同時に、声をあげる。その手から、ピストルが地面に落ちていった。

「ど、どうした?」

染谷が驚きの声を三人にかける。

その時、周りの電灯が一斉に消えてしまったのだ。辺りは、月明かりもない、真っ暗闇、ではない。近所の家の灯りが、微かに届いていた。

しかし、ヤクザの目には、もう、十兵衛や園、レンの姿は見えなくなっていた。

「灯りや!懐中電灯をつけろ!」

染谷が怒鳴る。

その時、樹木の切れ間にボーッと火が灯り、その火が生き物のように、ふわふわと宙をさ迷った。その火は、木々の間を数メートル移動したかと思うと、急に消えた。

「な、なんや!今の?火の魂みたいやったぞ……」

若いチンピラのひとりが呟く。

「あっ!あっちに移動している!」

別のチンピラが、全く違う方向を指差していった。そこには、先ほどと同じような、オレンジ色の球体が、ふわふわと宙をさ迷っていた。

「あ、アホウ!ここは墓場やない!公園や!火の魂が飛ぶか!誰ぞのイタズラや!」

「しかし、周りには、誰も居らんことを確かめたばっかりですよ。我々以外は、さっきの着流しの男だけ。アイツには、こんなマネできないスよ!」

「そうやった!イタズラできる人間が居らん、ということは……?」

「ラジコンの飛行機でもなさそうですね?まあ、こっちに向かってくる様子はないから、本物の火の魂でもいいじゃあないですか?それより、灯りをつけることが先決ですよ」

ヤクザではない、西郷が冷静な判断を下した。

「ふふふ」

「キャーホー」

「うおーい」

急に、高い女性のような声や、子供のような声、最後は、人間の声とは思えない、低い獣が吠えたような声がした。

「な、なんや?今の声!人間の声とちゃうぞ!」

「あ、あれ!火の魂が、いくつも乱れ飛んでますよ!」

木々の間をいくつもの火の魂が先ほどより激しい動きをしては、消え、また現れる、を繰り返している。

西郷が胸に吊るしていた、小型のワルサーPPKを取り出し、銃口にサイレンサーをねじ込む。そして、銃口を火の魂が乱れ飛ぶ方向に向けると、引き金をひいた。

ブシュッ!と鈍い発砲音がし、火の魂が急に上昇して、消えていった。

「手応えは、なしやな?火は逃げたようやけど……」

「はははは」

「バカじゃない?わたしたちを鉄砲で退治できると思っているのかしら?」

「ちょっと、お仕置きしようか?」

何処からか、話し声が聞こえてくる。

「誰や!何処に居るんや!」

染谷が、暗闇に向かって、怒鳴る。

そこへ、停めてあった車から、数個の懐中電灯を抱えて、チンピラふたりが帰ってきた。

「どうや、周りの様子は?」

と、染谷が帰ってきたチンピラに尋ねる。

「静かなもんです。誰も人影はありません。近所の家に灯りが点いていましたき、停電ではないようです」

「そうか、よし、さっき奴が居った辺りを探ってみるぜ」

懐中電灯の灯りで、落とした拳銃を拾うと、 染谷は、ガタイの良い組員に懐中電灯を持たせ、公園の奥へ進ませる。その後に、チンピラ三人、組員三人と、西郷、染谷が続く。

龍児の縛られている縄をほどいた、年輩のヤクザと、チンピラふたりが、龍児と共に、公園入口に残った。

「ウワァー!」

という声が、染谷の周りで起こる。急に空から、砂利石が降ってきて、組員たちの頭や身体に当たったのだ。砂利石は、樹木の間からも飛んできて、組員の腕に衝撃を与える。懐中電灯にも当たり、使用不可能になった。拳銃を構えた右手にも、衝撃が走り、全員、銃を落としてしまった。

暗闇の中、全員が身体を丸め、砂利石の嵐から身を守るのに必死だった。

その中で、ただひとり、探偵の西郷は、身の危険を感じて、身体を丸めながら、地面を転がり、公園のフェンスまで、逃げていった。

数十秒で、砂利石の嵐は収まり、全員が顔を上げる。

「グゥワ!」

「ギヤァ!」

「ワ、ワワワ!」

そんな声が、公園入口から聞こえてきた。残った最後の懐中電灯が、転がっていく。入口付近にいた四人は、いずれも、地面に倒れていた。

その四人の傍に白い人影が、遠くの灯りにぼんやりと浮かんでいる。白く見えるのは、その人物が白い水干という衣装を着ているだけではなく、その顔に白い狐の面をかぶっている所為でもあった。

その人影の両側に、同じような、白狐の面がふたつ浮かんでいる。そのふたりは黒装束のため、仮面だけが宙に浮かんでいるようだった。

「全く、人間は神仏をも畏れず、不埒な行い、眼に余る!この山裾に何百年も前に奉られた、我らが稲荷の祠を公園にしてしまい、それを赦して静かに眠っておった我らの棲みかで、短砲(たんづつ)を撃ち込むとは、赦し難い!よって、天罰を与える!覚悟せよ!」

そういう声は、水干姿の白狐からだけではなく、木々の間や地面からも聞こえてくるようだった。

染谷と、ガタイの良い組員四人が、ベルトに差していた、短刀(ドス)の鞘を払って、利き腕に握った。あとのチンピラ三人は、ジャックナイフを構えた。

「油断するな!前の三人だけやないぞ。四方から、ツブテが飛んできている!」

染谷が、檄を飛ばす。確かに、砂利石が降ってきたあとに、ピストルを落とした時も、懐中電灯が壊された時も、ツブテが飛んできたようなのだ。人の気配がしなかったが、確かに、数名の何者かが、樹木の何処かに潜んでいるようなのだ。

「来るぞ!」

白狐の三人がバラけた。黒装束が左右から、白い水干が真っ直ぐに、ヤクザたちに向かってきた。

カキーンと、金属音がして、ドスの刃が折れた。白狐は手に黒い杖を持っていて、ドスと杖が真っ向から衝突すると、ドスの刃が杖に負けてしまったのだ。

白狐の杖が、生き物のようにしなって、ヤクザたちの首筋を強打する。

あっという間に、三人のガタイの良いヤクザが意識を失くし、ぶっ倒れた。

チンピラふたりは、ジャックナイフを使う間もなく、喉を突かれ、背中から崩れてしまった。

黒装束の白狐ふたりは、いつの間にか、姿を消している。

染谷と、もうひとりのチンピラは、戦を放棄して、公園の奥へ逃げ出した。白狐と対峙したのは、ひとり残った、ガタイの良い組員だった。

その男は、ドスを棄て、背中から、白木の仕込み杖を取り出した。長ドスといわれる、白木の柄と鞘の日本刀である。

「ほう、やっと、張り合いのありそうな相手が出てきたようね?」

「おや?女か?」

「女というより、メスよ!人間やなく、稲荷神のお使いの白狐やからね」

「女でも、メスでもエイワ、命をもらうぜよ!」

ヤクザは、日本刀を下段に構えて、白狐に摺り足で近づく。間合いに入ると同時に、剣が下段から上段に素早く変わって、白狐の頭上に刃が振り降ろされた。

ガツン、と剣と杖がかち合い、白狐の頭上で、止められた。白狐は、相手の剣の動きを見切っていたのだ。

ヤクザは、素早く、後方に退く。その動きまで読んでいたのか、白狐は、間合いをあけず、ヤクザの刃の下から、杖を突き出し、ヤクザの喉を正確に捉えていた。

「グゥゲェ!」という声か音かが、ヤクザの口からもれて、彼はそのまま、膝から崩れ落ちた。

「まあまあの腕だったけど、動きが単純過ぎて、読まれてしまうわね!実戦不足だと思うよ……」

「君子危うきに近寄らずや!あそこには絶対、得体の知れんもんが居る!ピストルがいつの間にか、落ちてたところから消え失せた。まあ、ヤクザからの貰いもんや、見つかっても、ワシとは繋がらん。指紋はつけてないし……」

西郷は、公園のフェンスを乗り越え、暗い道路を山裾に向かって歩き始め、公園を振り返りながら、独り言を呟いていた。

「早、戦場から逃げ出したがかよ?まっこと、肝っ玉がコンマイがは、昔と変わらんのう」

西郷が向かっている坂の途中に、白い衣装の人間が道を塞ぐように、腕を組んで立っていた。

「誰や?」

西郷は立ち止まり、その人影に声をかける。

「西郷四郎、警察学校では、柔道選手権の代表にもなった男が、今はヤクザの使い走りかよ?」

「ナニ?警察学校やと……?」

「ワシじゃよ!」

といって、男は裸電球の街路灯の下に身体を寄せた。

「あっ!政五郎先生!」

「久しいのう。噂は訊いちょったが、ここまで堕ちぶれたか……?講道館四段が泣くぞ!」

そういったのは、山長の大番頭、大政である。西郷にとっては、少年時代から柔道の指導を受けた、師匠なのだ。

「先生が、どうしてここに……?」

「おまんが、ヤクザの手助けをしゆうと訊いて、様子を見にきたがよ。腐りかけの根性を叩き直しちゃろうと思ってのう。どうぜ、ワシと素手でやり合う気合いはあるかよ」

よく見ると、大政は柔道着姿だった。

「この場でですか?畳の上ではないので、受け身をしても、大怪我しますよ?」

「怪我が怖いかよ?」

「先生も歳ですから、怪我をさせると、治らないかもしれませんからね?」

「大丈夫よ、受け身など要らん。ワシを倒すことなど、おまんにはできん!」

「そこまでいうなれば、遠慮はしませんよ?警官を辞めたとはいえ、柔道は続けていますからね……」

西郷は素早く、大政の前に進み、道着の襟と、袖を掴む。右足を内側に蹴りだし、大政の右足首を刈る……と見せかけて、右足を左足に絡めて、内股を掛けようとしたのだ。

ドンと、地面に叩きつけられたのは、西郷のほうだった。大政はほとんど、動いていない。西郷の内股を予測して、内股すかしをかけ、同時に、西郷の軸足を払っていたのだ。西郷の身体はクルリと回され、背中から地面に倒れてしまった。受け身をしたが、背中と腰を地面に強く打ちつけてしまった。

「相変わらず、誘いワザが甘いな!フェイントなどせず、最初から、ワザをかける勇気がおまんにはない!確かに、崩しは大事だが、欺瞞での崩しは、墓穴を掘ることになる!まっとうなワザを磨け!それが、正道に戻る唯一の道じゃ!ワシに柔道で挑んできた、その気概があったなら、正道に戻れる筈じゃ。道場はいつでも門戸を開けておるからな……」

西郷が、地面に正座して、大政の道着の背中に一礼をした、その少し前……公園の中では、染谷と丸ポチャのチンピラが、白狐から逃れようと、公園内を駆けていた。

「染谷さん!あ、あれは……?」

先を進んでいた、チンピラが、急に立ち止まり、前方を指差して、染谷にいった。

そこは、公園のどん詰まり、山の斜面が迫っていて、樹木が疎らに立っている。その樹木の間に、白い人影が見えたのだ。しかし、その人間は、ただ立っているようには見えない。どう見ても、足が地面に着いていないのだ。しかも、周りに灯りがないはずなのに、白い顔辺りと、着物の辺りがボーッと灯りに照らされているようなのだ。かなり距離があるのに、その部分だけが浮かんで見えるのだ。

「なんや?女が立っているだけやないか?」

「染谷さん!あそこは道がないところですよ。しかも、あの着物と髪型、この公園に現れるという、幽霊と同じですよ!この前、矢島さんに美人画の写真を見せてもらって、この絵の女が幽霊として現れると訊きましたから、間違いありませんよ。ほら、足元……、地面についてないですよ!宙に浮いていますよ!」

「な、なんやて!ゆ、幽霊?何で、こんな時に……?」

「知りませんよ!逃げましょう!」

「逃げるって、どっちへ?あの幽霊の横辺りに山の斜面があって、獣道のように、抜け道になっているはずやろうが……」

「そ、そうですが、ヤバそうですよ!元に戻りましょう!」

「アホウ!元には、化け物みたいな狐が居るやいか!幽霊のほうがマシや!ワシは幽霊に恨まれる覚えはないからな。さあ、行くぞ!」

チンピラの尻を叩いて、前を歩かせ、幽霊に近づきながらも、なるべく離れた場所から、抜け道を目指した。

「あっ!あそこに道がありそうですよ!」

斜面に草が踏まれた小道が、山裾の民家のほうの遠い灯りで目に入った。

ふたりは、幽霊を無視して、その小道を目指した。しかし、ふたりの背中のほうから、白い布切れが風もないのに、フワっと飛んできて、目の前を遮った。

「わあぁー」

と、ふたりが叫んで、斜面に転がり、そのまま、気を失った。

「あれは……?」

ふたりを追いかけてきた、白狐の睦実の眼にも、幽霊が確認できたのだ。

幽霊の女は、ヤクザのふたりが倒れたところを見届けたのか、睦実のほうを振り返り、ニッコリ笑った。

睦実はその顔をはっきりと見た。自分が化けた、美人画の女、暢子にそっくりだった。

「誰?」

と、睦実が叫んだ時、それまで、ぼんやりと浮かんでいた灯りが一斉に消え、辺りは再び、真の闇に包まれたのだ。

「悟郎は実家に帰っているし、瑠璃子さんは、お店にいるし、今のは、彼女じゃなかった!カンナは死んでいるし、リリィは顔が似ていない!まさか……本物の幽霊……?」


33

「ボン、あれ、ホンマもんやったがやろうか?」

翌朝、少し遅めの朝食を済まし、千代が作った惣菜を陳列しながら、睦実が尋ねた。尋ねられた少年は、惣菜売場の横のいつものテーブルで、高知新聞を広げている。

「あれって?」

と、新聞から視線を外さず、ボンが問いかけた。余所から見たら、新婚夫婦の会話のようだ。

「昨夜というか、今日に日付が変わった時間帯に、公園のどん詰まりでわたしが見た、美人画から飛び出したと思われる、着物姿の女性のことよ!」

「ホンマもん、って、本当の幽霊だって、睦実さん思っているの?」

「まあ、幽霊とは、断定できないけど、美人画の女性に化けれるのは、わたしと悟郎と瑠璃子さん。でも、あの女性は三人以外なのよ!しかも、あの場所、人間が立っていられないというか、山の斜面で、人間が入れそうになかったのよ!」

「僕は見ていないから、何とも判断はできないけど、例えば、カンナさんの幽霊なら、あの美人画の衣装や髪型はおかしいだろう?あの美人画は暢子さんがモデルなんだから……、逆に暢子さんの幽霊だとしたら、年齢が若過ぎるよね?だから、幽霊なんかじゃないんだよ」

「じゃあ、誰が化けたっていうの?」

「我々の全く知らない女性か、あるいは、あの人かな?」

「あの人?ボン、心当たりがあるんか?」

「ふふ、ようく、考えてごらんよ。睦実さんの知っている人物だから……」

「ええっ!教えてくれないの?」

そう睦実が不満気にいった時、惣菜売場の入口から、角刈り頭の男が飛び込んできた。

「ボン、小高坂の公園に幽霊が出たそうですぜ。その幽霊がヤクザ十数名を退治したって、大騒ぎ!今朝早くから、警官が駆けつけて、全員逮捕したってことですぜ!」

「ずいぶん、ゆっくりとした逮捕劇やね。ホンで、新聞に載ってないがや」

「ヘエ?ボンはもうご存知なんで……?」

「幽霊騒ぎは、マッちゃん!マッちゃんが拡めた噂がもとやろ?探偵団が知らんでどうする?」

「じゃあ、今回の騒ぎも、探偵団、しいては、ボンの狂言なんですかい?」

「ちょっとした、人質の交換があってね。そのついでに、◯◯組を壊滅しようと思ったんだけど、組長が出てこなくって、思惑どおりには、ならなかったよ」

ボンはそういって、昨夜からの狂言をマッちゃんに語り始めた。

「待った!わたしにも、訊かせてよ!お母さんが旅行にいってて、惣菜造りやら、掃除やら、全部ひとりで……、いや、みっちゃんとふたりで、せんとイカンき、事件どころやなかったがやき」

千代が最後の煮物の惣菜を器に入れて陳列に持ってくるなり、そういった。

「ああ、エイよ、ほいたら、座り。昨夜は可笑しかった、というか、石川忍軍の活躍が半端やなかったきね!睦実さんも大活躍!東映の時代劇みたいやったよ!」

ボンはそう前置きして、語り始める。

公園には、石川忍軍と山長の組員(職員?)が木々の高い位置にロープを張り巡らして、石川忍軍が木々の上方に潜んでいた。他にも、軟式の野球ボールに綿を巻きつけ、アルコールを染み込ませて、火の魂を作ったり、街路灯に細工をしたり、雪洞や提灯まで用意し、拡声器を設置した。

近所の民家は、顔役さんの親しい友人の家で、そこが指令部になっていた。

十兵衛ひとりで、人質交換を終えると、街路灯を遠隔操作で消し、闇に乗じて、園とレンを民家に収容する。

そして、狂言の始まりである。アルコールに火が点いたボールを木々の上から、操作する。十兵衛と石川忍軍が得意のツブテで、まず、ピストルを持つ手を攻撃した。

ヤクザたちが、奥へ進むと、木々の間に張り巡らしていた縄に結びつけられていた、大きな笊が回転し、中の砂利石が雨のように降ってくる、という仕掛けを山長の連中が行う。石川忍軍は、四方から、一斉に石のツブテを弾き続けた。十兵衛のツブテは、確実にヤクザの腕を捉え、ピストルを使えなくする。落ちたピストルは、先に熊手のような爪のついた長い竹竿に引っ掛けて、回収してしまったのだ。

そこで、真打ちの登場だ。白い水干姿に白狐の面をつけた睦実と、十兵衛と、サルと呼ばれている配下の男が、まず、入口にいた四人を呆気なく退治する。十兵衛とサルは、素手で当て身の一撃。睦実は黒い杖の、ふた振りで、龍児と年輩の組員を打ち倒した。

睦実のセリフは、拡声器を通じて、四方から聞こえてくるようになっていた。

白狐姿の睦実は、十兵衛とサルに手出し無用!と命じて、ヤクザたちに向かっていった……

「ホンマ、久しぶりに思いきって、杖を振るえたワ!前の時は、暴走族と早すぎる、杉下さんの登場で……、ストレスがたまっていたからね」

「でも、ヤクザ相手で、しかも、刀を持っていたんやろ?危ないマネしたらイカンよ!ご両親にウチが叱られるから……」

「うん、あんまり、無理はセンよ!刀を持っているゆうても、使い慣れておらん奴やったからね。前に十兵衛と戦うた、時影みたいな奴はめったに居らんよ!」

「それで、今回は大政さんまで、繰り出したの?」

「うん、なんでも、西郷という、元刑事の探偵は、少年時代から大政さんが柔道を教えていた、直弟子なんだって」

「ああ、四郎ちゃんか?」

「ええっ!母ちゃん、西郷を知っているの?」

「まあ、中学生くらいの彼ならね。ほら、顔役さんの長男の鶴太郎さん、柔道の選手だったでしょう?階級は違っていたし、歳は鶴ちゃんがふたつ上だけど、なかなかのライバルだったのよ。県の大会の団体戦であたって、鶴ちゃんが勝ったけど、年下なのに、手こずったのよ……」

「鶴ちゃんって?顔役さんに亀次郎さん以外に息子さんがいるんですか?」

「ああ、睦実さん、知らんかったね?鶴太郎さんは、母ちゃんの幼なじみで、初恋の人。戦争にいって、大怪我をして帰ってきて、何年か前に亡くなったがよ」

「ああ、ウチの悟郎がずっと付き添うていた、男丈夫ね?悟郎がその人が亡くなった時、号泣したっていってた。柔道家だったのね?」

「それで、話を戻して、大政さんと西郷がどうしたの?」

「西郷さんとヤクザとの関係を知って、弟子の行く末を心配して、道を正道に戻すためには、試合するしかない、って……それで、大政さん、柔道着きて、西郷を待ちぶせていたんだってさ」

「それで、四郎ちゃん、改心できたがやろうか?」

「結果はこれからだろうけど、大政さんの顔を見たら、大丈夫そうだったよ」

「そしたら、最後の場面で登場した、幽霊は?それも、あんたの狂言だったの?」

「いや、僕の筋書きは、睦実さんと十兵衛さんがヤクザを懲らしめたら、退却する予定だった。西郷は大政さんに任せる予定だったし、ヤクザの幹部が闘わずに道もないようなところから逃げるとは思ってなかったからね」

「じゃあ、誰が?」

「それより、ボン、幽霊の正体を教えてよ!考えてもわからないのよ!」

「母ちゃんはわかるよね?幽霊の正体がわかったら、最後の筋書きを作った人物もわかる。あるいは、逆から、わかるかもしれないけど……」

「あっ!そうか!」

「ええっ!千代姐さん、もうわかったんですか?わたし、全然ですよ……」

「睦実ちゃん、ウチの子以外に狂言書く人は?」

「はい、小政さんですよね?」

「小政さんが幽霊役を頼むとしたら?」

「ウチの悟郎ですけど……、アイツは実家ですから……」

「もうひとり、顔役さんの関係で、しかも、あの美人画のモデルにそっくりな女性がいるはずよ!」

「モデルは二宮暢子さん……あっ!そうか!陽子さんなら、一番そっくりですよね?わたしより、似ているんだもん……」

「でも、小政さんは狂言は書けても、実行はできないわよね……ヤクザ絡みだと、陽子さんに危険性もあるし……」

「たぶん、山長の中に、石川忍軍ほどじゃないけど、それに近い能力のある人間がいるんだよ。亀次郎さんが手伝ったのは、間違いなさそうだね」

「ああ、わかった!配下のキジっていうのが、山長さんを手伝う役だったから、小政さんに頼まれたんだわ。ロープでの宙吊りとか、縄の細工は得意な男だから……」

「キジ?変わった名前ね?」

「本当は貴次、貴族のキの字だから、音読みして、キジって呼んでいるの。あとふたり、タカジって漢字の違う仲間がいるから……」

「ヘエ!さっき、サルさんが居りやしたね?サルとキジ。ついでに、イヌさんがいたら、桃太郎の家来ですよ」

「マッちゃん、イヌは本当の甲斐犬がいたのよ。ジョンほどじゃないけど、賢い犬だった。ヤマトって名前だった。最後の忍犬だったわ……」

「じゃあ、睦実さんが桃太郎でござんすね?今回は、桃太郎がヤクザという鬼退治をしなすった、って狂言でしたか……」

「ははは、さすが、テンゴウ噺を創る天才だね?睦実さん、明日には、火曜市で、その噂が広まっているよ……」

「キジに確認したら、ボンのいうとおり、小政さんの狂言だったよ!」

その日の夕刻、刻屋のいつものテーブルで、睦実がボンに話しかけた。

「キジのいうには、亀さんと呼ばれていた、美男子が、『あの公園は山側に小さな抜け道がある。そこも罠を仕掛けて置かんと……』って、ゆうたらしい。それで、小政さんが、『幽霊を用意するか、あの美人画にそっくりな幽霊を用意しよう』って、ことになったらしい。キジは陽子さんを宙吊りにしたり、行灯の灯りの演出をしたり、最後に白い布を飛ばしたりする仕掛けを作ったり、陽子さんの身の安全を守る役目をしていたんだって……」

「ふうん、かなり、大仕掛けを短時間で用意したんだね?小政さんもストレスがたまっていたのかな?」

「はは、そうね!今回、ホームズの活躍する場面が少なかったもんね」

ふたりがそんな会話をしていると、玄関口から、強面のサングラスの男が飛び込んできた。

「おう、ボンと睦実さんかよ?若女将は居らんがか?」

「おや、杉下警部殿、マル暴班は大活躍で、忙しいがやないんですか?」

「ボン、それは、嫌みかよ?忙しうしてくれたがは、また、ここの探偵団の筋書きやろう?」

「さて?何の話でしょう?まあ、どうぞ、中へ。母は夕食の準備中です。祖母が旅行から帰って来ないもので、祖父の気に入る料理を造るのに、手を焼いています。なんせ、祖父は、『イゴッソウ』なもので、食事が遅れたり、気に入るもんがなかったりしたら、お膳をひっくり返してしまいますから……、祖母がいないと、大変なんです!」

「ハチキンにイゴッソウ、顔回の生まれ替わり……、まあ、ボンが大人びた口調になるがも、しゃあないのう……」

強面の警部の言葉に、少年は苦笑いを浮かべるしかなかった。

「杉下さん、ごめんなさいね、お話を訊きたいがやけど、お料理が忙しうて……」

そういって、お盆にお茶の湯呑みをのせて、千代が顔を出し、強面の警部に微笑みかける。

「おう、若女将!なんちゃあやない!一目、若女将の顔が見たかっただけよ!若女将の顔を見たら、ヤクザの連中の腐った顔もしばらくは我慢できらぁよ!それに、仕事がはかどるき、顔さえ拝ませてもろうたら、エイがよ!」

「はい、はい、こんな顔でお役に立てて、嬉しいことです。そしたら、ごゆっくり……」

そういって、千代はお盆を提げて、背を向ける。強面さんの視線がその背中を見続けていた。

「それで?忙しい警部さんが、わざわざ、おいでたわけは?まさか、母の顔だけ、拝みにきたんやないですよね?」

「えっ?いや、そんなわけないろう……」

ボンの問いかけに、我に返り、言葉を繕う。

「今朝、早うに、小高坂の例の公園に犬の散歩にきた年寄が、公園の中に死体が転がっている!ゆうて、110番通報があったがよ。まだ、陽が昇る前やった。最寄りの派出所から、ふたりの巡査が駆けつけたら、死体やない!身体を縄で縛られた、一目でヤー公と思える野郎が、一ダースほどや!前に暴走族との抗争があったばっかりやから、またか、と思うたが、昨日の晩は、バイクの音はせんかったそうや」

そこで、警部はお茶を飲む。

「そこで、思い出したんが、元刑事で探偵をしている西郷が、ここの探偵団のことをヤクザに話して、ヤクザがここを探っているって情報や!勇次に伝言頼んだから、ボンにも伝わってるはずや!ヤクザが、この町内をうろちょろしてたら、山長が黙っておらん……、いや、その前に、石川の兄さん、十兵衛さんが黙っておらんワな?」

「でも、山長の社長、この辺の人間は、顔役さん、ゆうてますけど、出張中でおらんがですよ。そんな時に、ヤクザと喧嘩はできませんよ。十兵衛さんひとりでは、ヤクザ十人は……、ピストルとか持っていたら、キツイですよ?」

「奇跡的かもしれんが、ヤクザを懲らしめられるのは、ボンか山長の小政の兄さんの策略しかない!虎乃介の時も、質屋殺しの事件の釜渕の時も、井口の探偵団がお膳立てしていた。ワシが知らん秘密の集団、陸軍の特殊部隊みたいな輩がここには居るんやないか?さくらが暢子の最初の子供やと突き止めた辺りから、不思議に思いよったがよ……。十兵衛さんみたいな連中が、陰に居る!それも、数名から十名ほど……」

「杉下さん、そんな秘密諜報部員みたいな連中が、こんなボロい旅館に居るわけないですよ!十兵衛さんは睦実さんの伯父さんで、格闘技は得意ですけど、さっきもゆうたように、ひとりでは無理ですよ!山長の小政さんは頭脳派で格闘技はダメです。大番頭の大政さんは、柔道の師範級らしいですけど……ヤクザ相手は、杉下さんくらいやないと、怖くて、闘えませんよ!虎乃介の時も、釜渕の時も、捕まえたのは、警察のかたでしたよ」

石川忍軍のことは、杉下警部とはいえ、機密事項だ。勇次にも、硬く口止めしている。

「まあ、素人がヤクザとは闘えんワな?ほいたら、ワシの思い過ごしか……?」

「ウチの探偵団は頭脳派ですから……、僕はルパンの生まれ替わりって、いわれていますが、それは、直感力のほうで、行動力ではありませんから……」

「まあ、ボンや小政の兄さんがヤクザと遣り合うシーンは想像できんワ!十兵衛さんひとりでは、あのヤクザの数は、ちと無理か?確かに、ピストルが転がっていた。玉を撃ったのは、一丁だけやったが、全部で、六丁あった。ほかにも、短刀数本と、日本刀が一本。まあ、そいつらと闘うとしたら、少なくても、十人はいるワな……」

戦いのあと、坂の途中に転がっていた、染谷とチンピラを含め、ヤクザ全員を縛り上げ、猿ぐつわをして、周りに回収していた、拳銃をヤクザの傍におき、仕掛けに使った小道具を回収して、引き上げたのだ。それで、警察に通報するのが遅れ、結局、散歩にきた年寄が通報するハメになった。杉下警部のいうとおり、人数的には、石川忍軍が五人、山長が五人、それにボンと小政と睦実を加えると、十三人だったが、逃げた西郷と、染谷と丸ポチャのチンピラを除く、十名の内、公園入口にいたチンピラふたり以外の八人のヤクザを倒したのは、睦実だったのだ。

「いったい、誰がヤクザを縛り上げたんやろう?新たなヤクザ組織は、東のほうで、はびこり始めちゅうが、まだ、◯◯組と喧嘩する力はないはずやが……?広島辺りの新興ヤクザも、まだこんな田舎には、よう来んはずやし……まあ、エイ!虎乃介から始まって、毒島、矢島兄弟、釜渕に、今度は染谷と、武闘派の組員のほとんどが、何らかの罪で告訴できるき、◯◯組も終わりやな……」

杉下警部は、お茶を飲みほし、

「ほいたら、若女将、また顔を拝みにくるきに!」

と、奥に向かって大きな声をかける。

「そうや、さかもっちゃんから、ボンに伝言があった!変な電話があったそうや。勇次を指定して、ボンからいわれて、懺悔したい、っていうたそうや。何のことかわからんから、名前を訊いたら、あっ!もうエイです!とゆうて、電話は切れたそうやが、ボン、心当たりがあるかよ?」

「ああ、忘れてた!二宮耕策が、カンナに対して、しでかした、過去を謝りたい、泰人や伸一のように、祟られたくない!っていうので、勇さんに懺悔したらいいと、助言したのですが……、まさか、こんなに早く、助言に従うとは……」

「ほほう、カンナにイタズラした、主犯は、耕策かよ?そしたら、桃子は、耕策の子供の可能性があるがかよ?」

「さあ、顔は泰人に似ていますからね……ただし、耕策の父親が孝太郎とは限らない。泰人と同じ、小作人の息子か、その近い血縁者で、桃子ちゃんは隔世遺伝のおじいさん似かもしれませんね?杉下さんの息子さんのように……」


34

その翌々日、ハチキンさんが旅行から帰ってきて、イゴッソウの機嫌もよくなったようだ。千代もみっちゃんもやっと、一息ついて、日常の生活に戻った気がしている。

「アテの存在価値がようわかったろう?」

と、ハチキンさんは台所仕事をしながら、ふたりにいった。

「お寅さん、戻(も)んちゅうかよ?」

玄関口から、男性の声が響いてくる。

「あら、あの声は、顔役さんやない?」

千代はそういって、惣菜造りの手を止め、玄関口に向かう。

そこには、着物姿の顔役さんと、スーツ姿の石川悟郎が立っていた。

「おう、千代さん、久しぶりやのう。お寅さんは?旅行にいっていると訊いたが、そろそろ帰って来ちゅうと思うてのう。ワシも昨夜、遅くに帰ってきたがよ。石と真さんのご実家からのう……」

「まあまあ、ご苦労様でした。石さんと真さんのことは、睦実さんの妹さんから連絡がありましたよ。石さん、この度はご婚約、おめでとうございます」

千代が、そういって、悟郎に挨拶していると、ハチキンさんが、割烹着姿で現れた。

「石さん、お宅のイゴッソウも、マコちゃんなら、許してくれたろう?」

「おう、お寅さん、相変わらず、元気やのう、日焼けしちゅうが、旅行はエイ天気やったがや。今日は、石のことで、まず、お寅さんと千代さんに報告と、礼に来なイカンと思うちょったら、その前に思わん客があってのう、石のことは、今度ゆっくり話すき、ちょっと、客人の話を訊いとおせ」

「この度は、女将さんと若女将さんには、大変、ご心配とご配慮を賜りました。首尾良い結果のみ、ご報告させていただきます」

と、悟郎が深々と頭を下げる。

千代とお寅は、顔役さんの言葉の意味がよくわからず、無言で、会釈を返した。

「小政、客人を……」

と、顔役さんが、表に声をかける。

「ええっ、お客さまを外に待たせていたんですか?」

と、千代が驚きの言葉を発した。

「ああ、旅館の客やないし、あんまり、エイ客でもない。お寅さんの承諾なしに、玄関口には入れれんきに……」

千代が首を傾げていると、小政の案内に従って、ふたりの男性とひとりの女性が入ってきて、千代とお寅に一礼した。

「ばあちゃん、そちらは、大垣県議さんと、息子の政二郎さん、女性のかたは、中井久美子さん、政二郎さんの未来の奥さんになられるかたや。二階の座敷に上がって貰い。今、みっちゃんと睦実さんに準備させゆうき……」

突然、柱時計のある座敷に現れた少年が、高い位置から、玄関口の大人たちに向かって、そういったのだ。

「おう、ボン!」

と、いう顔役さんの声。

「君が、小学生とは思えない、名探偵の『刻屋のボン』やね?けど、ワシの紹介は間違ごうとる。県議やのうて、元県議や!今朝、辞職願いを議長に提出してきた」

「でも、受理されて、決定するのは、明日でしょう?ですから、元は付けずに紹介しました。政二郎さんは、先日お会いしましたね?久美子さんに自分の気持ちを伝えられたようですね?久美子さんには、初めてお目にかかります。刻屋の孫、若女将の千代の長男です。刻屋へようこそ……」

(ホンマに、この子、将来どうなるがやろ?単なる『耳年増』で、大人びた言葉を使うくらいなら、まだエイけんど、二階に部屋を用意させたり、お客さまに自慢気に推測した話を、ひけらかしたり……、ああぁ、絶対、小政さんとマッちゃんの悪影響や!)

みっちゃんと睦実が用意した『桐の間』の座卓の前に座布団を並べながら、千代はため息混じりに、心の中で呟いていた。

「やっぱり、千代さん、あんたの子やな?気が効くゆうか、物事の先取りができる、機転が効くとゆうか……、土佐でゆうところの『酢が効いちゅう』とゆうとこやな?」

「えっ?」

と、千代が顔を上げると、長吾郎が笑顔を浮かべていた。

「さっきのボンのお客への自己紹介と、お客の紹介。用件どころか、客の訪問も決定的ではない段階での、部屋の準備。小学生とは思えん行動やが、千代さんの子供の頃とあんまり変わらんぞ。千代さんも気が効きすぎるき、『顔回の生まれ替わり』ゆうて、陰口たたかれたやろうが……」

(あっ、そうか!子供の頃、オマセや!いわれて、子供らしうない!ともいわれていた!なんや、遺伝か……)

顔役さんに自分の子供時代を指摘され、息子が変わり者ではなく、自分にそっくりなことに気づいて、つい、笑みを浮かべる千代だった。

「千代姐さん、タネ明かしをすると、二階のボンの勉強部屋から、外が見えるんですよ。玄関先に、小政さんと三人が立っているのが見えて、そのひとりは、間違いなく、政二郎さんだとわかったから、裏の階段から、みっちゃんを呼んで、この部屋の準備を整えたんです」

と、睦実が耳元で囁くようにいった。

確かに、江ノ口川の支流である、旭川に面した角の部屋を勉強部屋に開放しているのだが、宿題などは、食卓のある一階の部屋でしているし、漫画や小説を読むのも、その部屋の隣の座敷だった。玄関からも惣菜売場にも、注意が払えて、勝手口にも目が届く。来客が多いため、その部屋が待機場所になっている。いつも彼が柱時計のある座敷へ現れるのは、その部屋が隣だからだった。

そんな彼が二階にいたのは、ひとつは、祖母が帰ってきたことによって、店番する必要がなくなったこと。ふたつ目は、そろそろ、睦実が実家に帰らないといけない時期になって、最後の晩餐ならぬ、計画をしていたのだった。

「顔役さんが、一度はお断りした、探偵団への紹介を引き受けたということは、前回とは違ったご用件なんですね?」

一同が座卓の前に腰を下ろし、みっちゃんが、お茶を用意したところでボンが話を切り出した。

「ああ、今回の用件は、まず、礼をせにゃあならんと思うてな。姪の園をヤクザから救うてくれたそうやな?」

「人質交換ということで、先方から申し出があったんです。ヤクザ相手やから、顔役さん、山長の組員を助っ人に頼みました。無事にことが収まったのは、そのおかげです。◯◯組は山長さんと喧嘩する気はないようですから……」

「ああ、それは、長吾郎さんと、そこの小政さんに訊いた。◯◯組の組長には、再度釘を刺しておいた、と……。それともうひとつ、礼をいわなイカン。大垣家の行く末についてや。門田からも息子からも訊いたが、息子とこの久美子を夫婦にして、桃子を養女にする。園は由紀子の長女に預け、ゆくゆくは、その息子と所帯を持たす。なかなかの案やが、本人同士の気持ちが第一。強制はできん。息子は久美子と所帯を持ちたいというが、久美子は?と思案していたら、久美子も息子が好きだとわかった。血縁関係に、問題ないとわかったので、ふたりの結婚は決まった。そのあとで、園が帰ってきて、ヤクザに拉致されていたこと、ここの探偵団に助けられたことを知らされた。それと一緒に、由紀子の長女の息子のタネを孕んでいること、ふたりは将来を約束していることを訊かされた。ここまで、思惑どおりにことが運ぶということがあるろうか?と、驚くばかりよ。誰かの筋書きだとしても、人の気持ち、心の中までは読めんはずや……」

「それと、もうひとつ、昨夜、桃子ちゃんから、手紙を貰ったんです」

と、久美子が泰蔵の話を引き継いだ。

「それには、わたしに桃子ちゃんのママになって欲しいって、ハンバーグの絵を添えて書いてありました。わたし、涙が溢れてしまって……、こんな、奇跡ってあるんですか?」

久美子はそこで言葉を止め、座卓を挟んで座っている、少年をじっと見つめた。

「奇跡かなぁ?久美子さんは普段から、桃子ちゃんに対して、優しく接していたでしょう?政二郎さんに対しても素直な気持ちで付き合っていたはずです。水の流れのように、自然に川になり、海に至る。人の縁(えにし)は流れる水の如しですよ」

一同の眼が点になり、無言のまま、そういった少年に視線が集中した。

「ははは、こりゃ、参った!ワシも議員をやって、数多くの人間を観てきたが、こんな少年は初めてじゃ!お釈迦様の生まれ替わりかもしれん!」

「お父さん、失礼ですよ、ちゃんと事前にゆうてたでしょう?刻屋のボンを子供と思うたらイカンと……、この子は特別な才能を持っているんです。邪(よこしま)な気持ちがないから、人の本心を伺い知ることができるんです。言葉が大人びているのは、我々に合わせているんですよ。それは環境が生み出したものでしょうけど……」

泰蔵のボンへの評価に対して、隣に座っていた政二郎が、そうボンについての持論を語った。

千代は、その『環境』という点に顔を赤らめ、うつむいてしまう。反対に、お寅さんは、ドヤ顔で胸を張る。

「まあ、身内のもんがゆうのもおかしいけんど、アテの自慢の孫ですき、躾はそこそこできてます。人さんの役にたつように、と、いっつもゆうておりますき……」

「なるほど、噂に高い、ハチキン女将のお孫さんですきに……、環境の所為ですか?」

「オホン!僕のことはもうその辺で……ご用件のほうを伺いましょうか?お礼だけに来られたわけではないのでしょう?」

いつまでも続きそうな、自分の話を終わらせようと、ボンが話題を変える。

「うむぅ、そうやった。じゃが、これから話すことは、依頼というより、確認じゃ。探偵団が大垣家を内定していたことは知っちゅうが、誤解、いや誤認もあるろうと思うてのう……誰かの証言もその人の思い込みの部分もあるろうき……」

「確かに、我々の調査の中には、推測や不確実な証言もありますが、公にするつもりはありませんよ?」

「うん、それもわかっちゅうが、ワシの気持ちが晴れんがよ。ましてや、自分の息子については、真実を知って欲しいがよ。政二郎は、真実、ワシのタネから生まれた子供や!藤子が、二宮のタネや!ゆうたらしいが、それは違う。二宮に抱かれて、気を遣りそうになった藤子の中に、その日、病院で採取した、ワシの精液を注入した!二宮は、射精しとらんし、それ以降の交わりはない!人工受精のような方法を試みたのよ、藤子には、内緒でな。ワシは大垣家の長男、どうしても、自分の血をひく子供が欲しかったがよ……」

嘘でない証拠に、その時の医師の精液採取の証明書もあるし、二宮と交わした確認書もあるという。泰蔵と二宮は競争馬でいうところのタネ馬とアテ馬の関係だったのだ。ただし、藤子に注入されたタネは、人工の性器型の容器に入っていたものだった。

「つまり、政二郎さんは、戸籍どおり、泰蔵さんと藤子さんのお子さんということですね?」

と泰蔵に確認したのは、小政だった。

「そうゆうことよ。それを世間やのうても、政二郎とその伴侶、そして、山長さんとここの探偵団には、真実を知って貰いたいがよ」

「何かあった時の証言者にするつもりですか?」

「おい、小政!そこは大人の領域や!わかっていても、口にはするな!」

泰蔵の思惑を推測して、小政が嫌みをいったのを、長吾郎がたしなめたのだ。

「そう取られても仕方ない。けんど、この前の火事で、大垣の人間も少のうなった。相続で揉める心配が、のうなった……」

泰蔵はそういって、座卓の上の湯飲みのお茶を口に運んだ。

「ワシは、あの火事は、天罰やったと思うちゅう。ワシと伸蔵が本家の村で知った祭りを仲間と悪用して、若い娘ふたりに狼藉した、天罰や!あの事件から、今度の火事は、ずうっと繋がっちゅうがよ……、二宮の息子が教会で懺悔したそうな?ワシも議員を辞めて、会社を息子に譲ったら、頭を丸めようと思うちゅう。その前に、この場で懺悔をさせて貰いたい……」

「ここで懺悔?誰に懺悔するつもりながですか?」

「真実を語りたい!ワシの知っていることを……、大垣家の長男として、本家からも伝えられたことを……」

「なるほど、我々が調査した大垣家の関係者の血縁関係は、本家が把握しているということですね?」

「そうよ!子を産むのは、女じゃが、ひとりでは、産めん。本家の息のかかった産婆か医師が立会う。誰と交わってできた子かも、確認する。できなければ、産めんのじゃよ、悪い血縁ができては困るでのう。近親相姦だけやない、変な血筋は困る。本家には、その裏の戸籍が作られて居るのじゃよ」

「でも、あなたたちのように、数名でひとりの女性と関係した場合はどうなるのですか?」

「その場合は、全員が父親として登録されるが、子供が成長する段階で、血液型、骨格や、顔の部分の特徴、黒子の位置など多方面からの身体の特徴と、癖や、性格、味の好みなどにより、父親を特定する。ほぼ、子供が成人するまでには、父親が確定している」

「しかし、あなたと伸蔵さんのように兄弟と関係してしまうと、隔世遺伝もありますから、決定は難しいのではないですか?」

「ワシと伸蔵のふたりと関係を持ったのは、三人。妻の藤子がそのひとりじゃが、ワシとは、政二郎の時以外は、子供のできる行為はして居らん。あとのふたりは、松下暢子と戸梶由紀子じゃが、暢子の子供は血液型がO型で、耳の形と胸の黒子の位置から、門田の子供とわかった。由紀子と交わった時は、ワシは挿入して居らん。恥ずかしい話やが、入れる前にいってしもうた……、暢子と思っていたからな、興奮していたんや。ワシの次が二宮で、その時、待ちきれん、ゆうて、伸蔵が乳房に吸い付いた。その乳房を見て、門田が、暢子やない、と叫んだがよ。門田は、絵のモデルとして、暢子のヌードをデッサンしている。乳房の形、大きさが違うことに気づいたがよ。それでお面をとったら、由紀子やった……」

「では、由紀子さんが産んだ最初の娘、瑠美さんの父親は?」

「二宮しか居らん!」

「では、何故、由紀子さんは二宮と結婚せず、あなたの世話になったのですか?」

「ふたりの妊娠に気づいた時期の所為じゃ。先に暢子が気づいた。それを知って、四人で協議して、くじ引きで婿を決めた。門田のタネとわかるのは、十年後じゃからな。その子をどうするかも決まってなかった。くじの結果、二宮が婿に決まった。由紀子の妊娠が判明したのは、その二日後よ。由紀子の婿になるのは、その子の父親以外の三人。門田は、くじ引きに外れて、失意のあまり、家を出た。残ったのは、ワシら兄弟。ワシには藤子という親が決めた女が居った。残るは、伸蔵だけ……そこで、由紀子に訊いたがよ。どうするかと……。由紀子は、しばらく考えて、妾で良いから、長男のワシの元で暮らしたいといってきた。家政婦として、住み込みで働いて、給金は妾の分を足して、実家に送金してくれ、という条件、子供の面倒を母親に頼むからといってな……。ワシは由紀子の娘の顔を知らんのよ。名前はルミとかゆうたが……」

「その瑠美さんが、園さんと結婚する、レン君の母親ですよ。レン君は二宮孝太郎さんの孫になるんですね?」

「そうか、本家のほうからの依頼で、高知の街で、小さなバーを開きたいゆう親者が居るから、物件と酒の仕入れの面倒をみちゃってくれ、と頼まれた娘が瑠美やったがか?いや、レンなどという息子は居らんかったはずやが?独身で、泰人とあんまり変わらん歳やったから、園と同い年の息子など、居る歳ではない!人違いやろう?」

「十五の時に産んだ息子だそうです。ずっと、親戚に預けていたけど、店も順調になったので、引き取ったそうです。レン君は伯母だと思っていたそうですよ。綺麗な優しい伯母さんだと……、そうだ!レン君を身籠ったのも、時代は下がりますけど、同じ、神社のお社の中ですよ!本家の裏の戸籍に載っていないかなぁ?」

「本家の神社で父親のわからん子を身籠ったのか?十六・七年前……?戦時中なら、なおさら、そんなカップルが居った。子を産んだなら、必ず、本家の裏の戸籍に記載されて居るはず。よし、調べて貰おう」

「もう一人、我々の調査で不確定な人間がいるのですが、一緒に調べてくれませんか?間竜平さんなのですが……」


35

「父から頼まれまして、本家の裏の戸籍調査の結果をご報告に参りました」

数日後、夏休みも終わりに近い、残暑の厳しい日だった。大垣政二郎が刻屋の玄関口から、足を運び、いつもの惣菜売場横のテーブル周りに腰をおろし、まず、訪問の主旨を述べた。

「父が直接ご報告せねばならないものですが、また、体調を崩しまして、私が代理で参上いたしました」

「それはそれは、ご丁寧に……、お父さまには、お身体をご大切にと、お伝えください」

と、若女将の千代が応えた。

テーブルには、ほか、ボンと睦実と十兵衛が座っている。睦実と十兵衛は今日の午後に、大阪に帰る予定で準備をしていたところだった。

「本家の裏戸籍と呼ばれるものは、門外不出、大垣家の主筋に当たる、僅かな人間にしか閲覧できません。それ故、これからお伝えする内容は、ここだけの話、他言無用をお約束願います。また、内容を書き留めることも禁じさせていただきます」

政二郎は、そういって、ひとりひとりが無言で頷くのを確認した。

「わたしが調査をお願いした、レン君の父親と、間竜平さんの真のご両親に、何か問題があったのですか?」

政二郎が、緊張して、最初の言葉を探っているのを察したボンが、問いかけることで会話をスタートさせた。

「い、いや、問題はありません!わたしにとっては、意外な人間関係だったもので……、まず、竜平のほうから、お話しします。竜平は戸籍上、つまり、表のほうですが、父は俊夫、母は寿栄子です。しかし、裏の戸籍は、母は雅子、父は……伸蔵……」

「つまり、竜平さんは、大垣家の次男、伸蔵、雅子の子供ということですか?いや、雅子というのは、本当の藤子さんの従妹のかたでしょうか?」

「はい、わたしには、まだ頭の整理ができていないのですが、伯父の伸蔵の離婚した妻は、雅子ではなく、わたしの母の藤子だそうで、今は雅子として生きている。しかし、裏戸籍の雅子は母の従妹の雅子だそうです。その両親の名も裏戸籍には載っていますから、確実です」

「なるほど、あくまでも推測ですが、伸蔵さんと雅子さんは、大垣の離れで関係を持った。雅子さんには、俊夫という好きな男がいた。伸蔵さんと無理やり関係を持たされたあと、雅子さんと俊夫さんは駈落ちをする。竜平さんが産まれ、雅子さんは亡くなる。俊夫は寿栄子さんと結婚し、一年半後に離婚。俊夫が亡くなり、竜平さんは伯父さんに引き取られた……」

「竜平は大垣の血を引いている、ってことよね?彼はそのことを知っているのかしら?」

と、睦実が疑問を述べる。

「これも推測。知っている。謎が解けた!泰人に、政二郎さんと陽子先生の見合いをぶち壊す手段として、瑠璃子さんをカンナに化けさせることを提案したのは、竜平だったんだ!もしかしたら、伸蔵さんが、火事が発生した離れに、入っていった原因も、竜平が何かを囁いた可能性がある」

「それじゃあ、今回の幽霊騒ぎの一連の事件の主犯は竜平だったのね!」

「犯罪者ではないから……まあ、彼のことは置いといて、次はレン君の父親にいこうよ……」

そういって、政二郎にボンは視線を向ける。政二郎は、無言のまま、唇を震わせていた。

「政二郎さん、レン君の父親は?裏戸籍に載っていないのですか?」

ボンが、政二郎に発言を促すように、質問から入った。

「い、いえ、載っています……レンの父親は……、わ、わたしです……」

裏戸籍に載ったレンの父親は二名。政二郎のほかに百助という名前があった。母親は瑠美=瑠璃子である。神社の社でかくれんぼの最中に一緒になったのが、百助で、翌日、百助が連れてきた友達が、その時期本家に遊びに来ていた、政二郎だったのだ。

政二郎は、十一歳。覗いて見た男女の行為の意味もわからず、瑠美に導かれるまま、裸になり、瑠美の中に、初めての射精をしたのだ。

レンが政二郎の子だと認定されたのは、血液型だった。百助はB型、政二郎はA型、レンはA型だった。瑠美はO型だから、政二郎の子であると認められた。その後の追跡調査でも、レンと政二郎の類似が見つかったのだ。

裏戸籍の調査報告を済ませ、力なく立ち上がった政二郎に、

「久美子さんには、正直にお話しください。瑠美さんは、子供の遊びの結果だから、父親が誰だかは、問題にしていないそうですよ。戸籍上は、レン君は従姉の子供を養子にしたことになっています。裏戸籍は必要ないと思いますよ」

とボンはいったのだ。

「はい、久美子さんには、正直に話すつもりです……」

そういって、政二郎は去っていった。

「本当に複雑な人間関係ね!政二郎さん、大丈夫かな?」

政二郎の背中を見送るボンを、睦実は背後から、肩越しに両腕で抱きしめながら、耳元で呟いた。豊かな胸がボンの背中というより、肩の辺りに、押しつけられていた。ふたりにも、別れの時間が迫っていたのだ。

「久美子さんは、そんな過去のことで、政二郎さんを嫌いにはならないよ」

ボンは自分の胸に当たっている、睦実の右手を握り締めながら、そういった。

「けれど、探偵団が調べて、推測した大垣家の関係者の戸籍と、大垣本家の裏戸籍とに、違いが見つかったわね?」

そういって、マッちゃんの奥さんが毛筆で書いた便箋に、赤鉛筆で関係を添え書きした用紙を千代がテーブルに広げた。

「確かに、証言者の思い込みがあるからね。特に、藤子さんの場合は……」

「じゃあ、泰人の父親も、思い込みの可能性があるの?」

「伸一のほうもね。だいたい、複数の男女が交わって、それも一回キリ、じゃあなかったんでしょう?三十年ほど前のことだし、秘密裏に出産したとしたら、誰が誰の子供か本人にもわからないわよ。神のみぞ知る……」

「母ちゃんのいうとおりやね。その神様の替わりに裏戸籍を作った組織が居ったんだ。覗いてみたいね、その裏戸籍……」

「ボン、覗いてみますか?」

「えっ!十兵衛さん、今からその裏戸籍を探りに行くの?大阪へ帰らないとイカンがやろう?」

「いえ、裏戸籍と呼ばれている書類の写真を撮ってきています。全部ではないですが、大垣の関係者の部分は………」

「いつの間に?しかも、どうして?」

「この前、泰蔵がきた時、話を伺っていました。裏戸籍のことを知りましたので、サルに泰蔵のあとをつけさせ、裏戸籍の保管場所、現物を写真に収めさせました。もし、棟梁が、必要だ、といわれた時には、すぐに差しだせるように、重要な情報ですから……棟梁が不要と判断すれば、闇に消えるものです……」

「棟梁?石川家の棟梁が、裏戸籍が必要なの?」

「ボン、棟梁って、ボンのことよ!今回の指命──ミッションというか──の司令塔はボンなのよ。十兵衛たちは、ボンを今回、棟梁役として、命令に従っているの」

「ええっ!」

「ダメ、ダメよ!この子はウチの大事な跡取りなのよ!石川家に養子には、遣れないわ!睦実ちゃんとこの子がどんなに、好き同士でも……!」

「い、いえ、養子と今回のミッションは別問題です。十兵衛はボンが棟梁役にふさわしい、つまり、司令官として認めたわけです。ほら、探偵団なら、団長の命令なしでも、情報収集はするでしょう?」

「姐さん、誤解を招くようなことを申しました、すみません。お嬢さんがおっしゃったように、今回の一連の騒動に関しては、ボンが頭(かしら)、つまり、軍師を務めてくださいました。その軍師のために、我々は動いております」

普段、無口な男の言葉に、刻屋の母子は納得させられた。

「じゃあ、この子が、見たいといえば、その裏戸籍が見えるのね?見たくないといえば、焼却させる……?」

「はい、ボンの思惑どおりに……」

「うぅん、僕の判断か……、母ちゃんはどう思う?見るべきか、見ざるべきか……?」

「自分で決めなさい!棟梁役なんだから……」

「見ないで後悔するより、見て後悔するか……、よし、十兵衛さん、見せて貰うよ!」

「女性陣は、探偵団の調査とほぼ、変わらないわね?さくらさんと陽子さんは、両親とも同じ、園ちゃんは母親違いか……」

「けど、桃子ちゃんは、父親がふたり記載されている。泰人と耕策。まだ結論が出ていないってことだね?」

「それより、男たちが違っているよ!泰人さん、ふたりの父親のうち、探偵団が考えていた、小作人の息子が消されて、二宮孝太郎に確定している……」

「つまり、泰人と耕策は異母兄弟。だから、桃子ちゃんの父親が確定していないんだ!顔は泰人に似ているのにね……」

「伸一は静子が母親だけど、父親は何?伸蔵、二宮孝太郎に、中井卓馬、広岡守って誰?」

「睦実さん、広岡守は、カンナとリリィさんの父親だよ。その頃、広岡守は、大垣家の離れの常連客だったんだろうね?」

「中井卓馬って、静子さんのご主人でしょう?結局、伸一の父親はその卓馬さんに確定しているから、カンナさんとの関わりは問題なさそうね」

「じゃあ、久美子さんは伸一さんと本当の兄妹ってこと?」

「久美子さんの父親は中井翔馬ってなっている。卓馬の兄か弟のようだね。卓馬さんが亡くなって、翔馬さんと再婚したのかな?」

「耕策の母親が、暢子さんでないのが、意外ね?これ誰?全然、リストにない女性よ?」

「藤子さんがいっていただろう、娼婦を連れてきたこともあるって……、その娼婦の名前だろう……」

「ひどいね!戦前のこととはいえ、女性をなんだと思っているのかね?産まれた子供も、親子関係がむちゃくちゃじゃあないの!園ちゃんが、大垣家の血を引いていることを哀しむ理由がわかるワ!」

「さてと、裏戸籍で、大垣家の関係者の血筋がわかった。あとは、まだ懺悔をしていない男をどうするかだ……」

「懺悔をしていない男?あっ!竜平のことね?」

「千代姐さん、よく、すぐにわかりますね!やっぱり親子よね!」

「でも、睦実ちゃんも十兵衛さんも今日、大阪へ帰るがでしょう?竜平をどうしようにも、時間がないわよ……」

「千代姐さん、帰るのは、今日でなくてもいいんですよ!やり残しは、気持ち悪いから、きっちり、カタをつけさせて貰いましょう。竜平に、懺悔させる狂言、お願いします!」

「はあ、睦実ちゃん、あんた、探偵やのうて、ヤクザの姐ごが似合っているワ……」


36

「菊枝!何処に居るがや?」

その日の夜、まだ深夜にはなっていない時刻。今は空き家同然になっている、大垣伸蔵の玄関を開けて、廊下に灯りを点けた間竜平が屋敷の奥に向かって声をかけた。

その日の夕刻、竜平宛てに手紙が届いたのだ。差し出し人の名前は広岡菊枝。大垣家の住人が寝静まったあと、伸蔵の屋敷の書斎に来て欲しい。火事のことで、警察には話していない事実がある。竜平さんにしか、いえない内容だから、誰にも知られんように、という文面だった。

火事の現場から、唯ひとり救出された菊枝については、住んでいた離れが焼失し、秘書を務めていた、伸蔵が死亡したことから、休職して、姉のもとで暮らしていると訊いている。竜平は、伸一同様、菊枝に気があり、密かに、関係を持ちたいと思っていたのだ。だから、手紙の筆跡が違っていることなど、考えもしなかった。

玄関から右に折れ、廊下を進むと、右手に伸蔵が書斎として利用していた洋間がある。ドアノブを回して、ドアを半分押し開き、壁の電灯のスイッチを入れた。

「菊枝、オレや、竜平や」

といって、部屋に入った。部屋の中央には、ソファーとテーブル。壁際に木製の事務机と肘掛け椅子。ほかの壁際には、本棚と、洋酒のボトルが入った、ガラスケースが並んでいる。人の姿はない。

(まだ、来てないのか?早過ぎたか……?)

竜平は、ソファーに座って待とうと、部屋の中央に進む。

その時、灯っていた、電灯が消え、半開きのドアが、バタンと閉まった。

驚いて、暗闇の中、ドアのほうに踵を返し、ドアノブを掴むが、ドアは外側から鍵をかけられたのか、開かなかった。電灯のスイッチを手探りで探し、何度も操作するが、電灯は点かない。

(そうや、窓から、庭に出れるはずや!)

気を取り直し、振り返ると、ソファーの向こうに人が立っている。灯りがないのに、その人間は、ボーッと光っているようなのだ。

「だ、誰や!」

と、竜平はドアに背中を押しつけた格好で、恐る恐る声を上げた。

「竜平、ワシや!伸蔵や!おまえ、ワシを騙したな?菊枝が離れに火をつけて、伸一らぁを焼き殺す気や、というたがは、嘘やったがやな?おまえの言葉を信用して、菊枝を止めようとした。あの世で知ったが、菊枝は火を消そうとしていたそうやな?ワシがそれを邪魔して、菊枝以外の四人が死ぬ破目になった。竜平!おまえの所為やぞ!」

その人間の声は、何処か地の底から響いてくるようだった。

「お、親父!う、嘘やない!オレは本当に、菊枝がカンナの復讐するために、泰人と伸一を焼き殺すと思ったんや!」

「アンタ自身も、その復讐の対象ながよ!」

いつの間にか、男の姿が女性に替わっている。声は相変わらず。地の底から響いてくる。

「お、おまえは……?」

「カンナよ!わたしにこんな格好させて、四人で乱暴しようと、提案したのは、竜平!アンタやろう!耕策が懺悔して、全部白状したのよ!」

その人間は、ボーッとした灯りではあるが、浴衣を着て、髪は時代遅れの巻き上げだとわかる。

「て、提案したのは、オレやが、オレは性交はしていない!耕策があんまり、しつこいき、順番待つ前に、終わってしもうた。それからも、おまえとはしてない!耕策がほとんど、ひとりじめやった……。耕策はマザコンなんや!母親の暢子のことが忘れられんで、暢子に似ていたおまえを……」

竜平は恐怖のあまり、床に膝をついて、両手を合わせ、その人間に拝むように告白したのだ。

少しの時間が、無音で過ぎる。竜平は、恐々、顔を上げる。ソファーの向こうに視線を向けると、また、別の人間が立っていた。

「うわぁ!勘弁してくれ!あ、謝る!カンナ、オレが悪かった!懺悔するき、殺さんとってくれ……!」

と、竜平は恐怖の叫び声を上げる。

「フン!だらしがない!か弱い女性ひとりを四人なら乱暴できるくせに、一対一では、何もできないのか?天罰を降す気にもならぬワ!」

その人影は、白い水干を着て、白狐の面をかぶっている。竜平には、稲荷神社の狛犬の替わりに鎮座している、白狐の化身としか思えなかった。

「お稲荷さんのお使いですよね?カンナの幽霊は……?」

恐々、白狐に問いかける。

「ワシは、小高坂山に古くから奉られていた稲荷の化身じゃ!人間どもが、山を崩して、公園にした場所が、我らの住処である。祠を壊したことには、眼を瞑っておったが、幽霊が出るなどと騒ぎたて、我らの安眠を妨げるばかりか、ヤクザと称する輩が、銃を放つとは、もはや赦しがたし!その幽霊騒ぎのもととなった、大垣家の関係者に天罰を与えるために、こうした姿で現れたのじゃ!」

「申し訳ございません!大垣家の関係者一同、皆、後悔し、天に懺悔いたしております。何とぞ、ごりょうしゃ願います!祠を再建させていただきます。毎日、ご参拝をいたします……!」

「フン!その約束、違えるでないぞ!」

「は、はあぁ……」

竜平はドアの前で、土下座したまま、しばらく、固まっていた。急に周りが明るくなったので、顔を上げると、部屋の電灯が灯っており、部屋には誰の姿もなかった。あわてて、ドアノブを回すと、ドアは難なく、開いたのだった。

「ほ、ホンマのお稲荷さんやったがや、命があって良かった……」

「ああ、楽しかったワ!ボン、小政さんに負けていないよ!狂言書くのが上手やワ。お稲荷さんのお使いの白狐の役、わたしのハマリ役になったみたいや!」

翌朝、刻屋の玄関口の土間で帰り仕度の睦実が、見送りをしようと、柱時計の座敷に出てきたボンに笑顔でいった。

「睦実さん、今回は探偵団の手伝いを色々してくれて、本当にありがとう!睦実さんや十兵衛さん、石川忍軍が居らんかったら、こんな成果は得られんかった!今までで、一番楽しい夏休みやったワ!」

「ナンや、礼をいわんとイカンのは、こっちや!ウチも最高の夏休みやった!ボン、また遊びにくるワ……」

「ウン、待ちゆうきね……」

「千代姐さん、お寅さん、お世話になりました。兄の悟郎のことも含め、このご恩、決して忘れません!もし何か、もめ事でもあれば、いつでも参上いたします。十兵衛や才蔵の力がいる時は、いつでもゆうてください!」

睦実は、惣菜売場にいる、千代とお寅さんに頭を下げる。

「そんな、事件ばっかり、起きてたまるかね!睦実ちゃんは親戚の子と一緒やき、いつでも遊びに来いや!みっちゃんもお姉さんが居らんなるき、寂しい、いいゆうよ」

「みっちゃん!手紙書くワ!勇さんとどうなっているか、報せてよ!」

「いやや、勇次さんとなんて、なんにもありませんよ!」

「あっ、そうか!勇さん、まだ告白してないんや!アカンタレやなぁ……」

「睦実さん、あんまり、勇さんのこと、話題にせんほうがエイよ。あの人、噂をすれば……、やから、突然、現れるよ」

そう、ボンがいうと、

「ムッちゃん、帰るがやとね?」

玄関先から、男性の声がした。

「ああ、びっくりした!勇さんかと思ったら、小政さんか……」

そこには、山長の軍師の小政と、睦実の双子の兄、悟郎が立っていた。

「なんや?勇さんの登場を期待してたんか?石から、ムッちゃんが、今朝、大阪へ帰る、って訊いたき、駅まで、愛車で送ってあげようと出てきたのに、勇さんが、パトカーで迎えにくるんか?」

「まさか、パトカーはないよ。勇さんの噂をしてたから、もしや!と思っただけ。小政さん、仕事は?」

「大丈夫、社長命令や!あれ?十兵衛さんは?」

「先に出ましたよ。朝早くに……、そっと、姐さん、お世話になりました!鰹のタタキの味が忘れられません!ボンには、挨拶なしに帰ることを、詫びていたと、伝えてください、って……、陰の人間やから、みんなに見送られるのは、恥ずかしいんやて……」

「最後まで、格好エイなぁ!」

「そうや、ボン!今朝、社長に大垣泰蔵さんから電話があって、昨晩、お稲荷さんのお使いが夢枕に現れて、公園に小さな祠を作って奉れ、といわれた。稲荷の社殿をウチに作ってくれんか?っていうんや。これ、ボンの策略か?」

「あれ?それ、竜平さんからの提案のはずだけど……、まあ、そういう解決もあるかな?っていうこと。幽霊騒ぎの一件落着!を降すにはね……」

「一件落着か……、結局、今回の騒動は、桃子ちゃんのイタズラを竜平が利用して、泰人に、政二郎と陽子さんの見合いを壊す計画を吹きこんだことから始まったんやな?」

「たぶん、竜平は伸一が大垣家の血を引いていないこと、自分が伸蔵の血を引いていることを知っていたんだ。その血縁で、大垣家の会社経営か、あるいは、議員の後継者かを狙っていたんだと思う。まあ、これ以上は、要らぬお節介になりそうだから、一件落着として、かまわんがやない?」

「夏休みも今日で終いやから、ボンにはちょうどやったな?宿題は済んだんか?」

「ああ、バッチリさ!あっ!いけない!『読書感想文』があった!江戸川乱歩じゃマズイ!ああ、今から、夏目漱石でも読まなくちゃあ……!」

「ああぁ、結局、去年の二の舞か……」


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