敗者の刻印(1)
鋭い光はそのままに、フェルティアードの目が見開かれた。そこに映る青年は、青年自身にしか感じられない小さな震えに包まれている。
デュレイは後悔していた。憤りに呑まれ口走ったその内容は、失礼どころか呆れられても当然のものだ。
煮えたぎる激情が急速に冷めていく。最後に残ったのは、戦慄という名の巨大な岩石だ。恐れが生じなかったわけではない。それは単に、怒りの裏返しだった。熱を逃がすまいと両手を握っていたはずが、いつの間にか震える体に耐えるための行為になっていた。
だが、熱いものは完全に消え去ったわけではなかった。じりじりとくすぶりながらわだかまっている。それが残っていなければ、デュレイは浮かんでいた言葉の羅列を、フェルティアードに言い渡すことはできなかっただろう。
「あなたは、ゼレセアンを甚だしく侮辱された。彼の友として、
そこまで言ったところで、デュレイは口をつぐんだ。再び向きを変えたフェルティアードの腰元から、かちゃりと音がしたのだ。紛れもなく、その正体は剣。彼自身は腕もかすっていないのに、デュレイにはそれだけで、彼がすぐにでも剣を抜いてくるように思えた。
フェルティアード卿のこの動きが、自分の意思に同意したからではないことぐらい、察しがついた。そして彼が発するであろう言葉も、容易に想像できていた。
「決闘には立会人を置くのが義務だ。それは知っているだろうな」
第三者がいなければ、勝手に決闘を行ってはならない。それを破れば、たとえ貴族であっても罰を免れることはできないのだ。
「時と場所を改めろ。立会人はおまえが連れて来ればいい。それに――」
抜き身の剣が鞘を滑った。その高音は静寂もろとも、やや声量の落ちていたフェルティアードの声までも裂いている。
おれは何をしている? 大した考えもまとまらぬまま、デュレイは衝動的に得物を抜き放っていた。フェルティアードが、決闘を受けてくれる姿勢をとっているというのに。
今は気持ちがたかぶっているんだ。フェルティアード卿の言うように日を改めれば、それまでに心を落ち着かせられる。ゼルのために剣を交えるのは、それからでいいんだ。
デュレイはしかし、そうなることを恐れていた。平常心を取り戻したら、この大貴族と面と向かうことに臆するのではないか。こんな事態を引き起こした原動力が静まった状態で、剥き出しになるであろう恐怖に押しつぶされずに、闘うことができるのか。
「何の真似だ」
たっぷりと時間を置いて聞こえたのは、感情の欠片も窺えない低音だ。
柄を握り締める。これが規則に反することもわかっている。だが、後戻りは許さないと言わんばかりの強大な焦燥感に、デュレイは襲われていた。
剣を納めたくない。そうしたら、一時の感情に流されて暴走するような男と見なされてしまう。
「今この場で、真剣でやるつもりか?」
何を今さら、当然のことを。出かかった嘲りともとれる言葉を、デュレイは歯を食いしばってこらえた。試験の時のように模擬の剣でも使えというのか。そんな決闘は聞いたことがない。
「あなたの侮辱行為は、木剣の馴れ合いごときでかたがつくような問題ではありません」
これは本気の決闘なのだ。かと言って、大貴族を相手に勝利をもぎ取れるなど、最初から考えてはいなかった。
ゼルはきっと、偽物の剣のような軽い意志で自分を助けたんじゃないはずだ。だからおれも、真剣を使わないで闘うなんて逃げるような真似なんかしたくない。
男の眉間に、また皺が刻まれる。
「もう一度聞こう。規則に反してまで、わたしとの決闘を望むのか。今考え直すのなら聞き入れるぞ」
自分から闘いを申し出ることになるとは思わなかったデュレイは、違反行為をした場合どんな処遇があるのかなど、当然詳しく記憶していなかった。さすがに死罪なんてことはないだろうが、ベレンズ兵の身分は剥奪されるだろう。そうなったら、どんな顔をしてリクレアに戻ればいいのやら。とぼとぼと町に帰り着く自分を想像して、フェルティアードに見咎められないよう、デュレイは喉だけで笑った。
「私の決意は変わりません。受けていただけますか」
微動だにしなかったフェルティアードの顔に、一筋の線が走った。
「いいだろう」
彼は笑っていた。歯が覗かないのが不思議なくらいに、引き伸ばされた口角は上がっている。だがデュレイにとっては、今しがた自分で選んだ道は果たして正しかったのだろうか、と逡巡させるような冷笑であった。
来い、と有無を言わせぬ声で告げ、フェルティアードは数歩戻ってデュレイの前を通り過ぎ、王宮と第二書庫の隙間に入っていった。その先は道の幅はあるものの、整えられた植え込みが辺りを飾っている。王宮の隅に近いこの場所は、廊下に並ぶ窓からも見えにくい。
大貴族の後について行っていたデュレイは、前を歩く彼が突然振り返ったので、危うく握ったままだった剣を落としそうになった。当の相手は何も言わず、鞘から剣を抜く。
柄の上部と刀身の根元には、細い金属が螺旋や渦を連想させる複雑さで絡み合っており、それが貴族にしか持ち得ないものであることを証明していた。刀身に巻きつく飾りの中でも一回り太いそれに埋め込まれた石は赤く、地平線に消える太陽を閉じ込め、血潮を混ぜ込み固められながらも、光を忘れぬ塊のようだった。
構えの姿勢をとるフェルティアードに倣い、緩慢な動きで剣を相手に向ける。その先にあるのは、深みを湛えながらも決して暗に染まることはない緑石だ。
「どうした。この期に及んで怖気づいたか」
闘いを申し出た側が踏み込んでこないのを揶揄するように、フェルティアードはまた薄い微笑を貼り付けた。
「いいえ、まさか」
言うやいなや、デュレイは得物を打ち付けた。剣の重なるそれとは全く別の音が耳に入ってきたのは、ほぼ同時だった。
「フェルティアード卿! 一体何をなさっておいでなのですか!」
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