狼の騎士
透水
序章
風奔り、
ここまでか。
両手に伝わる、刃物を携えた柄の感触。しかしその刃は、敵に対抗するにはあまりにも頼りないものだった。二振りあるとはいえ、その長さは向かってくる長剣の半分にも満たない。自分の本来の得物などは、はるか遠くへ弾き飛ばされていた。走って拾い上げようにもこの人数。たどり着く前に刺し貫かれるのは目に見えている。
荒い息を吐いていた唇が、歪んだ笑みを描く。相手の隙を見つけたからではない。己が置かれたこの状況を嗤ったに過ぎなかった。
(やつらめ……。何度もそれらしい動きを見せていたが、ここまで大きく出るとはな)
突き出した閃きが、男の胸に突き刺さった。そいつが手にしていた剣を奪おうとしたが、間髪入れずに別の敵が襲いかかってくる。彼はやむなく防戦に徹するしかなかった。これでは銃に弾を込めるどころか、抜くことすらままならない。
(よくもこんなに手練を集められたものだ。金にものを言わせたか)
数人を切り伏せてはいたが、視界に入るだけでもまだ四、五人は残っている。これほどの生き残りを兵が見逃すわけがない。おそらく味方側に身を隠していたのだろう。ということは、かくまっていた者がいたか。
すでに赤みを帯び始めていた服を、剣がかすめた。命中こそしなかったものの、その攻撃は彼にまた新しい外傷を加えた。体を覆う青の外套などは穿ち切り裂かれ、もはや見る影もない。
剣術に長けた彼だが、一人ずつならまだしも、複数の切っ先が一度に飛んでくるとなれば、その全てを防ぐことなどできるはずもなかった。足は次第に背後の地面しか踏むことができなくなり、その地も密集する木々の根で覆われたものとなっていた。
一人の剣が彼の脚をえぐり、文字通り支えを失った体ががくりと倒れかかる。片膝をつき腕でこらえたが、満足に動けなくなったのは明らかだった。
そんな状況下でも、あの笑みはまだ彼の顔に貼りついていた。血に塗れ、欠け始めていた短剣を構える。数え切れぬほどの衝撃を、受け続けた彼の手は、とっくに痺れていたが、すべての指は縄で縛りつけたかのように柄を握りしめていた。
(……馬鹿だな、わたしは。早く諦めていれば、こんなことにはならなかった。死んでしまったら、望みを持つことすらできないというのに)
剣が輝くのは、葉の隙間から差し込む陽光のせい。その光も森も、この血なまぐさい場にかすんでいたようだ。今になって、人間達の争いに蹂躙された自然が、美しく映った。
柄を握り締める革手袋が、締め付けられた音を立てる。
彼の心臓に牙を剥こうとしていた一振りの刃が、その動きを止めたように見えたのは、幻だったか。
一陣の風が、彼の髪を撫でる。それとほぼ同時に、突然横合いから飛び出してきた影が彼の視界を遮った。
新手か。この場に新たに現れるであろう者といったら、彼にとっては新手以外の何者でもなかった。しかし研ぎ澄まされた彼の感覚は、その影からは一かけらの殺気も拾わなかった。
己の勘を不審がる
薄汚れたうぐいす色の外套。顔を上げれば見覚えのある金の髪。彼を背に敵兵と対峙していたのは、彼がよく知っている男だった。
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