第243話 夏の吹雪

 窓の外を見たランベルトが、諦めたように大きなため息を吐いた。


「さすがにこれは動けんな……」


 その視線の先、外の世界は白一色。

 風雪によって完全に視界が雪の色に埋められていた。


 竜属ディルヴェニアを撃退して五日。

 その後は順調に進んでいたコウ達だったが、突然の吹雪に見舞われてしまった。

 話によると、この地域では季節問わずたまにあることらしい。

 ただ、夏の嵐は冬のそれに比べると、風の冷たさはそこまでひどくない――あくまで冬と比較してだが――のだが、代わりに雪が水分を多く含んでいてひどく重いのである。

 ちなみに、徒歩でこの吹雪に遭遇した場合は、遭難がほぼ確定するとすら云われているらしい。


「コタツあってよかったね……なかったら大変だった気がする」


 ティナがコタツの毛布を肩までかけて呟いた。


「本当だな……まともに暖房の法術具クリプトを使っていたら、魔力が……いや、コウがいれば大丈夫な気はするが」

「多分大丈夫だとは思うが、効率は違うからな」


 馬車の中全体を暖かくしようとすると相当な魔力を必要とするが、コタツだけであればそこまでにはならない。

 ちなみに雪獣アルララは四体で身を寄せ合って丸くなって寒さをしのいでいる。なんでも、雪獣アルララは三日位は何も食べなくても平気だという。あとは雪を食べて渇きだけしのぐらしい。

 普通雪を食べるとむしろ喉が渇くと聞いたこともあるのだが、この辺りはこの地域に住む獣ならではというべきか。


 とはいえ、すでに丸二日足止めされていた。


「食料にはまだ余裕があるとはいえ……このまま足止めされてはたまらないが」

「この吹雪、そんなに長くなるのか?」

「すまん、私も分からない。最悪、吹雪が弱くなったら強引に進むことも考えるが」


 とはいえ、今の状態はさすがに動くのは難しい。

 

「せめてもう少し風が弱ければ、だな」


 最悪、エルフィナが風の精霊の力を使えば何とかなるだろう。

 とはいえ、あまりやりすぎるのは良くないとは思うが、しかし考えてみたら暦の上ではまだ真夏のはずなのに、吹雪で道が閉ざされるというのもすごい話である。


「しかし、考えてみたらファリウスって一年中冬ってことだよな」

「まあそうなるな」

「ランベルトは前に住んでいたのか?」


 するとランベルトはしばらく考え込んだ。


「三カ月程度滞在しただけだからな。住んでいたと言われると……ちょっと違う気がするが」

「あれ。でも前来た時、夏に来たんだよね? 三カ月たったら、冬とは言わないまでも、かなり寒かったんじゃ?」

「ああ。帰る時は転移の奇跡ミルチェを使ったんだ。それでラウズまで移動した。その時が初めてだったな」

「ほえー。すごいね、ランベルトお兄ちゃん」


 ティナが尊敬のまなざしでランベルトを見ている。


「多分ティナは私よりもっとすごくなると思うぞ。私が転移できる距離は、せいぜい五百キロ一千メルテが限界だが、教皇猊下リエル・グラフィルは大陸のどこにでも奇跡ミルチェで移動できるという話だからな」

「そう……なのかな。でもそうしたら、この先もいつでも、コウお兄ちゃんやランベルトお兄ちゃん、エルフィナお姉ちゃんに会いに行けるなら、嬉しいな」

「ティナ……」


 ティナももう理解しているのだろう。

 この旅の目的地であるファリウスに着いたら、コウやエルフィナ、ランベルトとは別れることを。

 ラウズ出発時にも、本当はミレアともお別れになることも、彼女は理解していた。

 ただ、それをおくびにも出さないのがティナという少女の強さなのだろう。


 考えてみたら彼女の人生も大概に悲惨だ。

 旅芸人だったと思われる両親は野盗に襲われて殺され、いきなり天涯孤独となる。

 そして育ててくれた村の人々も、ともすればティナの存在故に殺されてしまった。そして突然次の教皇候補だと言われて、こんな地の果てまで行くことになったのだ。


 コウもあまり人のことは言えないが、ティナも普通ならとっくに心が折れていても不思議はない。

 しかもこの先、本当に教皇グラフィルとなれば、より大きな責任がその小さな肩にかかってくることになる。


(俺でもちょっとやる自信は無いな……)


 それだけに、あるいは転移でどこにでも行けるというのは、ティナにとっても嬉しいことでもあるのだろう。


「そういえば……奇跡ミルチェの転移って、どこにでも行けるのか?」

「ああ……そうか。当然コウ達も知らないよな。実際、かなり制限がある」

「制限?」


 ティナの顔が少し曇る。


「ああ。基本的に奇跡ミルチェの転移は特定の神殿の間でのみ行えるんだ。といっても、王都や大きな街にある神殿なら、大抵は転移可能だが」

「特別な聖具ファルトでもあるのか?」

「そういえば……気にしたことはないな。ただ、なぜかある程度大きな神殿じゃないとダメなんだ。なんていうか……感覚的なものなんだが、目印のようなものがあるように見えるというか」

「……もしかして、転移の距離に制限があるのは、その目印が認識できる距離か?」


 するとランベルトが驚いた顔になった。


「すごいな。その通りだ。私の場合はその距離がそれほど長くないというわけだ」

「なるほどな……」


 奇跡ミルチェといえど、根本的にはこの世界の魔法的な能力としては、法術クリフ精霊行使エルムルトとそう大差ない。

 つまり、奇跡ミルチェで出来ることは法術クリフでも可能なはずだ。

 現状、転移のための法術クリフはまだ難点があるが、あるいは神殿に設置されている聖具ファルトか何かには、その術を補助するための何かがあるのだろう。

 それを解析できれば、転移法術の実現の可能性も見えてくるかもしれない。


「コウ? なんかまた変な事考えているんじゃないですか?」


 突然思考を中断されたコウは、憮然とした表情をエルフィナに向ける。


「変な事とは失敬な。まあ大したことではないが」

「まあいいですけど。しかし明日も動けない場合は、ちょっと考えないとですね……さすがに」

「そうだな……」


 窓に吹き付ける吹雪は、まだ終わる気配を見せる様子はなく、激しく窓を打ち付けていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「俺の世界では、山の天気は変わりやすい、とかよく言われるが……」

「それはこの世界でも同じです。が、これは極端過ぎますね」


 晴れ渡った空は、雪が降る気配など微塵も感じさせないほどに美しく澄んだ空だった。

 明け方まで雪が吹き荒んでいたなど、信じられないくらいだ。

 空が白んできたかと思えば、あっという間に晴れ渡ったのである。


「気温はそれほど上がってはいないですね。というか寒いという方が正しいですが」


 エルフィナは寒そうに身体を震わせる。

 時刻的には、多分七時くらい。この辺りは大陸でもっとも時間が遅い地域なので、夏であってもこの時間でやっと日が昇る。

 とはいえ、紫に近い色に染まった晴れ渡った空は、かなり美しかった。


 コウとエルフィナはなんとなくいつも感覚で早起きしてしまっているが、ランベルトとティナはまだ寝ている。

 先に目が覚めたコウがとりあえず寝台から移動したところで、エルフィナが気付いて、二人で御者台に出てきたのだ。御者台に出る際に、きっちり風の精霊に外の寒さが馬車内に入らないようにしているので、多分二人が寒い思いをすることはないだろう。


「寒いですけど、ちょっと気持ちいいですね。それに、空が綺麗です」

「そうだな。少し、ウィスタリアの山頂の朝を思い出す」

「あれは……絶景でしたね。もう、遥か東ですから、あの山でも全く見えないですが」


 この位置からだと、ロンザス大山脈は三千キロ六千メルテ以上東の彼方だ。地球と同じような球体であると推測されるこの世界では、霊峰ウィスタリアですら地平の下に見えなくなる。


「ものすごい寒かったがな」

「今考えてもよくやったなぁ、と思いますよ、ホントに。一生に一度の体験でしょうが」


 そこまで言ってから、エルフィナは顎に指をあてて何かを考え出した。


「そういえば、コウの世界の山ってどのくらい高いんですか?」

「あのウィスタリアほどのものはないな。ロンザスと同等かそれ以上の山脈ならあるが」

「あれと同等以上ってだけで十分すごいんですけど。しかもコウの世界、法術クリフとか奇跡ミルチェとかないんでしょう?」

「俺も行ったことはないがな。大体六千メートル一万二千カイテル級の山が連なると聞いている。高いと八千メートル一万六千カイテルだな」

「……そっちも大概ですね、正直」

「同感だ」


 そこまで話したところで、背後でごそごそ動く気配がした。

 どうやらランベルトとティナも起きて来たらしい。


「とりあえず……朝食にするか……ん?」


 エルフィナが唐突に鋭い視線を、進行方向に向けていた。


「エルフィナ?」

「コウ。誰かが来ます。まだ距離はありますが……移動速度が速いみたいです」

「精霊か。……それは『誰か』なんだな」

「はい」


 二人とも、油断なく武器に手を添える。

 野盗の類はまずいないと言われて入るが、ティナがいる以上、真界教団エルラトヴァーリーが手を出してくる可能性は否定できないのだ。

 その時、御者台に通じる扉を開いてティナが顔を出した。

 だが、二人のただならぬ気配にすぐ何かを察したようだ。


「お兄ちゃん、どうしたの?」

「ティナ。ランベルトに警戒するように伝えてくれ。誰かが来る。動物じゃない」

「わ、わかった」


 ティナはすぐ馬車の中に戻る。

 その間に、人の気配は近付いてきた。


「人数は……四人。全力疾走に近い速度で移動してます。歩きなどではないですね、これは――来ます」


 エルフィナが油断なく弓を構え、矢を弦にかける。

 コウもまた、何かあっても即対応できるよう、用心し――。


雪獣アルララと……そり?」


 現れたのは、小型の雪獣アルララに引かれた、小型のそり。それが四つ。

 そりの上には当然人が乗っていた。

 服装は、白い防寒装備を着こんでいて、腰には長物――おそらくは剣――を帯びている。

 装備が揃っているところを見ると、少なくとも旅人とかの類ではなさそうだ。


 彼らはこちらを見つけると、速度を落として近付いてくる。

 話し合いの余地があるかどうか――油断なくコウは刀の柄に手を添え――。


「ちょ、コウ、待った!!」


 突然、後ろから響いたランベルトの声で、その手を止めた。


「コウ、その人たちは聖都から来てくれた人たちだ。ほら、いったろ。遭難者が出た時に対処してくれる人がいるって」


 そういえば確かに言っていた気がする。


「彼らがそうだ。先日からの吹雪で、遭難者がいるかもと捜索に来たんだろう」


 ランベルトはそういうと馬車から降りた。

 その服装は、神官の正装であるマントを羽織った姿。

 それを見て、四人のうちの一人が前に進み出てきた。


「その徽章。高位の神官殿とお見受けします。念のため、所属と名をおたずねしても?」

「ああ。私は帝都ヴェンテンブルグの神殿長ヴィクトルの子、ランベルト。此度は、神子エフィタスと認定されたティナ様を連れて、ここまで来た」


 ランベルトはそういうと、視線を馬車に向ける。

 するとティナがおずおずと馬車から出てきた。


「おお。連絡は受けております。ここまでの長旅、本当にお疲れ様でした」


 そういうと、先頭に立った神官は、恭しく頭を下げ、それから顔を上げた。


「私は聖都警護隊に属するリューベルと申します。ランベルト様、ティナ様、ようこそファリウスへ」


 そして手を合わせると、もう一度深々と礼をする。

 その際、おそらくは奇跡ミルチェが発動されたのか――わずかに手の中に光が生まれていた。

 それを見て、ランベルトが納得した様に頷く。

 コウやエルフィナには何かわからないが、おそらく神官同士の符丁か何かなのだろうか。


「私たちはこのまま聖都に向かう。先の吹雪で遭難した者がいないとも限らぬゆえ、貴公らは任務を全うされよ」

「は。承知仕りました。この先、聖都までの道は安全でございますれば、どうかご安心して進まれてください」


 リューベルたちはそういうと、再びそりに乗り、滑り去って行った。


「ほえー。すごいね。あれが聖都の神官さん?」

「だな。聖都警護隊。まあ、他の地域で言えば一応軍になるのかもしれないが、どちらかというとこのような遭難者救助などの方が任務としては多いんだ」

「詳しいな、ランベルト」

「かつて聖都にいた時に、私も手伝っていたのが警護隊なんだ。結構大変なんだよ」

「だろうな」


 そりには救助用の食料や法術具、それに防寒装備などが積まれていた。

 地球で言えば文字通りの災害救助隊だろう。


「しかし彼らが来たということは、もう聖都まではそう遠くはない。せいぜい、あと三日だ」

「三日……それでやっと着くんだね」


 ティナが少し嬉しそうにする。


 帝都を発ったのはもう四カ月近く前だ。

 その旅が、あと三日で終着点へと到着する。

 さすがに、コウやエルフィナも少し感慨深い気持ちになった。


(いよいよ、聖都か――)


 大陸最西、そして最北に存在する、この世界にあまねく存在する神殿勢力の中心地。

 そして、一万年前からの記録を持つ、おそらく大陸唯一の場所。


 この世界に来てから、二年近く。

 コウの旅もまた、大きな岐路を迎えつつあることを、他ならぬコウ自身が感じ取っていた。


――――――――――――――――――

八章はここまで。

さすがに間章なしで、次から九章、聖都編になります。

そしてそれが終わると、第一部が終了となります。


 

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