第237話 カラナン遺跡の最深部

「矢が……止まった!?」


 エルフィナの放った矢は、狙い過たず魔幻蛇マナディヴァーの片方の目を捉えていた。

 だが、その目に届くより先に、急激に矢はその勢いを失い、一瞬空中で静止した様になってから、そのまま床に落ちてしまう。


「魔力の壁です。膨大な魔力が、物理的な障壁にすらなっている」

「あの床がふわふわしてたのと同じか!」


 確かに物理的な圧力すら伴うほどの魔力なら、矢がその勢いを失うことはあり得るかもしれない。

 エルフィナの弓の技量は卓絶しているが、こと威力という点では、本人の力の問題で、そこまでのものはない。


 エルフィナにも魔技マナレットはあるが、この魔幻蛇マナディヴァーにはその魔力が通用しないらしいから、単なる無駄撃ちになってしまう可能性が高い。


 しかし今の一撃で、魔幻蛇マナディヴァーはコウとエルフィナを脅威ある存在として認識したらしい。

 とぐろを巻いていたその身を解いて、ずるりと巨躯が地面を這う。

 このドームの直径とほぼ同じ長さの胴の長さを持つ巨蛇の威容は圧倒的で、まるで空間が狭くなったようにすら思われた。

 そもそも、いったいこんな巨体がどうやってここに入ったのか。


 魔幻蛇マナディヴァーはコウとエルフィナを見ると、威嚇するようなうなり声――というより、ほとんど轟音に近い音を発した。


「で、でかいだけあってデタラメだな」

「どうしますか!?」

「とりあえず何とか抵抗する。最悪、撤退は視野に入れる」


 できればこの遺跡の調査をしたいというのはある。

 一瞬見えたが、蛇に巻き付かれていたのは、何かの装置に見えた。

 この蛇か、あるいはその装置か、どちらかがこの異様な魔力濃度の原因だろうが――。


「本当に通じないのか――試すか」


 コウは手早く文字ルーンを浮き上がらせ――。


「[火炎光閃フレイムレイ]!!」


 第一基幹文字プライマリルーンである[火]と[光]を用いた、高熱の熱線を放つ法術。その威力は、鉄ですら一瞬で溶解させるほどのものだが――。

 光は、蛇の皮膚に当たるかどうかというところで、唐突に消失した。


「あの蛇の周りに――いわば、あらゆる魔力が消える領域があるのか?」


 直後、巨大な尾が勢いよく振るわれてきた。


「[完全防御マイティガード]!!」


 その、巨大な蛇の一撃を回避できないと判断したコウの張った防御法術は、だが一瞬だけ拮抗した様に見えた後に、まるで煙のように掻き消えた。

 ただ、その一瞬の時間差のおかげで、コウは上空に回避したおかげで何とかやり過ごす。


「防御法術すら意味がほとんどないのか!」


 だとするとこれは厳しい。

 あの巨体では、直撃を受ければ、確実に命に関わる。かするだけでもただでは済まない。

 こちらからの攻撃は物理攻撃しかないが、あの膨大な魔力による、ある種のクッションのような防壁の前ではおそらく武器でも有効打を与えるのは難しい。


「これは、ちょっと……どうにもならないのでは」


 地面にいては攻撃の的になるだけと判断したのか、エルフィナも風の精霊シュファウトの力で空を飛んでいる。

 といっても、天井もそれほど高くないし、避けるのは限度があった。


「さすがに無理か……」

「本来、魔幻蛇マナディヴァーはもっと温厚な性質のはずなのですが……ここまで凶暴とは知らなかったというか」

「魔力によって暴走してる感じだし……まてよ、魔力、か」

「え?」


 コウとエルフィナは、先ほど作った弱体化版の排魔の結界の力で魔力に過剰にさらされていないから、何とかなっている。

 だが、おそらくこの部屋の魔力濃度は尋常ではない。もしこんな場所に、何年も、何十年も、あるいは何百何千年といたとすれば。

 それはあるいは、正気を失うこともあるのではないか。


「エルフィナ。最後に一つだけ試す。少しだけ、気を引いてくれ」

「分かりました。期待してますよ」


 そういうとエルフィナは、無駄と知りつつも矢を続けて射放する。

 それ自体は全く有効打にはならないが、それでもかなり目障りではあるだろう。


 そしてその間に、コウはいくつかの魔石を取り出すと、それに次々に法術を籠める。そして高速で飛翔し、魔幻蛇マナディヴァーの周囲に次々と配置していく。


「コウ、後ろ!!」


 エルフィナの言葉に、コウは反射的に右に大きく方向転換した。そこに、蛇の尾の一撃が炸裂する。


「つっ……だが、これで……最後!!」


 魔石を床に転がしたコウは、大きく方向を変えて、出口近くまで一気に行く。


「エルフィナ! こっちへ!!」


 その言葉に、エルフィナもすぐ方向を変えて、出口に急行した。

 蛇が、その巨大な頭をこちらに向け、睨む。

 そしてこちらに向けて持ち上げた鎌首を突き打奏した瞬間――。


「[排魔の結界マナヴォイド]」


 コウが、魔石に込めた法術を連鎖発動させた。

 魔石に仕掛けたのは、全て排魔の結界。あの法術は、同じ力を受けた法術具に連鎖反応し、その効果範囲を爆発的に増加させる。

 そしてその力は、一瞬でこのドーム内のほとんどの魔力を一瞬で消し去った。


 普通なら、魔力が消えたところで、生物はそんなに影響を受けない。

 だが、長年この魔力に身を浸していた、さらに魔力そのものを糧とするともされる生物の場合――。


 魔幻蛇マナディヴァーはまるで痙攣したかのように身体をビク、と震わせると、大きな音を立てて床に転がった。そのまま、まるでビクビクと小さく痙攣している。


「魔力を……いきなり奪ったわけですか」

「ああ。この状態だと、俺も法術は使えはしないが――あの蛇の法術が通じないこと、それ自体がある種あの蛇の法術的な能力だとしたら、と思ったんだが、思った以上に効果が大きかったらしい」

「……というか。なんか、小さくなってないですか、魔幻蛇マナディヴァー

「え?」


 見ると、軽く百メートル二百カイテルはあったと思われた魔幻蛇マナディヴァーの大きさが、見る見るうちに縮んでいく。まるで膨らんだ風船が縮むかのようだ。


「もしかして、過剰な魔力で体自体が膨れてしまっていた……のでしょうか」

「そういう……ものか?」


 その間に魔幻蛇マナディヴァーはどんどん縮んでいき、最終的には元の五分の一程度まで小さくなった。

 冗談のような光景だ。


 とはいえ、まだ全長は二十メートル四十カイテルはあるわけで、油断できる相手ではない。


「どう……しましょう?」

「死んだってわけじゃないよな……。どうしたものか」


 今ならおそらく魔幻蛇マナディヴァーを殺すこともできる。

 法術が通じない特性は、おそらく魔力あってのものだ。魔力を失っている今なら、魔技マナレットや、精霊行使エルムルトなら造作なく倒せるだろう。

 体躯の大きさからの物理攻撃は確かに脅威だが、対処を間違えなければ負けるとは思えない。


「あ、コウ!」


 考えていたコウは、エルフィナの声に顔を上げると、伸びていた魔幻蛇マナディヴァーの頭が、わずかに浮いてこちらを見ていた。

 思わず二人は身構えたが、襲ってくる気配はない。

 むしろ戸惑ってると思え――。


『手荒な対応になってしまったが、もう戦う意思はないということでいいか?』


 ふと思いついて、コウは《意志接続ウィルリンク》を用いて話しかけた。

 それに、魔幻蛇マナディヴァーは驚いたように――多分だが――目を数度しばたかせて、二人を見る。


「驚いた。我らと意思を交わすことができる存在がいるとは――」

「……精霊言語。あ、コウは《意志接続ウィルリンク》ですね」


 どうやら魔幻蛇マナディヴァーの言葉は精霊の言葉だったらしい。エルフィナも意味が分かるようだ。


「そこな娘は精霊使いか。なるほど……長い夢を見てるかのようだが――我を正気に戻してくれたこと、礼を言う」

『あなたは、この地の守り手なのか?」

「いや。この地に迷い込んだだけ――だったと思うのだが。そこな魔力に引かれてな」


 魔幻蛇マナディヴァーが頭をドームの中心に向ける。

 そこには、淡い青とも緑ともつかない輝きを持つ、巨大な球体があった。

 そしてそこから、膨大な魔力が放出されている。


『これは……なんだ?』

「知らぬ。ただ、我は魔力がその糧。なのだが――限度というものはあったらしい」


 魔幻蛇マナディヴァーが魔力を過剰摂取した場合にどうなるかというのが、先ほどのアレなのか。

 もはや生物として異様だという気がするが、それに関しては考えても無駄だろう。


「あなたはいつからこちらにいるのですか?」

「分からぬ。そもそも今がいつであるかも知らぬからな」


 多分年号を聞いてもさすがに分からないだろう。ただ、最初からいたわけではないらしい。


『あなたはこれからどうするのだ?』

「我はここを去る。このようなことはもうごめんだ。改めて人間、礼を言う」


 魔幻蛇マナディヴァーは淡々とそういうと、そのままするする、と去って行った。壁の亀裂を見つけると、そこに入って行ったのか、あっという間に見えなくなる。


「なんであんな巨大なのがいたのかと思ったが……最初はあの大きさだったんだな」


 それでもとてつもなく大きいとはいえるが。


「とりあえず……あれを調べますか?」

「そうだな。それとティナを呼ぼう。さすがにもう安全だろう」

「あ、そうですね」


 一度通路に戻ると、ティナは階段に座って待っていた。

 二人が迎えに行くと、安心した様にほにゃ、と笑う。


「よかった……無事で」

「ああ。とりあえず現状は大丈夫なんだが」


 そう言いながら、三人はドームの中心にある巨大な球体に近付く。

 現在も排魔の結界が有効な状態になっているが、これが失われたらおそらく膨大な魔力が放出されるだろう。

 完全な状態の排魔の結界があるにも関わらず、現在でも表面の掌の幅程度には、魔力が揺蕩っているのだ。


「これ……なんでしょうかね。膨大な魔力を生み出す装置……みたいですが、聞いたことありません。法術具……という感じではないですし」

「ざっと見まわした限り、この設備がこの遺跡の最深部なのは間違いないとは思うんだが……」


 装置以外は何もない。

 あるいは、先ほどの魔幻蛇マナディヴァーが暴れて壊してしまったのかという気もするが、残骸などは見当たらない。


 巨大な球体は、直径が五メートル十カイテルほどの、ほぼ完全な球体で、その台座になっている部分はいくらかすすけてはいるが、この手触りはドルヴェグの地下の遺跡のそれに似ている気がする。


 あの遺跡の地下にあったものであり、あるいは聖歴ファドゥラ千五百年頃のものかと思えたが、当時、これほどの装置を作る技術が残っていたのかどうかは分からない。


「あれ。なんか……文字が書いてるとこがあるよ、おにいちゃ――」

「ティナちゃん?」


 見ると、ティナが台座の一部、何かの文字が書かれてるような場所に手を伸ばした姿勢のまま固まっていた。


「え。ティナちゃん!?」


 エルフィナが慌てて駆け寄ると、ティナはゆっくりと顔を上げて二人の方を見る。

 だが、その瞳は異様な輝きを放っていた。


「これは――」


 パチン、という音を立てて、ティナの髪留めが外れた。

 当然髪留めは地面に落ち――それが皇帝からもらったティナの姿を変える法術具クリプト――ティナの本来の髪と瞳の色があらわになるが――。


「ティナ、ちゃん……?」


 コウと同じ黒い髪と、左右で色の異なる、金と銀の瞳。

 ある意味では、人間離れしてるその輝きを持つ双眸が、そこにあった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る