第234話 深層の光景

「これはまた……まあ当然と言えば当然なんだが」


 コウは、何度目かの崩れた通路を確認して、ため息を吐いた。


 昼に一休みしてから、すでに三時間ほど。

 おそらくすでに、古王国期よりさらに古い層に到達している。

 ただ、この辺りになると、崩れている場所も少なくない。

 当然と言えば当然の話で、上に多くの層が乗っかっているわけだから、その重みで潰れてしまっている場所もあるのだ。


 ただ、それ以外にも奇妙な崩れ方をしている場所もある。

 遺跡が『ズレ』ているというか、床の高さが変わっていて崩れてる場所があるのだ。まるで、一部だけ盛り上がったか、逆に一部だけ沈み込んだかのようだ。


 また、この階層まで下がってくると、少なからず魔獣もいたが、全て撃退している。

 予想通り暗闇に適応した魔獣ばかりだが、幸いそれほど強力な魔獣は――あくまでコウとエルフィナの基準でだが――いないため、ほぼ問題なくここまでは来ることができた。


「なんか……妙な遺跡ですよね。さすがに、古王国期よりさらに……事前の資料だと千年は古い層だと思うんですが」

「あと……なんかちょっと……なんだろ。空気が重いというか……」


 エルフィナとティナが少し気持ち悪そうにしている。

 コウの持つ地球の常識では、地中に降りれば降りるほど、温度が高くなるはずだ。それに、気圧も高くなる。

 現在の深さは推定だが二千メートル四千カイテル近く降りているはずだ。

 だが現状、暑いということはなく、むしろそこは過ごしやすいくらいの気温である。


 ただ――。


「そうか、魔力が濃いんだ」

「……あ、なるほど。確かに」

「ほえ?」


 ティナだけ首を傾げた。

 ティナはおそらく奇跡ミルチェの使い手になる素質はあるのだろうが、現在はまだ使えない。

 法術も使ったことはまだないらしいので、魔力の扱いには慣れていないのだろう。


 ただ、地下に降りてきている間ずっと感じていたが、この遺跡は、下に降りれば降りるほどに、だんだんと魔力が濃くなっていっていたのだ。それが、わずかな違和感になっていた。


「地中に大きな魔力だまりがあるとかって話は……なかったよな」

「ありませんよ。そもそも魔力は精霊や生物に宿るものです。無論、大地にも宿ってますが、地下に行ったところでそれが濃くなるという話は聞いたことがありません」

「だよな……」


 だが、事実としてかなり魔力が濃いのは間違いない。


 この世界の魔法的能力は、いずれも術者自身の魔力を使って発動する。

 この量は基本的に有限で、枯渇すると法術クリフなどは使えなくなるが、これを回復する基本は休息だ。

 その際、外部から少しずつ魔力を吸収して回復する。

 これは、ある意味では魔力の濃度の違いで回復していくものらしい。

 魔力が減ってる状態は、いわば体内の魔力濃度が低い状態にあるので、自然の魔力が体に入り込んでくるのだという。

 魔力の譲渡も同じ理屈である。


 ただ、これだけ周囲の魔力が濃いと、魔力が過剰に体内に蓄積される恐れがある。

 魔力を過剰に供給すると、いわゆる『魔力酔い』のような状態になるらしい。聞く限り、船酔いに近い状態だという。

 コウやエルフィナは魔力の蓄積容量それ自体が桁違いなので、この程度は誤差で済むが、ティナは――。


「大丈夫だよ。気持ち悪いってことはないの。ただ、なんか重いってだけで」


 感覚的にはコウやエルフィナと同じらしい。


「ティナちゃんも……魔力量多いんでしょうかね。神子エフィタスだからでしょうか」

「かもな」


 魔力蓄積量というのは、他人が見てもわからない。

 魔力が減っているかどうかというのであればわかるが、あとは割合としてどのくらい減っているのかが分かるだけだ。


 エルフィナは、精霊行使エルムルトを連発しても平気というか、今も精霊珠メルムグリアの中に精霊を顕現させたままにしているが、魔力は全く減っていない。自然回復だけで補えてしまっているのだろう。

 コウも多元視覚マルチビジョンを含め、いくつかの探知法術を今も維持しているが、その程度はあっという間に回復してしまう。


 あの、真界教団エルラトヴァーリーのアトリ、レガンダと戦った時ですら、魔力が減ったという実感はあまりなかったくらいだ。さすがにあれほどの戦闘をずっとやっていたら減っただろうとは思うが。

 あるいは、ティナも同レベルの魔力蓄積量を誇るのかもしれない。

 それであれば、多少過剰に蓄積したところで、影響などほとんどないだろう。


 階層的にはこの辺りが、資料館にあった原初文字テリオンルーンの資料が見つかった辺りだとは思うが、遺跡がかなりあちこち崩れているので安全を確認しながら進むしかない。


「普通なら、この辺りまでくると呼吸用の法術具クリプトがないと厳しいよね、これ。私たちが大丈夫なのは、お兄ちゃんが何かしてくれてるの?」

「ああ、まあそんなところだ」


 浅い階層ならともかく、十四王国時代より古い階層になると、空気の確保も重要になる。

 地球の場合は通気口などの確保が必要になるが、この世界の場合はそれを強引に何とかしてしまうのも、法術具クリプトまたは法術クリフだ。


 ちなみにこの世界では鉱山労働を行うのに最適とされているのは洞妖精ドワーフである。この理由はいたって簡単で、洞妖精ドワーフは、極めて空気が薄い状態でも呼吸困難になることがほとんどなく、かつ、毒ガスなどに対する抵抗力が極めて強いらしい。

 つまり、坑道内で活動するための能力が高いのである。


 よく似た外見的特徴を持つ山岳妖精ドゥスティルは、薄い空気の中での活動能力という点では洞妖精ドワーフ以上らしいが、毒ガスなどに対する抵抗力は人間より多少ある程度でなので、そのあたりの能力が違うらしい。


 もちろんコウもエルフィナもそんな洞妖精ドワーフのような便利な能力はないので、法術具クリプトまたは法術クリフによる環境維持の必要はあるが――実は今、それをやってるのはエルフィナの精霊メルムである。

 風の精霊シュファウトの力で空気を浄化し、呼吸可能なものに変換してもらっているのだ。同じことはコウでも当然可能だが、常時複数の法術クリフを維持するのは出来なくはないが集中力を取られるので、こちらはエルフィナに任せているのだ。


 さらに三十分ほど歩いたところで、やや大きな広間に出た。

 これまで低い天井の通路が続いていたのだが、それとは雰囲気が違う。

 壁はかつては整えられていたであろう、石材の壁で、朽ちた棚などもいくつか見て取れる。


「多分……ここが資料があった場所だな」


 おそらく年代で言えば七千年は前だろう。

 さすがにそれだけ時間を経ると、普通の本はほぼ朽ちて原型を留めていない。

 ただ、さすがは法術研究の拠点だったというべきか。

 この地は、代々そのような研究が続けられていたと思われるため、法術による保護がかけられた資料も多く、それらは回収されているのだろう。

 つまりは残ってるのは、全て朽ちた書物だ。


「さすがに……これは読めませんね」


 エルフィナが残念そうにおそらくかつては本が置いてあったであろう棚を見る。

 そこにあるのは完全に朽ちて紙であったことすら分からなくなった残骸だけだ。

 あの原初文字テリオンルーンの資料があったのがここだとすれば、何かあるかと期待したが、さすがにもう全く残っていないようだ。

 そして同時に、これ以上深い階層の探索は、まだ行われた記録がないという。


「まあそうだな……。資料によると、この階層はかなり狭いらしく、この奥にさらに降りる場所があったというけど……」

「お兄ちゃん、ここじゃ?」


 ティナの言葉に二人は顔を上げた。

 ティナの示した場所は、その広間の真ん中。

 その床に、大きな扉がある。扉は半分崩れていて、中には階段が続いていた。

 問題は――。


「通路、ほぼ塞がってますね」


 コウは音響探知の法術でその先を調べてみる。


「意外に……奥まで続いてるな。入口付近が崩れてるだけで、あとの造りはまだ堅牢さを保ってるようだ」

「じゃあ、この瓦礫だけ何とかすればもっと奥に行ける?」

「そうなるな」

「なぜかつてはここで探索を止めたのでしょう?」

「多分だが、法術クリフでこれをどけたとしても、その後崩れない確証がなかったからだろうな。もし迂闊に崩れて、その影響が他の場所に出たら、最悪生き埋めだ」

「や、やめてよぅ、お兄ちゃん」


 ティナが震えた声を挙げつつ身震いしている。

 確かに、現在地はおそらく地下七百メートル千四百カイテル以上。万に一つ生き埋めになれば、助かることは不可能に近い。

 この遺跡は、多層構造とはいえ、だいたい千年毎に遺跡の階層が下がっていく。そしてだいたい、百メートルほど深さが違うらしい。

 これ自体は事前の資料でも把握していたが、実際に来てみると確かに奇妙だとは思わされた。

 まるで、千年毎に百メートル沈み込んでいるかのようである。


 このパターンで行くと、あと三回遺跡を抜ければ、エルスベル時代――つまり一万年前に到達する計算になる。

 無論、エルスベル時代にこの地に何かしらの建造物があったという保証はないが。


「とりあえず調べた限り、この瓦礫をどけても崩れる心配はなさそうだ。ただ……そろそろ休んだ方がいいな」

「ですね。正直一日でここまで来れるとは思いませんでしたが」


 古王国期の遺跡を抜けてから、かなりの時間が経っている。

 時間経過は分かりにくいが、おそらく五時間以上は経過しているはずだ。

 この辺りは魔獣の気配もないので、ゆっくり休むことが出来そうだ。


「じゃあここで野宿?」

「ちょっと違うがな。[簡易住居インスタントハウス]」


 コウが法術を発動させると、床の一部が盛り上がり、小さな家が構築された。

 直径は四メートル八カイテルほどと、普段より少し大きい。

 それを見て、ティナが唖然としていた。


「え、なにこれ。小さな……おうち?」

法術クリフで作った簡易住居だ」

「すごーい。こんなの初めて見た」

「コウ独自の法術ですからね。さて、それじゃあご飯にしましょう」


 エルフィナはそういうと、食事の準備を始めた。

 普段だと精霊行使エルムルトでさっさと始めるが、一応ティナがいるのでコウが調理法術を使って準備しつつ、料理それ自体はエルフィナが手際よく進めている。

 その間に、ティナは法術テントの中の寝台に寝転がっていた。

 ちなみにこの寝台は、法術で石の組成を変換して、いわゆる低反発素材的なものを再現してある。何気に帝都にいる間に何度も苦労して構築した術の一つだ。


「すごーい。寝心地もいい。ゆっくり休めそうだね、お兄ちゃん」

「それは何よりだ……とりあえず食事にするか」

「洞窟の中でこんな快適に過ごせるのって、凄いね、ホントに」


 ティナが嬉しそうだ。

 これに関しては本当に法術ありきだろう。

 地球でこのような場所にいったら、空気の供給の問題もあるし、おそらく寝袋で石畳の上で寝ることになる。

 それでもごつごつした岩の上ではないだけマシ、という感じだろうが、外敵がいる可能性がある場所での休憩は不寝番も必要だ。


 それを考えると、法術で大抵のことは何とかなってしまうのは本当に便利だが――。


「それができるのはほとんどの法術を使えるコウだからですよ、まったく」


 エルフィナのツッコミに、ティナも大きく頷いていた。

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