第217話 歪められた感情
「ラディオス将軍閣下、再びの面会をお許しいただき、ありがとうございます」
グーデンスが深々と頭を下げ、トリッティもそれに倣う。
やや遅れて、コウとエルフィナも続いた。
「なに。
「先日は来たばかりでしたので、その後しばらくクベルシアに滞在させていただいたのですが……ちょっと良くない話が出ておりまして」
「よくない、とは?」
応じたのは横に控えるガランディだ。
「帝国に対する反感とでも言いましょうか。多少であれば目を瞑りますし、それほど気にはしませんが……ヤーラン王国は八百年も前から、帝国の一翼たる古き盟友。その第二都市であるクベルシアで、ひどくあからさまな帝国批判を耳にするのは、いささか……得心しかねる」
「それは、ヤーラン王国の誇りがちょっと過剰になっただけでしょう」
しれっというガランディ。
だが、そのガランディが誰よりもそれを吹聴しているのは、すでに分かっていた。
「ガランディ殿。貴方が特に、その急先鋒であるようですが?」
「私が帝国に逆らう? はは。私は確かに、ヤーラン人であることに誇りを持っています。ただ、その誇りを共有すべく、人々に説いて回っていたのは否定しませんが、それを帝国への批判などと取られては」
そう言うと、ガランディはまるで一行を見下すかのような目を向けてきた。
「それとも、ヤーランの誇りを抱くなとでも仰せになりますか? 千年を超える大帝国ともあろうものが、その程度の誇りも許容できないほど狭量で卑屈な存在であると?」
「ガランディ殿。言葉が過ぎますぞ」
さすがのグーデンスでも、今のは癇に障ったらしい。
(こいつ、本当に正気か?)
コウは真っ先にそれを疑った。
帝国の
その権限は、皇帝名代としての意味も持ち、時として帝国に属する国王すらその意向を無視できないほどの存在だ。
まして、グーデンスは
帝国に滞在していたのはほんの二カ月程度だが、帝国における皇帝の権限の強さや、その支配の強さ、そして帝都に住む者達が、どれだけ帝国と皇帝を誇りに思っているかというのは、肌で感じて分かっていた。
「コウ。あのガランディという人、
「どういうことだ?」
「ある人を思い出すんです。あの、バーランドのグライズ王子がが、同じでした」
「……それは」
「だいたい!!」
コウとエルフィナの小声での会話に、ガランディの大声が挟まった。
「帝国は確かに我が国を重用してきた。それは事実だろう。だが、ここ百年はどうだ!! 帝国はかつての半分以下の領土しか持たず、しかもここ二十年外征は行っていない!! 我らヤーラン騎兵は、これまで幾度どなく皇帝陛下と共に戦場を駆け、あらゆる敵を駆逐してきた無敵の騎兵だ。だがもう二十年も戦っていない。これでは研いだ牙も錆びついてしまう!!」
「民が平和を享受し、安んじて暮らせる国を作るのが、陛下のご意思ですよ。実際、帝国は現在、歴史的に見ても、最も安定した勢力を保っている」
これは事実だ。
確かに、ファリウス聖教国を除く大陸すべてを帝国の版図としていた時代もある。
だが、その時代は長くは続かなかった。
結局、国というのはその支配できる範囲には限界がある。
いくら長距離通信手段があるとはいえ、統治を安定させるのは容易な事ではない。
実際、パリウスはその領地だけであれば実は帝国本土――皇帝直轄領――よりも広いとすらされるが、辺境へはほとんど統治は行き届いていない。卓越した統治能力を持つラクティですら、まだ苦戦していると聞く。
まして大陸全土を支配するとなれば、その統治を行き渡らせるのは、至難だ。
情報通信網や移動手段が劇的に発達すればわからないが、前者はともかく後者については未だにこの世界の文明レベルは、動力機関が発明される前の地球とほとんど変わらない。つまり、支配地域を完全に掌握するのは難しい。
それが分かっているから、プラウディス帝は即位直後以外には、支配地域の拡大は行っていない。
二十年前のバーランド、アザスティン両王国のアルガンド王国への侵攻も、兵は貸したが、支配するつもりが全くなかったのは明らかだ。
それよりは、行政機構を整備し、統治を安定させて平和を維持して栄えさせる方が有益だと、彼は知っているのだろう。
実際、この世界は地球と異なり、
それを徹底してきたプラウディス帝の時代はすでに四十年。
だからこそ、先の魔獣が活性化していた時期ですら、人々は不安に苛まれることなく普段の生活を送れたのだろう。
「ヤーランの騎兵は戦ってこそ価値がある。大陸最強と云われていても、お飾りの最強など意味がない!!」
ガランディはなおも熱弁をふるう。
そして、それを父であるラディオスも止める様子がない。
「……コウ、これ、もしかしてですが……」
「多分、な。だが、どうやったものか」
先ほどから、グーデンスがガランディをたしなめる言葉が続いているが、ガランディは止まる様子はない。
むしろ興奮気味とすらいえた。
「ガランディ。そこまでにしなさい。
「父上がそう言うのなら。ですが、私はヤーランの誇りをことさらに軽視する帝国には、そろそろ我慢できません」
ガランディが憮然とした態度になる。
だが、すでにその発言をしている時点で、すでにグーデンスが看過できる領域ではなくなっていた。
「失礼ながら、ガランディ殿は帝国に対する叛意がおありか?」
コウやエルフィナが知るところではないが、この言葉が
「私はヤーラン王国を案じているだけだ。帝国など、何ほどのものか!」
「ガランディ。やめなさい。やめなさい」
対するラディオスは慌てた様子もなく、むしろ事態が見えていないかのように同じ口調を繰り返す。
その様子は、さすがにコウやエルフィナにも異様に見えた。
というよりは。
「コウ、これは間違いなく」
「ああ。グーデンス。ラディオス将軍は――」
だが、コウのその警告より早く、ガランディが動いた。
動いたというより、一瞬、見失った。
「な!?」
全く反応が出来なかった。
直後、すぐ近くで激しい金属同士がぶつかる音が響く。
「と、とんでもない速度だな……」
いつの間にか剣を抜いたガランディが、執務机の向こうからこちら側にいて、グーデンスに斬りつけようとしていたらしい。だが、間にトリッティが入って、二つの短剣で受け止めていた。
直後、ガランディが後ろに飛び、距離を取る。
「す、すみません、トリッティ。まさかこれほどとは」
グーデンスが驚いたように剣を抜く。
コウとエルフィナも同様に武器を抜いた。
「こら、ガランディ。やめるのだ」
「これは……」
「多分ですが、
エルフィナの言葉に、グーデンスは「やはり」というと、ガランディに向き直る。
そのガランディは、やや前かがみになりつつ、右手に長剣、左手に短剣を持って四人に相対していた。
「ククク……
直後、ガランディの姿は一瞬でグーデンスの前にあった。
その速度は、明らかに人間業ではない。
だが、そこに再びトリッティが割って入る。
そのまま幾度か剣戟を交わすが、やがて再び距離を取ると、またもやあり得ないほどの速度で、視界の外に行ってしまう。
「右か!」
直後、トリッティとガランディが打ち合っているのが一瞬見える。
だがまたすぐに移動した。
「ちょ……これ、反応できないんですけど」
「トリッティは
グーデンスが驚愕している。
([縮地]を相手にやられるとこんな感じかもな)
実のところ、コウはかろうじて目では追えていた。
ただ、とてもではないが追いつけない。
「これはちょっと……手が出せないな」
人間ではついていくことができない超高速戦闘。
瞬間的になら、コウは[縮地]で彼らを上回る速度が出せるが、あれは不意打ちには使えても、細かい制御は出来ない。だが、彼らはそれに近い速度で普通に戦っているのだ。
「ですが……まずいですね。トリッティとまともに戦えるというなら、彼の方が不利だ」
それはコウにも分かっていた。
ガランディは
いくらトリッティが卓越した武術を使えるとはいえ、根本的な種族的な問題で、膂力が違い過ぎる。
ガランディが振るっている長剣を幾度も受ければ、トリッティの腕にかかる負荷は相当なものであり、当然――。
「くあ!!」
わずかに鮮血が散った。
直後、床を滑るようにトリッティが下がってくる。
「クク……ひ弱な
「[縮地]!」
だが、このタイミングこそコウが待っていたもの。
この瞬間だけは、ガランディの動きが読める。
そしてコウは、[縮地]で一気に――たった三歩だが――踏み込むと、刀を鞘走らせた。
間にコウが入ってきたのに驚きつつ、相手の武器がまだ鞘の中にあるのを見て、自分の方が速いと確信してたガランディが剣を振り下ろす。
しかしそこから繰り出されるのは、神速の斬撃。そして振るわれる、竜の力を宿した刀。
振り下ろしは確かにガランディの方が速かったはずだが、コウの刀は、その長剣を受け止め――断ち切った。
さらにその刃が、ガランディの右腕を斬り裂く。
「があ!?」
ガランディが、飛び込んできた勢いそのままにゴロゴロと床に転がった。
「ば、馬鹿な……」
肘が半ば斬り裂かれたガランディは、腕を抑えて呻く。
どうやら、痛覚が完全にないというわけではないらしい。
ただ、もう右腕は剣を握ることはできないだろう。
「おお、ガランディ。争いはやめるのだ」
ラディオスの、ある種無機質な声が響く。
「
「ああ、なんとかな……しかしあんた、たいしたものだな」
「それはいいが――」
コウはまだ警戒を緩めていない。
その目はすでにガランディではなく、もちろんラディオスではなく、もう一人を見ていた。
「お前は、誰だ?」
コウが刀の切っ先を向ける。
相手は、ガランディのさらに後ろに控えていた、銀髪の青年。
「アハハ……いやぁ、強いね、君は。アトリ様がやられた相手と聞いて興味があったんだけど」
その言葉に、コウは警戒の段階を一気に引き上げた。
その名前が出たということは、間違いなく――。
「お初にお目にかかる。私はクバルカ。
クバルカと名乗った青年は、そう言うと大仰に一礼した。
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