転移直後に竜殺し

和泉将樹@猫部

第一章 突然の異世界

竜殺し

第1話 事故

 まだ寒い三月上旬。

 彼は、海沿いの国道をバイクで走っていた。

 バイクといっても、中古で頻繁に整備しなければならないほどオンボロ。

 ただそれでも、彼――神坂コウにとっては大事な相棒だ。

 遠からず廃車にせざるを得ないとしても、それまでは大事に乗っていきたいところである。


 少し先に大きなカーブが見えた。

 アクセルを戻してエンジンブレーキで減速しようとして――。


「え?」


 それが全く機能しない。

 まずい、と思って即座にブレーキを入れた瞬間、バキン、という嫌な音がした。

 そしてその音から連想される結果に違わず、バイクはまったく減速しない。

 原因はともかく、全く制動がかからない状態だ。

 即座にバイクを飛び降りて、道路に転がり落ちるべきと判断したが、直前まで下り坂で長い直線だったこともあり、速度は時速八十キロに達していた。

 その速度が一瞬飛び降りるのに躊躇ちゅうちょを感じさせたが、そんなことを言っていれば、派手にガードレールに叩きつけられ、さらにそれを飛び越えて海に落ちる未来しかない。


 ブレーキが壊れてからコンマ五秒。


 逡巡したのは一瞬。

 すばやく飛び降りようとして、がく、と体勢が崩れた。

 あろうことか、ズボンの裾が何かにひっかっかった。

 ちゃんとしたスーツを着ていなかったことが仇になったようだ。


 さらに、コンマ五秒。


 時速八十キロで一秒間に進む距離は、二十メートル以上。

 減速距離を考えると、致命的なタイムロス。


 もはや大怪我することなど厭う状況ではなく、引っかかった裾を無視して、バイクを横倒しにしてブレーキをかけようとする。


 ところが、後ろに積んでいた荷物が先に崩れ、そのうちの一つが、なんとつっかえ棒のように転倒するバイクを、ほんの一瞬支えてしまった。

 それは、彼の経歴では普通持つことがない品――長さ一メートルあまりの長さの棒状の――ある意味では、彼にとって命の次に大切なそれを、反射的に掴もうとして、そこで時間切れになった。


 横転しコンクリートにこすったあとが盛大に残るが、それでも減速するには足りず。

 ガードレールに激突するバイクに巻き込まれまいと、何とか飛び上がるが、慣性がそう簡単に失われることはなく、ほとんどバイクと並行してガードレールに激突する――はずが、その衝撃はなかった。


 代わりにあったのは、浮遊感。

 あろうことか、彼とバイクが滑り込んだそこだけ、ガードレールがなかったのである。


(死んだかな、これは)


 海までの高さはおよそ十五メートルほど。

 手にあるのは、反射的に掴んだ先ほどの棒状のもので、一緒に飛び出したバイクは二メートルほど離れたところに浮いている。

 海に落ちる際に上手く飛び込めばいいかもしれないが、そもそも東北の三月の海だ。

 さらに今日は冬に戻ったといわれるほどに寒い。

 崖の下まで泳ぎ着いたとしても、凍えて死ぬ未来が待っている可能性が高い。

 滅多に車も通らない道だから、助けが来る可能性もほとんどない。


 奇妙なことに、浮いている一瞬でそれだけのことを考えられた。

 直後、浮遊感は失われ、人の身では抗いようのない重力によって、下に引き寄せられる。

 飛び出した勢いもあり、体がぐるぐるしているのか、どちらに落ちてるのかすら判然とせず――彼は意識を失った。

 最後に感じたのは、なぜかやわらかい、ぬくもりすら感じさせるものだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 とても奇妙な感覚だった。


 とてつもなく柔らかいベッドの上にいるというか。


 体が浮いているとも思える、ふわふわとした感覚。

 これが死後の世界というのならば、あるいは悪くないかもしれないと思えるほど。

 音はなく、だが、なぜかその無音が心地よい。


『――――― です ――――――』


 だから、その静寂の世界を破ったその声は、か細いというよりも遥かに弱々しいにも関わらず、はっきりと認識できた。


『――――――すべての ――――――』


 だが、言葉は聞き取れない。

 そもそも、それが『言葉』であるのかも怪しい。

 しかも、この極限ともいえる静寂の中にあってなお、その音は酷く聞き取りづらい。

 聴力検査をされてるような感じだ。


(なんだ……よく、聴こえない……)


 死後に音が聞こえるのかという疑問も本来なら当然あるべきだったが、コウの脳裏にその疑問はなかった。

 何かを言ってるのは確かだが、どうしても聞き取れない。

 そもそも、意味のあるものなのかも分からない。


『―― ――――、――――――――』


 意識が朦朧とする。

 そもそも、今が暗いのか明るいのかすら分からず――。

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