Episode08-07 避難経路


 けたたましい非常ベルの音を聞いて、私は最初「火事?」だと思った。店内にいた他のお客さんも店員さんもそう思ったらしく、店員さんの1人が様子を見るために店の外へ出て、しばらくしてから戻って来た。


 そして今度は店長らしい人が、


「すみません、一旦締めますのでお会計をお願いします」


 とフロアに向かって言う。それで店員さんが3人ほど、各テーブルに回ってお会計をしていく。その間にも、


「非常階段はフロアの反対側です。エレベーターの横から階段を使ってください。エレベーターは使わないでください――」


 という避難指示(?)が店長からなされる。


 それを聞きながらお会計を済ませた私達。


 美香よしかが「行こう」と言うので、他のお客さんらと共に店の外へ。


 ちなみに、私達がランチをしていたお店は八王子駅の駅前ビルの11階の飲食店フロアにある。周囲にも同じようなレストランが軒を連ねているフロアだったので、午後1時過ぎというランチ時の終わりごろだった割には、結構な人がいる。サラリーマンとかOLとか、後は同じ大学の学生とか、そんな感じ。ざっと見て5~60人前後がゾロゾロと(一部は文句を言いながら)エレベーターの場所へ向かって歩いている。


 そんな人の流れのやや前寄りに位置した私達は、


「なんだかついてないね」と美香よしかが言い、

「こういうのが正常性のバイアスなんですね」とめぐみが返す。


 終始鳴りっぱなしの非常ベルの下で、そんな会話を交わしながらも、流れに乗って歩く。そして、鉄製の防火扉を潜り抜けて非常階段に出て、それを下って10階を過ぎ、9階の非常階段の踊り場が見えたところで、


「――ん?」

「あっ――」

「これって……」


 私と麗ちゃん、それに千尋ちひろがほぼ同時に立ち止まった。


 どういう事かというと、私の場合はよく馴染みの有る、ただ決して心地よいモノではない、異質な空気感・・・・・・を感じ取ったから。まぁ、早い話が「穢界」の空気。つまり瘴気だ。


 たぶん麗ちゃんも同じだろう。だから、


「彩音、ちょっとまずいかも――」

「うん、麗ちゃん、私もそんな気がしてきた」


 2人でそんな会話を交わしつつ、自然とスマホに手を伸ばす。


 一方、私達とほぼ同時に足を止めた千尋はというと、一足先にスマホを取り出し画面を操作。そして、


「ヤバい、穢界の中だ」


 と言う。それとほぼ同時に、非常階段の下の方、9階のフロアの方から悲鳴が響いて来た。鳴り止まない非常ベルの隙間を縫うようにして、でも、ハッキリと「それ」と分かる悲鳴だ。


 悲鳴は直ぐに、非常階段に居る人達にも伝わり、動揺したようなどよめき・・・・が起こる。そして直ぐに人の流れの一部が逆流して階段の上を目指すようになる。


「きゃっ」

「め、愛っ!」


 少し先を歩いていためぐみ美香よしかの声。どうやら、階段を逆行し始めた人の流れに愛が巻き込まれ、それを引っ張り戻そうとした美香も一緒に人の流れに飲み込まれてしまった感じだ。


 ただ、


「下よりも、上に行った方が良いみたい!」


 千尋はスマホから顔を上げると、そう言って


「彩音も麗華も、早く上へ!」


 今までよりも、ちょっとだけ凛とした強い口調でそう言うのだった。


******************


(上を下への大騒ぎって……こんなんだっけ?)


 多分、意味は違うと思うけど、下に行きたい人と上に行きたい人のせめぎ合いで階段はちょっとしたパニックに。誰かが「押さないで!」と叫び、誰かが「下がヤバイんだって!」と怒鳴る。誰かが上の方から「避難するんじゃないの?」と戸惑った声を上げ、下からは「上へ逃げろ、早く!」と切羽詰まった悲鳴が上がる。


 それで、非常階段に居る人達は「上にも下にも動けない」状態に陥ったが、徐々に下から押し上げてくる人々の圧力が勝つ。そして、ある一瞬を過ぎると、下へ押し戻す抵抗感が消え、人々の群れは一気に上の階を目指して動き出す。


 気が付くと私達は元々居た階の1つ下、「10階」のフロアに押し出されていた。周囲には、私達と同じように、非常階段の流れから押し出された人達が10人ほど、後は、10階フロアの店員さんと思しき人が4,5人前後。全員が全員、一様に困惑したような表情になっている。


「ここもちょっとマズいのか……彩音、麗華、美香も愛も、みんな、上の階へ逃げた方が良い!」


 そう言う千尋に対して、


「なんでよ、どうなってるの?」


 と怪訝に訊く美香。ちなみに、非常階段でもみくちゃにされた美香と愛の2人のうち、流石はスポーツ系女子の美香は平気そうだが、小柄な愛はフリル多めの上着の襟がめくれ上がって、ビン底眼鏡がズレたまま。髪の毛もくちゃくちゃになっている。


 ただ、そんな事はどうでも良いらしく


「もしかして、最近頻発している穢界とか怪異とかですか?」


 なかなか鋭い質問を千尋に投げかける愛。


 それに対して千尋は、


「そう……みたい。六等穢界の『開』って出てるから……」


 手に持ったスマホを私達に見せるようにしながら言った。ちなみに、その画面は私も麗ちゃんも良く見慣れたEFWアプリの画面だった。


――六等穢界・開を検知しました――

――六等穢界・開に侵入しました――


 ログの文字列が状況を教えてくれていた。


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