Episode05-06 注イデ……
ちょっと、グロいかもしれません。
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さいたま市内のとある閑静な住宅地。JR埼京線沿線のこの地域は交通の利便性と現実的な不動産価格を両立したベッドタウンとして少なくとも80年代後半から人気があった場所だ。
最近では不逞な外国人が起こす騒動がニュースになったりしているが、この辺には、そういった輩も少ない。大きな駅周辺の繁華街のように賑わう場所から十分に離れているためだろう。
そのため、昼も夜も住環境としては申し分なく静かで、住民の生活は全体として落ち着いたものだった。
ただ、生活は全体として安寧なものでも、多くの人々が住み暮らす地域であるため、時折思いもよらない事件が発生する。この時も、この閑静な住宅地は奇妙で不気味な事件に包まれつつあった。
――動物の不審死――
この日の夕方、町内会のグループメッセージアプリに送られた一斉送信のメッセージタイトルに、その文字があった。
――先週初めから地域内で5件の動物の不審死があった旨、警察から注意喚起のお報せがありました。ペットを飼っているおうちの方は十分に注意してください。また、桜が丘小学校と与野中町小学校は明日から当面、学童の集団下校措置を取ることになりましたので、当該校区のおうちの方はお子様にお伝えください。不審な人物を見かけた場合は、まず自分の安全を確保したうえで最寄りの警察署地域課へ連絡してください――
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夕日が差し込むダイニングキッチンで、スマホに入ったメッセージを読んだ少女は大きな舌打ちをひとつ。その乾いた音は、ダイニングキッチンを抜けて隣のリビングルームや、廊下ごしに開け放たれたバスルームにまで響いた。
黄昏時の夕日の光を斜めに受けた少女の顔面は、病的な白さの上に血を吹きかけたかのように朱色に染まって見える。その表情は不機嫌さに満たされていたが、不意に感情が抜け落ちたような無表情に変わる。厚ぼったい
「もう遅いっつうの」
少女は嘲笑うような口調でそう言うと、次いでダイニングテーブルの上へと視線を移す。
そこには、大きな寿司桶が置かれていた。
随分と昔、まだ少女の母親が再就職する前の事。そして、少女の家族がまだ「家族らしさ」を持っていた頃。久しぶりに赴任先から帰ってきた父親と、家族3人でちらし寿司を作った時に使った寿司桶だ。その後は10年近くの間、シンクの下の棚に放置されていたが、今は少女が引っ張り出して使っている。
ただ、寿司を作るために使っている訳ではないことは一目瞭然。というのも、この時、寿司桶の中はどす黒く変色したナニカの液体、それが半乾きでネバつきタール状になったものがこびり付いていたから。
そんな寿司桶の中央には蓋が開いた小箱が置かれているが、今はべったりと粘性の高い黒っぽい液体に
一方、寿司桶の隣には小さ目のバケツが置かれており、その中にはもっと粘度が低い状態を保った、赤黒い液体が3分の1ほど入っている。
少女は能面のように表情が抜け落ちた顔で寿司桶の中の小箱を見つめる。瞬きもせず、口だけを小刻みに動かす様子は、まるで寿司桶の中の小箱と小声で会話をしているようにも見える。そんな少女は、表情のなかった顔面に不意にいやらしい笑みを浮かべると、
「お替わりね」
感情の読み取りにくい抑揚のない声でそう言う。そしてバケツからお玉で液体を掬い、桶の中の小箱の中へ注ぎこむ。
――ゴポッ
小箱の中から大きな気泡が出る。そして、中に注がれた赤黒い液体はみるみる内に量が減り、
「もっとたっぷりね」
そう言う少女がお玉で継ぎ足し継ぎ足ししても、すぐにカラっぽになる勢いだ。
やがて、バケツの中の液体が空になる。
「ちょっと待っててね」
それで少女はテーブルから離れると、バケツを片手にバスルームへ向かうが、
「え?」
呼び止められたかのように立ち止まり、寿司桶の方を見る。そして、
「そうなの? 分かった!」
この時だけは嬉しそうな声を上げると、スキップするような足取りでバスルームへ向かった。
既に夕日も沈み、家の中は薄暗くなっている。
そのため少女はバスルームに入ると、まず照明をつける。そして、脱衣所の洗面台の鏡に映った自分の顔を食い入るように見つめた。
「変わってるぅ!」
嬉しそうな声を上げる少女の顔は、確かにこの時変わっていた。
それまでは厚ぼったい一重瞼だった両目が、いつの間にかパッチリとした二重の瞼に代わっていたのだ。それは、少女がずっと求めていたもの。「かわいい顔」のための条件の一つだった。
二重瞼だけではない。その前は年中乾燥気味で荒れがちだった肌がプルンとうるおいを保った白い肌に
これらの変化は全部、少女が骨董品店で見つけた小箱の「中身」が
「う~ん……やっぱり、鼻も気になるし、なんかもうちょっと目が大きい方が可愛いよね」
いったん、望むような容姿の変化が得られると分かると、少女の欲求は「次へ次へ」と膨らんでいく。そして、
「でも……足りるかな?」
変化の代償として「小箱の中身」に与える物の残りを気にする少女は、バスルームの扉を開けて中を確認する。
バスルームの中の光景は「異常」の一言に尽きた。
タイル張りの少し古めかしいバスルームには「ウオンウオン」と唸るような換気扇の音が鳴り響き、その下ではバスタブを跨ぐように物干し台が設置されている。
そして、何よりも異常なのは、その物干し台に吊るされた「物」だった。
それは、2匹の中型犬。どちらも頭の方をバスタブに突っ込むような恰好で逆さに吊るされている。どちらの首にも刃物で掻き切られた跡があり、そこからどす黒く変色した血が下に置かれたバケツへと滴っている。バケツはどちらも半分ほどどす黒い血が溜まっている状態だった。
少女はバケツの中身を、自分が持っていたバケツに集める。結果としてほぼ満杯になったが、その表情は少し不満気だ。
「足りなさそう……」
それが、少女の不満の理由。
しかも、少し前から「小箱」は少女へ困った要望をするようになった。それは
――注イデ、ヒトノ血ヲ注イデ――
というもの。実は、少し離れたバスルームに居ても、小箱の中身が発する「要望の声」は聞き取る事が出来ている。いや、もはや耳を閉ざす事が出来なくなったというべきだろう。
「犬とか猫で我慢してくれればいいのに」
少女はぼやく。
犬や猫が相手ならば簡単なのだ。「小箱」が少女に与えた力なのかもしれないが、とにかく、少女が犬や猫に向かって「こっちへいらっしゃい」と念じると、相手はおとなしくそれに従うようになっている。その従順さは、自身が物干しに吊るされても続き、首を掻き切られる瞬間に切れる。
だから、少女は犬や猫相手ならば「血」を集めることは簡単だった。しかし、これが人間相手だと……
――注イデ、ヒトノ血ヲ注イデ。「力」ヲアゲルカラ――
「う~ん、そうだったら、別にイイか」
犬や猫のように従順になるなら、人間が相手でも構わないかもしれない。でも、血を抜く時のことを考えると、小さい子供が良いだろう。
「だれか適当な子はいなかったかなぁ」
既に善良さの枷が外れてしまった少女は、近所の子供の中で誰が適当で誰が攫いやすいかについて考えを巡らせ始めていた。
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