間違えたって見つけてあげる

 熱をぶつけ合うように愛しあった、そのあと。


 まだ余韻に浸っていたくて、二人でベッドにあぐらをかいて、たわいないことを話す。

 スマホの通知を確認してる背中に「す」「き」って書いてあげるね。三十路も半ばなのにこういうのガッツリやれるのが、おれのいいとこだからね~。

「紋を辿るなよ?」

 「す」の一画目で、一応注意してくれた。まだ波鶴ちゃんの目線はスマホ。

「辿ってないよ~。直線じゃん」

「ああ」

 波鶴ちゃんの刺青はぐるぐるしたデザインが多くて直線はほぼない。あれ? 背中に「すき」って書いてキャッキャしたこと、ないのかなぁ~? しょうがないから最後まで書いてあげるけど。

「何を書いた?」

「なんだと思う? 当ててよ」

「いや、分からなかったから聞いた。途中まで字だと気付かなかったし」

「あらら~。残念」

 おれに向き直った波鶴ちゃん、ちょっとむくれた顔をしてる。それ、わざとなの? 素なの? かわいーね!!

「波鶴ちゃんって、字が上手なの? 書道も嗜むの? 筆の方がむしろ書きやすいとか」

 波鶴ちゃんが喜んで話してくれそうな話題にすり替える。おだててる? いやいや。かわいい子が楽しそうに話すのを見たいだけよ~。

「書道とは違うが、毛筆はある程度褒められる字を書ける。必須教養だったからな。楽なのはペンに決まっている」

「あ、そうなの。カチッとするだけで書けるもんね」

「ああ。やはり時代の進歩というのは素晴らしいな」

 ほらね。可笑しそうに口角を上げ、目を細めるその表情も、ただ愛しいだけなのよ~。

「波鶴ちゃんの美文字、見たいな。もしかして百人一首の扇みたいな、さらさら~とした字も書けるの?」

「崩し字だろうか。もちろん書ける」

「え、波鶴ちゃんって博物館であれ全部読めるの!?」

「平安のものは読めないこともある。生まれたあとの時代なら」

「一緒に行こ。博物館デートね。おれを博物館に連れてってよ」

「まあ、もちろん、構わないが……」

 呆れた顔で笑う波鶴ちゃん。もう「デート」って言葉を出してもオッケーなんじゃん? おれとしては賭けのつもりだったけどさ。

 知的な男、エロすぎ。波鶴ちゃんに合わせて代休で平日休んで、博物館の古文書コーナーなんてどうせがらがらだし、知らんけど。一生懸命解説してくれる波鶴ちゃんの手を急に握ったりなんかして、びっくりした顔を見たい。そのあときっと、くしゃって笑ってくれるでしょ。

「美文字でラブレター書いてよ。和歌を添えてよ。花も添えるの?」

「それは私の時代にはなかったな」

 あ、するっとかわされちゃった。花の話が余計だったな~。

「ねえ、いいじゃん。勉強すれば読めるんでしょ? どれくらいで読めるようになるの? でも日本語なんでしょ?」

「日本語ではあるが、ひらがなも今より種類が多いし、漢字も崩し方がそれぞれに、あと書き手によっては癖も……」

「あらら~。じゃあ3年かけて勉強するから、3年ずっとラブレターを送ってよ」


 告白、めいたこと言っちゃった。てか告白じゃん。焦っちゃった。

 かわされたばっかりなのに。欲しくて、無理やり手を伸ばしちゃった。


「3年か」

 波鶴ちゃんは、いつもの声で呟いた。感情を読み取れない凪いだ表情だった。でも、長いまつ毛が湿ってつやを帯びている気がした。

「……ごめん」

 なんか、間違っちゃったな、おれ。何を間違えちゃったのかはわかんないけど。口をついて、ごめん、と言う。

「永山にとっての3年と、私にとっての3年は違う。私は3年を永山と過ごすことに割いても一向に構わない。膨大な人生のうちの、ほんの一瞬だから。永山はいくつなんだ」

「え……34歳だけど、」

「つまらないことを言いたくないが、一般的には、パートナーを」

「それが波鶴ちゃんがいいって言ってんのよ、おれは。おれを……看取ってくれるのが波鶴ちゃんがいいって言ってんのよ」

 少し見上げる形でおれに向けられた波鶴ちゃんの目には、涙の膜が張っていた。ごめんね、波鶴ちゃん。おれ間違えちゃった。もう戻れない。だったらこのまま行くしかない。

「私はふたり、パートナーを看取った」

 波鶴ちゃんは、ふっと正面を見据えて話した。少しだけ、哀しい顔をしている気がした。

「ひとりは江戸時代の妻だった。恋愛結婚なんて考えがそもそもない時代だ。だが……大切に思っていたよ。子どもはできなかった。だからふたりで暮らして、看取った。年に何度か墓参りに行く。私は魂とか死後の世界とかは信じない質だが、まあ。人間にとって弔いというのはそういうものだ」

 波鶴ちゃんの綺麗なまつ毛の先に、涙の粒が点々と光るのが、すごくすごく遠い景色だった。

「もうひとりは、90年ほど前だろうか。渋谷に鉄道が開通した頃。男装の剣士だった。雇い主に女性とバレるとまずいから、籍は入れなかった。一緒にも住まなかったし……今で言うなら半同棲だな」

 ああ。おれ、波鶴ちゃんの痛いところに触っちゃった。

「知人の祝言しゅうげんに呼ばれたとかで、汽車で名古屋へ行って、二日後に電話がかかってきて、鍵荊カギバラと戦って死んだと聞いた。夏だったから私を待たずに火葬を済ませるしかなくて、死顔は見なかった」

 波鶴ちゃんの顔も、「死顔」と口にした瞬間真っ白に凍りついてしまった。おれにはそう見えた。

「私はあの人のことを……今風に言うなら、愛していた」

 長く浅い息をいて、波鶴ちゃんの顔に血の気が戻った。まばたきのたびに涙の膜が波立つ。まつ毛に光る涙が、鈴の音を立てそうなくらいに揺れる。でも波鶴ちゃんは、一滴の涙もこぼさない。穏やかな声は、少しも震えない。

「だから、厳密には看取ってはいない。私は……彼の墓へは、行けずにいる」

 すごく優しくて、すごく哀しい顔で、ふわりと微笑む波鶴ちゃん。


 おれ、間違えちゃったな。最初からずっと間違えてた。愛する人を先に亡くすって、90年忘れられなくて当たり前なんだ。それほどの痛みなんだ。それを波鶴ちゃんは、二回も経験したんだ。波鶴ちゃんは二回もひとりぼっちになったんだ。おれ、バカだから、わかんなかった。

 おれがもうわかってること、言わなきゃね。

「ね。おれ、その子に似てるんじゃない」

 虚を突かれたような、でもどこか分かってたような顔で、一度、すごく深く、息を吸う波鶴ちゃん。何を言うつもりなんだろうね。おれ何も聞きたくないよ。先に言っちゃうね。

「わかってたけど、波鶴ちゃんに会いたくて来たの。波鶴ちゃんのかわいいとこ全部見たくて、ここにいるのよ。それがしっくりくるから。最初から波鶴ちゃんにピンときてたから。おれは、こういうとこで間違えない自信、あるんだよ」

「……ああ。ありがとう。私も……きみの直感がそう告げるなら、そうなのだと思う。私も、その直感を、きみと一緒に、信じさせてほしい」

 ふっと息を吸って、ほう、と息をいたのは、おれの方だった。

 おれが泣くのは違うってわかるのに、なんでおれはこんなすぐ泣いちゃうんだろう。波鶴ちゃんはなんでこんな哀しい目をしてんのに、おれの涙を拭ってくれるんだろう。

「死者は戻らない。その剣士ときみは関係のない人間だと分かっている。彼への感情と、きみとの関係を、切り離そうという気はある。時間が欲しい。3年を……尋常な人間の年を、本気で私にくれるなら……」

 大急ぎで、波鶴ちゃんの細い肩を抱きすくめる。

 これが正解じゃなかったらなんなんだよ。おれはこれ以上の正解を知らないよ。こんな、強くてまっすぐで綺麗な男が哀しい顔をしてるときの正解なんて、これだけだよ。

「ん。いいよ。全然いいよ。3年で『やっぱ違った』でもいいよ。独身貴族様も悪くないじゃん? そもそも独身貴族ルートな気がしてたし? 波鶴ちゃんルートが浮上してきただけでラッキーだし?」

 ああ、波鶴ちゃんちょっと笑ってくれた。

「3年も波鶴ちゃんにラブレターもらえるって、おれの寿命的にはめちゃくちゃ長い期間だからね!? めちゃくちゃラッキーだからね!? 不老の方にはおわかりにならないかもしれませんけど~?」

 もう笑ってる波鶴ちゃんしか見たくなくて、おれも泣いてんのに無理やり冗談に持ってって、波鶴ちゃんくしゃくしゃっと泣き笑いの顔を見せてくれるからさ。

 ちゃんと、おれの前で泣いてくれたからさ。


 ぎゅーってする。子どもにするみたいに。大人すぎる愛しい男。子どもの泣き方で泣くとこも、おれは全然見たいと思ってるからさ。

 3年あるもん。カップルが行くとこ全部行こうね。ハートの形のゲートの下で鐘を鳴らそうね。満開のネモフィラの前でハートポーズで写真を撮ろうね。ふたりの名前を書いたハート型の絵馬を飾ろうね。おれ、もぎ取れる有休を全部もぎ取るからね。アモーレがどうとか言い張れば、いけるやつだから。

 その子のこと、忘れなくていいよ。でも、おれとのデートだって、忘れるのが惜しいくらい楽しいからね。


 ふたりで泣いて笑って、波鶴ちゃんから「好きだ」って言ってくれた。おれ、また泣いちゃったじゃーん。

 まだ寝たくないな。ふたりの特別な夜、もう少し寄り添っていたいな。波鶴ちゃんもそんな気持ちなの? 嬉しいな~。

「え? 波鶴ちゃん。ハートマーク」

 呪術にときめく心でタトゥーを検分してたら、右腕にあった。

「は?」

 怪訝そうな顔で、無理な体勢で自分の右腕を見ようとする波鶴ちゃん。そんな上じゃないよ。ここよ~。

「ほら」

 肘の5センチ上くらいかな? 確かに腕を捻らないと見えない位置だわ。写真撮ってあげる。という口実で波鶴ちゃんのヌード写真を……。

「いや、ハート? ハートではない。これは……」

 ギリ見えたか。まあいいや~。

「ハート型のラッキーマークじゃん! あった~! よかったね~!」

「ハートではない。形はハートだが」

「じゃあハートだよ~。ほら」

「柄を辿るな! 火傷するぞ」

 腹から声出して怒られた。確かにこれは、ルールを忘れてたおれが悪い。ごめんね。

 待って? 今、火傷って言った?

「えっ!? ……ガチの火傷?」

「火傷で済めば最小限だ。何の紋だ? 何の紋か分からないものには普通触らないんだ。小学校で教わらないのか?」

「教わらないよ……。ごめんて……」

「文部科学省は何を考えているんだ!! それは永山の落ち度ではない。すまなかったな」

「いや、おれも忘れてたし。うん」

 かわいい男が文科省に腹から声出してブチギレるから、びっくりしちゃった。でも優しい。すきだよ~~!!

「何だっただろうか……ハートではない。意味があるんだ。これ単体ではない。この大きな紋の一部だろう? 普段紋を扱わないから忘れた……。図典を引くところを見せてやろう。来い」

 さっさと起き上がって、フルチンでドアノブに手をかけて、早くしろ、って顔してる。波鶴ちゃん真剣な顔してるから笑うのは我慢するけど、待ってよ! おれはせめてパンツは履きたいよ~!

 もうかわいすぎて、追いついて背中から抱きつく。手を伸ばしてよしよし撫でてくれるけど、頭の中は図典を引くことでいっぱいみたい。

 なんかもう、めちゃくちゃ愛しい!

 

 かわいくて、かっこよくて、賢くて、おれよりずっと大人で、でもちょいちょい子どもっぽくて、650年を生き抜いた強さがあって、でも人間並みに弱いところもおれだけに見せてくれて、優しくて、叱るときは叱ってくれて、綺麗で、世界一綺麗で、しかも右腕にハート型のラッキーマークも入ってる、おれの大切な大切な、永山葉介、人生最後にして永遠の好きなひと!

 なんて、重いかな~! まいっか!


(もう少しだけ、つづく)

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