ハートのマークは見つからない
翌朝もう一度見てもハートマークを見つけられなかった。縁起悪くない? パッケージと蓋を袋に突っ込んで出社する。
いつも以上にぼんやりダラダラ仕事して、ようやく定時ですよ。
残業はあるけど、急ぎじゃないやつだし。オフィスの二階下のフロアに降りる。階段まで清潔で、さりげなくモダンな装飾が施されてたりとか。秘密のハートマークは、隠れてなさそうだね〜。
大部屋を見渡して、フリースペースに同期を見つけた。パソコンを前に大きな伸びをしてるとこ。話しかけてよさそうだな。
「長森」
ん、という顔で、伸びをやめておれを見る。黒縁メガネに、ぱりっとした薄いブルーのワイシャツはいつも通り。
「なあ。ハート型のラッキーマーク見つかんないんだけど」
レジ袋からスナックのパッケージを出して、机にドンと置いてやる。長森は呆れた顔で両手を頭の後ろで組む。
「は? 真剣に探してんの? 一応うちが組んでるコラボだけど……さすがに位置までは知らねぇよ!」
「ありませんでしたって可能性はないんでしょ? もれなくって書いてあるもんね」
「もれなくはもれなくだよ。どうした? 子どもに駄々こねられてんの? お? 隠し子か?」
「隠し子はいませんよ。側面は確定なの? どの面は絶対にないの? 底の可能性は捨てていいの?」
「おいおい……」
「どのくらいの大きさなの? 蓋に説明で載ってんのは実物大じゃないの? 米粒の大きさなの?」
「待て待て待て。どうした」
適当な感じで笑いながら、ちゃんとパッケージを手に取って探してくれる。いい奴なのよ。
「おれのアモーレが一生懸命探してくれたんだけど、ないのよ。おれたちの愛の先行きを象徴してるみたいで嫌じゃん?」
さすがに堪えきれない様子で、長森は、オフィスに許されるギリギリの音量で笑い出した。
「アモーレ……アモーレ? お前のアモーレは知らねぇよ! 象徴に惑わされるな! お前がしゃんとしてろよ!」
全く正論である。なんか不安になっちゃってたわ。いい奴だな。
「確かにな〜」
「ハートのマークでいちいち不安になっちゃってんの? どうした? ハァ……親切なお兄さんが聞いてあげましょう。奢りな」
「奢る奢る。焼き鳥な」
「ハツだな。もうぼんじりとか食えねぇ。脂が……」
「おれもよ〜」
大学生でガヤガヤした焼き鳥屋の座敷に上がる。おれたちもいい歳だけど、長森と飲むってなるとこういう店にしちゃうのよね。
「お前ノンアルな。ノンアル以外頼んだらおれ帰るから」
長森が釘を刺す。
「えー。なんで?」
「永山くんは酒入ると最悪にダルいから」
おれに向かって顔をしかめてから、ジャケットは座敷の隅に投げ出して、ワイシャツのボタンをやれやれ、って感じで開ける。
「あーね。悪いとは思ってんだけど」
「すでにダルい……」
じゃあウーロン茶しかないし、あと盛り合わせで。長森はハイボールを頼む。
「でさー。アモーレはほんとの美人さんで大人のエロい男だから、」
「美人さんで、なおかつ大人のエロい男、な。そういうのはおれが理解する時間を挟んでくれ。よし次」
「おれ以外のおじさんに捕まらないか心配で、」
「付き合ってはないのか。で?」
「でも付き合うのは時間かかりそうだから、とりあえずペアリングを着けてもらう作戦で行こうかと」
「は??」
「ちょっと天然なとこあるから、マーキングに気付かず着けてくれるかも」
「は!? そんな天然ちゃんいねぇよ。めんどくせぇ……。あらすじを説明してくださいよ」
ダルそうな顔で砂肝をばりばり噛み砕く長森に、おれの愛しい波鶴ちゃんとの馴れ初めを説明してやる。
「あー……。とんでもない男に引っかかってんな」
「え?」
「とんでもないってのはご年齢だけど」
「あー。え、でも、おれ別に遊ばれてないよね?」
「遊ばれてるかなんて、お宅の方がおわかりになるんじゃございませんこと? 何人泣かせたんだって話でしょ」
テキトーなマダム言葉で、おれの過去のあれやこれやを掘り返される。
「あ〜……。なんか、後ろ暗い何かがある、パターン、なの、かも、なぁ〜……」
「我が身に照らすとよくわかるっしょ」
「ああ〜……」
ふたりの人間関係に「恋人」という名前を付けることに尻込みしてしまって、怒られて、ビンタされて、早足で去っていく後ろ姿を見送って。今度はおれが、ビンタして去っていく側ってことか……。
「90年彼女いないって普通に謎だろ。その間遊ぶのはオッケーだけど彼女……つかステディはいないなら、90年前、そこでなんかあったんでしょ」
「……頭いいね、お前」
「いや、頭使えよ〜……」
「ん〜……。でも、たぶん聞かない方がいいやつ」
それ、波鶴ちゃんの痛いとこだよ。無理に触ろうとしたら、するりと逃げちゃうよ。
「な。そういう勘だけでやってきてるよな、お前。むずいよーこれは。90年残る何かってヤバそう」
「いや、時間かかんじゃん? てことは虫除けしないとじゃんー! いや、おれが下手に手出しちゃったから味を思い出してさ、他の男か女か知らんけど、渡り歩くかも。だってめっちゃ男にも女にもバレンタインチョコもらってるんだってよ? 職場で。ヤバくね?」
「ははあ。そんな美形なの? 写真見せてよ」
「まだ甘い一夜を過ごしただけだから写真はない。でも美人さんってか、容姿もいいんだけど、オーラすごくてさ、うちの新人くんもスカウト行きましょう!ってさ、しかも結構聞き上手だし、いい上司な雰囲気出てるしさ」
「ああ。よし。永山。その人お前にはもったいないな」
「それを決めるのはおれのアモーレだから!」
「職場の方とお付き合いした方がいいんじゃね? なんで芸能業界なんてチャラい業界のなかでもとびきりチャラいお前とさ……。その人お仕事はなんなの?」
長森は、どうしようもねぇなって苦笑いで、グラスを掴んでカラカラ鳴らしてる。お行儀悪いよ〜。
「言い忘れた。処理班」
「処理班? ……
「そそ」
「お前、よくそれを言い忘れたな」
「確かに!! 大失態だわ〜!! 術使いなのよ。最強の男なのよ。エロいよね。階級すごいんだって。立ち上げメンバーで……」
前線に立つ人で、おれに言えない機密事項がたくさんあって、おれは毎回ニュースを見て心配することになるけど……やっぱかっこいいよ!!
「立ち上げメンバー!? そんなアモーレが、お前なんかと……?」
「うーん……。友達いないんじゃない? ほら、おれもこの歳になると友達はできないじゃん。職場でお偉いさんになっちゃうと、的な」
「あー……。かもな。じゃあお前はパンケーキ担当だ」
「キツいよ〜。この最後のぼんじり、ジャンケンで負けた方ね」
「パンケーキ担当が食え。練習と思って」
「うーん……」
練習か、と口に運ぶ。うん。めっちゃ脂だよ〜〜。
「あれ。でも、公務員が派手に遊ぶとスキャンダルになって面倒だって……おれだけにする予定なんじゃん?」
ピンときた。虫除けは不要? 波鶴ちゃん、しばらくはおれ一本? やったー!
「お。自力で辿り着いたな。確かにな〜。公務員な。前に警察が不祥事とか言って出してたけど、その程度で遊んでるとか言われましても?ってさ」
「なったよねぇ。……あ。でも、もうひとつの可能性はさ、おれがアモーレの好みから大外れしてるかもっていう。ほら。これ元奥さんだって」
また画像検索して、処理班トップの、いかにも軍事組織の最高司令官です、って凛々しい顔つきの女の人の写真を見せてやる。
「は!? ああ。落ち着いて聞けよ。大外れもいいとこだ。少しもカスってねぇよ。南極と北極くらい……いや南極も北極も寒い点では共通してるがこの、この人が元奥さん!? それは90年より前に結婚してた感じ?」
「630年前」
「は? それは、好みのタイプじゃないだろ」
「マジ!?」
「630年前に恋愛結婚はないんじゃね? で離婚してんでしょ? それくらい自力で導き出せよー……」
「いやお前の頭がいいのよ。頼りになるわ〜」
深々とため息をつき、次に噛み砕く砂肝を探して、もう砂肝の串は食べ終わったのに気付いてイラッとする長森。
「『落ち着いて聞けよ』って言えるとこが優しいよね〜、長森ちゃん」
「は? ああ……。そうそう。その調子でいいと思ったとこ全部口に出していけ。アモーレにな。おれじゃなくてな」
なんだかんだいいアドバイスをもらって、焼き鳥屋の前で長森と別れた。すぐ最近のアモーレのことをしゃべりたくなっちゃうおれと、アドバイスしたがりな長森。なんとなく噛み合っちゃってんのか、こういう飲みがときどきあるのよね〜。
長森のおかげで、おれが考えなきゃいけないのは90年前のことだけってわかった。
波鶴ちゃんが不意に、すごく遠くを見る目をするのも。一瞬だけ、目に哀しみの影がよぎるのも。波鶴ちゃんは大人のいい男だからすぐ隠すけど、見逃しちゃだめなやつだった。
あのとき、波鶴ちゃんは、90年前の彼女を見てるんだ。
毎日思い出してるのかな。仕事中にも、あんな顔をしてるのかな。それとも、おれといると思い出すのかな。
あ〜……。
たぶんおれ、90年前の彼女に似てんだな。
こういうのだけピンときちゃう。こういう、歯車みたいな、ひとつはめると全てが回り出す直感は絶対に外れない。
小ネタ
・長森さんの業務は、個性派アイドルのプロデュース。大人を舐めた十代に舐めたあだ名をつけられている。いい奴。
・永山さんはロンTかTシャツにデニムとかの楽なパンツで出社している。長森さんは色付きワイシャツにノーネクタイでジャケットは着てたり着てなかったり。スーツではない。
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