日記の一行じゃ終われない

ご注意:中世日本の人身売買への言及がありますが、そのような人権侵害を賛美・容認・推奨・助長するものではありません。

〜〜〜


 波鶴はづちゃん、このまま泊まってくれるんだって! おれのスウェットを貸してあげたら、袖も裾もまくり上げててかわいい。

「身長いくつ?」

「167センチ。昔の人間だからな。これでも高い部類だったんだぞ?」

 含み笑いしながら、なんかでも不機嫌そうな波鶴ちゃん。昔は高身長の扱いだったのか! それが「ちっちゃくて女の子みたい」とか言われたら、拗ねるのもわかるよ〜。

「おれと9センチ差だ」

「ほう。割と高いな」

「ん。背の高い子の方が好き。ちゅーしやすいじゃん?」

 なんて言って立ったままちゅーする。唇を離した瞬間、波鶴ちゃんぱっと目を見開いて、それから目を逸らして長いまつ毛を伏せた。

「あ、嫌だった!? ごめんね」

「いや……。いや。今さら身長でどうこう言っても仕方ない。私は厚底を履くから……いや、屋外ではしないか」

「外でもちゅーしよっか! プランはおれに任せて!」

 取り繕うみたいに屋外キスデートを提案して、波鶴ちゃんの心底呆れた、って顔を見て安心する。身長は気にしてんのか。失敗失敗。


 ふたりでベッドに潜り込んで、もうちょっとだけ話がしたいな〜。

「歴史上の偉人に会ったことあるの?」

「偉人か。江戸まではなかなか……。身分制の時代は、教科書に載るレベルの偉人にお目通りを許されるのは難しい。処理班を立ち上げた、暁蔡ぎょうさいがいるだろう」

「伊藤暁蔡ぎょうさい!? 大河やった!? あの大河うち噛んでたよ?」

「あれは知人だ。というか、私も最初から処理班にいるし……」

「立ち上げメンバー!?」

「最初はそんな大層な話ではなかった。飲みに呼ばれて行ったら計画があるとかで、まあ悪くない計画だから実行に移す段になったら呼べ、と言っておいたら呼ばれたのでそこから所属している。実際に立ち上げに動いたわけではない」

「波鶴ちゃん大河のキャラだったのかと思ったわ! えっ、でも最初の飲み会のシーンあったじゃん? あそこに波鶴ちゃんいたの?」

「いや、そのドラマを観ていないから知らないが……」

「なんで知り合いが大河ドラマになってんのに観ないのよ! そんなの爆笑必至じゃん! イジり放題じゃん!」

「ああ……。知り合いだと忘れていた。いや、ポスターを見た瞬間に思い出したが、そのとき他に考え事があったんだろう。650年生きると言っても、脳の容量は人間並みなんだ。色々なことを脳の奥底に沈めて忘れないと、収拾がつかない」

「おれに聞かれて思い出したんだ」

「そうだ。あれは……生きているのか? 制作時に本人に連絡したのか?」

「したって聞いたよ。生きてるよ。LINEしなよ」

「忘れていたんだから連絡先を知っているわけがないだろう。あれはLINEを使うのか? 頭の硬い男だからな……」

「波鶴ちゃんはLINEやってるもんね」

「当然だ。私は現代社会に適応している」

 不老の人たちって、現代社会に適応できてるかどうかでマウント取り合うの? おもしろすぎ。

「そんなすごいエピソードも忘れちゃうんだ……。めちゃくちゃ色んな経験しても、忘れちゃうの?」

「そうだな。私は日記をつける。最近はデジタルで、検索もできて便利だ」

「ふーん……。前の奥さんのことも忘れてるの?」

「処理班の? あれとは、十八で結婚したんだ。630年前だからおぼろげだな」

「え。18歳? マジの18歳!?」

 波鶴ちゃん、一瞬虚を突かれたような、遠くを見るような目をした。

「あ……あんま聞かない方が」

「いや。18歳だ。とにかく。忘れなければならないんだ。あれとの間には子どもが3人あったが、全員の名を忘れた。離縁以来会わなかったが、それでも、私が付けた名なんだ。不義理だよな。だが忘れるしかない。脳には、ハードウェアとしての限界がある。そう思うと、長く生きることの意味を考える」

 平坦な表情に、少しの諦めを滲ませた、綺麗な横顔。今にも壊れちゃったらどうしようって、急に怖くなる。

「まあ、この時代はおもしろい。もう少し、欲を出すつもりだが」

 いつものニヤッとした笑い方、に見えて、やっぱりちょっと、おれには全然届かない遠くを、見てるんじゃん……。


 おれのことも、忘れるんだな。おれも、波鶴ちゃんの長い長い日記の一行になる。

 波鶴ちゃんが検索しなければ、波鶴ちゃんがこれから生きる数百年、ただ、埃を被って、波鶴ちゃんに思い出してもらうのをずっと待ってるんだ。

 ちゃんと、波鶴ちゃんの人生の一部にならなきゃ。この一晩じゃお話にもならなくて、数年じゃきっと足りなくて、長く、一緒に、いたい。


「……どういう人は、思い出せるの?」

 どんな存在になったら、波鶴ちゃんに覚えててもらえるんだろう。

「肉親のことは、少し覚えておくようにしている。父はおぼろげだが……。母は少しだけ思い出せる。私は母に似たんだ。こういう目つきは、当時は美人の部類だった」

「今もめっちゃ綺麗だよ」

 流れるように吊り目がちな、波鶴ちゃんの綺麗な切れ長の瞳。

「現代だと典型的な美形ではないだろう。母は当時でいうと抜群の美人だった。だから、姉たちはどんどん売られていった。ひとり仲のいい姉がいて、ハルと言ったんだが、外で遊んで帰ってきたらもう売られていた。そのときは悲しかったな」

「ああ……。はないちもんめ、の、やつ」

「まさに。貧民だからな。私も、両親にとっては同じ扱いだ。金も受け取ったはずだ。たまたま私の行き先が、売春宿ではなく術使いの屋敷だったというだけ」

「……」

「ジェネレーションギャップだな」

「ううーん……」

 それが当たり前なんだって、波鶴ちゃんも売られた子なんだって、全然飲み込めなくて、変な、唸るような返事をした。

「運だな。運がよかったからこの歳までおもしろいものを見られた。私はそもそも悪運の強い男だ。あまり案じるな」

 なんとなくだけど、確かに説得力あるよ、それ。波鶴ちゃんが、もうどこにも連れて行かれないように、全身でゆったり抱きしめる。

 波鶴ちゃん、ここまで生きてきたんだから大丈夫。おれを置いて死んだりしないで、このまんまの姿で一緒にいてくれる。あとはおれが……もうプロポーズしかない。おれが腹くくってプロポーズ、するだけ。

 うーん……。頑張ろう。

「ハルちゃんは……覚えてるの?」

「顔はあまり覚えていない。声が綺麗で、歌をよく歌ってくれた」

 その歌を歌ってよ、というのはなんか違う気がした。

「売春宿と言っても、当時は梅毒が日本になかったから、吉原のような悲惨なものではない」

「あ、そうなんだ!? ない時代ってあったんだ……」

「だが、身体を売るなんて楽な商売なわけがない。私は運がよかった。私は唇が厚いが、それは不美人の部類だから、それがなかったら先に人買いに」

「ふーん」

 遮って、その厚い唇を味見させてもらう。ふわふわで、しっとりして、確かにキスでも厚みを感じるし……。あれ?

「波鶴ちゃんリップクリーム塗ってんの?」

「ん? いつも塗っている。荒れると気が散るだろう」

「なーんだ。おれとのキスに備えてくれたのかと思った」

「ああ……。まあ、そう思いたいならそういうことにしておけ」

 呆れた顔で笑われる。雑だな〜。おれのいい男、いつでも唇しっとりキス準備OKのエロい男なんだ……。こりゃ、おれ以外の虫が付かないようによく見張っとかないとねー。

「おれも塗った方がいい? おれの唇がうるうるだったらもっと気持ちいキスできそう?」

「は? それよりヒゲが痛い」

「あ〜……。剃ろうかな」

「私に少し言われたくらいで剃るヒゲなのか? その程度なら剃ってしまえ」

「厳しー! おれ波鶴ちゃんほどファッションにガチじゃないのよ!」

「好きにしろ」

 適当な感じで笑って、波鶴ちゃんから唇を重ねてくれた。それだけで、すごく嬉しいのよ、おれ。


 キスだけでめちゃくちゃ気持ちよくて、もっかいイかせてあげよ、って思ったのに。波鶴ちゃんのひんやりした手がスウェットの裾から滑り込んで、脇腹を撫で上げられて、波鶴ちゃん急に唇を離すから、おれめちゃくちゃ欲しい顔してんの見られちゃった。優しい表情でまた唇を塞がれて、もういいか、ってさぁ……。

 恥ずかしいくらいガチガチなのを、細いけど、冷たいけど、手のひらに脂肪が乗ってない節だった男の手で撫で上げられる。声出しちゃった方が気持ちいいし、でも引かれるかな、とか一瞬思ったけどもう限界で声漏れちゃった。「嬉しい」って優しく言ってくれる波鶴ちゃんの声はいつもより低くて、そんな甘い声も出るのかよ、って。もっと耳元で聞かせてほしいけど欲張りすぎかなって。波鶴ちゃんの唾液、くらくらするくらいおいしいからちゅーをねだって、なんか、手の中に出していいって、そんなのもう限界だから波鶴ちゃんの綺麗な右手に……。

「あ……。ごめん、ありがと。手洗ってきて」

「ああ。嬉しい。ありがとう。かわいい……と言われるのは嫌いか?」

「……あ、いや、全然、嫌いじゃない、です」

「かわいい」

 満足そうな顔で額にキスをひとつ。おれの頭を左手でくしゃくしゃっと撫でてから、波鶴ちゃんは手を洗いに行った。

 え? おれがエスコート役じゃないの!? 大人の男にリードされんの!? 急に大人の男属性出てきたよ!? おれ……。どうなっちゃうんだろ〜〜!!


小ネタ

・波鶴拉くんは長い長い付き合いの人間の三人称を「あれ」にすることがあります。元妻と暁蔡を「あれ」と呼んでいますがリスペクトがないわけではありません。癖です。

・波鶴拉くんの生まれたときの名前は不明です。「ハル」くらい素朴な名前だったはずです。

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