第2話 陸郷の家

 家の玄関で待っていると、立派な黒塗りの車がやってきた。

 運転席から出てきたのは、上質な服装を身にまとった老執事だ。恭しい仕草で彼は私にお辞儀をしてくれた。


「私、陸郷の家に勤めております、貝塚と申します。小田原家の弓枝様でお間違いありませんか?」


「は、はい! 私です!」


 むっちゃ声が上擦る。緊張が! なんか、想像していたよりもピシッとした大人が出てきてびっくりした!


「お迎えにあがりました」


 そう言ってから、何かを確かめるように貝塚さんが辺りを見渡す。


「……ご家族の方は?」


「あとは私一人で、と伺っておりますので――」


 わかっている! わかっている! 普通、お見送りの一人や二人いるよね!

 だけど、父からはそんな感じで丸投げされた。もう彼的には終わった話なのだろう。そして、妹はお母さんと一緒に読モの撮影で沖縄に行っていて不在なのだ。


「そうですか……不躾なことを気にしてしまい申し訳ございません」


「いえいえ、大丈夫です……あっ、そうだ!」


 私は足元に視線を落とした。厳密には、そこで短い4本の足で屹立している太った猫を。


「この猫も一緒に連れていきたいのですけど、いいですか!?」


 内心でダメそうだなあ、とは思いつつも質問した。

 だって、むっちゃ高そうな車だからね……こんなもじゃもじゃしたものを乗せていいと思えないのだ。


「猫……?」


 不思議そうな顔をして、貝塚さんが私の足元あたりに視線を走らせる。


「どこにいるのですか、猫は?」


 ――ここに! ここにいますよ! 愛らしいデブ猫ちゃんが!


 私は指をブンブンと振り回して主張しようとしたが、すぐに気がついた。

 それは間違いだ!

 おそらく、貝塚さんは『見て見ぬ振りをしよう』としてくれている。きっと規則としてはダメなんだろうけど、ここで引き離すのはかわいそうだと思い、そんなものはいませんよね? という結論を出してくれている。

 その優しさに甘えさせてもらおう。


「あははは、気にしないでください! 大丈夫です!」


「……そうですか……なら構いませんが……」


 やや首を捻りながらそう言うと、貝塚さんは後部座席に私(とヌシサマ)を載せて車を発車させた。


 ……だんだんと遠のいていく我が家。

 今までありがとう! 私は錦の旗をあげてくるよ!


 いやーすごい車だね、これ。ほとんど揺れないし、エンジン音も静か! むっちゃ乗り心地がいい。さすがは陸郷家だ!

 そんなわけで、車はぶいーんと走っていき、陸郷の家までやってきた。


 印象は――

 デカっ!?


 小田原の屋敷も一般的な家に比べるとずいぶん大きいものだけど、これはもうそう言う感じではなくて……外国人の観光客とかきたら「オー、ディス・イズ・ジャパニーズ・ブケヤシキ!」とか言って興奮しそう。観光名所と言われても不思議ではないほどのスケールだ。

 玄関前で車を止めて、貝塚さんは私とヌシサマをおろした。


「少々お待ちください。車を止めてから戻ってまいりますので」


 車内に戻ろうとする貝塚さんを私は呼び止めた。


「あの……貝塚さん」


「なんでしょう?」


「私は奉公に出ると聞いています――それって、働くってことですよね? こんなに丁寧にしてもらえるんですか?」


 あんな高そうな車で送迎までしてもらえるなんて。てっきり、地図だけもらって走れ! とか言われると思っていたよ。

 貝塚さんはにっこりと笑みを浮かべて答えてくれる。


「今はまだ華族のお客様ですからね。丁寧に応対するのが基本です。ただ、同僚になりましたら、話は変わります。そこはご理解ください」


「もちろんです! 頑張ります!」


 私はグッと拳を握りしめた。むしろ、そっちのほうが違和感がなくてありがたい。ちやほやしてもらった記憶とかあんまりないので、むず痒いんだよね。

 戻ってきた貝塚さんとともに屋敷の中へと入っていく。

 廊下をずんずんと進み、客間に通された。

 少し大きめの、8人くらいは座れそうなテーブルが置いてある。


「座って待っていてください」


 そう言って部屋から出ていった貝塚さんは、3人の人間を連れて戻ってきた。

 40歳代半ばの男性と女性、そして、私と同じ年頃の男の子が入ってくる。

 まとっている服装の上質さ――だけではない。その体から立ち上る『雰囲気』に圧を肌に感じた。

 ああ、そうか。この人たちが……。

 やっぱり華族の最上位に位置する人間はまとっている空気が違うんだな。

 私が席から立ち上がると、年長の男性が口を開いた。


「よく来てくれた。君が、小田原の弓枝さんだね?」


「はい、私です」


「遠路はるばる来てくれて感謝する。私が陸郷の当主の弥一やいち、こちらが妻の美津子みつこ、そして、次男の呉羽くれはだ」


 呉羽くんと視線があった。

 賢そうな顔立ちの少年である。表情にクールさと高貴さを兼ね備えた王子様――ちなみに、イケメンである。隣になっているお父様もかなり顔立ちが整っているので、将来は安泰だろう。

 ……ただ、少し肌の白さは気になるけど。家に引きこもって日に当たらないのとは違う感じなんだよね。


「座って話をしよう」


 私の対面に3人が座る。貝塚さんは自分の役目は終わったとばかりに一礼して部屋を出ていった。


「お父上からどこまで話を聞いたのかな?」


「ええと……ほとんど話を聞いていなくて、奉公に出る、ということだけです」


「そうか」


 もうちょっと話しておけよ、という感じの空気を発している。ごめんなさい……あんまりうちのお父さん、私と話をしたがらないんです……。


「……メイドになるのかな、と思っていたんですけど、違うんですか?」


「今のところ、家のことをしてもらうつもりはない」


 え、違うの!?


「実は、呉羽の世話をしてもらおうと思っているんだ」


「呉羽くんの……?」


 見る限り、何か助けが必要そうには思えないのだけど。あれか、ご飯をあーんとかしてあげたり、お風呂で背中を流してあげたりするのだろうか?


「呉羽は持病を持っていてね、急に体調を崩すことがある。家で寝込んだ場合は家の人間が看病にあたるのだが、問題は家の外――特に学校だ。小学校までは騙し騙しやってきたのだけど、最近はそうもいかなくなってきた。なので中学からは対応できる人間を用意しよう、と考えて同年代の君に白羽の矢が当たったわけだ」


「学校で常に行動をともにして、何かあったら頑張ればいいんですね?」


「常に、というわけにもいかないので、できる範囲で、かな。本来であれば同性のほうがいいんだろうが、華族を条件とすると、適切な人間が見つからなくてね……どうだろうか?」


 できないですよね! と答えると、なんとなく雰囲気的に帰してくれそうな気もするのだけど、私の家的にまずいだろう。


「もちろん、大丈夫です!」


 私は力強く答えた。嫌な気持ちは特にない。というか、むしろ――

 楽じゃない?

 メイド仕事をするわけでもなく、学校に行くだけである。どう考えても楽だろう。というか、ワクワクしてしまう。だって、私は――


「あの……学校に通うんですか?」


華殿院かでんいんに通ってもらう」


 ――!?

 華殿院は良家の子息子女、それも華族の血統でなければ入学すら許されない超がつくほどの名門中学校だ。

 ……どうして、私がそれを知っているかって?

 だって、私の妹がそこに通うからね。

 ていうことは、私が妹と同じ中学校に通うことになるなんて……。


「学費のことは心配しなくていい。私たちで世話をするから」


 おおおおお!

 とんでもない金額だというのは知っているので、それはありがたい。本当に胸が震えてきた。こんなラッキーがあっていいのだろうか。

 名門校に通えるからじゃあない。

 それどころじゃない。

 だって、私は――


「学校に通ったことがないんですよ! 本当に通わせてもらっていいのですか!?」


 私の前に座っている3人が、同時に口をぽかんと開けて音を吐き出した。


「「「………………え?」」」

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