Noisy memory

金借 行(かねかり こう)

prologue

6月某日、この国はもう見飽きた雨煙る季節にあった。高級住宅街に連なる建造物の中でもひときわ目立つ縦長の四角形は、この視界不良の天候の中でもその存在を誇示するように天高くそびえたっている。


 エントランスを通り過ぎて11がエレベーターに乗り込み、普段見慣れない2ケタの数字を押した。20階を過ぎた頃、ベルの音に呼応するようにドアが開き目前には真っ赤な絨毯が敷かれてそれが奥まで続いている。男が雨と泥で汚れた足でそれを無遠慮に踏みつけながらずんずんと進み、角を曲がった先に目的の部屋があった。


 高級感あふれた内装に突如現れるトラ柄のテープをくぐり部屋に入ると、鉄臭い香りが立ち込めていた。


 白を基調とした清潔感のある部屋に不釣り合いな赤色。それも先ほど見た赤とは似ても似つかないどす黒い液体の水たまりが出来上がっていて、3つの塊がオブジェのように横たわっている。液体の源泉はどうやらその塊の1つ、女性の死体からのようだ。


 男は死体の前にかがんで両手を重ねる動作をした後、先に作業していた同僚と何やら話し始めた。


「鈴木さん遅刻っすよぉ。一時間も前に呼び出しかかってたのに何やってたんすか」


「仕方ないだろこんな天気なんだから。何処もかしこも渋滞で、いくらサイレン鳴らしたってどいつもこいつも退きやしない」


「こんな天気って、もう何年も前からこの時期はずっと大雨じゃないっすか。ちゃんと早めに来てくださいよ~」


 同僚に小言を言われても特に悪びれる様子もなく、鈴木も死体を調べ始めた。


「ガイシャの身元は?」


「その女は樫本かしもとのぞみ、隣で倒れてる男の娘っすね。隣で倒れてるのが父親の黒戸達平くろどたっぺい。鑑定が終わるまで何とも言えないですが、娘を殺したのはたぶんこいつっす。バットを握ったまま死んでるし、それに血痕もついてるんで。ついでに隣に転がってるアンドロイドを破壊したのもたぶんこいつっすね。このバット以外に犯行で使われてそうな凶器も見つかってないっす」


「ちょっとまて」


 そこまで黙って聞いていた鈴木が割り込むようにして突然話を遮った。


「娘を殺したのがその黒戸って男なんだとしたらなんでそいつも死んでるんだ?あと、なんで娘と苗字が違う」


「苗字については調べたんですが、黒戸は婿入りして樫本の姓になったみたいですね。でも15年前に妻と死別して旧姓に戻したみたいです」


 そこまで話して同僚は少し言い淀んで黒戸の顔を一瞥し、同情するような表情を浮かべる。


「黒戸を殺した人間についてはまだわからないんですよ。この男、妻が死んでからずっと家に引きこもってるみたいで、恨みを買ってそうな人間どころか、そもそもこいつと関係のある人間が片手で数えられるほどしかいないんすよ」


「強盗の線は?」


「それも考えましたが、被害者2人が揉めあった以外に部屋を荒らされた形跡が無いんすよ。そもそもこのマンション、建物に入るにも部屋に入るにも指紋認証でしか中に入れないようになってて、マスターキーも管理人の指紋ですし」


「おいおい勘弁してくれよ。今時の漫画じゃないんだから証拠の1つや2つあるはずだろ?科学技術の発展したこの時代に、探偵よろしく聞き込み調査なんて御免だぞ俺は」


「刑事とは思えない発言を軽々しくしないでくださいよ。鈴木さんだって20年前くらいはまだ聞き込みなりして足で稼いでたっすよねぇ?いや、いいんすよそんな大昔の話は」


「やかましい、誰がジジイだ」


「言ってないっすよそんなこと。目撃者……って言っていいのかわかんないですけど、証拠ならあるかもしれないっすよ。連れてくるように言われたっすよね?捜査用のアンドロイド」


 同僚は入口の横で待機している1に視線を向けずに親指で指しながら鈴木の軽口をブツリと遮る。それを聞いて鈴木も何かを察したようだ。


「こいつを呼んだのはそういうことか。でもそのアンドロイド、まだ動くのか?頭部が酷く損傷してるように見えるが」


 そう言った鈴木の視線の先には、親子の死体のそばで横たわるアンドロイドがあった。

頭部はおそらく殴られたのか一部が欠けていて、そこから雷のように亀裂が入って今にも粉々に砕けてしまいそうな様子である。


「わかんないっす、触ってないんで」


「おい、職務怠慢だぞ」


「仕方ないじゃないですか。今時アンドロイドも珍しくないとはいえ超高級品っすよ?素人が勝手に触ってとどめでも刺してみてくださいよ、始末書に加えて僕の貴重な数か月の給料がパーっすよ、パー」


「じゃあこのアンドロイドが壊れてたらまた振り出しじゃねえかよ。あーあ、大雨の中ここまであいつ連れてくるの結構手間だったのになぁ。雨で濡れて壊れでもしたらなんて心配して濡れないように丁重に運んできたのに、現場について最初に『遅刻っすよ~』なんて言われるし。あーあー」


「あーもう!うるさいジジイっすねほんとに。大体自動で付いて来るでしょう、部屋に入ってきた時だって鈴木さんが先入ってきたじゃないっすか。いいから早く調べさせてくださいよ。僕権限ないんで命令できないし。早く終わらせて帰りたいんすよ」


 同僚は少しイラついた様子で鈴木を睨む。その視線を受けてさすがに少しばつの悪そうな顔をして、後頭部を掻きながら鈴木が顔だけを入口のほうに向けた。


「わーったわーった、悪かったよ。おいヤミ、こいつの主記憶装置メモリを調べて、何かわかったら報告しろ」


 鈴木はそう言うとこの部屋に入って初めて、ここまで一緒に来たその1体に意識を向けた。


「了解しました」


 ヤミと呼ばれたアンドロイドが、感情のこもってない声で応じる。


「随分暗い名前っすね。こだわりっすか?」


「ちげえよ、識別番号の後ろの2文字をもじっただけだ。名前を付けろって上がいうもんだから仕方なく付けたんだよ」


 黒髪で短髪の特に特徴のない顔をした女性型のアンドロイド。それが対象に近づいていくのを確認して、すぐに興味を失ったように鈴木と同僚が軽口をたたき合いながら別の部屋に消えていった。


「命令を遂行します。接続開始、主記憶装置にアクセスします」


 彼女が自分の腕から延ばしたコードを背中の端子に繋ぐ。


 視覚情報にノイズが走り、暗転する。


 いつもと同じ順序を踏んで、意識が相手の中に溶けていく。


 しかし視界が暗転する直前、微かに聞こえる程度だったはずの雨音が少し強まったように彼女は感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る