016

 奈良街道沿いにあるスーパーマーケット、サタデイは、通学路の途中にあり、品揃えも豊富だ。


 ちなみに奈良街道とは京都市中から伏見方面を経て、奈良県に至る国道二十四号線のことを指す。地元民にとっては馴染み深い国道だし、市内に住んでいれば、この道を自転車やバイクで往来する機会は、きっとほとんどの人にあるだろう。


 閑話休題。


 サタデイには、僕はよくお世話になっている。帰りがけにふらっと立ち寄るにはちょうどいい距離にあるし、とにかく値段が安い。


 本日はタマネギとジャガイモ、ニンジンなどの具材を購入。豚肉は家に冷凍したものがあるし、スパイスとカレールーもまだ残りがあるので余計なものは一切買わない。


「こんにちは、けいちゃん。あら、今日はカレーかしら? どんどん主婦っぽくなってきてるわね」


 ご近所付き合いの深い和泉いずみさんがエコバック片手に、野菜売り場を物色していた僕に声をかけてきた。


「こんにちは。和泉さんのところは、今日は何にされるんですか?」


 挨拶もそこそこに、僕は尋ねる。


「ブリの旬が間もなく終わるでしょ。だから、照り焼きでも作ろうと思って」


「なるほど。それなら今が十六時頃なので、十七時まで待った方がいいかと。値引きシールが貼られますから」


「やっぱり、待った方がいいかしら? ほんとやーね。どこもかしこも値上げ値上げで」


「ほんと気が滅入りますよ。お互い、節約を心がけましょう」


 和泉さんとそんな会話を交わし、僕は緑のプラスチックカゴを持ってレジに並んだ。


 お会計を済ませ店の外に出ると黄昏色の空が広がり始めるだろう時間になっていた。


 と、その時。とんとん、と背後から誰かに肩を叩かれた。

 アスファルトの駐車場に影法師が伸びる中、振り返ると、黒マスクをつけた制服姿の美少女が僕を見つめていた。


「か、烏丸さん?」


 ちょっと、いや、かなりびっくりした。


 そんな僕の反応に、烏丸さんは申し訳なさそうに両手を合わせた。マスクをしているため表情はわかりにくいが、仕草だけでそれが謝罪のポーズだとわかる。


「ごめん、京坂。びっくりさせちゃったよね?」


「う、うん。ちょっとね」


「ホントはもっと早く声をかけるつもりだったんだけどさ、タイミングを見失っちゃって。いつ後ろを振り向くんだろ、って、途中から笑いをこらえるのが大変だったよ」


「え、ずっと後ろ歩いてたの?」


「まあね。……べつに、隠れたりとかはしてないけど」


「も、もしかして、学校からずっと?」


「うん。ごめんってば。だって京坂、ぜんぜん気づいてくれないんだもん」


 烏丸さんは両手を合わせてもう一度謝るポーズをとる。

 正直とても恥ずかしかったけど、それよりも僕は、烏丸さんの奇行(?)の動機の方が気になって仕方がなかった。


「えと、どうしたの?」


 そう訊ねると、烏丸さんはにへらと目を細めて一歩僕に近づいた。


「京坂、今日はバイトお休みなんだよね? 妹さんとの約束があるのは知ってるけど、少しだけ時間もらえないかな。実は相談したいことがあって」


「そ、相談?」


「うん。司も一緒なんだけど、いいかな?」


「あ、えっと、うん……」


「じゃあカメダに行こっか。あそこ、落ち着くんだよね」


 カメダって、カメダ珈琲店のことだろうか。


「僕、コーヒーは甘いのしか飲めないけど、それでも大丈夫?」


「なにそれ可愛い。京坂ってやっぱりオトナなんだね」


「どう考えたってお子様だと思うけど。もしかして、からかってる?」


「ううん、オトナぶらないところがいいなって思っただけ」


 烏丸さんはそう言うと、僕の手首を掴んで引っ張った。


 女の子らしい、細くて柔らかい掌の感触にドキッとしてしまう。


 そんな僕たちを、買い物を終えて店から出てきた和泉さんが、あらあらまあまあと微笑ましそうに見つめていた。恋人じゃありませんからね。



    *



 烏丸さんが連れて来てくれたお店はカメダ珈琲店という、全国的にチェーン展開されている名古屋発祥の喫茶店だ。


 京都外環状線沿いにひっそり、といった感じで佇んでいるお店なのだが、全国展開されているだけあって店内は広々としている。


 珈琲だけでなくご飯もおいしいと評判で、人気メニューはコーヒーにトーストとゆで卵がついた、モーニングのセット。


 随分前に、滋賀に住んでるおじいちゃんとおばあちゃんがそんなことを言っていた気がする。


 僕と烏丸さんが一番奥の四人席のテーブルまで行くと、「やっほ、おけいはん」と小野さんに手を振られ、僕は小さく手を挙げて応じた。


「ま、座って座って」


「あ、うん」


「京坂は私の隣ね」


 烏丸さんに手を引かれ、僕は彼女の隣に腰を下ろす。


 カレーの具材が入ったレジ袋を赤いソファーに置いて飲み物を注文し、雑談タイム。


 しばらくすると、店員さんがアイスカフェオレとアメリカンと白いノワール(デニッシュパンにソフトクリームが乗ったデザート)をテーブルに持ってきてくれた。


「ここはアタシがもつから、おけいはんも食べたいものとかあったら好きに頼んでね」


「そういうわけには」


「いいの、いいの。アポなしで付き合ってもらったお礼ってことで」


 僕は申し訳ないなと思いながら、アイスカフェオレに口をつける。烏丸さんは、ダイエット中とのことでお冷にも手を付けていない。


「今日は、醍醐さんはいないんだね」


「お、それ聞いちゃう?」


「桜子には重要なミッションがあるからね」


「ミッション?」


「そそ」


「追って説明するね」


 小野さんと烏丸さんは顔を見合わせて笑い合うと、どこか意味深な視線を向けてくる。


 なんだろう。嫌な予感がする。というより、嫌な予感しかしない。悪だくみする子供の顔になってるもん。


 僕は落ち着くために、カフェオレをひと口含む。まったく味がしなかった。


「プレゼンよろしく司」


「いえあブラジャー」


 小野さんがバッグから大きめのタブレットを取り出して、テーブルの上に置く。


 一時期、喫茶店でマルチ商法の勧誘が横行していたらしいけども、まさか二人が怪しいビジネスにはまっている……なんてことはないだろうか。


 僕は身構えた。


「んじゃセツメーしてくね」


「あ、うん……」


「いま三人で創作活動やっててさ、手伝ってくれる人を探してて。妹ちゃんにもそのへんの事情を理解してもらいたくて説明の上手な桜子をおけいはんちに向かわせたってワケ」


「ごめん、話が全然見えてこないんだけど」


「ま、かいつまむと、ご家族に怪しいバイトだと思われないように、アタシらのこときちんと知ってもらって、安心してもらいたいと思ってるってコト」


 ますます話が見えてこない。


『怪しいバイトだと思われないように』


 そのフレーズが、すでに怪しい気がするんだけど。


 戸惑う僕のことなど気にもとめず、小野さんは慣れた手つきでタブレットを操作し始める。


「これ、ちょっち見てちょ。アタシらのサークルの毎月の売上額」


「サークル?」


「私と司と桜子で立ち上げた同人サークルのことだよ。京坂にはまだ言ってなかったけど、私たち実はクリエイターなんだ」


「くりえいたー?」


「そそ。今の時代、プラットフォ―ムにサークルを登録すれば、こうして毎月の売上をグラフでデータ化してくれるの。ほら、ここ見て」


 烏丸さんはタブレットに映った数字を指差しながら、説明してくれる。



 サークル名:メロウ

 一月度売上:3420万円

 二月度売上:2253万円

 三月度売上:2955万円



「えーっとね、今月は多分、二五〇〇万ぐらいの着地になりそうかな」


「はい?」


 に、せ、ん、ご、ひゃ、く、ま、ん


 タブレットに表示された数字を網膜に焼き付け、烏丸さんの補足を頭の中で反芻しながら、僕は自分の目と耳を疑う。


「に、にせんごひゃくまん!? すすすすすす、すごいね……」


 ようやく口にできたのがそれだった。


「にゃはは、おけいはんのリアクションかわゆす」


「京坂さ。今のバイトやめて私たちのとこでバイトしない?」


「へ……?」


「ほら、この前言ってたでしょ? 妹さんの学費を稼ぐためにバイトしてるって」


「あ、うん」


「なんか私、その言葉にグッときちゃってさ」


「そゆこと。そんでアタシら三人に何かできることがないかな、って考えてたワケ」


「もちろん京坂さえよければだけどね」


「うちらんとこでバイトしたほーが絶対稼げっからさ。まどろっこしー話は抜きにして、とりま、時給四〇〇〇円とかでどーかな?」


「よ、四〇〇〇円!?」


「司、それじゃ少ないって。京坂、時給五〇〇〇円なら、どうかな?」


「ご、ごごご、五〇〇〇円……!?」


 それって一日十時間労働だとして、五万円ものお金がもらえるってこと!?


 つまり一ヵ月フルで働いたら一五〇万円。


 あかりを大学に行かせるための費用がだいたい四〇〇万くらいなので、単純計算で三ヶ月で僕の目標金額が達成できることになる。


 あ、いや税金とか引かれるから、もっと少ない額にはなるのか。


 でも、バイトの求人サイトにここまで破格な金額が載っているのを見たことがない。


 思わずよだれが出そうになるくらい、魅力的な話だ。


 でも、これは僕みたいな平凡な学生が承諾していい水準じゃない気がする。

 でも、あかりのことを第一に考えるなら……。

 でも、でも。


 と、頭の中がこんがらがってしまう。でも、


「ごめん。魅力的な話だけど、そんな大金を同級生からもらうわけにはいかない。僕ができることなんてたかが知れてるし、妹の大学費用は自分で稼ぐって決めたから。でも、気持ちは本当に嬉しいよ。ありがとう」


 僕は精一杯の誠意を込めて、二人にそう伝える。


 お金に目が眩んで三人と仲良くしていると思われたくないし、あかりだってきっとそんなこと望んじゃいない。やっぱり僕がこの仕事を引き受けるは間違っていると思う。


 申し訳ないけど。


「そっか。京坂は私たちのこと嫌い、なんだ?」


「ち、違……っ」


「じゃあケッテーじゃん。おけいはんにとっても悪い話じゃないっしょ?」


「そ……それは、そうなんだけど……」


「京坂あのね」


 烏丸さんは僕に身体を寄せてくると、その高雅な相貌を僕の顔に寄せてくる。


「私……京坂が望むなら、なんでもしてあげたいと思ってるよ? あんなことやこんなことも」


 息がかかるくらいの至近距離。


 厳密には、マスクをつけている烏丸さんの息がかかることはないのだけど、鼻と鼻が触れ合ってしまいそうになり、僕は慌てて身を引いた。


「……あのー、お客様。店内でそういった行為は、控えていただけますと」


「へっ、あ? ……す、すみません」


 背後から、店員さんの困りきった声がして我に返る烏丸さん。


 気がつけば、周りのお客さんや店員さんたちがこちらを見ながらざわつき始めていた。


 僕は、耳を真っ赤にする烏丸さんと、やれやれと苦笑する小野さんを連れて、そそくさと逃げるようにお店を後にした。


 これからどうなっちゃうんだろう、という行き場のない不安を抱きながら。

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