おまけ

おまけ1 千景とクリスマス 上

 とある冬のコト。

 三年生への進級を間近に控えた、冬休みの日のことだ。僕はつーちゃんとさくらと、マンションの一室で鍋を囲んでいた。

 寒い夜、三人で食べる温かい鍋は格別で、僕たちはご機嫌だった。ちなみにカニ鍋。つーちゃんが奮発してくれた。


 千景は家族旅行に出掛けていて、今日の鍋にはいない。

 それを残念に思う自分がいた。


『千景:ケイに会いたい』

『京:いつ頃帰ってくるんだっけ?』

『千景:26日……。イヴはケイと一緒に過ごしたかったのに』


 つーちゃんとさくらが談笑している横で、僕はスマホを操作して千景にメッセージを送っていた。

 

「おけいはん、箸が進んでないぞ。せっかくのカニ鍋なのに」


 つーちゃんが僕を見て、心配そうに声を掛けてくる。


「千景から連絡が来たの?」


 さくらが訊いてきた。


「うん」

「おおかた、イヴはおけいはんに会いたい~って内容でしょ?」


 つーちゃんはニヤニヤと笑っている。


「千景らしい」

「んじゃ遠慮なくイヴは三人で過ごしますか」

「千景は残念賞」


 二人は僕を見て、そう言った。


「だね。千景が帰ってきたら埋め合わせしておくよ」

「埋め合わせって、それはおけいはんが考えることじゃね? おけいはんは千景に甘すぎ」

「うん。自覚はある」

 

 僕は苦笑いをしながら頷いた。

 ダシに浸かったカニの足を箸で掴むと、僕はそれを口元へと運んだ。

 カニの身がほろほろ崩れて、口の中に美味しさがじんわりと染みていく。


 ……お、おいし。これ。


「うまいっしょ、それタラバガニだから」

「タラバガニって高いやつだっけ?」


 カニの身の旨味に、僕は舌鼓を打ちながら尋ねる。


「ズワイガニよりも高級。贅沢」


 さくらが教えてくれた。


「そうなんだ。本当においしいよ、これ。あかりにも食べさせてあげたいな」


 僕は無意識にそうこぼしていた。


「1杯持って帰ったらいいじゃん。あかりちゃんとお父さんに食べさせてあげて」

「いいの?」

「もち」


 つーちゃんは優しく笑ってくれた。


「まあ、でもタダってわけにはいかないかな。あーんしてよ」

「司。京君を物で釣らない」

「……あはは」


 あーんはいつもしてる気がするんだけど。それは言わないことにした。

 僕はカニの身を箸でつまむと、つーちゃんの口へと運んだ。



 ※



 つーちゃんからいただいたカニを持ち帰った僕は、父さんとあかりにカニを振る舞ったあと、寝具に寝そべりながら千景とメッセージのやり取りを続けていた。


 クリスマスだけでも会えないか、と千景はメッセージを送ってきた。


 旅行先は大阪とのこと。京都からだとそんなに遠くはない。家族旅行中なのにいいのかな、とも思いながら、僕は千景に『わかった』と返信を送った。


 イヴはつーちゃんとさくらと過ごす。25日は千景と過ごそう。

 

 そう決めて、僕はスマホを枕元に置いた。



 ※



 クリスマス。


 千景は夕方から抜けられるとのことなので(家族旅行中なのでそのあたりは調整が必要らしい)、その時間に合わせて大阪に向かうことにした。電車に長時間揺られながら、大阪の梅田を目指す。


 だけど、途中、電車が止まってしまった。

 どうやら雪の影響でダイヤが乱れているらしい。


 車内アナウンスが、復旧の目途は立っていないことを僕に告げた。


『ケイ、ごめん。充電忘れてて切れそう。地図貼っておくから、時間になったらそこに来て。ごめんね』


 千景からメッセージが届いた。

 充電が切れそう?

 

 まずいな、電車がいつ発車するかわからない。僕は千景にメッセージを送る。

 既読はつかない。


 千景のことだ。ギリギリまで僕のことを待つだろう。……早く動いてくれ、電車。祈るように、僕はギュッと目を閉じた。


 ……もう少し早く家を出ればよかった。

 今更遅い後悔を、僕は何度も繰り返す。


 結局電車が動き始めたのは、それからかなり時間が経ってからだった。


 大阪に着いた時にはもう夜で、時間は既に19時を回っていた。


 まだ雪は降っている。ホワイトクリスマスでロマンチックなはずなのに、それどころじゃない。僕はマップを頼りに、千景が待っている場所へと足早で向かった。


 大通りはイルミネーション一色で、男女が仲睦まじく手を繋いで歩いている。

 恋人たちのクリスマスを演出する景色は、僕の心を強く締め付けた。


 待ち合わせ時間は夕方。もう夜だ。千景は待ってくれているのだろうか。家族旅行中だって言ってたから、もう宿泊先に戻っている可能性だってある。


 ……それでも僕は、千景が待ってくれているかもしれない、と考え、彼女の姿を探した。



 ※ 



 お化粧も、髪のセットも、全部やり直した。

 お気に入りのコートを着て、烏丸からすま千景ちかげは梅田の大通りで京を待っていた。


 ……もうこんな時間。きっと来ないよね。


 イルミネーションに照らされて、白く染まる京の幻影を、千景はずっと見続けていた。

 雪が降るなか、時計の針だけが進んでいく。


 スマホの充電ももうない。長い棒のてっぺんについた時計、そこに雪が積もっていくのを、ただただ見つめるしかなかった。


「キレイ、あの子。女優さんかな?」

「さっきもあそこにいたよ。どうしたんだろ? カレシにぶっちされたのかな?」


 道行く人が、一人佇む千景を見てそう話す。

 千景はマスクを少しだけ持ち上げて、白い吐息を吐き出す。


 時計の針が19時半を回った頃だった。

 

 もう……戻らないと。


 夜ご飯は家族で食べるって、京にも言ってある。

 

 ……帰ろ。

 待ち合わせ場所を後にしようとしたその時、人混みの中に紛れる京を見つけた気がした。

 千景は足を止めて振り返る。しかしそこには人の群れしかおらず、京の姿はない。


「なにかあったのかな……」


 京は約束を破るような薄情な人間じゃない。もしかしたら事故にでもあったのかもしれない。心配だ。ホテルに戻って、充電して、京にメッセージを送ってみよう。

 千景は小走りでホテルに向かうことにした。



 ※



 待ち合わせ場所に千景はいなかった。

 そりゃそうだ、二時間もオーバーしてるのだから。


 僕の方も、スマホの充電が切れてしまい、連絡を取ることができなくなった。


 ネカフェでも入って充電しようか?

 それとも、ここで待つか。


 ここで待つことに、どれだけの意味があるかわからない。それでも、もし千景がちょっとコンビニに行っているだけで、ばったり会うことができるかもしれない。

 僕はそんな淡い期待を抱きながら、雪の降る大通りで待ち続けることにした。


 ……はぁ。


 悪いことをした。


 僕は深いため息を漏らした。

 約束を破る結果になってしまったし、不安な思いをさせたかもしれない。


 それに今日はクリスマスだ。


 家族旅行中でも会いたい。千景がそう思ったのは、今日が、特別な日だからだろう。


 だから僕も千景と過ごしたいと思った。

 でも、もうそれはできない。


 時間的にも、今日という日の意味的にも。


 でも、待ってみよう。

 リミットは22時。


 未成年は、ネカフェにもホテルにも泊まれない。大阪から京都までは、電車でそこそこかかる。流石にこの寒さで野宿は出来ないので、22時ぐらいが限界。僕はその場に座り込むと、空を見上げた。


 雪は降り続いている。

 まるで僕の心を慰めるかのように、ふわふわと舞うように舞い降りてきていた。


 時計の針が22時を回った。


 帰ろう。

 僕は立ち上がって、駅へと歩き始めた。


 その時だった。


「ケイ……? ケイなの?」


 聞き覚えのある声が、僕の耳に届いた。

 振り返ると、そこには真っ白なダッフルコートに身を包んだ千景が立っていた。


 髪は雪で少し濡れている。


「ごめん……一度、ホテルに戻って、ごはん食べて……でも連絡が繋がらないから、すれ違いかと思って、戻ってきた。……ごめん……」


 千景は僕に頭を下げて、何度も謝罪の言葉を述べる。

 僕は千景の冷え切った手を温めるように握って、優しく微笑む。そして、ぎゅっと抱きしめた。


「謝るのは僕の方だよ。ごめん遅れて……雪で電車が止まっちゃって。携帯も充電が切れちゃったんだ。ごめんねホント」


 千景は僕の腕の中で、ふるふると首を振る。


「千景の顔を見れてよかった。もう帰らなきゃだけど」


「あ、もうそんな時間だよね……。でも私、もっとケイと一緒にいたい」


「明日になったら帰ってくるんでしょ? すぐ会えるよ」


「嫌、せっかくのクリスマスだから、ケイと一緒に過ごしたい」


 千景はそう言うと、僕の胸に顔を埋めた。


「で、でも……泊まるとこないでしょ?」


「大丈夫。お母さんに同意書書いてもらうから。同じホテルだとお姉に茶化されそうだから、別のホテルに泊まる。いいでしょ?」


 千景は僕の服を掴んで、懇願するように僕を見上げた。

 ……か、可愛い……。


「それ千景のお母さんは不審がらないの……? 同意書の仕組みを僕は知らないんだけど、多分、二人分必要でしょ」


「うん、お母さんにはケイのことカレシって言ってるから」


「そ、そうなんだ。それは光栄だな」


「ホントに付き合っちゃう? 司とさくらは私が説得するからさ」


「嬉しいけど、僕は千景もつーちゃんもさくらも、みんな好きだから。それはできないよ……」

 

 僕がそう言うと、千景は不満げに口を尖らせた。


「じゃあ、今日一日限定でケイは私のカレシ。それなら、いいでしょ?」


「う、うん」


「私はケイの何?」


「えと、千景は僕の恋人。カノジョってことだよね」


「うん。よく言えました」


「あはは……」


 ホテルに着いたら、充電して、お父さんとあかりにも連絡しておこう。

 今日は泊まりになるって。


 まだ雪は降り続いている。

 僕と千景は手を繫いで、イルミネーションで彩られた町を歩いた。

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