12月10日 Side涼1
「ただいま」
シューズボックスの上のケースに鍵を入れる。
部屋は真っ暗で誰もいないことを物語っているが、小さい頃からの習慣は今でも残っていて誰もいない部屋に「ただいま」と声をかける。
その返事をもらうことは今はほとんどない。
母親の美月は夜遅くに帰ってくるし、朝は寝ていることがほとんどだ。だからと言って不満に思うこともないし、仕事で疲れている母親に変わって家のことをするのは嫌でもない。
少し寂しく感じることはあっても、お店に行けば母親の顔は見れるし私の為に一生懸命に仕事をしていて、私にたくさんの愛情を注いでここまで育ててくれたことにも感謝をしている。
リビングのテーブルにスーパーで買ってきたお惣菜を置いて、自分の部屋に向かう。
文庫本と漫画が入った小さめの本棚、参考書や教科書、バスケに関する教本が置かれた勉強机、窓際に置かれたシングルベッド。ベッドの下には衣装ケースが置かれ今は夏服が収納されている。
年頃の女の子の部屋としてはシンプルすぎる部屋の机には写真立てが一つ置かれていた。
幼い女の子が笑顔でこちらに向かってピースサインをして、両隣には父と母が笑って写っている。
家族3人で写っている唯一の写真は寂しくも大事な宝物である。
ドサッと床に背負っていたリュックを置いた。
時計は夜の8時半を示していて、またすぐに家を出て喫茶みづきに向かう予定だ。
ここからそれほど離れていない場所にある喫茶みづきは凪沙が入ってから以前より忙しくなったと聞いている。
前より帰りが遅くなった母親には少し疲れが出ているように見えていた。
「涼ちゃん!いらっしゃいませ〜」
凪沙の笑顔で出迎えられる喫茶店はそりゃ人が増えるだろうが、人タラシで色んな人を惹きつけてしまう部分には不安しかない。先月の元彼のこともあるし、あれから送る時は必ず家の前まで凪沙を送っていくようにしている。
店内を見渡せば、数名のお客がまだいるみたいでコーヒーの香りを漂わせている。
「凪沙そろそろ帰れそう?」
「ちょっと待ってね。まだ片付けとか終わってないから」
「わかった」
私はカウンター席に腰を下ろした。
キッチンから母さんが出てきて私を見て、ビクッと目を大きく開けた。
「あ、涼……おかえりなさい」
「ただいま」
母さんは口元に笑みを浮かべた。
「早めに凪沙ちゃんには上がってもらうからちょっと待ってて」
「いいよ。待ってるから」
「……そ、そう?」
普段は疲れていても明るい性格をしているのに、いつもと違って疲れた様子を見せる母さんは眉を下げて申し訳なさそうにしている。
「母さん。疲れてる?大丈夫?」
「大丈夫よ。今日はいつもより忙しかっただけ」
母さんはカウンターから出るとそのままテーブルの片付けを始めた。
凪沙が上がる時間になり更衣室で着替えてからお店に出てきた。
「お待たせ涼ちゃん」
「うん」
「美月さん。お先に失礼します」
「お疲れさま凪沙ちゃん」
カランカランとお店の扉を鳴らして外に出た。
学校の制服にマフラーを巻いた凪沙が口元までマフラーで隠した。
日中より寒くなった外の気温で昼間よりも白い息がはっきりと現れた。
ジャージの上から羽織ったジャンバーのポケットに手を入れて、できるだけ肌が外の空気にさらされないようにしているが、隙間から入ってくる冷たい風で手は冷たくなっていく。
「涼ちゃん……」
「ん?」
隣に並ぶ凪沙が私を見上げてくる。
マフラーで隠された口元で表情はあまり読み取れないが、赤くなった頬がマフラーの隙間から見える。
凪沙の手が私のジャンバーのポケットに入り込んで、先に居座っていた私の手を握った。
驚いて声すら出ない。
ふふ。と声がして凪沙の目が細められた。
「あったかいねぇ」
私の手より冷たい凪沙の手が私の手を絡めて握られた。
「今日はどうしたの?」
「何が?」
「手……繋いでくるから……」
昼間も手を繋いできていたし、今なんてわざわざポケットにまで手を入れて、しかもポケットの中では恋人繋ぎをしてくるなんて……
「なんでもないよぉ〜」
凪沙が笑いながら前を向いて歩いている。
何がそうさせているのか、普段こんなに積極的に手を繋いでくるなんて事なかったのに……何でもないなんて……
絶対何かあったでしょ……
でも、私は握られた手を離すつもりは全くない。
ていうか、可愛い……
マフラーで口元は隠されていても、笑っているとわかる目元。
私の手より小さめで少し冷たい手。
わかった!これはあれか!私を恋に落とす為の接触!凪沙が私を恋に落とそうとしている!!
一つのポケットに2人で手を繋いで入れるなんてこんなの恋人じゃん……しかも、恋人繋ぎだし……こんなことされたら誰だって勘違いするよ……
私の事好きなんじゃないかって思っちゃうじゃん……
勘違いするな。凪沙は私を恋に落とそうとしてるだけ。
私のことを好きって事じゃない。
勘違いするな。
改札を通る時に離された手はそこから普通に手を繋ぐだけに変わり、凪沙の家までそのままだった。
「送ってくれてありがとう」
「うん……」
離された手の間に冷たい風が通った。
急に寂しい気持ちが押し寄せてくる。
遠ざかっていく凪沙の手首を掴んだ。
「どうしたの?」
これは私が凪沙を恋に落とすための接触だ。
私を見つめてくる茶色い瞳はずっとずっと前から私を惹き寄せる。
私は凪沙の頬を優しく撫でて軽く上を向かせて、少し驚いたように目を大きくした凪沙の唇に私の唇を押し当てた。
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