Day021 花より甘味
「何か良いことありました?」
ラジオから流れる古いジャズを背景に黙々とジェラートを口に運んでいたハギナガの手が止まった。問いを投げたのはカウンターの向こうでドリンクを作っている青年だ。
「……いえ、特には?」
「そうかな……すごく顔が和らいでいらっしゃるから」
落とし物をきっかけに、ハギナガは青年のジェラート屋で週末の夜を過ごすようになっていた。共有した時間は決して多くはないが、二人の間には店員と客以上の親しさが生まれつつある。そんな遠すぎず、近くもない間柄だからこその曖昧な会話は、少なくともハギナガにとって気を張らずにいられる心地好い隙間の時間に感じられていた。
出来立てのドリンク──今夜はシンプルなミルクティーだ──を差し出しながら、青年はジェラートの残りにスプーンを立てているお得意様をなおも見つめる。自分の感じた違和感が気のせいだったのか、と疑うような視線は注目を集めなれていないハギナガにとってはこそばゆいものだった。やがて青年は追求を諦めたように視線を手元へ戻しながら、独りごちる。
「彼女でも出来たのかなって思いました」
「……あのねぇ……仮にそうでも、流石に分かりやすく浮かれるほど子どもじゃないですよ」
「ハギナガさんは大人ですね。僕は浮かれちゃうなぁ」
ハギナガの長くはないが短くもない時間の中で得た経験に沿わせると、青年がショーウインドウに投げかける視線は特別な想いを抱く人のそれに似ていた。何度目かのむず痒さを背中に感じながら、青年の手からあたたかいミルクティーを受け取る頃には青年はいつも通りの柔和な笑みを頬に浮かべている。彼のほうが余程大人じゃないか、という感心は少しばかりの悪戯心に水を遣った。
「良いことならありましたよ」
外の桜と同じくらい華やいだ青年は疑問と、ほんの少しの期待を滲ませている。カップに口をつける、放す、一通りの動作で一拍も二拍も置いて、やっと悪い大人は口を開いた。
「……やっぱり、内緒です」
拍子抜けした人というのは何故か口がぽっかりと開くらしい、とフィクションの中にしか見なかったリアクションを青年は素でやってのけた。勿論、それを見て悪い大人がこらえきれるはずもない。少しずつ長くなり始めた夜の真ん中にハギナガの快活な笑い声が溶けていった。
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