第3話

 怨霊。まあ、音量のことではない。


 この世界において、魔法というのは所謂科学分野に比べてまだまだ未発達な部分が多い。

 怨霊もそういうところが如実に出ている研究分野で、聖なるものなら退治できること、人の死がきっかけになること、そして負の感情が彼らを強く呼び寄せることしかわかっていない。


「わたしは、親が厳しくて、さ」


 委員長が言う。曰く、”親から色々と完璧であることを強制されてきた”、”上手くやれてきたけれど今回負の感情で怨霊を呼び寄せてしまった”、”こんなこと言えないから祓ってほしい”、と。


「なるほどねえ」


 これで、ぱっと”じゃあ祓うね!”って言える人間だったらそれはそれで良かったのだが。


「ーーそれ、家庭の事情だと思うんだけど」

「……え?」

「委員長は、怨霊を呼び寄せるぐらい親の束縛に悩んでいる、と。ならそれは親に話して妥協点を探すべきじゃない?」


 そう言うしかなかった。

 事実、目に見える心の悩みなのだから、現状を説明して相談すべきだと、聖奈は感じた。それに基本的に霊関係なら冷媒事務所に相談するのが一番速いし危険が無い。アマチュアが手出して逆にひどい目に遭うことだってあるだろう。

 聖奈が告げると、委員長ーー足利愛華は目を伏せ、親友の美紀は視線を鋭くした。


「ーー聖奈。それはそうとしかいえないけれどー、今回は、ごめん、ちょっと違う」

「どういうこと?」

「委員長、見せるね」


 そう言うと、美紀は座っている委員長の後ろに回り込んで、首のワイシャツのボタンを開けた。

 何をここでするつもりなのか、まさかここでえっちなことでもするつもりなのかーーと思ったが、すぐに得心した。


 ーー酷い痣があった。


「……美紀、それ怨霊由来?」


 首を振る親友。


「……児相とか、そういうのは」

「私が事情知った時に試した」

「……マジ?」


 事態の酷さをそれで認識する。胸が、ああもやもやする!


「……ほんと世間はどうなってんだろうね、クソ」

「ごめんなさい、わたしがもっとしっかりできてれば、七海さんにも迷惑かけなかったんだけど……ごめんなさい」

「いや、大丈夫。委員長は……何も悪くない。悪いのはその親と世間だし」


 こうなってくると事情も知らず”余裕がなさそうだなあ”と呑気に思っていた自分にも腹が立ってくる。

 と、同時に。今ここに自分がいることの必要性、というのも理解できた。

 はあ、とため息をつきながら、目の前の少女を見据える。


「……やろう。なんとかする」


 ーー別に世界を護りたいみたいな、高潔な意思は聖奈にはなかった。

 けれど、手の届く範囲で自分の力が必要ならば、手伝うぐらいの善性は捨てたわけではなかった。


「……いいの?」

「いいよ。必要なものもこっちで用意する」

「で、でも費用とか……」

「ーーそんなの将来のツケでいいよね、聖奈!」


 親友が笑う。正直どう対価を支払ってもらうかは悩んでいたが、それでいいや。


「……ん。それでいい」

「……ありがとう、本当にありがとう、絶対絶対将来何倍にして返すから」


 委員長はうつむいて、目から涙をこぼしている。

 ーーまったく、どうしてこうなってしまったのか。


 ※


 打ち合わせをして、怨霊退治決行は二日後、ということに決めた。

 そうなってくると、多少準備ということをしなければならない。

 翌日、聖奈はーーホームセンターを訪れていた。


「……買うか」


 聖剣に対する魔法体所持申請許可は、いつの間にか聖奈名義で母親が出していたので問題が無かった。法周りが大丈夫なら、次は負けないように、死なないように準備をしておくのが大切だ。怨霊というのはいわばスズメバチのようなもので、人の手で駆除は可能だが適切な装備が無ければ普通に死ねる。

 歩いて目当てのコーナー、”地鎮・霊対策”コーナーへと足を踏み入れる。


「ここ初めて使うかもなあ……」


 八百万の神が住まうと言われているこの現代日本において、趣味で家庭菜園などをするとき地鎮やお祓いをしておくことはわりと常識になっている。正確に言うと、それをしたほうが明らかに育ちが良くなるらしいので、豊作のためのセオリーになっている、とでも言うべきか。また、路上に現れる霊に対する護身グッズも今どき人気だ。特に若い女性が夜一人で出歩いているときなんかは狙われやすい。牽制となる清めアイテムはあるに越したことがない。


「……高いなあ」


 50mlサイズの聖水スプレーや、清め用の札。鞄や懐に入れておくタイプの護符と退魔のお守りを買い物カゴに放り込んでいく。本当は大幣ーーお祓いの時神主が振ったりしているアレーーも欲しかったが、値段と実用性的に断念。やはり魔法協会の認可が通っている製品は高い。高いが、インチキ品を掴まされて死ぬよりはマシだ。そもそも友達が死にかけているというのに出し惜しみするもんじゃないし、そも全てが終わった後に大人たちから費用をむしり取れば良い。


(……あれ?)


 などと思っている最中、普通に自分が笑っているのに、聖奈は気がついた。

 と同時に気がつく。ああ、これは少し楽しんでいるのか、と。

 おそらく世の中、緊急事態に輝くタイプの人間と、平常時に仕事をしっかりするタイプの二種類が存在するが、自分は前者だったか。だから世界がつまらなかったのか。

 ……考えていても仕方がないが。


「ま、いっか」


 それだけ呟いて、レジに並んだ。

 樋口一葉が飛んでいくぐらいの値段だった。

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