ふるふるてるてるほどほど

「てるてるぼうずになりたい」

 窓枠にやわらかな頬を伸ばし乗せ、てんは遠くの空を見ていた。最も高い塔でありその天辺に程近いこの部屋からは、かなり先の距離の森で連日振る雨を見ることが出来た。


 てんの視線の先を見たゆたきが「ああ」と頷いた。


「あれか。うーん、そういや、あそこは干からびかけてる湖があったろ?水溜まった方が森に住む生き物に良いんじゃねぇか?」


「数日前に充分な量が溜まっておろう。後は溢るるを待つばかりじゃろうよ」


 てんも訪れたことのある湖が今も変わっていなければ、あそこはとうに溜まり、察知した生き物は避難をしているのだろう。


「え、そうなのか」


 ゆたきは書類を机にバサリ、と置くと森を眺めに来た。

 ゆたきが動く度に生まれる風の勢いは、その人の生きる気配を存分に含んでいる。

 それを感じつつ、てんは窓の桟をギュッと握り締めて再び森に目を向ける。

 あの森に人は居ない。

 雨が少なくなっても木々は気丈に森であった故に大半の生き物は居を据え続けたが、近い過去に人々は森を離れていた。

 近いと言えど、赤子が中年になれる程の時は流れている。その間、人々は森へ足を踏み入れなかった。

 つまり、あの森の実態を知らない人々ばかりなのだ。

 楽子以外の人々は、だが。


 あの土地を研究に使いたいと購入したのは楽子の一人であった。

 てんの祖母、かずら。

 かずらの意図を知らずとも、森に住んでいた者たちは言い値で売った。金が旅立ちに必要だったからだ。

 その額は今既に干上がりつつある土地にしては高額で、いくら個人の行動にあまり口を出さぬ楽子であっても、当時の当主が一言申したそうだ。

 そう、たった一言だけ。本気で止めるつもりではなかったようだ。

 そして、かずらは当日中に地主となった。

 その日からかずらが森で何の研究をしているのか。人々は様々な説を唱えたが噂に過ぎず、かずら自身の口から語られる事がない段階で楽子も口も手も出さなかった。

 何の資料も纏められぬまま時だけが過ぎた。

 ある人々は森を忘れ、ある人々は研究をしている森と忘れ、ある人々はかずらを忘れた。


 そうして時が過ぎ、てんが黄身を潰さずに生卵を割り出せるようになった(十回に一回は)ある日。

 かずらは一冊の本を楽子の図書館に寄贈した。

 題名は『枯れるはずの森』。

 ふむふむ、さすがかずらちゃま。シンプルイズベストなのじゃ。

 てんは早速読んだ。

 なんせ、かずらちゃまが寄贈の手続きをしている瞬間に偶然立ち合えたのだ。借りん訳にはいかんかろう。

 かずらが司書に渡した瞬間に「借りまぁぁぁす! 」と叫んだので司書とかずらちゃまにしこたま怒られたがそんなの気にしなかった。うちょです。暫く夜トイレに行けなくなるくらいビビりまちた。てんこれから、図書館で大きい声、絶対出さないもん。

 何はともあれてんは読んだ。そりゃあもう読んだ。何度も読んだ。

 夜更かししようとしたら、あの大きなおめめを潤ませたまひろに「てんさま、まひろとごろんしてくれないのですか?」と言われたので夜更かしは出来なかったが悔いはない。

 寧ろまひろとごろん出来ないなんて悔いしかない。


 そんなこんなでてんはかずらの研究の一端を知った。

 森が研究そのものであったのだ。

 詳しくはてんの口からは言えないのじゃ。え?説明出来ないだけでは?いやはやまさかまさか。オホンッ。

 ともかく、かずらの研究が長い年月を経なければならないものであるのも承知した。そしてそれを継ぐのはてんやも知れぬという事も。

 はてさて、乾燥に強い生き物たちだけが住む大地に、果たして水は上手く染み込むのだろうか。

 今日こんにちのかずらはして、なんと思い、なんとしようとしているのだろうか。


  窓枠は石で出来ているのでひんやりと心地よかった。てんの頬を程よく支えてくれる。

 程、程か。うぬ、良い言葉じゃ。程程程ほどほどほどほどほど。


「何事もほどほどがよいのお。ほどほどほどほどほどほどほどほど」


「ほどほどがほどほどじゃねぇぞ」


「ほどほどはいつでもほどほどじゃ」


「なんじゃそりゃ」


 文はぶっきらぼうだが口調は優しい。なるほど、ゆたきはほどほどである。


「ゆたきはほどほどじゃのう」


「喧嘩売ってんのか?」


「ありら?」


 何故だか怒られたので、てんはほどほどをほどほどに止めた。


 真上を見上げると、やわい日の光が照らしている。

 ここのおてんとさまは見事ほどほどじゃ。


「あ」


 ゆたきが大きく唸ったので、てんはぴょんこと飛び跳ねた。


 まさか。


「おやつの時間か!?」


「ちげぇ。ほれ」


 ゆたきの指す方をてんは見た。

 あれ程重ね重ねになっていた黒色の雲の群れが、見る見る内に散り散りになって行く。

 散った雲は伸びて色も薄まり、まるで今まで無かったかのように消えて行った。


「てるてるじゃのう」


「ああ、ありゃあてるてるだな」


 ゆたきはあはははとカラカラ笑う。

 てんもあぱぱはとカラケラ笑う。

 やはりほどほどはよいのう。

 ふるふるもてるてるもほどほどがよいのう。


「てーんさまーっ! 」


「およっ!?」


 階下から突然響いた大声に、てんは口をホの字に開け背筋を伸ばした。体と声は俊敏だが、心はそんなに驚いていない。

 てんを呼ばっている子の声は大きいだけで落ち着いており、何よりその子は、てんの大好きな子であるのだから。

 その動作ほど驚いていないのを知っているゆたきはのんびりと椅子に座り本を開くと、「呼んでんぞ行って来い」と手をひらひらさせている。

 では、お言葉に甘えて。お言葉がなくても甘えるがの。


「てぇんさまぁー! あっ! てんさま!」


 パタパタぱたぱたと靴を鳴らして走ってくる子に、てんは両手を広げ全力で走った。


「およよっ!?まぁーひろぉうー。まぁーひろぉうーじゃ、まぁーひろぉおおうー」


「まひろ、だ。へんな呼び方すんな」


 てんがまひろの元へ着くに、てんは二割まひろは八割を走った。てんは走ると遅くなる。歩くのは速い。なんでかは分からぬ。そして、早歩きをしているてんを見た者の中には、夜お手洗いにいきにくくなる者が居るとゆたきから聞いた。

 なんでじゃろうかのぉ?あれか、てんのぷりちーさを反芻するからかのぉ?


「ふふふ。てんさま、ようやくお会いできてうれしいです」


「てんもじゃあー。ようやくぅのまひろーまひまひまひまひまひまひろぉー」


 まひろのぷにぷに頬を自らのもちもち頬で堪能する。

 ぬはっ。ぷりちーじゃ、これこそぷりちーなのじゃ。


「ようやくもなにもお前ら朝一緒に飯食ったろうが」


 ああ、ゆたきよ。会いたいに朝ごはんも昼ごはんもおやつも夕飯も夜食もつまみ食いも関係ないのじゃよ。


「朝は朝じゃからのぉ」


「そうなのです。朝が過ぎたらてんさまに会えないなんて、朝以外嫌いになっちゃいます」


「へぇ」


 ゆたきは気の無い返事をして、肩掛け鞄を椅子から引っ張り持った。

 おお、ゆたきよ。あまり引っ張るでない。もうちょっとで肩掛けの付け根部分の糸が切れそうじゃから。ゆたきは編み物は得意じゃが、縫うのはぶきっちょさんじゃからのぉ。てんが後で縫うてやらんとならんのぉ。よきよき。日頃の愛を込めてそりゃあもうがっつり縫うておこうかの。


「ちょっくら水の東の10塔行ってくるわ」


 ふむ、ゆたきがお出掛けじゃ! まひろよ!

 てんがまひろを見ると、まひろは眉をキリリとさせ、力強く頷いた。

 はああぁぁ、頼もしきまひろもぷりちーである。


「ゆくぞ、まひろよ」


「そうですねぇ、てんさま」


「あん?」


 てんとまひろは片手を繋ぎ、ゆらりゆらりと全身を揺らしながらゆたきに近付いて行く。

 その独特なリズムにゆたきは「な、なんだ?」と思わず後退っている。

 むふふ、すばらしかろう。まひろと二人で編み出した名付けて! 昼寝したいのに出来ない時の眠気の波のようなリズム、である!


「ゆたきぃー! 」


「ゆったきー! 」


「だああっ! 」


 突然の俊敏さに驚いてゆたきは仰け反ったが、てんとまひろはすかさず飛び付き腰や胸にしがみつく。


「ゆたぁーきー、行ってらなのじゃー」


「ゆったきー、行ってらっしゃいなのですぅー」


「どぅお、お前ら、もうちょい普通に言ってくれや」


 脇汗出たわ。と言いながらゆたきは二人の肩をぽんぽんと叩いた。

 ふむ?おんやまぁ。

 てんとまひろは小首を傾げた。


「ふちゅうにしてもゆたきには失礼じゃろう」


「どういう事だ。普通にしても失礼じゃないわ。むしろ普通にしてくれた方が礼儀がなってるだろ」


「ゆたきに?どうして?」


「まひろ、それはおれの台詞だな」


 ゆたきが長い溜め息を吐いている。

 おんやまあ、溜め息長いのぉ。なんでかのぉ?

 しばらくまひろと二人でゆたきをぎゅうぎゅうしていると、「てん」と扉の方から声が掛かった。

 この声は!

 振り向き、相手の姿もろくに見ずに走り出す。


「かずらちゃまだーかずらちゃまだーかずらちゃまーてんーてんだよー」


「かずらさま。まひろですぅ。ごきげんうるわしゅうでございますぅ」


 てんとまひろがかずらにわらわらと寄ると「はいはい。孫と孫のよき者たちの名は我でも忘れんぞ」と苦笑まじりに返される。

 かずらちゃま、すてきクールんじゃのぉ。すてきクールん。ありら?すてきクールん?なんと、てんは天才かもしれぬ。なんてよき言葉を思い付いたのじゃろうか。呟きながら帰宅しようかの。


「かずらちゃまどしたのー?あちょぶ?あちょぶ?てんとあちょぶあちょぶするの?」


 かずらの周りを半円を描く様に横幅跳びで移動していたら、頭を鷲掴みにされ止められた。


 うむ、ここで一句。

 かずらちゃんの 手のひらてんの 頭部より広し。

 うむ、字余りしちゃのぉ。


「遊ぶに近い。茶の誘いに来た。ゆたき、お前もおりんさい。水の塔からあちらが来る」


「よ、宜しいのですか?」


「問題ない。距離の都合でそうなった。気兼ねせんでよい」


「分かりました。かずら様、教えていただきありがとうございます」


「かずらさまぁ。お席のご用意出来ました」


「かずらちゃまー、てんのおとなりーおとなりー」


「はいはい」


 ゆたきとかずらが話している間、てんはまひろとちゃんと茶会の準備をしていた。

 えっへんなのじゃ。


「童たちがわらわらしとるな」


 かずらは目を細めて笑む。

 ふむ、かずらちゃまかわゆき。え?わらわたちがわらわら?ぬぁっ! ぬぁっ! ぬぁっ!


「あぱばばあぱあはあはあはあははっ! かずらちゃまジョークじゃー。あぱらぱあばあばあははっ! 」


「お前の笑いがほんと独特過ぎておれの笑いが消えるんだが」


「まひろがこちょぐりますか?」


「そういう笑いはいらない」


「あらま?」


 あーん。小首を傾げるまひろかわゆきかわゆき。


「かずらちゃま、良い香りのお茶ですじゃの」


 席に着き、出された茶の芳香に鼻を突き出す。


「黒豆だ」


「黒豆。香ばしいですのぉ」


「てん、昨日の茶菓子何処やった?」


 ありら?バレちったのぉ。


「ゆたき、古い菓子をかずらちゃまに出すわけにはいかんかろう」


「キリッとしてるけど一人で食ったってことだな」


「なはっ」


「なはじゃないだろ、なはじゃ」


「まひろ、金平糖持ってます」


「ああ、それはまひろのだろ。持ってろ持ってろ。茶菓子はまだあるから……あった、煎餅。味、いろいろあります」


 まひろにお菓子を仕舞わせるゆたき。うむ、かっこよきかっこよき。


「我は塩を」


「てんはざらめぇえー」


「まひろはしょうゆです」


「おれは胡麻」


「私は青海苔」


「うぅおおおぅおぅ! ビックリしたー! びっくりしたー! はっ?だはあっ! 当主様!?すんません! 大声出しちゃって申し訳ありません! 」


 ゆたきは飛び上がって驚いた後、飛び上がって席を立ち、頭を下げては上げてを猛烈に繰り返している。

 あれ、血の気あっち行ったりこっち行ったりせんかの?脳貧血大丈夫かの?


「うん、落ち着いてゆたきくん。ほら、水羊羹持って来たから。一人一個以上あるからね」


 微笑んでいるのはてんの祖父であり現当主。ゆたきが会いに行くはずだった相手である。

 はて?なんて名前じゃったかのぉ?ありら?まちゃわちれたのぉ。

 実は祖父の名を覚えていられないのはてんだけでない。なんか呪いでも掛けられてるのか?との疑いが連日出る程度に誰もが祖父の名を覚えていられない。のでみんながみんな、当主様と呼べる事に一安心しているのは周知の事実である。


「てん、まひろ、一つにするがよい。あいつの水羊羹は甘いからな」


 ほれ、かずらちゃまですらあいつって呼んでおる。いや、そこは当主でよいのではなかろうか。ふむ、覚えていてもいなくても、かずらちゃまはあいつ呼びなのやも知れぬのぉ。


「当主様、当主様のお名前まひろまた忘れてしまいました。ごめんなさい」


「あ、おれもです。ごめんなさい」


 素直なうちの子達かわゆきかわゆき。ハッ! かわゆき二人にかわゆきてんも混ざらねば!


「てんもー! てんもてんもー! ごめちゃーい!」


「おいこら。からかってんのかけなしてんのかケンカ売ってんのかどれだ」


 ゆたきにおこらりた。


「アハハッ! てんは元気だねぇ。まひろもゆたきも大丈夫だよ。私自身ですら忘れてしまうのだから」


 それは別の意味で大丈夫なのでしょうか、おじいちゃま。


「ゆたき、菓子を食べたら勉強会しようか」


「はい、当主様」


「てんはー?」


「もうちょっと年を重ねてからね」


「はーい」


 躱される事は分かっていた。

 当主直々に勉強会をしているのはゆたきのみ。何故かてんは勿論、時期当主になり得る楽子の誰もがそこには入れていないのだから。


「さて、かずら。お腹の膨れたてんとまひろを温室に連れていってやってはどうかな?花がよく咲いているそうだよ」


 成る程、こちらにある書物が入り用らしい。


「……そうじゃな。てん、まひろ、花を愛でに行こう」


「おはなーお花てん好きー」


「まひろもですぅ」


 てんはわざと高い声を上げたが、まひろはきっと素である。

 かわゆき過ぎてはなぢ出そう。


「おじいちゃままたねーゆたきまたねー」


「当主様ごぜんしつれいいたします。ゆたきまたね」


「いってらっしゃい、てん、まひろ。かずら、二人を宜しくね」


「あい分かった」


 ゆたきは無言で手を振り返して来た。

 なんちゅう顔しとるんじゃ、ゆたきよ。そんな、悪いことしちゃったどうしようはきそう。みたいな顔せんでよい。そこにおるんはてんでもまひろでも他の楽子でもないでよいのじゃ。当主は何を考えとるか分からぬ御仁であるが、邪な人ではないとてんは踏んでおる。なので当主に心配はまったくしていない。むしろゆたきじゃ。ゆたきの汗が減るように、当主にはもうちっと気を使ってもらいたいものじゃの。


「ゆたき、明日のてんの皿に茶菓子増やしてたもれ」


 それで許しちゃる。いやいや、許しも何もてんはなんとも思っておらんがな。ゆたきの気を晴らすに言うておるだけじゃからな。

 ゆたきはへにょりと笑むと「分かった」と言った。


 ふむ、当主様。ゆたきに笑みがあると言うてもこれではのぉ。

 しかしてんはなんとも言わない。言わないで廊下へ出る。違うのぉ、言えないんじゃの。言える程の力を、てんはまだ持っていないから。


「てん」


「はい、かずら様」


 思考中に聞こえた、ピシリと湖の氷に割れ目が出来た時のようなかずらの声に、つい姿勢を正してしまった。

 つい、ちゃま呼び変えちゃったし。あぱは。


「お前は、待て」


 待つ?何時まで?何処まで待てば、ゆたきのあの笑みを見ずに済むようになるのじゃ。


「待ち、蓄えよ」


 何をじゃ。脂肪か。なんとも偶然にも昨日から太ももで増えてございますが?


「まひろと共に」


 まひろ……まひろ……まひろとともに!?

 まひろにたっぷんちょになれと?それは! それは。それは……きっとかわゆきじゃろぉのぉ!


「んぐべっ、んぐへっ、んふっんふっんふっ」


 ぶふぐふんっふ、と笑うてん。

 それを見て「てんさまご機嫌ですぅー」と喜ぶまひろ。

 頭に手を当て「これでか。変なものでも食うたのかと思うたわ。我が孫ながらまったく持って分からんな」と嘆くかずら。


「てんさまはシャイさんですからー」


「これでか」


 シャイ?かずらは傾げそうになった首をかろうじて止める。

 シャイか?執務室に西瓜を抱えて飛び込んで来て「スイカー!」と叫んで帰って行った子が?訓練中の護衛達を横目にバーベキューを始めた子が?分からぬ。我には分からぬ。シャイか?これはシャイなのか?


「んぎふっ、んぐふぇっ、ぬあはむ、ぬあはっぱららぱっぱらーん」


「てんさまご機嫌で嬉しいですぅー」


「それは左様だが、これはよいものなのか」


 ああ、なんてことだ。てんの笑い声で渡し通路の手摺に停まっていた鳩も雀も逃げて行く。鳥はいい。翼がある。我には空を飛ぶ力がない。よって、聞き続ける他無い。


「まひろぉー!!! 」


 てんの叫びにかずらの肩が跳ねた。

 うん、驚いた。いや、本当に驚いた。何故叫ぶ。目の前に居るのに何故叫ぶ。


「はい、てんさま」


 悠然と応えるまひろをかずらはこやつは大物じゃ。と認識した。


「まひろぉー! すっきじゃー! てんとともに生涯おうてたもれえええええ! 」


「うふふ、もちろんですぅ。まひろはてんさまとすえなごうおりますゆえに」


 てんの大声に鳥たちは空へ逃げ、散歩中の犬は尻尾を股に挟み、日向ぼっこをしていた猫たちはフシャーッと毛を逆立てた。道行く人の半分は見ないように過ぎ去り、半分は微笑んでいる。


「今この場面に居合わせた事、喜ばしく思うべきなのだろうが何故だろう。奇々怪々さが否めない」


 かずらの大きな一人言に、同感です。とでも言うように通行人数人の首が揺れた。


 てんの叫びは続く。


「まひろおおぉー!!!」


「てんさまぁー」


「あはあはっぬあはっあっぱばらんぱぱらん」


「うふふふふ」


「帰りたい……温室なぞ行かなくてよいのでは?」


 帰ろうかな。

 かずらが半ば実行しようとした時、てんが両足を広げて深呼吸をした。


「はーっ、スッキリじゃスッキリじゃ。さて、かずらちゃま、温室行きましょ」


「行きましょですぅ」


「え?そ、そうか。では行こう」


 まひろと手を繋いで歩き出すてん。二人ともニコニコと笑みが絶えない。先程までの喧騒が嘘のようである。

 うん、我は明日から休暇を取ろう。そうしよう。暫し自然とふれあいたいのだ。

 かずらは明日の休暇の時間を想いながら進むことにさた。


 この数分間でたっぷんちょなまひろとたっぷんちょな自分の一生涯を想像し尽くしたてんは、何故だか先程より小さくなったように見えるかずらの背を追いながら、この生涯にゆたきの居ない事なぞ有り得ないと再確認した。

 かずらの言う言葉の奥など正確には分からない。

 今はそれでいい。

 ただひとつ、まひろとゆたきの手を離すつもりは欠片も無い。あってはならないが万が一離す時が来たならば、足だろうが口だろうが己のすべてを持って再び掴み取るであろう。

 てんは楽子だ。そして楽子とは、すべての可能性への分岐点である。その先には道がある。てんは只今より、そのどの道にもてんが居ると仮定する限りまひろとゆたきも存在すると確実に己に義務付ける。


「なんのお花が咲いているか楽しみですねぇー」


「そじゃのぉ」


 道を決めずとも進み方は決まった。はてさて、この先には何があるのか。それともないのか。


「てんさま」


「ん?」


「まひろとおはなしもっとしてほしぃですぅ」


「うんぬぐあはっ! 」


 考え事をしておる場合ではなかった! かわゆきっ! なんともかわゆきいいぃ!


「まひろおおおおおおおおおっ!」


 かずらの全身がビクッと跳ねた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る