木漏れ日のみちすがら

 道すがらに蝶を追う。


 やんわりひんらりと舞う速度は意外と速く、片手に持った二本の硝子瓶をカラランコラランと鳴らし続けても追い付けない。


「少々かからしい音だな」


 音が気に掛かるのであれば一本ずつ持てば良い。もしくは瓶の口元を指の間に挟みぶら下げるという不安定な持ち方を変えれば良い、のに、そうせずふらりフラリと蝶を追う。


 翠の輝きがふわりひらりと進んでいく。と思いきや後ろ、つまりこちら側に戻るので止まれば何でかくるりとあちら側、つまり前に行く。

 花を食すことも、木の葉に休まることもせず、ひらひらすぅーひらと進んでいく。

 蝶なんぞ、たまに視界の端に映る位で我関せずなものであった。あんな健気に飛んでいるとは知らなかった。


「綺麗っちゃあ綺麗だな」


 それは、あの子がたまに目で追うものだ。

 あの子の目に映るものである以上、追わんでも良いと切り捨てるまででもない、という認識はあったが、敢えて自分の目で視ればそれなりに面白いものだった。


「しかし、ふらつきすぎじゃあないんかねえ」


 ふらつき加減を評されることがしばしばある身としては、その具合に親近感を覚えんでもなく。


「そちらさんには言われたくなかろうよ」


「だっひゃぁぁがぁぁぁ!!」


 驚き屋と一部から呼ばれる自分が、突如掛けられた声にスッ転ばなかったのは、一重に側に立つ木の丈夫さ故だ。

 肩と尻を木に支えられ、運良く割らなかった硝子瓶を胸に抱える。


「おぉきい声だねぇほんっとに」


 耳を抑え長い髪の間から目を三日月にしている人の服の色は、ここの木々と同化していた。染め具合が絶妙である。

 さすが染色屋きーさん。


「なんだあ、きぃさーん、驚かさないでよお」


「そりゃどうも」


「いやいや、褒めてないから」


 前々から思っていたが、照れたように髪に手をやるこの人は、人を驚かすことに秤が傾いているようだ。なんの秤かはよう分からんが。


「その中身、どんなんだね」


 節の大きい指が瓶を指す。


「ああ、これ?炭酸カッコなかなか甘いカッコ閉じ」


「ちっとおくれ」


 手提げ鞄から出した取っ手付きコップは、艶やかな空の色だった。


「一本あげるよ」


「なんで」


「手伝いの駄賃にもらったんだがよ。一口味見したら、俺にゃあちっと甘いんだよ。あ、もちろんこっちは蓋開けてない方」


「じゃあ遠慮なくもらうかね。それと、余計なこと聞くけど、そちらさん」


「えっ?なっ、何?」


 やだ、きーさん、真顔はやめて。ドキッとするから。その顔は弟子の作品確かめる時だけにして。


「何で蜻蛉は追わんのかね」


 トンボ?ああ、そうだったのか。蜻蛉も飛んでいるのか。


 スイスイ飛ぶ姿は見ている分にも速く、あちらこちらへ向ける首が痛くなってくる。


「飛んでんの知らなかったなあ。いやー、あれは速いなー。走んのやだから追わない」


「そんなもんかね」


「そんなもんだね」


「あい、分かった。これあんがとさん」


「あい、どういたしまして」


「うしお。今日はね、宿題の日なんだよ」


「ええ~、そりゃ大変だ。瓶割らないようにしないと」


 アッハッハッハ!と豪快に笑うきーさん。

 きーさんの言う“宿題の日”とは、きーさんの弟子達が、草木の間やら河川敷や家の扉やらに今まで得た染色の技術を用いて潜伏する日である。

 きーさんにも弟子達にもどれだけ驚かされてきたか数え切れない身としては、脅威の日である。

 自分は驚き過ぎる節のあるもんだから、きーさんは敢えて出てきて教えてくれたのだろう。


「きーさん、どうもね」


「こちらこそ、気ぃつけてかえんな。うしお」


 硝子瓶を鞄に入れたから入らなくなったらしい空色のコップを、指に引っ掻けて俺の歩いてきた道を行くその後ろ姿を、炭酸三口分眺めていた。


 あー、甘い。さて、そろそろ歩き出しますか。


 目を向けた先の先のそのまた先の木漏れ日の向こうに、あの翠の輝きがちらりとまだ、見えていた。


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