そらのうた~ことばあそび編~
はねいわ いみゆう
だじょんと足の速度の法則
「だじょん」
隣の子の声で聴こえた言葉はなんだか聞いたことの無いものだった。
はて、聞き間違いか?
そちらを見たまま口を開いて固まっていたら「だじゅん」と今度は言ったので、聞き間違いでなかったと口を閉じた。
「だ」
隣の子が一音を発した。しかし発したきり次がやって来ない。
“だ”の次は?と待つ。
もう二回り“だじょん”を言えるくらい待ったがやって来ないので、こちらから行くことにした。
「だじゃん」
言った。言ってしまった。
だじょんだじゅんと来たら、だじゃんだろう?
隣の子はゆっくりこちらを見た。目はひんむかれ、口元がピクピクしている。
え、こわい。
あれか、激怒か?激怒なのか?だじょんの主に断りもなく改造したことへか?
はたまた『言いたかったのに!』なのか?謝るべきか?いや、“だ”で止まったそっちにも……うん、ごめんなさい。
そうだな、言いたかったよな。
だって造語(かは定かでないが)の創造主だ。なんでかしらんがいつの間にやら隣にいたどこぞの子に、一世一代の機会を奪われたのだ。そりゃあ目だってひんむきたかろう。
うん、謝ろう。なんなら今日のおやつにとわざわざこさえた、取って置きのあんこ玉を一つあげたろう。
うーん、ちょっとけっちぃな。よし、二つあげたろうではないか。
「あの」
「だじょん、だじゅん、だじゃん」
呼び掛け声は遮られた。
「だじょんだじゅんだじゃん」
更にリズミカルになった。
「だじょん! だじゅん! だじゃん!」
声が大きくなった。
相手はこちらを見たまま口を閉じた。
気付かれないよう、ゆーっくり後退る。
動作は成長する二葉のごとくだが、内心は競争する手漕ぎ舟のオールである。
なんだどうした。やはり怒りか。でないなら共有した喜びか?そうかもしれない。しかしとにかくアレだ。うん、帰ろう。
あんこ玉?渡す勇気がなくなった。一人で食べよう。
「だ」
またか!?また“だ”で止まるのか!?
後ろに引いていた足を止める。
これは噂に聞く、人生の試練というものかもしれない。はたまた修行なのかもしれない。
しかしだ、これが試練だとしても、なんなのだ君は。“だ”の口のままこちらをじっと見て何を望むのだ。
あれか、“だじょん”を言えと言うのか。
ふん。もう言うてやるものか。普段周りをまったく気にしていない自分ですら目を閉じたくなるくらいの視線を方々から感じて走り出したい程の今、“だじょん”なんぞ言えな。
「だぁ……」
待て、なんだ、その“だ”は。なんの覇気も無い、その“だ”は。まさかそんな“だ”を“だじょん”に使うつもりなのか?
それはいかん。それでは“だじょん”にならん。“だじょん”は先の様に放たれるから“だじょん”なのであって、溢れ落としては“だじょん”とならぬ。
……自分は何故“だじょん”を語っているんだ?
何故君は眉をハの字にしているのだ?
何故だかヘソがむず痒い。
まあいい。これだけの熱を生んだ“だじょん”をただ放っていくなぞ、人がすたるというものだ。
仕方ない、ここは一肌脱いで参ぜよう。
「だじょん! だじゅん! だじゃん!」
言ってやったぞ。どうだ、君。
あれ?何故後ろを向く。何故走って行く。待て、この生温い視線の中置いて行くな。視線に温度があるなぞいましがた知ったぞ。君、何故そんなに速いんだ。
……うん。顔が熱い。コレはなんだ。アレか。恥ずかしいというものか。初めて体感したな。
そうだ。自分も走って帰ろう。
ああ、そうか、こういう時に走れるように皆々方は走りを訓練しているのか。
成る程、自分もその時間を用意する必要がある様だ。
「これが、私の足が速いきっかけと理由だ」
「あ、あああの、想像外でした」
せいはあんこ玉を横目で見ている。話を聞くために止められていた両手は膝から離れない。食欲を無くしたようである。
対照的にるるは躊躇無くあんこ玉を口に運ぶ。一粒が小さいとはいえ、少し遠慮したらどうかと思う程には食べている。思ったのは、この後の昼飯が食べれるのかという心配からである。
しかしながら、私が用意したものに遠慮なぞせんでよい。おおいに食せよ、我が子よ。
さて、るる、気付いたか?
手のひらに乗せた分を食べきると、るるは「るるーん」と嬉しそうに笑った。
ああ、愛らしい。
自分の目元が緩んでいるのが分かる。これは致し方ない。愛らしいのはどうしても愛らしいのだから。
あんこ玉をこさえたのは、るるが外泊した昨日だ。外泊先は、るるの乾物仲間の子の家である。
勿論、「お泊まり会に行って良いるーん?」と、私の同意を得てから泊まっている。
そう、私が許可を出した。にも関わらず、るるの口癖の「るん」が聞けない時間が煩わしくせっかくのお泊まり会へと突撃しそうになったので、手間のかかるものをわざわざ幾つも作って気を紛らわしていたのだ。
喜んでいるようで僥倖だ。
いや、僥倖は偶然に得るしあわせのことだったはず。るるは食べ物に喜びを得る子だ。つまり偶然ではない。言い直そう。
るるが喜んでいるようで私は大変嬉しい。
例文のようになったが、事実なので問題ない。 汗だくになったかいがある。
「るん。るるも。お母さんとの出逢いから次に会うまでが想像出来ないるん」
るるは何でもないように何でもあることを言う。あんこ玉に意識の七……八割りが持っていかれているせいやもしれんが。そうか、気付いていたか。
「そこ?え?お母さん!?」
せいは全く気付いていなかったらしい。
「そうだ。“だじょん”の主はるるの母だ」
「やっぱるん」
「ほぉぉぉおー」
せいの口からは言葉でなく息の音が声になったものが出た。ついでに食欲が出てきたらしい。残り一つのあんこ玉を再び見た。
その前に、スッと摘まみ取る。
「時は待たん」
ぽつりと囁き、あんこ玉を日に翳すように見上げてから唇にそうっと押し付けながら食んだ。
明らかに背を丸めたせい。
ふむ。落胆が早い。いかような物事にも、確認は大切である。落胆するのはその後でも間に合う。
「らいあ、あんこ玉、まだあるん?」
さすがるる。希望を捨てない子。食欲旺盛な為かもしれんが。
「台所にもう一盛りあるぞ」
「食べて良いですか!」
せいが食い気味で立ち膝になる。
おや、そんなに気に入ったか。
「良い。ついでに茶を持っ」
「持ってくるん!」
跳び立ったるると競う様にせいが廊下を滑り走って行った。
何?るるも行くのか?待て、るる。あんこ玉も茶もせいにまかせて、昨日のお泊まり会の話を私に。
そう言おうにもるるはとっくに走り去っている。
ああもう、上手くいかん。これでは“だじょん”の主と居た時と同じではないか。
二人が開けていった襖から、涼しい風がカラリとした日の光とともに膝を撫でていく。
時は待たん。どんな物事にも、どんな生き物にも。
るるやせい、私の友人達にとり、その言葉が、どうか、この程度の物事に起こる人生でありますように。
……るるが聞いたら「食べ物を目の前で食べられたのに、この程度じゃないるーん」と口を尖らせそうだな。
膝を撫でている風と光に、手のひらを、そっと与えた。
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