第92話 VS 再び

「待って。マナテアは悩んでいるだけです。そんなに直ぐに決心できることではないはずです」

 サナザーラを押しとどめようと手を伸ばす。彼女の身長が高いので、とても肩を押さえることはできない。しかたなく、お腹あたりを押してみたが、彼女が踏み出しただけ、ダリオは後ろに下げられた。背後で、椅子を引く音と剣を鞘から抜き放つ音が聞こえた。ゴラルだろう。

「くそ。どうするんだ?」

 そう叫んだウェルタも剣を抜いたようだ。だが、二人がかりでもサナザーラには勝てないだろう。そもそも、二人が剣で切っても彼女が死ぬことはない。

『どうしたらいい?』

 ダリオは必死に頭を巡らせた。マナテアはスフィアを見ることができた。死霊術師ネクロマンサーとしての素質があるはずだ。それはサナザーラも分かっているはずだ。簡単に切り捨てるなんて考えられなかった。しかし、彼女の最優先は、ダリオ、というより不死王の復活だ。マナテアが、仲間になることなくチルベスに戻ることは許容できないのかもしれない。

「ダリオ、どけ!」

 彼女の長い左手で押しのけられる。右手は、腰に下げられてロングソードに伸びている。金属がこすれ合う音が響き、鈍色の刀身が抜き放たれた。もう、考えている余裕はなかった。

 ダリオは、マナテア達の元に駆け寄って振り向いた。サナザーラを見据え、背中に背負っていたエストックを引き抜く。

「僕も加勢します」

「良いのですか?」

 後ろから投げかけられたマナテアの問いに、振り向くことなく肯いて見せる。ゴラルとウェルタが前に出た。前衛に彼ら二人、中衛にダリオ、その後ろにマナテアとなった。

「ダリオ。その方がそちらについても、結果は変わらぬぞ」

 ダリオは唇を噛んだ。掲げたエストックの剣先に、サナザーラの夏空のような青い瞳がある。ダリオが初めて彼女と会った時と同じ、澄んだ瞳だった。

「あっ!」

 その瞳を見て思いついた。サナザーラを止める方法が一つだけある。その瞬間、ふっとサナザーラの姿が揺らぐ。あっと言う間に、彼女はウェルタの眼前に来ていた。

 ウェルタが何とか打ち込みを止め、その隙にゴラルが斬りかかる。しかし、岸辺に打ち寄せた波が引くように、彼女は一歩下がってゴラルの剣を見切る。同時に、彼の袖口あたりを切り上げていた。ゴラルの右手から鮮血がほとばしる。

治癒ヒール

 すかさずマナテアが神聖魔法をかけていた。

「ゴラル、ウェルタ、彼女は腕落としのサルザルと呼ばれていました。剣を握る腕に気をつけて下さい」

「分かってる。何度もやられた!」

 ウェルタが苦しげに言った。彼の袖口は、何カ所も裂かれ、血が付いていた。傷は魔法で癒やしたのだろう。わざとかすめるような切り方をしたに違いなかった。

「それと、攻撃をしなくて構いませんから、できるだけ隙を作らないようにして下さい」

「それでは、お嬢様を守れぬ!」

 ゴラルの太い声が響いた。

「大丈夫です。彼女を止める方法はあります」

 そう言ってから、小声でマナテアに「見ていて下さい」告げた。そして、剣を手離した左手に魔力を込める。

 そこに、サナザーラが切り込んで来た。今度の狙いは、最初からゴラルの右腕だった。ゴラルは剣を引いて躱した……はずのロングソードが、半身になったサナザーラによって、片手で突き込まれる。狙いはゴラルの首だった。

幻痛ファントム

 ウルリスのマネをしただけだったから、呪文は知らない。それでも、野生の魔獣を見かけた時など、機会があれば訓練していた。スサインに言われてからも鍛錬している。

 サナザーラの顔が苦痛に歪む。それでも、彼女のロングソードが伸びてきた。ただ、幾ばくかは動きを遅くすることができただろう。ゴラルがかろうじて弾く。同時に隙と見たウェルタが斬りかかっていた。が、彼女はすばやく下がり、ウェルタの間合いを外していた。

「ウインド・ウルフに使った魔法ですか?」

 感づいていたというマナテアの言葉に肯く。

「サナザーラ、伯爵夫人カウンテスに効果のある魔法は、多分これだけです。ゴラルとウェルタの治療は僕がやります。マナテアは、この幻痛ファントムを真似して下さい。それで、彼女は止められます」

 マナテアはスフィアを見ることができた。それに、ウインド・ウルフに魔法を使ったことを感じ取っていた。あの時も、ダリオが放った幻痛ファントムの魔力を感じ取っていた。ダリオはウルリスの幻痛ファントムを真似ている。マナテアにもできるはずだった。

 しかし、一度目にしただけの魔法を真似ろと言われた彼女は驚きに目を丸くしている。多分、ダリオの言葉が意味することも理解したからでもあるのだろう。それでも「もう一度だけ見せて下さい」と囁く。

 今度のサナザーラは、まっすぐ踏み込んでは来なかった。彼女の右前、ウェルタが立つ位置よりも更に右に踏み出し、彼のブロードソードの間合いの外から、刀身の長さを活かしてロングソードを振ってきた。狙ったのは膝だった。

幻痛ファントム!」

 ウェルタにとっては守り難い左側からの斬撃だったが、彼は何とか受け止めていた。ただ、完全には受けきれなかったのか、膝下あたりから血しぶきが飛ぶ。すぐに治癒ヒールをかけた。ダリオの放った幻痛ファントムは、それほど影響しなかったように見えた。サナザーラは幻痛ファントムを知っている。痛みだけで損傷はしないのだと分かっていれば、耐えられるのかもしれなかった。

「追っては来ぬのか?」

 長く重いロングソードを下に振ってしまったサナザーラには隙があったはずだ。しかし、ウェルタは追撃しなかった。足が傷つけられたこともあるかもしれないが、サナザーラのいいぶりからしたら、追撃できる程度だったのだろう。ウェルタの右に居たゴラルも、ウェルタの体が邪魔なのか、動けなかったようだ。

「二度も同じ手をくらってたまるか!」

 ウェルタが答える。罠だったのだろう。サナザーラが「遊んでやる」と言っていた二人の戦いで、彼女は同じことを仕掛けていたらしい。追っていたら、ウェルタは逆にやられていたのかもしれない。

「できそうですか?」

 小声でマナテアに問いかける。

「分かりません。でも……やってみます」

幻痛ファントムは、スフィアと体の繋がりを乱す魔法です。正常な繋がりを乱すことで、相手は激痛を感じます。でも、繋がりを乱すだけなので、体は傷付きません。魔力をスフィアにぶつける感じです」

 助言をして、前衛二人の間からサナザーラを見る。彼女の踏み込みは速い。疾風のサルザルという二つ名があることも肯けた。ふっと倒れるかのように姿が揺らぐと、もう目の前にいる。

 今度は右上からゴラルに撃ち込んで来た。ゴラルの持つ短めの剣では、ロングソードを持つサナザーラに先制することは難しい。自ずと受けになる。ただ、力ではゴラルの方が上だろう。体重を乗せた打ち込みも、しっかりと受け止め、はじき飛ばしていた。

 だだ、はじき飛ばされたサナザーラの剣は、彼女の頭上でくるりと回り、そのまま振り下ろされた。弾かれることを見越した連撃だった。その上、軌道も変えられている。今度は左上からの打ち込みだった。また止めてはいたものの、反応が遅れたのか、ゴラルの額から鮮血が飛ぶ。

治癒ヒール

幻痛ファントム

 ダリオの神聖魔法と、少し遅れたマナテアの幻痛ファントムが飛ぶ。しかし、マナテアの魔力は、サナザーラのスフィアを逸れていた。マナテアは、掲げていないスフィアを見ることができなかった。そのせいだろう。

 魔法と同時に、ウェルタも斬りかかっていた。撃ち込んだサナザーラの腕は伸びている。彼女の頭に向け、渾身のブロードソードが振り下ろされていた。

 サナザーラは、身を引きながら剣の柄を持ち上げ、刀身を体側に沿わせるようにして剣圧を流していた。それは同時に、腕を後ろに回すことで剣を振りかぶる動作にもなっていた。渾身の力で剣を振り下ろしたウェルタは、体が流れている。そこに、ゴラルとウェルタの間合いから抜けながら、引き打ちで彼女のロングソードが振り下ろされる。

幻痛ファントム!」

 マナテアに見せるためではなく、ウェルタを守るために魔法を放った。彼女の動作が止まるほんの一瞬の間に、振り下ろされるロングソードをエストックで受け止めた。ウェルタのブロードソードも掲げられ、なんとか二人がかりで止めた。

「見えました。先ほどよりも……」

 マナテアが囁く。ダリオ自身がサナザーラのスフィアを強く意識して放ったからかもしれなかった。

 サナザーラは、遠間に離れていた。また、ふっと体が沈み込み、突っ込んでくる。今度も剣を振りかぶっていた。狙いはゴラルかウェルタか?

 しかし、振り下ろされたロングソードは、二人の間の空を切っただけだ。とてつもない早さで振り下ろされた剣は、ありえないことに中空で止まる。打ち込みを警戒していた二人は反応できていなかった。そのまま、更に踏み込んだサナザーラが片手で平突きを放ってきた。狙いは、ダリオをかすめ、更に後ろだった。

「魔法を!」

 ダリオは、慌ててエストックで剣筋を擦り上げる。

幻痛ファントム!」

 後ろから声が響く。ダリオの眼前では、やっとのことで反応したゴラルとウェルタが、ロングソードを跳ね上げた。

『防ぎ切れたのか?』

 頭の中に疑問が浮かぶ。サナザーラは、波が引くように離れていった。そして、何故か剣を構え直すことなく、鞘に収める。

「フン!」

 まるで、機嫌を悪くしたかのように身を翻した。そのまま歩き出し、さすがの彼女でも、一足飛びには近づけない距離まで離れる。すぐさまダリオは振り返った。鮮血は見えなかった。そこには、呆然とした表情のまま、両手を突き出して固まっているマナテアがいた。

「マナテア?」

 ダリオが呼びかけると、倍以上の声量でゴラルが叫ぶ。

「お嬢様!」

「だ、大丈夫です」

 我に返った彼女が答えた。

「できた……と思います」

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