碧(あお)のスカラベオ
霞ヶ浦巡
第1章 カルナスを出て
第1話 馬小屋での目覚め
白くかすんだ視界の中で、彼女は舞うようにしてハンマーピックを振るっていた。生なりのスカートが、淡い黄色のビオルが花開いたように広がる。
左に持った粗末な盾で剣戟を受け流し、体勢の崩れた騎士の頭に、鈍く輝くハンマーを叩き付ける。横から繰り出された槍を躱し、ハンマーピックをクルッと回転させた。ハンマーで脳震盪を起こした敵の脇にピックをねじ込む。彼の顔が苦悶に歪む瞬間、彼女は短く小さく呪文を唱えた。途端に、聖騎士の白く光り輝くプレートメイルが黒く焼け、隙間という隙間から炎が吹き出す。その炎は、絶叫さえも焼き尽くした。
ダリオは彼女の名前を叫ぼうとした。しかし、口元は冷たく白い骨の手に押さえられている。腕と胴も、後から堅い骨の腕で押さえられ身動きができない。ボーンケンタウロスに抱えられているのだった。
『ああ、夢だ』
ダリオは、まどろみの中で認識する。これは、あの時見た光景。もう二度と見ることのできない彼女の姿だ。
彼女の周りで、舞い落ちる雪が炎に照らされ輝いていた。
寒い!
その思いと共に白くかすんだ世界が消え、闇の中に差し込む弱い光が見えた。薄暗い馬小屋の中、ダリオはゆっくりと上半身を起こす。まだ冷える季節だ。少しでも暖かくするため、背中を肋骨の浮いた相棒の腹に付けて寝ていた。急に動けば、相棒を起こしてしまう。
馬小屋にいる他の馬は立ったまま寝っている。馬小屋だろうが野宿だろうが、いつでも横たわって眠る相棒が特殊なのだ。
ダリオは、静かに立ち上がり馬小屋を出た。今日は、なるべく早く動き始めたかった。白んだ空の下、井戸で水を汲んで顔を洗う。
残りの水を馬小屋の水桶に開け、宿の食堂に向かう。まだ日も昇っていない。無人で、暗く静かな食堂を抜けると、パチパチと炉の中で木の爆ぜる音のする厨房に頭を突っ込んだ。
「おはようございます」
宿の主人が、曲がりかかった腰の後に手をやりながら振り返った。
「ちゃんと眠れたかね?」
宿は満員で、泊まれる部屋がなかった。隣の市チルベスが封鎖され、迂回路を通るために、この町カルナスの宿泊者が増えているからだった。「馬小屋でもいいですから」と頼み込んで泊めてもらっていた。
「はい。ありがとうございました。食べられるものを頂きたいのですが」
「これを持って行きな」
主人の手には、黒パンが二つあった。一人分というには多い。まさか、という疑問が頭に浮かび、手を出せずにいると主人が言った。
「昼の分もだ」
ダリオはほっと息を吐いて、懐からお金を入れた革袋を取り出した。
「いくらですか?」
「いらないよ。チルベスに行くんだろ?」
「はい」
そう答えながら、主人が無料でいいという理由が分からず、ただ革袋を握りしめていた。
「少し遠いがチルベスは隣だ。知り合いが何人かいる。実は、娘が嫁いだ先もチルベスでな。助けてやってくれ」
「助けるなんて……」
主人は肯いた。
「分かっとる。お前さんが行ったところで、どうにかなるもんじゃなかろう。それでも、少しでも助けになるならな」
そう告げられ、手に黒パンを握らされた。
「ありがとうございます。できる限りのことはするつもりです」
ダリオは、礼を言い「食べたら直ぐに出ます」と付け加えて厨房を後にした。
馬房に戻ると、相棒はまだ横たわったまま寝息を立てていた。投げ出された前足を軽く蹴って起こす。ポニーよりも少し大きく、一歳馬としては大きすぎる体格だったが、二歳馬としては小さすぎる。春先に子馬が生まれることを考えれば、栄養失調の二歳馬に見えるだろう。黒いたてがみを揺らしながら、栗毛の頭が起き上がる。
「朝ご飯」
そう言って黒パンの一つを差し出した。怪訝な色を浮かべたつぶらな瞳がパンを見つめていた。ダリオは、左手で自分のパンにかぶりつく。
「二人分、もらって来たの?」
相棒が、少女の声で問いかけて来た。ダリオは首を振って答える。
「昼の分だってさ」
「昼はどうするの?」
「露天で買うよ。だから食べていい」
そう言うと、相棒、ミシュラは黒パンにかぶりついた……のではなく、一呑みした。
「足りない……」
ダリオは、ため息をついて立ち上がり、ミシュラの首筋を平手で叩いた。「いい加減に立て」という言葉を飲み込み、馬房を出て飼い葉桶を持ってくる。
「後はこれで我慢して」
ようやっと立ち上がったミシュラが、桶に頭を突っ込む。
「この姿だと、そんなに不味くないよ」
飼い葉を食みながら、もそもそと言う。彼女は、物心付いた時から奴隷として見世物小屋にいたという。だから正確な出自は分からない。それでも、変身能力と人型になった時の
「そっか。じゃあ、昼はその辺の草で事足りそうだな。荷を運んでもらわなきゃいけないから、人の姿に戻らない方がいいかも」
ちょっとしたいじわるを言ったつもりだった。飼い葉桶から顔を上げたミシュラが、ダリオを見つめてきた。ミシュラの言葉を待っていたが、無言のまま、再び飼い葉桶に頭を突っ込んだ。
相変わらず、何を考えているのか良く分からない相棒だった。
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