燃不火(もえぬひ)

中田 絢学

燃不火

 遠い昔のこと、人が訪れたことのない深く暗い森がありました。その中に一つだけ空が見え、一筋の月明りの差し込む場所がありました。ただ異様なことに光が差し込む一点の場所には枝や虫が燃え尽きたことによってできた灰の山があり、パチパチと火の焼ける音が聞こえるのです。目には見えないが確かにそこには火のようなものがあるのです。物は焼けて、空気中に煙が登っています。

 森の中を一匹の狐がふらふらと歩いていました。狐は腹が空いているため直進することはできないのです。そうしていると狐は誰かがすすり泣く声が聞こえ、狐はその泣き声のする方へ引き込まれるように歩みだしました。するとそこには明るくはなく、温もりのないただ物を燃やし煙を作り出す火がありました。泣く声はこの火から聞こえるのです。狐は火に問います。「どうして泣いている?」と。火は狐に気が付き答えます。「私はただ空気を汚し、生命を奪う穀潰しだからです。」「穀潰し?お前が?」狐は少し戸惑いました。「穀潰し」とは基本生き物に対して使う言葉だからです。しかし考えてみれば妥当な表現であると狐は気づきました。空気を汚し、食虫植物のように生き物を焼き殺す。引き換えに益となることはない、凍える者を温めることもできない、暗闇を照らすこともできない。なんの役にも立たない火は確かに世の穀潰しなのです。

 狐は火に言います。「泣くな火よ。そう悲しむことでもない、私よりよっぽどマシだ。」と火を励ましました。そして続けて自分の話を火にします。

 狐には妻子がいた。子は生まれて間もなく、食欲旺盛で狐は毎日食料を探し、ウサギなどの小動物や川魚を捕まえ家に帰っていた。狐は子の喜ぶ姿、それを見て微笑む妻の顔が好きで餌を探し与えることが彼の一番の生きがいとなっていた。ある日、狐はいつも通り生き物を狩り、胸を躍らせ家に帰った。しかし彼を待っていたのは残酷な事実だった。熊が彼の妻子を食い散らかしていた跡形もなかった。喜びが絶望と恐怖に姿を変え、狐は動くことができなかった。熊がこちらを向いた瞬間死を感じ、狐は急いで熊から逃げた。幸いなことに熊を撒いて狐は生き残った。だが生き延びたところで狐に居場所などなく、待っていたのは精神的にも肉体的にも破壊され野垂れ死ぬのみ。にもかかわらずあの悲劇から三日間木の実を食べてしのいでいるのは本能か、死への恐怖か、どちらにせよ後は死ぬだけなのに生き延びるのはそれこそこの森、いや世界にとって穀潰し。何も生産せぬ骸だ。

 火は狐の話を聞くも泣き止まず、それどころかパチパチとより大きな音を鳴らすのである。そして火は「えぇそうだろうと思いました。ここに来た者は皆悲劇を抱えています。しかしもうたくさんです。最初は私みたいに恵まれない者もいるのだと安心させてくれるものでしたが今となっては自分の泣く理由を失わせるものなのです。」と狐やそれ以前にここに来た者たちに対する不満を述べた。狐は申し訳ない気持ちになって「すまなかった。」と謝り気まずい空気が漂ってしまいました。狐は空気を入れ替えるために火に問います。「以前来た者は悲劇を抱えているといったがなぜそのような者が集まる?」「私自身も疑問で仕方がありません。きっと悲劇を抱え、悲しいから私の泣き声などに敏感になっているのでしょう。」「以前来た者の悩みは解決したのか?聞いたところでどうしようもないが。」「いいえ、誰一人として解決しませんでした。皆私に身を投げて自害しました。」「自害?焼け死んだということか?」「えぇ、私の上に乗っている灰はもちろん枝や塵などもありますが、その中に虫や獣の死骸もあることは気づかなったんですね。」狐は灰を凝視した。よく見ると時間の経った骨のようなものから最近黒焦げになった獣の皮膚まであることが分かった。それと同時に狐は皆が火に集まる理由を知った。自然の摂理の一部のようなもの、自らの幸福のためであること、少しでもマイナスをプラスに換えるためだと。狐は何も言わず火に飛び込んだ。その瞬間に火は激しく音をたてた。それは火の悲嘆であり、抑えることのできない叫びであった。狐はそれが火の悲しみによる轟音であると知らずに燃えていく。火は温かくないため、狐の体は発火しない、狐の体が黒く灰になるだけであった。不思議と痛みはなく、本能による恐怖さえも焼き尽くした。また妻子に会える、これで終われるという幸福さえも燃えてしまいった。すべてが清々しく灰に向かう。ただそれだけであった。

 狐が燃えた数日後にも色々な生き物が火に身を投げて自害した。自害するたびに火は森の木々を越える高さになり、泣き声も大きくなって、とうとう生き物たちには炎(ほのお)と呼ばれるようになった。それでも火は絶えず涙を流し続けた。しかしある日のこと「おお、こりゃたまげた。透明だから気づかなかった。」とどこから声がした。炎はまた誰かやって来たのだと周りを見渡すが誰もいない。するとまたもや声がする。「俺の声が聞こえるのは初めてか、空を見上げてみな。」炎はそれに従って見上げてみると声の主が見えた。雲が話しかけていたのある。今までは背が小さかったためお互い声が届かなかったが、生き物が身を投げることで炎の体が大きくなり聞こえるようになったのである。

 雲は炎に問う「何故泣いているんだ?悩みでもあるなら聞くぜ。」すると炎は雲に言う「雨を降らせてください。私を消してください。」「それはまたそどうして?」炎は狐のように、自分が世の穀潰しであることと同じように説明した。すると雲は笑って言った。「お前が穀潰しだって?変なこと言っちゃいけないよ。お前は色んなやつの役に立ってる。」「生き物を焼き殺している私が誰の役に立ってると?」「いいか、俺たちは雨を降らせることで植物を育てる。すると身や果物が成ってそれを生き物が食べて世は回る。」「それはあなたのことでしょう?」「ここまではそうだな。でも俺たちを作ってるのは?まぎれもなくお前だ。まぁ上昇気流がどうたらもあるが、結局俺らの一部はお前が担ってる。だから穀潰しじゃないんだぜ。お前が穀潰しなら世の皆も穀潰しだ。」それを聞いて炎はやっと理解しました。今まで植物、虫そして獣を燃やしてきたが、それもまた世界の輪廻に必要であったのだと。自分も焼け死んだ者たちも「穀潰し」ではないと知り、炎はパチパチと嬉し涙を散らしました。

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燃不火(もえぬひ) 中田 絢学 @Nakata1107

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