ペストールを拾ったら

小石原淳

第1話

 拳銃を拾った日、レイプされそうになった。

 あるいは、逆。

 レイプされそうになった日、拳銃を拾った。

 どちらでもいいのかもしれない。結果は変わらないのだから。

 その日、私は初めて拳銃を拾い、初めてレイプされそうになり、初めて拳銃を撃ち、初めて人を殺した。


 線路の下を通るコンクリートのトンネル、その入口に差し掛かったときだった。

 遅くなった学校帰り。内緒の買い物があって、少し遠回りをしたため、さらに遅くなった。とっくに日が暮れ、辺りは暗い。

 尾けてくる足音に全然気付かなかった私。不覚、不注意。もしかすると、拾ったばかりの拳銃に気持ちをかき乱されていたせいかもしれない。

 電車が上を走った。長い長い、貨物列車。

 それを待っていたかのように、男は灰色のロングコートを翻して襲いかかってきた。左側の壁まで突き飛ばされ、振り返ったところをのしかかられ、右手首を強く鷲掴みにされた。痛みを感じる。地面に散らばる小石が身体のあちこちを突き上げてくる。学生鞄は、遠くまで滑ってしまっていた。

 悲鳴を立て続けに上げたはずだが、誰も来てくれなかった。

 身動きの取れなくなった私に、男は刃物を突きつけた。騒いだら殺す、ぐらいのことを言ったかもしれない。列車の轟音でしかとは聞き取れなかったし、よく覚えていない。

 自身に降り懸かった事態を理解できないでいる私の口に、何か詰め物がなされた。声を出せなくなる。計ったかのように、電車が過ぎた去った。

 制服の胸元に手を掛けた男。乱暴に破り取るような真似はせず、ボタンを一つずつ、上から順番に外し始めた。

 急速に冷静になれた。状況を把握すると、逃げなくてはという当然の意識が起こった。そして、逃げるにはまず、この男を身体の上から追い払わなければならないと考えた。

 男は私があきらめ、無抵抗になったと決め付けたのか、私の両手を自由にしたままだった。

 私の左手が、スカートのポケットに触れる。さっき、拾った拳銃を無理矢理押し込んだ場所。あとになって考えると、乱暴された弾みによく暴発しなかったものねと感心してしまう。引金さえ引けば、連続して弾を撃てる状態になっていた。

 不思議と冷静だった。銃を持つ強みとは全然違う気がする。ただ、逃げるという意識が薄まり、代わってこの男に罰を与えたい欲求が半ば義務化し、どんどん広がる。

 電車が再びやって来た。遠くからの轟音と振動で分かる。さっきのが下りだとしたら、今度は上り。私は拳銃をポケットから引き抜き、気付かれないように男の脇腹辺りに銃口を宛った。

 電車が真上を通過する。

 引金を引いた。連射式だなんて知らなかったが、私は立て続けに引金を引いた。数えなかったけれども、三発は撃ったと思う。

 男の身体が湿気った安物布団みたいに覆い被さってきた。生命をなくした証だろうか、ずしりと重い。撃つのをやめた私は、その汚らわしい物体の下からずるずると這い出た。血が男から溢れ出る。私は口の中の詰め物を引き抜き、それが何であるかを確かめることもせず、男に投げつけようとした。だが、思いとどまり、それを広げた。厚手のハンカチと知れる。拳銃全体を拭ってからくるみ、布の端同士を結ぶ。どうしようという考えは全くなかった。指紋を消しておきたかっただけ。

 誰も来ない。発砲した音もまた、誰にも聞こえなかったらしい。近辺に人家がないのだから、それも仕方のないことか。

 衣服の乱れを直した私は学生鞄のところまで走ると、それを拾い上げた。トンネルを抜け、空の下に出る。外灯に白々と照らされたサークルに入ると、ボタンを填め直しながら、身体や服の具合を見た。奇跡的にも、返り血は一切付着していない。服は上下とも無事だ。砂粒一つ付いていない。怪我の方は、右手首にうっすらとした痣。擦り傷の有無は分からなかった。刃物の先が、頬に触れたような気がしたのだが、どうやら気のせいらしく、ほっぺたはきれいなままだった。

 しばらく逡巡してから、ハンカチでくるんだ拳銃を鞄に仕舞う。拳銃の持ち主を殺人犯に仕立てるからには、この場に凶器を置いて行くのはよくない気がする。離れたどこかの川か池に捨てるのが、一番ありそうだと思った。

 だが、川まで捨てに行く気力が、このときはなかった。それどころか、歩くとか、深呼吸をする、靴下を引っ張り上げるといった簡単なことさえ、実行するのに大変な努力を要する有様。拳銃の処分は明日に延ばすと決定した。

 電車が来ないのを見計らい、足早に去る。無我夢中で、起きたことを神経がまだ消化し切れていない。おかげで依然として冷静に振る舞えた。その代わり、何をするのにもいつもに倍する疲労感を伴う。

 明かりの点いていない自宅に帰り着いてから、左手首にも痛みがあることに気が付いた。無理な姿勢で拳銃を撃ったせいだろうか。そもそも、知識も何もないまま初めて発砲したのだから、手首を痛めるくらい当たり前かもしれない。

 半日着ていた衣服一切合切をすぐ洗濯する。制服でなければ、切り刻んで捨ててしまいたい。次いで、シャワーを浴びた。猛スピードで肉体が蘇っていくようだ。歯車が噛み合ったような感覚があって、自分の動作にも普段の自然さが戻った気がする。精神の方は、もうしばらく興奮状態にあるらしくて、がたがた震え出すようなことはなかった。

 着替えたあと、遅くに帰ってくる親のために風呂を沸かした。

 テレビのニュースを見ながら独りの食事。何を食べても、味があまり伝わってこない。私が起こした事件のことは何も言わないまま、ニュースは終わった。きっとまだ発覚していないのだ。

 明日は早起きしなければ。いつもの通学路を遠回りして銃を捨ててから、学校に行こう。

 もちろん、誰に話すつもりもない。

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