第17話 配信者さらり、視聴者と触れ合う

 目の前にうぞうぞ蠢く、短い触手。口が開き、頭からぬるりと飲み込まれてしまう。ぐずぐずと頭から溶かされる。手がなくなり、足がなくなり、何もかもなくなり……目が覚めた。


「……あ、夢……」


 さらりは目を擦りながら、ゆったりした動きでベッドから起き上がる。指を握っては開き、爪先を伸ばしては戻し、両手両足があることに安堵する。

 リアルな感覚の夢だった。もしあの時口から【水魔法】を出すことを思いついていなかったら、さらりは間違いなく、あのまま食われていた。


(怖かったんだ、私……)


 レインジェリーを倒すまでは無我夢中だったし、倒してからは高揚感で胸がいっぱいで、そうこうしているうちに配信のことで全てが紛れた上に、ずぶ濡れで帰って母に心配されたので言葉を尽くして安心させ、もう疲れて宿題もそこそこにすぐ寝てしまったのだ。

 恐怖を実感する余裕がなかったわけだが、捕食される恐怖はさらりの中に確かに残っていたらしい。胸の奥に、夢の中で感じた恐怖がまだ残っている。

 二の腕をさすりながらリビングに出ていくと、食卓には先客が居た。転勤してから激務続きらしく、平日休日問わず顔を合わせることのほとんどない父だが、今日は珍しく食卓でパソコンを開いている。


「おはよー、お父さん」

「おはよう、さらり」


 画面から目を上げた父は、眼鏡の位置を直して微笑む。分厚いレンズの向こうの、目尻が少し持ち上がった猫目は、さらりとよく似ている。


「さらちゃん、よく眠れたの?」

「うん、ぐっすりだった。あっ、コーンスープ! やったあ」


 朝食は、カリッと焼けたトーストに、黄身がとろとろの半熟目玉焼きを乗せたもの。ふわりと香るバターが食欲をそそる。付け合わせのサラダも、旬の野菜がつやつやしていて美味しそうだ。好物のコーンスープまで付いていて、さらりは頬をほころばせる。


「いただきまーす。……お父さん、珍しいね。今日は休みなの?」


 コーンスープを飲みながら何気なく聞くと、父は顔を上げ、レンズ越しの鋭い瞳でこちらを見つめてくる。その隣にすっと母が座り、両親と対面する形になった。


(……うん?)


 意味ありげな空間が、ここに出来上がった。さらりは自然と姿勢を正し、一旦スプーンを置く。


「食べながらでいいよ、さらり」

「いや、でも……」


 こんな空気では食べられない。さらりはスプーンの柄を指先で撫でつつ、父母の顔を交互に見比べた。


「……何かあった?」

「それはこちらの台詞だよ、さらり。昨日は何があったんだい? ずぶ濡れだったそうだね」


 昨日、帰った時には父は居なかった。ということは、母が話したのだろう。さらりと目が合った母は、こちらから何か聞く前に「だって、心配じゃない」と話し始めた。


「ダンジョンに行くってだけでも心配なのに……あんなに濡れて帰ってきて、疲れたってすぐ寝ちゃって……一体何をしているの? やっぱり、ダンジョン探索なんてやめた方がいいんじゃない?」

「友達のスキルで雨が降って濡れちゃったんだって、言ったでしょ。5層のボスを倒したから、ちょっと疲れちゃっただけ。たくさん寝て元気になったし、心配いらないよ」

「心配よ。昨日も、ダンジョンに遊びに行った子が行方不明になったってニュースで流れてたのよ。なのにさらちゃんがなかなか帰って来ないから、お母さん心配で心配で……」

「帰るのが遅くなったのはごめんね。次からは、もっとちゃんと時間に気をつけるよ」

「もう2回も門限を過ぎてるのよ? 気をつけるって言ったって……今まで、そんなことなかったのに」

「それは……」


 今まで門限を過ぎることがなかったのは、高校で友達もできず、ダンジョンにもまだ潜っていなかったからだ。そもそも中学時代には、帰りに友達と話し込んで遅れてしまうこともよくあった。ダンジョンが絡んでいるせいで、母は普段以上に心配性になっているのだ。


(昨日のは失敗だったなあ……)


 濡れた服でバスに乗るわけにもいかなかったので、昨日母に迎えを頼んだことは後悔していない。ただ、反省はした。【天候操作(雨)】なんて名前のスキル、どう考えたって雨が降る。軽率に使ってもらうのではなく、雨具を用意するか、そうでなければ乾くのを待てるくらいに早い時間に使ってもらうべきだった。


「それにね、友達って昨日一緒に居たあの男の子でしょう? さらちゃん、男の子と一緒に遊んでるの? 同じ高校の友達はどうしたの?」

「あっ」


 そういえば、母はさらりの「友達」を、勝手に高校の同級生だと思っていたのだった。そんなことも忘れ、昨日は普通にルイと会わせてしまった。まさかこんな形で嘘がばれるとは。つい焦った表情をしてしまったさらりを見て、母は眉をぐっと垂らす。


「あんなに小さい子を連れ回して大丈夫なの? おうちの人も心配してるでしょう?」

「ちゃんと家の人に会って挨拶したから、それは大丈夫だよ」

「……でもね、さらちゃん。高校生二人ならまだしも、子供と女の子なんて、悪い人に狙われちゃったら何もできないでしょう」

「だからお父さんと一緒に、良いドローンを買ったんだよ。ねえお父さん、あれは防犯には一番良いって言われたよね?」

「そのドローンのことなんだけどね」


 味方を求めたつもりが、にこやかに攻撃が差し込まれてきた。どちらかと言うと、怒らせたら怖いのは父の方である。さらりは顔を強張らせつつ、相槌を打った。


「実は僕、昨日こんなものを見たんだ」


 パソコンの画面がくるりと回り、さらりのほうを向く。レインジェリーを斜め上から映した動画だ。触手のないレインジェリーが二度三度と傘を揺らすと、太い水の柱に貫かれて消滅した。


「あっ……」


 レインジェリーが消えると、その向こうに見えたのは自分の顔であった。それを見てさらりは全てを察する。これは昨日、さらりたちがレインジェリーを倒した時の動画。うっかり配信してしまっていたそれを、父は見たのだ。


「最初に見たときはびっくりしたよ。さらりは、配信はするつもりがないと言っていたからね」

「そうよ。お父さんからそのことを聞いて、それも心配しているの。さらちゃんの顔も様子も、見たい人がいつでも見られるんでしょう? そんなの危ないわ」

「うん……あのね、配信するつもりはなかったの。ボタンを押し間違えちゃって、気づいたら配信してて」

「わかってるよ、アーカイブを見たからね。お母さんは心配しているけれど、さらりが配信したいのならしてもいいと思っているんだ」

「そうなの?」

「あなたまでそんなことを言って……! サラちゃんに何かあったらどうするの?」

「危険を抑止するという意味では、配信しておいた方が安心かもしれない。リアルタイムで視聴者がいるから、何かあったら通報してもらえるし、何よりその様子を僕たちも見守れるからね。お母さんも、さらりの配信をお気に入りに登録しておいたらいいよ。さらりが元気に冒険している様子を見たら、少し考えが変わるかもしれないから」

「登録……? なあにそれ、どうなるの?」

「さらりのダンジョンでの様子を見守れるんだよ。タブレットを貸してごらん。ここをこうして……こうやって……」


 父が操作するタブレットを母が覗き込み、ふたりの頭がこつんとぶつかる。両親が仲の良い様子は、なんだか微笑ましい。さらりが自分の配信をお気に入りに登録する様を、少し気恥ずかしく感じながら眺めていると、やがて操作は終わったようだ。


「配信している時にここを押したら、さらりの今の様子が見られるからね。心配になったら見てみるといいよ」

「ここを押したら、見られる……」

「そう。さらりも、そのつもりでね。配信をお母さんが見ていると思ったら、昨日みたいな無茶はしないだろう?」

「あっ……」


 昨日みたいな無茶とは、何を指すんだろう。あまり準備せずにレインジェリーに挑んだこと? 大怪我をしたのにそのまま戦ったこと? レインジェリーに食べられそうになって、一か八かで魔法を使ったこと?

 心当たりがあり過ぎてわからないが、そのいずれも、母が見ていたら卒倒しそうな気がする。


「……気をつける」

「うん、そうだね」


 不特定多数の眼差しよりも、母の目の方がよほど気になるかも。そんなことを思いながら、父からの忠告に頷くさらりだった。


「さらちゃんの様子が見られるのはわかったけど、危ないことに変わりはないでしょう。ダンジョンには警察は来てくれないんだから、さらちゃんが危ない目に遭っても、見ていることしかできないってこと?」


 ダンジョンには警察は来ない。ダンジョン内で事件が起きるたび、ニュースでは繰り返しそう注意喚起されている。

 ダンジョン内での犯罪が裁かれないわけではない。証拠さえあれば、外に出た段階で警察も対応してくれる。しかし人手不足の昨今、ダンジョン内にまでは手を回せないということらしい。

 ダンジョンで死んだら外に出されるだけ。裏を返せばダンジョン内で人を殺しても殺人にはならないということを問題視する声は、ニュースで度々耳にする。

 さらりがダンジョンに潜りたいと言って以来、母はダンジョン関連のニュースには敏感なので、その辺りの問題にも詳しいのだ。


「そのときには、すぐに僕に電話をくれれば良いよ。同僚を連れて、助けに行くからさ」

「…それなら。何かあった時に必ず助けに行ってくれるなら、少しは安心できるけど……」

「大丈夫、飛んでいくよ。僕の可愛い娘に危害を加える奴なんて許せないからさ」


 父はそう言うと、キリッとした表情をふにゃりと崩した。


「まあ、頼りになるのは僕の同僚なんだけどね。30層まで探索したことのある人だから、さらりがどこに居ても助けに行けるよ」

「えっ? お父さんの同僚って、30層まで行ったことがあるの?」

「一度はね。ドラゴンに歯が立たなくて諦めて、それでうちに入社したそうだけど。今は趣味として休日に潜ってる程度だってさ。実は、さらりの配信を教えてくれたのもその人なんだ。さらりのことを褒めてたよ、君ならドラゴンを倒せるかもしれないって」

「へえ……!」


 ドラゴンと戦ったことのある人にそう言ってもらえるなんて、俄然自信が湧いてくる。


「……今度会ってみるかい? うちの娘だって言ったら、向こうもぜひ会ってみたいって言ってるんだけど」

「いいの? 会ってみたい!」


 ドラゴンと戦う動画も見たことがあるが、転送陣から一歩踏み出すなり炎に焼かれて終わってしまうので、あまり参考にならないのだ。実際に対面したことがある人から聞ける話は貴重である。母が配信を見るのだとしたら、万全を期さないといけない。得られる情報は得ておきたいところだ。


「僕もダンジョンに潜っていたら、さらりに尊敬してもらえたのかなあ……」

「え、何か言った?」

「ううん、何でもないよ。同僚の人に都合の良い日を聞いて、また連絡する」

「わかった。ありがとう!」


 楽しい予定がまたひとつできた。気付けば話題も居心地が良いものに変わっていたので、さらりは朝食をぺろりと完食する。


「ご馳走様でした」

「さらちゃん、今日もダンジョンに行くの? やっぱり、危ないんじゃ……」

「まあまあ、お母さん。可愛い子には旅をさせよって言うだろう? 少なくとも、ダンジョンの中では本当の怪我を負うことはないんだから、見守ってあげようじゃないか」

「そうだけど……さらちゃんの様子は、このタブレットで見られるのよね?」

「ああ、大丈夫だよ。何か危ないことがあったら、僕に連絡すれば良い」

「そうよね……わかった。気をつけてね、さらちゃん」

「うん! ……お父さんも、ありがとう!」


 初めてさらりがダンジョンへ行ってみたいと言い出した時にも、難色を示す母を宥めてくれたのは父だった。一緒にダンジョンについて調べているうちに、気づいたらダンジョン関連会社への転職を決めていたのである。

 なんだかんだ行って、さらりの助けになってくれるのは父なのだ。……もちろん、母だって助けになってくれる。ほんの少し、心配性なだけだ。


「それじゃ、行ってきます」

「さらり」

「何、お父さん?」


 帽子をかぶって出かけようとしたさらりは、父に呼び止められて振り向く。


「くれぐれも、お母さんに心配かけないようにね」

「……はあい」


 母も配信を見ているのだから、それを自覚して行動しろというわけだ。少なくとも、昨日みたいな大怪我は許されない。

 改めて念を押されたさらりは、神妙な顔で頷いてから家を出た。


(今日はスパコ読み? の配信をするから、心配かけるようなことはないでしょ)


 6層の予習も十分ではないし、今日先に進む予定はない。母を心配させることもなかろうと、足取りの軽いさらりなのだった、


***


「おはよう、ルイくん!」

「よう。今日ちょっと遅くねえか?」

「ごめんね、待たせて。昨日の配信をお父さんが見てたみたいで、心配されて朝からいろいろ話してたの」

「ふーん、大変そうだな」

「わかってもらえたから大丈夫。これからはお母さんも配信を見ることになったから、昨日みたいな怪我はしないようにしないと」

「ん? それじゃこれからも配信すんのか?」

「あっ」


 そういうことになってしまう。次の配信をするかどうかすら悩んでいたのに、母を安心させるためには、安心安全な配信を続けなければならない状況になってしまった。


「……うん、配信はしないと」

「いいじゃねえか。もらったスパコで俺にも何か買ってくれよ」

「ルイくんと一緒に配信してるんだから、半分はルイくんのだよ」

「え? そうなのか?」

「当然でしょ?」


 というか、二人で探索しているのに、お金は自分だけが貰うなんてあり得ない。話しながら歩いていた二人は、いつもの場所から虹の膜を通ってダンジョンに入った。さらりはドローンを取り出し、少し迷ってから電源を長押しして黄色のランプを点灯させた。

 浮き上がるドローンのカメラに向かって、手を振ってみる。笑顔を作って笑いかけた。


「お母さん、見える?」


 返事はない。当然だ。スマホが鳴ったので確認すると、母から「見えるよ」とメッセージが来ていた。


「見えるって、ルイくん」

「当然だろ、配信してんだから」

「そんな乱暴な言い方したら、お母さんが心配しちゃうかもしれない」

「はあ? 知らねえよ、俺はこうなんだから仕方ないだろ」

「まあ、そっか。お母さん、ルイくんは口は悪いけど、中身はとっても良い子だから心配しないでね」

「ん……つーかこれ、配信してんだよな? やめろよ、何人の前でんなこと言ってんだよ!」

「えーと……千人だって」

「最悪」

「あ、二千人に増えたよ」

「すげえ勢いだな。マジの人気配信者じゃねえか」


 昨日ルイが教えてくれたので、今見ている人数はさらりにも確認できる。どんどん増えていくその人数はあまりにも多くて、実感が湧かない。母が見ている、という方がよほどわかりやすい。


「今日は、スパコ読み配信っていうのをしようと思って……ルイくん、どうやったらいいの?」

「とりあえず、どこでもいいから座ろうぜ。椅子とか持ってねえの?」

「いつもので良ければあるよ。こんな、小さいのだけど」

「それでいいだろ。さらりはそこに座って、スマホでスパコ一覧を確認してろよ」


 【収納庫】から取り出したのは、アウトドア用の小さな折り畳み椅子である。最近モンスターを食べる時に使っているそれを二脚並べ、片方に腰掛ける。

 配信管理画面を開き、昨日も見た「スーパーコメント一覧」へ。そこには既に、いくつかのコメントが届いていた。


「ルイくん、確認したけど……」

「そしたら名前とコメント読んで、返事すればいいんだよ。えーと、『おもちくり』さん、『応援してます』ありがとな! ……こんな感じで」


 コメントを読み上げるルイの声はいつもの倍よく通り、お礼を言う笑顔も爽やかだ。配信ってまだよくわからないが、ルイは何だかアイドルみたいだ。


「すごいね、ルイくん……!」

「うるせえ、さらりがやるんだよ」

「私も頑張る」


 ルイのような振る舞いはできる気がしないが、スーパーコメントをくれた人に、できるだけの感謝を伝えたい。今日も早速1万を超える合計金額に少し怖くなりながらも、さらりはスマホの画面を見た。


「ええと、『ダンくん』さん、『配信ありがとう』……こちらこそありがとう、ございます」

「礼はドローンを見て言った方がいいかもな」

「ありがとうございます! 次は『レトリバー』さん、『魔法はどうやって身につけたんですか?』ええと……」

「質問には答えれば良いんだよ」

「【水魔法】は、テッポウガエルの脚を食べたら手に入りました」


 そう答えた瞬間である。今までは十件にも満たなかったスパコ一覧に、急に複数のコメントが追加される。目で追えないほどの速さで流れていく勢いに圧倒されたさらりは、少しのけぞった。


「わ、わ、わ……」

「うん? どうしたよ」

「た、大変なことに」

「すげえ数のスパコ来てんな。これは読みきれねえわ」


 ルイは何やら画面をぱちぱちと押し、さらりにスマホを返してくる。それから彼は、ぱっとドローンを見上げた。


「悪い。さらりが『スパコのお礼を伝えたい』ってことで今日の配信はスパコ読みになったんだけど、この量は対応できねえわ。1万以上でフィルターかけさせてもらったから、よろしく頼むな」


 カメラの向こうに何人もの人がいるというのに、堂々と振る舞うルイは年下とは思えない。


(私もしっかりしなくちゃ)


 スパコ一覧に目を戻せば、現実的な量のコメントが並んでいる。さらりはひと呼吸置いてから、それらを読み上げ始めた。


「『レンの友達』さん、『【収納庫】はどうやって手に入れたんですか?』……ええと、これはスライムを食べたら手に入ったんです。アディ……『アディーリオ』さん? 『スライムを食べる時に特別な儀式を行いましたか』、いえ……特別なことはしていないと思います。部位破壊したものを無毒になるまで何度も煮こぼして、味付けをして食べただけなので」


 海外の人もいるようで、読みにくい名前もたくさんあった。質問は主に【収納庫】と【水魔法】に集中し、あとは「モンスター専用スキル」とやらの取得方法についての質問が何度か来た。


「すみません、何だか役に立つような返事ができていないみたいで」


 スキルについて聞かれても、「これを食べたら得られた」以上の答えはできないのだ。煮たような質問が少し形を変えて送られてくることからも、それでは不十分なのだとわかる。

 どうやらスライムを何匹食べても何のスキルも得られない人が複数いるらしいが、さらりもルイも、1匹食べてスキルを手に入れたのだ。特別な何かがあるのではないかと聞かれても、何もないのである。


「どうだ、読むのは追いついてるか?」

「追いついてる、けど……」


 寄ってくるスライムの相手をしてくれていたルイが戻ってくる。返事をするさらりの表情は、どうも浮かない。


「何だよ、そんな顔して」

「どうやったら【水魔法】や【収納庫】を取得できるのかって聞かれても、ちゃんとした答えを言えないの」

「ちゃんとした答えも何も、モンスター食ったら貰えただけじゃねえか」

「そう言ってるんだけど……何かね、皆モンスターを食べてもスキルは手に入らないんだって」

「当たり前だろ。俺だって【粘液】とか【泡吹き】とか、訳わかんねえスキルしか手に入らねえんだから」

「それも貰えないんだって。私の【収納庫】もルイくんの【粘液】もモンスターにしかないスキルで、どうやったら手に入るのかすごい聞かれるの」


 1万円のスパコはかなりの長文が送れるようで、丁寧に説明をくれたコメントによってやっと聞かれていることの意味がわかったのだ。意味がわかった上で、求められている答えを返せない。さらりに説明するために何万円も使った人のことを考えると、申し訳ない気持ちになる。


「私たち、何か変わったことをしたのかな? 全然心当たりがないの」

「変わったことはしてねえと思うけど……さらりは変わってるよな」

「変わってたらスキルを貰えるんだったら、皆貰ってるよ。ダンジョンに潜る人なんて変わり者ばっかりなんだから」

「ははっ、そうだな。違えねえ」


 ルイはからから笑い、寄ってきたスライムをさらりの貸した包丁でばしっと斬る。


「ま、答えられねえもんは仕方ないだろ。ありもしない特別について話したら、それこそ嘘なんだから」

「うん、でも……申し訳なくって。せっかくスーパーコメントをくれたのに」

「納得の上で払ってんだからいいんだよ。その礼を言うためにスパコ読みしてんじゃなかったのか? 謝ってどうすんだ」

「ああ、そうだったね。そうだった……」


 みるみるうちに膨れ上がる金額と、予想外の質問の連続にややこしいことを考えてしまっていた。さらりはただ、見知らぬ自分を応援してくれた人に、感謝の気持ちを伝えたいだけだった。


「皆さん、ありがとうございます」


 カメラを見つめて礼を言い、ぺこりと頭を下げる。ルイのおかげで、配信の目的を思い出すことができた。


「十分なお答えはできないかもしれませんが、聞かれたことにはお答えしますね。よろしくお願いします」

「ん、もう少しやんのか?」

「うん、今日は時間の許す限りやってみようかなって。ルイくんには、スライムの相手ばっかりしてもらって申し訳ないけど」

「俺のことは気にすんな。【短刀術】の練習してるから問題ねえ」

「……うん、ありがとう」


 そう話している間にも、またいくつかのスパコが届いている。あまり時間を開けると読むのが追いつかなくなりそうだ。


「『招き猫の助』さん、『【収納庫】の容量はどのくらいですか?』……そうですねえ、頭の中に棚のイメージが浮かぶんです。最初は5段くらいだったんですけど、いつの間にか6段に増えてて……」


 スパコのお礼として、投げかけられた質問に真摯に向き合う。視聴者の望みを叶えようとするのではなく、あくまでも等身大の自分で。

 ルイのおかげで、配信に対するさらりの姿勢は自然なものとなり、話し方も徐々にこなれてきた。コメント欄では「飾らない感じが良い」「笑顔が可愛い」などと配信者としての振る舞いを評価する声も増えてきたことを、さらりは知らない。

 何はともあれ、この配信が「配信者」さらりの第一歩となったのであった。


***


「……けほ」


 時間より前に、喉に限界が来た。スパコの勢いが徐々に収まり、なんだか楽しくなって余計なことまで喋っていたさらりだったが、ついに喉に違和感が現れ始めた。喉に手を当て、軽く咳き込む。


「すみません、読むのは次のコメントで最後にします。ええと、『見習い魔法士』さん、『会いに行ってもいいですか?』……私に会うってことでしょうか。このダンジョンに来る、ってことですよね? ダンジョンは皆のものなので、来ないでくださいとは言えませんが、知らない人に『会いに来た』って言われたらちょっと怖いかもしれません。もしいらっしゃるなら、『見習い魔法士』さんだってわかるような感じで来ていただけたら……けほ、けほっ」

「おい、咳き込んでんじゃねえか。無理すんなよ」

「これで最後だから。『見習い魔法士』さん、ええっと、もし会いに来るなら、それっぽい感じで来てくださいね。お茶を飲むので、これでコメント読みは終わりにします。皆さんありがとうございました」


 感謝の気持ちを込めて深く頭を下げ、【収納庫】から水筒を取り出す。たくさん喋ったせいで喉がカラカラだ。冷たい麦茶が喉にしみる。


「はあ……こんなに喋ったの、初めてかも……」

「けっこう楽しそうだったな」

「うん、見てる人たちは応援してくれてるんだってわかって、楽しかった」


 温かい言葉もたくさんあり、スパコ読み配信を通してさらりの中で視聴者は「見知らぬ得体の知れない人たち」から「応援してくれる人たち」に変わった。今もカメラの向こうにはたくさんの人がいるわけだが、その視線も今は気にならない。

 いや、少しだけ気になる。その向こうには母がいるのだった。さらりは喉を鳴らして茶を飲むと「お母さんの作ってくれたお茶はおいしいなあ」とアピールしておいた。きっと喜んでくれるはずだ。


「ルイくん、このあと3層行ってみない?」

「ん? 別にいいけど、何かあるのか?」

「視聴者の人から来たコメントで、3層にいるモンスターの持ってるスキルに便利そうなのがあるよって教えてもらったの。行って、食べてみようかと思って」

「ふうん。今日は進まないんだな」

「準備もしてないし……それにね、そのモンスターが持ってるのは【空間転移】なんだって」

「【空間転移】……テレポートみたいなことか。それは使えたら便利だな」

「でしょ? 最近往復するのが大変になってきたから、一瞬で移動できるならすごいと思って」

「だな。……3層のモンスターって、モグラみたいな奴か。配信で倒してんの見たことあるわ」

「そう、それ。私も3層に行くときに一応予習しておいたから、ちょうど良さそうだね」


 2時間ほど画面を見ながら話し続けていたので、動きたい気分だ。さらりは腕をぐるぐる回し、体をほぐす。


「よし、行こう」


 特定のスキルを狙ってモンスターを食べに行くのは初めてのことだ。30層を目指すという意味では寄り道だが、今後の探索が楽になることを願って、さらりは転送陣に乗るのだった。

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