第6章 青春の輝き
第22話
昇る満月の下で、久しぶりに俺は坂の上から街を見下ろしていた。
今夜の舞台は俺の街じゃなく、リリイのいる病院近くの大都市。打ち上げ装置の設置ポイントも
名残惜しさがそうさせるのか、遠い街灯りは夏の大三角形に見下ろされ煌々と輝いて見える。よそう、感傷に浸るのはらしくない。
ニトロシューズの爪先をトントンと地面に落とし、開始時刻を待つ。ヘッドホンを両耳に当て、暗視ゴーグルのスイッチをONにした。
『あと一分』
『OK?』
声で細かい指示ができないリリイには、音声入力で短文のみ送信し、ゴーグルに映し出してもらうことにした。どちらにせよ、走りながら長文は読めないからこちらの方が都合が良い。ヘッドホンはあくまで俺の声を向こうに届けるためのものだ。
「ああ、こっちは準備OKだ」
ゴーグルにはいつものような金色の道順は出て来ない。そうした細かい作業を行う負担はかけさせられない。事前に一緒に確認した道順を頭に叩き込み、あとは走りながら指示をもらう。黒のアノラックパーカーのフードに茶髪を仕舞い、身体の緊張を解すようにその場で何度か跳躍した。
『ジェットの視界』
『酔いそう』
リリイも今、ゴーグル型のガジェットを身に着けて俺と視界を共有している。普段は俺のゴーグルに付いているGPSの情報をもとに、マップ上の点で俺の動きを追っているが、パソコンを開けないリリイのためにこの方法で状況把握をしてもらうことにする。
「頑張って耐えてくれ。俺もなるべくキョロキョロしない様にするから」
『うん』
『あと三十秒』
「おう」
青い容器を傾けて一粒口に放り、星月夜に深呼吸。肺胞のひとつひとつに充満する爽やかな風味に、相棒の少女から受け取った想いを重ねて緩やかに吐き出した。いつもよりリリイを近くに感じる。ラムネの味が消えるまで、俺は空を飛べる。
しゃがんでクラウチングスタートの姿勢になり、ニトロシューズのスイッチをONにする。
『三』
『二』
『一』
さあ、今宵の娯楽を始めようぜ、リリイ。
『GO』
文字が浮かび上がると同時に俺は走りだした。一陣の風より早く、坂道を駆け下る。
『塀』
『掲示板』
『屋根』
立て続けに指示が飛ぶ。
「任せとけ!」
シューズのエンジンが
『きれい』
思わず、といった様子で文字が浮かび、俺は笑った。リリイ、これがいつも俺が見てる景色だぜ。次の屋根へ着地し瓦を滑り降りると、すかさず指示が来た。
『電灯』
『電柱』
『煙突』
本当に良いのか? その道順は……
俺は空中で回転しながら電灯の頭を蹴って飛ぶ。視界がぐるんぐるん回った。癇癪玉のおまけも忘れない。パパパパン! と音と光がゴーグルの端で響く。
『うええ』
気持ち悪そうなリリイ。
「頑張れ」
レンガ造りの煙突に難なく着地し、休まず建物の屋根を伝う。ビル街はもうすぐそこだ。
準備した十五ヶ所の打ち上げポイントはすべて街中のビルの屋上だ。夜景を半円状に囲うようにぐるりと設置したポイントを時計回りで順番に移動し、最後に最も人が集まるスクランブル交差点の中央で大玉花火を打ち上げる。
普段は多くても五、六発だから、今夜は随分豪勢だ。手持ちの花火玉を余さず使い切る気でいる。もちろん数が多ければ追手に捕まるリスクも高いから、設置場所とルートには細心の注意を払っている。
目立つような設置ポイントは警察にもマークされている。だから今回は新規の場所ばかり。看板を蹴り、低いビルの給水タンクを踏み越え、一回転して駅前の貸ビルに飛び移る。仕事帰りのサラリーマン達を眼下に見下ろした。
要所要所で撒いてきた癇癪玉のお陰か、
『スイッチ』
『のち』
『前ビル』
スピードを殺さぬよう、走りながら最初の装置のスイッチを入れた。すかさず次のビルに飛ぶ。背後でひゅるるるるる、と音がして、空高く花火玉が舞う。数瞬ののち、轟音とともに空に光が弾けた。
「
視界に長ったらしい玉名が浮かび上がらない代わりに、俺は短い名前を叫ぶ。赤一色のシンプルな火種が空を染め上げた。風のない上空で放射状に花開いた真円に、足元から歓声が上がる。
尾を引かずにあっさりと夜闇へと消える煙火に感慨を覚える間もなく、ビルの屋上を駆け抜けた。金網に手を掛け踏み越え、隣の雑居ビルに飛び移る。次は贅沢に三連続だ。
『スイッチ』
『スイッチ』
『右ビル』
『スイッチ』
移動中も忙しなく指示が飛ぶ。装置のスイッチを入れながら慌ただしくビル間を舞った。
「
星の輝きを掻き消すほどの銀・紅・黄・青の閃光が色とりどりに空を覆う。飛び越えてきたビルの向こうから、遅れて響く花火の爆音とどよめくような歓声が聞こえた。リリイにも聞こえているだろうか。口内でラムネの粒がほろりと崩れ、すかさずポケットからラムネを取り出して新しい粒を口に放った。
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