第13話

 翌日、俺はぼーっとした頭のまま一限の授業を受けていた。色々考えていたせいで眠れず、何かに没頭しようと貰った材料で花火玉作りに勤しみ、気が付いたら朝になっていた。今更真面目に大学生をやる気はしなかったが、家に籠っていると花火のことばかり考えてしまうからしょうがない。

 火薬塗れのスウェットはさすがに着替えてきた。古着屋で適当に買ったTシャツには、知らない時代の知らないバンドのロゴが躍る。

 授業内容が頭に入らぬまま教室前方の大画面が消え、授業終了を告げる鐘がぼーん、と鳴った。教室内の学生達が流動する。

「おん? 隼人、今日は早いじゃん」

 樹が教室を出て行く人波に逆らい、俺に声をかけてきた。遅刻野郎に言われたくない。

「たまには良いだろ。単位ヤバいんだよ」

「やっと真面目に大学生やる気になったか。さあ、俺のために統計学のデータを差し出せ」

「やらねー」

 堕落しきった学生の応酬を繰り広げながら、俺はようやく気が付いた。

「……何でスーツ?」

 外見に気を遣うという概念をかなぐり捨てた男だったはずの樹は、整髪料で髪を撫で付け、ぴっちりと黒のスーツを着込んでいた。暑いだろうに、清潔感溢れる水色のネクタイは隙なく巻かれている。いつもの銀縁眼鏡も相まって、本物のインテリセールスマンのようだ。

 は? と樹は気の抜けた声を出した。

「何って、隼人のとこにも届いただろ?」

「何が」

「就職決定通知書」

 そう言って、ビジネスバッグから開封済みの封筒を取り出した。『浅野樹様』の宛名の脇の、『親展』『就職決定通知書在中』の赤文字が目を引いた。それは大卒者向けの就職決定通知書だった。四年制大学へ進学した人向けに、三年生の夏頃この文書が送付されることになっている。国が本人の能力やこれまで学んできた経歴などを総合的に判断し、マッチングした企業を記載して個々人に通知する。受け取った学生は、卒業時にそれを持って決められた企業に就職するのだ。転職者と同様、新卒の就職先も自分で選べない。

 いわばこれは大昔の戦時中に送られた赤紙のような代物だった。俺にも届いているのかもしれないが、生憎ここ数日ポストを確認していない。いい加減こういうのもデータ配布にすればいいのに、行政はいつも重要な書類を紙で送ってくる。

「今日就職先に挨拶してきたんだよ。あークソ怠かった」

 そう言ってネクタイを弛める仕草は、そこらに溢れる仕事に疲れた社会人のようだった。あと二年も経たずに俺達はこうなるのか、なんてリアルな未来予想をしてしまう。

「就職したら毎日こんなの着て会社に通わなくちゃならんなんて、窮屈すぎるな。あー、俺在宅テレワークの仕事が良かったなぁ」

 テレワークじゃない仕事はレアケースだ。大体の仕事はネット環境さえあれば何処でもできる。農家だって今の時代、屋内での完全無人栽培に成功し遠隔で世話ができるため、引きこもり向きの仕事で有名だ。どうやら樹は外れクジを引いたらしい。

「離職ループやんの?」

「んー、様子見かなぁ。少なくとも俺の適性見て決められてるはずだしな。やりたくねーと思ったらすぐ辞めるかも」

 気に入らない就職先だった場合に何かと理由を付けて辞め、新しい職種を国にあてがってもらうのを繰り返すことを、俺達世代では離職ループと呼ぶ。辞められる企業の方はたまったものじゃないだろうが、俺達にも人生を選ぶ権利を行使させてほしい。

「逆にやりたいことってあんのかよ」

「そりゃ廃墟巡りだろ、何言ってんだ。趣味に生きるぜ俺は」

 欲望に忠実な奴だ。でもそれが少し羨ましくもあった。同じ質問をされたとして、今の俺は返答に詰まってしまうだろう。それとなく話題を逸らすことにした。

「そういやあれからどうなってんだよ、お前の『もののあはれ部』は」

「んー、おっさんが二人、男子高校生が一人入った。可愛い女の子が来ねえ」

「うわ花がねえ」

「隼人、お前女の子のふりして入れよ。サクラが一人くらいいれば本物の女の子が来るかもしれん。それに今ならちやほやされること間違いなしだぞ」

「男子大学生がおっさんにちやほやされる画とか地獄絵図だろ……」

 そんな与太話に二人で笑った。ああ、こんな何の生産性もない無駄な時間にずっと浸かっていられたらいいのに。均整の取れたスーツの折り目を眺め、弛みきったぬるま湯生活の終点を憂いた。再来年の今頃はもう社会に出なければならない。何の興味も希望もない社会に。

 ひとしきり笑った樹はひとつ息を吐いて呟いた。

「まあ趣味の輪が広がるのは楽しいんだけどさ……でもやっぱ、本当は同じ趣味で集まってワイワイやりたいよな……」

「んなもん俺らにはどうしようもねえだろ。選挙にでも行けよ。んで国を変えてこい」

「行ったところで変わるかよ。二十代の一票なんてカスみたいなもんだろ」

 その意見はごもっとも。人口ピラミッドの中でも俺達は圧倒的に少数派だ。国の偉い人達が俺達向けに何かを考えてくれるだとか、そんなこと誰も期待していない。樹は少し寂しそうに俯いた。

 何となく腹が立って、その下ろしたての革靴を踏んでやった。

「いらん哀愁を漂わせてんじゃねえ。腹立つ」

「痛ってえ」



 家にいたくない日に限って、授業は三限までしかない。閉館時間まで居座った空調完備の図書室を追い出され、ヒグラシの声を聞きながら帰路についた。

 勉強していたわけではなく、やることもないので映像視聴ブースで大昔の映画を流し見しながらずっと携帯をいじっていた。

 三十五ミリフィルムの色鮮やかな世界では、美しい女性が我が世の春を謳歌していた。華やかな街に繰り出し、友と語らい、ひとしきり遊んで帰る。それなりに恋をして、就職先に悩んで、身悶えするような葛藤を抱くも自分で将来を選び取り、生きていく。

 これを青春時代って言うんだろうな。俺は春が青いだなんて想像もつかない。何十年も前の世相ってこんな、何もかも気色ばんだ世界だったんだろうか。

 早々に映像の世界への興味を失い携帯の画面に視線を落とすと、ポップアップで表示されたニュース速報が目に飛び込んできた。

『違法新作映画の制作・初検挙』

 嫌なもん見た。何が初検挙だ。しかし感想とは裏腹に、指は記事の詳細を開き、目は画面の文字を追ってしまう。それは新作映画を自分達で制作し、違法サイトでアップロードして不当に収益を得ていたとして、二十代の男女三人が逮捕されたという内容だった。

 そのサイト自体は知らなかったが、こうして若者達の間で何らかの映像表現をネットに上げることは唯一の自己表現の一種として公然の秘密となっていたはずだった。俺だって動画サイトに花火やパルクールの様子をアップしてる。

 それが取り締まられたという事は、『そうしたもの』を牽制する狙いがあるのではないか、と記事は締め括っていた。

「ふざけんなよ……これじゃ俺達がまるで」

 犯罪者みたいじゃねえか。そう口にしかけた所で、図書館の閉館のアナウンスが鳴った。苛々と茶髪を掻き毟るが、そうした所で法律が変わるわけでも閉館時間が延びるわけでもない。舌打ちして携帯端末をポケットに仕舞い、不承不承立ち上がる。

 モヤモヤした気持ちを抱えたまま図書室の自動ドアを潜り、蒸した空気の夕暮れに飛び込んだ。百年前から変わらないはずの蝉時雨が、やけに耳についてうるさかった。

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