剣士フルゥ
鈴音
始まり
「――ということで、この国が生まれました。……っと、もう時間ですね、チャイムが鳴る前に終わってしまいましょうか」
一日の終わり、よくわからない社会の授業がようやく終わった。
今日はあの漫画の最新刊が出る日だから、急いで帰って買いに行かないと。みんながさようならと言い終える前に、まとめた荷物を手に持って教室を飛び出した。
前のお話はどんな感じだったっけ、少し忘れてしまった。買ってきたら、まず前の巻を読まないと。
下駄箱に来ると、私と同じように飛び出してきた男子が、面白そうな話をしていた。
「……でな、その化け物は夜にだけ現れるんじゃないんだ。突然、どこからともなく現れて、人間を食べちまうんだって! でもな、それを倒す影のヒーローがいるんだってさ!」
突然現れる化け物、影のヒーロー。なんの作品だろうか、私の知る限りそんな作品は知らない。
今日は時間も沢山あるし、ゆっくり探してみようかな。お金に余裕もあるし、気になる小説もあったけど、見つけられたら買ってみよう。
帰ってから私服に着替えて、財布を持って家を出る。リビングの書き置きはいつもと変わらず、帰りが遅れるから適当に食べて、だった。
分かりきってることなんだから、紙の無駄使いしないでほしいなと思いながら、裏は綺麗なままの紙をそのままに、本屋に向かった。
道中、男子の話を思い出す。影のヒーロー、何か引っかかる。なんだろうか……
ふむん、と少し溜め息をつきながら歩くことしばらく、本屋に着いた。
棚替えはしていないので、覚えている道を真っ直ぐ進む。新刊の所に、目当ての本は平積みされていた。その表紙には、主人公に背を向ける黒い影……そう、思い出した。主人公の師匠が、元々影のヒーローと呼ばれているんだった。ということは、番外作品として漫画があるのだろうか。でも、そんな話見たことも聞いたこともない。
棚をざっと見渡しても、じっと見つめてもそんな本は出てこない。彼らの作り話か、もしくは全く別の作り話なのか。まぁ、無いならなんでもいい。
最後に小説のコーナーを覗いて、気になっていた本を手に取り、そのままレジに向かった。
その途中、雑誌コーナーで、気になる見出しを見つけた。
《影のヒーロー、今夜も暗躍!》
……彼らが言っていたのは、これか。読んでみたいけど、立ち読みはマナーが悪い。会計を済ませて、今度図書館で読んでみよう。確か、この雑誌は近所の図書館で取り扱っていたはず。
レジはさほど混んでいない。素早くお金を払い、店を出た。
自動ドアを出た瞬間、視界の端に、黒いナニカが通り過ぎた。ばっと身を翻して見ると、可愛い黒猫がこちらをじっと見ていた。「にゃん」と短く鳴いて、尻尾を振る。まるで、ついてこいと言わんばかりに。
てこてこと歩き始めたので、慌ててその背を追いかけた。時折振り返りながら、猫は足早に歩を進める。
やってきたのは、家とは真反対にある高級住宅地。高い塀や生垣、私の家がすっぽり収まりそうなほど広い庭など、逆に窮屈に感じるような場所を、猫は堂々と進んでいた。
しばらく進むと、この辺りでは珍しく家も庭も小さい家に辿り着いた。猫はひょいと塀を乗り越えて行ってしまい、私はどうしても気になったので、その塀をよじ登ってみることにした。
どうやらこの家は、この国でも珍しい和風の建築らしく、素敵な縁側に猫は横たわって、何かを見つめていた。その視線の先には、一人の老婆が剣を片手に佇んでいた。
手足は棒のように細く、真っ白になった髪は少し触れただけでちぎれてしまいそうなほど。なのに、その立ち姿は震えるほど凛としていて、まるで研ぎ澄まされた剣のようだった。
老婆は、足元に転がっていた林檎を勢いよく蹴り上げると、見事に八等分に切り分けてしまった。どこからともなく取り出した皿に、ぼとぼとと落下した林檎を食べながら、老婆はこちらに振り返って、
「食べるかい」
と、声をかけてきた。
私は慌てて塀から降りると、しっかりと門から庭に入れてもらって、二人縁側に座りながら林檎を食べ始めた。
気まずくなるくらい長い沈黙の後、老婆は話しかけてきた。
「どうして、こんなばばのとこにやってきたんだい。ここにゃなんも無いよ」
と、少し笑いながら言うので、きっと寂しかったのかな。と、少し妄想しながら、答えた。
この猫に誘われて来たんです。こっちゃこいこっちゃこいって、尻尾を振っていたので。
老婆はそれを聞いて、更に嬉しそうに笑い、
「そうかい、この子が導いたのか。そりゃいい事だ。ちょうど一人暮らしにも飽きて、暇してたからね。話し相手がいれば、少しはボケ防止にもなるさね」
なんて冗談を言うから、そんなにしっかり動けるならちょっとはボケても大丈夫でしょ。なんて言ってみると、
「そりゃ無いよ。あたしゃ一人でボケてすっ転んで死ぬのだけはご遠慮したいんだ。まだまだ元気にいさせておくれ」
そんな会話を繰り返して、すっかり仲良くなってしまった。けど、今日はもう遅い時間なので、明日の放課後改めてここに来ることを約束して、お土産のお菓子を片手に帰路についた。
帰り道、あのおばあちゃんが影のヒーローならいいのにな。なんて考えて、そういえば何で剣を持っていたんだろう? 別に悪いことでは無いけど、不思議だな。と、思考をぐるぐる巡らせた。
家に帰ってきて、ご飯をそこそこに、漫画を一気に読んで、お得意の妄想を膨らませる。そう、この国に化け物がいて、私はそれを倒すかっこいい主人公。敵を打ち倒し、誰にも知られず、多くの人の命を救うのだ。
そんな妄想をしていると、すっかり遅い時間になってしまった。今日はもう寝てしまおう。
けど、少し妄想しただけなのに、どんどん話は広がって、結局意識が途切れる頃には日が変わっていた。
次の日の朝、重い瞼を擦り、昨日買った小説を鞄に詰め込んで家を出た。私の大好きなあの漫画の作者が、なんと小説にもチャレンジしたという、何とも驚きの作品なのだ。
これはすぐに読まなきゃ作者に失礼だ。そんなことを考えて、授業中にこっそり読んで、またやったなと先生に叱られた日の放課後、少し落ち込みながらおばあちゃんの家に向かった。
あんにゃろう、何も取り上げる必要もなかろうに……後数ページで終わりの一番いい所だったのに……くそう、許せん。
ムカつく思いも隠さず歩いていると、かさっ。と、生垣の葉が擦れる音がした。でも、鳥も猫も何もいない。風でも吹いたのだろうか?
気になりはしたが、それよりおばあちゃんに合う方が先だ。少しだけ、歩く速度を早めた。
門を開けて、ノッカーで扉を叩く。はいはいとテンション低めの声が聞こえて、
「なんだ、もう来たのかい。ま、上がりな」
と、おばあちゃんが出迎えてくれた。
昨日と違って、今日は自分で作ったというパウンドケーキと、いい香りのするハーブティーを用意してくれていた。
「そういえば、あんた名前は?」
ケーキを貪っていると、突然名前を聞かれた。そういえば、名乗っていないし、おばあちゃんの名前も知らない。
私は……といいます。以後お見知り置きを。
「はいさな、あたしはフルゥ。よろしくな、嬢ちゃん」
その呼び方をするなら私が名乗る必要無くないです?
「名前の交換は大事だよ、礼儀ってものがあるさね」
……なるほど、というより、その喋り方はどうして。
「昔は清楚におほほって笑って、そうですの。だの素敵だわ。だなんて喋ってたけんどね、疲れるんだ、あの喋り方。こっちの方が気が楽で良いのさ」
うわぁ、身も蓋もない。
「あんたも年取りゃ分かるよ、大人の付き合いだとか、良い家の付き合いだなんて大概ろくでもない」
良い家?
「そう、あたしはこう見えて元貴族さ。遠い山向こうの、片田舎のね」
……この時代に、貴族の人生き残ってるんだ。
「没落したり、解体されただけであたしらみたいな元貴族のじじばばは結構生き残ってるもんよ。擦れた喋り方か、丁寧すぎる物腰のじじばばは生き残りと思いな」
おばあちゃんは、どうしてこの国に?
「逃げてきたんだよ、実家から。窮屈でしょうがないって。んで、この国に来た時に、その猫のばあちゃんに出会って、この剣の持ち主に出会って、譲ってもらったのさ」
……そう、気になってたの、その剣。
「おっと触るな、危ないよ」
あっ、ごめんなさい。
「素直でよろし」
その剣って、一体全体なんなの?
「知らんよ。持ち主曰く、清い心と優しい強さを持つものに力を与えるとか何とか言ってたけど、よくわかんなくてね。結局、詳細を知るより先に前の持ち主はどっかに消えちまったのさ」
……そうなんだ。
「っと、そろそろ暗くなるな。どうする? 飯でも食ってくかい?」
あ、じゃあそうしようかな。
「あいよ。親御さんに連絡は?」
多分、今日も家にいないからしなくてもいいかな。
「ありゃ、仕事で忙しいのかい?」
うん、民間の警備会社で格闘技を教えてる先生なの。この前包丁もった暴漢二十七人に囲まれたけど片腕で鎮圧したわって、山積みの男の上に腰掛けてる写真見せてくれた。
「なんじゃそら」
雑談をしながらも、おばあちゃんの料理は止まらなかった。雑に切られた野菜、切れていない肉、目分量で多すぎる塩によくわかんない粉をかけた野菜炒めが完成し、一口食べて吐き出した。
「うん、不味い。今日も失敗だ」
おばあちゃんは顔を顰めながら、黙々と食べ進める。私も、流石に出された料理くらいちゃんと食べ切ろうと思って、無理やり詰め込んでは水で流し込んでいく。うーん、いくら食べても不味い。なんなんだあのかけてた粉は。
「片栗粉かけろって書いてたから、それっぽいやつを入れたんだけど、ダメだったんかねぇ」
それっぽいやつ?
「プロテイン」
もうボケてんじゃねえかなばあちゃん。
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