第八話 孤独

帝国歴 5472年6月1日午前9時01分 

ゼクス帝国 帝国海軍アメノトリ軍港 アメノトリ陸戦予科練兵団



開戦 約二年前 (銃撃事件より 約六年後)




 「敬礼ーッ!!!」



 中年の男の野太い声がホールの中に響く。


 直立不動の若い兵士らが、一斉に頭を下げる。



 「直れッ!!」



 皆が姿勢を戻す中、壇上では、しんと静まり返った館内にこつこつと足音を響かせながら、団長らしき佐官の男がマイクの前に厳かに向かい始めた。





 どこまでやれるか。



 一人の入団生として壇の下の席からその光景を眺めつつ、ウルはそう思った。


 六年前までの自分なら、軍隊に志願するなど、考えなかっただろう。


 いや、つい半年まででも考えはしなかった…。









 六年前のあの銃撃事件の後、居留地当局の調査により、次第に事件の背景が明らかにされていった。


 銃撃戦の直後、居留地の最西端で捕らえられた犯人の人間らは、反ゼクス帝国の思想を掲げるティエンタン人の政治団体に雇われていた暴力団の一群であったと判明した。


 当初の目的であったゼクス人の個人経営者の暗殺を居留地内で達成したが、その死体の隠ぺい中に作業中にウルの母親に現場を目撃されたことから、焦った若手が泥縄式に口封じを行おうとし、居留民との銃撃戦に発展してしまったとのことであった。


 ウルがこうした事件の詳細を知ったのは、自身の中等学校への進学が決まった頃であった。


 居留地での銃撃事件の後、身寄りをなくした幼い少年ウルは、帝国本土の帝都デットモルト近郊の叔母の家庭に引き取られた。


 




 「心的外傷による神経症、まあトラウマでしょうな。なにぶん心因的なもんですから。安静にして様子をみていただく、それしかないですな。」


 「…そうですか。」


 内地の医者はそう告げ、まだ幼かったウルの横に腰かけていた叔母は徐に頭を下げた。


 ウル自身あの事件以来、一連の生活の変化の中で自身の口数が大きく減った事を子どもながら自覚していた。




 引き取られたばかりの叔母に、自身の事柄を積極的に話す気分にはなれない。


 それもあったが何より、無遠慮に人と接触するとそれがきっかけにまた他人に殺されるような気がした。


 そうした根拠のない強迫観念が、ウルの言動を縛り続けていた。







 「ウルちゃん、今日は何を食べたい?」


 「…………。」



 自身の子供と同じように可愛がってくれる、叔母の気遣い。


 子どもながらにもどこか距離感を感じてはいたが、自分に優しく接そうとしているのがウルには伝わっていた。


 その好意を受ける事が何か恐ろしい事を引き起こしそうな、妙な感覚がずっと胸にある。




 受けたいとも思えない気遣いを一方的に日々振りまいてくる叔母の隣にしか今の自分の居場所がない。


 それが非常に窮屈に思えた。



 このような状態であるが故に、ウルは引き取られ先でもなかなか他人とのコミュニケーションが取れずにいた。





 しかし、ウルは何かの拍子に急によく話し始める事がしばしばあった。


 叔母は、普段無反応なこの子供が決まって口を開く、その法則をすぐに理解した。





 決まって人間の話題になると、異様にものを話すようになる。



 最初しばらくの間、それまでウルの無口無反応に困り果てていた叔母はそれを喜んでいたが、長くは続かなかった。







 ある日の休日の昼下がり、居間のラジオがティエンタン人の近年の流行文化について語り始めた。


 ウルは遅めの昼食を口に運びつつ、しばらくそれを無言で聞いていたが、やや間があってからぽつりと呟いた。




 「……どうして僕を殺そうとした人の事を、こんなに楽しそうに言うんだろう。」



 叔母はその言葉にふと顔を上げ、また口にスプーンを運び始めるウルの顔を少し眺めていたが、その後意を決したようにウルに語りかけた。




 「……ウルちゃんね、そういう事を言ってはいけません。」



 ウルは食事の手を止めると、幼い顔に不思議そうな表情を浮かべて叔母を見つめた。




 「…………?」


 「ウルちゃんが大変な目にあったのは分かるわ。でも人間の人たちだって、みんながみんな悪い人な訳じゃありません。そういう言い方をしてはいけないわ。」


 「…でも、人間たちはぼくたちが獣人だって一纏めにして…」





 「ウルちゃん!」



 叔母は大きな声でウルの言葉を遮った。



 「…とにかく、そういう事を言ってはいけません! 悪い人だけの話、済んだことの話で他の人を判断しちゃいけないんです! 人間の人たちが悲しむし、他の人が聞いても嫌な気分になるわ。他の人の中には、人間の人たちの文化が好きな人もいるんだから。 …ね?」





 ウルは無言のまま反応せず、目だけを異様に大きく見開いていたまま固まっていた。





 「わかった…? 約束よ。 ……そんな事よりおばさんね。この間、ウルちゃんに似合うと思って服を………。」




 ウルの反応を待つこともなく話を切り替える叔母の表情を、ウルはジッと見ていた。







 ………この人は、何を言っているんだろうか。




 どうして僕の恐怖や苦悩のことばが、人間や赤の他人の耳障りなんかの為に押し黙らされなくてはいけないのだろう。


 人間の方は自分や家族の命まで奪いに来たのに、自分は人間に対して怒る事すらも許されないのか。




 自分が撃たれた事はもう “済んだこと”で、なかったことになってしまうのか。


 そもそもこの人にとっても、母親は肉親だったのではないのか。




 叔母の言葉にどうしても首を縦に振る気になれない。





 叔母がいう事が正しいのなら、自分や母親は、“たまたま”悪い人間に当たっただけだというのか。


 運が悪かったと言われて、それでおしまい?




 悪い本人さえ捕まってしまえば、悪い人を生んだ人間社会は責任を問われないのか。


 じゃあ誰が、僕の一生負っていかなければならない悲しみの責任を負ってくれるのか。





 叔母から振られた話題にもそれ以上答える事はなく、ウルはその日一日黙り込んでいた。








 翌日からウルは、図書館で積極的に本を手に取り始めた。


 自分の方が黙らなくてはならない世の中はおかしいと思ったからであった。




 少しでも多く、世界の事を知りたい。


 世界を知り、少しでも多くの世界の人に、いずれは自分の境遇を訴えたいと思った。




 少しでも、正しさに目を向けてほしい。 






 歴史も調べ出した。



 これまでの歴史上、人間がたくさんの獣人や妖精を、殺してきたこと。


 自分たちゼクス人も、その過程で多くの戦いを重ね、血を流し続けてきたこと。


 あらゆる歴史を少しずつ学んでいった。




 ウルにはそうした人間による血みどろの歴史の、その最後尾に自分が連なっているように思えた。 









 しかし、それからしばらく経ったある日、ウルは学校でも問題を起こした。



 転校先の初等学校でクラスメイトらが人間の国のひとつ、カルディエ国での流行りの歌をクラス会の合唱で歌おうと言い出した。


 ウルはやりたくないと思ったが、言い出せなかった。



 結局当日に組を抜け出し、クラスの集会のレクリエーションの開始を大幅に遅らせていたところを担任の先生に捕まった。



 その日ウルは職員室へと連れていかれたが、担任は親身な様子でウルに本音を話すように言った。


 予想に反した担任の穏やかな様子に、ウルは少々面食らったが、その様子に信頼を置いたのか、次第に色々と話し始めた。



 自分は元々は大陸の居留民であったが、その際に人間にひどいことをされたということ。


 親はそれに殺され、自分も撃たれて死にかけたということ。


 自分は人間への恨みがどうしても忘れられないということ。



 しかし一方で、世間の人たちは自分がこうした過去を話しても喜ばないと思っていること。


 そもそもあまり他人と話す事も苦手に思っているということ。



 だから逃げ出したのだ、ということ。 




 驚いたことに担任の教師は、自国の大陸居留区がどこにあるかすら、あまり詳しく知らないような素振りを見せていた。



 しかし彼は終始ゆっくりと相槌を打ち、優しい顔でウルの話は聞いていた。



 それに安心し、ウルが一通り思いの丈を話し切った後、担任は最後に一言、こういった。






 「でも、他の国や種族への差別はよくないことだからね。」





 その日以来、ウルは自身の考えを誰にも伝えようとはしなくなった。







 迂闊に本音を話そうとしても、結局は他人から白眼視されるだけである。


 それならば、あえて共感など他人には求めたりはしない。その方が円滑な社交関係を構築する上で有意義だからだ。



 自分の「正しさ」などというものも、相対的なものである。


 人間の窃盗団に殺されるかも知れない大陸にいる者と、内地の者ではそもそも価値観が違う。


 他者に同意を求め、世論の世直しに走ろうなどと考えるのも烏滸がましい。




 中等学校に進んだ頃には、ウルはそう考えるようになった。








 しかし、彼の心が次第に閉ざされていくのとは裏腹に、次第に世間の様子は変わっていった。




 今から三年前の春、居留区で再びテロがあった。



 居留地中心部のビジネス街においての爆弾を用いた爆破テロであったため、当時その場所を訪れていた著名人を含めてたくさんのゼクス人の死傷者が出た。


 ウルの中等学校のクラスでも、しばらくはこの話題で持ちきりであった。




 同年の夏、人間社会で戦争が起きた。


 当事国から齎される数多の情報は、ゼクス帝国にも広まった。



 一方の当事国が新型の航空機を大々的に用いているらしいこと。


 それら航空機からばらまかれた爆弾や毒ガスが、人々に大きな被害を与えていること。



 その被害の中にはゼクスの大使館や向こうでのゼクス人在留民もあったということ。



 ラジオの報道は、政府が防空壕を拡充すると発表したと伝え、数週間後には各家庭に民間用の防護ガスマスクが配布され始めるようになった。





 この頃、世論が露骨に人間諸国を嫌い始めたのがウルには分かった。



 居留区の爆弾テロがティエンタン人による犯行であると断定されたとラジオニュースが伝えた際、叔母はぼそりと呟いた。





 「人間なんて、いなくなればいいのにねぇ。」



 ウルが以前同じような事を口にしたときに味方もせずに話を遮った叔母は、台所に立ちながら確かにそういった。






 三か月ほど後の中等学校の夏季休暇期、商店街の雑貨屋の前で初等学校の時の担任を見かけた。


 自分が本音で話したあの日、居留地の名前すら知らなかった教師は、店主に対し数か月前の爆弾テロの調査結果の報道の件について饒舌に話していた。




 「…こんな状態じゃ、帝都だって外国の人間にやられるかもしれませんよ。何せ、うちの帝国は近年は平和続きで意識がたるんでいますからね。」



 元担任は得意げな様子で店の親父にそう返し、笑っていた。



 「我が国に、これ以上人間が入って来れないようにしてほしいですね。」






 また別の日には、街頭で政治団体が国内の異種族の追放と国外ゼクス人との団結を訴えていた。


 隣に反戦平和の労働党の旗を掲げた集団がやってきて、聴衆を巻き込んで殴り合いを挑んでいる最中であったが、数分後にウルが買い物を終えて戻ってきた頃には労働党はすっかり引き払っていた。



 残った聴衆らは、不快なダミ声で叫ぶ代表者のような黒服の男の演説に熱心な様子で声援を送っていた。



 『このような時勢においてなお、政府は全く弱腰の姿勢なのでありますッ! 先日の我が国の大使館に対する空襲事件ッ!! 実に十二人もの同胞が斃れたのですッ!! 十二人、十二人でございますッ!! 未来ある職員の命が奪われたのであります、皆さま!!』


 『さらには!! その前の大陸居留民の爆破事件!! 既にティエンタン政府当局の関与は明白ではございませんかッ!! 』


 『にも拘らず、“協調外交”などと!! 耳障りが良いだけの軟弱な姿勢で我々帝国臣民を見殺しにする売国奴が、今この帝都に……!!』


 「そうだッ!!いいぞーッ!!」

 

「異議なしッ!!」


 演説者は観客の声を抑えるように手をかざしては、再び拡声器の音が割れる寸前の声でがなり立て始めた。




 





 異様な空気感。 




 ウルはそう思った。


 そうして自身の胸の中で、気持ちの悪いいくつかの感情が渦巻くのを感じ取った。



 自分もずっと、人間が憎かった。絶対に許せるはずがないと、今でも思い続けている。


 ただ、人間ではなくゼクス人に対する今のこの感情はなんなのだろうか。







 ……どうして自分が撃たれた時に、社会は一緒に怒ってくれなかったのか。


 これ程人々が敵に対して憤怒出来るのなら、その原因となる悲劇や痛みをどうして自分からも分かち合ってくれなかったのか。 


 この世界に、ずっと自分の味方はいないのかと思っていた。





 ウルはふっと活動家の方を振り返った。






 笑っている。



 演説者は、自己の演説によって齎されるその空間に酔い、うっすらと口元に笑みを浮かべながら叫んでいた。







 …いや、今も味方はいないのである。



 ウルはそう思った。




 世界は、彼らの為に怒っている。





 彼らは自らの談笑の題となる範囲でのみ時事問題に関心を向け、自身の知識をひけらかす為にこそ他者を批判し、自らが輝く場を得るためにこそ街頭演説している。



 全ての人の行為は、皆、自己の為だ。


 


 自分と母親の二人しか犠牲者が出ないような単発の事件では、広い世界の目には止まらなかった。


 もっと多くの人が死に、時勢が日に日に血生臭くなる順序を踏み、人々の関心を集められるような下地が整わなくては、自分が人々と感情を共にする等という事は不可能だったのだ。




 あれほど自身の不幸に対する無関心を憎んだ世界は、今や自分の怒りを超えて激高している。




 内地の者は大陸の者とは、やはり価値観が違うようである。


 人間にただの一度も殺されかけた事のない者が、昨日までは無邪気に人間の文化に触れあっていた者が、今日には何も悪びれる様子もなく人間の排斥を主張している。




 社会に対する、戦慄と失望。




 ウルは自分の中に渦巻いていた感情の正体を理解し、肩の荷が下りたようにゆっくりと帰路につき始めた。





 ウルの目の前にあの女神が再び現れたのは、そんな時であった。

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