第三話 元凶の弾
帝国歴 5466年(革命歴 195年) 5月28日午前7時18分
ティエンタン共和国 テガリス居留地 第二地区東方 海龍通付近 裏路地
銃撃事件 約二分前
ゴミ籠を地面におきつつ、ウルの母親が路地裏に停められたゴミ収集の手車に手早く蓋をする。
夏も近付くこの時期、家庭から出たゴミを入れたままの木箱は内部から凄まじい臭気を漂わせていた。
日の当たらない小路とはいえ、荷車の回収があるのは一週間に一回である。嗅覚に優れる犬獣人にとって、目まで染みるような強烈な匂いはなかなかに耐え難いものである。蓋を開けてゴミを入れるのも、蓋を閉めるのも、おのずと手元が早くなっていく。
「…ふう。」
ウルの母親は一息つき、足元のゴミ籠を拾って表通りに向かって帰り始める。が、数歩したところで何かを思い出したようにフッと振り返る。
今さっき、自身の息子に野良猫の事でしかっておきながら、収集箱の蓋の金具を閉めるのを忘れていた。
施錠をしなければ、この地域に増えてきている野良猫やカラスがゴミを荒らす恐れがある。従って町内でもこのようなゴミ収集の処理には住民は皆神経を尖らせているのである。
「…はぁ、私もうっかりしてるわね。」
自身に対する呆れ笑いを浮かべながら、収集箱を乗せた荷車に再度歩み寄り始める。
「……?」
収集箱の向こう、20m程先の角から、何者かが背中を覗かせている。
「…あんなところに、誰?」
朝でも薄暗いこの裏路地で、ましてその先は空き家ばかりの場所である。一体誰が…。
思わず小路の端に寄り、立ち止まる。そしてその背中を凝視した。
…背広?
そう思った瞬間、その丸まった背中が伸び、こちらに顔を覗かせた。
「…ッ!!!?」
その顔を正面から見た瞬間、母親は全身の毛をよだたせた。
…に、人間!!!!!!
相手の方はしかし、薄暗いところでサングラスをかけていた為か、或いは荷車の後ろにあるこちらの姿をきちんと認識できなかった為か、すぐに振り返って反対の奥の方を向いた。
小路の人目を憚って避けるように、周辺の様子を伺っている様子である。
その男が再び腰を丸めると、陰からもう一人姿を現した。
…い、息を殺さないと!
ゆっくりとしゃがんで、荷車に頭まで隠さないと…!!
ど…どうしてここに人間が。
顔は黄色人種のようで、おそらくは現地の人間である。
つい先日、居留地内で人間に襲われた者がいたという話を聞いたことがある。
母親はゆっくりと震えて笑う膝を、てのひらで押さえつけながらなんとか曲げようとする。
人間達は何かを小声で喋っている。どうやら最初に少し背中を見せた男が、何か重い荷物を引き摺っているようだ。
母親は、人間たちがゆっくりと陰から引っ張り出してくるものを凝視した。
「……ヒッ!!」
引き摺り出されて来たものは、死体であった。
袋に詰められていて半分は見えないが、明らかに同じ犬獣人の、凄惨な死体である。
袋から引きずられるようにだらんとはみ出した右腕は真新しいカッターシャツの袖に覆われており、その二の腕のあたりにはおそらく中心街の富豪が身に着けるようなブランド物のネクタイが絡まっている。
いずれもベタベタに血濡れている。
思わず前かがみになろうとしていた膝が前に崩れた。
持っていた籠を、収集の木箱に当ててしまう。
コン、という軽い音が響いた。
「ッあ…!!!」
ハッと顔を上げると、人間の男達が一斉にこちらを振り返っている!
気付かれたっ!!! ふたり…いや奥からもう一人が顔を出す!!
「…イッ…いやッ!!!」
咄嗟に、大通りの方向に走り出そうとする。走る方向を振り返る為に彼らから目を反らす。
視界の端で、二人目の男が一人目に背後から何かを怒鳴りかけている。
と、同時に一人目はそれに振り向く事なく懐に手を突っ込んで、黒鉄色の塊を掴み出そうとしている。
こッ殺されるッ…!!
明るい大通りに向かって母親が逃げ始める。
その背後、乾いた破裂音が立て続けに三回響いた。
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