六ツ輪の轍

@neo-iruche-ijn-rn6

序章

第一話 押されるもの、押すもの

帝国歴 5466年(革命歴 195年) 5月28日午前7時21分 

ティエンタン共和国 テガリス居留地 第二地区東方 海龍通




 「野郎ッ! おいッ、誰か来てくれ!! 人間だッ」


 「そこの角の奥さんが撃たれてる!! 早くッ!!」



 自身の店にもたれかかるように隠れながら、乾物屋の店主の男が吠えた。


 連続する爆竹のような破裂音と男の怒号を聴きつけ、不用心にも通りに軒を連ねる店の戸や窓が動く。


 声の主である中年の犬獣人である彼の手には猟銃が握られ、足元では排出されたばかりの黄金色の薬莢が、薄く煙を吹いていた。


 


 「人間がいる!! 撃ってきたんだッ!! まだ奥さんの倒れている!! すぐ横に、まだ子どももいる!! 」




 目の合った同じ犬獣人の住人達に、再び店主は叫ぶ。軒の陰に隠れてはいるが、その横顔は斜め上からの朝日の光によって灼かれていた。見開いた目と牙だけが光を反射している。


 店主の声を聞くや否や、商店街の男達は妻子を庇いつつ一斉に建物の中に飛び込んでいく。




 「…くっ、くそっ!!」


 


 店主が振り向きつつ、軒から身を乗り出しもう一発発砲する。


 20mほど離れた十字路、血を流して倒れ込む女性のすぐ傍で、未舗装の通りの土が小さく跳ね上がった。


 女の隣で呆然と座り込んで俯く子供の耳が、一瞬ピンと逆立つ。




 店側からのマズルフラッシュを確認した相手の集団の先頭の人影が、少し怯んだ様に見える。


 瞬間、店主の背後から他の店の男も飛び出してきて射撃を開始した。


 他にもゾロゾロと増える獣人を見ると、先頭の半袖のシャツの人間は銃口を上げ、仲間を建物の陰に押し込むようにしながら十字路の左手に消えて行った。




 「…あっ!! …くそっ!」




 店主は猟銃を右手に握りなおすと、咄嗟に子供に駆け寄る。




 「おい、ぼく! 大丈夫かッ!!」




 店主が子供の肩に手をかけると、再び子供の頭の上の耳がビクッと動く。


 やや数秒の間があって、子供が店主に顔を向ける。




 「…お…おかあさんが…」




 店主が隣に目をやる。


 …あまりに出血が多すぎる。女が突っ伏しているその一面が血の海だ。確認できるだけでも2発は撃たれている。しかも一発は首のあたりではないか。横顔も異様に真っ青で、血の気が引いている。




 これは難しいかも知れん。


 残酷に切り捨てる事を勧める考えが、一瞬彼の脳裏をよぎる。




 「……ああ、お母ちゃんも連れていくよ。病院に行かんとな、だから…」




 子どもの手が、血濡れになった母の服をギュッと掴む。


 


 「…だからボクも一緒にここを離れよう。」




 虚ろな目をした目に、店主は語りかける。


 自身の提案を了承しているとも否定しているとも取れない、無反応なままのその目線は、じっと店主の口の辺りにあるように思えた。


 彼は駆け付けた町内の人間に振り向くと、視線で母親の止血にかかるように指示した。そうして子供の手を母親から離し、腰に手を回して抱きかかえようとする。




 ……?

子供の服がなま暖かく濡れている。


 端の方はガビガビに乾いているが、腹部を中心に生暖かい。子供が寄りかかろうとしていた母親の血か…。




 手に力を入れようとし、その血が服の奥からジワジワと溢れている事に店主は気づく。




 「……ッ!!! 子供も撃たれてるッ!!」


 


 子どもの腹部を確認すると、銃創のような部分から血が溢れ出している。




 「おい!!子供もやられたらしいぞ!!」


 「誰か清潔な布持ってこいッ!! 運んでやれ!!」




 町人達が口々に喚き出す。




 「傷口を抑えろ!!!」




 店主が背後からの声に従い、ハッとした様子で子供の腹を強く圧迫し始める。


 ゆっくりと頭を抱きかかえながら地面に倒された子供は、既に目の焦点も合っていない。




 「いやあぁ!!! ウルちゃん!! ウルちゃんッ!!!」




 駆け付けた婦人が子供に向かって呼びかける。




 「ここはいいから!!! 助けを呼んで来い!!」


 「は…はい!!」


 「巡査にも誰か連絡を!!」


 「ああ! わかった!」




 数人の男達が駆けつけて来た野次馬に次々に指示を出す。




 「おいお前! 何してるんだ!! 早く奥さんも仰向けにして様子を見ろと言ってるだろう!!」


 「あ…あぁ…! すまん…!」


 


 改めて一人がウルの母親に近づく。




 「クソッ!! 乾物屋!! どんな連中だったんだ!? 撃った奴らは!!」


 「…わからん。何人かは背広羽織ってネクタイを締めてたが…。黄色人種だったから、ここの現地人だ。対岸あたりのゴロツキかもしれん。」


 「くそが。人間め…!! 女子供まで射的の的にするってのかよ!! ゴミ屑どもが…!!」




 店主は無言でウルの腹部を抑え続ける。




 「先月だって、うちらの官憲の死体が向こう岸の倉庫で見つかったって話があったばっかで…」


 「いいから手を動かせッ!! 見殺す気か!!?」


 


 店主が顔を振り向かせ、若い男に怒鳴りかかる。




 「…す、すまん。」




 委縮する男の様子を見ると、店主は顔をウルの方に戻し、呟いた。




 「この子やらお前みたいな若いのが、これ以上人間にぶっ殺されて、たまるかよ。おい、もっと布を…!」


 「おーい!! 今隣の地区の病院に連絡をつけてる!! 今すぐ運んでやれ!!」




 店主が声の方向に視線をやると、ちょうど担架を運んでくる男達が駆けつけてくる。




 「先に子どもからだ!! 運んでやれ! 傷口を縛り直して圧迫するんだ!」




 未使用の布を隣の男のポケットから引っ張り出し、担架の男に手渡しながら伝える。




 「…それとこの子らの血液型だ! わからんか、誰か。わかる者があったら、病院へ連れていけ!」


「わかった!」




 再度止血されるウルを見つめながら、店主は呟いた。




 「…正直、親の方は難しいかも知らんが。子供だけでも助けてやれればな…。」


 


 担架の男は腹部を縛りながら視線をそのままに答える。




 「それは医者の判断に従うよ。」


 「…ああ、すまん。…急げ。」




 縛り終えて男達がウルの担架を持ち上げると同時に、もう一本の担架が見当たらなかったのか、荷車が血塗れの母親の横に付けられた。


 男達はただウルの担架が走って担がれていく様を、スイッチが切れたようにしばらく呆然と眺め続けていた。

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