結界と飛行機と -2
部長が何を言わんとしているのか、ようやくわかってきた。僕がわかったことを察したのか、彼女はしたり顔で人差し指を突きつけてくる。
百篇の物語。それに対応する、百本の灯火。そう、結界を形成するキャンドルの数は、ぴったり百本でないとおかしいのだ。だが、僕らが行った儀式では、その上限をゆうに超えていた。ひょっとすると二百本近くあったのではないだろうか。
「でも、ちょっと待ってください。ミドウサマが百物語を下敷きにしているというのは、単なる僕らの仮説にすぎません。それに、こうは考えられませんか? 結界を作るのに、どれくらいの数のキャンドルが必要になるのか、誰にもわからなかったとは。だからあえて多めに持ってきて……」
僕の反論は、尻すぼみに終わった。
鷹揚に一つ頷くと、部長は言った。「そういうこともあるかもしれない。しかし、それなら必要な数の目星がついた時点で、残りのキャンドルはただしまっておけばよかったんじゃないか? そうすれば君たちだって、あんなドミノを並べるが如き、面倒で時間のかかる作業に追われなくて済んだんだ。違うかい?」
そう、その通り。
ただ多めに用意すること自体は、さしておかしなことではない。しかし、全てを床に並べるとなると、相応の理由が必要になってくるのだ。
この事件には裏がある。何者が仕組んだにせよ、その思惑は僕が考えているほど単純ではなさそうだ。
「……で、あんなにたくさん並べなくてはならなかった理由って、なんなんでしょうか?」
僕が訊くと、部長はあからさまに肩をすくめてみせた。「さぁ、私に訊かれても困るよ。わかるわけないだろ?」
ですよねー。
日を改めて、もう一度聞き込みをした方がよさそうだ。僕らにはまだ、知らなくてはならないことが多すぎる。
が、その段取りを考えようとすると、腹の虫が高らかに抗議の声を上げた。
こういう場合に聞こえなかったフリをしてくれるような慈悲深さを、この人は持ち合わせていない。にやにやと笑いながら、指摘してくる。「お腹、鳴ったね」
「ええ、まぁ」
「なかなか可愛い音するんだね」
「腹が減ってるんですよ、今日一日いろいろあったから」
「顔赤いよ? ほんとに可愛いなぁ君は」
ひったくるようにバッグを掴み、僕は立ち上がった。「もう帰ります」
だが、部長はそれを許してくれなかった。まるで遮断機のように腕で行手を遮り、言った。「ちょい待ち。私の方も、ちょっとした発見があるんだ」
「発見?」しぶしぶながら、再び腰を下ろす。「何かわかったんですか? というか今日、どこに行ってたんですか?」
「まずはこれをよく見てごらん」部長はそう言うと、先刻折っていた紙飛行機を軽く放ってよこした。
飛行機というよりはミサイルのような軌道を描いて、それは僕の手に到達する前に落ちた──まともに飛ばないはずだ。左右の翼の長さが異なっている。
言われるがままに、不恰好な飛行機を拾い上げて広げる。ごく当たり前の、A4サイズのコピー用紙である。何も書かれていない。
「火で炙り出せばいいんですか?」
僕の精一杯の諧謔など一顧だにせず、部長はごく簡潔に言った。「裏面」
「はい、はい」
生返事をしつつ、用紙を裏返す──何かをこぼしたような五ミリほどの黒っぽいしみが、そこにはあった。
「これが、どうかしたんですか?」
僕の質問に、部長は質問で返した。「君、それは何だと思う?」
「何って……インクのしみですよね」
「その紙は今日、私が印刷室から失敬してきたものだ。裏紙用と書かれた棚の上からね。さて、私はあまり機械に詳しくないから、君に問いたい。どうしてこんなしみが、まっさらな紙にできるのかな」
「さぁ……僕もよくは知らないんですけど、印刷ミスにトナーや原稿カバーの汚れが重なると、こういうことがおこるらしいですよ」
そこまで言ったところで、僕は今更ながらに部長に非難の目を向けた。「入り込んだんですか? 印刷室に?」
彼女は悪びれた風もない。「この学校は、私の家みたいなものだからね。どこだろうとフリーパスさ」
僕は閉口するしかなかった。
どんな学校でもそうだと思うのだけど、児童生徒の印刷室への立ち入りは原則的に禁じられている。厳重な取り扱いを要する文書、たとえば試験問題を扱う場合も多いし、裁断機のような危険な機械も置かれているからだろう。印刷室を舞台とする学校の怪談があまり多くないのも、そうした事情が関係しているのかもしれない(とりもなおさず、印刷室は学校の怪異から逃れるためのシェルターとして機能するのかもしれない)。
しかし、だ。
呆れながらも、僕はふと、邪な考えを胸に抱いた。
この人はかくもあっさりと、印刷室に忍び込める。ということは、だ。たとえば定期考査前に切羽詰まった時は、ちょいと救援を要請すれば──。
そんな考えを見抜いたように、部長は言った。「君。断っておくけど、私は試験問題のリークなんてするつもりはないからね」
僕は至極平静にこう返した。「やっ、やややややだなぁ、そんなこと考えちゃいませんよ。考えるはずがないじゃないですか。は、ははは」
「そんなめんどくさい悪事の片棒担いだって、私にはなんのメリットもないもんね」
そういう問題じゃないだろ。
手の動きだけでツッコミを入れつつ、僕はあらためて訊いた。「で、なんでこのしみが気になるんですか」
よくぞ訊いてくれたと言わんばかりににんまり笑いながら、部長はおもむろに、もう一枚の紙を取り出した。
「これを見てくれ」
彼女に渡されたのは、ミドウサマからのメッセージだった。あの日床の上に忽然と現れた、A4サイズの紙。血を思わせる赤い字で書かれた、「これは警告である。ただちに去れ。これ以上、私に関わるな。」という文。その後どこへ行ったのかとは思っていたが、まさか部長が持っていたとは。
その用紙の裏面にも、やはり五ミリほどの黒いしみがあった。
僕はよほど怪訝そうな表情を浮かべていたらしい。そんな僕の目を覗き込みながら、部長は己の発見の効果を噛みしめるように、ゆっくりと言った。「さっきも言った通り、私はこの手の機械に明るいわけじゃない。しかし、こういうしみには、おいそれと出くわせるわけではないことくらいはわかる。……質も大きさも全く同じ二枚の紙、そしてよく似た二つのしみ。君、私が何を考えているかわかるかい?」
「つまり──」人差し指を額にあてて、僕は慎重に言った。「──つまり、ミドウサマからのメッセージに使われたこの用紙は、部長が持ってきたこっちの用紙と、出所が同じである?」
指を突きつけられた。「そういうことだ。まだ断言はできないけど、ね」
出所が同じ、ということは職員室のコピー機だろうか。おそらくそこで何らかの機材トラブルがあって、紆余曲折を経て印刷室の棚へ──。
そこまで考えたところで、僕はハッと我に返った。
つい声が大きくなる。「待ってください。確かにこの二つのしみはよく似ています。だけど、だからといってそれが同一のコピー機の不具合によるものだなんて証拠は、何もないじゃありませんか」
「だから言ってるだろ、断言はできないって。私はただ、可能性の話をしているだけさ。どうしたんだい? いきなりムキになったりして。落ち着きたまえよ」
だが、僕は落ち着いてはいられなかった。自制しようとする理性とは裏腹に、舌はますますその動きを速める。
「だって、だってですよ。もし本当に、部長の考え通りだったならば……今回の事件の容疑者は、一人もいなくなってしまうじゃないですか」
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