結界と飛行機と
僕が部室に入った時、部長は紙飛行機なんぞで遊んでいた。
「おー、いらっしゃい」
「お忙しいところ、失礼します」
僕の精一杯の皮肉など、無論彼女は一顧だにしない。国語科研究室払い下げのソファにふんぞり返ったまま、さも当然の権利と言わんばかりに訊く。「聞き込みの結果はどうだった? 早速聞かせておくれ。今日見てきたこと聞いてきたこと、全部ね」
僕は嘆息した。
時刻はまもなく五時になろうとしている。最終下校時刻まで残り一時間、正直に言えば腹も減っているし、とっとと帰りたかった。
が、なにしろ相手は好奇心の権化なのだ。たとえこちらが危篤状態だったとしても、彼女は決して追及(追究と表すべきか?)の手を緩めてはくれないだろう。
彼女に言わせれば僕は「すぐ安直な結論に飛びつくきらいはあるものの、短期記憶に関しては非常に秀でている」のだそうだ。そして彼女は、エビングハウスなるドイツの心理学者の言葉を引用して、こうも語っている。
「人間とは忘れる生き物だ。たとえ君のような優れた記憶力の持ち主といえども、記憶は二十分後に四〇パーセント、一時間後には五五パーセント、そして一日後ともなれば、実に七五パーセントが損なわれてしまう。だが二十四時間以内に当時の出来事を反芻すると、記憶は百パーセントまで復元されるんだってさ。というわけで香宮君。報告・連絡・迅速に。何か面白い情報を掴んだら、大小にかかわらずただちに私に報告するように」
そういうわけで僕は、あまり成功したとは言い難い聞き込みの顛末を、しぶしぶながらできる限り正確に伝えた。
部長が殊更に興味を示したのは、三神さんの友人たちが執り行った儀式のくだりだった。僕は動画の内容について、覚えている限りのことを何度も繰り返し説明しなくてはならなかった。
「興味深いね」話し疲れてぐったりしている僕とは対照的に、彼女は実に活き活きとした目をしていた。居住まいを正し、しきりに顎を撫でている。「実に興味深いよ香宮君。特に面白いのは結界だ。君、何か気づかないかい」
なーんにも。
指摘される前に気づけるほどに目敏い人間ならば、はなから他人の助けなど不要なのである。
説明するのももどかしいと言わんばかりに、部長はずいと身を乗り出した。「キャンドルだよ、君。キャンドルの数。君が映像で見た結界は、私たちが作ったそれよりずっと小さかったんだろ? そして小さくても、別に式の進行に差し支えなかったわけだ。ならばなぜ、私たちの儀式では、あんなに大きくしなくてはならなかったんだ? 言い換えれば、なぜあんなにたくさんのキャンドルを使わなくてはならなかったんだ?」
キャンドル、か。
そういえば僕は、儀式の準備の際にも何やら小さな違和感を覚え、そしてその正体にとうとう気づけなかったんだっけ。あの時のもどかしさが蘇ってくる。結局僕は、何に引っかかっていたのだろう?
……頭が働かない。脳が糖分を欲している。チョコレートか何かを、思い切り頬張りたい。
僕がなおもぼんやりしているのにイライラしたのか、部長は激しくかぶりを振った。「思い出せよ香宮君。あのトイレで、私たちは一緒に考察したじゃないか。そもそもこのミドウサマの儀式は、コックリさんのようなテーブル・ターニングの他に、いったい何をベースにしていたんだっけ?」
「何って、百物語じゃないんですか」
「何物語だって? セイアゲイン」
「だから、百もの……」
あ。
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