第2話 石ころ蹴飛ばして

ファンタズマ

石ころ蹴飛ばして


 人間はなんのために生きちょるか知っちょるか?事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては人の真似をしちゃいかん。


           坂本 龍馬




































 第二衝【石ころ蹴飛ばして】




























 「兄ちゃん、酒もっと飲みなよ!!」


 「おおおお!こっちの兄ちゃんは随分と強ぇなぁ!!!俺といっちょ勝負しねぇか!?」


 「きゃあ素敵!良い飲みっぷりね!」


 いつからこんな祭り騒ぎになってしまったのだろうか。


 始めはただ、普通に食事を取っていただけ。


 冰熬は焼鳥が食べたいと言って、他は適当にモツ煮を頼んだりガッツリと肉丼を頼んだりしていた。


 それなのに、そうだ、最初は黄生が酒を一杯、たった一杯頼んだのだが、それが元凶とも言える。


 黄生がごくごくと一気飲みしたのを見て、周りの男たちが急に集まってきたのだ。


 そして、奢ってやるからもっと飲めと、次々に酒を差し出してきたのだ。


 咲明も仕方なく飲み始め、祥哉はあまり好き好んで飲む方では無かったが、空気に飲まれて飲み始めてしまった。


 冰熬は酒を飲まないと断言し、独り黙々と焼鳥を頬張っていた。


 それはもう、犠牲になった鳥たちが可哀そうになるくらい、バクバクと・・・。


 祥哉は少し休憩しようと、近くにあった水を飲もうとしたのだが、それを近くに座っていた女性に取られてしまい、また酒を注がれてしまった。


 黄生と咲明はどんどん酒を飲んでいるが、少し酔ってきた感じもしなくもない。


 そしてついに、祥哉はダウンしてしまった。


 テーブルに顔を伏してそのまま寝てしまった。


 それに続くようにして、黄生と咲明も寝てしまい、酒を飲んでいないはずの冰熬までもがなぜか寝てしまった。


 ぐっすり寝ていることを確認すると、その場にいた男女たちがこんなことを言っていた。


 「寝た?」


 「ようやく寝たの?」


 「それにしても、こんなに強い度数の酒をこうも平らげるとはな」


 「この男には睡眠薬を入れておいた。正解だったな」


 「聞邑様に報告しないと、俺達が何されるか分からないぞ」


 コソコソとそんな会話をしていたかと思うと、聞邑に報告の電話を入れた。


 それからすぐ、聞邑、ではなく、翼棠とその部下が現れた。


 「翼棠さん」


 「翼棠さん、こいつら」


 「俺達、ちゃんとやりましたからね」


 「分かっている。聞邑様にも伝えておこう。おい、こいつらを連れて行くぞ」


 そうは言っても、成人男性の、しかも背が高めの男が3人いるのだから、そう簡単には運べない。


 数人がかりでなんとか運ぼうとしている中、薄らと目を開けていた男たちがいた。


 抵抗することもなく、その店から男たちによって運ばれていく。


 しばらく歩いた後、とても乱暴にひんやりと感じる場所に置かれたかと思うと、男たちは翼棠によってその場から消えた。


 そして翼棠の気配も消えたかと思うと、30分もしないうちにまた気配を感じた。


 「起きろ」


 誰一人として返事をしないままだったため、また声が聞こえる。


 「起きろ」


 ゆっくりと目を開けると、そこは思っていた通りの牢屋だった。


 それほど広くもない牢屋に、大男とも言える男たちが4人、敷き詰められている状態だった。


 4人とも目を開けると、そこには先程の店で“翼棠さん”と呼ばれていた男が立っていた。


 「これからお前たちに、チャンスをやる」


 碌でも無いチャンスだろうと思ったが、口にはしない。


 翼棠の周りには、翼棠の部下がライフルを持って立っており、何かあればすぐに撃たれるのだろう。


 「奴隷として一生働くのと、見世物として死んでいくのと、どちらが良い」


 「碌でもねえ二択だな」


 翼棠が口にした二択に対し、咲明がぼそっとそう言うと、周りにいた男たちは一斉に咲明に向かってライフルを構えた。


 しかし、翼棠が撃つなと言えば、男たちはただライフルを静かに下ろす。


 「碌でもなくても、それがお前たちに残された選択だ。好きな方を選ぶんだな。時間はたっぷりやる」


 そう言うと、翼棠は部下が持ってきた椅子に腰かける。


 懐から懐中時計を取り出すと、それで時間を確かめる。


 一方、選択を迫られた4人だが、答えは決まっていた。


 ―どっちも嫌だ。


 しかし、それは選択肢には入っていなかったため、どうしようかと思っていたのだ。


 互いに顔を見合わせていると、時間はたっぷりあると言っていた翼棠が先にこう言ってきた。


 「決められないなら、お前等全員奴隷行きだ。体力もありそうだし、使えるだろう」


 「おいおい、俺達ぁまだ何も答えてねぇじゃねえか」


 「冰熬、あんたにはもう一つ選択肢がある」


 「あ?」


 「この国の用心棒になることだ」


 「・・・・・・」


 用心棒になってくれ、そう頼んでくる国に限って、戦争を望む。


 用心棒だとかなんとか言っても、結局は自分のために戦って死ねと言っているようなものだ。


 そんな翼棠が出したもう一つの選択肢に対し、冰熬は鼻で笑った。


 「馬鹿にすんじゃねえよ。腐った国に手を貸すほど、俺は落ちぶれちゃいねえ心算だ。戦争がやりてぇなら、勝手にやりな」


 「良い金を出すと言っていたのにな。それに、この国の用心棒ともなれば、名声も手に入り、一石二鳥だ。何が不服なんだ?」


 椅子から立ちあがった翼棠は、床に胡坐をかいて座っている冰熬の前に立ちはだかる。


 見下ろしているはずなのに、こちらが見下ろされている気分になる、変な男だ。


 「何が不服かと聞かれりゃあ、てめぇらのその根性だな。これが人に物を頼む態度かってんだよ」


 「根性に関してはどうすることも出来ませんね。あなたほどの実力者が悠々とのんびり生活しているなんて、驚きです。どうしてその力を使わないのです?本気になれば、一国を落とすことも可能でしょうに」


 「興味ねえんだよ。国なんかに。んなもんあったって、腹の足しにゃならねえよ」


 「国を治める立場になれば、毎日贅沢して好きな物を食べられますよ」


 「面倒臭ぇだろうよ。それぞれが好きなことして、好きなように生きりゃいいじゃねえか。どうして治める必要があるか」


 「英雄として生きる心算もないということですか」


 「英雄ぅ?お前はどうしてそう、面倒なことばっかり思い付くんだ?大体、英雄なんてのはもっと他人思いの野郎がすることだ。俺には向かねえよ」


 何を言っても首を縦に振ろうとしない冰熬に、翼棠はしばらく何か考えていた。


 話題をどれだけ変えようとも、冰熬は自分の意思を曲げない。


 「そもそもよ」


 「なんです?」


 「こんなおっさん、どうして用心棒にしたがるよ」


 「・・・あなたは本当にご自分の価値が分かっていないのですね。1人の戦力が一国と同じ人間なんて、存在しません。その力を欲するのは当たり前のことです」


 「なら、それなりの人数を集めりゃいいだろ?」


 「人件費がかかります。それに、多ければ多いほど、把握するのも大変ですし、1人が裏切るとその流れで、ということもあり得なくないので」


 「そりゃ信頼の問題だな」


 「いえ、金の問題です。奴らは金で動く。どこよりも高い金額を払わないと、強さは得られないのです」


 「違うな」


 この城にいる者達はみな、金で雇われた。


 どこよりも強い者達を、どこよりも高い金を払っている。


 それでようやく、この国は強さと金の象徴を掲げていられるのだ。


 しかし、それをばっさりと切り捨てた冰熬。


 「俺の古い知り合いで、小さい頃から1人の主人を守り続けてる奴がいる。そいつは相当強くて、周りの城からも警戒されていた。金を払って何度も交渉したようだが、そいつはどれだけの金を積まれても、一度として頷かなかった。どうしてか分かるか?」


 「分かりかねます」


 「金よりも、築き上げてきたその主人との信頼関係が上回ったからだよ。その主人の性格、生き方、正義、そういったもんがあるからこそ、そいつはその城にずっと仕えてる」


 「・・・・・・」


 ニヤリと笑ってそう言う冰熬に、翼棠は目を細めた。


 そして小さく首を横に数回動かす。


 「信頼など、目に見えません。そんなもの、どうやって信じるというんです?」


 「ああ、多分、お前みたいな奴には、一生難しいだろうなぁ」


 理解不能だと言いきった翼棠に対し、冰熬は喉を鳴らして笑った。


 それが小馬鹿にされたように感じたのか、翼棠はピクリと眉を潜ませるが、自分自身を落ち着かせるかのように、小さくため息を吐いた。


 「人間とは、何か生きる糧がなくては生き難い生き物らしいですよ。冰熬、今のあなたにそれがありますか?」


 一度立ちあがった椅子に再び腰を下ろしながら、翼棠は腕を組み、それから伸ばした足をひょいっと組んだ。


 縛られずに牢屋に入れられているだけの冰熬も、同じように腕組をする。


 翼棠に問いかけに対し、冰熬はただただ真っ直ぐに翼棠を見据える。


 「生きる糧なんてもん、そう簡単には見つからねえよ」


 「無いと言うことですね」


 冰熬の答えに、翼棠はすっぱりと返事をすると、冰熬は何か考えているのかそうではないのか、少し俯いた。


 それからすぐに顔をあげると、こう続ける。


 「自己満足なんだよ、お前らの言ってる生き方はよ」


 「自己満足?」


 「ああ。俺から言わせりゃ、生きる糧なんて無くても、人間は生きていけんだ。ただ、充実してる日々を送りたいとか、生きがいが欲しいとか、付属として時間を有効に使っていると思いたいだけだ」


 「・・・・・・」


 口を閉ざしたまま、翼棠は冰熬の話を聞く。


 組んでいた足を解くと、今度は逆の足を組んで、ゆっくりと息を吐いた。


 「勇気ってのは臆病だ。生きようと強く思えば思うほど、そこに意味を求める。考えて考えて考えて、そこには何もないことを知る。存在していることへの疑問、生きることへの執着心、死ぬことへの恐怖心。人間が前を向いて生きようとすればするほどに、勇気はその後ろ姿をただ見てる」


 「・・・何が言いたいんです」


 「お前より長く生きてる分、俺はお前より知ってることがある。それはな」


 一呼吸置いてから、冰熬はこう言った。


 「自分が何を糧にして生きてきたのかはな、死ぬ時に分かるんだよ」


 そう言った冰熬の表情は、いつもよりも柔らかかった。


 一方で、翼棠はその冰熬の解答に納得いっていないようで、一瞬口を開けてぽかんとした後、冰熬を睨みつけるようにして見る。


 目を瞑って足を動かしたかと思うと、いきなり目を開けて椅子から立ち上がる。


 「あなたの考えは分かりました。しかし、あなたとて、人間です。痛みを感じれば死も恐れるのでしょう。一国の兵力に匹敵するほどの力を持っているとしても、より強大な敵や世界を敵に回して、これから無事でいられると思っているのですか」


 組んでいた腕も解くと、翼棠は牢屋の中にいる冰熬の前に聳え立つ。


 冰熬は口角をあげ、笑う。


 「俺ぁ、いつ死んだって構わねぇと思ってる。人間なんていつか死ぬんだ。死ぬことを恐れて生きててもつまらねえだろ?それにな、俺が死んだって、俺の意思を持ってる奴や、俺のような人間はいつの時代にもいるもんだぜ?」


 「みな滅していきます」


 「そりゃ無理だな。少なくとも、俺が知ってるそいつらもこいつらも、てめぇらが力付くで押し付けることが出来ねぇ、性根が腐った連中とは違うからな」


 「こいつらって、俺達のこと言った?」


 「ああ、多分な」


 「やだよー、目立たないように生きてきたのに」


 「賞金首の奴が言える台詞じゃねえ」


 そんな野次が聞こえたが、聞かなかったことにしよう。


 冰熬に”性根が腐った奴“と言われたのが気に入らなかったのか、翼棠は牢屋の鉄格子を強く掴む。


 殴りたくても殴れない、そんな鉄格子越しに冰熬を睨む翼棠だが、下唇を噛みしめながら手を放す。


 「あなたに何が分かります?これまでにどんな苦労をしてきたか。ここに来るまでにどれだけのものを失ってきたかを・・・」


 急に大人しくなったかと思えば、翼棠はぼそりとそんなことを言った。


 小さな声だったが、冰熬たちとの距離がそれほど無かったからか、その声は他の三人にも聞こえた。


 「賢く生きているんです。どうすれば被害が及ばずに生きられるか、どうすれば苦労なく生きられるのか。こんなにうまい話があるのに、断る方がどうかしてます」


 「賢く、ねぇ・・・」


 「ええ、そうです。上層部に下手にコキ使われるくらいなら、ここで何不自由なく生きる。当然でしょう?」


 「・・・お前、可哀そうな奴だな」


 その冰熬の言葉に、翼棠はまた不機嫌な顔をする。


 それだけではなく、なんとなくだが、このあたりの空気が変わったような気もする。


 冰熬の後ろで座っていた祥哉や黄生、咲明もそれは感じ取ったようで、思わず唾を飲み込んだ。


 「囚人みてぇに一生をここで過ごすってか。それでよく人生を語ったもんだ」


 「囚人・・・!?」


 「もっと目を広げてみろ。もっと世界を見てみろ。いらつくときもある、悲しいときもある、楽しい時もある、叫びたい時もある、それでいいだろ。プラスもマイナスもない平穏な人生なんて、一番つまらねぇぞ」


 「今のあなたのようですね」


 「これでも、結構変動激しいんだよ。毎日毎日、朝っぱらから殺されかけてよ、でも飯は美味くて。朝日浴びて、夜にゃあ月が出て。これで禁煙してなきゃもっといいんだろうけどな」


 肩を小さく揺らしながら笑う冰熬の背中を、祥哉はただ黙って見ていた。


 それは黄生も同じで、そんな冰熬を見ながらも、ちらっと祥哉を見ていた。


 「狭い殻に閉じこもってたんじゃ、何も見えねえだろうさ。そんな奴が、人間がどうの世界がどうのとよく言えたもんだ。世界にゃあ、お前が知らねえ場所も奴らもいっぱいあんだ。それを見ねぇでぐちゃぐちゃと、こんなとこで怯えて暮らしてるから、くだらねぇことばっかり思い付くんだよ」


 「ある程度の国なら回りました。しかし、優れている生き方をしているとは言えませんでした」


 翼棠の話によると、仕事で色んな国を視察に訪れたことがあるそうだ。


 貧しいながらも平和な国、いつも賑やかな国、寝ているかのような静かな国、みな不幸そうな顔をしている国、戦争をしている国、人間を人間として扱わない国。


 他にも目を背けたくなるような国は沢山あった。


 金や権力なんかよりも大事なものがある。


 そんなことを言っても、結局は金がないと生きてはいけないし、ある程度の地位や権力がなければ、どうにも動けない。


 肩書きや目に見えるものがあって初めて、人間はその場所に腰を下ろせるのだと。


 「世界平和を願う愚かな人間もいますが、そんなもの、役には立ちません」


 「役に立つとか立たねえとかの問題じゃねえだろ。幾ら身体に重たい鎧を纏っても、倒れちゃ終いだ」


 「あなたは国家や政治というものが何も分かっていません」


 「興味ねぇからな」


 「何が楽しくて放浪などしているのか、全く理解できません」


 「楽しいなんざ思ったこたぁねぇが。不思議なもんで、思い出すのは嫌なことばかりだ」


 上から降ってくる翼棠の言葉など、冰熬にとっては雀の声のようなものなのか。


 あまり感情を表に出さずに話をしている翼棠だが、冰熬の一言一言をその耳で一言一句逃さないように聞いているのが分かる。


 真剣、というのだろうか、とにかく冰熬を真っ直ぐに見下ろしている。


 「人生で楽しいことだってあっただろうに、ふと頭を過るのは、いつだって嫌なことばかりだ」


 「・・・大国を潰したことですか」


 「それもあるが、まあ、色々だ。過去のことを思い出してどうのこうのと文句を言う心算はねぇし、考えたところでどうにもならねぇことは分かってても、後悔ってやつはいつまでも付き纏うもんだ。だからといって、振り返ったところで足跡しかみえねぇ。皮肉なもんさ。時間が経てば経つほど、余計に絡みついて解けねぇんだからな」


 静かに、けれどずっしりと聞こえてきた冰熬の言葉の後、沈黙が鳴る。


 誰もが口を閉ざした中、翼棠が冰熬から目を逸らすこと無く言う。


 「・・・・・・あなたの素状は誰も知りません。どこで産まれ、誰に育てられ、どうして放浪などしているのか。あなたの強さの秘密を知ろうと、様々な機関や組織が動きました。しかし、分からなかった」


 「冰熬の素状・・・?」


 そう疑問を口にしたのは、祥哉だった。


 確かに、これまで冰熬と共に過ごしてはきたが、そういったことは一切話してこなかった。


 というよりも、気にしていなかった。


 冰熬という人間は、生まれたときからこういう性格で、勝手に家でも飛びだしてきたのだろうと思っていたのだ。


 祥哉が眉を潜ませながら冰熬の背中を見ると、翼棠が続ける。


 「いずれ、世界は一丸となってあなた方を狙うでしょう。その時も、今と同じように強がりを言えますか」


 「強がりじゃねぇ。本心だ。俺は俺のまま生きて、俺のままで死んでくだけさ。自分を歪ませ壊してまで生き長らえたいなんぞ思っちゃいねぇよ」


 「死ぬという無様な結末でも、あなたは首を縦には振らないということですか」


 「死ぬことは無様じゃねえよ。ただそこが行き着く先なだけだ。押さえつけられながら生きるのは嫌いなんでな。話を断って殺されるなら、仕方ねぇよ」


 それを聞いて、ふう、と翼棠はため息を吐いた。


 そして、周りにいた男の1人に牢屋を開けさせると、今度は四人の手を縛りつける。


 「なら、こちらも仕方ありません。奴隷として働いていただきます」


 「がんばりまーす」


 「黄生、そういうことじゃないだろ」


 普通ならば恐怖に怯え、右往左往し、嫌だ嫌だと喚くところだというのに、黄生は緊張感がないのか、それとも慣れているのか、能天気な声で意気込みを語っていた。


 そんな黄生に対し、後ろにいた咲明は黄生の背中を軽く蹴飛ばす。








 牢屋から出ていった四人の背中を見届けた後、翼棠は聞邑のもとへと向かった。


 地下と思っていた牢屋よりもさらに深くへと続く階段を歩み進めて行くと、そこには鉄格子の扉があった。


 その扉は3重になっており、1つの扉につき鍵が3つついていたため、全部で9つの鍵を開けてからでないと入れない。


 「ちゃんと働けぇええっっっ!!!」


 「おいそこ!なに休んでやがる!」


 鞭を持った男たちが、すでに疲弊しきっているその労働者たちに罵声を浴びせる。


 冰熬たちも手を縛られたままの状態で、そこへ放り込まれる。


 男たちは交代の時間なのか、冰熬たちを連れてきた男たちとなにやら少し話をしたあと、最初からいた男たちは出て行った。


 食事の時間も睡眠の時間もまともに与えてはもらえていないようで、目の下にはクマがあり、やつれている者が多い。


 何の説明もなしに、冰熬たちは重たい荷物を運び続けるのだ。


 「重たい、面倒臭い」


 「黄生、んなことやってると・・・」


 いつもの調子でズルズルとその荷物を運んでいた黄生に、咲明が警告を促そうとしたその時、ビシッ、と鞭の高い音が聞こえた。


 しかしそれは黄生に浴びせられたものではなく、別のところで聞こえたものだった。


 「トロトロしてんじゃねえよ!」


 「おい!へばってる暇があるなら、ちゃんと仕事しろ仕事!!!」


 見たところ、水分もまともにとっていないため、脱水症状でも起こっているのだろう。


 その奴隷となってしまった男は、フラフラの足をなんとか動かして、足元に落ちているソレを拾う。


 だが力が入らないのか、なかなかそれを持って歩くことが出来ない。


 すると、さらに男たちは鞭を使って奴隷を嬲り、皮が向けようと血が出ようと、ちゃんと立つまで続けた。


 「・・・!!」


 「止めておけ」


 「放っておけってのか」


 一向に止めることがない男たちの行動に、祥哉が思わず手を出しそうになった。


 冰熬がひょいっと肩に荷物を担ぎながら祥哉を止めると、祥哉は拳を強く握りしめながら男たちを睨みつけていた。


 「目立つ行動は取るな。今はな」


 「?あんた、何か考えてるのか?」


 「さあな。なるようにしかならねぇよ」


 冰熬は名前は知られているかもしれないが、顔はあまり知られていない。


 黄生と咲明は顔が知られているかもしれないが、きっとここにいる奴隷たちは、その頃にはもうここにいただろうから、知らない可能性が高い。


 それに、知っていたとしても、この状況では何も考えられないだろう。


 とにかく、祥哉の感情をなんとか抑えた冰熬は、ただ機械的に身体を動かす。


 荷物を運びながら、ふと、咲明が言った。


 「あれって、確かどっかの城の騎士じゃないか?」


 「え?知らないよ」


 「いや、黄生、お前も見てるはずだろ。ほら、なんだっけ。トルティーヤみたいな名前の城」


 「あー、咲明がそんなこと言うから、腹減ってきたし」


 まったくその騎士のことを思い出せない黄生に対し、答えたのは祥哉だった。


 「トルティナータ」


 「そうそうそれそれ。あれ、祥哉なんで知ってるんだ?」


 「弟探してる時、途中で立ち寄ったから」


 「あ!あっちにはコロシアムで有名な奴がいる!」


 名前は思い出せないようだが、ここで奴隷として働いている者の中には、それなりに名を馳せた者たちがいるようだ。


 そういったことに詳しいのは、咲明と祥哉であった。


 冰熬も黄生も、特に自分にも他人にも関心がないからか、そういえばそういう奴もいたかもしれないしいないかもしれない、とそれくらいだった。


 咲明は黄生と出会ってからの者のことも、その前に出会った者のことも、よく覚えているし、祥哉も小さな国で育ったとはいえ、弟と探しに色んな国を回ったからか、ふと耳に入った人の名前くらいは覚えていた。


 「他にもいるな」


 「咲明、よく覚えてるね」


 「お前は覚えてなさすぎだ」


 そうこうしているうちに、夜になってしまった。


 夜になったからといって休めるわけでもなく、きっとここに時計があったのならば、針は朝の4時を指しているだろう。


 それから1時間だけ身体を休め、また5時から仕事が始まるのだ。


 どうして時間が分かるかというと、黄生の特殊能力とでもいうのか、それが関係している。


 「眠いから多分夜の9時半」


 「小腹が空いたから多分午後の3時5分前」


 「咲明の髪がはねたから多分夕方の7時32分」


 「まだ頭が冴えてるから多分朝の10時4分」


 こういった具合に、腹時計というか、体内時計が優れているようだ。


 日頃から規則正しい生活をしているというよりも、眠い時に寝て、食べたいときに食べて、というような生活リズムを繰り返しているうちに、それがほぼ同じ時間であることを知ったようだ。


 「あーあ。1時間なんて昼寝じゃん。足りないよ。全然足りないよ。俺明日もう鞭で叩かれるかも。咲明、俺の代わりに鞭の犠牲になって」


 「断る。貴重な1時間なんだからな。無駄話させんじゃねぇよ」


 「おい新入りの兄ちゃんたちよ」


 折角寝ようと思っていた、とはいっても布団などのようなものは用意されておらず、適当な場所で雑魚寝をするだけだが、そんなときに話かけてきた男たちがいた。


 新しく入ってきた冰熬たちを茶化しにきたのかと思っていると、男はこんなことを言った。


 「兄ちゃんたちも借金か?」


 「借金?」


 男が話始めると、回りで寝ていたと思っていた男たちまでもがみな集まってきた。


 寝たふりをしようと目を瞑ったまま、後頭部の後ろに腕を持って行った冰熬は、身体を横にしていた。


 「俺達ぁ、聞邑から金を借りてたんだ。とはいっても、そんなに大金じゃないんだぜ?利子がどんどん膨れて行って、この様だ」


 「最初は良い顔して近づいてきてよ、借りてくれないかって、そういう言い方してきたんだぜ?」


 「俺達も、借りるときは賞金首狩ったり、コロシアムで稼いだり、調子良かったからな。けどそれも長くは続かねえ」


 利子など少ししかつけないと言っておきながら、男たちが試合に負けたり無一文になると、聞邑は仮面を外す。


 微笑みは一瞬にして鬼と化し、男たちを苦しめ始める。


 「5日以内に金を用意しろ。無理なら奴隷として一生働けってな」


 「金を借りたときの自分を恨むぜ」


 当時の絶望感を思い出したのか、男たちは肩を落とす。


 そんな男たちに、祥哉が問いかける。


 「そういうのって、国を監視してる機関があるんだろ?」


 祥哉の質問に、男たちは一瞬ポカンと口を開けたあと、口を大きく開けて笑った。


 「兄ちゃん、馬鹿言っちゃいけねぇよ」


 「馬鹿って・・・」


 「この国を監視してる役人の連中は、みーんな国に金で雇われてんだ。この国を調べようなんて奴も、怪しむ奴も、ましてや俺達を助けに来る奴なんていねぇよ」


 「その雇われてる役人って」


 「あんたらも会っただろ。あの翼棠って男さ」


 ある日、辞令によってこの国にやってきた新しい役人であった。


 それまで、この国にいた役人は、行方不明になってしまったようで、翼棠がその任を命じられた。


 その時、一瞬希望の光が見えた。


 しかし、そんな希望の光なんてものは、すぐに消えてしまった。


 翼棠だけでなくその部下達までも、聞邑に金で飼われ、金で動き、その地位を確立しているのだ。


 その翼棠が、この国には何も心配はないと報告すれば、それが真実となって世界にも発信されるのだろう。


 男たちはもはや何の希望も持っていないようで、ここでのことを話してくれた。


 過労によって亡くなった者や、心神喪失で自分の舌を噛んで死んだ者、それに男たちの暴力によって亡くなった者。


 「まあ、ここにきたが最後、死ぬまで働かされるってことさ」


 「革命家でも生き残ってりゃあなぁ」


 「革命家・・・」


 噂でしか聞いたことがないが、革命家というものが存在しているらしい。


 たまたまこの国にいれば助けてもらえるかもしれないが、望みは薄いだろう。


 屈強な男たちが、こんなところでため息を吐きながら、ただただ身体が朽ち、死んでいくのを待つだけ。


 男たちが寝静まった頃、冰熬はゆっくりと目を開ける。


 そして、なにやらトントン、という男を不規則に出していた。


 翌日、という表現は訂正させていただこう。


 朝の5時になると、交代でぐっすりと睡眠時間を取っただろう男たちが現れ、まだ身体も休まっていない奴隷たちを起こす。


 ここで起きないと、何をされるか分からない。


 黄生ははっきり言ってしまうとまだ寝ていたのだが、咲明が二人羽織の要領で動かしていたため、なんとかセーフだった。


 それから少しして黄生が目を覚まし、朝から晩までの重労働が再開する。


 「まあ、体力トレーニングだと思えばわけはねえが、さすがに飯も寝るのもあれだけじゃあ、ちょっときついな」


 「咲明が弱音吐いた」


 「弱音じゃねえよ。そもそも、お前が寝坊するから余計体力使ったんだぞ」


 「俺のせいにした。酷い。咲明をそんな子に育てた覚えはないのに」


 「育てられた覚えはねぇよ。それにしても」


 ちらっと、前を歩く祥哉の背中を見ながら、咲明は呟いた。


 「結構根性あるんじゃねぇの、なぁ?」


 そう言って、咲明の後ろから歩いてくる冰熬に声をかけるが、冰熬は返事をすることもなくただ運ぶ。


 ただ目の前にあるものを運ぶ、ただ足を動かす、ただ、ただ、ただ・・・。


 人のことを気にしていたらキリがない。


 とはいっても、本当に気にしていないわけでもなかったが、グッと堪えながら、冰熬に言われた通り、目立たないようにしていた。


 黙々と荷物を運んでいると、いきなり、冰熬に呼びとめられた。


 何だろうと思って振り返ったとき、冰熬が荷物を投げつけてきた。


 「・・・!?」


 それには、黄生と咲明も唖然としていた。


 投げつけられた本人は、ポカンと口を開けて驚いていたが、我に返ると舌打ちをして冰熬の胸倉を掴みかかる。


 「いきなり何すんだよ!!!」


 「おっと悪い悪い。手が滑ってな」


 「絶対ワザとだろ!!あんた、何考えてんだよ!!」


 「だから、手が滑ったって言ってんだろ。それに、謝ったんだからそんなにキレんじゃねぇよ。だからガキなんだよ、お前は」


 「なんだと!?」


 「おいおい、なんだ?乱闘か?」


 冰熬と祥哉の言い争いに、周りの男たちが手を止める。


 監視役の男たちは、鞭を打って働けと言うが、男たちは冰熬たちの方が気になるのか、荷物を次々に床に置いてしまう。


 「あんたって人は・・・!!いつもいつも、そうやって自分のペースに巻き込みやがって!!」


 「そうか?」


 「そうだよ!!だいたいな、あんたなんて、強さだけを除けば、そんじょそこらにいる普通のおっさんなんだからな!!」


 「そりゃそうだ。いや、俺は元から普通のおっさんだぞ」


 「そういうところがムカつくんだよ!!俺のことを一々ガキ扱いしたり、偉そうに言ってくればこっちも言い返せるのに、そういうこともないからなんか言い返し難いし、どうしてくれんだよ!!!」


 「俺のせいか?」


 「こらお前等!静かにしないか!」


 冰熬と祥哉の喧嘩に、監視役の男が数人、間に入って止めようとするが、祥哉に睨みをきかされると、おずおずと後ずさってしまう。


 この時、冰熬がちらっと黄生の方を見たような気がするが、気のせいにしておこう。


 2人の監視役の男がその場に残ると、他の男たちは、周りの野次馬共に働くようにと叫んだ。


 「やっぱりあんたなんか大嫌いだ!!」


 「男のお前に好きだなんて言われても嬉しくねぇからな」


 「さっさとあんたなんか殺して、俺は祥吏のもとに逝くんだ!!」


 「弟想いもその辺にしておきな。じゃないと、変な風に見られるぜ?」


 「今ここで殺してやってもいいんだ」


 「おいお前ら!!真面目に働け!」


 「翼棠さんに言いつけるぞ!!」


 監視役の男の言葉など、今の祥哉の耳には届いていない。


 ふつふつとわき上がる感情を、押さえつけていたその感情を、祥哉は止められないと悟った。


 「いい加減に・・・」


 監視役の男が、冰熬と祥哉の間に割って入ろうとしたその時。


 祥哉が冰熬を殴ろうとしたその拳が、男の顔面にクリーンヒットした。


 「・・・・・・」


 「・・・・・・」


 「きっ、貴様あああ!!!!」


 そういう心算ではなかった祥哉だが、殴ってしまった以上仕方がない。


 しかし、祥哉が殴りたかったのは、あくまで冰熬なのである。


 男を殴ってしまったあとも、祥哉は冰熬を殴ろうとしたのだが、胸倉を掴んでいたその祥哉の腕を掴むと、冰熬はそのまま祥哉ごと投げた。


 すると、もう1人いた他の監視役の男ごと、飛んで行った。


 「おい!捕まえろ!!」


 「そっちから囲め!!」


 きっと今ここにいる監視役の男のほとんどが、冰熬のもとに集まっただろう。


 投げ飛ばされた祥哉はむくりと起きてきても、男はのびてしまって起き上がらない。


 「弟子を投げるやつがあるか!!」


 「あれ、弟子だったっけか」


 この状況にも関わらず、祥哉は怒りに我を任せ、冰熬に飛びかかろうとすると、冰熬はその後ろから来る男たちに向かって。またもや祥哉を投げる。


 男と正面からぶつかったとしても、なぜか祥哉はぴんぴんしているのに、男はその場に倒れ込んでしまっている。


 「貴様!!なんてことを!!」


 「んなとこいたら危ねぇよ、って、遅いか。人の喧嘩に首突っ込むなら、それなりに覚悟してきな」


 それからしばらく経った頃、いきなり冰熬は大人しくなり、捕まった。


 祥哉も一緒になって捕まり、その部屋から出されてしまった。


 連れて行かれたのは、一目瞭然、拷問部屋だった。


 そこに縛りつけられ、冰熬は翼棠の部下の男たちから拷問を受けることとなった。


 「自分達から拷問されに来るなんて、馬鹿な男たちだな」


 「翼棠さんに報告は?」


 「したよ。しばらく動けなくなるくらいまで拷問していいってさ。けど殺すなだと。まあ、殺したとしても死なねえだろうけど」


 卑下た笑いをしている男たちを前にしても、冰熬はとんと無口になってしまった。


 それが、男たちからしてみると、怖がっているのだと思われたようで、大の男が怖がるな、と言われた。


 「どれから始める?」


 「やっぱり、和の国独特の拷問からだろ。じわじわ痛みが増してきて、一瞬で終わる痛みじゃないってのが、拷問の醍醐味だろ?」


 「お前、趣味悪いよ」


 「じゃあ、お前は何がいいんだ?」


 「俺は断然、アイアンメイデンだよ。知ってるか?どっかの国のやつ」


 「じゃあ、じゃんけんしようぜ。勝った方の拷問からやるってのはどうだ?」


 「いいぜ」


 まるで子供たちが鬼を決めるかのように無邪気な会話で、男たちはじゃんけんをした。


 すると、和の国の拷問が好きな男が勝ったようで、色々と準備を始めた。


 拷問が始まっても、冰熬は一言として喋らなかったというのか、叫びも喚きも乞うこともしなかった。


 それが男たちは気に入らなかったのか、なんとか冰熬を叫ばせようと、助けを求める声を出させようとしていた。


 ただ黙って拷問を受けている冰熬は、何をされても目を瞑ったままだった。


 「こいつ!!!」


 「信じられねえ・・・。人間か?」


 あれやこれやとやって、男たちの方が疲れてしまったらしい。


 次はどうすると話し合っていると、そこへ訪問者が現れた。


 コンコン、とノックをしてから部屋に入ってきたその人物に、男たちは急にピシッと背筋を伸ばして敬礼をする。


 「聞邑様!ど、どうしてここに・・・?」


 「俺が来ちゃいけないのかな?」


 「いえ!そんなことは!!」


 聞邑は、拷問をされて身体がボロボロになっている冰熬の回りを一周すると、男たちに向かってこう言った。


 「俺の部屋に連れてきて。話があるから」








 聞邑の部屋に連れて来られた冰熬の前には、もう一人、一緒に捕まった祥哉がいた。


 冰熬と目が合うと、獣のような目つきで睨みつけてきたが、それからすぐにプイッとそっぽを向いてしまった。


 まるで拗ねた子供のような祥哉に、冰熬は小さく、聞邑に気付かれないように笑った。


 祥哉から少し離れた場所に座ると、とはいっても椅子などは用意されていなく、床に胡坐をかくだけだ。


 冰熬を連れてきた男たちを部屋の隅に立たせると、聞邑は自分専用の椅子に座る。


 「ふう・・・」


 何を疲れているのか知らないが、聞邑は飲みかけだったワインを喉に流し込む。


 「冰熬、少し世間話をしようか」


 「へえ、世間ってもんを知ってるのかい」


 キョトンとした聞邑だが、すぐに眉をハの字にして笑った。


 首を少しだけ傾けながら、楽しげに言う。


 「もしも世間とズレているというなら、ズレているのは世間であって、俺じゃ無い」


 「そうかい」


 聞邑はうーんと腕を上にあげて身体を伸ばしたあと、ニヤリを笑う。


 「俺には夢があってね」


 「ほう」


 「その夢っていうのは、世界を俺のものにすることなんだ。小さい頃からの夢でね。そうなったら楽しいと思わないかい?自分の好きなものだらけにして、嫌いなものは全部全部ぜーんぶ、この世から消してしまうんだ」


 「人間でもか?」


 両手を天井に掲げながら恍惚とした表情で夢を述べる聞邑は、冰熬の質問にも笑顔で答える。


 「そうだよ。だって、俺の言う事聞けない奴なんて、いらないじゃん」


 「とんだワンマンだな」


 「けどね、世界を手に入れるって、とっても難しいことなんだ。金で動く連中も沢山いるけど、そうじゃない奴らもいる。だから、金で動かない奴は殺すか奴隷か。そのために、世界各国各地から、強い用心棒を雇ってるんだ。奴らは良いよ。金さえ払えば、命を張って俺を守る。何があっても裏切らないんだ。素晴らしいと思わないか?」


 聞邑の話に、冰熬は目を細める。


 幼い頃から国を任せられ、我儘さえも叱られることなく育ってきた一国の主は、これほどまでに私利私欲に溺れていた。


 その金でさえも、湯水の如く使っていき、本当に必要としている者には一切回らないのだから。


 そういったことも分からないのか、それとも、分かっている上でそういった対応なのか、冰熬は聞くことさえしないが。


 「金が無い奴を不憫に思うよ。生まれながらにして、俺は人の上に立つ人間なんだ。産まれてくる前から、もう人間ていうのはその道が決められているんだ。それなのに、その運命から抗おうなんて、馬鹿だよ、全くね。俺は選ばれた人間で、選ばれていない人間は地を這いつくばっているしかない。惨めなもんさ。それでも生きようとするんだから、笑っちゃうよね」


 冰熬は黙っていたのだが、そんな聞邑の言葉に耐えきれなくなったのは祥哉だった。


 今にも噛みつきそうな顔で、叫ぶ。


 「幾ら金を積まれても、俺は絶対、お前の言いなりになんかならない!!お前みたいな、人の気持ちが分からないような奴、誰が好き好んで!!お前なんか俺がぶっ飛ばしてやるからな!!!」


 「聞邑様になんてことを!!」


 「ぐっ!!」


 扉の近くにいた男が、背後から祥哉を押さえつけた。


 床に顔をつけながらも、祥哉は身体をねじらせて抵抗しようとするが、それを見ていた聞邑は祥哉の上をどくようにと言った。


 大人しく男は下がると、祥哉は自力で身体を起こした。


 「君みたいな人もね、いたんだよ。けど、最終的には俺のもとで働いてるよ。口先だけならなんとでも言えるけど。君みたいなのを手懐けるのが愉しみだよ」


 そう言って、聞邑は余裕そうに微笑んだ。


 その笑みさえも悔しくて、祥哉はまた何か叫ぼうと口を開いたのだが、その声を制止するかのようにして、冰熬が口を開いた。


 「そんなことよりよぉ、俺をここに連れてきたのはどういうわけだ?」


 「ああ、そうだった。それが一番重要なことだったね。ついつい楽しくていっぱい話したけど、やっぱり俺はツイてるよ」


 「ツイてる?」


 今の聞邑の機嫌を、行動にして現すとしたら、きっとスキップだろうか。


 「人生って、何が起こるか分からないね。だから楽しいんだけど」


 すると、すうっと目を細めて、聞邑はそれまでの無邪気な笑みから、大人の、いや、悪魔のような笑みを浮かべた。


 「冰熬、最期のチャンスをやろう」



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