ファンタズマ
maria159357
第1話 愚者の余裕
ファンタズマ
愚者の余裕
登場人物
冰熬
祥哉
黄生
咲明
鬧影
将烈
聞邑
翼棠
万事、見にゃわからん
坂本龍馬
第一衝【愚者の余裕】
「お」
「あ」
ここに、再会を果たした男たちがいた。
しかし、この反応からも分かる通り、それほど感動していないというか、興味がないというか、とにかく、再会したにも関わらず、男たちは表情一つ変えなかった。
再会した男たちはどちらも長身で、互いにもう一人、別の男を連れていた。
1人は銀色の髪の男で、顎鬚を生やしている男だ。
その男の連れは青い髪に紫の目をした男。
再会を果たしたもう一人の方の男は、緑の髪に茶色の目をしており、その男の連れは青い髪に金色の目、そして最も滑稽なのは、上半身がさらしだけなのにも関わらず、赤いマフラーを口元を隠すようにして巻いていることだろうか。
「黄生じゃねえか」
「そういうあんたは冰熬。こんなところで一体何を?とうか、また会うとは思ってなかった。あんたは放浪してるから、絶対二度と会わないだろうと」
「なんだその言い方は」
「それより、弟子でもとった?」
「弟子ってか、まあ、弟子か?俺を殺そうとしてるけど弟子だ。それよりお前は相変わらず、年上に対して敬語を使うということを知らねえ奴だな」
「はい」
「いや、はいじゃなくてよ」
もういいや、と言いながら、深いため息を吐いた銀髪の男は、冰熬というようだ。
そして紫の髪の男は黄生というらしい。
冰熬と共にいる男は祥哉と名乗り、黄生の横にいる男は咲明と名乗った。
「黄生、知り合いか?」
「知り合いっていうか、咲明と会うよりもずっと前に、どっかの国あたりで会ったおっさん。すごく自堕落な人」
「その言葉、そのままそっくりお前に返すよ。それから、おっさんってのは間違っちゃいねぇが、お前がその口で言うな」
「なんか、黄生と似た匂いがする・・・」
咲明は、いつも自由で風の吹くまま行動するような黄生と、初めて会ったその冰熬という男を見比べて、なんとなく似ている雰囲気を感じ取った。
一方、冰熬の隣にいる祥哉という男は、黄生と咲明のことを警戒しているのか、あまり口を聞こうとはしなかった。
すると、冰熬は祥哉の頭を一度ペシッと叩き、挨拶くらいしろと言っていた。
そんな冰熬を睨みつけながら、祥哉はとても目つき悪く2人を見据え、軽く頭を下げていた。
年齢は分からないが、黄生や咲明たちと同じくらいかもしれない。
「元気そうだな」
「まあ。何も変わらずって感じ。咲明んも面倒を見てやってるくらいかな」
「俺が面倒見てるんだろ」
自分が面倒を見ているんだと言い張る黄生に対し、咲明は真っ向から否定する。
「冰熬、どっかの国に落ち着いたって噂を聞いたんだけど、そうでもないの?」
ふと、黄生が冰熬に尋ねた。
冰熬と言えば、色んな国を渡り歩き、行くところ行くところで戦力にならないかと声をかけられ、それが嫌で旅をしている。
ということも噂でしか聞いたことがないが、冰熬の性格からして、注目されたり期待されるのが嫌いだから、きっと正体がバレた暁には逃げるのだろう。
悪いことをしているわけではないのだが、冰熬にとってはそれほど面倒なことはないのだ。
「ああ、まあな」
「じゃあなんでまたこんなところに?」
「そりゃ、多分お前と同じ理由だろうな」
「厠を借りに寄ったの?」
「お前とは違う理由だったな」
冗談だけどね、と平然と言う黄生の読みとれない表情からは、それが本当に冗談なのか判断するのは難しい。
咲明はそんな黄生の性格に日頃から慣れているからなのか、腕組をして小さく肩を動かしため息を吐いている。
一方、一瞬眉間にシワを寄せたのが祥哉だ。
淡々とそんな会話を冰熬と黄生の、表情をあまり変えない2人が話しているものだから、祥哉は冗談なのか本当なのかという狭間で険しい顔をしていた。
すると、そんな祥哉の隣に立った咲明が、こそっと声をかけた。
「あんまりこいつらの会話を真剣に聞かない方がいいぞ」
「・・・そうみたいだな」
黄生と咲明に対する警戒心はとけたのか、祥哉は咲明と共に、冰熬と黄生を眺めていた。
「それより、そいつ寒いのか?それとも暑いのか?」
ふと、急に疑問に思ったようで、冰熬が咲明の服装を指さしながら聞いた。
その冰熬の指先の方に顔を向けた黄生が、咲明を一瞥した後、こう言った。
「難しい年頃なんだ」
「いや、答えになってないだろ。難しいのはお前だ」
「咲明、冰熬が文句言ってる」
「お前、俺に喧嘩売ってるのか」
話しを振られた咲明は、寒がりであることを冰熬に伝えると、冰熬は顎に手を当てて首を捻りながらも納得したようだ。
黄生と咲明は冰熬と同じくらいの身長、というよりも若干高いくらいだったため、祥哉はその3人を眺めて“巨人だらけだ”と心の中で思っていた。
ふと、黄生が祥哉の方を見た。
「冰熬が弟子をとるとは思ってなかった」
冰熬と黄生がどういった間柄だったのか、師弟関係にあったのかさえ分からないが、思っていなかった、ということはきっと、冰熬はもともと弟子を取らないような男だったのだろう。
祥哉からしてみれば、自分の弟が冰熬のもとで弟子としていたという事実があるため、言ってしまえば強引に弟子になることは可能なのだと思っている。
「弟子ってほど可愛いもんじゃねえんだよ。言う事聞かねえし、俺を殺そうとするし。まあ、炊事洗濯は全部やるから良いんだけどな」
「俺だって弟子にしてくれなんて頼んだ覚えはないね」
「ほらな。すぐこういうこと言うんだよ」
「そもそも、冰熬、あんたを殺そうとしてる奴をそばに置いておくって、どういうこと?」
咲明が尋ねると、冰熬は祥哉の方を目を細めながら見た。
そして親指でくいっと祥哉を指しながらこう答えた。
「詳しいことは面倒だから話さねえけど、色々あって俺を越えるために俺を殺せるようになるために、俺んとこにいろって言ったんだよ。まあ、勘違いされて恨まれてるのも確かだけどな」
「あんたはいつか俺が殺すよ。だから早くその首を俺に差し出せばいい」
「聞いたか。こんなこと言うんだこいつ。可愛くねえだろ」
「あんた、弟子を愛でることなんてあるの」
「ねぇな。男の弟子なんて可愛がってどうなるってんだよ」
「ねえ冰熬、そういえば煙草は?前吸ってなかった?」
急に話題を変えてきたマイペースな黄生にも、冰熬はすぐに返事をする。
「ああ、今禁煙中なんだ。周りに吸う奴がいねぇと、意外と平気なもんだな」
「ヘビースモーカーだったよね。なんで禁煙なんて始めたの?」
「煙草吸ってるとよ、こう、肺が苦しくなるのを感じ始めたんだ。歳だって自分を誤魔化してやっていこうとこ思ったんだけどよ、苦しんで死ぬのって嫌だろ。死ぬときゃポックリ逝きてぇだろ」
「そういうこと。俺はてっきり、寝たばこでもして、死にかけたのかと思った」
「良い歳こいたおっさんが寝たばこで死にかけて禁煙なんて、なにが悲しくてそんなこと考えなきゃいけねぇんだよ」
祥哉が冰熬のもとに来たときから、冰熬は煙草を吸っていなかった。
だからなのか、冰熬は煙草を吸わないと思っていた。
そもそも、禁煙していると言っていたかもしれないが、そんな冰熬の情報に興味などなかったのだが。
黄生に煙草の話を持ち出されたからか、冰熬は煙草の味を思い出したようで、眉間を指でつまみ、しばらく黙っていた。
「で、話しを戻すけど、祥哉は冰熬の弟子ってことでいいのか?」
意味の分からない沈黙を見事に打ち破ったのは、口元がマフラーで隠れて見えない咲明だった。
「俺は弟子じゃない。こいつを殺そうと虎視眈眈狙ってるだけだ」
「いやさ、そこが意味分かんねえんだけど。弟子じゃないのに冰熬のもとにいるってどういうこと?殺す為になんちゃらかんちゃら言ってたけどさ、そもそも祥哉は強いのか?」
そんな咲明の言葉に、ピクッと眉を潜ませた祥哉。
黄生のことは多少知っていても、咲明のことは知らない冰熬は、あまり気にしていなかったようだが、初対面でそんなことを言われたものだから、祥哉はちょっとだけ、本当にちょっとだけ、キレてしまいそうになった。
「今ここで相手してやってもいいけど」
「俺とやるってか?確かに俺は見た目は変人かもしれないが、結構強いぜ?」
「不審者になんか負けるか」
祥哉と咲明の不毛な戦いを眺めている冰熬と黄生は、2人でのんびりとしていた。
「祥哉って強いの?」
「ああ?強いかどうかよりも、キレたら面倒だな」
「若いって素敵だね」
「お前も若いだろ」
「もう歳だよ。なんだか俺よりも若い人を見ると、やっぱり動きとか感情の起伏とかが違うなぁって思う」
「動きはともかく、感情の起伏はお前元からあんまり無いだろ」
「うーん。けどさ、歳取ると身体の節々痛くない?ため息ばっかり出ない?目の下のクマとかすごくない?冰熬ってすごいよね。それでもこうして若い人を身近に置いてるんだから」
「・・・俺に喧嘩売ってるのか?」
「売ってないよ。祥哉って何歳?」
「さあな。幾つだったか。お前と同じくらいじゃねえのか?」
「俺には咲明の言ったことに一々キレるほどの体力も気力もないよ。羨ましい」
呑気な会話をしている2人の前で、祥哉と咲明は互いに睨み合っているだけという、謎の時間を過ごしていた。
そんな2人を止めることもなく、冰熬と黄生は同時に欠伸をした。
何を話すこともなかった冰熬と黄生だが、ふと、冰熬が尋ねる。
「お前、賞金首になったって聞いたぞ。何かしたのか」
風に短い銀髪を靡かせながら聞く冰熬に対し、黄生は眠そうな重たい瞼を上下に動かして答える。
「悪いことはしてないよ。ただ、賞金首を捕まえて賞金貰ってを繰り返してたら、いつの間にかなってた」
「その歳で賞金首なんざ、面倒極まりねぇな。大物でも捕まえたのか」
「大物?いなかったと思うけど。なんで冰熬は賞金首になってないわけ?そっちの方が疑問だよ」
「俺ぁこの首に大金かけるほどの価値はねえからな。大体、んな目立つ行動取るわきゃねぇだろ。静かに隠居生活送りてぇだけなんだからよ」
「価値はあると思うけどね。まあ、冰熬を賞金首にしたところで、狙う奴らなんて馬鹿か怖いもの知らずか無謀な奴だろうね」
黄生と咲明は、賞金首である。
時々2人を狙ってくる輩も少なくはないが、そう簡単にやられることはない。
冰熬が賞金首になっていないのは、冰熬の言うとおり、目立つ行動をしていないというのもあるのだろうが、冰熬を賞金首にしたところで、やられるだけというのが分かっているからだろうか。
国からも政府からも、大きく言ってしまえば世界からその力を買われている冰熬だが、本人いわく、ただ平穏に過ごしたいだけとのこと。
黄生が色んな国を渡り歩いているときに聞いた話しでは、冰熬は政府側の用心棒として声をかけられたことがあるそうだ。
しかし、冰熬は断った。
冰熬という人間を知っている者からすれば、それは当然のことであって、仕方ないと諦めるのだろうが、生きるか死ぬか、または金が絡んでいることとなれば、何度でも冰熬に声をかけるらしい。
「無駄なことをするね。冰熬がそんなものに力を貸すはずないのに」
「相変わらず、戦争でしか解決策を導き出せない野郎どもだよ。戦闘兵を補うために、大金を出して子供を差し出せと脅す国も国だが、そんな金で子供を差し出す親も親だ」
「結局、世の中金がないと生きていけないからね。綺麗事を言ったって、それがないとどうしようもない」
「戦いたくないと泣いてるガキを戦場へ出し、戦えと口先だけの奴に限って生き残る。反吐が出るよ、どの国も同じだ」
「生き辛い世の中だね。みんながみんな、日向ぼっこして過ごせればいいのに」
色んな国を見てきた冰熬たちだから分かる。
一見、幸せそうに見える国であっても、何処かに必ず闇がある。
貧富の差が激しい国もあれば、男尊女卑が昔のように続いている国もあった。
行くところ行くところ、何処もかしこも平和とは言えず、綺麗に着飾った国でさえ、中を開けば薄汚れている。
「欲に塗れた人間なんざ、いっそのこといなくなっちまった方が良いのかもな」
「なら、俺が死んでからにしてくれると嬉しいな。ねえ冰熬、祥哉と咲明が戯れ始めたんだけど」
「・・・お前に教えてやるとな、あれは戯れとは言わねえんだぞ。喧嘩してるんだ」
「なんだ。じゃあ放っておこう」
「おい祥哉、こんなところで無駄に体力使うんじゃねえよ」
黄生はごろんと身体を横にすると、腕を後頭部に持っていく。
そんな黄生の横で、腰を下ろした冰熬は、若干キレている祥哉の名を呼ぶと、祥哉は冰熬を見て舌打ちをする。
喧嘩を続けても良かったのだが、以前、見知らぬ男にキレてしまったとき、冰熬に止められたのだが、その時冰熬に掴まれた腕は痺れていて、後から見たら赤くなっていた。
それを思い出したのか、祥哉は咲明の胸倉を掴んでいたその手を離した。
寝転がっていた黄生は、それを見ながら足を軽く組んだ。
「独裁国家?」
「はい」
その頃、とある組織に所属している男のもとに、一通の情報が入り込んだ。
それは、ある国におけるトップの男が、独裁国家を作っているということだった。
厳密に言えば、そういった国の形に関しては口出し出来ないのだが、そこに役人も係わっているという噂があるようだ。
政府から辞令も受けているその役人が、国を見張って国の不正を正すという名目で働いているようだが、どうも裏がありそうだ。
「将烈様、いかがなさいますか」
将烈と呼ばれたこの男、一部の者しか知らない特別な機関にいるのだが、そこでは“金目の将烈”として恐れられていた。
敵も味方も関係なく、不正や歪んだ考えなどを持っている者には容赦ない。
きっと彼から制裁を加えられたものは、みな一様にこう言うだろう。
“奴は残忍だ”と。
しかしその一方で、将烈は部下に対して優しい一面を見せることもあるそうだ。
いつもは厳しい指導や教えをするのだが、部下がミスをしても部下を責めることはなく、ただ自らが頭を下げる。
責任は取る、思いっきりやれ。
そういうところがあるからなのか、部下からの信頼はとても厚く、波幸という男もそんな将烈を尊敬している。
将烈は黒のワイシャツに黒のネクタイ、時々白い手袋をしているのだが、今日はしていなく、煙草を咥えている。
しかし、この部屋は禁煙室のため、咥えているだけで火をつけてはいない。
「その政府の命を受けている役人は一体何をしているんだ?」
「それが、金を貰っているようで、今じゃ国の言いなりのようです。こっちに送る情報には、国の内情などを良いように書いてありますが、政府だけじゃなくて警察からも同時で辞令を受けている男のようです」
「これだから奴らは嫌いなんだ」
「将烈様、誰に聞かれているか分かりませんので、言葉にはご注意ください」
「ふん。聞かれても別に困らんな。俺に文句があるなら、直接来ればいい。俺を引きずり下ろしたいなら、それ相応の正義を並べてくればいい。ただそれだけのことだ」
権力や地位を有利に扱おうとしている者からすると、将烈のような男は邪魔だ。
権力にも金にも名誉にも靡かないこの男を動かすためには、筋の通った真っ直ぐな正義を述べる必要がある。
幾ら身繕っても、この男には嘘の正義など通用しないのだ。
「それより将烈様」
「なんだ」
「確か警察には、将烈様のお知り合いがいらっしゃったのでは?」
「・・・覚えてないな」
波幸の問いかけに対し、将烈にしては珍しく歯切れが悪くなった。
言ってしまうと、将烈は秘密警察という組織にいるのだが、ここでは警察や政府で働く者達の不正を暴くのが主な仕事だ。
国と手を組んで何か企んではいないか、情報を漏らしてはいないか、そういったことを細かく調べるのだ。
将烈も始めからこの秘密警察にいたわけではなく、警察側の人間として働いていたのだが、警察内部にも悪びれもせずに不正を行う者たちがいることを知り、嫌気がさしていたところに声がかかったのだ。
それからすぐに警察を辞め、秘密警察として表沙汰にはならないようなことを毎日調べている。
その警察時代、ちょっと気が合う男がいた。
気が合うという言葉が合っているのかは定かではないが、考えや向いている方向が似ていた、というのだろうか、そういう男が1人だけいたのだ。
警察を辞めてからは会っていないため、今どこで何をしているのか知らないが、きっとまだ警察をしているだろう。
警察は嫌いだが、警察にいるからこそ出来ることがあると言っていた記憶がある。
そんな昔のことを思い出していた将烈を見て、波幸は数回瞬きをした。
「将烈様、最近楽しそうですね」
「はあ?お前何言ってるんだ?」
波幸の言葉に、険しい表情をして答えた将烈だが、波幸はこう続ける。
「いえ、以前将烈様と潜入していた国であったあの男といい、その昔のお知り合いといい、将烈様は少し穏やかな表情になります」
「お前、俺をおちょくってんのか?」
「おちょくるなんて、とんでもありませんよ。ただ、世界も国も、これまで信じてきた警察という組織にも裏切られた将烈様の周りに、そういった同じ考えを持つ者達が増えることは嬉しいことですので。立場は違いますが」
「おちょくってんじゃねえか」
そう言うと、将烈は口に咥えていた煙草に火をつけた。
それを見て、波幸は禁煙室だと言おうとしたのだが、もうつけてしまったものは仕方がないと、ただ無言で窓を開けるのだった。
ふう、と煙を吐きながら、将烈は太陽が昇る空を仰いだ。
「今日も天気が良いですね」
「・・・・・・」
「洗濯日和です」
「お前は主婦か」
「いえいえ、ある程度の歳になると、天気=洗濯という考えになるんですって。それに、雨よりいいじゃないですか。こうして煙草も湿気らずに吸えるんですから」
「雨でも煙草は吸えるよ」
「気持ちの問題ですよ」
「俺は雨も嫌いじゃねえ」
「へえ、どうしてですか?洗濯物干せませんよ?」
波幸はどうしても天気を洗濯物に繋げたいようだが、将烈はそれをスル―する。
煙草をまた口に咥えると、ゆっくり息を吐き、いつもの強い口調ではなく、珍しく柔らかい口調で告げる。
「泥にまみれた汚ぇ世界を、洗い流してくれてるみてぇでよ」
「・・・・・・将烈様、いつからノスタルジーになったんですか?何か悩み事でもあるんですか?それともストレスですか?」
「なんでそうなる」
「いえ、将烈様の意外すぎる一面を見ましたので、自分を落ち着かせようと思いました」
あほか、と呟くと、将烈はまだ残っている煙草を手の中で潰した。
しばらくその晴れた空を眺めていると、急に雲行きが怪しくなり、それまでの天気が嘘のように雨が降り出してしまった。
開けた窓を閉めると、波幸は洗濯物を出していたらずぶ濡れだったと、まだ洗濯物のことを言っていた。
「俺は雨が好きじゃありませんね」
「なんで」
「気持ちが暗くなるじゃないですか。鬱になりそうです」
「お前の頑丈なハートならそう易々と鬱にはならねえだろうよ」
それからすぐに、また話を戻す。
「国へは行かれますか?」
「実状を調査する必要はあるだろう。その役人が飼われているなら、これまでにあがってきた情報の信用性は低いからな」
「大きな国ですからね」
「でかい小さいは関係ねぇさ。でかい国でも脆けりゃすぐ壊れる。小さい国でも、逞しく頑丈なら長持ちする。国ってのは、そういうもんだ」
「将烈様、御経験でもあるので?」
「波幸」
「はい」
「そういう詮索は、今回の仕事が終わってからにしろ」
そう言うと、将烈はスッと立ち上がり、手にずっと握っていた吸いかけの煙草を波幸に渡す。
文句も言わずにそれを受け取ると、波幸は自分のポケットにしまう。
そして将烈が歩きだしたため、部屋の隅にかけてある将烈の上着を素早く取ると、将烈に渡した。
「出かけてくる。波幸、お前は先に国に潜入してる奴と連絡して、状況を聞きだしておけ」
「わかりました。お気をつけて」
バタン、と閉まってしまったドアを一瞥したあと、波幸もすぐに部屋から出て、様々な国へと連絡が出来る部屋に向かった。
「っくしょん!!」
「風邪ですか?」
「いや・・・誰かが俺の噂でもしたか」
「警察の噂なんて、いつでもどこでもされてますからね」
ハハハ、と笑う男に、くしゃみをした男は同意をしながら笑った。
「それで、翼棠からの連絡は?」
「変わらずです。特に異常なしとしか。どうします?」
「このまま放っておくと、面倒な組織が首突っ込んできそうだしな。直接行って、この目で確かめるしかないだろ」
「ですが、我々警察からだけでなく、政府からも命を受けている男です。そう簡単に国に入ることは出来ないかと」
「するしかないだろ。権力や地位を恐れてたんじゃ、何も出来ない。それに、そういう奴だけが甘い汁を啜って生きてるなんて、誰が赦すと思う?」
「まあ、それはそうでしょうけど」
「証拠を集めるぞ。ついでといっちゃなんだが、翼棠を指名した連中にも下りてもらわないとな」
男は風が心地よく吹いている空気を入れるべく窓を開けると、男の紫の髪が靡いた。
ふと下を見ると、白昼堂々と暇そうにお喋りをしている上層部。
それを見てまた深いため息を吐く。
「聞邑はどうしてる?」
窓側に背中を向けながら問いかける。
「国外からの評判は可も無く不可もなくというところでしょうか。国内からの評判に関しては、確かなデータとは言えませんので、なんとも」
「ま、どうせ都合悪いことは隠すもんさ。分からないときは、実際に行って確かめるに越したことはない」
「鬧影様、行かれるので?」
紫の髪の男は、鬧影というらしい。
どのような職位にいるのかは分からないが、部下には信頼されているようだ。
仕事は早く、その出来栄えも問題ないため、きっと上司からも好かれているのかと思いきや、思い通りに動かない鬧影のことを疎ましく思っている者が多いらしい。
それならそれで構わないと、鬧影は間違っていることは間違っていると、正面からはっきり言うスタイルだ。
「俺が行かなくてどうするんだ」
「しかし、仕事が・・・」
「それなら今日明日で終わらせるよ。それなら問題ないだろ」
「鬧影様、お電話です」
「電話?」
終わるのだろうかという量の仕事だが、きっと鬧影だから終わるのだろう。
鬧影は残業を好まない。
というよりも、残業という概念がきっとないのだろう。
いつも時間通りに来て時間通りに帰って行く。
しかし仕事は期日より前にきちんと終わらせ、急な仕事が入っても対応出来るほどの余裕も持っている。
これは潜入調査中も同じのようで、どこへいっても残業などしていないらしい。
鬧影曰く、残業をするのは仕事が出来ないことを自分から証明しているようなもの、ということだ。
以前、何処かに潜入したとき、残業を毎日のようにしている男が、自分は仕事が出来るから仕事を抱えている、だから残業をしているのだ、と言っていたとか。
それを聞いていた鬧影は、涼しい顔をしてこう言ったらしい。
「残業していることを仕事が多いせいにしているんですか?」
その言葉にカチンときたその男が、自分が持っている仕事を全部鬧影に押しつけた。
それを5日で終わらせてみろ、もちろん、残業はしてはいけないし、家に持ち帰ってもいけない、と言った。
鬧影はその仕事を、たった3日と半日で終わらせたという。
当然、残業などしていないし、持ち帰りもせずに仕事場に置いて帰っていた。
途中、男が嫌がらせで鬧影に別の仕事を押し付けていたのだが、それでも充分間に合ってしまったのだ。
男の仕事が遅いのか、それとも鬧影の仕事が早いのか、それは別問題として、男に強制的に残業をさせられていた当時の部下たちはその結果に反響を寄せ、男は仕事を辞めるとまではいかなかったが、異動させられてしまった。
話が逸れてしまったが、とにかく、鬧影は仕事に関しては誰からも文句など言われないほど早いということだ。
鬧影が電話に出てみると、それはある国を調査している仲間からだった。
「お疲れ様。聞邑の動きはどうだ?」
『それが、城に潜入した奴との連絡が途絶えてしまいまして。何があったのかはまだ不明です』
「そうか。生きてはいるのか?」
『ええ。体内に入れてある生命反応感知器は反応してますので、生きていることは間違いないかと』
「生きているのに連絡が取れなくなったとなると、益々怪しいな。俺も出来るだけ早くそっちに向かうから、それまで辛抱してくれ」
『わかりました』
電話を切ると、鬧影はすぐさま仕事に取りかかる。
誰か他の代わりが出来る仕事なら任せてすぐにでも行くのだが、同じような仕事が出来る人は皆潜入調査に行っていたり、他の調査で手が回らない。
こんなときに限って能なしの上層部は報告書だとかそういう後回しでも良いものを催促してくる。
鬧影は仕事が早く終わるようにと、しかしやはり残業はせず、ただ無言で仕事に取りかかるのだ。
「翼棠を呼べ」
「かしこまりました」
とある国では、男が宝石がちりばめられた椅子に座っていた。
スワロフスキーがあちこちにあって、逆に座り難いようにも見えるが、きっと自己満足で座っているのだろう。
男は紫の髪にアイスブルーの目をしており、左目の下にはホクロがある。
男の名は、聞邑。
世界有数の貴族としても名高く、政府や警察にも顔がきく一族だ。
初代の頃は一つの小さな国だったようだが、それから周りの国を一つ、また一つを潰して行き、といういい方は良くないかもしれないが、言ってしまえば金や武力で手に入れたのだ。
そうしてどんどん領地を広げていったこの国はいま、世界でも数本の指に入るほどの領地面積を誇り、金も権力もある国までに成長を遂げた。
きっとみな幸せにしているだろうと御思いだろうが、そうでもないようだ。
男はこの国を統治している。
まだ若いが、両親にこの国を誕生日プレゼントとして渡されたためだ。
プレゼントされた年齢は、僅か齢8の時。
全てが自分の赴くままに動くと思っているこの男は、金や権力で手に入らないものはないと思っており、手に入らない場合は殺してしまう。
「聞邑様、お呼びになりましたか」
「翼棠、最近ネズミが入り込んでる気がする。お前はどう思う?」
翼棠という男は、黄土の短髪に茶色の目、そして無愛想な顔をしている。
聞邑の国を見張るようにと命を受けた、役人の代表者である。
「そうですね。確かに、ネズミは数匹、入り込んでいるかと」
「お前、ちゃんと連絡してるのか?」
「はい。異常はありませんと、報告しておりますが」
「おりますが?」
「何分、野生の勘が鋭い輩もおりますので」
「なんだ、動物園なのか?お前がいる警察ってのは」
それに関しては翼棠が無言でいると、聞邑は頬杖をついて鼻で笑う。
足を組んでワインが入っているグラスを指先で揺らしていると、突然、そのグラスを指先で弾いて倒した。
中に入っていたワインは当然のように床に吸い込まれていき、シミを作る。
「それよりも聞邑様」
「どうした、何か面白い話でもあるのか」
「あまり見かけない男たちが数人、国に入ってきたようです」
「見かけない男たち?・・・適当に始末しておけ。それか、若くて体力がありそうな男たちなら、下で働かせておけ」
「お望みの通りに」
聞邑は椅子から立ち上がると、窓際に向かって歩く。
晴れているのにどんよりとした空気を部屋に取り入れながら、聞邑はニヤニヤした笑みを浮かべる。
「ここは良い国だよなぁ」
「・・・・・・」
「どいつもこいつも、金で動きやがる。男も女も、それに子供もな」
外を眺めていた聞邑だが、くるっと振り返ると翼棠の方を見る。
「政府も警察も、下の奴らがどんなに懸命に正義を貫こうとしても、上の奴らが俺の掌の上じゃあ、どうにも出来ないだろうな。まったく馬鹿な連中だ」
「耳が痛いです」
「なに、お前は賢い。こうして俺の言いなりになってるんだからな。ここでゆっくりと、正義を名乗る馬鹿共が葬り去られていく姿を見届けようじゃねぇか」
ククク、と喉を鳴らして笑ったかと思うと、聞邑はまた外を見た。
景色が良いと言えばいいのだろうが、そこに住まう人達が笑っているかと聞かれれば、答えはノーだろう。
それから少しして、翼棠のもとに部下から何か情報が入り込んできた。
頭を下げながら部屋に入ってくると、翼棠の耳もとで何やらモソモソと話をしていた。
その部下が部屋から出て行くと、翼棠が表情を少しだけ強張らせて、まだ外を眺めている聞邑に向かってこう言った。
「聞邑様、国に潜りこんなネズミの名が分かりました」
「ほう、で?」
「それが、冰熬という男らしく」
「冰熬・・・」
聞邑は一瞬、眉を潜ませた。
それは、聞いたことがあるような、ないような、と考えている表情だった。
翼棠が口を開く前に、聞邑は自力で思い出すことが出来たようだ。
「国崩しの男か。この国に来たったことは、この国の用心棒になりてぇってとこか?」
「それは分かりませんが、危ない男です」
「冰熬か。俺の手の内に入るなら、これほどまでに心強いことはねえなぁ」
「それから、他二名は賞金首になっている男たちです。一名は不明ですが」
「賞金首?なら好きにさせておけ。お前等警察で捕まえても良いし、労働させても構わねえ」
嘘か誠か、一国の戦力に値するほどの男が自分の国に来たとだけあって、聞邑は僅かながら心躍らせていた。
それが例え御伽噺だとしても、噂になるほどの男なのだから、きっと見た目も屈強なのだろう。
国の用心棒になってもらったら、まずはどんなことを頼もうか、などといった、まだ目の前にも来ていないその男のことを考え、聞邑は楽しげに妄想していた。
翼棠から、2人の賞金首に関しても聞いてみると、殺すよりは労働させた方が良い金になるかもしれないと思った。
幾ら賞金首だと言ったところで、この国にも強い男たちが揃っている。
勿論、その男たちも金で雇っているのだが、金は裏切らない。
その男たちと戦わせてみて、強い方を用心棒に、いやしかし冰熬が来るならば必要ないか、など、聞邑が考えているのを見て、翼棠は小さく短く息を吐いた。
「翼棠」
「なんでしょう」
「そろそろランチの時間だ」
「用意させます」
寝転がったままの黄生と、その横で腰を下ろしている冰熬、その前で立っている祥哉と咲明。
しばらくは雑談などをしていた四人だが、ここにきてようやく本題に入る。
「で、お前らどうしてこの国に?」
冰熬の質問に答えたのは、咲明だ。
「俺と黄生の耳に入ってきたのは、この国に来た男たちは、姿を消しているってこと。殺されてるっていう情報もあるけど、入ってきた人数に対して、殺されてる人数が合わない。てことは、他は何処かに監禁でもされてるんじゃないかと思って、それを調べにきた。まあ、正直言うと、その中に結構な額の賞金がかかってる男たちがいて、それ狙いだけど」
「なるほどな」
「で、そっちは?」
その咲明の質問に対して答えたのは、冰熬ではなく、祥哉だった。
「この国には何かあるって、こいつが。見た目が華やかな国ほど何か隠してるもんだって言って、詳しいことは俺は聞いてない」
「てことは、そっちも国の裏事情について調べるってことでいいかな?」
「まあそういうこと」
じゃあ一緒に頑張ろうとか、そういう言葉は一切ない中、ふと、独り寝転がっていた黄生が目を開けて隣にいる冰熬を見る。
身体を起こす気配がない黄生だが、横にいる冰熬もまだ腰をあげる気はないようだ。
そんな冰熬に向かって、黄生が声をかける。
「わざわざ冰熬が動くなんて、珍しいね。どういう風の吹きまわし?」
「ああ?なんだ?」
「国がどうなろうと、世界がどうなろうと、冰熬は自分に被害が及ばない限り動かない人だと思ってたから。少し変わったのかなーと思っただけ」
「・・・・・・」
無頓着なわけではないが、冰熬はとにかく巻き込まれることを嫌う。
その為、こうしてわざわざ国境を越えてやってきてまで調べたいと思うなんて、考えられないことだった。
突っ込まれた冰熬はしばらく黙ったままだったが、黄生も特にそれ以上聞くことはなかった。
「例えばよ」
「うん?」
冰熬が、小さい声で話し出した。
「例えば、初めて会った野郎が懐いてきて、てめぇの知らねえところで勝手に守られて、勝手に死んじまったとして、どうすりゃあんときの罪滅ぼしが出来るよ?」
「・・・ふーん」
そよそよと吹く風は少し冷たくなってきて、黄生は思わずくしゃみをした。
鼻を啜りながら上半身を起こすと、目を擦って欠伸をする。
「その“野郎”って人のことは知らないけど、別に冰熬のこと恨んでるわけでもないなら、罪滅ぼしなんてする必要ないと思うけどね。だってそいつは、冰熬に生きてほしいから身体を張ったわけだし、それに対して冰熬に応えてほしいとか思ってないと思うし。てか、冰熬って結構引きずるタイプ?」
「別に引きずっちゃいねぇよ」
「引きずってるじゃん。あのさ、前から思ってたけど、冰熬って適当に見えて真面目なところあるよね。だから白髪生えてるんだよ」
「まじか。どこにある」
「あ、違った。光が反射して白く見えただけだった。つまんないの」
「つまんないってなんだ」
マイペースに話しを進める黄生だが、そんなマイペースさに、冰熬は思わず目元を手で覆って笑っていた。
冰熬がこうして笑うことはあまりないため、黄生だけでなく、冰熬としばらく一緒にいた祥哉までもが驚いていた。
「急に笑わないでよ」
「いや、お前らやっぱり変わってんなと思ってよ」
「お前等?」
最初はどうして複数形なのかと思っていた黄生だが、祥哉をちらっと見たあと、そういうことかと納得した。
祥哉はまさか自分が笑われているとは露知らず、首を傾げていた。
それから少しして、祥哉と咲明も腰を下ろす。
「いいか、きっと聞邑は俺達が国に入ったことはもう知ってるはずだ」
「だろうね。視線がチクチクする」
「片っぱしからぶっ飛ばしていこう」
「祥哉、そういうことじゃねえんだよ」
黄生と咲明と会ったときから、変なスイッチが入ってしまったのか、祥哉はこの国に来てから少し喧嘩っ早くなっている気がする。
しかしそれを冰熬と咲明が止めながら話しを進める。
「祥哉、お前は自然なままでいればいいからな」
「なんだよそれ。なんかムカつく」
「そうだ、それでいい。黄生と咲明、お前たちはタイミング上手くやれよ。それから、目立つ行動は控えるように」
「はーい」
「間延びした返事をするな」
なんやかんやと話をしてから、国の一番栄えている場所へと向かうと、そこは国のはずれとは違う世界のようだった。
キラキラと光る街、そこに行き交う元気な声たち、笑顔を振りまいている国民と思われる男女。
のんびり、とは程遠いようなその場所を歩いていると、昼間から飲み屋を経営している若い男と女が声をかけてきた。
「そこのお兄さん達!ここのお店で飲んでいかない?」
「おつまみ、サービスしちゃうよ!!」
「よし、入ろう」
おつまみに惹かれたのか、冰熬はその店に黄生たちを連れて入っていく。
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