青い神様
筆入優
1
通学路の途中に小さな神社がある。
よく小学生が遊びに訪れては、神様の目もはばからずにど真ん中を走っていたりする。僕は下校途中にそこを訪れては、はしゃぐ彼らを眺めたり、話したりする。
「ここさ、何祀ってんのかな」
隣を歩いていた海子が立ち止まって尋ねてきた。言われてみれば、僕もここがなんの神様を祀っているのか知らない。気になるが、誰かに訊くほどのことでもなかった。
ただそこに神社がある、コンビニすらない島で人が集える場所がある。その事実だけで十分だった。
「なんでもいいだろ。僕は神様は信じてないんだ」
海子は頬を膨らませた。
「真面目に答えてよ」
僕は適当に聞き流しながら歩いた。
「ちょっと……」
と、神社を通り過ぎようとした瞬間、蝉時雨に混ざった声が聞こえた。中性的な、まるで少年のような声。
海子に「さっきの、聞こえたか?」と尋ねると彼女は首を横に振った。
「暑さで頭がやられちゃった? 幻聴聞こえてるなら重症だよ」
「僕はおかしくない」
「ふうん。どこから聞こえたの?」
「神社のほうから」
「げ、なんだか不気味だなあ。そっち行くの? なら私は帰るけど」
「うん。先に帰っててよ。すぐ追いつく」
僕は海子と一旦別れた。神社のほうに戻って声の主を確認しに行った。確認したら神社を後にするつもりだったが、そうもいきそうになかった。何故なら鳥居の先、石段に横たわるセーラー服の少女は苦しそうだったのだ。
「さい、どぅ……」
少女は今にも死にそうな声で語りかけてくるが、僕はそれを聞き取れなかった。
「さいどぅ? 動物園のサイ?」
「ち、がう」
少女は首を少し傾けた。その方向に目をやると、王冠の形をとった蓋が置いてあった。
「サイダー?」
少女は小さく頷いた。
僕はスクールバッグを投げ捨て、駄菓子屋に走った。幸い、客は僕しかおらず、王冠蓋のレトロなサイダーはスムーズに買えた。
神社に戻った僕は蓋を開けて、少女の口にサイダーの飲み口を当てがう。軽く瓶を傾けてゆっくりと飲ませた。
半分ぐらい飲んだところで、彼女は元気になった。
同時に、彼女の体が青く半透明になっていく。透き通った、まるで色付きガラスのような青だった。
ボブに切りそろえられた半透明の髪。青く宝石のように輝く目。
彼女の全てが半透明だった。
美しく透き通った体の内に鼓動する青き心臓が見えた。
「助かったよ~。ちょうどサイダーを切らしててさ」
少女は日本語を喋った。僕はそれに驚いたし、同時に理解できなかった。
こんな宇宙人のような奴が日本語を話すことを。
「あ、夏樹まだいたの! すぐ追いつくとか言ってたのに遅いから探しに来たんだけど……一人で何してるの?」
海子の声が聞こえた。振り向くと鳥居のほうで彼女が額の汗をぬぐいながらこちらに歩いてくるのが見えた。
石段に座った海子は置いてあったサイダーを勝手に飲み干した。
「さっき、一人って言った?」
「うん」
「てことは、海子は宇宙人がみえてない……?」
「宇宙人? 映画の見すぎじゃない? あ、それとも」
海子はニヤッと笑う。
「夢の見すぎじゃない? 不思議な夏はフィクションだけだよ」
「上手いこと言わなくていい。本当に見えないのか?」
「うん」
「私、宇宙人じゃないし!」
と、少女が必死に否定を示した。声に似合わず可愛らしい否定である。手と首を必死に振って忙しそうだ。
「じゃあ、なんなんだよ」
僕が尋ねると、少女はやれやれとでも言いたげに頭を掻いた。
彼女は面倒くさそうに立ち上がり、御社殿に凭れ掛かった。その目は石段に座る僕らを見下すような目だった。
「か、み、さ、ま」
「何の」
「海の神様。通称海神。海に住んでるけど、陸にあるこの神社で祀られてる」
少女の言葉を理解するのに、僕は数十秒も要した。理解をしたはしたで、目を丸くすることになるのだが。
僕は、この地の神様と話しているのだ。なんならサイダーを飲ませて死の危機から救った実績までもを解除してしまった。
「宇宙人はなんて?」
海子が尋ねてきた。
「……宇宙人は宇宙人じゃない。
海の神様で、海に住んでて、ここで祀られてるらしい。呼び名は海神なんだとさ」
「そ、そうなんだ」
海子は怪訝な目で僕を見る。
「僕じゃなくて海神を睨め」
「でも見えないもん」
海子がそう言うので、僕は自称神様に尋ねた。
「なんで海子にはお前の姿が見えないんだ?」
「お前、じゃなくて海神! 私の姿が彼女の目に映らないのは、つながりが浅いからさ」
「……繋がり?」
「君はよくここに来るだろ。だから気づかぬうちにここと君がリンクしたのさ」
突拍子もない話だったが、理解はできた。海子は単に、ここに来る回数が少なかったということなのだ。
僕からそのことを海子に話した。彼女は、「私も見たかったなー。神様」とちょっとだけ肩を落とした。そんな彼女を尻目に、神様は二本目のサイダーを開けて飲み干す。
「あ、そうだ海神。なんでサイダーなんだ? 水やお茶じゃダメなのか?」
「私は海の神様だからさ、陸にいると水分の消費が激しいのさ」
「僕は何故サイダーなのかを聞いているんだが」
「い、いやそれは……」
海神は苦笑いを浮かべた。
「私が好きだから」
こいつに神様が務まる世界なんてあって堪るか!
僕らは日が暮れるまで話し込んで解散した。計三回サイダーの調達に行かされたのは毎度僕だった。次は海子の番だ、と僕は内心海子の眼前にナイフを突きつける。
「夏樹はさ」
数歩先を歩いていた海子が足を止めてこちらを振り返る。彼女の足元に長くて大きい影が伸びている。神様よりもそっちのほうがなんだか宇宙人な気がした。
夕焼けと宇宙人。どこかぴったりに思えて、でもミスマッチだなとすぎに思い直した。
「宇宙人の言ったこと、信じてるの?」
海子は言う。
「言ったことって?」
「自称神様なんでしょ」
「ああ、それね……うん、僕は信じてるよ。神様じゃなかったら海子にも見えてるはずだし」
海神は神社と深い繋がりを持つ者だけが視認できる。よく神社を訪れていた僕に見えて、神社に通っていない海子に見えないのなら、あの少女を神様だと確信しても構わないだろう。
まあ、僕は別に毎日のように通っているわけではない。寄り道感覚だ。神社と縁があるのはむしろ子供たちのほうだ。
「たしかに」
海子は再び歩き出す。僕も止めていた足を動かした。夕暮れとヒグラシの声が体に沁みた。
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