煤辺境
果型留 一夜
煤の街
胸の中身を見せてくれ、と
「
「……貴女は簡単に言いますけどね」
私がいつものように渋るのを見て、妻はずぶりと腕を私の着物に入れた。氷の
私の気も意に介さず、妻はひねりを摘みギィとそれを引き上げていく。たちまち私の胸が左右に裂け、その中身が露わとなった。縦長にぐわんと広がった間の中で、数組の歯車が何重にも噛みあいカチカチというという音を鳴らす。その中央にある二組の貯水等じみた金属が私の肺だった。ひょいとその一つが取り上げられ、妻の手へと渡る。
「だいぶ詰まってるみたいだね……」
肺の蓋を緩めて中身を覗いた妻がそう告げる。遠眼鏡を使って遺物を観察する学者のような風だった。火かきで肺の中身を探ると、紙を敷いた畳の上に黒ずんだ大小の煤が転がる。
妻は肺から
「もう片方も」
抵抗感があったが、彼女にまた胸の中を触られてはかなわないと思い、手探りで内からそれを引き抜く。ざらついたどっしりとした感触、小ぶりな
……話を
「これで終わりかな……ほら」
妻の両手に乗せられた肺にぱっと触れ、取り上げるように内へ収めた。
「慣れないみたいだね」
「貴女もされたら分かりますよ」
どこかからかうような妻の口調に、むず痒い奇妙な感情を覚える。身体が弱い彼女の方こそ、臓が機械でもおかしくはないはずなのだが。
「でも君だって昔はこういうことをしてきたんだろう? その時はどうだったんだい」
「それは今どうでも良いことです」
妻の手は私の肺の手入れと煤玉の真っ黒に汚れていた。着物にまで黒い粉が点々と落ちているのが見える。昔はよく小言も言っていたし気にもしていたが、もう慣れてしまった。妻は煤玉の生物を右手でこねるように動かし、余計に辺りを真っ黒にしている。
「気になるんだ、聞かせておくれよ。身体を鉄鋼に変えていくというのはどういうことか」
「しません。私は石鹸と小麦粉を買ってきますので、貴女は風呂にでも入っていてください」
つれないなぁ、といった彼女を後にし扉を開けて外へと出て行った。はぁという吐息が外気に触れ、淡い白となった。
▽
長年他人の腹を裂き、腕や脚を切り落とし、眼を顔から取り除いていたことを思い出した。麻酔の効いた身体といえども、動揺してしまう患者をなだめて順序良く有機を無機に置き換えていく。ずいぶんと昔、私が首都にいた時代の話。十代の頃、本当に私自身が未来を担っているのだと思った。最も優れた医療技術を持った外科医として、いずれ首都の無数の偉人の碑に私の名前が刻まれるのだとそう考えていた。
技術の進歩が想像よりも遙かに速かったのが、皮肉にも私の未来を違う方向へと変えてしまった。革新から数年の内に、医療は鉄鋼から
私は肺をどうしても珪素に変えたくなかった。それは私の評判をより偏屈な者として染め上げ、気づいた時には周りにはだれもいなくなっていた。首都を去り放浪の果てにこの煤の街にたどり着いた時、私は二ハ才になっていた。
必要なものを買い、帰路につく。
煤を髪と着物から払いのけるも、すぐに次の粉が降りかかってくる。いつものことだがキリがない。
「帰りましたよ。風呂には入ったんですか」
返事がない。普段なら矢継ぎ早に外がどうだったか訪ねてくるのに。妙なおかしさを感じ、部屋の奥へとそっと移動した。
「ゴホッ、グフッ……」
彼女の口から出たものが私の手元にかかる。どろりとした煤、黒い液体の中に一筋の赤いものが混じって……。
気づいた時には彼女の背を必死に叩いていた。あの煤玉かあれが出していた煤が彼女の身体に入って、気管で炎症を引き起こしている。少しずつ、ちょびちょびと煤が出てくるが、彼女の様子からまだ多くのものが体内に詰まっているのだというのが予測できた。彼女の潤んだ眼が私を凝視している。息が絶え絶えだ。
やらなければならない。彼女から離れて家屋の倉庫へと走る。扉を開けた先にあるのは短刀、薬、様々な臓の鉄と沈痛薬。持てるだけ持って彼女へと駆け寄った。
相手の許可が下りなければ、手術はできない。だが、許可を取れるような状況ではない。
責任は全て私が負う。一つの言葉を脳内に落とし、彼女の着付けを緩める。
短刀を握った手に迷いはなかった。
▽
「今日はやけに降るねぇ」
妻はいつものように優雅に言葉を吐き出しながら、煤の写真を眺めていた。煤が動的に動くことが分かって以来、彼女は遠方から観察したそれを現像したり、書にまとめたり随分と忙しそうだった。
「いつもと変わらないでしょう。ほら、肺を手入れしましょう」
妻が唐突に動きを止め、こちらを見た。顔が赤く曇っている。
「いや……たぶん、まだそんなに詰まってるわけではないと思うな……」
「私の気持ちがお分かりになりましたか?」
途端に妻が小さくなっていくように見えた。
「貴女の肺を鉄に変えた責任は一生かけて取りますよ」
「……ずるいなぁ、そういうことを言うのは」
お互いの変な笑顔は膨らんで、恥ずかしさを隠すような笑いになっていた。
妻の胸元を開いた時、彼女は気を紛らわせるためか窓の方を見ていた。黒い雪はまだ降り続けていた。
煤辺境 果型留 一夜 @rasenkairou
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