2023年11月19日 22:30
corundumへの応援コメント
一人は孤児の俺、ヒイロ、でも本名じゃない。もう一人は両親に見捨てられた僕、碧。両親はギャンブル、タバコの常習者。二人は里親と暮らすことになる。お互いに境遇が似ており仲はよかったがピアスのことが原因で暫く疎遠になっていた。四十度を超す夏の真っ盛りの頃、二人はまた外で出会う。蒼はすっかり雰囲気が変わっていたのをヒイロは驚く。年頃になればやっぱりおしゃれをしたくなるものだ。両親が許さなくても少年、蒼は耳に穴を開けてピアスをつけたかった。喫茶店でメロンソーダを頼んだのも夏の熱さのせいである。ヒイロは思う。自分の両親はどんな人だったのかと。蒼はまだ親の顔を知っているから良い。自分も耳に穴でも開けようか。碧は素行の悪い両親の影響でピアスをしたのではないか。自分がそうしない理由は何だろう。ギャンブルや薬物は人を狂わせる。それは皆が良く知っているはずなのに。真面目に働くのが嫌だからパチンコ店に入り浸る。タバコを吸えば簡単に快楽を得られるから吸いたい。しかしそこに逃げてしまえば、人ではなくなる。俺たちはその猿真似をしてはいけないよな。碧、お前はもう一度戻って、お前の本当の両親と暮らすべきだ。駄目だと言われたらあっかんべーをしてまたここへ戻ってくれば良い。またいつでも待っている。お前の親はやはりギャンブルにはまった父親とその母親だけだ。碧、世間に縛れれるな。このくだらない世間に流されてはいけない。碧、お前だけは両親と別の道を行け。人はどうして罪を犯すのか人は弱いから?だから人は人を傷つけるそうしたくなくても金儲けのために動物が売られるお金があればだいたい何でもできるから何でも手に入るからでも赤子はそうはいかないしかしその子供も些細な快楽から生まれたそれが愛だというには、あまりにも滑稽だ愛も金に屈する世の中子供がいれば、どんなろくでなしでも親になる嫌でも親に見えてしまうでもそれでも親は親だ親も親から産まれたパチンコの銀玉のように不規則に子々孫々と世間を創りだしている上手くいけば大金にありつけそうだからと、みんなパチコーンとギャンブルのように腹から産まれてきたのだ自分なりに解釈して書いたつもりですが、何の他意もありません。自主企画参加に感謝をして終わります。
作者からの返信
企画に参加させて頂き、またコメントも下さり、有難うございます。筆者自身、そんな解釈の仕方もあったのかと、まるでもう一つの別の物語を読んでいる様な、貴重な体験になりました。
corundumへの応援コメント
一人は孤児の俺、ヒイロ、でも本名じゃない。もう一人は両親に見捨てられた僕、碧。両親はギャンブル、タバコの常習者。二人は里親と暮らすことになる。お互いに境遇が似ており仲はよかったがピアスのことが原因で暫く疎遠になっていた。四十度を超す夏の真っ盛りの頃、二人はまた外で出会う。蒼はすっかり雰囲気が変わっていたのをヒイロは驚く。年頃になればやっぱりおしゃれをしたくなるものだ。両親が許さなくても少年、蒼は耳に穴を開けてピアスをつけたかった。喫茶店でメロンソーダを頼んだのも夏の熱さのせいである。ヒイロは思う。自分の両親はどんな人だったのかと。蒼はまだ親の顔を知っているから良い。自分も耳に穴でも開けようか。碧は素行の悪い両親の影響でピアスをしたのではないか。自分がそうしない理由は何だろう。ギャンブルや薬物は人を狂わせる。それは皆が良く知っているはずなのに。真面目に働くのが嫌だからパチンコ店に入り浸る。タバコを吸えば簡単に快楽を得られるから吸いたい。しかしそこに逃げてしまえば、人ではなくなる。俺たちはその猿真似をしてはいけないよな。
碧、お前はもう一度戻って、お前の本当の両親と暮らすべきだ。駄目だと言われたらあっかんべーをしてまたここへ戻ってくれば良い。またいつでも待っている。お前の親はやはりギャンブルにはまった父親とその母親だけだ。碧、世間に縛れれるな。このくだらない世間に流されてはいけない。碧、お前だけは両親と別の道を行け。
人はどうして罪を犯すのか
人は弱いから?
だから人は人を傷つける
そうしたくなくても
金儲けのために動物が売られる
お金があればだいたい何でもできるから
何でも手に入るから
でも赤子はそうはいかない
しかしその子供も些細な快楽から生まれた
それが愛だというには、あまりにも滑稽だ
愛も金に屈する世の中
子供がいれば、どんなろくでなしでも親になる
嫌でも親に見えてしまう
でもそれでも親は親だ
親も親から産まれた
パチンコの銀玉のように不規則に子々孫々と世間を創りだしている
上手くいけば大金にありつけそうだからと、みんなパチコーンとギャンブルのように腹から産まれてきたのだ
自分なりに解釈して書いたつもりですが、何の他意もありません。自主企画参加に感謝をして終わります。
作者からの返信
企画に参加させて頂き、またコメントも下さり、有難うございます。
筆者自身、そんな解釈の仕方もあったのかと、まるでもう一つの別の物語を読んでいる様な、貴重な体験になりました。