虚構の呪い
屋敷の内部は、不気味な程にがらんとしていた。
家財は全て持ち去られた後だ。白い壁がそのまま露出し、窓にはカーテンすらついていない。
傾き始めた太陽の橙色の光は、周囲に生える木々に遮られてほとんど入ってきていない。
部屋の照明は点滅を繰り返していてひどく心許ない。
「それでは、ここで起こった事件について改めてお話しましょう」
神妙な声でヒバリが囁く。
その様に、誰かが小さく息を呑んだ。
3年前、資産家の男が自殺した。
経営していた会社の業績が悪化し、膨れ上がっていく借金に耐えられなくなったようだ。
精神をおかしくしていた男は、別荘として買っていたこの洋館で療養生活を送っていた。
妻の介護もむなしく彼の精神状態は全く改善せず、この屋敷にて練炭自殺を行った。
部屋の中からは死亡した男の死体、そして共に生活していた妻の死体が発見された。
捜査の結果、資産家の男が妻と無理心中したものと判明した。
後頭部を殴られ気絶した妻は、男が練炭自殺した場所で窒息死した。
遺体は夫婦の子どもに引き渡され、この事件は幕を閉じた。
──しかし、怨嗟はその場にとどまり続けた。
葬式の1か月後、夫婦の長男が遺体で発見された。
原因は自殺。自室で首を吊った彼は家族に発見された時には既に息絶えていた。
誰もが自殺の動機が分からないと言った。
仕事は順風満帆。幸せな家庭を築き、心身ともに健康状態は良好。
きっと呪いだ、と誰かが言った。
父が精神状態をおかしくした後、長男はほとんど見舞いに行かなかった。
元々両親との仲はあまり良くなかった。
親不孝な彼を、両親が呪ったのだろう。
噂好きな親戚は、そんなことを言った。
「──それからも様々な不幸がこの洋館を襲いました。ここの解体業者は従業員の多数が原因不明の体調不良に襲われ作業を中止。その後ここの権利を買い取った女性は、洋館の見学中に階段から落ちて足を骨折。それ以来誰も近づかなくなったここは『呪縛屋敷』と呼ばれ恐れられているのです……」
ゴクリ、と誰かが唾を飲んだ。
その様子に、オレはため息を吐いてから口を開いた。
「ヒバリ、怪談はもう満足したか?」
「えー、ライカちゃんノリ悪い! こんないいロケーションで怪談やれることなんて滅多にないんだよ! もっと楽しまないと!」
「怪談やら肝試しなんてそんな楽しいかねぇ」
「私もライカに同感だな」
ハヅキがあまり興味なさそうに同意した。
ヒバリが楽しそうなのは何よりだが、若者の感性は分からない。
今の話を聞いてもワクワクもゾクゾクもしなかった。
まあ、今回の依頼のバックグラウンドを説明してくれたので良しとする。
「そそ、そんなの偶然に決まっているじゃない! こんなのは『虚構の浸食』すら関係のない、ただの悪評よ! 今回の任務で倒すべき敵なんて存在しないわ!」
やたら大きな声を出したのはヴィクトリアだ。
よく見ればその脚はガクガク震えているし、眼帯に隠れていない瞳孔はキョロキョロとあたりを見渡している。
──ヴィクトリア・フォン・レオノーラはかなりのビビりだった。
「ヴィクトリアは夜に出歩くのは大丈夫なのにこういうのは苦手なんだね」
「それはその、自然の昏さと人口の昏さはまた違うというかなんというか……」
ごにょごにょ、と言ったヴィクトリアがふい、と顔をそむける。
そんな様子を黙って見ていたマナが口を開いた。
「ヴィクトリア。たしかに今の話に語られた事象は全て偶然で片づけられる。ただし、最近起きた被害については偶然では片づけられない。『虚構の浸食』がこの屋敷に住み着いている可能性は決して無視できない」
冷静な声で言うマナからは、怖がらせようという意思は微塵も感じられず、ただ事実のみを述べようとしているようだ。
彼女の言う通り、この屋敷は最近になって物騒な事故が起きている。
肝試しにここに来た若者が、ひとり行方不明になった。
同じグループの少年は大量に出血しながら屋敷を脱出。狂乱状態で近隣住民に己が体験したことを訴えた後、病院に搬送された。
「虚構の侵食」の中には幽霊の形を取るものもいる。
怪談とはつまり人の考えた虚構だ。
この屋敷が「出る」と噂になるほどに、人々の思い描く霊の像は強固になる。
虚構を思い描く人が増えるほどに、霊はより存在を強固にし、凶悪になっていく。
知名度を考えれば、この屋敷の敵はそれなりに強くなっているだろう。
この事例に限らず、既に怪談話は現実に影響を及ぼすものになっている。
夏になると不気味な異形の影の目撃情報が増えるのは、おそらく人々の見間違いではないのだろう。
それでも人々はそういった噂話をやめない。
禁じられたもの、危険なものにこそ人は惹かれる。
もとより、怪談や肝試しとはそういったスリルを楽しむものだった。
ボーン、と古めかしい音が響いた。どうやら屋敷の振り子時計が時報を鳴らしたようだ。
きっと高い時計だったのだろう。想像以上によく響く。
ヴィクトリアが「ひぁっ!?」と悲鳴をもらした。
「おっと、もう5時か。本格的に暗くなる前に飯の準備をするぞ」
一応、下準備なしで食べられるものをいくつか持ってきた。
暗くなっていく屋敷の中で、オレたちはちょっとした夕食を一緒に取った。
食事を済ませると、あたりはすっかり暗くなっていた。
そろそろ幽霊が出るような時間帯だろう。
光源の少ない屋敷周辺は暗く、屋敷内部に至っては完全な暗闇に包まれている。
オレたちは2つのグループに分かれて屋敷の中を捜索することにした。
懐中電灯を片手に広い廊下を歩く。真っ暗な屋敷の中では、手元の光はひどく心許ない。
暗闇の中で何かが蠢いた気がして、何度も周囲をライトで照らして確認した。今のところ異常はない。
どうやら怖がっていたのはオレも同じだったらしい。
そんなオレの後ろでは、ヴィクトリアがガタガタと震えていた。
「うう、どうして私がこんな目に……私は皇女よ。それをこんな、ボ、ボロ洋館に閉じ込めて……」
ブツブツ呟きながら歩くさまはむしろヴィクトリア自身がお化けのようだ。
必死に虚勢を張ろうとしている彼女には悪いが、結構面白い感じになっている。
どうやら、隣を歩く彼女も同じことを思ったらしい。
「──わっ」
そろ、とヴィクトリアの背後に回ったヒバリは、彼女の肩を強く叩くと大きな声でおどかした。
「ヒ、ヒャアアアアアア!?」
耳をつんざくような悲鳴がオレを襲った。
企みが上手くいったヒバリはゲラゲラ笑っている。
「あっははははははは! れーちゃん驚きすぎでしょ! あは……あはははははは!」
傍から見ても腹が立つヒバリの様子に、ヴィクトリアがぷくっと頬を膨らませて抗議の視線を向ける。
「まあれーちゃん、昔から怖い話とか苦手だったもんね。うんうん、苦手なら仕方ないよね。れーちゃん苦手なピーマンもいつまでも食べられないもんね! あっはははは!」
「ぐぬぬ……」
ヒバリに一方的に煽られたヴィクトリアが悔し気に歯軋りをする。
「ヒバリ、遊ぶのもほどほどにしておけよ。いつ敵が襲ってくるか分からない」
「はーい。一応準備はしてまーす」
間の抜けた答えだが、彼女の手には油断なくステッキが握られている。
一応状況は分かっているらしい。
廊下を進むと、次のドアが見えてきた。2階の部屋はオレたちで全部見ることになっている。
キィキィと音を立てて、扉が外側に開く。
「ここは……浴室か?」
ドアを開けると、脱衣所らしきものが見えてきた。動く気配のない洗濯機と、大きな鏡。
どちらも薄っすら汚れている。
奥にある扉は半透明のガラスに遮られている。真っ暗なその先はひどく不気味に見えた。
「お、
「いや、全部探索しないと何のためにここに来たか分からないだろ……」
見落としたがあったら依頼を達成できない。
それに、できれば奇襲されるよりこちらから発見する形の方が望ましい。
浴室のドアに手をかける。ひんやりした感触が返ってきた。
「開けるぞ」
ドアノブに手をかける。
一気に扉を開くと、真っ先に目に入ってきたのは大量の血痕だった。
「警戒しろッ!」
臨戦態勢。拳銃を顕現。
右手に銃把を、下に添えた左手で懐中電灯を握る。
これなら光を当てた先に敵がいたらすぐに発砲できる。
ヒバリも既にブレードを展開済だ。油断なく構えを取る気配がする。
ヴィクトリアは……ガタガタ震えて涙目になっている。一応杖を構えているが、活躍はあまり期待できなそうだ。
拳銃を構えたまま、素早く浴室内を見渡す。
懐中電灯の光が腐臭のする浴室内を照らす。
床にべっとりとついた血痕。汚れた鏡。血が垂れ落ちる浴槽には蓋がされていて中が見えない。
敵の姿は見えない。
自分の吐息がひどく荒い。
絶対に居るはずのものが発見できない事実に、緊張感が高まる。
「ッ!」
天井を見上げた瞬間、それと目があった。
一瞬心臓が止まったような錯覚に陥る。
まるで蜘蛛のように、天井にペタリと張り付いている。
裸体の女だ。
骨の上にただ皮膚が張り付いているような瘦せ細った体。異様に伸びた手足の爪。垂れ下がる長髪。
ギラギラ光る目が、こちらをねめつけていた。
「上だヒバリ!」
警句と同時に発砲。弾丸は敵の体に直撃したが、同時に落下してきた体がオレへと襲い掛かってきた。
異様に発達した爪が振り下ろされる。
「──はっ!」
咄嗟に状況を把握したヒバリが、オレを庇うようにブレードを突きだすと、女が串刺しのような形になり静止する。
刃がめり込んだ女が苦痛に呻く。
しかし、その目は未だギラギラ輝いたままだ。長い手足が抵抗するようにバタバタと動く。
「ッ……ッ!」
ヴィクトリアが先ほどから声にならない悲鳴を上げている。雰囲気だけで怖がっていたのに、実物まで出て来ていよいよ限界が近いらしい。
あまり長引かせると彼女が可哀想かもしれない。
ヒバリがブレードで足止めしてくれている今が最大のチャンスだ。
恐怖に昂っていた気持ちを落ち着かせ、力を収束させる。
「束ねろ虚構、真実を騙し通せ。
放たれた弾丸は、女の額に直撃した。
先程までの攻撃とは反応が違った。ブレードに貫かれたままの女が絶叫した。
「イ……アアアアアアア!」
額を貫かれたはずの女は、首を抑えて絶叫していた。涎が流れ出すその様は、まるで窒息死する直前のようだ。
「……練炭自殺、か」
ここにいる女は、無理心中に巻き込まれた資産家の妻とは別物だ。「虚構の浸食」という化け物に過ぎない。
けれど、人々は彼女が亡霊になる様を想像したのだろう。
「……せめてトドメくらいは刺してやるよ」
胸の中心に弾丸をもう一発。
狂乱する女は、それっきり一言も話さなくなった。
少しするとその体は消滅していく。
オレは小さく息をはいて体の力を抜いた。どうやら自分で思っていたより緊張していたらしい。
「ヴィクトリア、終わったぞ」
きっと泣きそうになっていた彼女も安心するだろう。
そう思ってヴィクトリアの方を見ると──ソレと目があった。
彼女の背後からこちらを見つめる虚ろな双眸。
ゆらりと動いたその影は、ゆっくりと腕を振りかぶった。
「──紫電よ、敵を穿て」
ヴィクトリアの放った魔法が、二体目の亡霊を貫いた。
冷酷に背後を見やる彼女の隻眼が暗闇を射抜くように見つめる。
敵がもういないことを確認したヴィクトリアはゆっくりと杖を下ろし
「こ、こわかったあああああ!」
その場にへたりこんだ。
こうして、オレたちは亡霊退治の任務に何とか成功することができた。
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