ヒバリのはじまり

〈TIPS〉政府は何度か「元都民に対する無根拠な中傷を止めるように」と声明を出したが、いずれも効果はあまり見られなかった。


 

 「虚構の浸食」による人的被害の中でも最も死人を出した「厄神」の襲来。

 ヒバリと幼馴染――ヴィクトリアと呼ばれる少女は、辛うじて死の領域から脱出することができた。


 ヒバリの両親は奇跡的に無事だった。

 既に職場に向かっていた二人は厄神の瘴気の影響を受けなかったようだ。


 何もかもがなくなってしまったと思っていたヒバリは、家族との再会が叶った時安堵のあまり少しだけ泣いてしまった。


 彼ら家族の再会を、ヴィクトリアは無表情で眺めていた。

 ヴィクトリアの両親は死亡認定された。

 警察官として異常事態に対処しようとした彼らは、避難誘導の際に瘴気を吸い込みすぎた。

 体を痙攣させ倒れた彼らは、死の領域から抜け出すことができなかった。


 この頃から、ヴィクトリアの言動は変化を見せていくことになる。

 


 

 

 厄神の舞い降りた『特区』に限らず、住処を追われた都内在住者は政府の援助を受けての避難生活を余儀なくされた。

 国内において最も人口の多い都市を追われた彼らは全国に分散させられ地方のマイノリティになった。

 

 

 ヒバリと同じ地域の生還者が避難先として指定されたのは、首都圏から少し離れた場所に存在する温泉街のホテルだった。

 かつて近隣に住んでいた住民は、同じフロアにてホテル暮らしをすることになった。


 中学校は地域のものへと転校。同郷出身者はヒバリとヴィクトリアだけだった。

 

 

「れーちゃん、マンガ買うだけでそんなに急ぐ必要あるの?」

「何を言っているの! 『黎明の裁き』は知る人ぞ知る名作! もたもたしてると同胞に先を越されてしまうわ!」


 カッコつけた話し方で意気込む幼馴染に、ヒバリは苦笑いした。


「あはは……れーちゃんは好きなモノのことになると本当に元気なんだから」

 

 彼女は昔から空想の物語が好きだった。

 キラキラと目を輝かせてそれらについて話す幼馴染が、ヒバリは好きだった。


「――あっ、『ペスト』!」


 けれど、ヴィクトリアの輝く笑顔はすぐに曇ってしまった。

 見れば同級生の女子がヒバリたち二人のことを指差している。

 

「ちょ、やめなよ。ペストがうつるって」


 真面目ぶった声の中に隠し切れない喜悦を含ませて、もう一人の女子生徒が言った。

 彼らのジメジメとした暗い笑い声に、私たちは思わず俯いた。


「なんでここにいるんだろうね。都会に帰ればいいのに」

「そうだよ。わざわざこんなところまで来て菌をまき散らさなくてもいいのに」


 これ見よがしに聞こえる声には悪意が籠っている。


 さして珍しい出来事でもなかった。


 元都民たちは『ペスト菌』を持っている。

 

 そんなデマが流行ったのは故郷を追われた都民が避難区域に散らばった頃だ。


 『虚構の浸食』のいくつかは過去に恐れられたものの再現だ。

 であれば、『特区』を襲ったウイルスはかつて人類を絶滅の危機に陥れたウイルスであってもおかしくない。

 

 無責任なフェイクニュースが大衆の気を引き、1週間もすればそれは事実としてSNSを中心に広がった。

 元々地方コミュニティに突然入り込むことになった都民への反感もあったのだろう。

 

 その結果、二人のような『特区』出身者はとりわけ厳しい目を向けられることになった。


 

 「――れーちゃん、いこ」


 ヒバリは幼馴染の手を強引に引いて書店の方へと歩いて行った。これ以上あの場にいたくなかった。

 彼女はこれから大好きなファンタジー世界に入り浸るのだ。こんな醜い現実を見る必要はない。


 けれど、大型書店に入った後でも彼女らの気が休まることはなかった。

 自動ドアを入ってすぐ。大きな棚に陳列された本を無視することはできなかった。


 

『都心にバラまかれたウイルスの正体! 化け物の正体は都民だった!?』


 時流に上手く乗った下劣な雑誌が堂々と並んでいた。


  

 叩いて良いと思われたものは徹底的に叩かれる実情は今に始まったことではない。

 例えば同性愛者。例えばアニメーション。例えば知的障害者。例えばウイルス感染者。


 今度は地方社会の輪を乱す避難民である都民が対象になっただけの話。順番が回ってきただけのことだ。


 けれど、そんなことは中学生である彼女らにとってあずかり知らぬことだった。


「ッ……」


 それらを視界に収めないように下を向いていると、いっそう惨めな気持ちになる。

 気分はすっかり冷めきって、すでに楽しみにしていたマンガのことすら頭になかった。



 単に目の前の人間に、地域に絶望したわけではない。

 希望ヶ丘ヒバリを名乗る少女は、社会に抱いていた根拠のない信頼を裏切られたのだ。


 弱ったものがいれば手を差し伸べ、困っている人間がいれば助け、時に励まし合う。

 社会とはそういうものだと当然のように思っていた。


 自分が排斥されて、ようやく気付いた。

 社会は自分を守ってくれないのだ。

 当然のように踏みしめていた足場が崩れ落ち、何を信じられるのかすら分からなくなった。


 その末に、ヒバリは一つの結論に辿り着いた。


 この世界に意味などない。だから、生きる意味などない。

 


 



 都内脱出者の自殺報道がしばしば上がっていた。

 原因として避難先での差別的扱いが挙げられた。

 

 厚生労働省はこれを基に再度元都民への中傷をやめるよう勧告したが、目立った効果は得られなかった。

 


 



「っ……」


 かさぶたをガリガリと掻くと、脆くなった皮膚には薄っすらと血が滲んだ。

 

 僅かばかり気分がマシになる。

 自傷行為は単純に死ぬためではなくストレスを軽減するための行動という側面を持つ。

 

 ヒバリのそれは、条件反射のようなものだった。

 

 トイレから出て布団に戻る。

 

「ひーちゃん、また寝れないの?」


 幼馴染の小さな呼びかけに応える気力はない。

 

 ホテルの大部屋に並んで寝る彼女らにとってプライベート空間などほとんど存在しない。

 ヒバリの家族3人と、ともに生活するヴィクトリア。彼らは同じ寝室を共有している。

 

「――ひーちゃん、それ」


 ガバ、と起き上がったヴィクトリアがヒバリの手首を掴んだ。

 見られたくないところを見られたヒバリが俯くと、ヴィクトリアはそれ以上追及せず短く囁いた。


「……外、行こ」

 

 

 連れたって外に出ると、孤独に浮かぶ月が二人を迎えた。

 深夜のホテル前に人影はない。

 

 外に出ると、ヴィクトリアの様子が変わった。

 

「フフ、いい満月ね。澄み渡った月光が私の力を癒してくれる……近く、ワルプルギスの夜は訪れるでしょうね」


 殊更に明るい声でカッコつけたヴィクトリアだったが、ヒバリからの反応はなかった。

 少しだけため息をつくと、ヴィクトリアは真面目な口調でヒバリに話しかけた。

 

「ひーちゃんは、私と一緒に纏姫になるんだよね」


 ヴィクトリアの言葉に、ヒバリは黙って頷いた。

 二人が纏姫の適正検査に合格したのはつい先日のことだ。


「だったら、ひーちゃんはきっとみんなの希望になれるね。纏姫になって、敵を倒して、厄神も倒して、みんなの故郷を奪い返すの」

「そんなの、できるわけない」


 ヒバリはリアリストだ。

 これまで何人もの纏姫が都内へと送り出され、それでも奪還できた土地はほとんどないことを知っている。


「――嘘ね」

 

 けれど、ヒバリの言葉を聞いたヴィクトリアはニヤリと笑って言った。

 その姿は、これまでのヴィクトリアとは決定的に違うものだった。

 この瞬間から、ヴィクトリアは噓つきになった。

 

「……え?」

「あなたは嘘をついている。だって、あなたは虐げられるみんなの希望になる、朝日みたいな魔法少女なのだから」


 意味が分からなかった。

 ヒバリは意図を問い返そうとして彼女の顔を直視する。


「……っ」


 その瞳は、戯言を言っているとは思えないほどキラキラとして、真っ直ぐにこちらを見ていた。

 まるで、自分の嘘を本気で信じているようだった。

 

「みんなの希望を背負って、その声援を力に変えて、あなたはキラキラと輝く。そうして、最後には悪を討ち滅ぼすの」


 ヒバリはようやく気付いた。

 彼女が言っているのは、昔一緒に見たアニメの主人公のことだ。


 平凡な女の子が魔法少女に変身して悪を打ち倒す物語。

 それを、ヒバリに重ね合わせている。

 

「私に、そんなこと……」

「できるよ」


 ヴィクトリアの鋭い瞳がヒバリを貫く。


「できる。できると思わないといけない。やらなきゃいけない。私たちはそういう嘘を纏って戦う。できなきゃ一生余所者のまま。でしょう?」

 

 無茶ぶりもいいところだ。

 でも、やらなければならない。

 彼女の言った通りだ。

 

「……うん、そうだね。私は厄神を倒す。みんなに希望を託されたんだから、当然だよね」


 前向きな言葉とは裏腹に、ヒバリは冷徹に自分を観察していた。

 ああ、これは嘘だ。


 弱い自分を覆い隠すための嘘。精一杯の虚勢。

 できるわけないと自嘲しつつも語る。

 自己嫌悪と羞恥心に襲われる。


 けれども、蔑視の中で身を縮めて振るえているよりマシだ。


 

 そう思っていたのに、結局のところダメだった。

 希望を背負っていると嘯いた希望ヶ丘ヒバリは、車の後部座席で身を縮めているだけだった。





「ごめん、話が長くなっちゃったね。もう行こう、翔太君。あまり時間もないでしょう」


 繋いだ手を振りほどいて、彼女は立ち上がった。後部座席の扉を開いて外に出る。

 僕は慌てて彼女の背中を追った。


「ヒバリ、まだちょっとふらついてる。無理しないで」

「あはは、無理もするよ。私はみんなに希望を託されたんだから」


 彼女の目が危うい光を灯す。

 その姿に、僕はこの場で彼女に向き合うことを決意した。

 意を決して、決定的な言葉を発する。


「――さっきまで君の手を握っていたから、僕は君の感情がなんとなく分かった」


 僕の言葉に、ヒバリは勢い良く振り返った。

 瞳を大きく見開き、無表情にこちらを見据えている。

 どうやらヒバリは、本気で怒ると表情がなくなるらしい。


「分かったって何? どこまで? 何が? どんな風に? それって本当に分かったって言える?」


 まくしたてる彼女を真っ直ぐに見つめ返して、僕は言った。


「君は怖がっている。厄神と戦うこと。そして、失敗してみんなに失望されること」

「ッ……知ったような口利くな!」


 ヒバリが顔を歪めて叫ぶ。

 明るい顔をしている時も、空っぽな顔をしている時も見せたことのない、初めて見る表情だった。


「それくらいで私のことを見抜いた気になっているの? 翔太君のそういうところ傲慢だよって前に言ったよね! 知った気になって勝手に踏み込んできて何になるの? 知ってもどうにもならないんだから、放っておいてよ!」


 声を荒げた彼女が言う。

 その様子に、僕は改めて確信した。

 虚勢を纏う彼女が真に恐れるのは、失敗ではなく己の内を見透かされることだったのだ。


 それでも、それを分かったうえで、僕は踏み込む。

 

「前にも言ったよね。そういうこと、僕に話して欲しい。ヒバリが何が怖くて、どんなことが辛くて、どんなことが悔しかったのか」

「ッそんなこと、できるわけ――」

「――僕は全部聞く! ヒバリのことを嘲笑ったりしない! 異物として排斥したりしない! ヒバリが本当はどんな人間でもいい!」


 ヒバリに足りなかったのは理解者だ。

 彼女の過去を聞いて、僕は思った。

 

 周囲の人に迫害されて、同郷の人は皆頼れるような余裕なんてなく。

 そしてヴィクトリアは、ヒバリを再起させるために理解者をやめ、噓吐きになった。


 だから、僕がその立場に立つ。立ちたい。

 彼女の助けになりたい。


 救いたいだなんて傲慢な願いじゃなく、ただ凡人なりに彼女の力になりたい。


「……どうして、そこまで言うの。そこまでしてくれるの」

「ライカに言われたんだ。ヒバリを助けてくれって」


 ちょっとだけ、嘘をつく。

 僕は煙草を吸う彼女の真似をしてニヒルな笑みを浮かべた。

 僕の顔を見たヒバリは、しばらくの間目を大きく見開いたかと思うと、やがて大声で笑いだした。

 

「……あはははは! 最後の最後にそんな噓つく? ふふ、あっはははははははは!」


 その姿は、普段見せる明るい彼女のようだった。しかしその様子には、とても虚勢を張っているような気配は感じられない。

 

 笑う彼女の双眸から透明な雫が零れ落ちた。

 まるで決壊を待ちわびていたダムが崩れ落ちたように、雫は次々と頬を伝っていき、やがて滂沱となった。


 「う、ぁ……は、あっははははは! う、ぅうううううう……」

 

 無人の廃墟に、ひとりの女の子の笑い声のような泣き声が響き渡った。

 

 やがて笑い疲れたらしいヒバリは、頬に伝った涙を拭って言葉を紡いだ。

 

「全く、翔太君は口を開けばライカちゃんのことばっかりなんだから。……ほんとに」

「そ、そんなことないと思うけど……」


 思わぬ反撃に口ごもった僕に、ヒバリはカラカラと笑った。

 

「翔太君の嘘は本当に分かりやすいね。……まあ、だから本気で言ってることも分かりやすいけど」


 そう言って、彼女は艶やかに笑った。

 

「じゃあ、宣言通りに帰ったら私の話をいっぱい聞いてくれないかな」

「もちろん」


 晴れやかな笑顔の彼女に迷いなく頷く。


「それじゃあ、まずは厄神なんてチンケな前座を倒してからだね!」


 ずっと畏れ続けていた厄神の名を口にして、ヒバリは不敵に笑った。

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