月光の下で待つ1
今日ギルドで習った計算や知識について、ファティがわからなかったところを俺が解説したり。
倉庫に積まれていた書き損じの紙に、文字を書く練習としてファティに書かせたり。
それらが終わったので息抜きに物語が書かれている書を読んでみたり。
神話の話でもしようかと考えていると、眠くなってきたのかファティの瞼が下がり始めていた。
本堂には僅かな人の出入りがあったくらいで、途切れずに話し続けることができたので熱中してしまったのかもしれない。
そろそろ寝る時間だね、とファティを立ち上がらせる。
今日は満足に話すことができたようで、渋ることなく素直に従ってくれた。
「ほら、よく噛んで」
「ふぁい……」
裏庭まで手を引いて連れてきたファティに、手早く皮を削った木の棒を渡してから置いてある木製の丸椅子に腰かけた。
解れると細長くて丈夫な繊維になる特徴があり、この世界では歯ブラシの代わりに使われている。
棒の先を噛んで見せれば、眠たげなファティも倣うように噛み始めた。
俺と勉強や話をする前に、一度他の子どもたちや神父様と歯磨きしているのでそれほどしっかり磨く必要はないが、夜食代わりに色々と食べさせたので軽く磨かせる程度に済ませている。
奥歯や歯の裏側を磨くのは少し難しいが、日ごろから口うるさく言っていたのでちゃんと磨けているようだ。
傾き始めた本月をぼんやり眺めていたらファティが両手を差し出したので、持ってきた水差しを傾けて注ぐ。
俺も同じように片手で水を掬い、口をすすぐ。
庭の隅に掘ってある溜め込んだゴミを燃やす穴に使い終わった棒を放り込めば、眠気が限界とばかりにファティがうつらうつらと頭を僅かに揺らしていた。
横抱きにすると頭部が不安定になって起きてしまうので、正面から抱きしめるように抱え上げる。
本当に一人抱えているのか怪しくなるほどにとても軽すぎて心配になってしまい、つい色々と食べさせてしまう。
支えている手に、さらさらと長く淡い水色の髪が触れてくすぐったかった。
そのまま揺らさないようゆっくりと部屋に連れて行く。
廊下は射し込んだ月明かりのおかげか夜にしては明るい。
なるべく物音を立てず慎重に扉を開き、ファティを寝台に寝かせた。
女の子だけの四人部屋なので、なんとなく居心地が悪く感じる。
「また明日、お話しましょうね……」
「また明日ね。おやすみ」
「おやすみなさい……」
おやすみと囁いてゆっくりと頭を撫でてやると、すぐに小さな寝息を立て始めた。
今は無邪気に身を預けてくれるけれど、いつか反抗期が来たら「臭いから近寄らないで」とか言われるのだろうか。
そうなったらお兄さん寂しいです。
その頃にはファティからすればおじさんかもしれないからなぁ。
廊下に備え付けてある丸椅子に座り、月を見上げる。
一人の時に満月を見て感傷に浸るのが男の美学……いや、普通に綺麗すぎて全然感傷に浸れないんだわ。
色は変われど欠けることの無い才能の本月、赤く輝く努力の遊月、そして見ようとしなければ見えない運の影月。
地球には無かった美しい物がこの世界にはたくさんある。
写本のせいで知識ばかりが増えているが、俺はこの目で見てみたい物もいっぱいある。
命がけで冒険してまで見たいかと言うと、そういうわけでは無いのだけれど。
絵に描いて、俺はこれほど美しい物を見たのだと自慢したいし、その絵が描けるのだと誇りたいだけだ。
月明かりの下で、持ち出してきた書を読む。
夜は長いせいなのか、目が覚めてしまう子どももいる。
そういう子を安心させるためにも、ファティを寝かせた後に少しばかり留まったりする。
本堂の方に来てもいいとは常々伝えているが、幾分か距離があるから来難いのだろう。
夜間の本堂まで夢見が悪かった子が来たのは片手で数えられるくらいしか無い。
ファティはすぐ来るけど。
部屋の扉を開けてこちらを見ていた男の子に気付き、音を立てないようにしながらも一気に近づく。
触れられるほど近づいた頃には、恐る恐る部屋から出てくるので小脇に抱えてまた椅子に戻り、隣に座らせる。
ファティを寝かせれば毎晩のように現れるので、隣に座らせて物語を読み聞かせるようになった。
この子は目が見えない。
その代わりにそれを補うスキルに目覚めているらしい。
音に敏感なのか、気配に敏感なのか。
得意を更に伸ばすために、足りない何かを補うために、目覚めたスキルは支えてくれる。
一律で子供の時に目覚めるというわけでもない。
俺の見解だが、身体を鍛えて筋肉を得るように、勉強して知識を得るように、心が求めて得られるのがスキルなのだろう。
だから人々に祈るように伝える。
「昔々の話です」
『とある町に、月に救われたと言い張る男が住んでいました。
「月の光は素晴らしい。正しさに満ちている。この光さえあればみんな正しく生きられるはずです」
その証拠に、彼は笑うことが苦手でしたが、毎晩祈ることで人々と仲良くできるようになりました。
とても喜んで、月に感謝を捧げました。
すると、どうでしょうか。
不思議なことに三つの月が彼に微笑みかけたのです。
彼がお願いすると、たちまち月はまばゆく輝いてくれるようになりました。
怪物に荒らされた畑も、泣いていた子供も、月の光で元通り。
彼はとても喜び、月の光に感謝しました。
まいにちのように、彼は自分と人々の願いを叶え続け、いつしか月の光で全ての人々を幸せにしたいと願いました。
そして、月の光がみんなを幸せにする国を作りたいと思うようになりました。
しかし、彼の友人は反対しました。
友人は月が本当に人々のためにあるのか、いつまでも輝いてくれるのかわからなかったからです。
だから友人は、彼のために月が本当に照らしてくれるのか調べることにしました。
そして世界の裏側まで確かめに行くと約束しました。
月もその友情を歓迎しているようでした。
彼は友人が帰るまでは静かに暮らすのだと約束しました。
友人の旅立ちを見送った彼は、しかし約束を守らず、人々に声をかけて国を作りはじめました……
……世界の果てを目指して長い旅に出た友人が、やっとのことで帰ってきて見たのは、平等に全てを照らす月の光だけでした。故郷でやさしく迎えてくれるのは、月の光だけでした』
「……みんなが幸せになるはずだったその国には、もう誰も残っていません」
おしまい、という締めの言葉とともに本を閉じる。
原典に近い書だったから内容がなかなか酷い気がする。
一般的な人たちが伝え聞いている内容だと、みんなで仲良くしたら幸せになれる的な物語になっている。
冒険者たちもそうだからこそ、こういう原典に近い『本当は怖い物語』みたいなノリで楽しめるのかもしれない。
聞かせていた子は、俺に寄りかかるようにしてほとんど眠っていた。
ファティと同じように抱えて寝台に運ぶ。
耳が聞こえない子や、感覚の鈍い子と同室なので音を立ててもいいかもしれないが、マナーとしてはどうなのかって気持ちになるので変わらず静かに寝かせている。
空を見上げれば本月が低い位置にあって、そろそろ赤い遊月が昇る時間が近づいてきていた。
祈りに来る人も滅多にいない真夜中。
本堂に戻れば、夜間の責任者として控えている少女がパンを齧っていた。
やっと目が覚めたらしい。
日中も、夜間も、本堂に居る時はほとんど寝たまま過ごしているのが彼女だ。
俺の感覚だと中学生くらいの年頃だと思うので、夜間は別の人にしてもいいとは思ったこともある。
夜間に詰めれば日中真面目にしなくて済むから楽だと公言して憚らないので、今のままで問題ないのだろうとも。
「起きたんだ」
「うん? ずっと起きてるよ?」
そう答えた彼女は、緩慢な動きで次のパンに手を伸ばす。
細い腕は病的なまでに白く、白銀色の髪がその色素の薄さを際立たせているようだった。
大きな銀色の目はどこかぼんやりとしていて、焦点が定まっていないように見える。
いつも通りだ。
本当に色んな意味で大丈夫なのかと心配になるほどに、美しい白銀の代名詞である本月よりも病的な白さだった。
「スープはあっためたほうが美味しいよ」
「はえー、知らなかった。今度はそうしてね?」
「アンバーがあっためていいんだよ」
「ツバキも知ってるじゃん。あたしあっついのやだ」
やっぱりあっためなくていいかな、と呟いた。
彼女の名前はアンバーエイト。
由緒正しき力ある名前を与えられ、助祭位も持っている才媛らしい。
神父様が留守の時には、上から数えたほうが早い責任を持っている。
ただ、神父様の代わりとして動く時だろうと、素早く動いている姿を見たことが無いくらいにはいつもぼんやりしている。
俺は愛称としてアンバーと呼んでいた。
特徴として不健康なまで体躯は細く、反してその胸は豊かだった。
ファティの胸と比べて百倍は大きい。
なので俺は彼女を甘やかしてしまうんだ。
どんな世界だろうと俺はおっぱいに弱い。
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