MY LOVER

RAN

MY LOVER

「ただいま、トウカ」

「おかえり、シュウジ」


 いつも決まって私達は相手を迎える言葉を言うことになっている。


「トウカ、今日はどうだった?」

「別に。ずっと家にいたよ。そういえばシュウジの載ってる雑誌見たよ」

 シュウジはIT関連で成功した大企業の社長である。

 若くして社長になり、見目も麗しく、マスコミに対しても率直に誠実に対応するので、テレビや雑誌にも引っ張りだこなのだ。

 そして私は、外に出ずにそんな彼に養われている。

 私のこの状況を簡単に表す言葉があるなら、「ペット」。彼に飼われていると言ったところか。

「あぁ、見てくれた? どうだった?」

「カメラマンのセンスがよくなかったわ。シュウジのかっこよく見えるポイントをおさえてないんだもの」

「言ってくれるね」

「ところで、今日は久しぶりに肉じゃがを作ったのよ」

 私が普通のペットと違うところをあげるとすれば、餌の準備をするところだろうか。

 食事を作って彼を温かく出迎えるのだ。

 ただ、彼の帰りが遅くなったり、私の具合が悪くなればそれはできないが。

 私達はお互いに強制したり、何かに命令されてるわけじゃないけど、それぞれの役割はなんとなく決まっていた。

「あぁ、入った瞬間いい匂いがしたよ。和食は久しぶりだな。今日もよく働いて腹が減ったよ。ご飯、もらおうかな」

「了解。ヤマダさんもよければ食べていってください」

「ヤマダは強制的に夕ご飯食べさせるからよろしく」

「またそういう訳のわからないこと言うんですから、社長は。資料の整理があるので、少しお邪魔させてもらいます。……まぁ、夕食、いただけるとありがたいですが」

「はい、ぜひどうぞ」

 シュウジの後ろについて入ってきたヤマダさんは、シュウジの秘書だ。

 常にシュウジと行動を共にし、運転手などもこなす。

 秘書といったら、バリバリのキャリアウーマンをイメージしていた私は、ヤマダさんを初めて見た時には失礼ながら驚いた。

 それこそ事務の経理なんかをしてそうな、純朴な青年だったからだ。

 しかし、社長の右腕として働いている彼を侮ってはいけない。

 彼は常にシュウジ一番で物事を考え、行動している。

 そんな彼からしたら、私とシュウジの関係が一番気になるところだろう。

 高校の時に部活が一緒で、そこからつきあうようになり、今に至る私達。

『俺がトウカを養うから、だから、一緒に暮らそう』

 高校卒業の間際にシュウジに言われたセリフは、今でもその場面とともに鮮明に思い出せる。

 それから私とシュウジの今の生活は始まった。

 もっとも、いくら養うといわれたからといって、今のような生活は予想していなかったのだが。

 そんな関係の私達だから、私は、彼に会うたびにプレッシャーを感じているのだ。



 食事も終わって、シュウジは早々と自室にこもった。

 明日の早朝会議でかける案件のレジュメを作らなければならないらしい。

 忙しい彼の生活パターンは一定ではない。

 「動く社長」である彼は、プロジェクトを常に考え、まず自分が先頭になって行動する。

 それが彼を忙しくさせている原因かもしれない。

 それでも、ヤマダさんの管理のおかげで、体を壊さずに日々過ごしているのだ。


「それでは、私はこれで失礼します」

「あ、お疲れさまです」

 私はヤマダさんを見送るために、一緒に玄関へ移動する。


「おいしいご飯ありがとうございました」

「いえ、何もお構いできませんで」

 それであとはヤマダさんが、では失礼します、とか言って去っていくかと思ったが、ヤマダさんはこちらをじっと見つめたままだ。

 私は嫌な予感がした。ヤマダさんの笑顔が、今は何より恐い。

「……あの、ヤマダさん……どうかしましたか?」

 私は耐え切れなくなり、声をかけた。

 かけざるをえなかったというのが正しいのか。

 すると、ヤマダさんの顔から笑みが消えた。

「トウカさん、そろそろけじめをつけてくれませんか?」

 私はその言葉を聞いて、その場に凍りついてしまった。

 彼の言葉が石のようにのしかかって、何も言うことができなくなった。

 ヤマダさんはそれを言うと、またさっきと同じ笑顔に戻り、「それでは失礼します」と言って、去っていった。

 私はしばらく、その言葉を受け入れるために、そこから動くことができなかった。



 翌日、シュウジは朝早く出ていった。

 いつも通り挨拶を交わし、朝食を用意し、二人で食べた。

 いつもと違ったのは、シュウジが出かけていった後に、私も支度をして出かけたことだ。

 ヤマダさんの言葉を受けて、けじめをつけるために私は、バイトでもいいから何か仕事をすることに決めた。

 だから、そのためにはまず情報探しということだ。

 本屋に行って、仕事情報誌を何冊か買い、近くの公園のベンチに座り込み、雑誌を片っ端から調べ、できそうな仕事を探し出して電話をかけた。


 そうしていると、時間はあっという間に流れていった。

 始めに電話をしたファーストフードのレジ係のバイトが都合よく今日面接を承諾してくれ、しかもいきなり好反応をもらい、さっそく研修に入ることになった。

 こんなにうまくいっていいんだろうかと、少し不安になりながらも私は仕事を覚えようと働いた。

 シュウジと暮らし始めたばかりは、やはり生活が苦しかったので、私もバイトをしていた。

 それ以来だから、とても久しぶりで、変に浮き立つような気持ちになっていた。

 そろそろ時間もいい頃合いかと考えていた時だった。

 レジの正面に出入口があり、ガラス戸の自動扉で、その周りも窓だったので、レジから表通りの様子がよく見えていた。

 だから、正面にいかにも高級そうな黒い車が止まったのもばっちり見えた。

 嫌な予感がした。

 すると、車から黒い背広を着た茶髪の男性が運転席から降りてきて、店に入ってきた。

 紛れもない、シュウジだった。

 サラリーマンが来ることはあまりないが、珍しくはなかったので、始めはあまり気にされなかったが、誰かが気づいてしまった。

「あれ、スギヤマシュウジじゃない……?」


 それをきっかけに、どんどん人が気づきだし、騒ついていく。

 私は慌てたが、シュウジは構わず私の方へ来た。

 シュウジはじっと私を見ていた。

 私は一瞬その目に飲み込まれそうになったが、なんとかこらえた。

「シュウジ、なんでここに……」

「帰るよ、トウカ」

 私が小声で言おうとするのを遮るように言った。

 その声は何の感情も感じられない無機質なもので、かえって私の心に深く突き刺さった。


 シュウジ、怒ってる……?


 シュウジはそれだけ言うと、店から出ていき、車に乗った。

 私は驚いている従業員の方々を後ろに、店長に簡単に退出の挨拶をし、車に乗り込んだ。

 車にいる時間も、その全ての時間が恐ろしく静かだった。






 家に着き、リビングに入ると、前を歩いていたシュウジがいきなり後ろを振り向き、私を抱きしめた。

 ギリギリと私は締めつけられる。

 私はただ黙ってされるがままになっていた。なんだか怖かったから。

「……………たん……ぞ」

 しばらくその状態が続いた後、シュウジのかすれた声が聞こえた。


「……え……?」

 よく聞き取れなくて、身動きが取れないかわりに、声で問う。


 「……心配、したんだぞ」


 シュウジの言葉は、大きな衝撃とともに、私に温かく響いた。

「家に帰ったらいるはずだと思った冬華がいないし、ケータイはつながらないし、何かあったんじゃないかって色々考えたりして……」

 シュウジはさらにきつく私を抱き締めた。

 存在を確かめるかのように、私の髪や背中をなでる。

 私は胸が熱くなっていった。

「ごめん……」

「……もう、何も言わないでどこにも行かないでくれ……働きになんて出ないでいいから、家で俺を出迎えてくれ」

 シュウジが少し離れて、私の目を覗き込む。顔に手を添えられ、視線を合わせられた。

 私は、誓いを求められている。


「……うん」


 その目に飲み込まれそうになりながら、私はゆっくりとうなずいた。

 シュウジはじわじわと嬉しさを顔で表した。溶けそうな笑顔がそこにあった。

「よし」

 シュウジのお許しがでて、私はホッと息をついた。が……

「ところでさ、トウカ。二人っきりなんて久しぶりじゃないか?」

 シュウジが少し体の方向を変えた。

 これは、私をどこかへ誘導しようとしている……。

「そ、そうね」

 なんだかこういう雰囲気はずいぶん前にあったような気がする。

 なんとなく感づいてはいたが、久しぶりだし急だったから、私は動揺した。

 と、そうしてる間にも修治に私は追いやられている。近くにあったソファーに。

「久しぶりだからさ、ねぇ……」

 ついに私はソファーにぶち当たり、少しよろけた隙にシュウジに押し倒されてしまった。

「シュ、シュウジ……」


――――――ピンポーン


 その時、玄関のチャイムが鳴った。

 一瞬私と修治は固まる。

「……シュウジ……誰か来たみたいだよ」

「……………無視しよう」

「待って待って待ってー!」

 さすがにこれには抵抗した。

 シュウジはあからさまに不服そうな顔をしていたが、私はシュウジから抜け出し、玄関へ向かった。



「こんばんは」

 玄関を開けたら、そこにはヤマダさんがいた。

「ヤマダさん、どうしたんですか?」

 私の声を聞いて、修治も出てきた。

「ヤマダか。どうしたんだ? せっかくいいところだったのに」

「シュウジ!」

 私のとがめる声にまたもシュウジは不満そうな顔をした。

 ヤマダさんは苦笑いを浮かべていた。何があったか察してしまったようだ。

 いくら気の知れたヤマダさんとはいえ、恥ずかしい。

「何だって、あんな騒ぎになって何だはないでしょう。明日は覚悟しといてくださいよ。……まぁ、それはそれとして、これお願いします」

 そう言って、ヤマダさんは一枚の紙を差し出した。

 シュウジがそれを黙って受け取り、広げて見て、目を大きく見開いて、ヤマダさんの顔を穴が開くほど見ていた。

「お前、コレ……」

 私は何かと、シュウジの持っている紙を覗いた。

 そして、私もシュウジと同じ反応をしてヤマダさんを見た。

 ヤマダさんは満面の笑みをその顔にたたえている。

 この笑顔は本当に曲者だと思う。

 ヤマダさんが持ってきたのは、婚姻届だった。

「これで、二人ともいい加減けじめつけてください」

 あぁ、なんだ、けじめってそういうことだったのか。

 私は知らず笑みがこぼれていた。

「さっさと書いてくださいね。私が出しに行きますから」

「……トウカ、いいか?」

「何言ってるのよ」

 私はシュウジの手を取って、その顔を見つめた。


「いいに決まってるじゃないの」

 私は嬉しすぎて、顔いっぱいに笑みを浮かべていた。

 シュウジも、口元を柔らかくほころばせた。私はますます嬉しくなった。



 これからきっと色々めんどうなことがあるんだろうけど、シュウジと一緒なら乗り越えていける。

 私は、先立つ不安より、新しいことが始まる期待感に胸が高鳴っていた。

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