第7話 遺書から四年後の……

 父親の遺書を見せられてから、四年という歳月が経ち、予定通りに、大学を卒業し、就職もできた。

 入った会社は、父親が死ぬまで勤めていた会社だったのだが、その会社への入社には、実はちょっとしたコネが働いていたのだ。

 そのコネの存在を知っている人は、会社には誰もいない。というのは、父が生前に仲良くしていた部下が、今は総務などを取り仕切る、管理部の専務になっていたからだ。

 元、会社の上司の息子が大人になって入ってくるのだから、専務くらいになれば、一人くらいはコネで入れることは、さほど難しくはないだろう。

 だが、専務からは、

「コネであることは、内緒でお願いする」

 と言われ、

 崇城自身も、そんなことを他言するつもりはないというと、専務も安心したのだ。

 基本的に、この会社はコネ入社はさせていない。もっとも、陰ではやっているのだろうが、それをして、バレてしまうと、きついのは、コネ入社の社員だということが分かるからだ。

「コネ入社をさせないのは、社員に対しての優しさ」

 からなのだ。

 つまり、崇城の入社も、普通に試験を受けて、面接も受けての合格だった。

 もっとも、本当はコネなどなくとも、普通に入社できているのだが、それを専務は、崇城に話すつもりはなかった。

「恩を売っておいて、何かあれば利用すればいい」

 というくらいに思っていたからだった。

 それがまさか命取りになるなど思ってもいなかったはずだ。

 新入社員で入ってくると、、

「なるほど、新入社員に対しての教育はなかなか厳しいものがあるな」

 と感じた。

 昭和の時代だったら、これくらいは当たり前のことなのだろうが、今の時代はコンプライアンスや、ハラスメントの問題があるので、新入社員であっても、その教育は、数段難しくになっている。

 しかし、伝統というのがあるのだろう。悪しき伝統もないわけではないが、しっかりとした伝統の元に、研修が行われるのは、新入社員としても、望むところではないだろうか?

 そのことを考えていると、

「父親の会社に入社するというのも、いいものなのかも知れないな」

 と研修中に、いまさらながらに感じた。

 自分が入社した時の新入社員は、高卒の女性も含めると、10人ちょっとくらいだっただろうか。

 大卒は8人いたのだが、これは会社の規模と時代背景から考えると、若干多いような気がした。

 それでも、研修が終わるまでに一人が脱落し、3カ月後に新しい赴任先に勤務が始まると、一年目の間に、すでに半分は辞めてしまっていた。

 それだけ、考えていた会社と違ったのか、それとも、耐えられる限度を超えたのか、それを思うと、会社の募集に対しての入社の多さは、

「最初から辞めていく人間を見越して、多めに取っていたんだ」

 ということを理解させるに十分な一年だった。

 幸いにも崇城は管理部門の仕事だったのが、よかったのかも知れないが、辞めていった連中は皆営業職で、ほとんどが、営業所勤務だった。

 現場の仕事は、

「はたから見ているようなわけにはいかない」

 というものであった。

 うまく行っていないのは、それだけ、上下関係が厳しいのか、それとも、外部での営業に耐えられないのか、そのあたりなのだろうと、崇城は考えた。

 どちらにしても、営業というものが、どの時代であっても、一番厳しく、下手をすれば、

「一番人間扱いされない部署」

 なのかも知れないと感じるのだった。

 ただ、崇城は、

「会社を辞めるわけにはいかない」

 と思っていた。

 そういう意味で、会社の中でもそれほどきつい部署に配属にならなくて、よかったと思っている。

 専務の意識がどこにあるのか分からないが、少なくとも、専務から贔屓されているのは間違いないようだ。

 まわりの人にそれほど意識されないように贔屓されているのは、よかったのではないだろうか?

 専務の話は、父親から聞いていた。

「いや、聞いていたというよりも、詳しいことは残してくれていた」

 と言った方がいいかも知れない。

 実は、父親が母親に、

「遺書めいたものを残していた」

 ということであったが、それ以上に、

「父親は、この俺にも遺書を残してくれている。しかも、それは、母親に残したものとは趣旨の違うもので、母親に残した方は、自分が読んでもいいが、自分に残した遺書は、決して母親には見せてはいけない。いや、誰にも知られてはいけない」

 というものであった。

 だから、この遺書の存在は母親も知らない。

 もっとも、内容を見ただけで、

「こんなもの、母親に見せられるわけはないじゃないか? それにしても、書いてある内容は本当のことなんだろうか?」

 と思ってしまうほどに、結構ショッキングなことが書かれていた。

 そして、この手紙は母親に残したものとは違い、本当に遺書というおもむきが違う。

「母親に残した遺書との違いで一番大きいものは何か?」

 と聞かれると、

「こっちの方が、完全に遺書というべきだろう」

 ということだったのだ。

 そして、遺書としては、少し異例だと思うのは、この期に及んで、父親がずっと秘密にして、自分の胸の奥にだけしまっておいたことを、吐き出したというところではないだろうか?

 というのも、この秘密は家族の秘密であり、父親とすれば、

「物理的な証拠はあるが、なぜ、そうなったのか? ということは分からない」

 ということを書いていたので、それが分からないことで、動けなかったのだという。

 しかし、

「もう私の命は長くない」

 とハッキリ分かっているかのような書き方をしている。

 だからこそ、この遺書を残す気になったのだろう。

「これはあくまでも私の、家族の長としての責任で、解明すべきことだと思ったのであり、これをお前に告白することは随分と迷った。しかし、自分だけが、秘密を握ったまま、墓場まで持っていくというのは、自分としても、許せないと思うので、あとの判断は、息子のお前に託す」

 と書かれていた。

 この手紙を発見したのは、母親が父親の書斎から遺書らしきものを見つけてから、すぐのことだった。

 母親の見つけた遺書は、あまりにも母親のことが多く、自分のことはほとんど書かれていなかったように思った。

 確かに、夫婦の間のことだから、これくらいの気遣いは当たり前だと思ってもおかしくはない。

 しかし、

「父と子は血が繋がっているのだから、あまりにも俺のことを書いていなさすぎる」

 ということで、自分にも何かあるのではないかと思い、自分の部屋を探してみると、確かにあったのだ。

 母親が見つけたのは、父親の書斎。誰の目に留まっても不思議のないところなので、家族のことを書いているのは当たり前だろう。

 しかし、息子だけに知ってもらいたいことや言いたいことがあるなら、場所は、息子の部屋しかない。そう思って探すと、果たして、遺書を見つけることができたのだった。

「お父さんは何が言いたいんだろう?」

 と思って、中身を見てみた。

 なるほど、その内容を見ていると、死の間際になって、それまで聖人君子のようだった父親が豹変してしまったのはどういうことなのか、分かった気がしたのだ。

 そこには、まずこう書いていた。

「私には、4年後の息子の姿が見えるような気がする。その時にはすでに私はこの世にはおらず、息子が立派に成人し、そして、社会人になっていることだろう。できれば、私のいた会社に入ってくれるとありがたいのだが」

 と書かれていたのだ。

 ただ、それはあくまでも願望であり、その遺書を最後まで読み終わった時、息子がどう感じるかということを、最初から分かっていたということなのだろうか?

 そんなことを考えていると、父親の遺書を最後まで読むのが少し怖い気がした。少なくとも、それなりの、

「覚悟」

 というものを持って読まないといけないものだという思いがしたのだった。

 つまり、

「最後まで読んでしまうと、逃げられなくなる」

 というものであり、少し怖い気がしたが、

「遺書を見つけてしまった以上、その時点で最後まで読むことはお約束だった」

 と言ってもいいだろう。

「お前は、これを手に掴んだ瞬間から、運命を私にゆだねることになるのだ」

 と、言って、天国にいるのか、地獄にいるのか、この世をさまよっているのか分からないが、手紙を見つけた瞬間から、ずっとこちらを見ているように感じられ、背筋がゾクゾクしてくるのを感じたのだ。

「お父さんは、どうして、運命を俺に託すようなことをするんだろう?」

 と考えたが、自分の命が幾ばくも無いということを分かっていたからだということだけでは説明がつかないような気がした。

「お前は、お父さんの遺志を継がなければいけないんだ。私たちは、運命共同体で結ばれているんだからな。きっと、お前はこの手紙を最後まで読んでしまったら、私の気持ちを分かってくれ、何をすべきかが、ハッキリとしてくるはずだ。4年という期間があるのだから、ゆっくりと考えるには、十分すぎるくらいだ」

 と書いてあった、

 とにかく、この遺書には、最初の言い訳というか、前置きがかなりのしつこさで長かった。

 それでも、

「少ないのではないか?」

 と思えるほどであり、

「お父さんの言いたいことを、自分に置き換えてみれば」

 と考えると、最初の前置きも、

「決して長いわけではない」

 と思えてくるのだった。

「お父さんが、常々、人の身になって考えなさいと言っていることが、きっと分かってくれるはずだ」

 と、

「自分に置き換えればいい」

 と考えたすぐ後で出てきた時、

「やっぱり、親子だ。考えることだけではなく、感じることもまったく同じではないか?」

 と感じたのだった。

 父親が聖人君子だった理由も、しつこいくらいに書いている。そこには、母親に対しての遠慮があったという。だが、その遠慮が間違っていたことに、気づいたから、この遺書を残す気になったとも書いている。

「お母さんには、気を遣う必要なんかないんだ」

 と強めに書かれている。

「どうしてなんだろう?」

 と思ったが、その理由は、読み進んでいくうちに分かった。

「しょせん、夫婦は他人なんだ」

 という当たり前のことであるが、その深さを感じさせられる言葉に感じたのは、すでにこの文章の書き手が、この世にいないからだ。

 そういう意味で、遺書という言葉自体の意味が大きいのは、

「分からないことがあって、聞きたいと思っても、もう書いた人はこの世にいない」

 という、決定的な変えようのない事実に裏付けられているからであった。

 それを考えると、遺書というものは、効力以上の力を持っているものだと、感じさせられるのだった。

 その遺書に書いてあることとして、

「目の前の事実だけを、正しいと思って信じ込んではいけない」

 と書かれていた。

「世の中には、辻褄の遭うことで、自分に直接関係のないことであれば、それがどんなに悪いことであっても、見逃してしまうだろう。しかし、その中に、悪が潜んでいたり、何かの悪だくみがあったとしても、見逃してしまうということは、もし似たようなことがあった場合であっても、以前に見逃したという前例があることで、今度も見逃してしまうことだろう。いわゆる、オオカミ少年と同じ理屈だ。だから、同じようなことがあったとしても、その時々で事情が違っているということを考慮に入れて、しっかり見ていかないと、相手の術中に嵌ってしまうことだってあるから、気を付けなければいけない」

 と書かれていた。

 さらに、

「警察の捜索でも、一度捜索して、そこに何もなかったら、二度とそこを捜索することはない。犯人にとって、これほど安全な隠し場所はない」

 というたとえ話が隠れていた。

「油断大敵」

 とでもいえばいいのか、オオカミ少年の話だって、同じことが言えるだろう。

「オオカミが来た」

 と何度言っても、一度も来なかった。

 しかし、実際に来た時には誰も信用せずに、食われてしまう。

 まさに、

「油断大敵だ」

 と言ってもいいだろう。

 オオカミ少年と、一番安全な隠し場所という発想は、ある意味同じである。そのことを、その遺書には書かれていた。

「じゃあ、一体何が言いたいというのか?」

 次第に、説教にも飽きがくる。

 これこそ、オオカミ少年における、

「来る来る詐欺」

 のようなものではないだろうか?

 一度ありえないと思えるようなウソをついて、それが本当にウソだと思うと、今度は、その人自身を信用しなくなる。信用されないことで損をすることもあるが、逆に、信用されない性格に持っていくには、これほど完璧なことはない。

 どうやら、父親は、息子に、

「そういう男になれ」

 とでも言っているようだ。

 人から信用されないということほど、生きていくうえで不利なことはないはずなのに、なぜにそれを奨励しようというのか?

 それを考えると、

「リスクは高いが、そこまでやらなければ目的は達成できない」

 ということを書いている。

 その目的の重さと、運命の重さに翻弄されているのか、それとも、

「持って生まれた運命なのではないか?」

 と考えてしまったが、まさか、その考えが、本当の父親の目的を暗示しているということになるなど、想像もしていなかったのだった。

 リスクというものが、どれほどのものなのか? ということがまったく分からなかった。

 ただ、遺書を読み進むうちに、

「リスクを負ってでも、運命からは逃れられない」

 ということだと感じるようになるとは、言葉では言い尽くせないものが、文字には含まれていて、確認しようにも、すでにこの世にはいないということを思うと、一人で背負わされた重荷を、ずっと父が一人で囲っていたのだと思うと、

「聖人君子でいられたわけも、分からなくもない」

 と感じたほどだった。

 そのせいで、父親の聖人君子は、完全に、まわりを欺くものであり。本当の父親は、死の間際の父親だったのだということが分かると、

「俺って、本当に、親父の血を引いているのだろうか?」

 と、父親の本性を感じるたびに、怖くなるのだった。

「聖人君子なんて、本当の聖人でもない限り、架空の存在でしかないんだ」

 と感じせられたのだ。

 しかし、聖人君子だった父親のそばにいるのは、実に心地よいものだった。

 最初の頃、まだ息子が小さかった頃は、よく会社の人を週末には連れて帰ってきて、泊めていたものだった。

 会社の人を連れてくることで、

「お父さんは、会社では、部下から慕われる上司なんだ」

 と、子供心にも感じ、父親が連れてくる部下が持ってくるお土産は楽しみだった。

 よく、リビングで会話をしているところに、潜り込んだりしたが、父親は何も言わなかった。

 しかし、母親の方が、

「お父さんの会社の人相手なんだから、子供の出る幕はないわよ」

 と言って、しゃしゃり出る息子を戒めたものだった。

 しかし、母親は、面倒臭そうな言い方をしていなかったところは、まだよかった。

 面倒くさそうに言われてしまうと、まったく近寄る気にはならなかったが、そこまできつくないのは、母親も本心から、自分が口にしたことを真剣に考えているわけではなさそうだった。

 母親の言っていることは、本当にただの社交辞令に過ぎなかったのだ。

 子供心にもそれくらいのことは分かっているつもりでいた。

「お父さんは、家族をオープンにしたいんだ」

 と言っていた。

 だから、会社の人に息子が甘えるのは、父親としては、見て見ぬふりをしていたのだった。

 ただ、そのうちに、父親が今度は家に会社の人を一人として連れてこなくなった。

「どうしてなの?」

 と聞いても教えてくれなかった。

 その頃から、少し両親の間がギクシャクしてきたのが分かってきた気がした。

 会話が圧倒的に少なくなった。しかし、その時に息子としては。

「会話がないのは、無事な知らせ」

 と思っていた。

 もし、本当に危なくなると、抑えきれなくなり、人に聞いてもらうことが多くなるだろう。

 毎日のように定時に終わってすぐに帰る父親、母親の方としても、昼間はほとんど家から買い物以外は出ようとしないことから、

「誰かに相談している」

 というようなことは内容だった。

 会話がまったくなくなったのは、夫婦喧嘩になって、罵声が飛び合う家庭よりも、いいかも知れない。

「これ以上疲れるということはない」

 ということなのだろうが、それ以上に、この会話がないという鬱積が溜まった空気と比べるには、比較対象が違っているかのように思えた。

 そう思うと、

「却って、誰かが家に来てくれている時の方が喧嘩にならずによかったのに?」

 と思うと逆のことが頭に浮かんできた。

「ぎこちなくなるのが嫌で、父親は誰かをいつも連れてきていたのであり、母親も父親の作戦に、便乗しただけではないか?」

 とも感じたのだ。

 そんな家族のぎこちなさを、いまさらのように、父親は遺書に書いていた。

「あの時、うちに遊びに来てくれる人を探すのが、これまた大変だった」

 と書かれていたのだ。

 しかも、

「家に連れてくる人間は限られている。絶対に連れてきてはいけない人間がいて、もちろん、その人も我が家には来たくはないだろうし、母親も、顔も見たくもなかったはずだ」

 と、そんなことを思うと、

「一体、会社の同僚というのは、仕事だけではないんだ」

 ということを思い知らされた気がした。

 利用するだけ利用できる人がいたというのは、その時の父親にとってはよかったのかも知れない。

 それに対して、母親には、

「そんな人は絶対にいない」

 ということで、交流の浅さを身に染みて感じていたことだろう。

「若い頃はよかったな」

 と、母親も感じていたかも知れない。

 父親が家に誰もつれてこなくなったのは、母親の精神状態が元に戻ってからのことだった。

 そんな母の情緒不安定な頃のことを、

「お母さんが、あんな風になるなど、私は想像もしていなかった。いつも優しいお母さんが急に何かに取りつかれたのか、その状態は、妖怪か幽霊の類の存在を、認めないわけにはいかないかののような気持になっていた」

 というようなところから、

「情緒不安定になるのは、いろいろ調べてみて、自分なりに考えたところでは、男性ホルモンと女性ホルモンのバランスが悪くなった時に起こるのではないか? と感じたのだった」

 と書いている。

 それは、確かに言えるかも知れないが、その後に書いている父親の見解は、

「どうなんだろう?」

 と、考えさせられるところがあった。

 その一つとして、

「お母さんが浮気をしているのではないか?」

 という疑いを持ったのだという。

「お母さんは、それまで浮気というものを疑うようなところはまったくなく、そして、情緒が戻ってからも、そんな雰囲気はなかった。やはり、何かに取りつかれていたのかも知れないと感じたのは、お父さんが話しかけた時、完全に意識が飛んでいて、それまでの少しの間の記憶がまったくないかのようだったからだ。きっとその時の記憶は絶対に戻ることはなかっただろう。私もその時のことに二度と触れることはない。何といっても、怖いからである。何が怖いって? それは真実を知ることの恐ろしさを、きっと私は母親が情緒不安定だったあの時に知ったからだった」

 と書いていたのだ。

 母親の情緒不安定のことは書いているが、その理由も、病院の診断については何も触れていない。

 まさか、母親を病院に診せていないなどということはないと思うが、その診断について書かなかったのは、

「書くまでもないことだ」

 というほどの些細なことだったからなのか。それとも、

「書き切れないほどの膨大な量で、しかも、それを理解させるには、文字では難しいほどの厄介な内容だった」

 ということなのか、それとも、

「書いたとしても、とても信用されないと分かり切っているか」

 のような、怪奇で奇妙な診断だったのかということではないだろうか?

 そういえば、そんな母親に変な時期があったような気がしたが、母親からおかしなことをされたという意識よりも、なぜか、

「父親が俺を見る目が怖かった」

 というものであった。

 その時期と、父親が書き残した、

「母親が情緒不安定な時期」

 というのが、同じ時期だったという奇妙な一致が、崇城にとって、どう判断すれば分からないことだった。

 ここまでくると、

「本当に遺書を読むには覚悟がいる」

 ということを改めて感じさせられた。

 だからと言って、ここまでくれば、読むのをやめるわけにはいかない。絶対に最後まで読み切ってしまわないと、自分でも精神的におかしなことになってしまうことが分かったからだった。

 そんなお父さんがお母さんをどのように見ていたのかということを考えるうちに、自分の頭の中は、次第に、覚悟が、

「誰かを憎んでいるからなのではないか?」

 と感じた。

 それは、父親が誰かを憎んでいるということであり、その憎しみが志半ばで病に倒れてしまったことで、その後を、息子に託そうというのか?

 いくら覚悟を持って読むとはいえ、人の恨みの伝承までは、いくら父親とはいえ、できるはずがない。

 そうは思っていても、胸騒ぎがするのはなぜなのだろう?

 ゆっくりと、前を見ればいいということなのだろうか?

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