第2話 白い影

 それからも男は、私の生活の隅々に現れた。出勤のバス、昼食時間の大通り、そしてアパートへの帰路の三点にて。

 かれは常に不思議な笑みを浮かべながら、私に親しげに話しかけてきた。何故かれがかくも私の行動を読めるのか、本人に聞いてみたものの、

「<御友達>ですから」

 と、はぐらかされた。

 仕方なく私は、そういうモノとしてかれの存在を受け止めた。


 別にストーカーという風でもなく、かれはいつも私の正面から現れ、とりとめのない会話を少し交わすとすぐに去っていった。私に危害を加えるようなことは全くなく、会社まで付いてくる訳でもなく、家の中を覗かれるようなこともない。かれは蜃気楼のように、ひととき私の目の前に現れ、そして消えていくのだった。

 そして彼が姿を現すのは、常に明るい時間帯だけだった。


□ □ □ □


「あなたは孤独ですか?」


 今日も男は、そう尋ねてきた。朝の出勤バスの中である。揺れる吊革と人込みの中、肩に置かれた手を振り返ってのことだ。


「......アナタも、お一人のようで」


 私も、いつも通りの受け答えで応じる。この一時の、白昼夢の様な瞬間が、私は最近好きになりかけてさえいた。


「そういえば昨日、あなたは上司に叱られましたよねぇ?」


 男がスッと目を細めながら言った。

 私の背を、気味の悪い冷や汗が流れ落ちた。

 頭の隅で警鐘が鳴り始めるのを感じながら、私は慎重に答える。


「......どうしてあなたが、それをご存じなので?」

「<御友達>なのだから当然です」


 そう言うと男は、相変わらず涼しげな顔で頷いた。


「――安心してください、僕はいつでもあなたの味方です」


 現れた時と同様、男は私の肩に手を載せ、颯爽とバスを降りていった。そんなかれを見送る私は、自分でもよく分からない寂しさと期待を抱えていた。


 かれならば、こんな駄目な自分も認めてくれるのでは? 


 いつも感じ慣れていたはずの孤独に取って代わり、そんな意識が鎌首をもたげた。


 この日、私に自己承認欲求が芽生えた。


□ □ □ □


 それからも日々、かれとの『遭遇』は繰り返された。ただ違ってきたのは、話の内容が次第に、私の孤独に迫ったものとなってきた事だった。


「――あなたは今日、仕事以外で何人と言葉を交わしました?」

「――あなたに今夜の予定はない、いつものことでしょうがね」

「――あなたが一人の時、誰かが隣に居てほしいと思わず願ってしまうことも、あるんじゃないですか?」


「――“あなたは孤独ですか?”」


 私はいつの間にか、その問いに「えぇ」と答えるようになっていた。

 私の抱え込んでいた孤独を、かれは全て見抜いているかのように思われた。

 そしていつも、話の最後には「大丈夫、僕はあなたの味方ですよ」と低く囁くのであった。


 私は、かれの言葉に酔っていた。不安を掻き立てられる前置きの分だけ、最後の一言が余計に胸を高鳴らせた。

 私は、かれの存在によって孤独の闇から引き上げられた。

 だが次第に、それと引き換えで、かれ無しでは気がおかしくなってしまいそうな私がいた。


□ □ □ □


 ある日、かれが消えた。

 それは何の前触れもなく、かれが私の人生に現れた時と全く同じようにだった。

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