おまけ
おまけ・その1劉操 wikipedia
劉 操(りゅう そう、185年-没年不詳、
幼年期
父・劉備が流浪の頃に生まれた。生母の名称は不明。9歳の折に呂布に捕まり、鞭打ち99回の刑を受ける。劉備が許都に脱走する際に曹丕と義兄弟の契りを結ぶが、のちにその関係は破綻することになる。
青年期
成人と共に、張飛によって薪狩りをしていたところを攫われた夏侯月と婚姻する。ふたりのなかはとても仲睦まじく、死ぬまで傍を離れなかった。このとき、天下三分の計を劉備に提案したが、採用されなかった。奇人・変人が多い劉備の陣営において貴重な常識人だった。しかし劉表のもとを訪れた際、劉備が自分の馬を奪って逃走したため自らの命の危機を感じ、試行錯誤を繰り返すようになる。
武将と化す
赤壁の戦いを機に、劉操は劉備配下の一武将として活躍することになる。荊州の南郡を攻略することを手始めに、まるで未来がわかっているかの如く、最善の策をとるようになる。ここらへんで人変わりてきたようだと言われるほどに、性格がかなり変わって来たと伝えられる。武将としての自覚を得、『劉操の人変わり』と後世呼ばれる覚醒を果たす。益州を徐庶・龐統の策に乗り酒宴の場で劉璋を捕らえることで攻略したり、魏延の策をとり長安を攻略する。謀略により、魏の国力を弱めることに成功し、曹操自身をも抹殺。最後にとった落とし穴の策で義弟・曹丕を生け捕ることに成功し、天下統一を果たした。
天下統一後
劉操が目指していたのは、劉家を日本の天皇家のように象徴天皇と化し、周王朝のように覇者が出ようとも劉家の社稷は絶えないようにすることだったと考えられる。教育を重んじ誰でも政治に参加できること、民主政治の一種を目指していた節がある。勤勉に次期統治者としての責務を果たし、皇帝・劉備、丞相・諸葛亮が劉操の意見を聴かずに裁定を下したことはないと言われる。
皇帝即位
劉操は劉備が亡くなると三日三晩哭礼した。そして皇帝に即位すると翌日には退位し、西方へとわずかの供周りをつけて旅立った。彼が即位した『令和』の一日は中華の歴史で一番華やかであった日であると古典に伝わる。以後の消息は不明。ローマ帝国で一市民として余生を送ったとも伝えられる。
性格
幼年期は自己主張がなく、人混みに埋まる性格だったと伝わる。長じるにつれて、人混みの中から居なくなるだけで周りが異変を感じるような人物となる。『劉操の人変わり』と呼ばれる時期から統一までは、打って変わって激しい自己主張を繰り返した。統一後は偉ぶったところがなく、親しみやすい、それでいて威厳があったと云われる。
風貌
劉備と同じく七尺五寸(約173センチ)。立派な髭を持っていたと言われる。
呂布に撃たれた鞭の傷跡を極端に恥じ、人前で衣類を脱ぐことを嫌った。
呼称
名を操。字を嗣徳と言う。その名のために曹操からは大変愛されたが、最終的に恩をあだで返してしまった。
『一日皇帝』『神聖皇帝』と呼ばれ、劉操が即位した日が古代中国の最盛期であると言われる。
配下
徐庶、龐統、黄忠、魏延、鞏志、馬良、馬謖、廖立、呂蒙、陸遜、諸葛瑾、甘寧は嗣徳十二将と呼ばれる。
劉備配下では特に趙雲と非常にウマが合い、君臣の垣根を捨て、夜通し語った。趙雲は自らの得物・龍与傷槍を劉操が病気に陥った際に、神に捧げて劉操の快癒を祈願したと伝わる。
妻子
正室に夏侯月、側室に孫尚香。女色には淡白であったため、あまり手を付けることはなかった。子供は千年王国・三代目劉融のみ名前がはっきりと残っている。
イタリアには住民が劉操の子孫を名乗るリウ村が現存する。
陵墓
不明。
後世の評
「まるで未来を予言したかのような一歩・二歩先を読む頭脳を持っていた。度量が大きく、降伏してきた者にも自ら手を差し伸べた。それらは前漢の高祖に通じ、劉備の二代目を越えて大英雄であったと言える。人を見抜く目を持ち、恩を売りながらもそのような顔はせず、声名を気にせず卑怯と言われようとも決断するときには決断し、優柔不断とは無縁の人であった。しかしながら、後を託されながらも一日で地位を捨て、西方へと旅立ったのは君主の器でなかったと言える。彼は自分の生きたいように生き、死にたいように死んだ自在の人であった。もし彼が千年王国に残り、その頭脳を治世に完璧に反映させたのであれば、中華の歴史書は千年王国記だけで終わったであろう。」
「皇帝の位を望むものは数多くいる。だが彼にとって皇帝の地位はすべてではなかった。政治を顧みず酒色に耽る、そういうものにも彼は価値を見出せなかった。国すらも超越し、彼は西方へと旅立った。彼は普通であることを愛し、普通に居られることに尊さを覚えた。彼が真に欲したところを知るには、劉操という人間は時代にそぐわなかった人物であることを思い知らされる。」
「彼は極めて現代的な人である。合理性に富み、利用できるものは何でも利用する。しかし人間としての情の深さも併せ持ち、至って平凡である妻を慈しみ、側室を得るときはわざわざ正室の許可を取るほどである。現代的であり過ぎて、古代の帝王としての面白みに欠ける。しかし現代人が古代に行ったと考えるのであれば、失笑を買うくらいにはなるであろう。老いてから西方へと旅立ったのも、皇帝ではなくひとりの人間としての生き方を模索したからであろう。皇帝の座は天から賦与されたもの。それを彼は拒否し、いち人間として生きることに意義を見出した。故に人間臭く、平凡な人間が間違えて皇帝になってしまった一例である。彼は武人であり、政治家であり、父親であり、皇帝であり、旅人であり、ただひたすらすべてにおいて無垢・素人であった。」
ことわざ
・劉操の人変わり
きっかけ次第で人間はどのようにもなること。善人が悪人になること、またはその逆
・人は劉操になる
幼い頃は目立たない人でも、長じるにつれて頭角を現すこと。転じて、人の成長は何が起こるかわからないこと
・劉操の真似をするな
卑怯なことを行うと、慕ってくれる者は当然わずかであること。転じて、偉人の猿真似をしても凡人には成果がないこと
・一日皇帝
みかけだけが華やかなこと。内実が伴っていないこと
・劉家の一芸
親子そろって卑怯であること
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