第1章 選ばれし者
第1話 雲世界の少女と青年
……痛い。誰かに頬をペチンと叩かれたようだ。
「ほーれ、もういっちょ……」
「……痛い!」
重い瞼を押し開くと、眩しい視界に人の影が映り込んだ。
左手で露草の学生服の胸倉を掴んで、右手の平を今にも露草の頬目がけて振り下ろそうとしていたのは長い赤茶の髪の少女だった。
「お、目が覚めたか」
少女が胸倉を掴んでいた手を離す。
「乱暴が過ぎますよ」
落ち着いた声音が諭すように言う。露草の背を支えてくれたのは灰色の髪の青年だった。
「たった一発しか引っ叩いてないだろ」
少女がしゃがみこんで、青年に背中を支えられて地面に座る露草の顔を覗き込んだ。
「で、お前は一体どこの誰だ?」
この少女、先程から言動が随分と男っぽい。もしかして本当は少年だろうかという疑問がわく。
露草が、お前こそ誰なんだと言い返そうとした時、強い風が吹き抜けた。風に乗って、薄く色づいた白い花弁が大量に舞う。花弁はぱらぱらと露草の黒い髪と学生服に降り積もる。
桜の花弁だ。周りを見渡すと、満開の桜の木が視界を覆い尽くす。中でも、露草のすぐ傍にある桜の樹が一番大きくて立派だった。
だが、この場所を露草は知らない。
「……ここ、どこだ?」
露草の問い返しに少女が眉間に皺を寄せる。
「お前ふざけてんのか? その年で迷子か? ここは雲世界の外れだ」
「雲世界?」
何だそれは。聞き慣れない新たな単語に露草の眉間にも皺が寄る。
「もしかして」
露草の傍らに付き添う青年が静かに呟いた。
「君はこの世界の人じゃないのですか?」
「はあ?」
「はい?」
少女の素っ頓狂な声と、露草の不思議溢れる声が重なる。
青年は何を言っているのだろう。「この世界」とは何を指すのか。露草がいた日本などの各国が集まった大きなまとまりの「世界」ではないのか。
先程少女が言った『雲世界』など、聞いたことが無い。
(オレがここに来るまでの最後の記憶は……)
微かな頭痛に顔を顰めながら、記憶を遡って行く。
『お前は桜の木が好きか?』
(ああ、そうだ)
ナンパされたのだ。桜の木に。
露草は一番近くにある一際大きな桜の樹を見上げた。そう、こんな感じの大きくて立派な桜の樹だった。
「そうだ。桜の木が言ったんだ。オレが選ばれたとか何とか……」
露草の呟きに、青年と少女がぎくりとした顔になったのに気付いた。
彼らは顔を見合わせ、小さくため息を零す。
「……なるほどな」
「そうでしたか」
何がなるほどで、そうでしたなのだろう。露草にはさっぱり訳が分からない。
「あー、こりゃ余計に放っておけなくなったな。仕方ない、とりあえず家まで連れ帰ろう」
少女が面倒臭げに言いながら立ち上がる。
「そうですね。立てますか?」
青年の確認に露草が頷くと、彼は引っ張り上げるように立ち上がらせてくれた。そして、先に歩き出した少女の後に続いて露草を支えたまま歩き始めた。
「なあ、何がどうなったの。二人は何を納得したんだ」
青年に尋ねると、彼は微笑んで「それは追々」と答えた。こちらは全く納得できない。
「ていうか、あんたたちは誰なんだよ」
そういえば、自分は名乗ったが、彼らは名乗っていなかったことを思い出す。今度は青年もすぐに答えてくれた。
「ああ、申し遅れました。私は
そして、数歩前を歩いていた少女が赤茶の髪を翻して振り返る。
「あたしは
桜の木々の間から差し込んだ夕陽に照らされて、髪がより赤く映える。
露草は少し迷いつつ、結局気になったことを確認するために失礼を承知で訊いた。
「えっと、一応の確認なんだけど、女の子だよな……?」
矩が唇の端に笑みを浮かべながらこちらに近付いて来る。すぐ隣で夕凪が小さくため息を吐いたのが聞こえた。
矩の手が伸びて、露草の両頬を思いきり引っ張った。痛い。
「一応、女の子であってる!」
少女で間違いなかったらしい。露草はただ頷くしかできなかった。
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