第14話 宗教教誨
そんなとき、湯田は、宗教教誨を希望するか、希望するならどの宗教を選ぶかと刑務官に聞かれた。仏教、キリスト教、神道もあると言う。
教誨とは、集団教誨のことかと思っていたので、一人ずつ受ける教誨があるのだと湯田は、初めて知った。しかし、いくら教誨師と話し合ったとしても、死刑が取り消されるわけではないことは確かだった。
湯田は、何と答えていいものかと迷った。他の死刑囚の大部分が、教誨を受けているようだが、何のためか分からない。気晴らし、暇つぶし、いや、そんなはずはない。仏教でもキリスト教でも構わないが、助けてくれるならと考えていると、キリスト教に対するある思い出が、湯田に蘇ってきた。
それは、湯田が中学生の頃だった。父に別な女がいることが発覚し、それを知った湯田の義母と父との間で、別れろ別れないという醜い争いが続いていた。初めは、義母の味方をしていた湯田も、一方的に、父を責められない事情があることが見えてきた。
そんな両親だったが、日曜日ごとに湯田を連れて教会に通い、神父や信者達と仲の良い夫婦として懇親する姿に、湯田は次第に吐き気を催してきた。
キリスト教そのものが悪いのではなく、それは夫婦の問題であると頭では理解していたが、お世辞、愛想笑い、時に高尚な話題が、さらさらと手からこぼれる砂のように無意味に垂れ流されると、キリスト教に関わる総ての人間が、疑わしく思えるようになっていった。
こうなったら、仏教だろうがキリスト教だろうが、教誨師の人間性をたたきのめしてやると湯田は、腹を括った。
仏教とキリスト教を同時に選択することができるかと尋ねると、過去にそのような例は、なかったらしく、教務部において検討され、一週間後、回答があった。
前例のないことであるが、定められた回数と時間内での面接が、本来の趣旨を逸脱するものと認められない限り、仏教とキリスト教の同時受誨を禁ずるものではないとの判断が示された。
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